ブラックボックス的生き方#1
ブラックボックスとは、内部の状態や構造を理解していないが、外部から見た機能や使い方だけがわかっているという装置や機構を意味する言葉です。
中身は見えないけれど、インプットに対してのアウトプットは外側から見えるわけで、手がかりはそれだけです。
そこでは中身の原理は必ずしもわからなくてもかまわないという意味合いがあるわけですが、逆に原理が説明出来ないと困るから明確にしようとするのが、ホワイトボックス化と呼ばれたりもします。
ここでは、機械の話ではなく、人生に対する姿勢として、ブラックボックス的に生きるのか、ホワイトボックス的に生きるのか、ということを考えたいと思います。
老子の説く道(タオ)は、この意味では非常にブラックボックス的だといえます。
タオとは人間には計り知れないけれど、大きな流れとしての道(タオ)に従っていれば問題は生じないという考え方です。
その考え方は、ホワイトボックス的に生きたい人にとっては、非常にあやふやな考え方に見えるかもしれませんが、どちらを取るのがいいのか、簡単には決着がつかない問題だと思います。
さて、生き方全体の話は、また別の機会に譲るとして、今回は人間関係におけるブラックボックス的な見方ということを考えたいと思います。
つまり、相手の中身はあくまで見えないけれど、見えないままでつきあっていこうという姿勢です。
それは、あえて見えていない部分を明らかにしようとしたり、自分の側で憶測することを避けようとするという意味合いも含みます。
相手が見せようとしない段階で、せっかちにそれを明らかにしようというのは、人によっては迷惑なことでしょう。
中身が見えないのは困るから、明らかにならない人とはつきあえないとか、人はできるだけオープンであるべきだという考え方はホワイトボックス的だといえるでしょう。
人の心がホワイトボックスであったらいいのかどうかは、難しい問題です。
簡単に相手の心が見えるものなら、全く人間関係というものは、今とは違うものになっているでしょう。
しかし、幸い?にも、相手の心はブラックボックスです。
ところがそのことは、親しくなるにつれてつい忘れてしまいがちなことでもあるのです。
長く付き合っていいれば、相手の心は知っていると思いたくなるものですが、そこで自分が作り上げたイメージで相手を扱ってしまうと、思わぬトラブルに遭うことがあります。
すこし、ご自分でいままでの人間関係のトラブルを思い起こしてみて下さい。
そのほとんどが、相手がブラックボックスであることをつい忘れて、知っているつもりになった為に起こっていないでしょうか?
あの人のことはよく知っているから、親子だからよくわかっているから、そういう思い込みでつい自分の側の思い込みでブラックボックスをホワイトボックスだと思い込んでしまうのです。
また今までは、このインプットからは、決まってこのアウトプットがあったから、今回もそうに違いないと思う場合もあるでしょう。
それがあたっていれば問題はないのですが、過去のパターンはいつも同じように再現できるとは限らないのです。
今回のやりとりでは、いろんな状況の微妙な違いによって、いままで経験していなかった相手の中のブラックボックスが動きだすかもしれません。
あるいはブラックボックスの中身への推測に、自分の側の思い込みが入り込んで偏った解釈を生み出していたことも考えられます。
自分の思い込みを、相手の特性だと勘違いしてしまうことは、特に注意していないと非常に起こりやすいのです。
これは、「私」が主観的に作り上げた相手の人物像であると思っているくらいでちょうどいいのです。
「あの人のことはわかっている」という言葉を使ってしまうと、自分自身が容易に騙されてしまうものです。
わかっていないことまで、わかった気になってしまうことが誤解を生み出します。
慎重にブラックボックスとして扱う姿勢があれば、不要な誤解は避けられます。
また、相手に失礼な発言をしたりすることも自然になくなります。
知っている人も知らない人も、その都度ブラックボックスであることを思い出すことが重要になるのです。
またある意味では逆な面でも効果を発揮します。
例えば、相手の肩書きや影響力に圧倒されて、相手をひとりの人としてみることが難しくなっているような場合です。
相手の情報から、勝手にホワイトボックス化して作り上げた人物像が、あなたにとってとても気後れする存在を作り上げているのです。
それらをいったん捨ててしまって、相手をその都度ブラックボックスとして扱う姿勢があれば、実際のインプットに対するアウトプットだけを頼りに相手を判断できます。
「へーこんなことを考えるんだ。私とも近い部分もあるのかもしれない」というように、相手が見せてくれるのにまかせて相手のイメージを作っていくことです。
毎回が新しい出会いだという見方、相手のことをわかっているつもりにならないで、その都度ブラックボックスであることを思い出すことが、ありのままの相手を捉えるためには必要です。
あえてこんなことを書くのは、私たちは放っておけばどんどん相手をホワイトボックスであるかのように作り上げてしまうも傾向があるからです。
それは、未知のものは怖いという思いから、できるだけ知っている存在に作り上げたいという心理が働くことも一因でしょう。
相手のイメージを描く、まさにその段階で「私の見方」を入れないようにする姿勢、見えないことを見えた気にならない姿勢をを心がければ、人間関係はずっとスムーズになります。
また、相手が親しい人なのかどうか、目上の人かどうかなど、複雑に相手によってルールを考えるのではなく、シンプルに共通して持てる姿勢でもあるのです。
この姿勢でいれば、はじめて会う人や気後れしてしまいそうな人に対しても、緊張感が少なくなる効果もあるでしょう。
わかってもいないことを「私」の解釈で補うことが問題を作り出しています。
しかも、それは私が作りだしておきながら、相手のせいだと思ってしまいがちなのです。
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中身は見えないけれど、インプットに対してのアウトプットは外側から見えるわけで、手がかりはそれだけです。
そこでは中身の原理は必ずしもわからなくてもかまわないという意味合いがあるわけですが、逆に原理が説明出来ないと困るから明確にしようとするのが、ホワイトボックス化と呼ばれたりもします。
ここでは、機械の話ではなく、人生に対する姿勢として、ブラックボックス的に生きるのか、ホワイトボックス的に生きるのか、ということを考えたいと思います。
老子の説く道(タオ)は、この意味では非常にブラックボックス的だといえます。
タオとは人間には計り知れないけれど、大きな流れとしての道(タオ)に従っていれば問題は生じないという考え方です。
その考え方は、ホワイトボックス的に生きたい人にとっては、非常にあやふやな考え方に見えるかもしれませんが、どちらを取るのがいいのか、簡単には決着がつかない問題だと思います。
さて、生き方全体の話は、また別の機会に譲るとして、今回は人間関係におけるブラックボックス的な見方ということを考えたいと思います。
つまり、相手の中身はあくまで見えないけれど、見えないままでつきあっていこうという姿勢です。
それは、あえて見えていない部分を明らかにしようとしたり、自分の側で憶測することを避けようとするという意味合いも含みます。
相手が見せようとしない段階で、せっかちにそれを明らかにしようというのは、人によっては迷惑なことでしょう。
中身が見えないのは困るから、明らかにならない人とはつきあえないとか、人はできるだけオープンであるべきだという考え方はホワイトボックス的だといえるでしょう。
人の心がホワイトボックスであったらいいのかどうかは、難しい問題です。
簡単に相手の心が見えるものなら、全く人間関係というものは、今とは違うものになっているでしょう。
しかし、幸い?にも、相手の心はブラックボックスです。
ところがそのことは、親しくなるにつれてつい忘れてしまいがちなことでもあるのです。
長く付き合っていいれば、相手の心は知っていると思いたくなるものですが、そこで自分が作り上げたイメージで相手を扱ってしまうと、思わぬトラブルに遭うことがあります。
すこし、ご自分でいままでの人間関係のトラブルを思い起こしてみて下さい。
そのほとんどが、相手がブラックボックスであることをつい忘れて、知っているつもりになった為に起こっていないでしょうか?
あの人のことはよく知っているから、親子だからよくわかっているから、そういう思い込みでつい自分の側の思い込みでブラックボックスをホワイトボックスだと思い込んでしまうのです。
また今までは、このインプットからは、決まってこのアウトプットがあったから、今回もそうに違いないと思う場合もあるでしょう。
それがあたっていれば問題はないのですが、過去のパターンはいつも同じように再現できるとは限らないのです。
今回のやりとりでは、いろんな状況の微妙な違いによって、いままで経験していなかった相手の中のブラックボックスが動きだすかもしれません。
あるいはブラックボックスの中身への推測に、自分の側の思い込みが入り込んで偏った解釈を生み出していたことも考えられます。
自分の思い込みを、相手の特性だと勘違いしてしまうことは、特に注意していないと非常に起こりやすいのです。
これは、「私」が主観的に作り上げた相手の人物像であると思っているくらいでちょうどいいのです。
「あの人のことはわかっている」という言葉を使ってしまうと、自分自身が容易に騙されてしまうものです。
わかっていないことまで、わかった気になってしまうことが誤解を生み出します。
慎重にブラックボックスとして扱う姿勢があれば、不要な誤解は避けられます。
また、相手に失礼な発言をしたりすることも自然になくなります。
知っている人も知らない人も、その都度ブラックボックスであることを思い出すことが重要になるのです。
またある意味では逆な面でも効果を発揮します。
例えば、相手の肩書きや影響力に圧倒されて、相手をひとりの人としてみることが難しくなっているような場合です。
相手の情報から、勝手にホワイトボックス化して作り上げた人物像が、あなたにとってとても気後れする存在を作り上げているのです。
それらをいったん捨ててしまって、相手をその都度ブラックボックスとして扱う姿勢があれば、実際のインプットに対するアウトプットだけを頼りに相手を判断できます。
「へーこんなことを考えるんだ。私とも近い部分もあるのかもしれない」というように、相手が見せてくれるのにまかせて相手のイメージを作っていくことです。
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テーマ : メンタルヘルス・心理学
ジャンル : 心と身体
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