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起きた出来事によって動揺するのは

自分が予想していたとおりにものごとが起きているときはいいのですが、ちょっとでも状況が予想外に変化すると動揺して不安でたまらなくなることはないでしょうか。

たとえば、このように行動すれば、人から受け入れられ、承認され、喜ばれるはずだと期待するとします。
このとおりにいって、明日はみんなから歓迎され喜んでいる自分を想像します。

しかし、一方ではもし自分の予想通りにならなかったらどうしよう、そんな事になったら大変なことだと心配し怯えてもいるのです。

そして、その本番がやって来る。

いくら自分が綿密に計算して行動しても、計算通りにはいきません。
なぜなら、全体の出来事は、あなたが関与し直接変えられる部分というのは限られているからです。
それ以外の部分は、無数の要因が絡んでくる相互依存の世界だからです。

たとえば、あの人なら必ず自分の考えた通りに反応してくれるはずだと、あなたは期待しています。
しかし、その人が期待に応えてくれる可能性が高いとしても、たまたま他のことに気を奪われていて、あなたの行動をよく見ている余裕がないかもしれません。
あるいは、あなたとは全然関係ない理由から機嫌が悪い時や、体調の良くないときに出くわすかもしれません。

たとえあなたとは関係の無い理由で、あなたの期待が裏切られたとしても、あなたはその事態に動揺してしまいます。

いくら頭ではなにか理由があったんだろうと、自分に言い聞かせようとしても、なかなか動揺は静まりません。
いや、むしろやっぱり自分に問題があってこのような事態が起きてしまったんだと考えようとする自分がいて、それが引き金になって落ち込んでしまう自分が強化されていくことになるのです。

困る


しかしだからといって、こんなことで動揺しないように、自分をもっと鍛えようと思う人がいますが、それは考えものです。
ストレスの原因に対して耐えられるような強い自分を作るんだと言って、ストレスに鈍感になってしまうような訓練をしたりするのは見当違いのやり方ですし、また自分を歪めてしまう可能性があります。
見かけ上動揺しない人間を装ってみても、それによって他の感情まで鈍磨させてしまうかもしれません。

問題の本質を探らなければなりません。

それは、出来事に対して、いちいち自分の存在が脅かされるような反応をしてしまう自分とは、誰なのか、それがどこから来ているのかを知っておくことです。
そして、今の自分はこれこそが自分だと同一視している勘違いに気づくことです。

つまり、いま動揺してしまう自分こそが自分の全てだと思うのではなく、そのような反応をする自分を前面に置いてしまった結果いまのような状態にあるということを認識すべきなのです。

かつて幼い子供の頃は、親にかまってもらえなければ成長できず、死んでしまうかもしれない状況にありました。
そのようなときには、まわりの人がどう動くかで自分が生き延びられるかどうかが決まってしまうという状況にあったわけで、全面的に人に依存してしまうのも仕方が無いことです。

その中で、まわりの人の反応がどれだけ自分の存在を左右するかを思い知らされていますから、ちょっとしたまわりの変化に過敏に反応する自分も作られて行きます。

しかし、やがて思春期になり、親の言いなりになることに反発を感じ始めると、親に依存することがうっとうしいものに映るようになり、自分の思い通りに出来ればどんなにいいだろうと自立することを考えるようになってきます。
自分の考えこそが正しく、なんでまわりの大人は人の目を気にして生きているのだろうと感じるかもしれません。

ところが、やがて社会に出てみると、不合理に思えても影響力のある人間に逆らったり、多数派の意見に反発することが自分の利益にならない場合があることを知るようになると、利益のためには自分の考えを犠牲にすることも必要なんだと考え始めます。

唯我独尊ではいられないと思いだすと、人によっては、一気に反転してそれならどんどん利益のあるやり方を取り入れたほうが得だと考えてしまうかもしれません。

たしかに、不必要に社会に反発していないで、適度に合わせることが有効なことも多くあるでしょう。
問題は、そのような適応の仕方が過剰になってしまうことです。
また、いつのまにかそのような作られた適応の仕方であったことを忘れて、まわりに過剰に反応してしまう自分こそが、本物の自分だと同一視してしまう危険性があるということです。

まわりの出来事しだいで、すぐに憂鬱になったり、動揺して冷静に考えることができなくなったりする傾向が強いと思うなら、そのような同一視が起きていると考えたほうがいいでしょう。

いま何かの出来事で、苦しめられ危機に陥っていると感じるなら、それは自分自身と人生の出来事を同一視しているからです。
自分の人生がものごとによって決定づけられると信じているから、自分でコントロール出来ない不測の事態が起きるたびに動揺し、自分までコントロールを失うのではないかと不安になっているのです。

悩む男性


しかし、そのような自分とは、今まで生きてきた中で作られてきた二次的な適応した自分であって、それが自分そのものではないと気がつけば、過剰な反応をしてしまう自分も徐々に鳴りを潜めるようになってきます。

まわりがどのように変化しようと、それによって自分が必要以外の反応をする必要は無いと思い出すことです。
いままで、このような状況では不安になるものと思い込んでいただけで、それに重要な根拠など無かったことを思い出せばいいのです。

適応した自分とは、仮の自分であり、自分の本質ではないことを見破れば、出来事に不当に振り回される自分をコントロール出来る様になってきます。

ちょっとした非難めいた気配に、過剰に脅えたり動揺する自分がいるのを、一歩離れた所から観察できる自分が存在することに気づけばいいのです。
今までのように、出来事に左右されるのは仕方がないことだと諦めてしまう必要はありません。

ただ大人になってから身につけたことよりも、子どもの頃の強烈な印象は強く残ってしまうものですから、一時的には以前の瞬間的な反応の仕方が現れることは仕方のないことです。

何事にも動揺しないような修行僧や仙人になる必要はありません。
その瞬間的な反応の後で、本来の自分を取り戻す様になればいいだけのことです。

それと、もう一つこれに抵抗するものがあるとすれば、それはいままで築きあげてきたものを壊したくないと思って、守ろうとしてしまうことです。

たとえば、今までのやり方で現在の仲間を集めてきた、その人たちとの関係を崩すようなことはしたくないといった思いです。
あるいは、今までの考え方が間違っていたなどと思いたくないから、やり方を変える気はないとこだわってしまうこともあります。

築きあげてきたもの、いま手に持っているものを手放したくないという気持ちはわかりますが、手を離さないと別なものを握ることは出来ないと言うことも真理です。

もうこれ以上、苦しい思いをしたく無いと思うのなら、こだわりを捨てて手放すことを考えて見てはいかがでしょうか。

最初に書いた事を振り返って見て下さい。
明日のことを心配して不安に脅え、思った通りに出来事が進まないことに必要以上に悩んだり、後悔することに時間を費やしてしまうのです。
これは誰でもあること、仕方のないことと言い聞かせてしまわないで、不要なお荷物は降ろしてしまう選択があると考えるのです。

おにごっこ


有りもしないもの、持っていないものを探そうというのではありません。
もともと持っているものを、おおいを取り払ってもっと楽しもうではないかと言っているわけです。

不要な苦しさを自分で作りだしてまで持っている必要はありません。
確かに目の前にあるものの方が確実と思いたくもなるし、それを手放すのは不安なものですが、一度試して見れば別の世界があったことを思い出します。

いまでも不安に脅える時ばかり有るわけではないでしょう。
そんなことは忘れて夢中になっている自分を発見することがあるでしょう。
それこそ、まわりに振り回されることのない自分が存在することを証明しているではないですか。


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幸せなふりをすると...

ナット・キング・コールの「プリテンド」という素敵な曲がありますね。



Pretend プリテンド(ふりをする)

Pretend you're happy when you're blue    
    憂鬱なときは、しあわせであるふりをしてみよう
It isn't very hard to do
    そんなに難しいことじゃないよ
And you'll find happiness without an end
    そうすれば、いつまでも幸せでいられる気分になる
Whenever you pretend
    ただその気になりさえすればいい

Remember anyone can dream
    だれだって夢を見ることはできる
And nothing's bad as it may seem
    思ってるほど悪くないよ、世の中は
The little things you haven't got
    まだ自分のものになってないことだって
Could be a lot if you pretend
    その気になるだけで満たされた気になれる


「Whenever you pretend その気になりさえすれば」幸せになれると歌います。
最後に「So why don't you pretend?」とあの甘い歌声で囁かれると、世界が変わってくれるような気にもなってきます。

そう、たしかにその時は幸せな気分になれるような気がしてきますね。

しかし、現実はあなたの空想の時間以外にも存在します。
ふりをするのはあくまで、現実ではないとわかってやっていること、そこまでにとどまるべきでしょう。

help.comという英語のサイト(ハウツーのようなサイトのようです)で、こんなテーマが扱われていました。

「充分なだけ幸せなふりをしていれば、あなたは本当に幸せになれるでしょうか?」

そして、その回答として、こんな感じの文章がありました。

「幸せであるとは心の枠組みによるもの、そう意味では正しいでしょう。しかし、あなたが幸せなふりをしようとしているとしたら、なぜそうしているのか、そしてその理由を突き止めることが必要です。
なぜなら、現実があなたに突きつけるものは、「ふりをしている」ことなどよりもずっと大きなものをもたらしてくれるからです。」


「ふりをすること」はあくまで、空想の時間にとどめるべきでしょう。
ふりをしていることを現実と混同してしまうと、それに合わない現実が現れたとき、あなたはどうしていいのかわからなくなって、うろたえて「こんなことが起きるはずがない」と嘆くことになります。

夢見る女性


「あなたの考えたことだけが起こる。考えないことはあなたの身には降りかからない。」
これは昔から、根強くある考え方ですね。
たしかにそれを、正しいとか間違っていると証明するのは難しいでしょう。

「予想外のことが起きるとすれば、それはあなたがそうなることを思い浮かべたからである。」というように逃げられると、なんでもつじつまを合わせてしまえるからです。

しかし、現実的に考えれば、あなたに起こることはこういうことではないでしょうか。

ふだんは、ほとんど自分の願ったことが自分の生活にも現れてきますから、自分が望んだことだけが自分に起きてくるというのは正しいようだと感じるのです。
しかし、いくらそう信じていても、ある日突然、あなたの予想もしなかった起きてほしくないことが、現実になることもよくあります。

あなたが、いくらそんなことは起きないと信じているふりをしていても、それに合わない現実が外から突きつけられることもあるわけです。

そんなときに求められるのは、たとえあなたがどんなに信じたくないことでも、それが現実に起きたことをそのまま見て、それを受け入れることでしょう。
起きたことをやり直せない以上、それ以外に方法はありません。

しかし先ほど書いたように、私たちは「ふりをしていれば大丈夫」という考え方をどうしても持ってしまいます。

ときには、そのような考え方も、あなたを助けることもあるでしょう。

たとえば、「いつ事故にあうかもしれない」、「いつ地震が起きて被害に合うかもしれない」、「いつ空が落ちてくるかもしれない(笑)」と心配しだして、それに対する完全な対策を追求し続けるようだと、あなたは不安による神経症になってしまいます。
そんな時は「大丈夫」と言い聞かせて、普通の生活に戻れるのが正常な状態だと言えるからです。

ですが、この逆に何でも「ふりをしていれば大丈夫」ですべてを片付けようと思うのは、これもまた問題があるでしょう。
それは、現実を受け入れるということを想定していないやり方だからです。
「(/。\)ミザル<(‐‐)>キカザル」で世の中を渡って行くんだと言っているようなものです。
たちまち行き詰まりがやってくるのは、みえているからです。

そうなると、このような両方に偏ってしまう態度ではなく、バランスのとれた現実の受け入れができるのが理想だと思えてきますね。

そして、出来れば「ふりをする」ことも最低限にとどめて、それはあくまで「仮のもの」「非常手段」くらいに思って、できるだけ現実をありのままに見られるようにしたいと思うのです。

そうでないと、「ふりをする」ことでうまくいっている間は意気揚々で、「私はこの世の法則を見つけた」と他の人にもそれを勧めますが、いざ現実が自分の「ふり」から外れたことを突きつけてきたとき、「現実の方が間違っている。こんなことが起こるはずがないんだ。」と叫んで立ち往生しなければならなくなるのです。

「ふりをしている」ことで得られる幸せよりも、現実を歪めることなく向きあうことで起こってくるイベントは、もっと大きな満足や充実感をあなたに与えてくれます。

そして、それは「まがいもの」ではないという確信がもてますし、いつでも例外のない「ほんもの」だと信じることができるのです。


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社会の期待だけで生きようとしない

頑張ってしまう人ほど、社会やまわりの人への期待に応えなければと、ついつい無理をしてしまいがちです。
他の人の役にたつことを目指すのはいいのですが、それが前面に出すぎて、自分自身の欲求を無視したり、押さえ込んでしまうことが強くなりすぎると、他の人の期待することが自分の願いでもあると思い込んでしまいます。

自分は、期待に応えられる人間であることを証明することが、自分の日々の活動のすべてになってしまうので、他の人の反応を大事にする一方で自分の奥底からの声に耳を傾けることがおろそかになります。

残念ながら、そのままではバランスをくずして、なにか足りない、どこか苦しいと感じながら、それを抑えつけてしまう生活を、耐えきれなくなるまで続けてしまうことになるのです。

それは、体の不調や、すぐ疲れるといった症状、あるいは「うつ」を招くかもしれません。

2つの感情


そんな無理をしながらも、こんなことではダメだと思って、もっと自分を奮い立たせるような方法はないだろうかと、見当違いのハウツーを探したりすると、症状をより悪化させてしまうかもしれません。

元気がでないのは、自分が怠けているからだと思って、一時的にから元気を出すような訓練をしても、いっこうに改善されるはずはないのです。

元気がでないのは、自分の中で認められない自分が悲鳴をあげているのに気づかないからであり、これ以上耐えられないと無言の抵抗をしてくるからなのです。

そんな状態から抜け出すためには、今の自分が忘れている、押さえつけてしまった自分の欲求を外に出られるようにしなければなりません。

本当に望んでいるのは、自由になりたい自分を解放することにあるのです。

ところで、無理を重ねてしまうと、外に向けていい顔をしながらも、時おり見せる一貫しない態度に気がついて不審に思いだす人がいるかもしれません。

そんな無理をしすぎて他の人のことを考える余裕がなくなった人を、自分のことしか考えない自分勝手な人というように、道徳的な目で決めつけるのは早計です。

その人は、自分を守ることに手一杯で、他の人のことを考える余裕がない状態なのです。

関心があるのは、まわりの期待(実は自分で作り上げてしまった期待なのですが)に答えることです。

ですから、それが必要だと言い聞かせて、期待に応えるように他人の手助けもするのですが、自分のことをうまく制御できなくなっているのでなかなか続けることができなくなります。

他の人から見た場合、一貫しない態度を不思議に思い、このあいだはあんなに親切にしてくれたのに、今度は冷たくあしらわれた、どういう人だかよくわからないという印象を持たれてしまうかもしれません。

挨拶会話


そこまで自分が無理を重ねてしまったことに気がついたら、なんとか押さえつける一方だった自分を解放することを目指すべきです。

それには、いままでの関心の向け方を変えることが必要です。

いままでどうすればよく思われるか、どうすればまわりが喜んだり、自分に関心を示してくれるかばかりに注意を向けていました。
寛大であることがいいことだと教えられ、自分の寛大さを証明しようとして、やりたくもないことばかりやって、不満を感じながらもこれが正しいやり方だと言い聞かせようとしてきたのです。

それを一旦ストップして、自分の望みの方に関心を向けるようにしてみましょう。

苦しい思いをして相手に合わせるのではなく、自分の要求を表に出してみる練習をするのです。

もしかすると、自分の要求を口にだすことが非常に難しく感じるようになっているのに気づくかもしれません。

頭では、こんなちょっとしたこと何でもないと思っているのに、実際に誰かに頼もうとすると声にならず、なにか頼まなくてもいい方法を探しだそうとしてみたりするのです。

何でこんな簡単なことが頼めないのか不思議に思いながらも、実際にできなくなっている自分がそこにいるのを正直に認めること。
これがまずはバランスを取り戻すための第一歩です。

モジモジ


ごまかしていないで、自分には人に頼みたいことがいっぱいあるのを、正直に認めてしまいましょう。
そして、人にしてあげることばかりでなく、逆方向の人にものを頼むことを増やしていくのです。

頼みたいと感じている自分を、理屈をつけて見ないようにしようとしてはいけません。
少しずつ気がつくたびに、軽く人に求めることができるようにするのです。
こんなことをしてもらっては悪いなどと気にせずに、気楽にものを頼んでみるのです。
そうすれば、人は思っている以上に、人に何かを頼まれることに好意的であることを発見するでしょう。

そのうち、人に求めることに抵抗を感じなくなってくると、不思議なもので、自分が頼んでばかりいないで、自然に他の人になにかを与えたくなってくると感じ始めます。

以前のように、人から認められたいがために、無理して相手に与えるのではなく、そうしたいから思わず行動してしまうようになるのです。
無理をしないで、人のために動いている自分を発見するでしょう。

今までは人に喜んでもらえるためだと頭では思っても、なんでこんなに苦しい思いをするんだろうとなんとなく感じていました。
そしてそんなことを感じてはいけないという自分と葛藤を起こしては、一人相撲をとっていた自分がいたのです。
そんな自分から脱却すれば、今度は自然に与えたいと思って与えることができるようになります。

求めることと与えること、ギブとテイクのバランスが正常に戻ったということです。

もはや、義務感から与えないといけないと苦しむことはなくなってくるでしょう。
すぐに疲れて気力が出なくなることも少なくなってくるはずです。
そして、今までよりも何でも自分で望んでやっているという実感が、本当の満足感をもたらしてくれるはずです。
「今までやってきたのは、はなんだったんだろう?」といえるようになれば、社会は苦痛を与えるばかりの存在ではないと思えてきます。
社会が先にあって、自分が従うのではなく、自分が社会を作り出せる存在であることを目指すようになるのです。


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本当の喜びとは「欲求」などなくなること

『本当の喜びとは「欲求」などなくなること』
そうではないですか?

意味がわからないでしょうか。
私たちは、最初なにかを追い求めていけば、輝かしい未来にたどり着くと信じて、目標に向けて努力しようと思います。

しかし、途中の目標が達成されると、もはや到達点は色褪せて見えてきているので、すぐに次の目標を設定し新しい欲求が生まれたと感じます。
到達点を味わったり、それで喜びに溢れているはずだった自分の姿は、もはや忘れ去られてしまのです。

こうして、このようながむしゃらに目標を追いかける生活が、積極的で勤勉で充実した生き方だと錯覚するようになってしまいました。
常に新しい刺激を求めるために、求めるときは刺激的だった目標は、すぐに陳腐なものに様変わりしてしまいます。

つねに、もっと刺激的なものはないかと、より過激で手応えのある欲求を、いつもそばにおいておかないと不安になってくるのです。
こうして、いつしか欲求があること自体が目的のようになってしまったのです。

ビジネスマン


しかし、欲求とは不足を感じることから発生するわけです。
言い換えれば、いつも欲求不満の生活が、私たちが本来欲しかったものでしょうか?

いつもお腹がすいて、常に食べ物を探し、より多くの、より美味しいものを求めるのが幸せなのでしょうか?
お腹いっぱいと感じて、満足できたら次の食べ物などしばらく忘れていられる。その満足を感じている時間を楽しむ。
この方が、幸せと言えるのではないですか。

いつも目標を追い求め、忙しくしていると充実しているように錯覚してしまいます。
戦っているときに、夢中でいつも以上の力を発揮できることはあるでしょう。
それを思い出して、いつもあの充実感がほしいと思う。
しかし、ずっと戦い続けるような生活では、いずれ心身とも破綻してしまいます。
いつも新しい目標がないと落ち着かない強迫観念は、自然になにかに夢中になることとは、似ているようでも違うのです。

ボール遊び


緊張と緩和、このバランスがあるかないかの違いがあるんです。
夢中で暴れまわった子どもは、終わったら疲れきって眠ってしまいます。
しかし、常に欲求が襲ってくるような生活では、寝る直前まで飽くことのない欲求が存在し続けるのです。

最初は、具体的な目的地がありました。
しかし、いつのまにか、欲求そのものが向かう先に変わってしまいました。

どこかで自分が望む行き先が、どこなのかを振り返らないと、ゴールのない迷路をさ迷い続けることになります。

しかし、常に目的に向かっていてこそ進歩があり、充実するのであって、途中でこの辺で一休みと言っているようなウサギは、亀に追い抜かれてしまうのだと思うのでしょうか。
こんなことをいいだす人間は、競争に負けて脱落した人間だと思うのでしょうか。

どこまで欲求を満たし続けても、欲求には限りがありません。
そんなことはわかっているのに、9まできたら10を目指さなければ嘘だと思ってしまう思考の罠が私たちを駆り立て続けるのです。

死ぬまで次の目標を追い求めていた人を、偉大だと感じるのでしょうか。
確かにそれも、ひとつの生き方ですが、しかし不足を感じるときと、満足するときのメリハリがない生き方はどこか偏りがあると思いませんか。

たまには、たとえば9まで完成したところで、それを放り出してしまいませんか。
そうすれば、どれだけ自分が目的に毒されてしまっているかが見えてきます。
そして、それと同時に途中で投げ出しても、それにもかかわらず世界は回っていくことも発見するでしょう、

あと一歩でやめてしまうことで、より効果的に自分が目的の奴隷ではないと宣言できます。
目標に支配され続けることへの決別宣言です。
目標などなくても、自分は好きなことをできいうのだという当たり前の感覚を取り戻すのです。
そのときの安らぎこそが、本物だと思えることを確認するのです。

喜ぶ子ども


「途中でやめたっていいんだ」
そう叫んだときの解放感で新しい自分の力を取り戻すのです。

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せいぜい10個の問題なんだ!(2)

自分の抱えている問題が自分の身だけに起こっていると思っていないだろうか。

しかし、人生の問題は大きくわけて10くらいしかない。
しかも、だれもがその10のうちのいずれかが
形を変えた問題を抱えているのだ。

だから、あなたの問題も
それほど特別なものではないのだ。

【引用】『今日が楽しくなる魔法の言葉』 67頁
著者: アーニー・J・ゼリンスキー
ダイヤモンド社 / 2003-09-20



『せいぜい10個の問題なんだ』

前回とは視点を変えて、「誰かが既に解決している」ということを考えてみましょう。

あなたが自分独自の解決法を探すこと。
これはこれで非常に大事なことだと思います。

しかし、もし行き詰まりを感じているのなら、他の解決済みの人を参考にすることです。

いまはあなたには見えにくくなっていることを、その人が使ってうまくいっているという可能性が高いからです。

何でも自分でやらないと気が済まないという人は、自分のできることの範囲を狭めてしまいます。

人の助けを求めるだけで、自分では思いもしなかった方向が見えてきて、あなたの世界が大きく広がることは想像している以上に起こるはずなのです。

あなたがブロック塀で囲って見えないようにしていた方向に、すてきな景色が見えていたことを思い出させてくれるのです。

自分の狭いプライドを守りたいからと、実は気になっている他の人のことを、「あんなのまやかしだ」と決めつけないことです。

「まやかし」かどうか、一度確かめて見るだけの度量を持ちましょう。

避けていた人たちは、あなたが素直に尋ねてくれれば、すごくいいことを教えてあげましょうと待ち構えています。

自分から、世界を狭めないこと。

必要ならこだわりを捨て、プライドは脇において、子どものように素直に聞いてみましょう。

モジモジ


「どうしてそんなにうまくいくのですか?」

「よく聞いてくれました。待っていたんですよ。」


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何かを所有することは、それによって所有されることになる

 ほとんど全ての女性は利用されていると感じる。そしてそれが彼女たちにとっての問題なのだ。しかし夫が興味を持つことをやめれば、彼女たちは利用されていることについてすっかり忘れ、恐れるようになる。そして彼女たちは夫が遠くへ離れて行くと考え始める。すると彼女たちは夫に対してもはやパワーがなくなる。彼女たちは夫を所有しない。そこで私はその婦人に言った。「ちょっとその事実を見てみなさい。もしあなたが夫を所有したいなら、あなたは夫に所有されなければならない。あなたが夫を所有したいのなら、そのときはあなたは彼に利用されなければならなくなる」所有欲の強いマインドは所有される。何かを所有することは、それによって所有されることになる。多くを所有すればするほど、それだけあなたは自分のまわりに隷属を作り出すことになる。自由はあなたが所有欲を捨て去るときにやってくる。あなたが所有欲を捨て去るとき、そのときあなたは誰に対してもいかなるパワーも求めていない。そうなれば嫉妬は起こらない。そしてあなたが相手を所有しようとしないとき、あなたは自分のまわりに美しさをかもし出し、相手はあなたを物として見ることができなくなる。あなたは人になったのだ。栄光にあふれ、活気に満ち、キラキラと輝き、あなたは自分自身を照らす光となる。誰もあなたを所有することはできない。誰であれあなたに近づく人は素晴らしい美しさを感じるだろう。そしてあなたの存在をものとして考えることはできなくなる。

 今では全ての女性が苦しんでいる。それというのもまず第一に所有したいからだ。所有したいと思うとき、所有される。所有されると、「私は利用されている」と感じる。もし利用されないと、その時はパワーが消えてなくなっていくと感じる。そういうわけで女性はいつも苦しみの中にいる。そして男性も同じことだ。


OSHO 講話 " ヒーリングは愛の機能 "
Healing is a Function of Love
Come Follow Me Vol.4より抜粋
http://www.osho-japan.com/vision/healing_fun.html




なにかに憧れてそれをほしいと思う。
手に入れたときの喜びは格別ですし、手に入れること自体は悪いことではないでしょう。

しかし、それをいとおしく思い、この喜びをいつまでも維持したいと思い出すと、今度はそれを失うことが怖くなってきます。

それが、その人が、いつでもそばにあることを前提にしてしまうから、もし急にそれを失ったらどうしようと考え出すと、所有する側のつもりが、だんだん対象に所有される側に変わっていくのです。

もし今この楽しみを与えてくれるものが、壊れたらどうしよう。
もしこの人が、いままで返してくれたものを返してくれなくなったらどうしよう。

「いまのままでいてね」という訴えは、「なにごとも変わらないままであることはできない」という事実を受け入れたくないと思わせてしまいます。

お母さんとこども

幼いうちは、お母さんを追いかけ回していた子どもは、ある日こちらの提案を受け入れなくなります。
前は、あんなに喜んだのにと思っても、子どもなりにそれを卒業してしまいます。
子どもは、やがて親の意見にも関わらず、自分の求めるものや判断を信じるようにならなければなりません。

それをいつまでも受け入れられない親は、自分の子どもに対する依存と向き合わなければいけなくなります。
いつまでも、自分の所有物にしておくわけにはいきません。

何かを所有して、それから逃れられなくなると、こんどは自分が所有されることになるのです。

手に入れるのは、かまわない。
それは、まだ現実との接点を失ってはいません。
しかし、自分以外のものに「いつまでも変わらないでいて」と思いだしたら、現実ではないものを求め出すことになるのです。

それは、もしかしたら、非常に低い確率でかなうかもしれないけれど、ほとんどはあなたに欲求不満をもたらす元凶になるのです。

あなたが変えられるのは自分自身だけ。
しかし、それをわかっていても、自分以外のものにあなたの望みのままでいてほしいと期待してしまう。

ちょっと振り返ってみれば、あなたを悩ましていることのほとんどが、この手の無理な要求に端を発しているのが見えてこないでしょうか。

自分以外のことは、コントロールできないことを受け入れるとき、あなたは気づかないうちに所有されてしまっていた関係から自由になります。

ひとつ手放せば、ひとつ悩みが消えていきます。
当たり前と思っている所有関係から、その束縛から自由になるのです。


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ネット時代の人間関係と「無常と無執着」

インターネットが普及して、今やあたり前のように思われてきている、ネットだけを通した人間関係というものがあります。
それは、本名も住んでいるところも、何をしている人かもよく知らないままという、かなり匿名のままの関係から、リアルの世界でもオフ会などでつながりが出来たり、一緒に仕事を始めた人がいたりとその範囲は広いでしょう。

しかし、ネットをある程度使っている人にはあたり前でも、そうでない人達にとっては、まだまだ見も知らぬ人と継続して会話を交わすことなど、思いもよらないことかもしれません。

実際、これがネットを通しての関係でなければ、とても不自然な関係に思えるでしょう。
道ですれ違った人に、平気で会話を交わすなど、人にもよりますが日本ではまだまだ躊躇してしまう関係なのです。

しかし、そんな匿名性の高い関係であっても、その「淡いつながり」ゆえに得られるメリットも有るように思います。
それは、ガチガチにお互いのことをなんでも知っている関係だと、それまでの関係性を無視して行動することは難しくなります。
無意識に、今まで見せてきた自分以外の行動を取らないようにしてしまいますし、せっかく築いた関係を、相手の知らない自分を知られたために壊してしまうことは避けなければと考えたりします。

ところが、ネットの淡い関係の場合、相手は自分の過去や素性を知りませんから、あまり気を使わずにリアルな世界では見せない自分を相手に見せることができたりもするのです。

モノクロ家族


ところで、淡い関係では思いもしないことですが、密接な人間関係になってくるほど、そこにお互いを所有したいという思いがだんだん生まれてきます。

夫婦関係、恋人関係、家族関係、密接であるほど、相手と自分の関係が恒常的に一定の密度を保ち続けることを期待するようになってくるわけです。

きのう頼んだら返してくれたことを、今日も同じように返してくれることを期待し、それが保証されることを望むようになります。
それは、仕事を終えて家に帰れば、家族が待っていると思って頑張れるというようないい面もあります。
しかし当然、その期待が裏切られると、相手を批判したくなってきます。

「なんてことを言い出すの。そんなことを考えるのはどうかしているからよ。冷静に考えてみれば、そんなことをしたら、とんでもないことになるのがわかるはず。自分を取り戻しなさい!」
こう言って、実は本当の自分を取り戻したくなっても、出来なくなるような抜け難い関係が出来上がってきたりもします。

お互いの符牒を合わせて成り立ってきた関係は、自分らしさを発揮したくなってその決まりを破れば、あらゆる理由をつけて引き戻そうとする力が働きます。
どうしても、そうしたいのなら縁を切っていく覚悟を要求されるのです。

それは人間関係だけでなく、自分が手に入れてきた所有物についても言えるわけで、一旦手に入れたものを無くしたくないとしがみつきたくなります。
いつまでも、壊れたり使えなくなったりしないで、自分のそばにあって欲しいと願うのです。

ですが、いつまでも変わらずに存在し続けるものなど何もありません。
この「わたし」もいつまで存在しているのか、誰も自分で知ることはできません。

こうした「無常」の存在、誰でも分かっていながら、そんなことはないかのようにふるまい、いつまでも同じように存在し続けることを前提に生きていきたいと願ってしまうのです。

ボールで遊ぶ子どもたち


「無常」を見ないようにする見方をやめてみれば、そして実在するのは「いまここ」に見ているものだけと認めてみるなら、どんなふうに今を過ごせばいいかは変わってきます。

そして、人間関係についても、手に入れた関係をもう離したくないとしがみつくのではなく、たとえきょう一日しか一緒にいない関係であっても、その出会いを大切にし最大限に活かそうという思いも生まれてきます。

相手の素性を知らなくても、そのときのやりとりがリアルで素晴らしければ、そこにある価値を評価し、喜ぶことができるわけです。

無常を受け入れるなら、先入観にとらわれることも、少なくなるでしょう。
そうでないと、先入観なしに付き合えば、素晴らしい関係が持てていたのに、相手の情報を知ったために「そんな人だったのか!もう付き合うのをやめよう!」と考えてしまうかもしれません。

逆の場合もあるでしょう。
向こうを歩いている人を「マナーが悪いやつだ」と思い、だんだん起源が悪くなってきたあなたも、相手の顔が見えて知っている人だったとわかった途端に、慌ててその考えを否定しようとするのです。

そんなことを考えてみると、密接な従来の人間関係と、淡い匿名性のある関係のいい面と悪い面が見えてきます。
どちらを取るかと言われれば、密接で相手を知っている人間関係なら信じられるが、淡い匿名性のある関係は、その場限りだから成り立つ関係で、いつでも捨てられと考えるのが普通でしょう。

しかし、公平に評価するなら、初めて出会った見知らぬ人だが、そこに生まれた本物を感じさせる関係がある場合と、既存のくたびれかけた「みせかけ」の多い関係を比べたとき、どちらが価値があるのかは簡単には決められないのではないかと思います。

むしろ、無常を受け入れるなら、執着のない関係こそがふさわしいことも認めなければなりません。
淡い関係だけど、お互いにいい関係が成り立っていたのに、相手を知るに連れて束縛を持ち込むべきではないでしょう。

また、何かをきっかけに自分の過去のこだわりが割り込んできて、いま目の前にはない否定材料を紛れ込ませるのも避けたいものです。
「おお、ロミオ、ロミオ!どうしてあなたはロミオなの?
 お父様と縁を切り、ロミオと言う名をおすてになって。」

無執着がもたらしてくれる人間関係は、ストレス無し、不要な制約もなしで付き合うことが出来ます。
たとえネットを経由しないでは遭うことがないままであろうと、リアルなつながりのある人よりも、密度の濃い関係が持てることもないとは言えません。

それは、ネット経由という制限が、不要な執着を作り出さないからかもしれません。
あえて、制約を保ったままにするなら、今までになかったような新しい関係性も生まれてくるでしょう。

Facebookの登場は、いままでの匿名性の高さを変えることになるでしょう。
実際、本名を名乗り、殆どの人が顔写真を後悔するFacebookが日本でも普及すれば、これもまた一味違った関係性を生み出すのかもしれません。

SNSを付き合いを生み出すきっかけとみてその後の展開まで期待するのか、ネット経由の関係そのものに価値を見出すかでも、その利用の仕方は変わってくるでしょう。

今までにない関係性は、何種類もの人間関係の形態を使い分けるという選択肢を生み出すかもしれません。


 だが、無関心になるその同じものが執着のなさにもなりうるし、そうなったら、それは全面的に異なった風味をもつことになる。無関心は無執着のようにも見えるが、そうではない。無関心とは、ただ興味がないということだ。無執着は、興味がないということではない――無執着は徹底した興味、途方もない興味だが、それでも執着しない能力を備えている。そこにある間は、その瞬間を楽しむがいい。そして、その瞬間が消えはじめたら、あらゆるものがかならず消えるのだから、それを去っていかせるがいい。それが無執着だ。

OSHO 講話 「男 と 女」
http://www.osho-japan.com/vision/man_woman.html



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雪の降る日に想ったこと

雪景色4


朝から雪が降り続いて、少し先の景色は雪でかすんでよく見えません。
この降り方だと1日じゅう降るのかな?

先がよく見えない風景は、未知の世界への恐怖を呼び起こします。
重苦しく、この状態が終わらない限り、どこにも行けず、何も出来ないよと言われているかのようです。

しかし、ふと気がつくと、雪はほとんどやんで晴れ間が見えてきました。
雪が降った直後の、太陽の光は、屋根に積もった雪を反射してキラキラ輝きます。
雪の白さが、いつもよりも景色を明るくしてくれます。

雪景色2


天候は、私の思いなどとは無関係に変化しました。
このまま雪が降り続くと勝手に思い込んだ、暗い雰囲気はあっという間に変化してしまいます。

ものごとが、どのように起きていくかをそのまま見ているつもりでいても、そこには自分の予測や希望や、あるいは不安などの心の状態がそのままを見ることを妨げます。
予測は、今日はずっと雪だと決めてしまいます。
雪がやんでしまうと、初めて自分が予測にとらわれていた事に気づきます。

もし、そのまま外を見ずに部屋に閉じこもっていたら、世界は私の予測のままに経過していると信じています。
私にとっては、世界はずっと雪が振り続けているのです。

私の世界には、私の予想通りの出来事や人々が暮らしています。
厄介な人ばかりいるのが世の中だと思っている人には、予想通り自分を怒らせる人ばかり近づいてきます。
いいことなど何も怒らないと嘆く人には、自分をがっかりさせる出来事ばかり目に入ります。

さらに、起きてくることに無関心になるかもしれません。
朝ちらっと外を眺め、今日は雪だ、外に出るのがやっかいだな。
たまたま、雪がやんだのに気づけば、そうか雪はやんだのか、用事を済ませないとな。

雪景色5


さらには、テレビをつけて気象情報をきいていれば、
そういえば大雪警報が解除されたと言っていたな。
だから、雪がやんでもそのとおりになっただけだ。

自然や天候は、さらに自分との利害関係でしかなくなってきます。
刻々変化する雪景色など、自分とは関係なくなるのです。

雪がどうとか、忙しくて気にしていられないよ、いろいろ忙しいんだよ。
なにしろ次の休みには、雪景色を観に行く旅行のプランを考えないといけないんだ!

雪景色を観に行って何をしようというんでしょう?
ようし、雪は見たぞ、帰ったら何をすればいいかをチェックしよう。


 緊張とは性急さ、恐れ、疑いだ。緊張とは自分を守ろうとする、安全でいようとする、安心していようとする絶えざる努力だ。緊張とは明日のために、あるいは来世のためにいま準備をすることだ――あなたは明日を恐れているので現実に直面することができず、だから準備をする。緊張とは、ほんとうに生きることなくその傍らを通り過ぎてしまった過去のことだ。そのわだかまりが残っていて、いまに持ち越されて、自分にまとわりついている。

 生についてとても基本的なことを覚えておくといい――生きなかった経験は自分にまとわりついて、いつまでもそこに残っている。「私を終わらせてくれ! 私を生きてくれ! 私を完了させてくれ!」と。どんな経験にも最後まで至ろうとする、完了しようとする傾向が必ず含まれている。いったん完了すると、それは消えうせてしまう。まだ終わっていないと、そこにとどまって、悩みの種となり、あとをつけまわし、あなたの注意を引こうとする。それは言う、「僕をどうしてくれるんだい? まだ完了していないんだよ――最後までやりとげてくれ!」

 すべての過去が宙ぶらりんの状態でまとわりついている――なぜなら、あなたは本気で生きていなかったし、いつも逃げてばかりいて、適当に、生ぬるく、部分的にしか生きてこなかったからだ。そこには強烈さや情熱がなかった。あなたは夢遊病者のように、まるで夢のなかのように振る舞っていた。だからその過去がまとわりついて、一方では未来が恐れをつくりだしている。そしてこの過去と未来があなたの現在を、唯一の現実を押しつぶしてしまう。

OSHO 講話 "トータル・リラクセーション" T o t a l  R e l a x a t i o n
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激しい感情に対処するには

怒りなどの激しい感情というのは、突然発生して自分の手に負えないと思うときがあります。
しかし、感情というものの本質を見極めていけば、いつまでも訳のわからない怪物のように怖がることも少なくなっていくでしょう。

感情についての誤解というか、大雑把すぎる考え方として、「感情は発散すれば消えてなくなるから、どんどん出していけばいい。」というものがあります。

この考え方は、時には正しく見えたりもしますが、全然当てはまらないように思えるときもあります。
それは、自然な感情と、自分で繰り返し作り出している感情を区別しないで、一緒に考えてしまうために起こる誤解ではないかと思われます。

例えば、誰かに怒りを感じたとします。
自然な発生の感情だけであれば、ひとしきり怒りの感情を表出してしまえばおさまってくるものです。

しかし、それがいつまでも続くのは、おさまりそうになると、またその怒りの原因や、相手のことを思い出して怒りを再び発生させるようなことを繰り返しているわけです。
たとえば「これだけでは怒りがおさまらない」というような言葉を漏らしているときは、そのようなことをやっているのではないでしょうか。

ですから、このような怒りの扱い方をしているならば、感情は発散させてしまえば消えてしまうという見解は成り立たなくなるのです。

一方、おさまってくれば、これで感情を終わりにしようと思えるようなときには、中途半端に押さえずに表現してしまえば完結してしまうということも成り立つわけです。

たとえば、幼い子供が危険な真似をしたら、思いっきりしかることがあるでしょう。そうしないと、子供は自分で危険を理解できないからです。
そのような場合には、たとえ激しい感情でしかりつけたとしても、役目が終わればもうこれくらいでいいだろう、終わりにしようと考えることが自然にできるでしょう。

叱られる1


このように、感情は自然におさまることを邪魔しなければ、やがて消えていくのが自然なように思えます。

海の波もいくら大きくても、打ち寄ることで消えてしまいます。
その1回分のエネルギーが消費されたからです。
そして、波は実体あったり、あとに形が残るようなものではありません。
海の水の一時的な形態にすぎないわけですし、どの水とどの水が波を作っていたと決められるようなものではないわけです。
瞬間瞬間で、変化する実体のないものが波と名付けられたものの本質なのです。

感情というのも、この波と同じように考えられます。
別に怒りの感情の素になる実体があるわけではなく、そのときの状況や自分の思考、情緒などがいろいろ絡まって、作り出された一時的な「空性」なのです。

そして、自分でその感情を繰り返して呼び起こすようなことをしなければ、エネルギーを放出して収まる波と同じように静かになるのが本来の姿だと言えます。

しかし、そうはいっても一気に襲ってくる感情の波は、巨大で強力で自分のコントロールなどしばらく効きそうにないと思うときもあります。

そのような経験をするために、感情とは制御などできないものと諦めている人や、感情に影響されるのも人間らしくていいじゃないかと考える人もいるでしょう。

ですが、激しい感情が、他者を傷つけたり、不満で自分に正常な判断を出来なくしてしまうことも多いわけで、やはりこの場合も単純に「感情」という言葉で一括りにしてしまうのは、荒っぽすぎる判断でしょう。

波


まず感情とは、先程のたとえのように波のようなものであって、一時的な症状であり、それが人を傷つけてしまうのは、その時の思考を深刻な苦悩にいたるまで維持し続けるためであると考えます。

また、一時的には制御できないまま怒りなどの状態に入ってしまうにしても、このような感情の本質を知っていくにつれて、いつまでも感情に流される必要もないことが分かってきます。

感情を否定も肯定もせずに、その感情が発生する前の段階の自分を取り戻せるなら、瞬間的には無理でも感情をこれ以上は必要ないというところで静かにしてしまうこともできるようになってくるでしょう。

波は、そのエネルギーを消費してしまえば収まります。
感情も、自然に発生したエネルギーを消費してしまえば、そこで終わるはずのものであって、それがいつまでも続くのは、その後の自分の思考(つまりエゴの働き)が原因であると考えられるでしょう。

それから、感情は無理やり抑えつけてしまっても、エネルギーが逃げないまま心の奥にとどまってしまうでしょう。
上で述べた意味での感情を制御するとは、抑えつけるのではなく、むしろ自然な発生と終了を妨げずに完了させるということです。
無理やり感情を抑えつけたのでは、例えば怒りを押さえてしまうことで、他の喜びや楽しい感情までも抑えつけてしまうといったことが起こります。
なぜならこのやり方は、どんな感情にしろ鈍感になることで、表現されてしまうのを抑えようとするからです。
つまり、どんな感情も不完全にしか表現しなくなるという、感情の鈍麻を起こしてしまうのです。

もし、あなたの親が怒鳴り散らす人だったとしたら、あなたもまた、そのような感情表現を自分の中に取り込んでいる可能性が高いわけです。
自分は、親と違ってそんなことはしないと思っていても、気がつくとそのような状態になっている自分に気づくことになります。
その場合は、それを否定しようという悪あがきはやめて、自分にはそのような感情の出し方があることを認めてしまうことです。

その起源がなんであれ、その感情表現はもはや自分の一部です。
それを否定するのは、自分自身を否定することにつながります。

認めるのを拒むのではなく、素直に認めて、その上で自分で制御しようと考えればいいのです。
それが始まった瞬間は、自分で気づけなかったり、しばらくは自分のコントロールできない時間があるかもしれません。
しかし、それでも自分の感情をありのままに観察し、苦悩を産み出してしまうようなエゴの思考に結びつけてしまわないように気をつけていけば、徐々に激しい感情であっても自分でコントロールすることができるようになってきます。
そのような感情の本質についての理解を深めて、自分で感情に責任を持とうと決意すれば、それは少しずつでも訓練次第でどんどん自分でコントロール可能なものになってくるでしょう。

そして、発生から消滅までが自然な流れで完結するよう、余計な思考をそこに入りこませないようにすることです。
また嫌な感情を繰り返し呼び起こすような思考習慣がないかどうか、ふだんから注意しておくことです。
嫌な感情を繰り返すのは、エゴの言い分に自分が従ってしまうからです。

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自分が苦しい時こそ他者への思いやり

感情的、肉体的な苦しみをコントロールする方法の一つとして、自分以外の人に対しての思いやりに注意を向けてみるということがあります。

自分の苦しみというのは、そんなに1日で回復できるようなものではない場合が多いでしょう。

その状態で、自分の苦しみにばかり目を向けているのは、痛みを思い出し続けるようなところがあるわけですが、そんなときこそ、他の人への関心を深めたり、手助けしてあげられることはないかと考えてみるのです。


話は少し変わりますが、私はここ半月くらいの間、自分の側ではどうにも出来ない被害をある人から受けています。
内容は申しませんが、自分がどうであろうと、他の人の行動は自分にはどうにも出来ないということを思い知らされます。
「その人はこう変わるべきだ」と唱えてみるのはいいのですが、それを言い続けてもその人が変わるかどうかはわかりません。

孤独1


よく悪いことが起きると、「それはどこかに自分の責任が関係しているはずです」ということをいう人がいます。

しかし、そう言われれば、確かに何かありそうだと思うのは、人間の心理からすればあたり前のことなのです。
完璧に自分に責任がないかと問われれば、何かしら後ろめたいことが出てくるのが普通では無いでしょうか。

しかし、ものごとは、残念ながら自分がどれだけ完璧に行動していても、被害をうけることはあります。
まさに交通事故のようなものです。
「交通事故に遭いやすい人は?である」みたいなことが調査されたりしますが、傾向があったり、何かしら自分の責任が関係している場合もあれば、まったく関係なく起きることもあるというのは、区別して考えるべきです。

たしかに、「それはどこかに自分の責任が関係しているはずです」という見解は、単純に正しいとも間違いとも言えません。完全に証明することは出来ないことだからです。

ですが、そこで「自分の責任を振り返ってみろ」と言われると、自分を否定する方向に傾いてしまう人も多いはずです。
自分に責任がないとわかっているのなら、そんな脅しには乗らずに、自分を信頼することを放棄してはならないと思います。

これを書いている時、たまたまネットでつながりがある方が、ネットストーカーの被害にあっていたということを書かれていました。
これなども、一方的な嫌がらせ(あるいは企み)の典型ではないかと思います。
匿名性の招く悪い面が現れた例です。

何も対抗できない被害というのはくやしいもの、頑張っていればいるほど、その被害は大きく感じるでしょう。
身体的な不調を引き起こすほどの影響もあるでしょう。
しかし、そんなときこそ、被害を自分で大きくしないよう、他のことに眼を向けるのがいいのかもしれません。

こんなふうに文章を書いているのも、他の人に関心を向けるのと同じことでしょうが、自分の問題をただ気にしているのと違って、その問題も一般的なものに見えてきます。

医師の説明と老人


さて、横道にそれましたが、本題に戻りたいと思います。

自分の苦しみを軽減するための方法として、、他の人に感心を向けたり、手助けをしてみるということを考えてみましょう。

「自分以外の人も、自分と同じかあるいはもっとひどい苦しみにあえいでいる。どうすればその人は苦しみから解放されるだろう?」ということを考えてみるのです。

まわりの生きるものすべてと自分を結びつけることによって、そのなかの独りとしての自分を認識すれば、自分の苦しみだけが不当に過酷なものとは感じなくなります。

「なんで、よりによって自分がこんな目に遭うのか!」と嘆き続けたり、嫌な気分を続けなくても良くなる効果があるのです。

「そうは言っても、私はこんなひどい状態なんですよ!わかって言っているの?!」
と言いたくなるかもしれません。

また、他の人の面倒なんか見ていたら、余計に自分の負担が増えるだけと思うかもしれませんが、実際にやってみれば、他の人に向けたエネルギーの分だけ自分の苦しみは軽減されるのが感じられるでしょう。

そんな状態の時だからこそ、他の人に関心を向けてみるのです。

自分のことに夢中になり、まわりに関心を向ける余裕がなくなると、余計に自分の苦しみは大きく感じられ、傷つきやすい状態や、混乱、不安、無力感が強くなってしまうのです。

それに、自分の問題だと勇気が出ないことも、他の人の問題を扱うとなれば、普段できないような力を発揮できたというような経験はないでしょう?

自分のことだけに関わっていれば、いつしか無力感にとらわれてしまうかもしれませんが、他者へのかかわりは、その無力感を勇気に変えてくれます。

ひとりよがりになりがちな状態を、まわりの人たちの一員としての自分であるという認識が、自分の苦しさに塞ぎがちだった心を解放する方向に向けてくれるのです。

もはや自分の問題もそれほど大きなものには見えなくなってくるでしょう。


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全面的、永続的な否定



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全面的、永続的な否定

レビュー:いやな気分を粉砕する(論理療法2)


記事を振り返りながら、全面的、永続的な否定ということを改めて考えてみました。

例えば、仕事で失敗してしまったとしましょう。

問題なのは、その失敗が、自分の能力が全面的にダメであることの象徴であると考えてしまうことです。

あるいは、たまたまうまくいかなかっただけなのに、「いつも」自分は失敗してしまうというように、事実をねじ曲げて解釈してしまうことです。

記事にあるように、親の否定の仕方に問題があったのかもしれませんが、最終的に受け入れるかどうかは自分の決断次第です。
それほど簡単ではないですが、それを認めなければ自律が難しくなります。

仕事の話に戻りますが、そもそも自分がその仕事を始めた頃どうだったか、を思い出してみることも有効かもしれません。

うつむく


だれもが、最初からうまくは出来ません。
失敗を重ねながら、いまの自分の能力を築いてきたのだということを思い出してみるのです。

失敗の確率は少なくなったとはいえ、0%などありえない。
充分起こりうる失敗なのです。

その事実を歪めてしまって、100%うまくいく自分を創り上げてしまうから、ちょっとした失敗までもが重大な失敗に感じて、大きなダメージを受けてしまいます。

その原因は、完璧主義であったり、完璧にできないと「人から受け入れてもらえない」というおそれだったりするのです。

じつは、今言ったことなど充分自分でも分かっていることなのですが、悲観的な気分と一緒に記憶を再現してしまうと、客観的な判断をする自分が出番を失ってしまうのです。

また、今まですべて完璧にこなしてきたという思いが強い人は、永続的にその完璧さを続けなければいけないという強迫観念があります。

失敗の経験が少ないほど、挫折の経験が少ないほど、その失敗は巨大なものに映ってしまいます。
さらには、反転して永続的に失敗し続けるのではないかという事実無根の不安に悩まされてしまうのです。

パソコン・メンタル


これに関しては、早めに失敗しておこうくらいの柔軟さ(いい加減さ)があるといいのです。
あるいは、失敗の積み重ねで今の自分が出来上がっていることを、思い出してみることです。

このような失敗で自分を責めては余計に事態を悪くしてしまいます。
それから、他の誰かを責めるのも同様に問題があるのです。

ただ、自分が今回は失敗したという事実を、いいわけも飾りも付けずに受け入れるところから始めるのが、唯一最良のその後の行動をもたらしてくれるでしょう。

それから、失敗を恐れるあまり、「最初から失敗するようないい加減なやり方」を取ったり、「本気で取り組んでないから失敗しても仕方がない」などといったトリックを使う人がいますが、これはもっと入り組んだ罪悪感を積み重ねてしまいます。

失敗は失敗です。
それ以上でも、それ以下でもありません。

それを、とんでもなく大きく扱ったり、無理やり過小評価したりしないで、あるがままの大きさで直視するのがベストなやり方ではないでしょうか。


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探偵になってみよう ?悲観傾向と立ち向かう子供向けプログラム

悲観的な考え方に陥りやすい人は、自分の悲観的な考えや思いに対して、それが本当なのかを確かめたり変えたりする能力を封印してしまっていると言えます。
悲観的な思いが最初に浮かんでくると、それをよく確かめないまま鵜呑みにしてしまうのです。

だれでも客観的に問題を調べる気になれば、悲観傾向をくい止めることができるはずなのです。
しかし悲観傾向の強い人は、そうは思わず、最初に思い浮かんだ考え方が、唯一の真実であるかのように無条件に思ってしまいがちです。

実は、私たちははっきり意識していなくても、一日中いろんな思考を思い浮かべて自分につぶやきかけているのです。

そして、それらの考えの中には、不安や悲しみを引き起こしたり、怒りを感じさせたりするものもあります。
それらを無意識に起こるままにしていれば、自分が悲観的な方向に引きずられてしまっていることに気づけないままでいる可能性があるわけです。

機嫌の悪い女の子


このようなつぶやきは自分で捕まえることもできるし、それに反論することさえできるのだ、とわかってくれば新しい対処の仕方を身につけることができます。

他人から指摘されたことであれば反論したり、否定したりするのは誰にとってもやり易いく、子どもにもそのような能力はあります。

問題は、自分自身が自分を非難している時なのです。
このような場合でも、事実を検討しなおして、その非難が正しいかどうかを判断出来ればいいのですが、これが難しいのです。
多くの場合、それが妥当な指摘かどうかなど判断しないまま、思い浮かんだ途端にその指摘が客観的な事実であるかのように思ってしまうのです。

これに対処するには、自分自身に対するつぶやきを早い段階で捕まえて、自動的にそれを事実だと思い込まないように訓練する必要があります。

このようなつぶやきを捉え、自分を振り返ることを子どもにも理解できるように作られたプログラムがあります(以前もこのブログで紹介した心のワクチンというプログラムです)。

では、そのプログラムの中から紹介しておきましょう。
自分の非難感情を捉えて、それらを正確に判断できる「探偵」になりなさいと教えるプログラムです。

物語形式になっていますが、長文になるので、あらすじとポイントになる部分の抜粋にさせていただきます。

尾行する探偵


10歳の女の子が主人公です。
女の子は、あたらしい赤い自転車を買ってもらったばかりです。
そのピカピカの赤い自転車で学校まで行き、自転車置き場に自転車を止めておいたのですが、授業が終わってもどってきたときには、なんとその自転車が無くなっていたのです。

意気消沈する女の子のところに2人の探偵、ヘムロック・ジョーンズとシャーロック・ホームズが時間を置いて登場します。

ヘムロック・ジョーンズ
「犯人は、ダニーだ。なに、その名前が最初に思い浮かんだのがその理由だ。ダニーに間違いない。」

シャーロック・ホームズ
「ヘムロック・ジョーンズは間違っている。本物の探偵は、最初に頭に思い浮かんだ人間を犯人だと言ったりしないものだ。」
「良い探偵は判断を下す前に、証拠を集め、正しい判断ができるように調査するものだ。」

調査に出かけた探偵ホームズは、やがて正しい犯人を見つけて報告しに現れます。
その調査の過程も説明してくれました。
理由を示しながら、ひとりずつ犯人の候補を消去していきます。
そして、真の犯人にたどり着いた過程と、その理由も説明してくれたのです。

それからベティを調べてみようと思った。証拠を探してみると、いくつか手がかりが見つかった。まず、自転車置き場で、リボンが見つかったのだが、そのリボンにBというイニシャルが書いてあった。それでベティの家に行ってみると、母親が、ベティは学校からごほうびにもらった、新品のピカピカ光る赤い自転車に乗っているといった。...


子供たちは、このプログラムによって、2人の探偵を紹介され、それらの探偵が自分の中にもいるのだということを理解するのです。

すぐに悲観的な判断に陥ってしまう自分は、ヘムロック・ジョーンズのように最初に思い浮かんだことを信じてしまう間抜けな探偵のやることなんだ。

そして、事実を調べた上で冷静な判断のできる本物のシャーロック・ホームズも自分の中にはいるのだとわかってくるというわけです。

それほど目新しいことがあるわけではないのですが、このプログラムが有効であることは、その実績で証明されているようです。
その効果は、プログラムを使った時だけにとどまらず、その後も効果が続き、徐々に効果は高まっていくという結果が出ているそうです。

【参考文献】
『つよい子を育てるこころのワクチン―メゲない、キレない、ウツにならないABC思考法』

著者: マーティン・セリグマン リサ・ジェイコックス カレン・レイビック ジェーン・ギラム
Martin E.P. Seligman Lisa Jaycox Karen Reivich Jane Gillham [訳]枝廣 淳子
ダイヤモンド社 / 2003-09



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不満とは捨てられない正しさ

不満を抱いたままにしていると、人間関係がだんだんぎすぎすしてくることにもなりかねません。
一緒にいる時間が苦痛になるほど、不満を溜め込まないようにしたいものですが、大抵の人は自分の不満を相手に伝えるのを躊躇します。

それを相手に伝えてしまうと、せっかくの関係が壊れてしまわないかと心配なのです。
このくらいなら自分が我慢しておけば、ゴタゴタを起こさなくてすむからと思って、心の奥にしまい込もうとします。

ですが、しまい込まれた不満は消え去ることはありません。
実は消え去らないのは、それを表に出して完結してしまわないからということもありますが、同時に不満の原因を何度も自分で思い起こしているからです。

思い出す度にその不満の感情は息を吹き返すことになるのです。

メンタル


なぜ何度も思い出してしまうかと言えば、不満とは「あなたの正しさ」を証明したいという思いだからです。
あなたの考えのほうが、相手よりも正しいことを明らかにしたいけれど、それを相手は分かっていないようだから何とかしたいと思うのです。

問題は、そのような場合私たちは、自分のほうが正しいという前提で行動しようとしてしまう点にあります。
自分の正しさを証明しようと思うあまり、公平な判断ではなく、どうやって自分の正しさを示せるかにしか関心が向けられなくなってしまうのです。

それは、そのうち不満という感情としてだけ認識されるため、自分でもなんで不機嫌になってしまうのか分からなくなっていきます。
このような、正体の明らかでない感情を溜め込むと、相手との関係はどんどん重苦しい物になってしまうのです。

悩む2人


ですから、まずはその不満の元になっているのは、「自分の正しさを証明したい」という思いにあることを認めることです。
そうすれば、その「正しさ」とはどんなもので、本当に妥当なのだろうかという公平な判断をする余裕が出てきます。
正体の分からない不満感に乗っ取られているあなたではなく、具体的な要求を持っているあなたを客観的に評価する自分に切り替えることが出来ます。

もしかしたら、あなたの「正しさ」は、それほど根拠のあるものではなかったことが判明するかもしれません。
その場合、不満自体が労せずして消えていってくれるでしょう。
思っているよりも、実体を明らかにするだけで解決してしまう場合は多いものです。

もちろん、それでもあなたの方が正しいという考えは変わらないかもしれません。
その場合でも、今度はあなたは自分の求めていたことをはっきりと認識して行動できるわけです。
相手に何を求めていたのかをはっきり分かっていますから、むやみに不満をぶつけるのではなく、相手に自分のどのような考えを伝えたいのかにそって行動できるようになります。

自分が「僕のほうが正しい。お兄ちゃんのほうが悪い!」と駄々を捏ねている子どものようになっていないか確かめてみるといいでしょう。

またもう一つ大事な点は、不満が自分の正しさへのこだわりから来るとわかれば、それが相手に起因するものではないことにも気がつくのです。

「相手が悪いから自分が被害をうけている」という相手しだいで影響を受けてしまう、どうにもならない感情から、自分で充分コントロールできる余地がある、自分の側の要求の問題へと姿を変えることができるのです。

まわりの人や環境、もしかすると天候などにも自分の気分を左右させられてしまう自分から、自分でどう受け取るかを決められる自律的な人間に自分を変えていきましょう。

偶然に左右される生き方から、出来る限り自由に自分の行動を管理できる自律的な人間を目指しましょう。
「不安な何が起きるかわからない世界に生きている」という世界観を、「自分が作り上げる世界に生きのだ」という世界観へと転換するのです。

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あなたの選択を反映するまわりの人間関係

考える子ども1


こんなふうに考えたことがあるでしょうか?

「あなたのまわりの人の行動は、あなたの選択を反映しているのです。」

人間関係において、あなたの行動や感情はあなた自身が選び出しているものです。
それは思考や意識としては、気がつかないまま行っている場合も多いのですが、しかしそれに責任をもつのはあなたしかいません。
あなたの思考が、あなたのまわりにある人間関係のシナリオを作り出しているのです。

問題は、ほとんどの場合、自分でもその思考に全く気がついていないということにあります。
その思考過程は、ほとんど自動的で、とても一つ一つをチェックして選択しているようなものではないのです。

それは、ちょうど身体で覚えた動作を無意識に行っているのと同じように、気がつかないまま思考を働かしているのです。

しかし、この考えを受け入れて信じるなら、あなたは自分の思考や行動の全てに責任があるという事実を受け入れなければなりません。
それは、多くの場合、自分の過去の行動や出来事について、自分を責めたり罪悪感を感じることにもなってしまいます。

ですが、あなたやまわりの人は、そうした行動を取ることが、その時点でベストのことだと考えて行っていることですから、誰を責めるというものではありません。
そこでもたらされた結果は、それに関係した人たちがすべて同意したからもたらされたものです。
誰かひとりでも違う考えを持ったとしたら、結果は異なったものになっていたでしょう。

結果に対して、自分の責任で起きたことだからと自分を責めたり、あるいは誰か他の人を責めようとすることも、それもまた「自分の選択」の一つなのです。

あるいは、誰かが間違った選択をしようとしているのに気がついたとしたら、それもあなたの選択が反映されたものだと言えるでしょう。
あなた自身にそのような考えがなければ、そもそも見えてこないことだからです。
ですから、そのような場合には、あなたとその人にとって、どちらにもいい方向に向かうような選択をとればいいわけです。

あいさつ出会い


ではこのような考え方をすることでどんなメリットがあり、どのように自分の選択する力を行使していけばいいのでしょうか。

まず、自分の選択によって人間関係を作り出しているのだという認識を持つことで、自分の行動に責任をもつことが出来ます。
自分にできる範囲の選択は、自分の責任において行うべきであるとはっきり認めることで、あとから結果を他の人や出来事のせいにしなくなります。

それは、より主体的な自分で選択する力を生み出します。
やったことに対して、自分が主体的に行ったという満足感、充実感を感じることができます。

さらには、いままでほとんど無意識に行なっていた自分の選択を、あらかじめわかるようになってきます。

「いま自分がやろうとしていることは、相手に何を期待していたり、あるいは何を避けようとしているのだろう?」
「なにか過去の仕返しをしようとしているのだろうか? それはどんなことに対するものだろう?」

このような質問を投げかけることで、より自分の選択をはっきりさせ、夢のなかで生きているような曖昧さをなくすことが出来ます。

自分の選択を意識することで、それにともなって起きてくる感情や思考が見つかるでしょう。
その時の感情や観念をもう一度見なおしてみることで、よりよい選択肢が見えるようにもなるでしょう。

このように、自分の選択に責任をとれば取るほど、自分の人生が流されるままのものではなくなっていきます。

より主体的な選択を取れるようになるし、自分のまわりに集まってくる人たちが、なぜいまのようになっているのかがわかってくるので、より自分の望む関係を選んだり切り捨てたりすることもできるようになります。

これらの思考を、はっきり意識できようとできまいと、その選択をとってしまう事実に変わりありません。
ならば、より自分で意識して選びとったほうがいいと思いませんか?

また、それと直面することを避けて、わからない振りをするのも人間性というものですが、見ないふりをして行う選択がよりいいものになることはあまり無いでしょう。

それよりも、なぜ自分がそれを見ないようにしたがるのかを突き止めることで、新しい発見とより主体的な自分が見えてきて、最終的にはもっといいものをもたらしてくれるのは明らかです。

なんども書いているように、自分で変えられないことは、そのまま受け入れるしかありませんが、自分で選択できることはできるだけ主体的に行うのが、より充実した自分を生きている感覚をもたらしてくれるに違いないのです。


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老荘思想のコラム連載(12)

『COCORiLA (ココリラ) ?癒しのポータルサイト?』様にて老荘思想のコラムを連載中です。

【今月のコラム】

「現代社会と老荘思想(12)」 [2011/01/09]

現代社会と老荘思想(12) [2011/01/09]



「冬の川を渡るがごとく」

老子道徳経の第15章にこのような表現がでてきます。

老子は、この章でタオを充分に修めた人の振る舞い方について書いています。
そのあり方は、とても説明できるようなものではないがと断って、あえて表現するとこんな風な人なのだいいます。

危険に満ちた冬の川を渡る人のように慎重であり、
いつも周囲を警戒しているかのように用心深くあり、
よその家を尋ねた客の様に落ち着いて威厳があり、
しかし人と交わる時は解けてゆく氷のように素直であり、
その素朴さは切り出したばかりの荒木のようであり、
寛容で広い心は深い谷を思わせ、
しかし濁った水の様に曖昧で捉えどころがない。


凍てつく川


タオ(道)は自然も人間も含めた大きな流れです。
そこは、人間だけの思惑が通用する世界ではないのです。
人間も自然の一部としてその役割をはたすべき存在であり、時には自然が人間の思惑など吹き飛ばしてしまうこともあります。
それはそれで、タオの働きとしてその中にとどまるしかないのです。

西洋的な人間観や哲学は、人間は自然を開拓し、征服するものという見方があるようですが、そうではなく人間などその自然の一部でしかないのだからと考えるのです。
それをわきまえるなら、そこにある「おそれ」とは、人間が相手の「恐れ」ではなく、大きなものに対する「畏怖」の念を抱くといった感じなのではないでしょうか。

タオに従うことで人間も救われると信じて、人間中心の考え方ではなく、部分としての役割を果たしながら自然と調和していく。
人間などにはタオの全容は理解出来ないから、人間が自然を征服するなどといった発想は出てこないし、おそれを忘れないで自然と接していくことになるのです。

人間との関係においてだけ、おそれを知らない存在になろうなどと、そんな狭い範囲の考えは持ちません。
人間の考えたことなど、タオの働きの中ではちっぽけな働きに過ぎないと思うから、自然に対する謙虚で注意深い接し方も生まれてくるのです。

それは、タオ全体に対する謙虚さであり、いったん人間を相手に接するとなれば、「人と交わる時は解けてゆく氷のように素直」な人でもあるのです。

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以下のサイトで連載しています

癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)

【今までの連載記事】

「現代社会と老荘思想(1)」 [2010/02/15]
「現代社会と老荘思想(2)」 [2010/03/06]
「現代社会と老荘思想(3)」 [2010/04/10]
「現代社会と老荘思想(4)」 [2010/05/02]
「現代社会と老荘思想(5)」 [2010/06/06]
「現代社会と老荘思想(6)」 [2010/07/11]
「現代社会と老荘思想(7)」 [2010/08/14]
「現代社会と老荘思想(8)」 [2010/09/05]
「現代社会と老荘思想(9)」 [2010/10/09]
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自己批判というもの

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私たちは、まわりの人から批判されることを恐れています。
怖いのは他人からの批判であって、自分自身による批判のことなど考える必要はないかのように思いがちです。

しかし、現実に自分を傷つけるのは自己批判なのです。
いくらまわりの人から批判されようと、自分自身が批判を受け入れない人は傷つくことはありません。

またそれとは逆に、まわりの人は別に何も批判していないのに、自分が批判されているに違いないと感じる人もいます。
その人を批判しているのは、自己批判そのものなのです。

自己批判とは、批判が先にあると言うよりも、自分自身に価値があることを認められないことが先にあるのです。

自分のことが好きで、自分の存在に価値があることを実感できる人にとっては、他の人が自分を好いているか嫌っているかは、大した問題ではなくなります。

当然まわりからの批判なども、自分の信じる価値と対等に、客観的に比較できますから、それを恐れる必要などありません。
またそれよりも、他人から認められるかどうかが、自分の幸福を左右する度合いが低いので、批判されることを恐れる必要もないのです。

批判が必要だと思えば、それが他人だろうと、自分自身だろうと平等に判断することができるでしょう。

怒っているお父さん2        怒っているお母さん


一方で、他人からの評価が、自分自身への信頼や好き嫌いにすぐに結びついてしまう人たちは、批判を恐れるとともに、何もなくても自己批判を作り出してしまいます。
また、そのようなタイプの人たちは、同じように自分を批判したがる人たちとつながりを持ちやすいのです。

他の人を批判したり、嫌いであるのなら、その人やグループから遠ざかっていれば事は済みます。
しかし、批判の対象が自分自身である場合は、どこへの逃げるところがありません。

そのような場合、人は自己批判や他人の批判を適度に発散できる相手を探し求めます。

例えば、自己批判から、今の自分に向き合いたくないと思う人は、飲酒によってそれをごまかそうとするかもしれません。
酔っていれば、批判していてもそれがもたらす結果に寛容になれると思うからです。

そして、ひとりで飲んでいても物足りなさを感じれば、同じように飲酒で憂さ晴らしをしようとしている人たちのいる酒場にでかけます。
そこでは、自分の同士がいます。
実際にお互いをよく知らなくても、自己批判や他者批判をやりたがっているもの同士であることを、敏感に嗅ぎわけます。

最初は、共通の批判相手を槍玉にあげて、話が盛り上がります。
そのうち、決まったように自己批判が始まります。

「じつは、自分もそんな偉そうなことを言える人間ではないのだ」という話が始まります。
自分から、自己をおとしめることで相手の反応を伺います。
相手も同じような悩みを抱えているとわかると安心するのです。

こうして、自分ひとりではいたたまれない自己否定も、ひとときは受け入れられたような気になって過ごすことが出来ます。
もっとも、あとで何も事態は改善していないことに直面させられて、また嫌な気分に戻ってしまうわけですが。

不幸自慢や、病気自慢といったものも同じような背景から来るものなのでしょう。

根本的な改善を望むなら、自分自身への信頼を取り戻さなければなりません。
自分自身を好きになって、自分には価値があることを、他人を仲介せずに認められるようになればいいのです。

拍手


それには、批判をやめることです。
ちょっとしたことでも、批判することをできるだけ採用しないようにするのです。
それは、他人の批判でも、自分への批判でも同じことです。

よく、自分を他人からの批判から守るために、自分から先手を打って相手をたたこうとする人がいます。
しかし、いくら相手を打ちのめしたつもりになっても、相手がどう感じるかはその人次第です。
あなたがいくら正しいと感じていても、相手がどのように反応するかはあなたには決められないし、そのような権利もありません。

また、このような行動は、相手が特定されない批判を作り出しているのと同じです。
「とにかく誰かが悪い」のだから、自分がこんな嫌な気分になっているのだと言っているのです。

こうした批判を仕掛ける行為は、いずれ自分への批判となって返ってきます。
相手を痛烈に痛めつけるのがうまくなればなるほど、別の機会に自分を批判するときに、そのきつい批判を自分に向けることになっていくのです。

批判にしろ賞賛にしろ、誰が相手かはあまり関係ありません。

「いまのままの自分をどう扱うかが、そこに現れているのです。」笑顔OK女性


批判したくなるのは、今のままでは受け入れられないと言っているわけです。
それでは駄目だ、そんな人間は罰せられないといけないと言っているのです。
だから、当然自分を破壊するような行動を取るようになります。
だから、他人からの批判を無条件に信じやすくなるのです。

逆に、いまのままの自分を信頼し、好きだと感じられるなら、自分も他人も大切にするような行動を取るのが当たり前になります。
必要のない批判など、あえて作り出す必要を感じたりしないのです。
他人に対しても、あなた自身に対してもです。

ありのままの自分を受け入れて欲しいと思うなら、まずは自分自身で自分を受け入れなければなりません。
あれもこれも問題ばかりの自分かもしれませんが、そのままの自分でも受け入れられる価値があると、他人の言葉を借りずに認めることです。

他人がまず認めてくれるのを待つのは、順序が逆です。
それではいつまで待っても期待するときは来ないでしょう。

あなた自身がまず認めなければ、だれも認めてくれる人は現れません。
あなた自身が自分を受け入れている様子を感じたとき、他の人もそんなあなたを評価してくれるのです。

そして、それでこそ他人に依存しないで自分への信頼を持ち続けることができるのです。


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問題があるとき答えも同時に存在している

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考える若者


「問題があるとき答えも同時に存在している」という考え方を聞かれたことがあるでしょうか。

つまり答えは問題とセットでやってくるので、答えを見つけるのに時間を費やす必要はないというのです。

これは、私たちが普通考えるのとはずいぶん違った発想ですね。

私たちが普通に思い浮かべるのは、どこかから(外から)問題が突然起きてきて、それに対する答えを見つけだし、解決しなければならないというものです。

では、なぜ問題と答えは一緒に発生してくるというのでしょうか?

それは、答えが存在するから問題も存在するのだということなのです。
答えを受け入れるためには、問題を解かなければならないと言い換えてもいいでしょう。

最初に答えが存在します。
それは、私たちが欲しいと思うこと、願望から来るものなのでしょう。
しかし、それを手に入れたり、受け入れたりするためには、多かれ少なかれ抵抗があるのです。
その抵抗が問題という形で現れてくるのです。

抵抗がなければ、そのまますぐに答えを受け入れることが出来ます。
しかし、抵抗が今の自分にとって簡単に受け入れられないものであるとき、それを外的な問題が存在するためだと考えるのです。

ですから、実は抵抗は内面的なものなのです。

私たちは、問題を分析するというやり方で問題に取り組んでいるつもりになっていますが、それは解答をすぐに受け入れることへの抵抗なのです。

答えを受け入れる勇気さえあれば、すぐにでも答えは目の前に明らかになります。
それは直感やひらめきという形で現れるかもしれません。

しかし、答えを受け入れる準備が自分にできていないとき、私たちはそこに問題が存在してすぐには手に入らないと思ってしまうのです。

問題を解決しなければいけないと思っている時、自分がどのような事を思い浮かべるかを、ゆっくり確認してみましょう。

それらは、ひとつひとつが答えに対する抵抗を表していないでしょうか。
自分が抵抗しているのです、答えをすんなり受け入れることに対して。
ひととおり抵抗が出尽くしたら、今度は「本当の答え」を知り、受け入れたいと思ってみましょう。

問題とは、どれもあなた個人にとってユニークなものなのです。
あなたと関係なく、どこかから湧いて出てくるわけではないのです。
あなたの願望があるから、それに対する抵抗が問題というかたちで姿を現してくるのです。

それに取り組んで、抵抗する自分を受け入れる過程こそが、あなたの可能性を広げてくれるのです。

このように考えると、どこか知らないところから問題が振って湧いてくると考えるよりも、主体的に問題に取り組むことが出来ます。

ひらめいた男性


そして、答えは、実は最初から自分の中にあるのです。
それを受け入れる自分の準備が整ったとき、答えがひらめきとして現れてきます。

それまでは、問題を分析して抵抗を受け入れようとしない自分と付き合わなくてはなりません。
答えから遠ざけるいろいろな思いが、そこにはあるからです。
その出来ないという思いは、もっともらしい客観的な事実のように思えます。
ですが、答えが見つかるかどうかは、ひとえに、あなたがそれを受け入れるかどうかにかかっているのです。

答えを受け入れる用意ができたら、抵抗として存在していた色々な思いはすっきりと整理されて消え去っていきます。

問題は外にあるのではありません。
すべてあなたという人に特有の問題なのです。
そして、その答えもそこにセットで存在するのです。


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手に入らないときはトータルで考えてみる

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欲しがっているものが手に入らないとき、私たちは余計に「何がなんでも」それを手に入れたくなったりします。

不思議なもので、手に入れるのが困難だと思うと、本来の価値以上に、かってに価値を高めてしまうものです。
手に入りにくいものは、それだけ貴重だから価値があるとでも思ってしまうのでしょうか。

そして、さらには「いますぐ」欲しいという思いがそれに加わると、無理をしてもそれを手に入れようとして、結果的にバランスを崩してしまうのです。

こんな時は、トータルでバランスを見なおしてみることです。

いますぐに手に入らないなら、いまはまだその時でないのだ、無理をしても余計に手に入りにくくなると考えてみるのです。
その時が来たら、嘘のように楽に手に入るのだと考えてみましょう。

実際そのようなことは、結構あるものです。

何がなんでも、いますぐ欲しいと思って、さんざん無理をして手に入れる。
しかし、いったん手に入ってしまうと、実はそれほど欲しいものでもなかったことが分かってきます。

いくらも経たないうちに、見向きもしなくなってしまうことだってあるのです。

手を出す猿

それは手に入らないという抵抗が大きかったために惑わされて、本来の必要性を冷静に見ることができなくなっていたからです。

実は、いますぐ手に入れないといけないものなど、そうそうあるものではないのです。

なかなか手に入れにくいとか、あるいはいまを逃すと手に入らなくなるかもしれないという錯覚が私たちを惑わしてしまうだけなのです。



荘子の中に、【朝三暮四】(ちょうさんぼし)という言葉の語源である話が出てきます。

飼っている猿にトチの実を与えていたのですが、朝に三つ、暮れに四つやると言うと猿はそれでは少ないと言って怒りだし、納得しなかった。
そこで、「それならこうしよう。朝に四つ、暮れに三つやる」と言うと、猿たちはそれを聞いてたいそう喜んだという話です。

バンザイする猿

トータルで考えれば、どちらも七個手に入っているのに、それが見えてこないのです。

目先の違いに惑わされて、実際は同じであるのに気がつかないことを表現する言葉として使われますね。

そうです、いますぐに欲しがるのは、朝三暮四では嫌だと言っている猿と同じことなのです。

「いますぐ欲しい」という猿の智恵から脱出すれば、もっと人生を豊かに暮らすこともできるのです。

手に入らないものにいつまでも執着しないで、あっさり忘れてしまえば、その時間を他のことに使うことが出来ます。

しかも、「手に入る、入らない」を気にしてやきもきして無駄なエネルギーを費やすこともなくなります。
手に入ろうが入るまいが、どちらでもいいと思っていれば、もっと現実的なことに注意を向けることができるようになるのです。

そして、トータルバランスで考えるなら、時期が来たなら、それは「労せずして手に入る」という確率が高くなるのです。

このちょっとした駆け引きを、自分の中の猿たちに使ってみましょう。

こんな小さな切り替えですが、積み重なると馬鹿になりません。

無駄なエネルギーを使わなくてよくなり、きっと生活にもっと余裕が出てくるでしょう。


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ロバの話

ろばに乗る人


ここに極めて考えさせられる「ロバの話」があります。

まずは、その話を紹介しましょう。

古代中国のあるところで、村人達が役人から皇帝のための寺院を建てるように命令を受けました。役人は、もし指定の期日までに寺院が完成すれば、村人達に多くの報酬を支払うことを約束しました。

寺院を建てる場所に選ばれたところには井戸があったので、村人達は寺院を建て始める前に井戸を埋めなくてはなりませんでした。村人達はロバに土や泥を運ばせました。

ある日、事故が起こりました。ロバが井戸に近づき過ぎて足を滑らせ、井戸に落ちてしまったのです。村人達はロバを引っ張り上げようとしましたが、うまくいきませんでした。何度も試みた後、村人達はロバを助けるために時間を取りすぎていることに気づきました。

寺院完成の期日を考え、村人達はロバを犠牲にすることに決めました。村人達はロバを生き埋めにするしか方法はないと思い、井戸に土や泥を入れはじめました。

ロバは村人達が何をしようとしているかに気づき、悲しげに鳴き始めました。村人達はロバの悲痛な鳴き声を聞きながらもそれを無視しました。ロバは彼らの得る報酬に比べるとそれほど価値がなかったので、土を入れ続けたのです。

しばらくすると、ロバの悲しげな鳴き声がやみました。村人達は何が起こったのか、ロバはもう死んでしまったのか、それともただ単にあきらめたのか、一体どうしたのかと不思議に思いました。

気になって井戸を覗いてみると、驚いた光景を目にしました。ロバは元気に生きています。土や泥が降りかかってくると、ロバは体を揺すって振り払い、足元で土が固くなるまで踏みつけるのです。踏みつけることによりしっかりした足場ができ、ロバは少しずつ上に上がってくるのです。

ついには、ロバは井戸のなかから飛び出るのに十分な高さまであがってきました。ロバは力強いひと蹴りで井戸から飛び出しました。村人達は驚きのまなざしでロバが頭を高く上げて走り去るのを見ました。

タオの生き方 ロバ  デリック・リン
http://www.taoism.net/japanese/


さて、この話を読んで、あなたがロバの立場だったらどう思うかを正直に考えてみてください。

すぐに「どう考えるべきか」を探ろうとしないで、「実際自分ならどうなってしまうだろうか?」と思いをめぐらしてみてください。
こんなふうに考えるだろうといったら、人は何と思うだろうと心配したりしないで自由に考えてみてください。

それを正確に知ることが、いまのあなたの陥りやすい心理の罠を明らかにしてくれるはずです。

1.「嘆きとパニック」
なんで私がこんな目にあわなければいけないんだ!
村人は私に土を運ばせておきながら、自分たちの都合が悪くなると簡単に私を見捨ててしまった。
こんなひどい仕打ちが許されていいものだろうか!
もし脱出できたら、必ず復讐してやる!

まるで「誰が悪いのか」「何が悪いのか」を追求すれば、事態が良くなるかのように思わずにはいられません。
こんな目に合わせた人間は「許せない」と思うことで今の悲惨な状況から目を逸らしたくなります。

しかし、この段階にとどまれば、何も解決しないことに気がついてください。

2.「何かが間違っている」
こんな目に遭うなんて、何かの間違いだ。
私の人生に、こんなことが起きていいはずはない。
「夢でもみているんだろう、すぐに間違いだったと分かるだろう。」とでも言いたげに、現状を認めることが出来ません。

人生は計画を立てて、そのとおりに運ぶもの、願ったことはかならずかなうもの、それが出来ないのはやり方がまずいからだ。
そう考える人には、計算外の事態は何かの間違いだとしか信じられません。

しかし、「自分が考えた」計算通りに運ぶのは、たまたまでしかないことを忘れてはなりません。
いままでも、そのとおりになってきたと信じているのは、ものごとをあとづけで考えているからです。
あとから、思ったとおりに運んだのだと説明しているだけです。
ものごとは、かならずしもあなたの考えたとおりに動いていくわけではありません。
そもそも、そうでなければ、他の人の相反する願いも同時にかなうはずでしょう。

ロバ


3.「現実を受け入れる」
ロバは、現実を嘆いたり、事態が超現実的に変化することを願ったりするのを諦めました。
そして、何が起きているかを正直に認めることを始めました。

落ちてくる土を、「自分を埋めようとするもの」とだけ思うのをやめて、体を揺すって振り払ってしまえばいいのだと思いました。
それを足場になるように踏みつければ、埋められてしまうことはないことに気づきました。
そして、少しずつ足場を固めていけば、出口が近づいてくることに気がついたのです。

今の自分ができることは、土を避けることと、足場を固めることです。
土を落としてくるのは、自分ではなく人間ですから、それがいつまで続くか自分にはコントロールできません。
自分にできないことは気にしないことにしました。
そのようにものごとが進んでいるのですから、それに従うことだけを考えればいいのです。
事態がどのように変化するのかは、自分にはわからなくても、出口が近づいてくることを、今出来ることをやるだけです。

実は、自分の人生がどのように運んでいくのかは、誰にもわかりません。
しかし、私たちは(2)の考え方にしがみついていれば、人生が予測可能であるかのように振る舞っていられることを覚え、自分をごまかすようになるのです。

この結果、私たちは「夢に生きる」ことを「現実に生きる」ことよりもリアルであるかのように錯覚してしまうのです。
ですが、このような予測不可能な現実が起きると、(2)のような信念はいかにもろいものかが露呈してしまうでしょう。

しかし、予測不可能であることは、かならずしも悲観的であることと同じではありません。

科学や論理は、でたらめに見える現実を予測可能なものにしようと、努力してきました。
そして、ある範囲では予測が可能である多くの法則を発見し、それを役に立つものにしてきたのです。
それは喜んで恩恵に預かればいいのです。

しかし、その恩恵をすべてに適用しようと焦らないことです。
もともとは、予測できないことばかりだったし、これからも予測できないことは、常に存在し続けることを思い出して、それを受け入れることです。

変化しないものはないことを受け入れること、これが「無常」ということです。
「無情」ではありませんよ。

実は「無常」を認めないことが、私たちに様々な苦しみを作り出していることを振り返ってみることです。
腹を立てたり、悲しんだりしていることを調べてみれば、それが「現実が昨日と同じでいてくれないこと」によって起きていることを発見するでしょう。

いいかえれば、「無常」を認め、予測できないことを怖がるのをやめれば、より現実的な人生との付き合い方が見えてくるのです。

ロバのように、役に立たない考えを切り捨てて、現実を認めるとき、起きていることは何も悲観するようなことではないことが分かってきます。

悲観とは、単に現実ではないことを願うことにほかなりません。

現実的でない願いを捨てれば、直ちに悲観は消え去ります。



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明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。

年末年始、荒れ気味の天候のところが多いようですね。

2011年もよろしくお願いします。

日の出 卯


ウサギ1



さて、年が明けて、今年は何を頑張ろうかと考えておられるかもしれませんが、

今年はひとつ視点を変えて、何を求めないかを考えてみませんか。

人生に何を求めないかを決めることは、
人生に何を求めるかを決めることと
同じくらい大切である。

自分の幸せにつながらないことは、
今日からもうやらないと決めよう。

おかしなことだが、人はやらなくてもいいことを
ついついやってしまうものなのだ。


今日が楽しくなる魔法の言葉』 アーニー・J・ゼリンスキー
ダイヤモンド社 / 2003-09-20




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