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自分の中に毒を持て 岡本太郎#2

引き続き「自分の中に毒を持て」のレビューです。
いたるところ刺激的な言葉に満ちているので、なかなか先に進めないでいます。

”いずれ”なんていうヤツに限って、現在の自分に責任をもっていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。
過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、現在を本当に生きることはできない。



本当にやってみたいと思っていることを、今すぐ始めようと言っているのです。
もし、誰も文句を言わず、失敗したとしても咎められない、何をやってもいいと言われたらどうするだろう。
それこそが、自分が本当に情熱を持って生きられると思うものを生き返らせてみよう。
やるべきことに押し切られて、奥に隠してしまった自分の魂をいまここで表現してみよう。

現在を充実しないまま、未来にいまの自分を売り渡してしまうと、きっといつか後悔することになるでしょう。
計画という名の下に、これから数ヶ月、数年間にわたる自分の未来の生き方を決めてしまうのは、自分の未来を目的と引き替えに売り渡してしまうことでもあるのです。

目的の前に、今は我慢するしかないと言い聞かせて、黙々と働いていると、ふと振り返ったときに自分は何をやっているんだろうと思うに違いありません。

そんな声をだまらせるには、成果を見せるという手段が使われます。
この成果の一覧を見てごらん、こつこつとやり続けたからこれだけの成果が上がったんだ、怠けていたらこの表は空白のままだったんだよ!

しかし、計画などなくても、今を精一杯生き続ければ、同じように振り返ったときに成果の山は築かれることになるのです。
それでも、計画的に生きたいと思うのは、安全に行きたいという思いや、いつもいつも目一杯生きるなんて疲れるじゃないかという思いがあるのかもしれません。

この先どうなっていくのかを、予測したいという思いから、いま自分は目標を持ち、それに沿って生きているからとりあえず安全なんだと信じたいわけです。

それがあまりにも当たり前になってしまうのは、学校教育を受ける間に、すっかりそのような生き方が望ましいのだと刷り込まれてしまうからでしょう。

予定通りに成果を出して提出できることが模範とされるわけだから、いつのまにか冒険をして別のやり方に挑戦しようという意欲はどんどん失われていきます。

いまさら、成果があるかどうかわからない狩猟生活のようなことをしなくても、結果が予測出来る安全な方法をとるんだというわけです。


だけど、ぼくはまったく逆のことをやって生きてきた。ほんとうに自分を貫くために、人に好かれない絵を描き、発言し続けてきた。一度でいいから思いきって、ぼくと同じにだめになる方、マイナスの方の道を選ぼう、と決意してみるといい。
そうすれば、必ず自分自身がワァーともり上ってくるにちがいない。それが生きるパッションなのだ。いまは、ほとんどの人がパッションを忘れてしまっているようだ。



機嫌が悪い


安全な生活を続ければ、かならず「退屈」というものが現れてきます。
「退屈」とは、安全を優先して押さえ込んでしまった冒険心のうずきがもたらす黄色信号のようなものでしょう。

岡本太郎は、それに気づいてあえて「危険な道」を選択することにしました。
「危険な道」を選ばない限り、生きている実感は失われると感じたのでしょう。
それが、「生きるパッションなのだ」と。


自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。
ただ僕はありのままの自分を貫くしかないと覚悟を決めている。それは己自身をこそ最大の敵として、容赦なく闘いつづけることなんだ。


前に、禅宗のお坊さんたちに「己を殺せ」と言った話をしたけれど、あれは「禅」じゃなくて人生の極意なんだ。自分を殺す、そこから自分が強烈に生きるわけだ。
それがほんとうに生きることなんだ。自信なんていうのは相対的価値感だ。誰々よりも自分は上だ、とかいうものでしかない。そうじゃなくて、人間は生死を越えた絶対感によって生きなければだめだ。



結果に表れた活動だけが意味があると思うのが、「相対的価値感」なのでしょう。
自信なんて言うものは、「相対的価値感」の前提のもとでしか存在しない。
結果を出せるだろうという確信が自信に他ならないからです。

ですから、結果がどうなるかわからないが、わからないまま「いまこれをやってみたい」と思うことへと行動を起こす生き方には、自信などは存在できないし、意味のないものなのです。

「絶対感」に生きるとは、あらかじめ意味がわかることをやるのではなく、とりあえず行動した結果として、その中から本当の意味が見いだされてくるといったものになるのでしょう。

そのためには、未来の安全を求める過去の亡霊の「己」を殺さなければならない。
うまく生きるために考え出した「己」は、パッションに生きるためには死んでもらわないとならないのです。


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自分の中に毒を持て 岡本太郎

 人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。
 人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命をひらくのだ。それには心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。
 今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。


岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」という本を読んでいます。
上に載せたのは冒頭の言葉ですが、老子を知っている方なら、まさに老子そのものだと感じるのではないでしょうか。

過去の条件に縛られているほど、いまは輝きません。
ただ過去のしがらみで、いやいや日々の課題をこなしているのは、生の無駄遣いでしかないのです。

「これが終わったら」と先のばしする人生は、やがてその「しばり」が終わって解ける時が来ないまま、本物の終わりを迎えてしまいます。

人生で拾い集めてきた知識を捨てて、捨てて、軽くして、やがて「わたし」が為すことがなくなってきたとき、無為にものごとが運んでいくというのが、老子が言っていることだと思います。

ですが、岡本さんの生き方は、それだけに止まらず、危険に挑む様子は「反老子的」ともいえるものです。

「危険な道をとる」
 いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。死に対面する以外の生はないのだ。その他の空しい条件は切り捨てよう。そして、運命を爆発させるのだ。


 戦後、ぼくが猛烈に闘いはじめた頃、親しい友人や好意的なジャーナリストは真剣に忠告してくれた。
「あなたのようなことを言ったりやったりしたら、この社会から消されてしまいますよ。西洋なら別だが日本では通らない」
 随分何度もそう言っていさめられた。ぼくは答えた。
「消されるなら、それで結構。とことんまで闘うよ」



岡本太郎さんといえば、ちょっと変わったピカソみたいな芸術家としか知りませんでした。
最初に名前を聞いたのは、やはり大阪万博の「太陽の塔」だったでしょう。
しかし、こんなことを考えていたのかと思いながら読んでいると、非常におもしろい本です。
「わかるけど、そんな真似はできないな」と思うような生き方を実際にやってのけて、その言葉を聞いていると、嘘っぽい理想話でもなく思えてくるのです。

画家


もっと自分を大切にしたいと思っていませんか?

たとえどんな作品でもすばらしいと感じたら、それはすばらしい。逆にどんなすばらしい作品でもつまらない精神にはつまらなくしかうつらないのです。作品自体は少しもかわっていないのに。



この言葉、「作品」を「わたし」に置き換えてみます。

たとえどんな「わたし」でもすばらしいと感じたら、それはすばらしい。逆にどんなすばらしい「わたし」でもつまらない精神にはつまらなくしかうつらないのです。「わたし」自体は少しもかわっていないのに。



「わたし」はどんな人からの評価で自分を諦めてしまっているでしょうか?

「わたし」を密かに評価し、あこがれている人だって必ずいるはず。
自分で諦めてやめてしまったら、ガッカリする人が出てくるでしょう。
「わたし」のままでいることを禁止するものは、自分が作りだしているんだから、その原因を作り出す自分を手放してしまいましょう。
「その他の空しい条件は切り捨てよう。そして、運命を爆発させるのだ。」

 結果がまずくいこうがいくまいがかまわない。むしろ、まずくいった方が面白いんだと考えて、自分の運命を賭けていけば、いのちがパッとひらくじゃないか。



もうひとつ感動した話ですが、禅宗などで言われる「道で仏に遭えば、仏を殺せ」という言葉を受けての、岡本氏の講演の場での言葉です。

そのまえにこの言葉を解説しておきましょう。

同じような言葉に、「河を渡ったら舟は捨てていけ」というのがあります。
いつまでも手段であった舟を担いだままで歩き続けるな、役目が終わったら捨てていくのだという意味です。

仏の場合も同じように、どれだけすごい師であったとしても、いつかは自分を頼むことに切り替えないといけない。
師を捨てていかなければ、それはやがて自分の足かせにおなってしまうのだ、といった意味になります。

さて、講演での岡本氏。

「道で仏に遭えば、と言うが、皆さんが今から何日でもいい、京都の街角に立っていて御覧なさい。仏に出逢えると思いますか。逢えると思う人は手を上げて下さい」
誰も上げない。
「逢いっこない。逢えるはずはないんです。では、何に遭うと思いますか」
これにも返事がなかった。坊さんたちはシンとして静まっている。そこでぼくは激しい言葉でぶっつけた。
「出逢うのは己自身なのです。自分自身に対面する。そうしたら、己を殺せ」



かつては、自分を守るために身につけた「己」だったのかもしれません。
しかし、それはもはや手放してもいいものになっているかも知れないのです。
いつまでもしがみついているのをやめて、捨て去ったとき、自分を守らないといけないと思わせていた外側の脅威が姿を消します。

「わたし」がまわりに見つける人は、実は「わたし」の中にある存在だけです。
「あなた」が同じ場所で見つけるのは、それとは別で「あなた」が持っている自分です。

まわりの他人のせいで、自分は虐げられていると思うでしょうか。
それを許しているのは誰でしょうか。
自分をいじめてくる人もまた、自分の分身に過ぎない。

大きなスパンで見ればそのひとなりの傾向はありますが、まわりの世界が自分に好意的と見えるか、自分をいじめる世界と見えるかは、日々刻々変わっているものではないでしょうか。

ちょっとしたひと言であなたの世界がバラ色に輝き、また別の言葉で油断のならない世界に見えて来る。

今日が憂鬱なら、自分の何が憂鬱にさせてしまったのだろうと考えて見ます。
誘因は外側にあったとしても、それを受け入れたのは自分自身です。

己を守ろうとする自分が、自分を拘束しているに過ぎません。
ひとつこだわりを捨てれば、ひとつ軽くなれる。
この世は辛いものだと外側のせいにしていたけれど、ひとつ己を殺せば、それは自分が作り上げていた世界に過ぎなかったことがわかってきます。

自分に全く関心のないものなど、自分の世界には存在しないのと同じです。
自分が何とかしないといけないと言い聞かせているから、世界が自分に対して強制しているように見えるのです。
自分のことを嫌いな分だけ、まわりの世界に嫌いな人が登場します。
自分のことを好きになれただけ、まわりの世界にはあなたの好きな人が存在することになります。

【引用文献】
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)
著者: 岡本 太郎 青春出版社 / 文庫 / 218ページ / 1993-08

また続きを読んだら書いてみたいと思います。


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思った通りにならないと嘆く方へ

自分の思った通りにものごとが運ばないので、不機嫌になることってありますよね。

少々いらだつくらいならまだましで、なかにはそのことで自信を失って自分を責めてしまう人もいます。

それは、もともとどうにもならない未来のことを、すべて自分で制御しようとするからです。

そして、未来を自分の予言で支配したがる人は、「まずこれがこうなって、次にあれがこうなるから。。。」という具合にものごとの起こる順序まで自分で決めてしまおうとします。
それが生み出すよくない習慣が、先延ばしというものです。

計画では、これは後だから、今は手を出さないでおこう。
こんなことを考え出すと、あれもこれも先延ばしすることになります。


さらには、感情を表出する時間までコントロールすることになってしまうのです。
子どもがおもちゃを散らかし放題、しかし今は忙しいから後で叱ってやろうと考えます。
しかし、家事をやりながら、散らかり放題の部屋の映像が何度も蘇ってきます。

叱る母親


「だいたい、あんなに遊んでばかりで宿題はやったんだろうか?」
こんなことを考えながらやっているから、今自分がやっていることの手順がわからなくなる。
「もう、失敗してしまったじゃない!あの子のせいだよ、まったく。」

未来を操ろうとすることへのつけが回ってきます。
そもそも、未来は自分でコントロールしないといけないなどと誰が言うのでしょう。
それは、できることなのかどうか考えて見たことはあるでしょうか。

買い物に行こうと思います。
スーパーで買い物をするのには、大ざっぱな予定が似合っています。
メモをとるにしても、手書きのメモで充分でしょう。
まさか、エクセルで買い物リストを作ったりはしません、ふつうは。

エクセルで詳細な買い物計画を作る。
買うもののリストと、予想価格で合計を算出する。
最近は、スーパーのチラシまでパソコンなどで見ることが出来る様です。
チラシを見比べて、最も安い店をリストアップし、店舗の訪問コースまで作りだしてみようか。

時間をかけた買い物リスト、もはやこの予定を達成しなければという思いがどんどん強くなっています。

さて買い物に出かけようと思ったら、近所の人が訪ねてきて、「田舎から送ってきたの。食べきれないからお裾分けです。」といって食材を渡されます。

買い物カート


エクセルは、ここですでに未来が危うくなってきます。
それでもと、気をとりなおして、スーパーにいきます。
店に入ると、本日の特売品でキャベツが目に入りました。
白菜はあまり安くないようです。
白菜の鍋はやめて、ロールキャベツにしようかしら。

これで、買い物リストはとどめを刺されます。
料理が変わってしまっては、食材全体が変更になってしまいます。
せっかく、合計金額まで打ち出したのに。

買い物くらいならまだいいのですが、他の人を自分の思い通りに動かそうと計画するのはお勧めできません。
ほとんどの場合、相手と顔を合わせた瞬間に予想外の展開になってしまうでしょう。

自分が頭の中で計算した行動など、最初の一つの手違いでどんどん崩れてきます。
人はあなたが予想したとおりには行動してくれないものです。

慣れないセールスマンは、最初セールストークを暗唱させられます。
慣れない間は、これは意味を持ちます。
少なくとも、用意されたセールストークは、だれかトップセールスマンが実践から編み出した、実際に結果を出したトークであるわけです。
新人のセールスマンが、適当なことをしゃべって全部を台無しにしてしまうよりは、トーク通りに話してくれた方がまだいいのです。

セールス説明


しかし、これもやっていくうちに自分にあった表現方法でこなれたものにしていかないと、おかしなことが始まります。
お客さんは、聞いているうちに、この人また何かしゃべり始めたわ。
全部言わないと気が済まないのかしら、こっちはもう買いたくなっているというのに。。。

わざわざ未来を予言して、重荷を作り出さないことです。
まだ来ていない未来を思い悩むのは、予測し、計画し、いま起こっていることを起こらせずに先延ばしにしてしまうからです。
それがやってきたときには、それは起こるべくして起こっていきます。

いま起こっていることを生きているとき、それは向こうから未来を作ってくれます。
そのときは、未来の予測が邪魔しないおかげで、起こっていることと一体になれます。
どこに連れて行ってくれるんだろうと身をあずければ、起きたことは自分にとって最良のことになるでしょう。
期待しないから、不満も生まれず起きたことに感謝したくなります。

自分が余計なことを手出ししなければ、ものごとはおかしな方向には進まないのです。
おかしな方向とは、勝手に自分が決めた未来像が、期待と違うからといって嘆いたり、自分を責めたりすることです。

取り越し苦労はムダだとわかっている人でも、計画という名の未来予言は、これは別物だと思ってしまいます。
しかし、どんなに着飾っても、未来の予測は裏切られるし、それを「予定通りに起これ!」と命令したくなるのは、取り越し苦労と本質は変わらないのです。

そもそも、予言通りに事が運ぶと、そうでないときよりもいいことがあるのでしょうか?
この問いかけには、画一的な答えを出すべきではありません。
そんなことをすれば、「自分はどちらに従うのだ」といいながら新しい予言を作ってしまうことになるからです。



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違うってことはもっと仲良くなれること

本題に入る前に、この文章を書くきっかけになった話を少し書いておきます。

Sachiko Pearl Amanogawaさんがブログ「【ぱーる基金】を増やして社会貢献の道をゆく」で、毎朝「朝の言葉」という名言などを題材にした記事を書かれています。
一日を始めるにあたって、いい刺激を与えて下さることばとSachiko さんの解説が書かれています。

3月25日の記事はこんな言葉でした。

「人って幸せになろうと思ってなれるもんじゃない」
(朝の言葉Vol.751)


人って
幸せになろうと思って
なれるもんじゃないのよ。

誰かを
幸せにしてあげようと思って初めて
幸せになれるもんなのよ。

   (NHKドラマ「純情きらり」)



Sachiko さんのフェイスブックはこちら
http://www.facebook.com/Sachiko.Pearl.Amanogawa

Facebookで紹介されているのをみて、私はこのようなコメントを書きました。

自分のことだけを考えていて、元気を無くしたひとが、たとえばボランティアなどで他人のケアを始めた途端に、世界観が変わって元気になる。こういったことは実際よく経験しますね。

いろんな解釈があると思いますが、こんなことを思います。
かつては(乳幼児期に)自分ひとりだった世界に、誰か他の人がいることに気づき、だんだんと自我に芽生えていくなかで、「私」と「あなた」の区別が登場します。

この分離は、いいこともたくさん与えてくれるけれど、一方で「私」と「あなた」を比較することを始めてしまいます。
この比較が苦しさも作り出してしまうのです。

特に「私」の存在が、あなたの評価次第で左右されるようになると、非常につらい生き方にもなってしまいます。

しかしそんなとき、自分にばかり関心を向けていないで、誰か他の人の為に動こうと思ったとき、人はまた、自他の分離していなかった一体感のある世界を思い出します。

そこには、自他の区別がないので、あなたにしてあげたことは、すべて自分にしてあげたのと同じことになるわけです。



プレゼントを贈る少女


自分に優しくなれなかったとき、かわりに他人に与えてあげることで、それが自分にかえってくる。
このことを発見すれば、自分で自分をいじめていたことも見えてきて、自分に対する優しさも取り戻すことが出来ます。

そして、自他の分離感ということを考えながら、ふと以前に読んだ山元加津子さんの「違うってことはもっと仲良くなれること」という本のことを思い出しました。

この本について、山元さんはこのように書かれています。

毎日の生活の中でも、知らず知らずにいつも比べたり分けたりしている自分に気がつきます。
分けたり比べてばかりいる心は、人を傷つけてしまうものですね。
養護学校で出会った大ちゃん「僕と他の人とは違うけど 他の人も僕とは違う。違うってことはもっと仲良くなれるということや」と言いました。
本当に、いろいろな人がいるからこそ、人は出会うことで、気がつけるし、変わってもいけるのですね。
そんな話を、私はこの本で書いてみたかったのです。


この本では、本のタイトルにもなった大ちゃんの他にも、養護学校の子どもたちなど、いろんな個性的なひとたちが登場し、「違うってこと」は、分けたり比べることではなくて、個性を理解し合うことにこそ意味があることを教えてくれます。

人と比べてつい優劣をつけ、人を傷つけたり、自分がかなわないことを知って自信を無くしたりと、どちらにしても比較することが私たちを苦しめる要因になっているようです。

プレゼント受け取る男性


ところで、世の中にはいろんな人がいると「私」が言うときと、「あなた」が言うときとでは、同じことを指していると思っているかも知れませんが、そこで見ているのはかなり違う世界の筈です。

言葉でやりとりしている私たちは、言葉という現実の一部分を切り取った道具で考えたり、他の人に伝えたりしているわけですから、そこで切り落とされた現実がたくさんあるわけです。
そしてもちろん同じ言葉でも、「私」にとっての意味と、「あなた」にとっての意味は同じではないのです。

それに加えて、「私」の今までの経験と、「あなた」の経験してきたことは異なります。

実は、「私」が見ている世界は、「私」の今までの経験に基づくものですから、そこに登場するものは、すべて私の知っている世界なのです。

それが意味することは、たとえば「私」が「あの人は変わった人だ」とか「あのひとはいい人(悪い人)だ」といっているのは、すべてその対象が自分の中にも存在する人たちなのです。

「あの人はもっと○○であるべきだ」というとき、「私」の中にも、○○出来ない自分がいたり、それを責めている自分が存在するのです。

そんなふうに考えて見ると、「違うってことはもっと仲良くなれること」という言葉は、自分の中で埋もれてしまった自分を「あなた」の中に発見して再認識するという過程を表現しているようにも思えてきます。

「話せばわかる」とは言っても、自分の中にないものは理解できないし、言葉でわかった気になっているだけです。
一方で、言葉では表現できなくても、「あなた」の存在が直接「私」の中の忘れていた自分に語りかけてくるかもしれません。

言葉以前の「私」と「あなた」に分かれる前の一体感を感じたとき、分けたり比較したりしてお互いを傷つけることの空しさを感じ、そんな表面的でない自分を生きることを思い出せるはずだと思うのです。

とっさに他人と比較しようとして緊張や不快感を感じている自分を見つけたとき、本来の自分を思い出せば、そのいやな感情はスウッと消えていきます。

違うってことはもっと仲良くなれること

違うタイプの人とも毛嫌いせずに話しかけてみましょう。
そして、もっと自分自身とも仲良くなりましょう。

【引用文献】
『違うってことはもっと仲良くなれること』
著者: 山元 加津子 / 樹心社 / 2003-04 /


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がんじがらめ

社会に生きる中で、自分はいま、「がんじがらめ」になっていると感じる方もいらっしゃるでしょう。

がんじがらめとは、いくつも自分がいてそれぞれが個々の主張をするために、何をどうしていいのかわからなくなっているといった感じでしょう。

そもそも「がんじがらめ」は「雁字搦め」と書いて、ひもなどを堅くしばりつけて、からみあったものがほどけなくなっている様子を言います。

「雁字」とは、かりが編隊になって飛ぶときをあらわしたもので、隊列がさまざまに変化することを搦めあっていると表現したようです。

雁・夕焼け


複雑に絡み合った糸をほどくには、一つずつわかる所からほどいていかないとなりません。
手品のように、一振りでほどけるような方法はないでしょう。

日常生活での問題や、社会の中での自分の人間関係の問題についても、絡み合ったものをほどいていくには、やはり一つずつ片づけていくしかありません。

そのとき、全体が見えているのなら、いろいろなことが派生してくるおおもとに取り組む事も出来るかもしれませんが、少なくとも「がんじがらめ」と表現しているような状態では、全体は掴めていない可能性が高いでしょう。

そんなときには、あまり何から片づけるかを迷ったりしない方が良いと思います。

あまり考えすぎて、最初の一歩を検討してばかりいたのでは、いつまで経っても糸口が見えてきません。

それよりも、手近な問題を一つ取り上げて、当面それに集中する方法をとった方は良い結果が得られるでしょう。

ひとつは、とにかく動き始めることで、自分が問題に取り組み始めたことを身体全体で感じることが出来ます。
こういうとき、頭の中で思考実験だけしていては、新しい糸口は見えてこないのです。

一つの行動が新しい展開を生んだり、あるいは動いてみないとわからなかったことが見えてきます。

最初のうちは、もつれた糸をほどくのと同じで、地味で非常に面倒な作業に見えますが、糸がほどけてきて全体が姿を現し始めると、もうすこしで何とかなりそうという期待が出てきてやる気を与えてくれます。

また、芋づる式という言葉がありますが、一つが解決すると次々と関連した問題が解決していくものです。

全体がある程度見えて来れば、大ボスは誰かがわかってきますから、思い切って核心に切り込んでみることも可能になります。

ところで、問題が複雑でどうしていいのかわからないと嘆いているときに、実は問題に取り組むのが怖いので、問題がわからないままにして、どうしようもないと言い訳しているという場合があります。

そんなときには、手近な問題ですら、あえて取り組まないでおこうとしてしまうのです。
「こんなに複雑では手がつけられないよ」といつまでも言い続けられるからです。

しかし、それで損をするのは自分自身です。
問題が片付かないだけでなく、いつもいつもやらなくてはいけない課題を残していると、ある重さを超えたときに心身に異常を来してしまうことにもなりかねません。

問題は、易しいうちに取り組むことです。

タオに生きる人は、小さな問題の中に潜む難しさを見抜いているから、小さいうちから慎重に扱う。
だから、問題が大きくなっても無難にこなせるのだ。

老子道徳経 第六三章

こんな和尚の言葉を引用して終わりにします。

瞑想とは、学んだことを忘れることにほかならない
自分の玉ネギを剥いてごらん
それは大変だ
あなたはその玉ネギに自己同化してしまっているからだ
あなたはそのいくつもの層を自分だと思っている
だから、それを剥いてゆくのは難しい
それは苦痛でもある
それはただ着ている服を脱ぐのとはわけが違うからだ
むしろ、それは自分の皮をはぐようなものだ
あなたはそうした皮にあまりにも執着しすぎてしまっているのだ

けれども、一度わかったら
一度ひと皮落としたら
新鮮さが沸き上がってくるのが感じられる
あなたは新しくなる
そうすれば、勇気が増す
そうすれば、希望が出てくる
そうすれば、もっと確信が持てる
そうすれば、あなたはまた新しい皮を剥くことができる
剥けば剥くほど、あなたはもっと静かに
もっとハッピーに、もっと至福に満ちた人間になる
もう、あなたは正しい路線に乗っている
もう、玉ネギ全体を捨てるまでそう遠いことではない

Tao永遠の大河〈3〉―バグワン・シュリ・ラジニーシ老子を語る(162ページ)
著者: バグワン・シュリ・ラジニーシ めるくま-る社 / 1980-05




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自分の感情についてあれこれ

人は自分の感情は、自分1人の問題で生じていると思いがちですが、まったく他人が関係していない感情というのは、はたして存在するのでしょうか。

ふと自分が腹を立てているのを感じたら、そこには怒りを向ける対象が思い浮かんでくるでしょう。
そうすると、自分は○○さんに対して怒っているというように表現し、自分の感情がわかったことにしようとします。

しかし、感情というのは、なかなか言葉で表現した範疇には収まってくれないものです。
たとえば、自分が怒っている相手が、実際に目の前に現れたとき、先程の自分の感情に対する説明がそのまま成り立つかと言えば、そう簡単ではないのです。

顔を見た途端に、感じ始める感情は、先程の説明とは異なるものに変わったりすることもあるでしょう。

自分で説明した感情は、自分がひとりでいるときに作り上げた説明であって、実際にその人と顔を合わせると、全く異なる態度を示して、それと共に感じ方も変化しているのです。

2つの感情



つまり、感情は、人との関係性の中で生まれてくるものと言えそうです。

このとき、どちらの感情がありのままであったといえるのかと考えるなら、実際に感じた相手を目の前にした感情こそが本物と言えるのでしょう。

いいかえれば、頭の中でいくら自分の感情を作り上げておいても、それは思考に過ぎず、本物の感情とは、その時その場で発生した感情であると考えられるのです。

しかし、自分の中でいろいろ思い起こしては繰り返している思考は、自分自身に対しての関係性を作り上げるわけで、いやなことばかり考える自分との対話に疲れて、誰かに別の感情をもたらす刺激を求めて他の人を探し始めたりします。
逆に自分が楽しくて仕方ないときは、誰かを巻き込んで楽しもうとするかもしれません。

このような人との関係性を振り返って見れば、自分がどのような役割を好んでいるのかが見えてきます。

人から楽しませて貰うのを待っている人、まわりの人を楽しませようとキョロキョロしている人、誰かに苦情を言いたがっている人、誰かの相談に乗ってあげたいと思っている人、。。。

自分の得意な役割があって、その人はそれを保管する役割の人と関係を持ちたがります。

カープマンは、ドラマの三角図ということを言っています。

ドラマ(ゲーム)の三角図の基本的な役割は、次の3つです。
迫害者(P)(私はあなたより優れている、あなたは劣っている)
救助者(R)(私はあなたより知っている、あなたは不適格だ)
犠牲者(V)(私は無力だ、あなたは私より優れている)

私たちは、それぞれ自分のなじみなある役割を演じがちで、相手としてそれを補ってくれる人を見つけているものです。

多くの場合、自分ではそのような役割を気にいらないと思っていたり、他の役割にあこがれたりするのですが、実際にはそれが出来ずにいつのまにか自分の役割に落ち着いてしまうのです。

そのとき、実際に起きていることを確かめようとしないと、たとえば、自分は迫害者なのに救助者だと思いたがっているかも知れません。
「せっかく助けてあげようと思っているのに、何なのあのひとは!!」

あるいは、けっきょくは自分が犠牲者になってしまう救助者。
「そうなのよね、たいへんね。でもわたしなんかもっとひどい。。。」

自分の問題の相談を聞いて貰おうとした本来の「救助者」は、
「どうしたらいいか悩んでいるの。でも、あなたの場合も大変よね、それからどうなったの?」

感情の変化


ここで言われる役割とは、実際に他人や自分に対して役に立つとは限らないわけで、心理的に自分が落ち着く位置といった感じなのです。

ですから最初の方で書いた、頭の中で作り上げた自分の感情は、表面的などれかの役割をとろうという試みなのかもしれません。
そして実際に人に会ってみると、本来の自分の役割が現れてきます。

このような表面的な自分の役割が、実は本物でないと自分で気づいて認められるようになれば、一歩前進です。

本来のとりたがっている自分の役割を自分で見破ってしまえば、他の人に対して見せかけようとすることも少なくなるし、自分でも自分を騙す必要がなくなるので気が楽になります。

「しょうがないなあ、またこの役割をとってしまった」と思えるようになれば、徐々にそのような作り物の関係で誤魔化すことが無くなっていくでしょう。

偽物の関係性は、多くの場合、後に残るのは不快な感情であり、それに対して正直な本物の関係を結べたとき、私たちは本当の満足を感じるのです。



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結果の予測があなたを苦しめる

人はいつでも、いま行動しなければならない。
準備する時間など、もともとないのです。
結果のことなどわからないまま、ただ行動するしかない。

しかし、この当たり前の事実はいつしか歪められ、忘れられていきます。
うまくやりさえすれば、もっといい結果をだせるに違いないと信じ込んでいきます。
実際そうなることもあるでしょうが、そうでないことも同じように起こります。

その思い込みは、どんな結果になるのかを意識させ、いつしか実際に今何をするかということよりも、結果こそが大事なものになってしまいます。

行動するのが心配で、どんどん負担になっていくのは、ひとえに結果を気にしているからです。
それが証拠に、結果が見えにくいときほど不安は大きくなり、結果が出るまで他の事が目に入らなくなるほど気にしてしまうのです。

結果の非難


他の人は、あなたのことを結果でしか判断しない。
だから結果を出し損ねたら、ダメな自分が本来の自分だと判断されてしまう。

競争に負けたらそれなりに不都合が生じるし、利益を損ねる。
おまけに自分の評価は下がってしまう。

そして、自分のことを責めないといけなくなります。
「なんでもっとうまくやれないんだ!」
「なにか対策があったはずだ」
これで、また結果を気にする体質はますます強化されていきます。

相手が自分を知らない間は、対等な関係にいられたのに、
こんな自分を見せてしまったから、もはや相手はそれなりの評価で自分を見始めていると思い込みます。

そうやって他の人の評価の仕方まで、自分の側で作り上げて、実際に相手がどう思っているかとは関係なく、自分が決めてしまった評価で自分を裁いてしまうのです。

だから、本当は相手はあなたに対して、ニュートラルな評価しか抱いていないのに、あなたの方は相手から低い評価を受けているに違いないと思い込んで行動してしまいます。

それが何をもたらすかと言えば、「どうしてあの人はあんな行動をとるのだろう?」「仕方がないから、あの人の期待に合わせた対応をしておこうか」という他の人の対応の仕方を作りだしてしまいます。

こういう体質を抱えていると、新しい環境で初めての人に出会っても、わざわざ自分から他の人に自分の評価の仕方を与えてしまいます。
失敗してから笑われるよりも、最初から評価を低くしておけば、期待を裏切って苦しむこともなくなると思って、予防線を貼ってしまう人もいます。

ハンモック


これらのことは、どれもこれも間違った思い込みから来るものです。
それは、「自分の存在価値は、結果であったり、他の人との関係性によって決まってしまうのだ」というものです。

しかし、これはどこかおかしくないですか?
あなたが今日まで存在してこられたのは、あなたが出してきた結果によるものでしょうか?

そう思ってしまうのは、あなたの存在が社会的な自分だけで出来上がっているという勘違いから来るのです。

あなたがどれだけ失敗ばかりしてこようと、どれだけ人から低い評価を受けてこようと、あなたの存在のベースにあるものは何も影響を受けるわけではありません。
あなたが、それに価値を与えてしまわない限り、あなたの存在価値に影響を与えるものではないのです。

社会的な評価を自分の存在そのものと同一視してしまうのは、長年自分がかってに作り上げてきた評価システムによるものでしかないわけです。

それは、自分の一部になってしまうまで繰り返されてきたために、あなたを無意識のうちに適応するように行動させてしまうのです。

それは、もちろんいい評価をもたらす原因ともなります。
それが、あなたに手放したくないと思わせてしまうのです。
しかし同時に、それはあなたを苦しめる原因ともなるのです。

人からいい評価を受けてうれしいと思い、またその幸運をもう一度と期待するから、別の時にはその同じ仕組みがあなたを打ちのめすことにもなってしまいます。

結果にあなたの人生を売り渡してしまうのをやめれば、別の生き方が見えてきます。

結果というのは、ほとんどが予測出来ないものであるし、そもそも予測可能なことの原因を作り出すだけのマシーンになってしまうのが、あなたの望みではないでしょう。

あなたが生きがいを感じるのは、予測などと関係なく、あなたの深い所からでてきた思いを、ただ「やってみよう」と思って実行する時の、その過程そのものにあるのではないですか?

結果など、よかったら喜ぶし、だめだったらガッカリするというただの副産物に過ぎないわけです。

それが、いつのまにか結果こそが自分の生きがいだと勘違いしてしまった。
そうなってしまうのは、人間性というものがそのように陥りがちな仕組みを持っているからで、誰の責任でもありません。

どこまで,その勘違いを修正できるか、それが人間性の罠にはまるか、自由でいられるかの違いをもたらします。

予測が難しい事態に遭遇するたびに苦しい思いをするのがいやなら、このあたりのバランスを調整してみてはどうでしょう。

ステレオの左右バランスのスイッチを思い浮かべて、結果よりに回りすぎていないかを確かめてみるのです。
結果がどっちに転ぼうと、そのまま引き受けてやると決心すれば、スイッチは自然と元の位置に戻っていきます。


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震災に思うこと

このとんでもない災害で、日本中がここ数日浮き足だって、熱病にでもかかったように何かをしなければと、駆けずり回ってきたような気がします。

数日経っても、事態はまだ進行中で、とても振り返るような余裕はないかもしれませんが、普段コントロールしてきたつもりになっていたことが、実は想定外のことに満ちていることを改めて知らされたのではないでしょうか。

私たちは普段は、自分が想定した結末に向かって着々と進んでいるような気になっています。
しかし、想定したあるべき未来というのは、自分で思ったことに過ぎなくて、世界も自然もその通りに従うわけではないし、そもそも一貫していると思っている自分すら、刻々と変化していて1年後には全く違う事を目指しているかもしれません。

しかしものごとの意味というのは、未来のある時点に完成する目的の中に向かってあるわけではなく、またその目的のために日々を犠牲にするためにあるわけでもありません。

その過程そのものが、意味であり、ゴールであり、目的であるのでなければ、いまという時が未来への通過点でしかなくなってしまいます。

通過点に過ぎないのなら、今日意味のあったことが明日は無意味になることもあるし、明日無意味になれば今日も無意味だったことになってしまいます。

意味があるのは、いまここにしかないことをわかっていても、いま評価を下さずに未来にそれを託してしまうのが、普段私たちがやっていること。

今日満足してしまえば、あしたのより輝かしい成果が得られなくなるかのように、いまを簡単に犠牲にしてしまいます。

自分が想定した明日が、永遠に続くかのように、明日への準備が今日の生きる意味になってしまいます。

それが一気に自分以外の力で奪われてしまうかも知れないことは、忘れようとします。

こんなことを言うと、刹那的に生きるのがいいと言っているように聞こえるかもしれませんが、そうではなく、どれだけ「いま」を大事にしているかということをもう一度振り返って見たいと思うわけです。

いまを思いっきり味わうには、「あるべき自分」ではなく「あるがままの自分」でいなければ、邪魔なものに遮られてしまいます。

「あるべき自分」とは、それから外れることを恐れて、絶えず修正を続けていなければ維持できないしろものです。
その不安がいつも付きまとって、たったいまに存在することから引き離し続けます。

あるべき自分を維持して、思い定めた自分になれそうになかいと思ったとき、不安が主導権を握ります。
他の人に期待されている自分を示せないのではないかという思いが、自分を死ぬほど怖がらせるために、「あるがままの自分」など危険な存在に違いないと思い込んで避けてしまいます。

その恐怖は、いつもわたしを「わたし自身」から切り離してしまうのです。
そのため、「わたし自身」はいつもよくわからない存在になってしまいます。

そんなわからない「わたし」を生きるよりも、未来に向けた「あるべきわたし」に近づける努力をしていれば、少なくともなにかをやり続けている自分、精一杯やっている自分がいると思ってしまうのです。

しかし、その自分でいられれば、いつでもやり残したことはないと言いきれるでしょうか。

自分ではないものを自分だと言い張っていないで、
そのままの自分と取り組み、
そのままの自分を好きになる。

本心ではそのままでありたいと思っている自分自身になりきる。

「あるべき自分」といつまでも遊んではいられません。

遊ぶ女の子たち



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犯人を作らない わたしの中の怒り

地震関係の記事を見ている中で、「この地震への怒りを捨てて下さい」というブログ記事を拝見しました。

『ひろぐ : 後藤ひろひと オフィシャルサイト: この地震への怒りを捨てて下さい』より
http://goto.laff.jp/hirog/2011/03/post-451f.html

『だから弱い生き物である人間は
犯人となるべき誰かを探してしまう!
怒りの矛先を向ける相手を探そうとしてしまう!』

『地震とは人類の不摂生がもたらすものとは性質が違い
地球という惑星が起こす自然現象である!
地球が安全な球体であろうとするために
自らを調整する地殻作用である!
しかしながら人類にとっての地震は
「犯人なき大量殺人」に過ぎない!
だから!
だから弱い生き物である人間は
犯人となるべき誰かを探してしまう!
怒りの矛先を向ける相手を探そうとしてしまう!
それは対応の遅い政府だとか
不確かな報道だとか
インターネットにおける誤報だったりする!
挙げ句はアナウンサーの背後で手を振る無邪気な高校生に
何らかの怒りを向けようと流れる!

それらは全て間違っている!』



怒っているお父さん2



こうした人間の心理があることを否定しないで、自分の中にも存在することみとめることです。
また、これを他の人に投射して他の人を批判することにならないように。

一般にだれかが間違っていると思うとき、
わたしの中には、いろんな思いが渦巻いています。

少なくとも犯人捜しをしたがるときには、「怒り」があります。
その原因が、だれにあるのか、
わたしにあるのか、相手にあるのか、それとも他のだれかや社会にあるのか、
ほとんどの場合、だれかひとりの責任ではないし、
わたしの中にも、責任の一端があることをうすうす気づいています。

自分の責任を認めたくなくて、相手のせいにしたがるのが「投射」という防衛機制ですが、
これが働くとき、わたしの方にはいろんな事情がありますが、
あいてに対しては、そうは思いません。

あいては、単純に一つの考え方しかできない存在だと見るのです。
いろんな感情を持つ人としてみないで、単なる対象の一つになってしまいます。

「あいつは、そういう考え方しかしないやつなんだ」


怒っているハート



そんなとき、
わたしは、あいつがきらいだと感じます。

その人が言っていることは「まったく理解できない」と感じます。
「どうしてそんな考え方が出来るの?」
「どうして『わたしが』考えるように思えないのだろう?」

そこには、『わたしが』考える基準が存在するのです。

もし、わたしが『わたしが』考える基準に違反したら、厳しく非難することになります。
わたしの中に、それを許さない自分がいるのです。

そして、それを相手にも適用します。
わたしが、自分に許さないのと同じように、相手もそのようであってはならないのです。

わたしが、ダメだと思ってやっていないことを、平気でやってしまう相手が許せない。

しかし、わたしの考えが、もしかしたら絶対ではないと思えるときが来たら、
わたしが、わたしに厳しく禁止していることに気がついたら、
じつは、わたしの中にも、彼のように自由に振る舞いたいと感じている自分がいることに気がついたら、

そのとき、わたしはその束縛から解放されます。

そして、わたしが自分を束縛しなくなれば、
あいてを批判する自分もいなくなります。

相手の行動を許せるし、わたしが同じことをするのも許せるようになります。

怒っている女子高生2


話題を最初に戻しますと、
地震のような、誰にも怒りを向けられないものに直面したとき、
やり場のない怒りを、誰かに向けたくなるのです。

そんなとき、標的をさがすのは、わたしの中のうまく制御できないでいる自分なのです。

わたしの中で、普段から葛藤を起こしている部分、
「こんなことではダメだ!」と叱る自分と、
「そんなこと知るか!」と言いたいけれど押さえつけられている自分が葛藤を起こしています。

怒りは、この葛藤を無視して暴走します。
このときとばかり、自分以外の人に怒りをぶつけたくなるのです。

まずは、自分を許すこと。
それによって、まわりの人を犯人にしようとしたがる自分も消えていきます。

それでも、あまりにも理不尽な出来事による怒りは、
なかなか許すことを拒絶します。

それには時間がかかるかもしれませんが、
しかし、
いつかは、
自分を許さないと、永遠に犯人を作り続けなければなりません。

いつかは、怒り続けるわたしに、さよならを言わないといけないのです。

麦わら帽子


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東北地方太平洋沖地震関係リンクなど

以下はいつもお世話になっている『ANA・JALマイルの貯め方!子供と一緒にハワイ旅行!』様のサイトからそのまま転載したものです。
----------

「東北地方太平洋沖地震 被災地応援リンクです!」

東北地方太平洋沖地震で困っている方がたくさんいるようですね。

いつもお世話になっている瑠璃色の瞳と翠色の瞳 ?Dolly&Abbie 猫物語?crystalさんからの転載記事です。

[拡散希望]
透析患者は透析できないと命に関わります。
お願いします。

【血液透析の必要な方】
透析可能病院と、ベッドの数が記載
http://t.co/YymTvBQ
日本透析医会災害情報ネット

皆さん、拡散お願いします。

【医療関連情報】

■拡散希望

■医療関連情報

我々ブロガーにしか出来ないことがあります。
ブロガーは拡散してください。
ブロガーは記事を転載してください。
MIXI・facebook・twitter・ブログ等、貴方の1記事が人を助けることが出来ます。
協力してください。

■ツイッター上で相談に乗ってくれる医師の方々

@gensann

@shigehira

@atsushimiyahara

@yujirokon

@tonishi0610

@psychiatrist_uk

■救出救助などに関してです。渋谷区の防災から転載

○救出救助と応急救護

地震では、倒れた建物や家具の下敷きになる人が出ることが多くあります。
早く助け出さないと、死んでしまいます。
しかし、多くの生き埋めやけが人が発生する震災では、防災機関(警察・消防)だけですべての現場に対応することは困難です。
そのとき、そこにいる人の手で、救出・救助・救護活動を始めましょう。

救出作業は、ひとりではできません。多くの人手があるほど、救出作業は楽になります。
直接作業にあたる人はもちろん、作業の助けになる資器材を探してくる人、治療が可能な医療機関を探す人など、まず、多くの人を集めます。

▼救出救助

埋まっている人に声をかけ、様子を確かめます。
救出の妨げになるものから、順に取り除いていきます。重い物を持ち上げるときは、複数の手で、声を掛け合い、ゆっくりと。
救出作業にあたる人の安全には十分な注意が必要です。できれば、少し離れた場所に人を置き、全体の様子(落ちて来そうな物、倒れて来そうな物、火災など)を見てもらいます。
複数の人が埋まっていることがあります。常に、「もうひとりいないか?」を意識しておきましょう。

工具のある家庭や商店、工事現場などを知っていたら、協力を仰ぎましょう。
また、建築の仕事についている人を知っていたら、協力を仰ぎ、その指示を聞きます。

▼応急救護

救出された人は、けがをしている場合がほとんどです。
生き埋めでなくても、けがをする人がたくさん出ます。
早い手当が命を救います。
応急手当講習 を受けていると、人の命を救うことができます。

安全な場所を確保し、けが人を移します。

▼大きな出血があるとき

なるべくきれいな布をたくさん集めてください。→ナプキンも止血がわりになります!!
出血しているところに布を当て、強く押さえます。この「直接圧迫止血」が基本です。
出血が止まらなかったら、さらに上から布を当て、圧迫を続けます。
ビニール袋に手を入れるなど、直接血液に触れないようにすることで、血液からの感染症を防ぐことができます。
手足の切断や、複雑な骨折を伴う出血など、直接圧迫できないとき、止血帯という方法もあります。この方法については、応急手当講習を受けてください。

▼ガラスなどが刺さっているとき

むやみに抜かないほうが安全です。
抜いたとたんに、大きな出血を起こすことがあります。
また、鉄片などの場合、先が曲がっていて、傷を広げることもあります。
三角巾やタオルで、刺さっているものが動かないようにします。

▼骨折しているとき

骨折している部位に副木を当て、上下を固定します。
副木がなければ、丈夫な、板状・棒状の物を使います。傘・丸めた雑誌などでもかまいません。
できれば、骨折している部位の上下の関節の先を固定します。
例えば、肘と手首の間(前腕)を骨折していたら、手のひらと力こぶのあたりを固定します。

▼意識がないとき

意識がないと、舌がのどを塞ぎ、呼吸ができなくなっていきます。
気道を確保して、窒息を防ぎます。
額に手を当て、顎を持ち上げて、頭を反り返らせるようにします。
さらに、呼吸や心臓の動きを確かめ、必要ならば心肺蘇生(人工呼吸と心臓マッサージ)をします。
具体的な方法は、応急手当講習を受け、学んでおきましょう。

▼医療機関への搬送

同時に多くのけが人が発生する震災では、救急車も、すべての現場に行くことは困難です。
医療機関に運ぶ必要があるときは、そこにいる人の手で搬送します。
毛布や物干し竿を使って、応急担架を作る方法もあります。防災訓練に参加し、学んでおきましょう。
協力して、治療が可能な医療機関を探します。まずは、近隣の医院を、また、一時集合場所など、人の集まる場所で情報を得てください。避難所施設(小中学校)には、順次、医療救護所が開設されます。

▼トリアージ

同時に多くのけが人が発生する震災では、医療機関も、すべての患者に対応することは困難になります。
ふだんなら、診察は受付順に受けられます。
しかし、震災などの災害時には、「命にかかわる状況で、治療により助かる可能性が高い人」から順に治療せざるを得ません。
打ち身、捻挫や静脈からの出血などの治療は、後回しにせざるを得ません。家庭の常備薬や、避難所施設にある救急箱を利用し、自分たちで手当します。


【拡散希望】

消防隊員です。被災地の皆様、貴方達を助けるために我々の同胞達も頑張っています。
必死に頑張っています。緊急車両に道を開けてあげて下さい。

逃げたいのは皆同じです。でも、貴方達は逃げれます。
私たちは今逃げる道を無くした人達の救助に向かっています。

開けて下さい

TVネット配信(アカウント不要)

NHK総合(ニコニコ生放送)  
http://live.nicovideo.jp/watch/lv43018790

フジテレビ(ニコニコ生放送)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv43019860

NHK総合(Ustream)
http://www.ustream.tv/channel/nhk-gtv

TBS(Ustream)
http://www.ustream.tv/channel/tbstv

災害伝言板

DoCoMo 
http://dengon.docomo.ne.jp/top.cgi?es=0

au   
http://dengon.ezweb.ne.jp/service.do

SoftBank  
http://mb.softbank.jp/mb/information/dengon/index.html

WILLCOM  
http://www.willcom-inc.com/ja/info/dengon/

e-mobile
http://dengon.emnet.ne.jp/

NTT-Web171  
https://www.web171.jp/

Google Person Finder 2011  
http://japan.person-finder.appspot.com/?lang=ja


避難所

全国避難所マップ  
http://animal-navi.com/navi/map/map.html

23区避難場所    
http://cgi.mobile.metro.tokyo.jp/aps/tosei/bousai/hinan.html

宮城県避難場所   
http://www.pref.miyagi.jp/kikitaisaku/wagayade/hinan_bashoshin/hinan_top.htm

福島県避難場所   
http://www.bousai.ne.jp/vis/jichitai/fukushima/refuge.html

岩手県避難場所   
http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?of=1&ik=0&cd=28306

東京都内避難所一覧(Googleマップ)  
http://bit.ly/g5l5PO

各種情報

津波警報・注意報(気象庁)    
http://www.jma.go.jp/jp/tsunami/

全国鉄道運行情報(NAVITIME) 
http://www.navitime.co.jp/train/

道路交通情報(国土交通省)   
http://www.mlit.go.jp/road/roadinfo/

メディア

産経新聞 
http://sankei.jp.msn.com/

読売新聞 
http://www.yomiuri.co.jp/

朝日新聞 
http://www.asahi.com/

毎日新聞 
http://mainichi.jp/

日経新聞 
http://www.nikkei.com/


Tips
ケガ・キズの手当て応急処置    
http://www.jon.gr.jp/qq/first_aid/index.html

緊急時用の水の確保方法      
http://r.nanapi.jp/392/

災害伝言ダイヤル「171」の使い方 
http://r.nanapi.jp/5941/


Twitterで信用できるアカウント

NHK広報局(@NHK_PR)    
http://twitter.com/nhk_PR

NHKニュース(@nhk_news)  
http://twitter.com/nhk_news

総務省消防庁(@FDMA_JAPAN)  
http://twitter.com/FDMA_JAPAN

その他まとめページ

都内の無料開放場所まとめ(GIGAZINE) 
http://gigazine.net/news/20110311_pcot_quake_hinan/

情報いろいろ 
http://20kaido.com/archives/2645879.html

地震対策まとめ(痛い信者)
http://i.2chblog.jp/archives/2389640.html

TV画像まとめ(VIPブログ) 
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52440678.html

VIPPERな俺 
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/3595673.html


避難時の持ち物

1.現金
2.身分証明書
3.印鑑・預金通帳・保険証
4.飲料水(1人1日3リットルが目安)
5.非常食(缶詰、アルファー米、インスタント食品など)
6.携帯電話と非常用充電器 7.家族の写真(はぐれた時の確認用)
※ 避難する際は、ガス栓閉めて、ブレーカー落とすように!


危険勧告について

震災の時に、建物に赤い紙が貼られていたら、それは「全壊」の判定を受けた建物です。倒壊の危険性が高いですので、近寄らないようにしてください!

電気工事屋からの忠告: 切れた電線が地面に接してる場合、直接触らなくても数m以内に近づくだけで電撃食らう可能性がある。あと、ブレーカー落とすより先に家中のコンセント抜いたほうがいい。配電ボックスはプラスチックの箱の中にすぐ高圧電流流れてるから下手に触ると感電する。

タンスの下敷きになった人を助ける方法: タンスが頑丈なのは全面と上部、側面だけ。背の面は薄い板でできている。その薄い板を蹴破り、そこからすべての引き出しを抜き取る。そうすれば簡単にタンスを解体できる。

女性は一人にならないように: 災害時に、「お風呂を貸す」「トイレを貸す」等の言葉で女性を騙し、乱暴する犯罪が過去発生しています。避難や徒歩での移動など、出来る限り独りにならないで!

沿岸部の方は海抜30m以上の所に避難する必要があるとの事です。


みなさんのご無事をお祈りいたします。

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感情と正直に向き合う

「この子は誰に似たのかしら? 何をしたいのか、わけがわからない!」
こんなことを思わずつぶやいてしまうお母さんもいらっしゃるかもしれません。

しかし、自分には理解できないと言っているのは、社会的に受け入れられやすい表向きの説明になれてしまって、自分でも本音の感情を隠してしまった結果なのかもしれません。

また、別の言い方をすれば、実はお母さん自身が自分では気づかずに取っていた行動を、お子さんなりに観察していて、それらを自分も取り込んでいったのかもしれないのです。

大人が、本音を隠して社会的に認められやすい行動ばかりを子どもに強要していると、いつかその嘘を見破った子どもは、いままで騙されていたと感じたり、親を軽蔑し始めるかもしれません。

児童と親1


では、子どもが自分の感情と正直に向き合える環境を家庭に作り上げるには、何を注意したらいいのか、まずは子ども自身がどのように感情と付き合っていくのかという方向を示してあげる必要があります。

☆「○○が悪い!私は悪くない」

あまり誰が悪いのかという点に注意を向けてしまうと、誰がその感情を作り出しているのかを曖昧にしてしまいます。
他の誰でもなく、自分の感情は自分の中から生じているものだと認めることは、本当の感情を受け入れる上で必要なことです。
大人になっても(と言うよりも大人になってしまうと)、自分が感情を害したときに、間髪入れずに相手のせいにしてしまう人がいます。
「感情とは、外側にいる誰かのせいで発生するもの」という図式が出来上がっているかのようです。

しかし、それを信じてしまうと、自分の感情を自分で責任を持つという考えが育ちません。
もしそうだとすると、自分はまわりの人次第で感情を操られてしまう存在になってしまうことになります。

自分の感情は、自分の中から出てきたもの。誰でもない自分がそれを感じているのだと認めることがまず必要なのです。


喧嘩する親子


☆「あんなひどいことをされたら、怒って当然! あいつをなんとかしろ!」

この言い分もわかるのですが、注意したいのは、悪者を作り上げることで、その他にも自分がいろんなことを感じていることを無視したり、隠したりしてしまうことです。

たとえば、この例では弟がひどいことを言ったので、頭に来た兄が怒りを何とかしてくれと言って、親に弟は罰を受けるべきだと言っているのかも知れません。
しかし、「弟が叱られたら自分の気がおさまる」という解決だけでなく、そこで自分がどんなことを感じたのかを認識しておくことも必要です。

ひどいことを言って笑われたことで、自分が惨めになり、悲しかったことを認めるのです。
もしかしたら、学校などでみんなに笑われた経験を思い出して、辛くてそんな感情は閉め出したいと思ったのかも知れません。
そこには、人からバカにされ自分が自信を失ってしまう事への恐れも隠れているでしょう。

だから、カッとなって自分は怒っているんだと言い聞かせ、生意気な弟をこらしめるという図式を仕立て上げたかった。
そうすれば、自分が惨めに感じたことを隠せるし、兄としての権威を保てると思ったのかも知れません。
また、兄として、弟にバカにされてしまうような自分を自分で許せないと感じたとしても、そんな感情は認めたくなくて隠してしまう可能性があります。

「実は他の感情を隠してしまっていないか?」を見直して、行方不明の感情を作り出すような習慣を作らないことです。押し込めてしまった感情は、大人になってからも付きまといます。

☆「人をバカにするようなことは言ってはいけない。だから僕は怒ったんだ!」

先程とダブる所もありますが、「?すべき」ことで自分の感情をすべて説明してしまうと、本当は何が自分を傷つけたのかがわからなくなる可能性があります。

実は、バカにされた内容は、「これだけは言われたくなかった」ことだったかもしれません。
普段から、自分でも気になっていて、もし言われたらどうしようと隠しておきたかった。
そもそも、自分で気にしていないことなら、何を言われようが怒ることもないわけです。

悪いのは、バカにした人間かもしれませんが、それがどのように自分を傷つけたのかを正直に認めておけば、自分の恐れていることが何かがはっきりします。
隠したりそれから逃げようとしなければ、明らかになってしまえば、それがいつまでも恐怖の原因で居続けることもなくなるわけです。

そして、その感情を持つことが、悪いことであるかのように思い込むことも無くなります。
その感情を思い出すたびに、いやな罪悪感を持つこともなくなるのです。

正直になにが自分の気分を害しているのかを認めることは、将来にゆがんだ形で感情のしこりを残すことも防止できます。


叱る母親


ところで、最初に戻って、親の感情への対処の仕方は、子どもが見ていて真似をするものだという点を考えましょう。

・感情を害されたら、その場で対処する。
「ずっとだまってたけど、このごろちっとも?を守っていないわね!」
こんなやり方を親がとっていれば、子どもも同じことを始めるのもすぐでしょう。

学校から帰ると、靴は脱ぎ散らかしっぱなし、ランドセルは放り出されて横になっている。
部屋は散らかし放題で、遊びに出かけるか、ゲームをすぐに始めて返事もろくにしない。
これらをひとつずつ、メモを取るかのように怒りをため込んでいき、そのうち何かのきっかけで一気に爆発させてしまう。
こうしたやり方は、人生のどこかで身につけた親の習慣であり、意識してやめようとしないと、延々と親から子へと受け継がれていきます。
このような対応の問題は、一気に爆発させた衝動的な怒りは、決して望ましい結果をもたらさない所にあります。
怒りをぶつけられた相手は、今まで何も言われなかったのに、急にまとめて責任を追及されてもどうして良いかわかりません。怒っている方は、「これだけ我慢したんだぞ」というつもりかも知れませんが、相手が自分が悪かった、後悔していると言って一方的に引き下がることを期待するのは現実的ではありません。

その都度、率直に自分が気分を害したことを表現していれば、こんなことにはならないわけですが、習慣的にそのパターンを繰り返している人は、なかなか気が付かないし、相手が悪いのだから仕方ないんだと主張して譲ろうとしないのです。

・相手に望むことを、率直にはっきりと伝える。
「何を叱られてるのか、わかっているわよね!」
こんな脅しで、相手をやり込めてしまっては、子どもはなにがいけなかったのかわからないままになるかもしれません。正体のわからない罪悪感を持たせることになってしまいます。
はっきりと、「靴はきちんと揃えておきなさい。」と伝えるのです。
また自分の気持ちも正直に示した方が良いでしょう。「お母さんは散らかった部屋は嫌いだから、この部屋を見ると怒りたくなるの」
「僕はこれくらいの方が落ち着く」と反論してくるかもしれませんが、それはそれで子どもも自分の考えを表現できているわけですし、率直な意見を交わして取り決めをすることにも発展できるでしょう。

・言葉と態度(行動)を一致させる
「きちんと宿題を終わらしてから遊ぶのよ」と寝転がってテレビを見ながら、おやつをほお張って言ったのでは説得力はありません。
子どもは「わかった」と言いながら同じように、いい加減なやり方をし、言葉のうえで合わせておけば良いんだなと思うでしょう。
怒るときは、怒った表情で内容を伝えましょう。
皮肉った言い方や、被害者のような顔で恨みがましく伝えるのは、言葉とは違ったメッセージを子どもに送っていることになります。

・相手の言い分も聞く用意があることを示す
叱っているのだから、言い訳は一切言わせないというのは、余程のことでなければ避けた方が良いでしょう。
聞いてみたら、子どもの言い分にも一理あるということがわかるかもしれません。
また、子どもは、正直に自分の考えを持ってもいいのだと信じられるようになります。
「お前は何もわかっていないのだから、自分で考えてはいけない」というメッセージが伝わるようなやり方は避けなければなりません。


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困った状況と落ち込み

困った顔、落胆の表情、そこには背景に苦痛を感じさせます。
中には、いつも悩みを抱えたような顔をしていることが、習慣化している人もいます。

わざわざ苦しいことを求める必要などないはずですが、それが習慣化してしまったのには、それなりの理由もあったのでしょう。

笑顔の男の子


幼児は、自分に不快なことが起こると泣き叫んで助けを求めます。
なんとなく、自分が怒ったり泣きわめいたりすることと、面倒を見てくれる人が現れることの間につながりを覚えます。

怒った顔の男の子


しかし、最初は怒って金切り声をあげれば、誰かがすっ飛んできてくれたのに、そのうち少々怒って見せても、いつもいつもは通用しなくなってしまうことに気がつきます。

欲求が満たされない場合に、怒りだけでは通用しないことに気づく中で、大人の気を引くには、困った表情や、落ち込んだ状態を表現するという別のやり方があることを発見します。

神妙な顔の男の子


「どうしたの? 気分が悪いの? 困ったことがあるなら言ってごらん。」

欲しいものが手に入らないとわかると、泣きわめく代わりにすねてた表情で、いつもは大好きなおもちゃやゲームにも手をつけない。
「この落胆ぶりが目に入らぬか!」

こうして、同情を引くような落胆が、怒りで攻撃するよりも有効な場合が多いとわかると、大人になってからもこのやり方は常用されるようになってきます。

状況によって自分が落ち込んだのが先なのか、だれかの気を引きたくて落胆する気分に入り込んだのか、自分でもよくわからないようになってしまうかも知れません。

自分が本当にのっぴきならない状況に追い込まれたのであれば、他の人に自分がどう映っているかなど心配している余裕などなくなってしまうものです。

しかし、かけひきの道具として使い始めた「落胆」は、特に自分をよく知らない同情的な人には、非常に効果的であることを覚え、味を占めるとなかなかやめられません。

ですが、このような落胆の状態は、まったくの芝居かと言えばそうでもなく、いつのまにか実際にも困った状態に置かれたり、自分自身でも苦痛を感じる状態になってしまうものなのです。

最初は、まわりの気を引くための手段に過ぎなかったことが、やがて自分を困った状況に置くことが習慣化してしまうと、本来の目的など忘れて困惑することがひとり歩きするようになるという、危険な武器になりかねないのです。

自分が困った状況にあることを繰り返し思い浮かべ、それに付随して苦しくて、いやな感情がそこに伴うようになると、感情と思考のセットが出来上がってしまいます。

場合によっては、なんとなくだれも自分に注意を向けてくれないという理由から、このような感情を呼び出し、落ち込む状態を作り上げてしまいます。

しかし、「オオカミが来たぞ」と叫ぶ少年の話のように、いつしかこのような訴えに飽き飽きしてきた人たちには通用しなくなってきます。

困惑


このような偽物のゲームに気が付いて、正直な交流を持とうと気が付けばいいのですが、いつも落胆した状態にいると、それこそが他の人にはない自分だけが置かれた本物の苦境なのだと思えてきてしまうのです。

これでは効果がないと思ったら、他の人が思い知るような、もっとひどい状態へ自分をエスカレートさせてしまうかもしれません。

怒りの感情は、過激で危険を伴うこともあり、これはこれで危険な面もあります。
一方、怒りを押さえ込んで落ち込んだ人になってしまうと、衝動的なでたらめな行動は抑えられて、一見冷静に考える時間も持てるような気にもなります。
しかし、そこで淡々と探し求めるものは、どうやって他の人の注目や同情を引き出すかというよりエスカレートした落ち込みへと引き込むものになる可能性があります。

いまここでの自然な反応とは思えない、継続的ないやな感情はひどくならないうちに対処しないと、急激な被害はなくても、緩慢なる自殺ともいえる習慣になってしまうのです。

慢性的な無力感や、落ち込みを感じているなら、現実との接点をどれだけ保てているかをチェックすることは重要です。
自分が感情的に相手にしていることが、きのうやきょう実際に目にしたことに基づいていないとしたら、具体的なものに関心を向け直すことを考えた方が良いでしょう。

たとえそれが将来への夢や目標であっても、本当は実現しないと思いながら、また今回も失敗に終わったと言って落ち込みを繰り返している可能性もあるのです。

現実に直面するのは怖いこともありますが、一時的な怖さを避けてしまうと、慢性的な苦しい感情を抱え込むことにもなりかねません。

とげが刺さったらその痛みを感じ、
とげが抜けたら素直に喜ぶとき、
そこには説明はいらないのです。
「とげがささっちゃった!」



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葛藤 どちらも捨てられないが両方は成り立たない

葛藤というのは、どちらをとればいいか思い悩むことですが、じゃあこっちに決めようで解決できるくらいなら、最初から悩むことはないわけで、そのような答えが出るのは本当の葛藤ではないのでしょう。

本当の葛藤というのは、タイトルにあるように、「どちらも捨てられない」のだけれど、かといって同時に「両方は成り立たない」という問題であるわけです。

たとえば、多くの方が経験することの中に、仕事をとるか家庭をとるかという問題があります。
「私は、仕事にそれほど未練はないから、子育てや家庭を守ることに専念します」と言いきれる人なら、葛藤は生じません。
あるいは、こんな別の問題を抱えるかもしれません。
いま都会にいて望む仕事があるけれど、田舎に残してきた両親も年老いてくるし、面倒も見なければならない。かといって、田舎に移り住めば、いまのような仕事は出来なくなるだろう。

困る主婦


しかし、いまやっている仕事をいつまでも続けたいし、それが自分の生きがいでもあると感じている場合は、いくらもう一つの課題である家庭の重要性を認識していたとしても、簡単には仕事を手放すことができないわけです。

また、仕事を続けたいから、家庭のことには時間やエネルギーをとれませんと言いきれるかといえば、それも難しいのです。どうして、まだ小さい子どもを放っておけるというのだと、一方でそれを許さない自分が同時に存在します。

まず最初に認めなければならないのは、いま取り組もうとしていることは、このように同時に成り立たないことを何とかしたいと考えているのだということです。

ですから、考え続ければ、なにかうまい解決が見つかると期待するのは、少し現実離れした考えだと思った方が良いでしょう。

あるいは、いつかこれを解決できる方法を見つけてくれる誰かが現れるというのも、同じように、あるはもっと現実感のない幻想になってしまうでしょう。

だれが考えようと、あなたはひとりしかいないし、同時に両方をこなせる時間を持つことは出来ないからです。

児童と親2


ただ、このような幻想の中で生きていくことは、そのやり方は正しいとは言えないけれど、副次的に解決に役立つこともあります。

それは、いま現在は、どう逆立ちをしても両方を成り立たせることは出来ないという厳然たる現実があるわけですが、状況は時間の経過と共に変化していきます。

いまの時点ではどう考えても答えはないのですが、いろいろなまわりの状況が変化することで、事態はどんどん変化していきます。
また、あなた自身の感じ方、考え方も時間の経過や、経験の蓄積で変化を遂げていきます。

その結果、いくら考えても答えがなかった問題も、問題自体が消えていく可能性もあるわけです。

時代の変化やインフラの進歩で、在宅で出来る仕事が画期的に増えて来るかもしれません。
あるいは、あなた自身が、他の事に興味が出てきて、仕事にそれほど魅力を感じなくなるかも知れません。
もちろん、子どもは時間と共に成長しますから、それほど時間を取られなくなることは充分考えられます。

しかし、それは問題が解決したわけでも何でもないと言われるかも知れません。
ですが、問題を解くというロジックが重要なのではなく、現実の変化にそった生き方をすることにこそ意味があるわけです。

もし、問題を解決することにこだわってしまうと、もっと別の問題を作りだしていたかもしれません。

1.今すぐ答え(仕事を辞めるとか、逆に仕事一筋で生きる決断を下すなど)を出そうとしてしまう。
じつは、すぐに答えを出さないと先に進めないように感じてしまうのは、状況が逼迫していると言うよりは、当事者の主観的な焦りが原因である場合が多いように思えます。
もし、それで解決したように感じられるなら、もともと葛藤と呼べるほどの問題はなかったのかもしれませんが、本当にどちらも捨てられないことだったとしたら、手放したことをいつまでも後悔するリスクを伴います。

2.答えを出さなければいけないと思い悩んで、ストレスを作り出したり、それを避けるために自分自身を騙すような行動を取ってしまう。
たとえば、他の人に対して、「自分はどっちを取っていいのかわからない!」といつも悩んで見せますが、ある程度考えたら、答えが出ないことは自分でもうすうすわかっている筈なのです。
いつまでも、それを考えて、他の事ができないように振る舞うのは、純粋な動機の行動とは言えないでしょう。
まわりの人も巻き込んだ、からさわぎで時間つぶしをしていることになってしまいます。

後者については、そんなことをするくらいなら、堂々と答えはでないと認めてしまった方がいいのです。
いまの時点で、答えはだせないから、不可能なことで悩んで時間を潰すことから撤退しますと宣言するのです。
ただし、これにはまわりの人からの抵抗や批判が生じるかもしれません。

立ち話1


「決断しないなんて、なんて優柔不断な人だ」とか、「どっちをとるか決めないでぐずぐずするなんて、なまけもののすることだ」と言う人がいるかも知れません。

何かを判断するときに、他の人に相談して見ることは、有効なこともある一方で、有害なこともあるということも知っておく必要があります。

プラス面では、第三者は当事者よりも冷静に客観的に事態を眺められますから、当事者には見えていなかった新しい発見があるかもしれないということです。

しかし、それは裏返せば、マイナスの側面も持ちます。
つまり、第三者は当事者と違って、実際に「葛藤」を抱えてはいないと言うことです。
その人が状況を想像して、自分だったらこうするだろうという考えを述べているわけですが、現実にどちらも手放せない状況にいるわけではないという違いが在ります。
また、当然あなたの感じ方や、事態に対する耐性は、そのひととは違いますから、最後に判断できるのはあなたしかいません。
どんなすごい判断能力のある人の解答であろうと、それは問題ではなく、当事者であるあなたにしか答えは出しようがないのです。
他の人にあなたの代わりに生きてもらうわけにはいかないし、そんなことはあなたの望むことではありません。
がんじがらめの状況で、自分は犠牲になるしかなかったという恨みを抱えるやり方は、あなたにも相手にもマイナスしかもたらさないし、一生を台無しにしてしまいます。
他の人から見てどんなに奇妙に見える生き方でも、肝心なことは、あなたにとって生きている実感が持てるかどうかだということを忘れてはなりません。

本当の「葛藤」は、どんなに考えたところで、こたえを出すのは不可能です。

・出来ないことを何とかしようとして、事態を悪化させるようなことは控えた方が良いでしょう。

・多くの場合、答えは出ないことを認めてしまって、ただ変化していく状況を見守るのが最良の策ということもあるのです。

・問題に答えを出すのが、第一の目的ではありません。
それはあなたの中の思考システムがそれを目指して一直線に働いているに過ぎません。
肝心なのは、こたえよりも現実の中で、実際にあなたがどう生きているかにあるのです。

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老荘思想のコラム連載(14)

『COCORiLA (ココリラ) ?癒しのポータルサイト?』様にて老荘思想のコラムを連載中です。

【今月のコラム】

「現代社会と老荘思想(14)」 [2011/03/06] ◇和光同塵◇


cocorila20110306.png




◇和光同塵◇

和光同塵(わこうどうじん)という言葉を聞かれたことはあるでしょうか。
この言葉は、そのままの意味としては、光を和(やわ)らげ、塵(ちり)に同ずということになります。

光を和らげるとは、才知の光を和らげること、つまり自分の才能を目立たなくするという意味です。
塵は俗世間を意味し、塵に同ずというのは、俗世間に交じわっていることです。

つまり、自分の才能や徳を見せびらかすことなく、俗世間の中に交じって謙虚に慎み深く接して、目立たないように過ごしているようすを表しています。



タオとは、すべてのものが生まれた源であり、わたしもあなたもその一つの分身、一本の流れであると考えますから、私たちはもとからタオの真理を自分の中に持っているのです。

そして、いろんな外界からの影響に惑わされず、もともと持っている自分の内面を見つめて本来の性質を解放してやれば、真理が見え、それをそのまま発揮出来るようになるのだというのです。

そのための行動のしかたを言っているのが次の文章です。

塞其兌、閉其門、挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。是謂玄同。

其(そ)の兌(あな)を塞ぎ、其の門を閉じ、其の鋭(えい)を挫(くじ)き、其の紛(ふん)を解き、
其の光を和(やわ)らげ、其の塵(ちり)に同ず。是(こ)れを玄同(げんどう)と謂(い)う。

外から入ってくるいろんな情報をシャットアウトする(其の兌を塞ぎ、其の門を閉じ)。
そして、自分のとんがった鋭さを柔らかくして、紛争のもとになるようなことをつくらない(其の鋭を挫き、其の紛を解き)。
そして、先程の和光同塵、鋭さを抑えて世俗に交わって生きていくのが、玄同というものなのだと。

自分には何もわからないと思い、自分の力で世界を動かしているような気にならないでいる。
そして、ひけらかすような知性や徳を追求せず、それらは自然に自分の中から現れ発揮出来るのだと信じて、人為的な行動を取らない。
そのようにして、世俗に混じって目立たない存在として暮らしていくのが、徳と同一化して生きていく玄同の生き方というものであるのだと。

どうしても私たちは自分の力や知性を見せたくなり、「どうだ私のすごさを見よ」といいたくなる所がありますが、それを抑えることで、鋭いとんがった所が無くなり、紛争になるような原因を作り出すこともなくなります。
そして、そのようなあなたを見て、まわりの人は自然にあなたの徳を感じとり、何も見せなくてもその存在が貴重なものとなってくるのだというのです。


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以下のサイトで連載しています

癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)

【今までの連載記事】

「現代社会と老荘思想(1)」 「老子の三宝」
「現代社会と老荘思想(2)」 『道の道とすべきは、常の道に非ず。』
「現代社会と老荘思想(3)」 「すべては、もとはひとつ」
「現代社会と老荘思想(4)」 「無為(wu-wei)」
「現代社会と老荘思想(5)」 「上善若水(じょうぜんみずのごとし)」
「現代社会と老荘思想(6)」 「柔らかいものが堅いものに勝つ」
「現代社会と老荘思想(7)」 「無為によって全てを成し遂げる」
「現代社会と老荘思想(8)」 「自然な調和を取り戻す」
「現代社会と老荘思想(9)」 「天網恢々、疎にして而も失わず」
「現代社会と老荘思想(10)」 「自然はたえず変化する」
「現代社会と老荘思想(11)」 「役に立たない生き方」
「現代社会と老荘思想(12)」 「冬の川を渡るがごとく」
「現代社会と老荘思想(13)」 「私の本質は波ではない」






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遠回り・寄り道

人は自分自身になりさえすればいいのだ。
これが、わしの基本的なメッセイジだよ。
自分をあるがままに認めた瞬間、
すべての重荷、山のように見えた重荷が、
うそのように消えてしまうのだ。
すると人生が喜びそのものになり、
光のお祭りになるのだよ。
--------- バグワン・シュリ・ラジニシ



「自分自身になるだけでいい」
この言葉ほど、誰もが見かけながら、実行せずに通り過ぎる言葉も少ないのではないでしょうか。

ほとんどの人は、自分自身のことはわかっていると思っているからでしょうか。
たえず関心は誰か他の人になること向けられ、あこがれの存在ようになりたいと追い求めるのに夢中になっています。

それでなければ、いまの尋常でないがむしゃらな走り方は説明がつかないのです。
走り出せば、目に入るのは併走する人たちばかり、走っている人たち同士で刺激を受け合っているので、誰も立ち止まることなど思いつかないというわけです。

自分自身になったところで、何も変わらないと思っています。
そんなことよりも、誰かさんにならないと、だれも振り返ってくれないと思うのです。

そこには、自分が持っているものなど大したものはないという確信があります。
その度合いは、自分への信頼のなさに比例します。
「もっと、もっと、スゴイ人にならなければ!」

子どもひらめき


一部の人たち。自分自身のままでも、人は受け入れてくれるのだということに気づいた人たちだけが、むやみに外側を探し求めることをやめます。
そんなことをするよりも、自分自身の持っている宝を確認する方がやりがいがあるし、そもそも外側に何かが在るというのは幻想でしかないことに気づいているのです。

追い求めている間は、いつも目標を追っかけている気になれます。
「?するまでは(until)」という脚本は、そこにたどり着くまでは、自分の時間つぶしの材料に事欠かないわけですが、しかし、それをなし遂げた後、何をするのかは空白のままなのです。

バス停で待つ


また、「?ができさえすれば(after)」の脚本を持つ人がいます。
それが完成すれば、それをやり遂げた後は、すべてがバラ色になると信じて、それまではただの通過点に過ぎません。それまでは、自分の人生は始まらない。

子どもが大きくなれば、学校を卒業しさえすれば、何かが始まる。
少しアレンジして、誰かに出会えれば、あるいは誰かがいなくなれば、期待した人生が始まると信じて、いまをないがしろにし続ける人もいます。

どれも、将来は○、いまは?なのです。

いまの自分は、楽しむ資格があるの?ないの?

その確信のなさが、いつも楽しみを先延ばしにする習慣を生み出します。
そして、いつになっても「その時」は来ません。

自分をあるがままに認めた瞬間、
すべての重荷、山のように見えた重荷が、
うそのように消えてしまうのだ。



この重荷とは、いまは?であるという思いが、仮想の重荷を作り出しているです。
いまここには、重荷などないことに薄々気づいていながら、いまはその時ではないというプログラムがすべてを台無しにします。

「将来は?だが、いまが○なのだ。」と言い切れるとき、初めて、いまを生き始めることが出来ます。

じつは、将来は誰にとっても?であることをなぜか忘れてしまいます。
将来をすべて見越して生きることなど不可能であることを認めさえすれば、そんな出来ないことに時間を使うことはないのだと気がつきます。

いまが楽しめないのは、いまはまだその時でないという「のろい」にかかっているだけです。

ですから、そんな脚本を抱えていない子どもたちは、いまを生き生きと楽しんでいるのです。

人は自分自身になりさえすればいいのだ。



ここでも、「いま」の否定がこれを不可能にします。
「自分自身? いまの自分など信用できるか!」

女の子思案


しかし、いまであろうと将来であろうと、自分自身とはいま存在するものでしかない。
そして、それを確認してもいないのに否定してしまっている事実に気がついて、もう一度見直してみることです。

未来とは、甘く魅力的に見えますが、それは実体のないからっぽでしかないのです。
じつは、未来とは、いまの自分に見える範囲でしか見えていないことに気がつかないといけません。

他のだれでもない「いまのあなた」が予想しているのが、そのあこがれの未来なのです。
どこまでいっても、未来はいまの自分を超えることはないのです。

未来を作るなどということを断念して、いま=自分自身に立ち返るだけで、どれだけ重荷が消えていくか。

いままで怖がって振り返らないでいたことを、ちょっと実行してみればそれは見えてきます。

いまには、どんな代償も、資格も、準備もいりません。無条件にあるのがいまなのです。


【引用文献】
聖なる知恵の言葉―魂のためのガイドブック
著者: スーザン ヘイワード / PHP研究所 / 1995-03 /


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誰の責任か?当事者をはっきりさせる

何か問題が生じたときに、とっさに誰の責任だと感じるでしょうか。

また、とっさに思いついた考えとは別に、あとから考えを変えることがあるでしょうか。
そのとき、どのくらい抵抗を感じますか?

このような反応の仕方の多くは、子どもの頃の自分の身の処し方に大きく影響を受けています。
そして、そのような対処の仕方が生まれてきたのには、家族環境が大きく影響していることは間違いないでしょう。

2つの感情


投影法とばれる心理検査(人格検査)にPFスタディ(絵画・欲求不満テスト)というものがあるます。
ローゼンツァイクRosenzweig.Sによって考案された、欲求や怒りをどのように表現するかを測定する検査です。

この検査はマンガのように登場人物が描かれていて、それぞれに吹き出し(せりふが入る)がついています。

たとえば、子供用の検査では、小さな弟を従えた母親が「またおねしょをしたのね。小さい弟よりだめじゃない。」と問いかけており、検査を受ける子どもの役割は空白の吹き出しになっています。
この場面で、検査を受ける子どもは、自分なら何と答えるだろうという答えを記入するようになっているのです。

男の子悩む   叱る母親


この検査では、「攻撃の方向」と「反応の型」という2つの次元で、回答を分析し、その組み合わせで判定を行います。
「攻撃の方向」は、他罰的、自罰的、無罰的の3つに、「反応の型」は障害優位型、自我防衛型、要求固執型に分類します。

他罰的方向とは、欲求不満の原因をまわりの人や環境のせいにしようとします。これが高いと「投射」(自分の問題を他者の中に見る)という防衛機制を使いがちであり、相手からの非難を逆に相手に非難で返し、攻撃的になります。

自罰的な方向に向ける人は、欲求不満の原因は自分の責任であると考えます。その傾向が高くなれば、罪の意識を抱きがちであり、後悔することが多くなります。

無罰的な方向は、欲求不満の責任は誰にもなく、偶発的な出来事で回避できなかったのだと考えようとしますが、無理な妥協をしてしまい自分の本当の感情を「抑圧」する可能性があります。

次に、反応型についてです。
障害優位型は、自我の反応を表に出さないようにした、障害の指摘・強調にとどめた反応です。
自我防衛型は、逆にストレスを解消しようとして、自我を守るための感情を表に出します。
要求固執型は、障害優位型のように起きたことに注意を向けますが、さらにそれからどうやって解決すればいいかに重点を向けます。

細かいことを知る必要はありませんが、自分の場合、他罰的、自罰的、無罰的という攻撃を向ける方向に傾向があるかどうかなど、考えて見るときの尺度に役立てるといいでしょう。

さてここで、前回のバーバラ コロローソさんの本から、問題に対処する場面での親のタイプをみてみましょう。

三歳の子が、プラスチックのコップではなくグラスを使いたいと言い張り、それなら気をつけて使いなさいと口を酸っぱくして言い聞かせたのに、けっきょくそのグラスを落としてしまったとします。ガシャン!今やグラスは粉々になって、床一面に飛び散っています。



ミルク


レンガ壁タイプの親なら----「まったく不器用ね。いいこと、あなたにはこの先ずーっとプラスチックのコップしか使わせないわ。今すぐ台所から出ていきなさい!」。この言葉から子どもに伝わるメッセージは、「あなたは問題を抱えている」ではなく、「あなた自身が問題である」ということです。


この叱り方から子どもは、問題の責任はすべて自分にあり、弁解や解決の道は与えられないわけで、欲求不満を「自罰的」な方向に向けるしかありません。
しかし、一方では、親の反応の仕方を見ているわけですから、問題に対して相手を攻撃するやり方も同時に取り込むことになります。

これは自我防衛型の反応を育てることになるかもしれません。
「まったくあんたは不器用な人だね!」「二度と頼まないわ!」「さっさとどこか行ってしまえ!」

クラゲタイプの親ならーーー「ちょっとどいててね、いい子だから。気をつけないと手を切っちゃうわ。ママがいけなかったの。滑りやすいグラスを渡しちゃったから。みんなママのせいなのよ。さあ、別のグラスを使いましょうね。ミルクにココアも入れてあげるわ。あとはママが片づけるからね」。
この場合のメッセージは、「わたしが何でもやってあげる。あなたは自分では何もできないから。あなたが失敗したとしても、それはほかの誰かのせいよ」ということです。



失敗しても誰かのせいにするという「他罰的」な対処方法を直接的に教えられるわけです。
しかし、子どもにしてみれば、自分が問題の原因であったことも何となくわかっています。「どうして叱られないの?」「いっそ思いっきり叱ってくれた方がスッキリするのに」というように、なんとなく悪いことをした感情が残ってしまうかもしれません。

また、今回は怒られなかったけど、「ママがいけなかったの」なんていってるときは要注意、今度はまとめて怒られるかもしれない、と余計なことを考えるかもしれません(一貫性がないクラゲタイプなら)。

要求固執型の反応の仕方ではありますが、そこには無理な抑圧が潜んでいる可能性があります。
「ミルクにココアも入れてあげるわ」などといわれて、次も同じことを期待したら、「あなたは悪いことをしたのがわかってないのね」と逆襲されるかもしれません。
また、クラゲタイプの親は、自分がちゃんと叱ってやれなかったことの代償に、ココアを持ち出したのかもしれません。

背骨タイプの親ならーーー「あなたは問題を起こしたけど、自分で解決できるはずよ。さあ、急いで紙袋をとってらっしゃい」。三歳の子どもにグラスのかけらを拾わせるわけにはいきませんが、親がかけらを拾うあいだ紙袋を持たせることはできます。かけらを拾い終えたら、こぼれたミルクを拭くのを手伝わせてもいいでしょう。それから、プラスチックのコップを二つ渡して、こう聞くのです。「プラスチックのコップが二つあるけど、今日はどっちを使いたい?」。
子どもにはこんなメッセージが伝わります。
「あなたは問題を抱えている。でも、あなたにはそれを自分で解決する力があるはず。わたしがここにいるのは、助けるためでも罰するためでもない。力を貸し、はげまし、支えるためにいるのだ」



問題の原因が誰のせいかをはっきりさせますが、それを必要以上に責め立てないで、何が出来るかを考えさせます。
無罰的な方向と、責任を取るためには何をすればいいかを指示する要求固執型だといえるでしょうか。

しかし、解決志向だけになってしまって、抑圧しすぎないようには注意したいですね。
「わーたいへんだ」「ミルクだらけ!」「あぶないからガラスをさわってはだめよ」くらいは母親としては叫んでおきたいかもしれませんね。

【参考文献】
子どもに変化を起こす簡単な習慣―豊かで楽しいシンプル子育てのすすめ (PHP文庫)
著者: バーバラ コロローソ / PHP研究所 / 文庫 / 2003-11 /


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