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ルール

これだけ飛び回ったから、
かなり遠くまで来たに違いない。

孫悟空は依然としてお釈迦様の手のひらの上なのだが、
ひとりでそうほくそ笑んでいた。

仏陀イメージ


ルール1

今いる場所で、今の持ち物で、
今の自分であることに満足すること。

ルール2

今の人生に不満があるのなら、
ルール1に戻ること。


ゼリンスキー



【引用文献】
今日が楽しくなる魔法の言葉
著者: アーニー・J・ゼリンスキー 翻訳: 宮崎 伸治 ダイヤモンド社 / 2003-09-20

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『もうダメなんでしょうか?』

質問者:「私はガールフレンドとの関係で困難を抱えています。続けるべきか別れるべきか。」

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急いで決めないことです。

なぜなら、心に表れてくることは、明るいときと暗いとき、昼の時間と夜の時間が存在するからです。

昼間の時間にはすべては素晴らしく見えるしハッキリ見えます。
しかし夜の時間になると、すべては暗くハッキリ見ることができません。

夜の間に、暗闇の中で、気力のない時にでも決定はできますが、それは賢明ではない。
彼女に対する見方は、明るく見える時間にもまた存在する訳だから。

例えば今ここでは明かりがあるから、ここにいる人たちや物がはっきり明るく見えている。
ところが突然明かりが消えてしまうとする。
暗くてあなたはだれも、何も見えなくなってしまった。

そのとき、あなたは世の中から、誰も何もいなくなってしまったと考えますか?
明かりがついていたときには、みんなが存在し、すべての物が綺麗に見えていたことを、思い出せないわけではないでしょう。


「決断するのは、昼間の時間に取っておきなさい。」

目の前が今は夜でも、昼の時間もあることを思い出すのです。
明るい時間も、まもなくやってくるのを思い出すのです。

暗いうちの決断は、ネガティブになってしまう。
明るい時間に決めれば、ポジティブなものにすることができる。

宗教的になれる人となれない人の違いもここにある。
宗教的に慣れない人というのは、いつも夜の時間に決断を下します。
ネガティブな状態の時に決定するから、彼には神が存在すると信じられない。

「神も救いもない」という証拠をいつも集めているから、
そんなものは存在しないという信念を強める。

それに対して、小さな救いを見逃さない人は、それを集めて大きな救いを信じられるようになる。


世の中をどのように見るか、その決断には3つの種類があります。

1つ目は、否定的な決断。生きることは失望ばかり、そこでは何も花咲くことはない。

2つ目は、YESの決断。明るい時の決断です。人生は喜びと祝福にあふれている。そこには天国がある。

3つ目は、光でも闇でもない、見える物を超えたところで下す究極の決断です。

人生においては、昼間と夜、光と闇が交互に繰り返される。
その繰り返しを、両方を、ただ見守ることを続けるとき、あなたはその両方の観察を超えたところに、究極の答えを見いだすのです。

それが「さとり」といわれるものです。


When to Break Up a RelationshipOSHOtimesより

※忠実な訳ではありません。
 

 
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心の2面性 振り子の原理

ロバートの質問:
仲間と一緒に過ごしていると、しばらくするとひとりになりたくなります。
しかしひとりでいると今度は人と一緒にいたくなる。
どちらか片方だけを完全に楽しめないのです。
わたしは、内側と外側どちらで生きればいいのでしょうか?


これはすべての人が直面する問題。
心の働きの2面性で、振り子の移動のようなものだ。

右側に振れているとき、振り子は左側に戻るエネルギーを溜めている。
やがて反対側に振れると今度は反対側に戻るエネルギーを溜めているのだ。


心も振り子であって、ひとりでいるときには人と一緒にいる時を思い浮かべて完全に孤独を楽しむことができないし、人と一緒にいると孤独になることを考え始める。

ひとりでいると何をしていいのかわからなくて退屈し、空虚さを満たそうとして他の人や食べ物や娯楽を探し始める。
逆に他の人と一緒にいると、今度はだんだん他の人があなたの領域に進入してくるのが気になりだし、干渉されるのが嫌になってくる。自由になれる孤独が恋しくなる。

バランスはかり


貧乏な人は金持ちにあこがれるが、金持ちはすべて放棄して自由になりたがる。

アレキサンダー大王は、人生の最後になってあらゆるものを手に入れ征服してきた人生に空しさを感じ、無駄に生きてきたことに気づいた。

その数年前にギリシャで出会った、裸の哲学者ディオゲネスを思い出す。
何も所有せず、裸で暮らすその哲学者は、しかしすべてを我がものにしていた。
大王はディオゲネスに惹かれ、そのとき彼に語ったといわれる。
私は次にこの世に戻ってくるなら、アレキサンダーではなくディオゲネスに生まれたいと。

両極の片方に生きようとすることは間違いである。
それはどちら側にいるにしてもひどい状況を作り出す。
私たちは、その両方を生きなければならない。

家の中にいて外の方があたたかく感じたら、外の太陽を求めて家を出る。
逆に外が寒くなってきたら家に入って寒さを逃れる。
同じように、心の振り子も両側に揺れる必要がある。
その両方を行き来するのだ。

片方に生きようとして頑固にならずに、リラックスしなさい。
両極は同時には成り立たない、相反するものだけれど、だからといって片方だけを取ろうとする事が間違っている。


片方で生きようとするのは、人為的で作られた生き方であって自然ではない。

人と接するときにも、自分自身でいることと相手に合わせることの間で、どちらか片方ばかりでいる必要は無い。

あなたが他の人にいい感じを持っているときはそのように反応すればいいし、嫌な感じがし始めたら、ごめんなさい失礼しますと言えばいい。

嫌いな相手に無礼になれと言うことではなくて、ただ相手の嫌なことに苦しめられるのを黙って受け入れる必要はないと言うことだ。

どんなときでも、これがエチケットだと思って心と裏腹な自分を演じる必要は無い。
相手を大切にするなら、自分自身も大切にしなければならない。
片方だけを大事にしてしまうのは誠実な姿勢とは言えない。

孤独でいることは、あなたに平和、静寂、平静さ、瞑想的であること、意識や整合性の感覚を取り戻させる。

一方で他の人と接すること、愛は思いやり、祈り、サービスを学ぶことを助ける大事な役割を持つ。

それらは両方が必要で、お互いを強化し合うことができる。


外側は自分の内側の一部であり、あなた自身の内側は外側の一部である。
翼に両翼があるように、片方の翼だけでは自由に飛べない。

2つの世界を自由に行き来することを学ぶべきなのだ。

※以下のサイトよりのポイントを抜き出しました。
"The mind hankers for that which it has not got, and the mind gets bored with whatsoever it has got." - OSHO Talks

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期待をやめてしまおう

あなたが期待するということをやめる準備ができるなら、あなたは自然に戻って、もっとも素晴らしいことが起きるだろう。

人は愚かにも期待で生きようとしたために、いろんなことを抑圧して排除してしまった。

もし期待を落としてしまえるなら、あなたは抑制してしまったあなた自身を取り戻すことができる。

それらはあなたにとって自然なものだった。

しかし、期待して生きることを通して、あなたはそれらを悪い習慣だと呼んでしまった。
悪い習慣だと名付けたばかりに、あなたはそれを受け入れる事が出来なくなり、排除してしまったのだ。

あなたの自然であった一部が、排除され抑制されてしまったのだ。

期待し予測で生きることをやめれば、それらは再びあなたの一部分として蘇ってくる。
なくしてしまったあなたが復活できる。

「どうしていてはいけないの?」と主張したがっていた自分が生き返ってくる。

期待を持たない人は自然でいられる。彼が行うことはすべていいことだ。

そこには悪いことは何もない。自然である限り、すべていいことなのだ。

How to Drop Expectations OSHOtimes より

Dropping Expectations – an OSHO Quote
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束縛されたくないと言うけれど

喧嘩する親子 (2)


ほとんどの人は、自分が他人から束縛されることを厭がっていると思います。

しかし本当に束縛を全部嫌っているかと言うと、時には全く自由にしろといわれると戸惑ってしまったり、寂しく感じたりします。
どこかで相手に依存している部分があるからです。

その意味では「自由にさせろ、束縛するな」というのは、勝手なときだけ使っているとも言えます。

別の見方をすると、自分の自由を完全に主張するためには、相手の自由も完全に認めなければなりません。

相手には言うとおりにしろと言っておいて、自分だけは自由にしたいというのは、相手が納得しないし、自分でも後ろめたいところがあってうまくいきません。

本当に自由にしたいのなら、相手にも完全に自由を認めなければなりません。

また、たとえ相手がどのようにあなたを批判しようと、それは相手の自由で、その責任は相手にあるのだから、それに対して自分は何も反論する必要もないと思える覚悟も必要です。

これは、権利の問題ととらえる事も出来ますが、実際には権利以前に人間の心理というのは、自分と相手の自由の片方だけを取るということが出来ないもののようです。

実は、多くの場合逆をやってまずい結果をまねいていることが多いのですが、これをふまえて、この原理をうまく使うことを考えた方がいいでしょう。

たとえば、相手の自由を充分に認められないうちに、自分を束縛するなと主張しても失敗します。

先ほど述べたように、相手は納得しないし、おそらく相手の自由を認められないうちは、相手の反論があることを薄々わかっているものだからです。

ですから、どこかでこんなことを言ってもダメだろうなと思いながら主張しているのです。

だからといって相手に完全に自由を認めるだけの踏ん切りもついていないのです。

これは一種のゲームを演じる関係を作り出します。

表面的には「なんで言うとおりにしないんだ」と怒って見せ「だったらこっちも勝手にするからな」と主張しますが、完全に自由に行動することは実際には出来ないのです。

場合によっては、それでうまくバランスを取っている場合もありますが、真正なやりとりではないので、曖昧でこじれた関係になってしまう危険もあるわけです。

次に、相手からの不当な主張に対しては、そのまま受け取って自分の責任を感じるのではなく、主張するのは相手の自由だがその責任をもつのも相手自身だということをはっきり認識しておくことです。

そうしないと、自分を責めてしまいやすい人は、根拠もなく自分が悪いことをしたような気になってしまうからです。

なんとなく自分も悪いような気になってしまうと、相変わらず自分の信じることを主張できないので、本当に自分が何をしたいのかが、わからないという悪循環を続けてしまいます。

悩む2人


日本の社会は欧米に比べて共依存の傾向が強いと言われます。

部分的に相手に期待することを前提に動いているところがあるのですが、余りあてにしすぎては、暗黙のうちに相手と了解しあっていることが崩れてしまえば、関係はこじれてしまいます。

そのあたりは、「いいかげんさ」とか「あうんの呼吸」が必要なので、誰に対しても使えるわけではありません。

使う相手を間違えて痛い目にあうと、人間全般を嫌いになりかねません。

最初のテーマに戻ると、自分の自由を認めたいのなら、同じだけ相手が自由にすることも認めることが必要だと言うことです。

自分を振り返って、どこまでその認識があるのかどうか確かめておくことは重要ではないでしょうか。

それと、身近な人と、仕事関係の人、通りすがりの人とでは当然関係の仕方も変わってきます。

同じようなことを言われても、受け取り方を切り替える必要があるでしょう。

「誰に何を言われようと」と言う表現はありますが、「誰」に言われたかでその影響力は当然違うわけですから、言葉に騙されない方がいいでしょう。

自分を知らない人から言われたことをどう考えますか?

「よく知らない人からもそう見えているということは、やっぱり自分には問題があるんだ」と受け取る人もいるでしょう。

しかし、そういうこともないとは言えませんが、むしろそれを言った人は部分的な類似点から、自分の知っているパターンを思い浮かべたに過ぎないと考える方が当たっていそうです。

知らない人に出会ったとき、できるだけ早く相手のことを掴もうとして、自分の知っているパターンで分類しようとするのが普通だからです。

むしろ、すぐに自分の責任だと受け取りやすい自分の傾向があるなら、それをよく承知しておくことです。

自分を煩わせる人というのは、あなたの内面を教えてくれる人でもあります。

すぐに誰が正しいとか、誰の責任かということに意識を向けてしまわないで、自分のこころの動きを確認する機会と受け取れば、イライラしたり罪悪感を感じたりすることもずっと少なくなるはずです。

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やっても、やらなくても

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義務感から何かをやらされていると思うと、
同じやるにしても苦痛になる。

「これをやらないと大変なことになる」
「これを手に入れないと損をする」
「今日はまだやっていないぞ」

このような脅しの言葉で動くことは、
恐れから動かされているということだ。

無条件に自分の価値を認めてみよう。
自分がどんな人間だろうと
その価値に変わりはない。
何かを持っていなくても、何かができなくても
その価値に変わりはない。

それが無条件と言うこと。

「やっても、やらなくてもかまわない。でもやりたいからやってみよう。」
こう思って動くとき、同じことをやるにしても
全然楽になれる。

そこには駆り立てるものはない。
そこには恐れや苦痛はない。

どちらの動機でやっても同じなら、
なぜ切り替えが出来ないのか、
恐れのもとは誰だろう?

それを追求してみれば、
いま現在には恐れはないことが発見できるはず。
言い換えれば自分が作り出さなければ、
そこには何もないということ。

やっても、やらなくてもかまわない。
でもやりたいからやってみよう。


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それでも外側を探しますか?

虫眼鏡で観察


自分を満足させてくれるものがどこかにあると思って、つい外側を一生懸命探しまわりたくなりますが、心の問題は自分の内側を探さなければ解決しないだろう。

このような主旨の話を一貫して書いていますが、現代のような情報が向こうから押し寄せてくる時代にあって、このことをどう考えればいいのだろうということを少し考えてみました。

ネットの普及によって情報の伝達手段が容易になり、それとともに情報にお金を払うということもどんどん常識化してくるようになります。

かつて日本では一部の例外は除いて、お金を払って水を買うという発想はありませんでした。
「湯水のようにお金を使う」という表現があるように、「水はタダ」と言うのが当たり前だったのが、いまではコンビニでペットボトルの水を買うのも常識になってきています。

同じように、情報もお金を出して買うものというのが、特殊な情報でなくても当たり前のように思えてくる時代が徐々に到来しているのでしょう。

そうなると、売り手つまり情報の供給者側は、自分が特別な情報を生み出すことよりも、いろんな情報を収集して整理し、買い手の欲しがるものを作り出すことに関心は向いていきます。

情報の供給者とは情報の専門家である必要は無くて、情報を扱う専門家になればいいということになっていきます。

極端に言えば、中身はよく知らなくても、右から左に受け流す専門家になればいいわけです。
「内容の真偽は自己責任で使ってください」なんて責任放棄を堂々と宣言できる時代になっているのです。

一方で、そういう時代になってくれば、買い手である一般の人たちは、お金を払ってもいいから、価値のある情報を手間を掛けずに効率よく手に入れる方法に関心が移っていくでしょう。

具体的に目に見える物がからんでいない情報についても、お金を出して買うことも当たり前になります。それはいままでの本を買うのと同じことです。

しかし、目に見える製品と違って、ノウハウ的なものはその価値を判断することは難しいわけで、返品はきかないけれど買って試して見るしかないと言うことが多いのです。

そこで頼りにするのは、売り手が謳っている効果や誰の情報化という権威、あるいはネット時代ならではの口コミ情報といったものになってきます。

また売り手は需要を作り出すためには、「いま何が必要なのか」を掘り起こして、それ自体をも商品にしようと考えるでしょう。

何が必要かまでを外から教えて貰って、かろうじてどれが自分は必要だと思うかの選択をする自由だけを与えられる。

そんな極端な話も、あながち冗談ではなくなってしまうでしょう。

つまり自分が何を欲しいのかまで外側に頼ることが、より加速し増大しているのです。

しかし自分の生き方まで誰かに教えて貰っていていいのだろうか。
そんな危機感を感じないでしょうか?

自分は必要なことは自分で考えているから大丈夫だと言っても、考える材料はいつのまにか外に頼っているわけですから、誰が考えたことかは怪しいものです。

情報を遮断し、いままでの流れをストップして、リセットまでは行かなくても自分を振り返る時間をもっと持つべきなのです。

外から与えられた「これを知らないと生きていけません。取り残されますよ!」という脅しに乗って、恐れから行動していないかをチェックする必要があります。

毎日送られてくる情報に、じわじわと作られてしまった自分を増殖させてしまうのをストップしなければなりません。

鏡の中の女性


たったいま自分が気にしていることは何でしょうか?
それはもとをたどってみても自分から出てきたものでしょうか?
それとも誰かに教えられたことを信じたからでしょうか?

別に瞑想などという大げさなことを考えなくてもいいから、外の情報を遮断して(自分が取り込まないと思うだけで充分です)、過去や未来に左右されずに「いまここ」での自分を取り戻してみることです。

そこには、外から仕入れてきたお仕着せの楽しみもなければ、しつこく脅かしてくる強迫的な訴えもありません。

何が見えて来るかの保証はありませんが、自分を縛り付けるくだらない雑多なガラクタも綺麗に消してしまえるのです。

自分は最近、何の気がかりもない時間を一瞬でも持てているだろうかと振り返って見ましょう。つまり無防備でいられる自分を少しでも過ごせているでしょうか。

そうしないと、いくら仕事を忘れようと旅行に出かけても、取り戻すべき自分が何だったのかが、だんだんわからなくなってしまいます。

これで準備はすべて整ったと思って振り返れば、まわりにあるのはすべて誰かに押しつけられたものばかり。
自分が選んだものなど何もないことに、ようやく気づく。
そんなことにならないようにです。

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持っているものは使って見よう!

ウサギとカメのゴルフ


持っているものを使うといえば、その代表はお金ですね。
お金を使えば欲しいものが買えて、あなたは満足し幸せな気分になります。

しかし、手持ちがないとなると買いたくても買えません。
財布に1000円しかないから、使うのはやめておこうと思っているときには、欲しくても手に入りません。

このように何かを手に入れるには、自分の持っているものを使って手に入れていることが多いのは確かですね。

ところが、ある種の自分の持ち物については、他人からは欲しがっていながら、自分からは使わないようにしようと思っているものがあります。

たとえば、人から自分のことを気にかけて欲しい、好きになって欲しいと思っているけれど、なかなかそういう人は自分の前に現れないとこぼしている人がいるとします。

それでは、その人は自分から相手に対して自分の気持ちを表そうとしているかというと、ほとんどの場合自分の奥深くしまい込んでいるものです。

まるで、最後の1000円を使ったらなくなってしまうと思っているかの様です。

自分の愛情表現は使ったらなくなる貴重なものであると思っていたり、大事な人が現れたときに残しておかないといけないから、気軽に使ってはいけないのだとでも思っているのでしょうか。

したがって、自分から相手を気づかっていても伝えなかったり、好意を表すという労力をなかなか使おうとしません。

その結果、自分が出し惜しみしているこの財産は、他の人も貴重だと思っているから、そう簡単に自分に対しても与えてはくれないのが当然と考える様になります。

ですから、だれかが親しみを示してくれていても、「これは何かの間違いだ。私からは何も与えていないのに。きっと何か裏があるに違いない。」というような相手の好意を打ち消す反応をしてしまいます。

もちろん昨今はいろんな悪質な詐欺があるのも事実ですが、だから慎重なのだというのでなく、まずそんな恐れのない人に対しても自分を閉ざしているわけです。

他の人は、出し惜しみをしてあなたに好意を見せないわけではなく、その気になればいろんな場面であなたに働きかけています。
しかし自分には受け取る資格がないとこころの奥で思っているから、自分から逃げてしまうのです。

喜ぶ子ども


たとえば、子どもを喜ばせてあげようと思って、何かプレゼントを買って行くとします。

そのとき、あなたがうれしいと思う子どもの反応とはなんでしょうか?

当然、プレゼントを見て素直に目を輝かせて喜んでくれる子どもほど、あなたはうれしいし、次も何か与えてあげたくなるでしょう。

素直に喜びを示してくれない子供には、その時は気に入らなかったかなとか、いろいろ思うでしょうけど、いつもそういう反応をされると、そのうち与えたいという気持ちは薄れてきます。

このように自分が素直な子どものように反応するのが普通になっていれば、逆に他の人に対しても、こうすれば喜ぶだろうと思うことを気軽にしてあげること出来るでしょう。

お金とは違って、どんな人でも他の人に提供できる愛情や気遣いはたくさん持ち合わせているはずです。

自分の中にあるそういった持ち物を使おうとしないから、他の人からも気軽に返してもらえないでいるだけなのです。

そうなってしまうのは、先ほどの「自分の愛情表現は使ったらなくなる貴重なものだ」というような間違った考えが邪魔をしているのです。

そしてそう思ってしまった背景には「自分には愛情を受け取る資格がない」といったトラウマのようなものがあるのかも知れません。

ですが、そんな古傷を後生大事に抱えていても、いいことは何もありません。
他の人はあなたの事情を知っているわけではありません。

それどころか、自分は傷を持つ人間だからというような考えにしがみついていると、自分で自分を制限してしまうだけです。

自分を制限するのは変化を恐れているのです。

自由に愛情をやりとりする自分のイメージを想像できないから、自分にはふさわしくないし、そういう場面でどうしていいかわからない人間なんだと思い込んでいます。

しかし、そもそもあなたの中に欲しがっている自分がいるから、現状を嘆いているのです。
その場面になれば、使わずにしまい込んでいる、あなたなりの表現方法をいろいろ持っているはずなのです。

なくなると思って自分の持っているものを出し惜しみするから、受け取る機会もそうそう滅多にあることではないと信じてしまいます。
それが、そういう悪循環を育ててしまうのです。

見る気になれば、まわりの人はいたるところであなたに愛情を注いでくれています。
また、自分の中にも他の人に与えたいという気持ちが渦巻いています。

どちらの循環を作るかという選択だけなのです。

自分の場合は変えようがないのだと信じるのをやめて、気軽に自分が持っているものを使って見ましょう。

いつも出し惜しみしているものを、試しに使って見るのです。

それも、いつもいつも相手を感動させようなどと思わないで気軽にやってみることです。

受け取る自信がない人ほど、相手から反応がないことを過大に気にしてしまうものです。
ちょっと反応がないだけで、やっぱり言わなければよかったとか思って自分を責めてしまうから、動きが余計に重くなってしまうのです。

悪循環を止めて見れば、使うとなくなるものなのか、使うほど増えてくるものなのかが、すぐにわかってきます。

「自分にはそんな資格はない」などといつまでも信じないことです。
資格が必要だとすれば、それは出し惜しみをしている習慣をやめることだけなのです。

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個人的に受け取らない/ネットでのやりとり

ノートパソコン女性


FacebookやTwitterなどSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を利用していると、残念ながら自分にとってよい影響ばかりとは言えませんね。

炎上したとか聞くことがあると思いますが、そこまで行かなくても、受け取って嫌な感じを持ってしまうメッセージや投稿にも出会うことになります。

相手と顔を合わせて話しているのと違って、SNSやメールは主に文字だけを頼りにしたやりとりですから、同じ言葉のやりとりでも情報はかなり削り取られたものになっています。

ですから、書き手が自分でイメージしながら文章を書いても、文字に落とされた時点で単なる活字の集まりになってしまいます。

そして、読み手が同じ活字から再現するメッセージやイメージは読み手の受け取り方次第になってしまうのです。

話し方や声の調子といったものはそこにはないので、受け取り側の状態しだいでは、送り手の思ってもいないニュアンスが附加されてしまう可能性があるわけです。

解釈の範囲が広い文章ほど、大きな隔たりが起きる可能性があるわけで、その意味では向き合って話すのよりも、ずっと言葉選びを慎重にしたり、より具体的で誤解のない文章を心がけた方がいいと言えます。

しかし、こうした誤解が生じるレベルの話とは別の次元で、考えておきたいことがもう一つあります。

まず送り手の側から見てみましょう。

誰しもその人特有の他の人に対する構えというものを持っています。

よく取り上げる分かりやすい構えとしては、迫害者、救助者、被害者という3つの役割があります。

迫害者の役割を取りやすい人は、普段から世の中に不満を抱えていて、何かきっかけがあれば相手を攻撃し、やり込めてしまいたいと待ち構えています。

たとえば世間話をする機会があったら、社会に対する批判を口にして見ると、すぐに反応して自分の考えをまくし立ててくる人がいます。

「こんな世の中だから、不満を言いたくもなるだろう」とその人は言うでしょうが、だからみんなもそう思っているに違いないと思いやすい人は「迫害者」の立場を取りやすいだろうと想像できます。

さてこの「迫害者」の傾向がある人は、ネット上のいろんな意見を見ていて、自分の考えと違う意見や、批判したくなる意見に注意を向けやすいと言えるでしょう。

「迫害者」の傾向が高じてしまうと、SNSなどを見る目的の第一は、批判する標的を探すことになってしまいます。

「自分と考えが違う人の意見は、野放しにしてはいけない」とか「相手を問いただして、考えを変えさせないといけない」とまで思ってしまう人もいます。

その人にとっては、間違った(と自分が信じる)考えの人を批判し、間違っていましたとその人が反省して考えを変えさせることが正しいことであり、自分の使命だと考えるのです。

ですから、たまたまあなたが書いた意見が「迫害者」の目にとまり、意見が違っていたりすると、あなたがどういう人であろうと関係なく批判してくるでしょう。

突然知らない人から「何でいきなりそんなに批判されないといけないの?」と思うような事態も起こり得るわけです。

残念ながらそれを確実に避けるような手段はないでしょう。

SNSなどに参加しないとか、自分の意見は述べずに当たり障りのないことしか書かないとかいった消極的な対応策しかありません。

しかしそれではせっかくのプラス面もなくなってしまうわけですから、逃げないで続けて、どうしても出会った場合は、事故にあったと思って被害を最小限に留めるしかないでしょう。

その場合でも、上記のようなあなた自身とは関係ないところで、誰であろうと批判しないではいられない人がいることを知っていれば、気が楽になります。

決して個人的に受け取って、自分を批判したり落ち込んでしまわないことです。

わかっていても、あからさまに批判されるのは気分が悪いし、痛手を受けますが、反撃して自分が「迫害者」に転じてしまっては、別の問題を作り出すことにもつながります。

相手が誰であろうと、その人は批判するのだからと割り切って、自分までゲームに参加してしまうのを防止しましょう。

あなたが反撃しないでいれば、相手はあなたに興味を失って他へ移っていくでしょう。

不機嫌・怒る


さて今度は受け手の側から見てみましょう。

ここで被害を受けやすいのは、先ほどの3つの役割の中の「被害者」を演じやすい人です。

「被害者」を演じるとは言っても、実際にはその人は演技しているつもりなどなく、本気で自分を責めたり落ち込んだりすることになります。

だれでもその時々でコンディションは違っています。
気力がみなぎっていれば、少々のことなど受け流してしまいますが、落ち込み気味の時にはちょっとした言葉がグサッと自分に突き刺さってくるように感じたりします。

客観的に考えれば「私だけが悪いわけではない」と思っていても、やはり批判じみた言葉を見ると「自分に何か落ち度があるに違いない」と考えてしまいます。

そのような時に、たまたま先ほどの「迫害者」に出会ってしまえば、とんでもないことが起こってしまったと思って考え込んでしまうでしょう。

やっぱり自分にはこういうことをやる資格はないんだとか、極端なことを考えてやめてしまいたくなったりするのです。

ですが、そこで起きたことは、いろんな組み合わせがある中の最悪の組み合わせが起きたという、一つの出来事に過ぎません。

決してあなたが「いつも」そうであるわけでもないし、あなたの意見に価値がないとか、才能がないとか、他の人を傷つけてしまったとか客観性のない極端な結論を出さないことです。

あなたが白と言えば、それに賛同する人が100人いる一方で、それを批判する人も100人いるのが一般的だと考えておけば間違いないでしょう。

自分自身を振り返ってみても、以前は絶対白だと言っていたことが、今は「黒に違いない、白だという人は信じられない」と考えを変えていることがあったりしませんか。

反対意見があるのは当たり前のことだし、たとえ反対の考えを持っていても、相手の価値をそれと結びつけるかどうかは別のことです。

この点は意見が違うけれど、でもあの人の言うことはおおむね信じられると思えるという人だっているでしょう。

テンションが低いときには、ちょっとした批判の気配が大きく見えてしまい、相手を迫害者に見立ててしまいがちなのです。

ここでもやはり「個人的に受け取らない」ということを思いだしてみましょう。
ほとんどの場合、相手はあなたを個人的に責めているわけではないのですから。

個人的に受け取って、自分を批判したり落ち込んでしまっても、相手はそんなことは気にも掛けていないかも知れません。

そのような時には、相手が悪いかどうかは置いておいて、自分が被害を大きくしないことだけを考えましょう。

あなたが被害を大きくさえしなければ、実際には何も起きていないのと同じなのですから。


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何が期待できるかを知ること

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「親しい関係ほど気をつけたい思い込み」のつながりで、1つの観点をもう少し掘り下げてみたいと思います。

それは「何が期待できるかを知ること」の重要性についてです。

私たちは、「相手を説得して自分の期待をかなえよう」と言う発想の仕方をしがちです。

しかし、相手を変えることは簡単な場合もありますが、ことによっては非常に難しくて、はたしてそうまでしてそれを期待することが妥当かどうか考え直した方がいいこともあるわけです。

自分にとっては簡単なことでも、相手にとってはそれだけは変えたくないと思っていることかも知れません。

変わるべきだとか、簡単なことだという「私」の側の論理は、相手にとっては問題外なのかもしれないのです。

ですから、はたして相手が変わることを期待するのが得策なのか、それとも今のままで何を期待できるのかを知ることの方が大事なのか、ケースによってよく見極めた方がいいという発想が生まれてきます。

相手が今は変わりたくないと思っているときに、そこに働きかけるには非常なエネルギーが必要です。

場合によっては、今の自分に、それだけの働きかけをする覚悟があるのかどうか、考えておかないといけないでしょう。
中途半端に係わるのは、お互いにとってよくないものです。

ところで、人を簡単に説得できるように思える人がいます。
その人達は簡単に相手を説得できているのでしょうか。

結果的には、相手を変えていると言えますが、直接相手に自分の期待をぶつけているかというとそうではないようです。

むしろ相手に期待できることは何かをよく知っているから、その期待できることに働きかけている。
そのうち、相手は自分の才能を引き出してくれる相手に対して、気分がよくなりなにかお返しをしたくなってきます。

その時「私」の側ののぞみは、それを直接頼まなくても、相手の側からやってあげたくなることに変化するのです。

「強くたたきつける雨には固く閉ざしてしまう花びらも、やさしく置かれたしずくには自分から花びらを開いて受け入れる」

私の期待をかなえることばかり考えていると、いかに相手を説得し勝利を勝ちとるかという発想になってしまいます。

しかし、いま、そのままの相手から期待できることは何かを探してみれば、その期待できることの多さに驚くのではないでしょうか。

そして、何が何でも「私が今期待すること」をかなえようと力まなければ、他にできることがたくさんあるし、それは無理をしなくても手に入ることに満ちているのを発見できるのです。

もちろん、相手からだけでなく、自分自身に対しても、いま期待できることは何かを知ることは重要です。

不満な点を探すより、そのままでいい点を探す方がいいことも多いのです。

しかし、私たちはなぜか「努力して勝ちとること」に価値があってありがたいのだと思い込んでしまうのです。

そして奇抜なことをしてアピールしなくても、「そのままのあなたがいい」と思っている人もたくさんいるわけです。

発想を変えれば、豊かさに満ちています。
それらは、たったいま、ここで労せずして得られるものです。

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親しい関係ほど気をつけたい思い込み

「家族だからわかり合えるはず」という言葉を口にしたりしますが、そこにどれほどの根拠があるのかは疑わしいところです。

「家族」とか「夫婦」とかという言葉で関係を名付けたところで、お互いに何かが変わるわけではないのですが、そこでは言葉によって期待感がつくられるという違いがあります。

しかし期待したことと実際の間には、残念ながらギャップがあるものです。

期待とはそうあって欲しいという願いですが、現実はそれとは別に独立して存在するのです。

自分に関してでさえ期待は実際と違いがあるのですから、他の人への期待を現実だと思うのはかなり無理があると思った方がいいでしょう。

つまり「相手のことをわかっている」と思うのは、かなり無謀な行為であるということです。

そこには、しっかりした根拠があるわけでなく、家族だからわかるはずという期待によって作られた幻想があるわけです。

いや、うちの家族はそんなことはない、以心伝心で何でも伝わると言われるかも知れませんが、それは相手の期待を学習して一方が相手に合わせていることがほとんどだと思った方がいいでしょう。

こういう言い方をすると身も蓋もない思われるかもしれません。

しかし、期待ばかりしているうちに、いつか現実とのギャップに直面させられて呆然となり、あげくの果てに相手を騙していたと罵ることになるよりは、現実をありのままに知る方が健全で長続きする関係が築けるはずです。

何かを期待することよりも、期待できないことを知っている方がよほど役に立ちます。
そんな中で期待していなかったことをしてもらえた時には、予想外のうれしさもあるでしょう。

期待することよりも、できない期待から相手との関係を悪化させる方がよほど問題を作り出すものです。

「私があなたに期待する」時、その背景には何があるのでしょう。

期待と一口に言っても、その背景にはこんなことが隠れているものです。

・あなたがこういう人であって欲しい(私の願望)
・あなたはこういう人であるべきだ(私の信念)
・あなたがこうでないと私は耐えられない(私の恐れ)


最初の「私の願望」でとどまっていて、「私」もそれを承知している場合には、それが大きな問題を起こすことはないでしょうが、後の項目になるほどトラブルの可能性は高まりやっかいなものになっていきます。

私の期待と他の人がそれに応えられるかということには、非常に距離があると思った方がいいのです。

それに相手はあなたの自分でも気づいていないかもしれない期待を、相手は理解していると思う方が無理があります。

仏陀イメージ


ところで、お釈迦様とその弟子の間での逸話「拈華微笑(ねんげみしょう)」というのをご存じでしょうか。

ある日、お釈迦様は弟子達と山の上に集まっていました。

お釈迦様は法を説いていたとき、弟子達に向かって金色の花をかざし、それをひねって見せます。

お釈迦様は何も言わずただそうしただけで、その後も無言のままです。

弟子達は顔を見合わせ、何を教えられているのだろうと考え込みます。

そんな中で、弟子のひとりの摩訶迦葉(まかかしょう)だけがその意味を悟りました。

そして、彼は黙ってお釈迦様を見てほほえみました。

お釈迦様は、摩訶迦葉、おまえだけはわかったようだなと思って、彼に黙ってほほえみ返しました。

※「拈華」は花をひねるという意味です。

何がふたりの間で伝わったのかは難しいはなしですが、修行中の弟子達にとっても、無言で相手の思いを読み取ることは難しいのです。

お釈迦様も当然、みんながわかることは期待していなかったでしょう。
そんな中で、ひとりでもそれが伝わったのがうれしかったはずです。

このように、以心伝心など言葉を使うのは簡単ですが、実際に相手に伝わるということは至難の業です。

日常生活で、手軽にこのようなウルトラCができると思うことの方が無理があるのです。

「期待してはいけない」というと、希望がない話に聞こえます。

しかし、自分の思いでさえ、本当には自分でもわかっていないことが多いことを充分に認識できれば、無理な期待を相手に抱かないことはむしろあたりまえだと思うようになるでしょう。

作られた期待で相手を見ないおかげで、相手の「いまここ」でしか起こらないであろう変化を見逃さない余裕も出てきます。

それから、「私はあなたが何をしようとしているかわかっていますよ」というのは、考えて見れば非常に失礼なことではないでしょうか。

たとえ相手が子どもであろうと、「あんたはこうするに決まっているんだから」と言われたら気分はよくないでしょう。

もちろん子どもが自分で考えようとする機会や気力を奪ってしまうことにもつながります。

「私にはわかっている」というのはあなたの側の論理でしかないのです。

「実際に相手に聞いてみないとわからない」と本当に思っているときには、相手のことを自分の期待で歪めてしまうことも防げます。

不機嫌・怒る


ここでもう一度、自分の側に焦点を当ててみましょう。

「あなたはこうでないと私は耐えられない(私の恐れ)」

こんな恐れなどないと否定せずに(もちろん本当になければないでいいのですが)、それに取り組んでみれば、思わぬ発見があるかもしれません。

「あなたがこうしてくれないから私は苦しんでいる」という表向きの訴えの原因は、この私の側の恐れに起因している可能性が高いのです。

その場合、問題は相手ではなく自分の中にある現実はこうあるべきだという思いや、そうでないと大変なことが起こるという恐れにあるのです。

厳しくてもそれに取り組まない限り、相手が悪いという投射を続けるしかなくなってしまいます。

そして期待を通り越して、恐れにまでなっているとすれば、相手が思った通りにならないときの怒りの感情は、より強烈なものになっていくのです。

相手は自分がどうしようとこちらの決めることだと思っているのに対して、恐れにもとづいた相手への期待を持っている側は、許されない重大な裏切りだと受け取ります。

その結果、お互いに相手の考えが想像もつかない不可解なものになってしまうのです。

ですから、最初の方で「相手のことをわかっている」と思うのは、かなり無謀な行為であると言ったのはそれほど誇張した言い方でもないのです。

お互いをわかり合えていることが理想だと思ってしまうと、できない期待をしてわざわざ存在しなかったトラブルを作り出すことにもなります。

このような理想で作り上げた関係は、実は幻想でしかないわけですが、相手が期待に応えてくれない時に、幻想を壊したくない思いがある一方で、現実は受け入れられないという葛藤に苦しめられることになります。

期待しないことを前提にすれば、相手がそれに応えてくれない時の苦しさも味わいませんし、お互いが相手の期待でなく自分の本心からの行動を取ることが普通になります。

また、今回はちょっと相手に期待したいなと思ったことがあっても、力まないで相手に伝えることが出来るでしょう。

無言のうちに相手に期待するのは、相手にとっても自分にとっても重苦しい関係です。

無言でまだこの期待を満たしてくれない相手に不満をいだき、それが重なれば何も言わないうちに突然不満を爆発させるというおかしなことが起きてしまいます。

テレビドラマを見て、うちはこんな関係になれていないなどと幻想を持つとろくなことはありません。
ドラマは、いざとなれば作家さんの筆次第で、強引に理想の結末を作り上げられるわけですからね。

あらかじめ自分で思い描いた期待で相手を見ないでも平気になれば、そのときこそ本当の意味で相手に自分の期待を伝えることも出来ます。

いつも先に自分の期待で埋まっている姿勢から相手を見ているのでは、相手が期待に応えてくれてやっととんとんなのですから、生まれるのは期待はずれの失望ばかりになることも不思議ではないのです。


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自分らしさとは

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自分らしいとはどういうことかを知りたければ、人格テストをしてみたところでわからない(偏った結果がみつかるだけだろう)。

自分がどんな人間であろうと知らなくてもぜんぜん平気だと思えるとき、
そのとき残っているものが自分らしさである。

他の人にアピールしようと用意した「自分らしさ」など役割演技でしかない。
まわりに誰もいなければ、やろうと思わないのは演技でしかないのだ。

「自分はこういう人間です」と宣伝してまわるのは、
自分自身も他者もだましてしまう馬鹿げた行為に違いない。

それが世間に受けたりすれば、その時は楽しく感じても、
あとで余計に悲惨なことになる。

仕事として割り切って役割を演じるのは仕方がないが、
自分らしさとそれはハッキリ別なものだと認識しておかないと危険である。

そうしないと分裂してしまった自己同士の葛藤に悩まされて、自分がわからなくなってしまう。

そういうことは、自分から苦しさを作り出す行為でしかないことを、よく肝に銘じておくことだろう。

それをやめれば、どれだけ楽になるかを確認してみればいい。
くだらなさに気がついたら、自然にやめようと思うだろうから。

自分らしさは、人に説明してみせるようなものではないし、
説明しようと思った時点で作り物になってしまう。


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私の欲しいもの

セールス説明


「○○があれば欲しいものは何でも手に入りますよ。」

魅惑的な言葉ではありますが、そもそも自分の欲しいものとはどういうものでしょうか?

人は手に入ればなんでも欲しがるものだと思いますか?

まず私たちは、あたりまえですが、自分の全く知らないものを欲しがったりしません。

そして欲しがるものにも、二通りあります。

ひとつは本当に自分が欲しいと感じるものであり、もうひとつは自分の過去のシナリオから欲しがるはずだと思い込んでいるものです。

これらのことを考え合わせれば、ひとは何でも手に入ればいいなどとは思わないのですから、まわりの情報に振り回されて欲しいと思い込むのは、経済貢献にはなっても自分にとって望ましいことではないでしょう。

そして、「本当に欲しいもの」と「欲しいと思い込んでいるもの」を見間違わないことです。

「欲しいと思い込んでいるもの」とは、今の自分の満たされない思いの代償にしようと手に入れようとしているものだったり、それを手に入れることで何かの恐れから逃れられると思い込んでいるものなどが考えられます。


代償で何かを手に入れても、満足は長続きしません。

そして、またすぐに別の代償を探すことを繰り返します。

恐れから逃れるために強迫的にとる行動は、やればやるほど強化され依存と苦しさをもたらします。

恐れの原因は何も解消されないからです。

何かを手に入れて、その安定した状態と自分を重ね合わせて、同一化することで自分も安定したと思いたがるのですが、しかし、いつもそれにしがみついているわけにはいきません。

また、そういう理由で手に入れたものは、それを失う事への恐怖がやがて発生するのは目に見えているのです。

「安心毛布」はいつか手放さなければ成りません。

ですから「なんでも欲しいものが手に入ったらすばらしい」という神話には注意が必要なのです。

よく注意して本当に欲しいと思っているものをよく見分けることがなによりも肝心です。

手に入れる事が逆に自分を苦しめるかもしれないのですから。

特に現代のように情報過多の時代では、むしろ必要のないものを見分けることこそが、むしろ必要だと言えるかもしれません。

欲しいと思って手に入れたのに、それによって、どんどん負担に感じだしていることはないでしょうか。

自分を知ること、足りることを知ること、そしてどこまでやったら止めるかを知ること、これは今のような時代にこそより必要な発想だと思うのです。

私の本当に欲しいものとは何でしょうか?


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老子 安楽椅子探偵の章

尾行する探偵


老子は部屋から一歩も出ないで、世界を知り、窓から外を見ることなく自然の法則を知り、一歩も外に出ないですべてのことを成し遂げると言っている。

こんなことを言われたりするのがこの章です。

不出戸知天下,不窺見天道。其出彌遠,其知彌少。是以聖人不行而知,不見而名,不為而成。
道徳経 第四十七章

戸口から一歩も出ないで天下を知り、窓から外も見ないで天道を見る。
遠くにでかければ遠いほどますます知ることが少なくなってしまう。
だから聖人というものは、出かけないですべてを知り、見ないでもすべてを見極め、何もしないですべてを成し遂げるのだ。


部屋から一歩も出ないで、動かないまますべてを知って答えを出すといわれると、推理小説に出てくる安楽椅子探偵を思い浮かべて、そんなタイトルをつけてしまいました。

安楽椅子探偵はワトソン役などの情報を聞くだけで、椅子に座ったままで犯人を見つけ、真相を明らかにしてみせるというもの。
もちろん探偵自身は一歩も外に出ないままで解決してみせるのです。

しかしそんな超人的な能力の話だとすれば、面白いかもしれませんが、この章で言おうとしているのは、やはり外側を探さないで内側を見なさいということなのでしょう。

外に出て歩き回っても、本質的なことは見つからないよといっているわけです。

あるいは現代であれば、ネットを使っていくら情報を調べたって、見つかるものではないということになるでしょうか。

そうではなく、自分の内面を調べなさいと言っているわけです。

自分のことを知れば知るほど、本質が明らかになり、やがて外側に頼らなくてもすべてはわかるし、やたら駆け回らなくてもやるべきことは実現できるのだと言いたいのでしょう。

考えて見れば、私たちが外の世界を見るとき、それは自分の内面を反映したものしか見えてこないわけです。

知らないことは、そもそも目に入らないだろうし、すぐに目に入ってくるものとは、自分が思い描いている世界と合致するものだからです。

そして、今の自分(内面)が信じるもので世界を見ているわけですから、いくら世界を調べても自分が内側に持っていないものは知ることはできません。

しかも、その時点の世界の見方をもとに世界観を作り上げても、自分の内面もまたやがて変化していくものです。

内面が変化した途端に、世界の見方も変わってしまうのですが、そうすると以前の世界観と今見えている世界の食い違いから、いろんな混乱が発生してしまいます。

だからこそ、まず調べなければならないのは、自己の内面なのです。

「人を知る者は智、自らを知る者は明なり」(第三十三章)

とも言っているように、人を知って知識はふえても、自らを知ることには及ばないし、本当の真理は見いだせないだろうというわけです。

というわけで、いつものように動き回るワトソン君をやめて、名探偵になって世界をつきとめてみるのはいかがでしょうか。


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老荘思想のコラム連載(21)

『COCORiLA (ココリラ) ~癒しのポータルサイト~』様にて老荘思想のコラムを連載中です。

【今月のコラム】

「現代社会と老荘思想(21)」 [2011/10/02] ◇タオイズムの本質『シンプルに生きる』◇

現代社会と老荘思想



◇タオイズムの本質『シンプルに生きる』◇

ものごとの本質はシンプルな原理で説明出来る。

複雑なものに見えるのは、自分でものごとを複雑にしているだけである。

そしていろいろ複雑な見方をこね回しているから、本質が見えてこない。

枝葉末節にこだわっていることが、タオから外れた無駄な努力を生み出し、問題を作りだしてしまうのだ。

さてこの『シンプルに生きる』とは、複雑にならないうちに片づけてしまおうという発想にもつながってきます。

・・・・・・・

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以下のサイトで連載しています

癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)

【今までの連載記事】

「現代社会と老荘思想(1)」 「老子の三宝」
「現代社会と老荘思想(2)」 『道の道とすべきは、常の道に非ず。』
「現代社会と老荘思想(3)」 「すべては、もとはひとつ」
「現代社会と老荘思想(4)」 「無為(wu-wei)」
「現代社会と老荘思想(5)」 「上善若水」
「現代社会と老荘思想(6)」 「柔らかいものが堅いものに勝つ」
「現代社会と老荘思想(7)」 「無為によって全てを成し遂げる」
「現代社会と老荘思想(8)」 「自然な調和を取り戻す」
「現代社会と老荘思想(9)」 「天網恢々、疎にして而も失わず」
「現代社会と老荘思想(10)」 「自然はたえず変化する」
「現代社会と老荘思想(11)」 「役に立たない生き方」
「現代社会と老荘思想(12)」 「冬の川を渡るがごとく」
「現代社会と老荘思想(13)」 「私の本質は波ではない」
「現代社会と老荘思想(14)」 「和光同塵」
「現代社会と老荘思想(15)」「余 地」
「現代社会と老荘思想(16)」「我を張らない生き方」
「現代社会と老荘思想(17)」「聖人は腹をこさえる」
「現代社会と老荘思想(18)」「小魚を煮るように」
「現代社会と老荘思想(19)」「道のまん中が王道なのだ」
「現代社会と老荘思想(20)」「タオイズムの本質とは何だろう」




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傷つけられた!

誰かの言葉で傷つけられた!

そのときどう反応するでしょうか?

「あの人はひどい人だ。私がこんなに傷ついたのをみなさん見てください!
こんな人を許すわけにはいかない。ずっと覚えておいて、いつか復讐してやるんだ。」

このような考えが、すぐに浮かんでくるようなら、出来事が起こる前の自分の状態をチェックしてみるのもいいかもしれません。

もしかすると、主導権争いをしている自分がいて、もともと誰か来ないかと構えていたのかもしれません。

「ひどいことをいった人がいたから腹を立てただけだよ!」

こう思って、外的な要因でたまたま起きた出来事と思っても、それが恨みを作り出すのなら、たまたま起きて、たまたま消え去っていく出来事ではなくなるのです。

もし「傷つける人」を利用しているのかもしれないと思ったら、根本的な解決を考えないと、いくらでも傷つけるひどい人が増えてしまうでしょう。

もともと自分が動けない理由を、他人のせいにすることで自分と向き合うのを避けているということだからです。

それは、自分が成長して前進することを妨げるものでしかありません。
さらに、いつまでも誰かを恨むことはそれ自体あなたを傷つけ続けます。

仕事の効率を考えることよりも、このような自分の行動を妨げる要因に気づいて取り除く方が、何倍もあなたの行動を自由にし、結果として効率化もはかれます。

「あの人の言葉で、ムッとして怒りたくなったけど、自分でわざわざそれを大きくしてしまうことはないじゃないか。」

そう考えて聞き流してしまえば、その思いは時間と共に消え去っていきます。
「そう思えない何かが自分になかっただろうか?」が問題なのです。

それに、もしかするともともと相手に悪意などなかったのかもしれませんからね。
表現の仕方はひとそれぞれすごく違っています。

あるいは、皮肉った言い方をしたひと自体が、自分の中に同じように問題を抱えているから、外にそれを向けただけかもしれません。

その場合は、なおさら泥仕合に陥らないことが大切です。
「わたしの方が傷は深いのよ!」と言い合っても仕方ありませんからね。

うつむく男子

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