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『行きづまりと義務感』

悩むサラリーマン

行きづまっていると感じるとき、それは誰かとの関係だったり仕事だったりするかもしれませんが、それに追い打ちを掛けるのは義務感です。

行きづまりを感じて停滞感や疲れを感じているときは、義務感を少し切り離してみましょう。

出来ていないことから焦りや疲れがあるときに、義務感で自分を奮い立たそうとするのは、無理をしてこじらせてしまう可能性があります。

そんなときは、しばらく義務感も焦りの対象も忘れてしまいましょう。

そして、自分のできることや人に与えられることに焦点を当ててみましょう。

「自分は何を人に与えられるだろうか?」ということに、しばし心を遊ばせてみましょう。今の状況とは関係なくです。

何か思いついたら、小さな事でも何でもいいから、それを実行してみるのです。

行きづまりの状況とは何も関係ないことでもいいのです。

与えることで本来の自分のことがわかってきます。

いろんなことが出来る自分が見えてきます。

義務感で追い詰められていた自分から離れて自分を見られるようになってきます。

結果として今の行きづまり状況も全く違った見方が出来るようになるでしょう。

それは義務感でこじらせていたら決して見えてこないものでしょう。


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欲しいし、嫌だし、憎いし、でもそのままでいい

遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)

このハンニャハラミツの
大海の底に深く沈んでいくと、
今まで自分をしばってきた、
今までリアルだった
日常世界のわずらいのすべてが、
まるで
夢かまぼろしのように
むなしいものに
思われてきます。

般若心経絵本 諸橋 精光 小学館 / 2005-09


般若心経絵本では、この前後で「無明」と「ハンニャハラミツ」は同じものだと言うことが語られています。

「無明」とは果てしない欲望をもたらす苦しみのもとであり、「ハンニャハラミツ」はさとりの世界です。

「無明」にこだわれば、それは苦しみの世界のままですが、「ハンニャハラミツ」に身をあずけてしまえばどうなるかがこの文章です。


まず、私たちは煩わしいものを自分から欲しがっているのです。

しかしその結果すぐに苦しい状況に入り込んだ事に気がつき後悔します。

自分でそのことに耐えられないから、何かに、誰かにその責任を負わせたくなります。

しかし、それでもまた次の煩わしいものを追い求めないではいられない。

これが「無明」ということですが、これもまた「ハンニャハラミツ」そのものでもあるというのです。

つまり、「欲しがるのがダメ」だとか、「苦しいことをどうこうしよう」だとか、「だれが悪い、いや自分が悪い」とかいくら頭で考えても仕方がない。

それがそのままさとりの世界でもあると受け入れれば、「無明」も当事者として参加するだけでなく、同時にそれを外から眺めている存在でもいられる。

したがって、欲望を否定するのでもなく、苦しさを見るのを避けるのでもなく、それがこの世界だと受け入れてしまえば、ただあるがままだということです。

そして受け入れを拒否することこそが、問題を作り出すのだと知ればいいのです。

欲しいし、嫌だし、憎いし、でもそのままでいい



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報われない

報われない

私はこんなに一生懸命頑張っている。

なのにちっとも報われない。

だから、何かが間違っているのだ!


私たちは、たまたま自分が生まれてきた時代の社会に生きています。

残念ながら、自分でそれを選ぶことは出来ません。

自分がある程度大人になってから、それを変えていこうと思うことは出来ますが、どんな社会に生まれつくかは運次第というか、自分ではどうにもならないものです。


社会はそんなに急激には変わりません。

したがって、今の自分が思う理想と社会が食い違っているとすれば、自分が出来ることは何であるのかを冷静に考えないとなりません。

少なくとも、「自分が報われないから社会が悪い。すぐに社会を何とかしろ!」という責任転嫁は、かなわない嘆きでしかないでしょう。

ここで出来ることとは、大きく考えれば幾つかに限られてきます。

1.社会を自分の思うものに変革していく。

2.自分を社会に合わせるように変革する。

3.社会がどうであろうと自分の生き方を追求する。

しかし、ここでひとつ忘れてはならないのは、社会と自己は独立して存在したり対立するものではなく、今の自己も社会の影響を受けて作られてきた存在であるということです。

また逆に今の自己が社会に影響を与え変えていくという関係にもあります。

自分が今の社会を嫌うとしても、その好き嫌いもまた、今の社会に生きてきたことで生まれてきた感情なのです。

時代が違えば考えもしなかった事なのかもしれません。

好きだった人がちょっとしたことで嫌いになったり、またその逆もおなじようにあるように、同じ要因が一気に反転したものに見えて来るということがあるわけです。


むしろ好き嫌いがどこかで反転することも、この世界のバランスを取ることに組み込まれた変化なのかもしれません。

少なくとも好き嫌いの心理というのは、それほど絶対的なものではないようです。

それがいつまでも変化しないのは、それを維持しようとし続けるからです。

「いや嫌いなものは、何があろうと嫌いだ」という心理は、そんな自然の変化を無理やり歪めて、「嫌い」という信念を消してなるものかと怨念に変えているだけかもしれません。

2つの感情


さて、話を最初の「報われない」という思いに戻しましょう。

「報われない」とは、

A.今の自分は十分評価される存在だし評価されていいことをやってきている。

B.それを評価しないのは社会が悪いからだ。

ということで成り立っています。

しかし先に書いたように、社会はあなたの思いによってすぐに変化するものではないのですから、この訴えはかなわない可能性が高いでしょう。

そもそもこのAの前提は正しいのでしょうか?

正当な評価が下されていることを前提にするなら、社会が評価しないのは、社会にとって有益でないからです。

自分では価値があると思っていても、それは今の社会では価値があると見なされていない可能性があります。

そう考えてしまうことはなかなか厳しい現実ですが、目をそらしていたのでは、いつまでもかなわない嘆きを続けることになります。

またそれだけではなく、他の可能性を考える余裕がないままいたのでは、いつか自分の存在そのものが価値がないと結論づけてしまうことにもなりかねません。

もしそれが事実なら、今の自分のやっていることを脇に置いて、社会の需要に合わせたことをするように自分を変えるか、逆に自分の才能を社会で必要だと認めさせるような働きかけをするしかありません。

もっともこれは「報われない」という思いを何とかするにはどうするかということへの返答ですが、それ以外にも、この「報われない」という不満を手放すという選択肢も残されています。

それが「3.社会がどうであろうと自分の生き方を追求する。」ということです。

何も今の社会に合わせるだけが生き方ではないはずです。

そもそも、あなたという人間が生きるということと、たまたま生きている社会を比べてどちらが重要であるかを考えてみることです。

何もあなたに許されたユニークな一生を、たまたま生まれついた社会のために犠牲にする必要もありません。

どこまで社会に係わって生きるのかは、それこそ無数に選択肢があるでしょう。

それを選ぶことは、誰も邪魔しない自分に任されたことです。

社会が悪いから自分がうまく生きられないなどという、人まかせなことを言っていないで自分でどうやって自分を生かすかを真剣に考えれば、「報われない」などという言葉でお茶を濁している暇などないと思えてこないでしょうか。

社会が何かをしてくれるという期待は、ますます薄らいでくるように感じる昨今です。

しかし自分が道を切り開く決心さえすれば、社会に不満を漏らして生きているよりもずっと積極的な生き方ができるし、自分以外を当てにすることによる不安定さを避けることが出来ます。

特定のしくみ、特定の人からだけ自分の生きる道があると思い込むとき、同時にそれをなくす事への恐怖を作り出します。
もしその方法が途絶えたらどうしよう、もしその人に嫌われたらどうしよう、そうなればもう終わりだと思い出すことになるからです。

今の社会でいかに要領よく生きるかということ以外にも、考えて見ることはいくらでもあるはずです。

自分で選択の幅を狭めなければ、それ以上の優先すべき事がいくらでも見えて来るでしょう。

「報われない」という言葉は、自分で切り開く可能性を放棄するものでしかありません。

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まわりの人を見てみよう

「人生の悩みに押しつぶされそうになったら、
まわりの人たちを観察してみなさい。
そうすれば自分が幸せに思えるだろう」
-アン・ランダース-



虫眼鏡で観察

「まわりの人たちを観察してみなさい。」という言葉には、幾つか解釈がありそうです。

まずは、単純に比較によって自分の優位を確認するというもの。

悩みの原因はほとんどが他者との比較がもたらしていますが、目的が自分の優位さを確認することであれば、自分の気にしている比較基準について、まわりの人を眺めてみることで対象を広げることが出来ます。

自分よりダメな人がいることを発見して、まだ自分も捨てたものじゃないと思うことで安心するというやりかたです。

しかし、当然このやり方では、自分より優位にある人も見えてきます。

それまでは、そんなに気にしていなかった人が、比較をし始めたおかげで自信をなくしたり、自分のペースを乱してしまう可能性だって考えられます。

どちらにしても、比較することに頼るのは、根本的な解決ではないようです。

もっと言えば、比較をしないことが、悩みを作り出さない最大の解決であるとも言えそうです。

比較することよりも良さそうなのは、自分が悩んでいることについて「この人ならまるで気にしないで平気でいられるようだ」という人を見つけることです。

実際自分には想像がつかなくても、その人は私が抱えている悩みなど悩みでも何でもないと思っているようです。

悩みによっても様々な考え方が存在するのでしょうが、考え方を変えれば自分にも出来そうに思えるものが見つかるかもしれません。

その人をよく研究して、どのように考えて対処しているのか研究してみるのがいいでしょう。

話を聞いて「目から鱗でした」というような感想が自分に生まれるようなら、その考えに自分は好感触を抱いているのでしょう。

なんとなく自分でも取り入れることが出来るかもしれないと思えるから、良さそうな考えに思えるわけです。

しかし一方では、まるで自分には受け入れられないというものも同じように存在します。

最初から「私には到底無理!」と思うもの、あるいは「私はその考え方は嫌い」と思い込んでいるものもあるでしょう。

「到底無理」とか「嫌い」「受け付けない」と感じているからこそ、その人が悩まずにいられる境地には自分はなれないのだとも言えるわけです。

しかし、若いときはわかりませんが、ある程度人生の経験を積んでくれば、「自分には到底受け入れられない」と感じてきたことも、年齢と共にそんなに荒唐無稽なことではなかったんだと思えてくることを経験するものです。

頑固に自分のこころから閉ざしてしまわなければ、人が考えることは大抵自分にも受け入れる余地があるものです。

行き詰まりを感じているならなおさら、思い切った手段「飛びに妙手あり」という事も考えられます。

面白いことに、「これだけは自分は受け入れられない」と思っていることが、そのまま自分を制限して悩みを作りだしている原因であることも多いのです。

一度頭をリセットして、「絶対受け入れない」と思ってきたことを、「もし自分がやったとしたらどうなるだろう」と想像してみることです。

悩みというのは、単純に考えれば自分にとっての○より×が多いと言うことです。

ですから○と×の基準が変われば、悩み自体も消えてしまうとも言えるのです。


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『ただちに対処します!』

突然のトラブルや予期しない出来事が起きたときどのように対処するでしょうか?

まずは「ただちに対処します」ということが思い浮かんですぐに動かなければと思うものですね。

もちろん放置しておけば大変な問題は、ただちに行動を起こす必要があるでしょう。

しかし、すべてがすぐに動けばいい結果をもたらすとは限りません。

付け焼き刃というか泥縄式の対応というのは、反射的に行動したのはいいけれど、不充分だったり、長い目で見ればマイナスとなる対応になってしまう場合もよくあるものです。

そもそも、すぐに対応できるくらいなら、前からやっていたとも言えるわけで、急場しのぎの対応は無理が生じる可能性が高いわけです。

こんな時は、本当に緊急を要することをやったら、あとは手を出さずに状況を見ることが有効ということも考えられます。

急いで何とかしなければという気持ちはわかりますが、対外的にはそういう姿勢を見せるにせよ、自分の中では「その問題が緊急を要しなければどうするだろうか」という視点から時間を掛けて考えた方がいいのです。

また、緊急性という言葉にも、いくつかレベルが存在するのではないでしょうか。

それ自体が単独で緊急性があるものと、他の事との関連で2次的、3次的な緊急性をもつという場合です。

例えばA、B、Cという3つの事を並行して進めていて、それぞれが順調に進行していたときに、Bだけに緊急事態が起きてトラブルになったとしましょう。

いままでA、B、Cがどれもうまく進んでいたのだから、それを維持したい。
当然Bをてこ入れして、A,Cと再び並べるようにしたいと考えます。

ですが、BはどうしてもA,Cと同期を取らないといけないのか、その連関性がどれほど重要なのかを見極める必要があります。

もしかすると、BはBで単独に進めていって問題がないということがわかるかもしれないのです。

なにがなんでも、A、B,Cを横並びにしなくてもいいとわかれば、慌てないでBのトラブルはじっくり時間を掛けて考え直そうという道が開けてくるわけです。

本当にそれは緊急性があるのかどうか?
もしかすると障害が発生したのはもっと時間を掛けてやった方がいいということかも知れません。

「急げ!」とか「手を抜くな」「なまけるな」と訴えてくる自分の中の声があります。その人なりにだれもが持っているものでしょう。

しかしそれらは、いま目の前の問題に関してはたして妥当な指示なのか、それともかつてそういう場面があったことと混同しているだけではないかと考えてみましょう。

結果の非難


脳の働きは、似たような状況には同じ判断を下すくせを持ちます。
ですから、実はすぐに動かない方がよかったり、時を待つのがベターである選択についても、とにかく動いてしまおうとする傾向があります。

・「大変なことになった!急いで対処しろ!」という焦りからだけで動いていないだろうかと問い直してみる。

・時間をおくことが一番の対処であったり、時間が経過すればそもそも問題でなくなることに対して、それでも今何かする必要があるのかを考えて見る。

・すぐに対処するか、先に延ばすか、やらないと決めるか、どれを選んだら唯一の正解であるということはありません。
選んだなりに起きてくることが変わるだけであり、迷っていることもそれなりの理由があってそうなっているのです。

・いままでやろうと思いながら先延ばしにしていたことは、その理由だけから緊急性が高く見えている場合もあります。後ろめたいから先にやりますというのではなく、その優先順位を正当に判断したいものです。

・頑張る人ほど、いま何か出来ないだろうかと思いがちですが、「いますぐ動く」ということを手放すだけで、悩みはすべて消えてしまうこともあります。
そう思わなければ、そもそも問題は存在すらしなかったわけです。

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良寛戒語(4)

引き続き、禅僧である良寛さんの戒語を紹介して、その言葉の心理を覗いてみましょう。

・差し出口

出しゃばって、お節介を言いたがる人がいます。

「いらぬ親切余計なお世話」と言いますが、まさにそういう感じなのでしょう。

ところでこのお節介というもの、その中には、何でも相手が独り立ちできないと思って口出ししてくる場合が考えられます。

特に母親と子どもの関係にありそうですが、この場合母親から見れば「I'm OK,You are NOT OK.」という立場にあります。「お前がひとりでは何も出来ないから私が必要」だと言っているのです。

しかしこの母親の側のOKさは、「お前はまだ私がいないとダメだね」と言える限りにおいてのOKさと言うことなのです。

これはいわゆる「共依存」を作り出す人間関係です。

一方で子どもの方は、母親の機嫌を損ねないためには、自分の独立を主張することが難しいために、無力な子どもを演じなければ成りません。

相手の独立心を尊重して、いつでも自分の出しゃばりを引っ込められるようなお節介でありたいものです。


・手柄話
・自慢話

自分の親しい人が何か成果を上げたとき、一緒に喜びたいと思うのは自然ですが、そうでもなしに見知らぬ人の自慢話を聞かされてもうんざりするものです。

会うたびに自慢話が始まる人というのは、おそらくその周りにはその話をよいしょする取り巻きがいるものです。

自慢話もうんざりしますが、周りにいるあからさまなよいしょ軍団にも辟易してくるものです。

よくワンマン型と言われますが、ジャイアン型のリーダーも部下をうまく導けるのなら、強力なリーダーとなります。

ただしそれにはリーダーが自分の立場のためではなく、純粋に部下を育てたいという気持ちがなければならないはずです。

表面だけのジャイアン型リーダーは、自分の利益にならないと思えば、あっさりと部下を切り捨ててしまいます。

その場合部下はこんなに尽くしてきたのに、なんて人だと裏切りに驚き、恨みを抱くことになりかねません。

しかしその場合、リーダー側に一方的に問題があったというよりも、取り巻きになることを選んだ自分にも責任が在り、共犯者だと思っておいた方がいいでしょう。

そもそも自分を抜きにして、自分の理想の人というのは存在しないわけです。

自分の理想だと思える人は、外側に独立して存在するわけではなくて、あくまで自分の内側から作り上げているのです。

たとえ2人以上が同じ人を理想の人だと思ったとしても、その理想としたところはそれぞれ異なっています。

したがって、そこには自分の思いと実在の人物との間に大きな隔たりがあるものです。

そもそも相手のことを十分知っているわけではなくて、自分でそうに違いないと思い込んで作り上げた人物像なのです。

厳しい言い方をすれば、ギャップに気がついて失望するというのは自業自得であるし、勝手に祭り上げられた相手はいい迷惑となります。

あくまで相手の人物像は時間を掛けて作っていくものだし、印象が強い部分に引きずられて一気にイメージを作り上げない方がいいでしょう。それはお互いの利益の為です。

話が戒悟からそれてきましたが、今回はこの辺で。

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大急ぎでお願いします!

あなたがタクシーの運転手だったとします。

いろんなお客さんが乗ってきますが、その多くは急いでいる人たち。

「大急ぎでお願い!」
「出来るだけ早く着きたいんです!」

あなたはそのうち、どのお客さんが一番切迫感が伝わってくるかとかのんきに考えたりします。

しかしあなたは安全確実な運転が一番だと知っていますから、焦ったりはしないでしょう。

さて今度は、急いでいるお客さんになってください。

「私ほど急いでいる人間はいない」
「誰よりも優先して私を送り届けて~」

という気になっていなかったでしょうか?

しかしどんなに焦っても、自分のタクシーだけ空を飛ぶわけにはいきません。

冷静になって周りの世界を眺めてみましょう。

あなたも急いでいる客のひとりに過ぎません。

世の中の人にとっては、あなたのあせりも取るに足りないことのひとつなのです。

そしてあなたが5分早く着いたからどれだけの違いが生じるのか考えて見ましょう。

タクシーの運転手だったらこういうでしょうね。

「みんな急いでるお客さんばかりですよ(笑)」

急いでいるのは自分だけかも知れません。

急ぐことで今を台無しにしないようにしましょう。

急ぐことで獲得しようとしている時間ですが、
それを実際に使えるのは今しかないことを思い出しましょう。


タクシーい3

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黒いのがいるぞ!

黒いのがいるぞ


茶トラ:黒いのがいるぞ、からかってやろうぜ!
シロ:こわいよ、やめとこうよ!o(>_<)o

子猫たちにも過去の経験があって、同じ黒いカラスに対する反応は違います。

しかし、この場面の続きを想像すると、ビクビクしながらも近寄っていった子猫たちが思い浮かびます。

・カラスの威嚇にあって驚いて逃げ出す
カーッ!!!!!!! ニャニャニャニャニャー
・カラスは侵入者には目もくれず餌をあさっている
・急にカラスが羽を広げ、その大きさに驚いて逃げ出す

現在の感情は過去の経験から作られます。

今起きていることをどう知覚するかは過去の条件づけに左右され、その結果自分が投影した世界を見ることになります。

茶トラにとっては、カラスはからかうと面白そうな友達に見えるかもしれません。
シロは過去に威された大きな黒い動物が思い浮かんでいるのかもしれません。

ところで、この猫たちが大人だったらどうでしょうか?

子どもなら小さな個性の違いであり、それでも対象に向かっていく場面が想像できるのに対し、大人だったらふたりはハッキリ態度を決めていて別行動を取りそうですね。

それは大人である自分と重ね合わせて、一瞬を切り取って過去の経験が生み出した結論で行動するだろうと想像するからでしょう。

過去を分析して説明することは、有益な情報をもたらしてくれるものですが、それが強い感情を伴うほど今の現実から離れ、ひとり歩きしてしまいがちです。

つまり、より自動的で反射的な行動パターンに固定されてしまうわけです。
その場合強い感情は変化せず、発見した途端にしまい込んで凍結しようとしてしまうのです。

そして、その感情は相変わらず開かずの間に閉じ込められてしまいます。
その結果いつまでもちらっと顔を出しては、同じ感情(多くは嫌な感情)をもたらすパターンが作られます。

子猫たちにはそれがないように見えるのは、その一瞬で時間を止めて過去の再現に走ってしまわないという違いがあるからでしょう。

大人になってからも、過去を凍結しないでいまの自分の一部として溶け込ませてでしまうことが出来るはずです。

多くの場合過去を分析して、「私はこういう人」と決めつけることは変化をもたらしません。

たとえそれが、全く気づかなかった自分の一面であっても、今の自分の一部として融合しない限り、そのまましまい込まれた状態を続けることになるでしょう。

それでは、誰か他人の珍しい感情を見ているのと何ら変わらないことになってしまいます。

どちらにせよ、いま現在私が見ているものは、過去の私が投影した世界であると見るなら、世界は未知ではあっても魅力的なものに見えてきます。

過去を調べなくても、いまの自分を見ればすべては見えて来るからです。
人に尋ねなくても、見る気になれば封印した自分も取り戻すことが出来ます。

それには、今を切り取ってしまわないで、子猫のように対象に向かっていくプロセスの中でそれを捉えようとすればいいのです。

「まずは、ちょっと覗いてみようよ」と思うとき、不安や恐怖は消え去り、その過程に入り込むことが出来るからです。

恐れは固定した絵の中にあります。プロセスの中に溶け込ませれば、それは混ざり合っていまの出来事に変容します。

たとえ、驚いて命からがら逃げ出すことになっても、そこでプロセスは完結して、子猫はそれで神経症になったりはしません。

カーッ!!!!!!! ニャニャニャニャニャー

行動することが功を奏すのは、決まり切ったノルマをこなすことではなく、今のプロセスに入り込み参加することにあります。

ですから、ただ動いてばかりいても変化しないのは、対象に飛び込む子猫の勇気が欠けているからかも知れません。

その意味では勇気とは怖いとわかって立ち向かうことと思うのは少しずれています。
見ないから怖いのですから、考えるのを止めて見てみようとすることが勇気と呼ばれるものだとわかります。
ほんのちょっと思考をポーズにしてしまえばいいのです。

Photo from
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怨(うらみ)や仇(あだ)はどこから

怨(うらみ)は徳との比較から出てくる
徳を感じさせるより、徳も怨も両方忘れる方がまし。
仇(あだ)と恩の関係も同じようなもの。
「菜根譚」より


徳や恩を積んでいる自分をしきりに振り返っているのは、ひとつ間違えば怨や仇を作り出す元にもなりかねない。

つまり、そんなことなら、どちらも忘れるのが一番いいといっているわけです。

誰かに「こんなにしてあげたのに。。。」と言いたくなるのは、その相手に問題があるかどうかは様々ですが、それ以上に自分の側にも問題が潜んでいる可能性が高いのです。

自分の徳や恩を数え上げるのは、他の人は評価してくれないばかりか、自分が他の人を恨んだり、恩知らずだと嘆きたくなる原因を作り出していることになるのです。


不機嫌・怒る


菜根譚 前集109項

怨(うらみ)は、徳(とく)に因(よ)りて彰(あら)わる。
故に人をして我を徳とせしむるは、徳と怨みの両(ふた)つながら忘るるに若(し)かず。
仇(あだ)は、恩(おん)に因(よ)りて立(た)つ。
故に人をして恩を知(しら)しむるは、恩と仇との倶(とも)に泯(ほろ)ぼすに若(し)かず。




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行動は重く心は軽く

軽々しく行動するとまわりのものに影響されて自分自身であるという余裕が無くなってしまう。
逆に考える時に重くなってしまうと自由な発想が出来なくなって何も出来なくなる。

何かうまくいかなくなったと感じたら、逆をやっていないかを考えてみるといいかもしれませんね。

つまり、こういうことです。

あれこれ考えすぎてどれも出来そうにないと思ってわからなくなったり、決められない自分を責める気分になってしまう。
焦れば焦るほど、考えはまとまらなくなって決断することができません。

また行動する場合には、自分の考えを大事にしないで無理やりまわりに合わせて、本意ではない行動を軽々しく行ってしまう。
そのようなやり方では、自分で責任を取るということが曖昧になってしまうので、中途半端な関わり方になってしまいます。

これは悪循環になりかねません。

ですからその逆を心がけたいもの。

考える時は、過去のわだかまりは捨てて、新鮮な気持ちで自由な選択を持つようにしよう。(意、用うるに重くすべからず。)

また行動する場合は、これと決めたら、まわりの意見に惑わされてフラフラしないで断固として自分の考えを実行すること。(身を持するに軽くするべからず。)


【菜根譚 前集107項】
士君子(しくんし)、身を持(じ)するに軽くするべからず。
軽くすれば、即(すなわ)ち物(もの)能(よ)く、我を撓(たわ)めて、悠鎮定(ゆうかんちんてい)の趣(おもむき)無し。
意(い)、用うるに重くすべからず。
重くすれば、即ち我物に泥(なず)まれ、瀟洒活溌(しょうしゃかっぱつ)の機無し。

やるぞ

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原因探求もいいけれど。。。

心理学の本などを読んで、あっ、これは自分に当てはまるとか、そういうことだったのかと思ってしまう場合も多いでしょう。

これが原因だったのかと、トラウマだとかAC(アダルトチルドレン)といった言葉で妙に納得してしまう。

しかし親子関係で何も問題なく完璧に育てられたなどという人はいないわけで、何かしら納得できていないわだかまりは誰もが抱えているものです。

原因を追及してみることはそれなりに意義のあることですが、何かしらの説明がつくとそれで安心してしまって、事が解決したような気になってしまう場合も多いものです。

さらにまずいのは、「自分はACだからこんな状態でも仕方ないだろ!」というように開き直って変化を拒絶してしまうことです。

そもそも原因を知りたいと思ったのは、自分の現状に不満で変化したいという思いがあったはずです。

説明がついてスッキリしたと思っていると、実は自分は何も変わっていないわけですから、不満はまた再現されることに気がつくことになります。

苦痛メンタル


必要なのは、原因を知ることではなくて「それじゃあ自分はどうしたいの?」ということである筈です。

自分を変えることは、どんな動機にしろ何かしらの痛みを伴うもの、その痛みは自分が感じるしかありません。

それは外注化することは出来ないのです。
プロにまかせても、説明を聞いて納得しても、自分を自分で変えない限り変化は起こりません。

もちろん理由もなく自分を変える必要などないし、変わればいいというものでもありません。

今は自分を変えてまで対処する切迫感がないのかもしれません。
しかし、いつかこれ以上我慢しないと思ったら、躊躇しないで本心から納得のいく行動を起こせばいいでしょう。

重要な意味がありそうに思わなくても、ちょっとしたことがいまの自分のバランスを取るのに重要な役割を果たしていることもあります。

ですから誰かに言われたからといって、ちょこちょこ自分を変えた振りをすることには意味はないし、弊害があるかもしれません。

変わるかどうかよりも重要なのは、いまのままの自分を素直に受け入れられかどうかということです。
いざとなっても、いまの自分を信じてみると言いきれるように、普段から自分の中に葛藤を抱えないでいることです。

「自分を変えなさい」と人から言われても、必要なければ自分は結構ですと言いきれる自己への信頼を持ちましょう。
逆に痛いところを突かれたと感じる様なら、反射的に拒絶してしまわないで、素直に自分を振り返ってみることを許せる自分を持ちましょう。

肝心なことは、「いまの自分がいつもベストだ」と言い切れるように、主体的な選択をすることです。
後悔や叶わない未来で代理の自分を生きることではなく。

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良寛戒語(3)

坊主

引き続き、禅僧である良寛さんの戒語を紹介して、その言葉の心理を覗いてみましょう。

・人を嫉む(ねたむ)ことを言う

ねたむというのは、相手の優位さを感じているけれど認めたくない、そのためにせめて相手をおとしめることを考えて言ってみたいという心理でしょうか。

問題があるとすれば事実を歪めている部分です

まずは「相手の優位さを感じている」ことを認めなければなりません。

同じ土俵で競争して自分の負けを認めたくないのでしょうが、それを認めないために事実を歪めなければならず、さらにはそれにつじつまを合わせるために余計な神経を使わないといけなくなるのです。

認めるのは辛くても、一度相手の勝ちを認めて、その悔しさを感じてしまえば、感情は完結します。
そうすれば先に進めることを考える気にもなるのですが、認めたくないと思い続けることで負ける前の段階で時間が止まってしまうのです。

いつまでも変わらないままの不愉快さが、あなたの活気を奪ってしまうから、嫉妬という歪んだかたちでエネルギーを発散しようとするのですが、いくらやっても負けを認めない限り自分はだませませんから完結することがないのです。

少々嫌でも、やるべきことは事実を受け入れることです。
それは思うほど辛いことではなくて、あっさり認めて先に進めば今の出来事が忙しくなってすぐに忘れてしまうものです。

それと毎回勝とうだとか、狙ったものは必ず手に入れないといけないなどと思わないことです。
一定の割合で負けると受け入れてしまえば、ずっと気軽にトライできるようになります。
負けを知らない人ほど、出来ない事に挑み続けて自滅してしまいます。

・人に腹立たすことを言う

相手が腹を立てるのを見たい人は、その人自身が自分で腹立たしさを抱えていて、やり切れないと思っているものです。

たとえ相手が腹を立てたとしても、それによって自分の問題はひとつも解決しないことに気づかなければなりません。

人の気に障ることを探す名人になっても、自分にはいいことは何もないと思って、もっと自分を大切にすることに力を使うべきなのです。

・人を見限ることを言う

余計なお世話です。
相手がそれを気にしない限り何も力は持ちません。
相手をおとしめることでしか自分を認められないことが問題です。
おまけに、それを続けることで、自分の見限り方もうまくなってしまうでしょう。

・行き過ぎたことを言う

大袈裟に言うという意味ですが、何でも大げさにしたいのは注目を集めたいということから来るのかも知れません。
人の手を借りずに、自分で自分のことをもっと評価することを考えた方がいいでしょう。

・まぎらかしことを言う

まぎらわしいことを言って事態を混乱させておもしろがる傾向があるなら、もっと素直に自分の喜ぶことを探した方がいいでしょう。
本当に欲しいものが何なのか自分に正直に認めるべきなのです。

・よそごとを言う

他人の事を言いたがるのは、自分に向き合うのを避ける手段になることがあります。
自分のことでは余裕があって他人事を話している人と、自分のことが見るに堪えなくてそうしている人は、見ていればはっきり区別できるものです。

いずれにしろ、向き合うべきことから逃げないことです。

・逃げごとを言う

これは自分の手に負えないことをあれこれ言って、出来ない言い訳をするといった意味でしょうか。

出来ない理由を他の人が共感してくれれば、ほっとするというのは自分の判断に自信が持てないということです。
その依存性と共に、逃げることが余計に対象を怖いものにしてしまうことを知る必要があります。

怖がっている対象とは、そのもの自体の怖さと言うよりも作られた恐怖であることがほとんどです。
その場合は、立ち向かう気になりさえすれば、怖さは消えて、ただ取り組む相手のことがそのまま見えてきます。


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ルールがないのが唯一のルール

私たちは効率よく生きるのに、ルールを設けたがるものです。

それは効率ということだけではなくて、決まったやり方を使えば、未来を計算できるという思いがあるのかもしれません。

ルールがなかったり説明が出来ない状態にあることは、不安定だから嫌ってしまいますね。

ですから説明出来ない事でも、無理やり説明を考えて納得していたいようです。

しかし、現実はそんな期待に応えてくれるのでしょうか?

現実が固定したもので、変化しないのなら、予測や計算が可能だしルール化することも出来るでしょう。

しかし残念ながら、現実は常に変化するものです。

そして、1つが変化するだけではなくて、いろんな変化する事が絡み合って、影響し合いながら変化を続けるのです。

そんな中から、これがあれば説明出来るというルールは期待できません。

複数の、それこそ無数の要因が変化しているとき、それの相互作用を説明するというのは決して簡単ではないし、たとえ答えがあったとしても期待しているようなものではない可能性が高いのです。

それは多変量解析のように、せいぜい統計的な予測ができるにとどまるでしょう。

ちょうど「シュレディンガーの猫」のように、現実的には役に立たない結論が出るだけかも知れないのです。

王子様


私たちが、ルールを欲しがるのは、それを手に入れたら後はすべてうまく片付くというものを手に入れたいのかもしれません。

しかし、現実はおとぎ話とは違います。

「シンデレラは王子様とずっと幸せに暮らしましたとさ」
というわけにはいかないのですが、しかし信じたがっているのはガラスの靴のようなルールなのです。

そして、ルールが見つかったといって喜んだとしても、しばらくするとモデル通りではない現実に遭遇します。

ルール化に無理があるという事実からは目をそらして、ダメになればすかさずもっと良いルールを探そうとさまよい歩きます。

実は固定したルールを作ることが、苦しさを作りだしてしまうのです。

答えが見つからないことを探し続けるのは、そのうち悲観をもたらします。

悲観から探さなければいいのだということに思い当たればいいのですが、ストイックな努力はもっと努力すればいつか見つかると思わせてしまうのです。

不安


ルールがないことは不安です。

ですが、事実をねじ曲げるのは、もっと良くない結果を生み出します。

ルールを作らずにいられないのなら、
「ルールがないのが唯一のルール」
とでも考えるのが正解かもしれません。

ルールを知りたがるエゴに対して「ルールがないのが唯一のルール」という答えで切り抜けましょう。

一応解答を手に入れたわけなんですから。
子供だましのような理屈のようですが、「解なし」というのも立派な答えです。

むしろ混沌としているのが、自然というものです。
ルールにしがみついて世界は理路整然としていると思い込まないことです。

ひとつルールを外せばひとつ解放されます。

そのやり方は非生産的にも思えますが、ルールにとらわれることが、様々なやっかいごとを生み出していることに本当に気づけば、まったく違った見方が出来るでしょう。

自分の中では、一貫していなくてもかまわないはずです。
そうすれば、ひとつひとつのものごとが独立して、ばらばらで動いているのをみても平気でいられます。
別にあなたが宇宙を采配をとっているわけではないのですから。

それに、変わらないというのは、見方によっては進歩がないということです。

何年か前に自分が書いた決意をみて、今の自分と違うから情けなく思うでしょうか?

「いままですべて予定通りできた、だからこれからも」
というのは一番危ないとも言えます。

たまたま予定を裏切るほどの変化が自分に巡ってこなかった。
それだけかも知れないじゃないですか。

ずっと変わらない人などいないのです。
努力しているからこそ、変化に合わせて自分を変えられるのです。

ルールに縛られすぎていると感じたら、

「ルールがないのが唯一のルール」

でやってみたらどうでしょう。


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良寛戒語(2)

坊主2



引き続き、禅僧である良寛さんの戒語を紹介して、その言葉の心理を覗いてみましょう。

・人惑わしのこと

人を惑わしてしまうようなことを言わない。

これは、なぜそんなことを言ってしまうのか、自分を振り返ってみる必要があります。

惑わせば、相手は混乱しまちがったやり方に進んで失敗するかもしれません。

本来そんなことをやっても、自分にはメリットはないはず。
ですから、相手を憎んでいたり、仕返ししてやりたいという思いとか、嫉妬が隠れているのかもしれません。

もしそうなら、何を言うかということよりも、そのような自分の思いと折り合いをつけることが先決です。

誰かを許せないとき、かならず自分自身に対して許せない自分を抱えているものです。
それはいつまでも避けては通れません。
少しでも早く対処すれば、同じ苦しさをいつまでも抱えなくて済むわけです。

・客の前に人を叱る

なぜ第三者の前で叱るのか、言い換えれば一対一でなぜ叱れないのか。

その隠された動機を探ってみれば、何か発見があるかもしれません。

過去の家族との関係で、そういった典型はなかったでしょうか。

あるいは、そうするのは特定の問題に対してなのか、全般にそうであるのかでも意味は異なるでしょう。

・憎き心もちて人を叱る
・人の嫌がるおどけ
・人の傷つくことを言う
・人の嫌がることを言う
・人の障りになることを言う
・人の困ることを言う
・人の恥かくことを言う


これらの問題も、相手への解決できない思いが隠れていそうです。
そして同じように、問題は自分自身との折り合いをつけることに帰結することが多いのです。

自分自身の中に、許せないでいる私はいないでしょうか。

あるいは、すぐに自分のこととして思い浮かばないようなら、許せない誰かを思い浮かべみます。
そして、その相手に自分が何を言おうとするかを演じてみて下さい。

「~するお前を許せない」は、
「~する私が自分の中にもいることが許せない」という発見につながるかもしれません。

「だってこれはどう考えても相手が悪いじゃない!」

誰が悪いか裁く人をやり続けたいのでしょうか?
それとも、自分の中に安らぎを取り戻したいのでしょうか?

ちょっとしたことでも、人に対する構えという意味では同じです。
軽い悪人を作り出せば、すぐに凶悪な相手も作り出すことになります。

それは、自分の中にも同じように悪人を作り出すことにつながります。
自分の何かを嫌うことと、嫌いな相手を作り出すことは常にペアになっています。

先に嫌いな外部の人が現れるのか、嫌いな自分が誰かに投影されるのか、
それは卵と鶏の関係のようなものです。

別に聖人君子になりましょうという話ではなく、自分を責めることがいかに弊害があるかを認識すれば、何をするのがいいのかは自然と見えて来るでしょう。

「だけど絶対許せない人間もいるはずだ」と言われるかもしれません。
たとえそうでも、それでも「自分は許すことを諦めない」と言うことは出来るはずです。


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家族のマネージメント

家族団らん


家族に接するとき、外での人間関係よりも融通が利くこともあれば、逆に家族だからこそより注意が必要なこともあります。

例えばこの菜根譚前97で書かれていることもそうでしょう。

『家族の誰かに誤りがあったとき、やたらと激しく叱ってはならないが、かといって何とかなるだろうと安易に放っておいてもいけない。

直接的に言いにくい場合は、他の事にたとえたりして遠回しに伝えるのがいい。
もしその時にわからないようなら、日を改めてもう一度変わるように促してみよう。

このやり方は、春の風が氷を崩し、暖かさで溶かしていくようなもので、家族の人間関係をうまく保つ秘訣なのである。』


家族だからわかってくれるだろうと、自分の思惑を家族で共有しているものと勘違いしないことです。

また、家族だからという理由で、厳しいことを言えなくなって曖昧なままにしてしまうことも避けなければなりません。

ですがこの2つは実際には、意外と難しくてつい先延ばしにしてしまいがちです。

そこで、この菜根譚の言葉のように、春の風が氷を溶かすように、急がず自然なスピードで、しかし変化するまで着実に働きかけることが必要です。

それから、さらに人間の心理を考えるなら、この家族に伝えにくいと感じていることは、実は自分自身の中でも折り合いのついていない部分である可能性が高いと言えます。

人に対して言いにくいことは、自分自身に対しても躊躇していたり、スッキリ割り切れていないことでもあるのです。

まずは自分自身が決着をつけることが必要かも知れません。

自分がまず変われば、相手に伝えることも容易になるし、厳しすぎる言い方も自然になくなっているでしょう。

その意味では、自分自身の解放を生み出すという意味でも、先延ばしにしないで積極的に取り組みたいものです。

そしてその時は、自然の変化のように急がず、しかし手を抜かずというのがいいのでしょう。


菜根譚 前集97項

家人有過、不宜暴怒、不宜軽棄。
此事難言、借他事隠諷之、今日不悟、俟来日再警之。
如春風解凍、如和気消氷、纔是家庭的型範。

家人(かじん)に過ちあらば、宜(よろ)しく暴怒(ぼうど)すべからず、宜しく軽棄(けいき)すべからず。
此の事、言い難くば、他の事を借りて隠(いん)に之を諷(いき)め、今日(こんにち)悟(さと)らざれば、来日(らいじつ)を俟(ま)ちて再び之を警(いまし)めよ。
春風(しゅんぷう)の凍(こお)れるを解(と)くが如(ごと)く、和気(わき)の氷を消すが如く、纔(わずか)に是れ家庭の型範(はんけい)なり。


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老荘思想のコラム連載(20)

『COCORiLA (ココリラ) ~癒しのポータルサイト~』様にて老荘思想のコラムを連載中です。

【今月のコラム】

「現代社会と老荘思想(20)」 [2011/09/04] ◇タオイズムの本質とは何だろう◇


現代社会と老荘思想



◇タオイズムの本質とは何だろう◇

「老子道徳経」は簡潔なエッセンスのみを書いた文章で、老子はこの中でヒントを示すけれどもあまり具体的に分かりやすく書いているとは言えません。

今回は、そんな老子や荘子のタオイズムという考え方のエッセンスとは何だろうか、という点を考えて見たいと思います。

『自分でやらずに成し遂げる』
『意図しない』
『シンプルに生きる』
『論理でなく知恵』
『謙虚』
『争わない』
『陰陽二極』
・・・・

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以下のサイトで連載しています

癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)

【今までの連載記事】

「現代社会と老荘思想(1)」 「老子の三宝」
「現代社会と老荘思想(2)」 『道の道とすべきは、常の道に非ず。』
「現代社会と老荘思想(3)」 「すべては、もとはひとつ」
「現代社会と老荘思想(4)」 「無為(wu-wei)」
「現代社会と老荘思想(5)」 「上善若水」
「現代社会と老荘思想(6)」 「柔らかいものが堅いものに勝つ」
「現代社会と老荘思想(7)」 「無為によって全てを成し遂げる」
「現代社会と老荘思想(8)」 「自然な調和を取り戻す」
「現代社会と老荘思想(9)」 「天網恢々、疎にして而も失わず」
「現代社会と老荘思想(10)」 「自然はたえず変化する」
「現代社会と老荘思想(11)」 「役に立たない生き方」
「現代社会と老荘思想(12)」 「冬の川を渡るがごとく」
「現代社会と老荘思想(13)」 「私の本質は波ではない」
「現代社会と老荘思想(14)」 「和光同塵」
「現代社会と老荘思想(15)」「余 地」
「現代社会と老荘思想(16)」「我を張らない生き方」
「現代社会と老荘思想(17)」「聖人は腹をこさえる」
「現代社会と老荘思想(18)」「小魚を煮るように」
「現代社会と老荘思想(19)」「道のまん中が王道なのだ」




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良寛戒語(1)

禅僧である良寛さんの戒語(戒める言葉)を紹介して、その言葉の心理を覗いてみましょう。

・言葉の多き
口数が多すぎる人には、聞いているうち、だんだんいい加減にして欲しくなりますね。
言葉が多いから何でも話しているかと思うとそうでもなくて、肝心な部分が抜けていたり他の言葉に紛れてわかりにくかったりします。
こちらからポイントになる部分は確認し直した方がいいでしょう。

・口の早き
早口な人の話は、聞いている方が同じペースをとれるときはいいですが、そうでないと聞く方の心が離れていってしまいますね。

・話の長き
話が長い人、途中で他の事を考え出してしまいます。
何を話したいのかハッキリしていればまだいいのですが、絞れていないから長いとも言えるわけで。
むしろ、話し手のカタルシスになっている場合も多いのかもしれません。
黙って聞いてあげるのがいいとはいっても、程々にしないといつか自分が反撃したくなってしまいますから注意が必要。

・もの言いのくどき
くどい話し方には、短気な人はイライラしてきますね。
しかし1つずつ確認しながら話さないと先に進めない人というのもいるものです。
中にはもっと上手の人もいて、相手がいい加減に聞き始めて、何でも肯きだしたのを見て、自分の要求を着実に相手に同意させるという場合も。

以上は話し方やペースに係わることでしたが、話す内容も重要です。

・表裏口
言うことに表裏がある。
相手によって言うことを変えて来るわけですが、意識的な場合もあれば、ほとんど無意識にやっている人もいるようです。
二枚舌だとか嘘つきだという見方ばかりでは、最初から交流を閉ざすことになりますが、それでも付き合う必要があれば、何がそうさせているのかをつかまないとなりません。
そこにあるのは、多くは本当のことを知られたくない恐れです。

・口に耳をつけて囁く
ひそひそ話のことですね。
当事者達は良くても、第三者は何で私には話せないのだと言うことにも。

・こころにもなきことを言う
これも相手ときちんと付き合うには、まともに聞かないで、何がそうさせているのかをつかむことが必要です。
相手に受け入れて貰いたいと思ってそうしているのか、なにかを売り込みたいからなのか様々ありますから。

・負け惜しみ
相手は、自分の立場も理解して欲しいとか、傷ついた自信を回復したいと思っているはずです。相手の言葉の悪さには目をつぶって、この後の関係に目を向けてみる必要があるかも。

・人のことばを笑う
笑ってみせることで、自分にとってはそんなことはわかっていると言ったり、話の内容の価値を下げたい思いがあるのかもしれません。
相手は自分の考えが採用される機会を狙っているわけですから、こちらに妥協する意志がないのなら相手のいない時と場所を考えた方が無難かもしれません。
積み上げるよりも、壊すのは簡単なのですから。

托鉢のお坊さん


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