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一方的に攻撃してくる人に対応するには(モラハラ)#2解決編

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一方的に攻撃してくる人に対応するには(モラハラ・パワハラ)|心の悩み・健康|ココナラ



相手を傷つけてでも自分の正しさを守らないと、自分が崩壊すると恐れる攻撃者と、普段から非難されたり平和な関係が壊れる事を恐れている被害者とは、大変不幸ながら絶好の相性をお互いに持っているのです。

では、このような理不尽な関係に巻き込まれそうなとき、どう対処すればいいのか、まずは理不尽な攻撃を続けてくる人はどのように行動し、また何がそのようにさせているのかをもう一度考えてみましょう。

・一方的に決めつける。
有無を言わさず「君は考えが甘い」「やる気がない」「向上心に欠ける」などといった決めつける言葉を使います。
また、その断定のしかたは、改善の余地などないというむべもないもので、相手の人格を否定してしまうのです。

怒る上司


・当面の問題と直接関係ないことで否定してくる。
反対意見を示したりすると「未熟な人間がそんな偉そうな意見を言うんじゃない」とばかり、内容など考慮しないで否定してきます。相手が罪悪感を感じてそれ以上反論できないように封じ込めてしまうのです。

・どんなに被害を受けたかを必要以上に強調する。
「私だけが迷惑しているんじゃないんだよ。君のやったことでみんながそれをカバーしないといけなくなっているんだから。」「とんでもないことをしてくれたねえ」

・指示することが統一していない
「きちんと状況を報告しなさい」と言っていながら、詳細な報告をすると、「こんなに忙しい時に、細かいことをぎっしり書かれても困るんだよ。簡潔な報告の仕方を覚えなさい!」といった感じで、言われた方はどっちに転んでも否定されるような立場に追い込まれます。

このようなのやり方を並べて見ていけば、そこにある動機が見えてこないでしょうか。

・自分を正当化することが何より大切。そのためには手段を選ばない。
・相手の感情に配慮したり、共感する気はない。それで自分の立場が悪くなっては困るから。
・否定している相手が全面的に悪いのであって、自分に落ち度はないとまわりの人にも見せようとしている。
時には横にいた人間に「君もそう思うだろ!」といって強制的に同意させたりする。

そして、このような非情な態度を取るということは、他人の事を配慮したり共感するような余裕が全くないことを示しているのです。
人がそのような切羽詰った行動を取るのは、何かに追い込まれているからに他ならないでしょう。

それは、「誰かを攻撃していないと、自分がやられてしまう。そうなれば、自分の価値がないことがばれてしまう。」というおそれからきているのです。
そのために、力で押さえてしまうしかないと思い込んでいますから、逆に自分より力の強い人間を相手にするときはイエスマンであったりするのです。

結果の非難


ですから、もし自分が攻撃を受ける立場にたったなら、自分の今までの経験で通用してきた考えを捨てないといけないでしょう。

正当な意見を言えばいつかわかってもらえると思っても、相手の関心は自分の立場を正当化することですから、それが自分に役に立たない限り客観的な正しさは正しさではないのです。

これだけ謝ったのだから、そろそろわかってもらえるだろうという期待も裏切られます。
あなたへの配慮をする余裕はない人だと思っておかないといけません。
そして、このようなタイプが手を緩めたと思って安心しないこと、それは一時的なことでまた同じような攻撃が再開するのです(先程の動機を考えればそうなるはずなんです)。

ポイントになるのは、相手は自分が恐れていることを排除するためには、どんな手段でも取ってくる可能性があり、そこを刺激すれば大変な反撃を受けることになるという点です。
それは理不尽なやり方だから、指摘して明らかにしないといけないとか、相手に間違いを認めさせないといけないといった考えも当然浮かんでくるでしょう。
しかし、それが出来るためには、それだけの準備とエネルギーが必要であり、いまの自分にそこまでやれる余裕があるのかどうかを考える必要があるのです。

さて、相手のことに見当を付けていても、自分の側の心理傾向も知っておかないと適切な対応はできず、今までのように相手に巻き込まれてしまうことにもなりかねません。

それには、自分の思い込みの癖や、陥りがちな感情の状態などを知っておくのがいいでしょう。

人はだれでも理性で考えて同じような思考を使うなどといいことはありません。
むしろ、一人ひとりが独自の思考のくせや、思い込みを抱えているものです。

そして、今回のような場面での対処に関して言えば、一番問題になるのは、人間関係で波風をたてることを恐れて自分を出さないようにする傾向や、いい人でありたいと願う傾向のある人なのです。

それは自分の意見は押さえてでも相手にあわせようとするタイプ。
自分は相手に合わせて柔軟な対応ができる人間だと見せたがるタイプ。
自分を前面に押し出して意見をいうのが苦手なので、いつも人の後ろから観察しているタイプ。
無条件に自分を受け入れられなくて、常に何か人の役に立つことをやり続けないといけないと強迫的になっているタイプなどが挙げられるでしょう。
共通しているのは、主体が自分でなく他人にあることです。

このような人の優しさは、皮肉にも先ほどの攻撃的なタイプからすれば、反論ができない人間と映って絶好の餌食になってしまいます。
そして、攻撃を受けて自分の弱い面が出てしまうと、客観的に自分や状況を見ることができなくなるので、やはり自分は人から受け入れられない人間だと思ったり、価値がない人間だと思って落ち込んでしまうのです。

しかし、ここで自分の弱点を知っていて、すぐにいつもの思い込みから反応しないようにすれば、状況を客観的に眺める余裕が出てきます。
最初は自分に落ち度があったのでこのような責めを受けているのだと思うわけですが、相手の執拗な攻撃を冷静に見ることが出来れば、何もここまで非難されるいわれはないのではないかと考え直すこともできるでしょう。
そして、いつもの癖ですぐに自分が悪いのだと思ってしまう傾向を思い出して、自分の取るべき責任はどこまでであるのかを冷静に見分けることができるようになります。

また、先程の相手の攻撃の仕方について知っていれば、自分がいつも使っている人間関係の対処方法では通用しないのだという点も考慮することができるのです。

さて、これだけの予備知識を揃えたら、今度は実際に攻撃者と向きあう場合の注意点です。
何事もそうですが、頭で分かっていてもいざその場になると、準備していたことなどすぐに当てが外れて、いつものパターンに入り込んでしまうということもあるわけです。

虫眼鏡のサラリーマン


そこで、実際に相手を目の前にして注意したいこと。

1.自動的な反応(いつものパターン)がすぐに働いてしまうのに、まず気をつけること。

この自動的な反応には2つの面があります。
1つはいつもおちいりがちな思考です。

攻撃を受けて動揺する。思考も冷静でなくなる。「どうしよう、なんとかしなければ」とあせる。
それがいつもの「ダメな自分」を呼び起こすような感情の状態を作り始める。
結局、準備していたような冷静な判断力はどこかに行ってしまって、残念ながらいつもの落ち込んでしまうような「やっぱり自分にはできなかった」「いつもこうなる運命なんだ」といった思考に落ち着いてしまうのです。

もうひとつは、身体的な反応です。
「緊張する場面で頭が真白になってしまった」という表現で代表されるように、攻撃されるというような緊張場面では、体の反応にも変化が現れます
動悸や急速な呼吸、冷や汗、頭が真っ白とか、頭に血がのぼって考えられなくなるとかいった反応です。

これを避けるのはやはり、一番難しい点になるでしょう。
頭でわかったからといっていきなり対処できるようにはなりません。

そこで必要なのは、このブログでいろんなところで書いているように、普段から自分の思考や感情のパターンについてよく知っておくことです。

そして、今回のような極端な場面ではなく、ちょっとした緊張状態で自分が冷静に対応できるような練習をしておくことです。
いつもなら、相手の意見にしたがって自分を出さない人なら、1つでもいいから自分の主張を実際に口にしてみる。
そこで自分の感情や身体状態にどんな変化が起こり、どんな考えが渦巻くことになるのかを経験しておくのです。
そのような小さな変化でも、自分でコントロールができたというのが自信になり、その積み重ねが自分を変えることにつながっていきます。

2.相手の表情や動作をそれとなく観察する。

叱られている人間というのは、なんとなくうつむいてしまうものかもしれませんが、相手をできるだけ観るようにすることです。
しっかり自分のほうを見られていれば、相手もめったやたらに好き放題にはなりにくいものです。

またそれよりも、相手を観察することで変化に気がつくことができます。
カーとなって怒鳴っている人の相手をした場面を思い起こしてみてください。
ひとしきり怒鳴って興奮が収まると、表情が変わってくるのに気がつかないでしょうか。

はっきりこちらを見据えていた目も、しだいに焦点がぼんやりと外れてきたり、視線をそらすようになったり、どこか自分が後ろめたい感じになったことが見えてきます。
たまたま、近くにいた人間を仲間にひきずり込んだりするのも、このようなタイミングからあとになります。
また、その段階に入ると、最初の発端になった内容はどこかに行ってしまい、言ってることは批判のための批判に変わってきているです。

ですから、そうなってしまえば、もうそれ以上真剣に聞くことはありません。
自分を守るために、馬の耳に念仏をキメこんで聞き流してしまいましょう。
このように「どうせ聞いても仕方が無いことなんだから」と言い切れるようになれば、自分を取り戻して相手に巻き込まれることも少なくなります。

そして、先程の相手に関する知識、「相手も怖がっている存在」ということを思い出すのです。
ここまで来ると、だんだん相手もこちらが見透かしているんではないかと、無意識に感じ始めて、居心地が悪くなってきます。

3.相手と自分は対等であることを忘れないこと。

さらに根本的な考え方ではありますが、社会的な関係を抜きにすれば、相手と自分は対等であるということをしっかり認識することです。
「それができないのが、自分の弱点なんだよ」と言って尻込みしないことです。
極端に言えば、首になってもいいという気があれば、だれがこんな相手に頭をさげるかと思うわけでしょう?
それをさせないで、じっと耐えているのは利害関係が絡んでいるからであって、本質的には自分が奴隷になる必要などないことを決して忘れてはいけません。

しかし、だからといって軽率な行動をとったりしないで、自分のいまの状況を考慮して必要ならば形だけの謝罪を見せておけばいいのです。
相手もどうせ、批判のための批判をやっているんですから、少なくとも後の惰性で叱られているときはそれでいいのです。

よくテレビドラマなどで、主人公が自分の信念を貫くために、悪役をやり込め、かたきをとって、最後の場面で自分はかっこ良く会社を去っていくというパターンがありますね。

ですが、現実には自分も生活がかかっているわけですから、トータルに考えて、いまこの相手に対して自分がそこまで犠牲になるだけの価値があるのかどうかを冷静に考えましょう。
一時的にカッとなって、取り返しが付かないことをしてしまっては、かえって相手の罠にはまってしまうことになりかねません。

それから、相手にしているのは普通のパターンで当てはまる人ではないのですから、こちらもそれなりに対抗していけばいいのです。
あくまで人間として対等であることを揺るがせにしなければ、それは相手にも伝わります。

この相手は、いい加減に扱うと後で厄介かもしれないと無意識に感じさせるのです。
表面では謝罪しておきながらも、自分を売り渡す気はないことを無言で相手に伝えるのです。
相手は、それを感じ取りますが意識はしません。

相手をするたびにジャブのように、そのような姿勢を相手に与えておけば、そのうち相手は攻撃しながらも無意識にやりにくさを感じ始めるのです。
おそらく、そのような経過で攻撃がやりにくいと感じて徐々に遠ざけていくというのが、このような関係ではベストな解決になるでしょう。

なにしろ、相手は自分を守るためには手段を選ばないのですから、表立って何かをやればどんな反撃を受けるかわからないのです。
相手が気づかないうちに躊躇するようになってしまうような人間に自分がなっていくのです。

以上説明してきましたが、ここで取り上げたような極端な例に実際に出会うかどうかはわかりません。
しかし、その場合でも、自分の側の弱点を知っておくことは重要なことであり、いろんな面で役に立つことだと思います。
普段から、小さな実験をして、自分の反応を知っておくことです。
自分のことは自分でわかっていると思っていても、知らない自分はいつまでも見つかり続けるものだと思います。
見つけた自分は今まで表に出られなくて、邪険に扱っていた自分かもしれません。
そんな自分を取り戻せば、それだけ自分の幅も広がるというものです。


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私たちは、感情的になって誰かを非難したり、攻撃的になってしまうことがありますが、通常は一気に感情的になったとしても、ひとしきり相手を攻撃してしまえば、どんどん冷静さを取り戻して手をゆるめるようになるものです。
そして最後には、すこしやり過ぎたかな、などと反省ができるくらいになってくるのが普通なのではないでしょうか。

父親と娘1          父親と娘2


しかし、中にはこのようなパターンでは把握できないような攻撃の仕方を取る人もいます。
このような人は、絶対的に自分が正しく、相手は非難を受けるべき間違った人間である、という姿勢を終始くずしません。

普通ならば、ひとしきり非難が続いたら、そろそろ手を緩めて許してくれるかと思いきや、延々と説教が続き何時間にも及ぶこともあります。
ですから、自分の知っている行動パターンで推し量ろうとしても、そんなものは通用しないわけですから、それに巻き込まれてしまったら、対処法を知らない人はかなりの精神的なダメージを受けてしまいます。

自分では、少しは非があったかもしれないけれど、それほど非難される覚えはないと思って相手に向かうわけですが、そのうちにそのような客観的な判断は破壊され、やはり自分は非難されるような人間だったのだと思い込まされるような事態に陥るのです。

会社組織などでこのようなタイプの人が上司にいたりすると、その攻撃対象になった人はたまったものではないのですが、最近はこのような関係をモラハラ(モラル・ハラスメント)と呼んで問題にすることも多いようです。

上司に叱っれる1


このような相手を徹底的に攻撃してしまう傾向がある人は、自己愛が強い傾向があり、相手に共感するということが殆どありません。
ですから、先程のように。もうそろそろ許してくれたり、妥協点を見つけてくれるだろうなどと期待しても、それは見事に裏切られてしまいます。

このような攻撃者の基本的な特徴としては、自分は優れた人間で常に自分が正しいと考えていて、相手を見下す態度を取るということ。
相手を理解しようという気はなく、相手が傷つこうが攻撃の手を緩めることはないこと。
いつも横柄な態度をとり、相手は自分の考えに同意するのが当然だと思っていることなどが挙げられるでしょう。

しかし、このような攻撃性の裏にあるものは不安感です。
その不安とは、弱みを見せたら自分はダメな人間だと分かってしまい、誰からも相手にされなくなってしまうという思いです。

普段からこの不安が沸き上がってくるのを抑えるために、ひたすら周りの人間を攻撃して、自分が正しく、相手が間違っているということを証明し続けていないといけないのです。
自分が上位にある人間で、常に横柄にふるまい、弱い相手を攻撃して反抗できないようにしてしまうことでその関係を維持しようとします。

ですが、そこには不安を抱えているという大きな弱点が潜んでいます。

ですから、いつものように自分がボスで、黙って怯えながら言うことを聞く人間を従えているという関係を崩されると、力づくでもそれを阻止し、反抗できないようにするために、あらゆる手を使おうとします。

ですが、そのように横柄に振る舞いながらも、自分の落ち度がばれて、だれかから非難が自分に向けられるようなことは非常に恐れているわけです。

やり過ぎたと思っても、その場では決して日を認めるようなことはしませんが、見えないところでそれを取り繕うような態度を見せて埋め合わせをするといったこともあります。
しかし、それで攻撃の手がやんだと安心してしまうと、すぐまた次の攻撃の嵐が襲ってくるので、攻撃される側はまた傷つくことになるのです。

辛そう


また、このような攻撃者の標的になるタイプは、実は同じように人から認められないのではないかという恐れをいだいている人たちである場合が多いのです。

そのような対象になりやすい人は、自分への評価に不安を抱く傾向が強く、他人が同意してくれない事を怖がっています。
そのため、すぐに相手の意見を受け入れて自分を合わせようとしたり、自分の意見を抑えこんでしまうという態度をとりがちな人たちで、やはりいつも不安に怯えています。

攻撃者自身も、無条件に自分が認められる人間だと確信できないでいるため、まわりの人間の評価が自分の価値を決めてしまうわけで、悪い評価を受けることを極端に恐れています。
ですから、他の人間に自分と同じ匂いを感じ取ることにも敏感で、見つけたらそこを攻撃してやろうと標的にしてしまうのです。

しかし、標的にされる側は、自分への評価に自信がなく他人の評価を気にする点は同じですが、モラハラの攻撃者のように相手に共感しないとか、相手を傷つけても平気な人ではないのが普通です。

ですから、不幸なことに、なおさら攻撃者にとって絶好の標的になってしまうのです。

相手を傷つけてでも自分の正しさを守らないと、自分が崩壊すると恐れる攻撃者と、普段から非難されたり平和な関係が壊れる事を恐れている被害者とは、大変不幸ながら絶好の相性をお互いに持っているのです。

では、このような理不尽な関係に巻き込まれそうなとき、どう対処すればいいのでしょう。
今回は長くなりましたので、次回その対策について考えたいと思います。


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どこに行こうがそこにあるもの

わかっていながらすぐに忘れてしまう事実というものがあります。
それは、「あなたはどこに行こうが、そこには自分がついてまわる」ということです。

環境が変われば、幸せになれるとおもうのは、それを忘れているからです。

引越しすれば、新しい職場に変われば、学校が変われば、新しい世界がそこにあると思うのです。

しかし、新しい場所に移っても、すぐにそこも今までと変わらない世界に戻ってしまいます。
つまり、相変わらずそこに居続ける自分がいるからです。

小さいころのほうが、環境の変化で自分を変えられる度合いは大きいかもしれません。
しかし、大人になるにつれ、新しい環境などまたたく間に自分の慣れ親しんだ環境に作り替えてしまうのです。

「せっかく新しい居場所に変わったのに、ここも他と変わらないね!」
変わらないのは、自分自身でしかないことを忘れてしまいます。

引越し


そこで、今度は私たちは、まわりの世界を変えるためには「自分自身が変わらなければならないのだ!」と思いつきます。

しかし、そこで変わろうと思ったあなたは「自分にはなれない人になろう」と思いはじめます。

目標を持つのはいいのですが、自分以外のものになろうとしても不幸になるばかりなのです。

なれないものにはいつまで待ってもなれませんから、自分を変えようという試みは失敗し、再びまわりの世界が変わることを期待するという、スタート時点に逆戻りしてしまうのです。

自己改善を願う人の多くが、このような2つの方向を行ったり来たりすることに終始しています。

実は、何かをやろうとするから、行ったり来たりすることになるのです。
その努力が、やらなくてもいいことを、せっせと繰り返すようにあなたを駆り立てます。

努力することは、それの解決にはならないことを知らなければなりません。

努力しないとは、さきほどの2つの方向を、どちらも放棄するということです。
つまり、何かに行き着こうと期待して動かないということです。

よくも悪くも、好きでも嫌いでも、そんな自分と運命共同体であることを認めてしまうのです。
どこかに行き着くことを期待したり、何かになれることの保証を求めないということです。

しかし、私たちは何かに向けて動かないと不安になるのです。
動かないでいることが、積極的な選択であるとは信じられないために、すぐに2つのうちのどちらかに向けて「努力」を始めてしまいます。

それはうまくいかないのです。
なぜなら、その「努力」とは保証を求める行動だからです。
保証を欲しがるのは、いまのままが不安で怖いからなんです。

何かをしていれば、少なくとも今よりいい方向に変わるだろうと思い、誰かがなにかを保証すると聞きつけると、すぐにそれを求めてさまよい続けるのです。

政治家2


これは、いまの世の中に住んでいれば仕方のないことなのかもしれません。
なぜなら、社会は保証を提供する側と、それを探し求める側で成り立っているからです。

政治家は、暮らしを良くすることを保証することで票をくださいといいます。
企業は、「この商品を買えばこんないいことを保証します」と訴えることで、商品を売り込むのです。

こうして、より良い保証を訴えるものが求められことになり、保証のないものは淘汰されることになって行きます。

もはや、何も保証しない商品など買わないし、何も保証しない政治家には投票しないことが当たり前になってしまいます。
それはいつの間にか、あらゆることに保証を求めることにひろがっていくのです。

かくして、私たちは、より良い保障を求めてさまよい続けることが、生きることそのものだと信じるようになっていきます。

ですが、保証を求めるという恐れから来る行動は、いつまでたっても安心をもたらしてはくれません。
それは、先程のどこに移り住もうと同じことというのと同じなのです。
いつも保証を期待して恐れから逃げようとしても、つねに別の恐れの原因が登場して来るのです。

植物との共生


そもそも「保証」を期待することが、「生きる」こととは相容れないことなのかもしれません。

私たちの身体は、ほとんどの細胞が、常に新陳代謝を繰り返して新しい身体に変わり続けています。
そんな中で、自分はこのままで生き続けると言って、同じ細胞が居座り続けようとすれば、たちまち病気になってしまうでしょう。

このように、つねに新しく生まれ変わり続けることが生きるということです。
ところが「保証」というのは、この変化を拒みます。
保証しますという対象は、変わらないでいるから保証なのです。

ですが、いつまでも変化しない保証などどこにもないのです。
それをもとめることは、そもそも生きることに逆行しているのです。

「保証」などどこにもないと諦めて、いまのあるがままを受け入れることを選べば、何も問題は存在しなくなると気づけばいいのです。

「どこへ越しても住みにくい」ことにいいかげん気がついて、新しいおもちゃを探し求めるのをやめれば、「期待すること=新しい恐れを作り出す」という図式を断ち切ることができます。

そもそも最初からないものである「保証」を求めるのをやめて手放すことです。
どうせこんな「わたし」でしかない、されどもこれこそが本当の「わたし」であると受け入れたとき、ないものを探し続けるという悪循環が断ち切られるのです。

「そうしたら、それでどうなるの?」と聞いてはいけません。
そう聞きたくなっても、耳をかさないことです。
それに答えようとすれば、また元の木阿弥になってしまうからです。

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敵が存在する理由

私たちは、敵が存在すると思うと、せっせとその敵の問題を掘り起こしたり非難することで、余計に敵の存在を確固たるものにしてしまいがちです。
何もいま、敵が攻めてきているわけではないのに、相手は敵であると決めてしまいたかのようです。

しかしここでいままでの「敵」という言葉の引き起こす感情を静かにさせて、敵がなんのために存在するのかをもう一度考えなおしてみてください。

対立


「敵が存在することで、あなたが隠してしまっている意識の一部を、もう一度取り戻すきっかけとして利用出来る」という考え方を聞いてどう思うでしょう。

あなたが敵を作り出している時、そこにはあなたの独自の感じ方がその裏に隠れているはずです。
他の人がそれほどなんとも思っていないのに、あなただけがその人を敵だと感じるなら、それは誰もが思うことではないものをあなたが抱えているからです。

それは長い間埋もれてしまっていたために、あなた自身意識出来ていないかもしれません。
しかし、そこからあなたは何かのエネルギーを引き出そうとしています。
敵を創りだすことは、肯定的ではないにしてもエネルギーを作り出します。

それも他のことよりも、強いエネルギーを生み出すことが多いのです。

ですから、そこにはあなたが解放させるのを待っている、強い感情を創りだす原因が埋もれたままになっているのです。

実は、敵に向けて感じる強いエネルギーとは、深い部分ではあなた自身に対して向けられているエネルギーを反映しているのです。

すねる小学生


それは、どんな起源を持っているのでしょうか。

あなたは、その人のどんな性質に対して戦おうとしているのでしょう。
その人に対して見ている、敵だと見えるその性質は、あなた自身のものとして当てはめてみたら、どんなふうに感じますか?

あなた自身が、そのようにふるまっていたことはありませんか?

あなたは、いまは敵対するその人の行動をみると、嫌悪感を持つのでしょう。
そんなふるまいが許せないと感じる。
そのふるまいを見て感じること、その時の感情、その感情、その感情、。。。

見知らぬものではないと感じられてきたら、それが誰のもちものだったのか思い起こしてみましょう。

もちろんぼんやりとしているのが普通でしょう。
ですが、他人のその人が持っている、あなたとは関係ない性質だと思っていたものが、あなたと関係ないどころか、かつては自分の一部分だったのかもしれないと思えてこないでしょうか。

けんか夫婦3


少し、見る方向を入れ替えて考えてみましょうか。

自分が以前によくやっていたことで、いまはそれが嫌なことに思えてやめていることはないでしょうか。
あるいは、かつては好きだったのに、いまは嫌いになっているものや人はどうですか。

じつは、そのようなかつては自分のものだった性質を、ふと他の人の中に見つけたとき、なぜかあなたはそれを必要以上に嫌ってしまうのです。

その結果、あなたはなんとなく、かつて自分のものだったことを表現するその人そのものを嫌いになり、敵対するようにさえなってしまうのです。

そのような敵対意識は、具体的な利害関係から来る敵対関係よりも、むしろ強力な場合もあります。

しかし、そのような「敵」も先ほど述べたように、あなたの一部を取り戻すきっかけとして役立てようと思うなら、あなたの分裂してしまった自分を統合するのに一役買ってくれるのです。

そして「敵」という言葉ですぐに反応して、それを遠ざけ、非難する存在にしていたいままでの自分と違って、かつての自分をそこに見つけることができるかもしれません。

なぜ嫌うようになってしまったのかは、いまはもうどちらでもいいことです。
それを自分の中に取り入れて、統合してしまえば、もはや敵ではなく、大事なあなたの一部として蘇るのです。

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信心銘 - 当たり前のことを当たり前に

信心銘

至道無難(しいどうぶなん)
唯嫌揀擇(ゆいけんけんじゃく)

但莫憎愛(ただぞうあいなければ)
洞然明白(とうねんとしてめいはくなり)

毫釐有差(ごうりもさあらば)
天地懸隔(てんちはるかにへだたる)

欲得現前(げんぜんをえんとほっすれば)
莫存順逆(じゅんぎゃくをそんすることなかれ)



道に至るに難しいことではない。
ただえり好みすることを嫌うだけである。

憎愛がなければ、
この世はほんとうに明白この上ない。

しかしそこに毛筋ほどの差でもつくれば、
天地のようにはるかに隔ってしまうのだ。

眼の前のことを得たいと思うのなら
順序など考えてはならない。


※「揀擇」とはえり好みをするということです。



素直に読めば、もっともだと思えるのです。

しかし、わたしたちはすぐに、「でも順序を考えずにやっていては仕事にならないよ。」と言いたくなってしまいます。

たしかに、ここに書かれていることは、仕事やその効率を考えることとは、ことごとく相容れないことのように思えます。

一般に仕事のやり方を人に教えるとするなら、やり方が飲み込めずに、のんべんだらりとやっている部下を見れば、そんな非効率なやり方ではダメだと言ってしまうでしょう。
「もっと優先順位を考えて仕事をしなさい」というのが、常識なのです。

ですから、「ワカランでもないが仕事をする上では、こんなことは役に立たん」と切り捨ててしまいます。
そして、「こんなことを言っていられるのは、修行ばかりしている坊主だから考えるんだ。」
「こんなやり方で仕事をしていたんでは、すぐに倒産してしまうだろう。」
とばかり、自分には関係の無い、縁のない世界だと言い放ちます。

だいたい、こんな考えをちらつかせていては、効率が落ちてしまうではないかというわけです。
今売れ筋のものを大事にして、期限の過ぎたものは後回しにしろ。
唯、揀擇(けんじゃく)を好んで仕事をしろと。

おっしゃることは尤もであり、実際成果をあげようと思えば、それが役に立つことは間違いないでしょう。

ただ、仕事をする上に置いて大事であることが、すべての面で大切であるわけではないのです。

仕事というのは、だれも好き好んでやっているわけではないでしょう。
いや私は仕事が好きでたまらないという人でも、仕事を全体としてみれば、好きなことにはさまって面倒なことも存在するものです。

本来ならやりたがらない事をするから、その見返りに報酬を受け取る。
報酬があると思うから、少々嫌でもやっているのです。

ですから、仕事というのは、本来は自然なことではないわけです。
人が本来それを好んでやりたくなるようなものではなく、不自然なことを要求する世界なのです。

不自然なことを強要され、素直さをしばらく押し黙らせて、仕事というものに取り組むのです。
ですから、いつまでもそれを続けることには無理があります。

不自然なことを一定時間やったのなら、自然に戻してやらないといけません。

そして、そのときには、選り好みせず、順序など考えずに、ただ目の前のことに取り組むのです。

自分を傷つける感情は「比較」することから生まれます。
自分と他人を比べてしまうから煩悩が生まれ、それがさらに愚かな行いを産み出して、しがらみとなってしまうのです。

仕事の時は、仕事の効率を追求し、優先順位や比較を取り入れてやればいい。
それとともに、「比較」しないで物事を見られる時間も取り戻す事が必要なのです。

さて、これで偏見が取り除けましたから、坊主の戯言だと思わずに、素直にもう一度「信心銘」に目を通してみてください。

そうすれば、それがいかに素直で自然なことかが見えてくるのではないでしょうか。

「当たり前のことを当たり前にやること。」

判断力のない、汚れのない子どもが見るように、見えるがままに目の前のことに接してみること。
そこで、利益の有る無しを考えないでいること。
すぐ先で起こるだろうと思うことに、先回りしないこと。
そして、いまだけに生きていると思ってそこに存在してみるのです。


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幸せとは仏陀が与えてくれる既製品ではない

「幸せとは仏陀が与えてくれる既製品ではない。
それは自分自身の行為から生まれるものである」
---- ダライ・ラマ ----



仏教といえども、自分から動こうとしないで助けを待ちわびている人には、何も出来ないでしょう。

「他力本願」という言葉がありますが、これを救いだと感じられるのは、みずから精一杯やってきて、自分ではもう何も出来ないと感じるところまできた人なのです。

絶対他力を信じるしかないという心境に至るのは、それなりの苦しさを自分が背負ってきたからであって、なにも背負わず、何も提供しようとしない人間はそんな心境にはならないわけです。

何かの結果を待つ人は、待つだけの準備を積み重ねた人のはずですが、そういった人は今のことに忙しくて、ただぼんやりと結果を待ち望むということはかえってしないものです。

ところが、待っていれば何もしなくても結果がやってくると期待する人もいるわけで、そういった人はいつも「サンタクロースを待ちわびて」いるのです。

気が晴れない


他の人抜きには人は幸せになれない。
誰かが自分を幸せにしてくれるはず。
いま自分が幸せでないのは、救いの手がまだ来ないから。
それを待たずに自分は動くべきではない。



こんな考えを持っていれば、いくらも経たないうちにいらだちを感じることになります。
「なぜ、誰もかれも私を無視してしまうの?」

その人が救われるには、難しいことはいりません。
誰かが救ってくれるのを待たずに、自分のことは自分でやろうと思うだけでいいわけです。

「自分のことは自分でやりましょう」と小さい頃から言われたではないですか。

自分で考えて、自分で動いて、「サンタ」の幻想を捨てること。
それでうまくいかなくて、自分ではもうこれ以上何も出来ないと思ったら、そのときこそ自分の制御「自力」を手放せばいいのです。

サンタクロース写真


もはやこれまで、これ以上はなるにまかせるしかない、と感じられるまで自分で動けばいいのです。
そこには、他人の許可も、他人の助けも、振り返る必要はありません。

他人に頼ろうとする人ほど、他人の許可が気になります。
それは当然ですね。
他人の機嫌を損ねて助けてもらえないと困るからです。

ですが、その依存がどれだけ自分を惨めにしてしまうか、自尊心や自立心を踏みにじってしまうかを考えるべきなのです。

目の前に「甘い助けの手」を見せられても、自分の手段を持っているなら、その必要はないと断りましょう。
断ることで、自分の力でやる決意も強まるし、それはイコール自己への信頼感を高めることにもなるのです。

出来ることは、自己完結できるやり方を採用する。
それによって、不要な助けを借りることで、自分のやり方を引っ掻き回されることもなくなります。

自分の路線上にいて必要なことならば、どんどん他人にも助けを求めればいいのですが、別の路線に来るなら助けてあげると言われても、自分の路線は守らなければならない。

そこを見間違えてはいけない。

せっかく奴隷状態を脱したのだから、つまらないことでそれを売り渡してはいけません。

いろいろな宗教が、他を頼まずにただ一つのことを信じろと訴えるのは、他のつまらない助けに魂を売り渡してはいけないからなのでしょう。

「自分が何をしているか」これ以外に自分でできることはないのです。


参考
今日が楽しくなる魔法の言葉
著者: アーニー・J・ゼリンスキー ダイヤモンド社 / 2003-09-20


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虎を描いて猫に成らず/なんでもない私はどうすれば?

「虎を描いて猫にも成らず」

虎を描いたつもりが、猫にさえ見えないような絵しか描けない。
そんな未熟な自己を恥じています。

といった意味に受け取られるこの文章ですが、これは良寛が自分の半生を振り返ってうたった詩の一部分です。

『少年父を捨てて他国に走り、辛苦、虎を描いて猫にも成らず。人あって若し筒中の意を問わば これはこれ従来の栄蔵生』

良寛は自分の無力さを感じて、父や家を捨てて優れた僧になろうと修行の道に入るのですが、しかし、それもどうやら落第であったと歌っているのです。

そして、「人から、もしお前はどんな人間になれたのかと聞かれたら、元の栄蔵のままです、と答えるしかないのだ。」と続けています。
※栄蔵は良寛の出家前の名前

良寛はこの言葉通り、自分の未熟さを恥じていたのか、あるいは半生を振り返る年齢になって、この言葉の裏に悟ってきた考えが隠されているのか、それは良寛に聞いてみなければわかりません。

虎1

しかし、私たちは誰しも最初は「虎」を描こうと夢をいだいて、それに挑戦するものです。
その結果「虎」を描けるようになる人がいれば、「猫」しか描けない人、「猫」すらも描けない人もいるでしょう。

それでは「虎」を描けるようになれた人だけが、やってきたことに意味があるのかといえばそんなことはないわけです。
中には「猫」を描くことでエキスパートになれた人がいるかも知れない。
あるいは人から評価されるような意味では何も達成出来ていない人もいるでしょう。

ここで「虎を描ける」ことをどのように考えるかは、人によって意見が分かれるところでしょう。

あくまで「虎を描く」ことこそが目指すべきことだと考える人。
このような人は、極端に言えば、虎でなければすべて失敗だということになります。
猫などでお茶をにごすような人間では甘いと考えるのです。

別の人は「猫」は猫なりに、「虎」は虎なりの価値があるのだから、どちらが上ということはないと考えます。
それに加えて、問題はその人が精一杯やったかどうかが問題だと。
ここではしかし、虎と猫を比較したり、努力の度合いで価値を測りたいというニュアンスがまだ感じられます。

あるいは、虎を描くべく生まれてきた人は虎を描けばいいし、猫の人は猫を描けばいい、絵を描けない人は他人の絵を楽しめばいいのだ、といった考え方もあるでしょう。

猫7

しかしここで言いたいのは、どう考えるのが正解ということではありません。
どの考え方にも、場面によっては必要なことがあるわけで、どれか一つを正解だと決めつけるのは、それはそれで問題があります。

そうではなくて、自分の現在の向かっているのはどういう方向なのかということであり、それが必要ないとしたらどうなるだろうかということです。

私たちは社会の中で暮らしていれば、自然と「虎」になりたいと思うようになって行きます。

現在自分がそうでなくても、「虎」のひとは凄いんだと思うし、いつか自分もそうなりたいと思ってしまうのです。
また、それは裏返せば、「虎」になれない自分は「虎」のひとよりも下に思ってしまうわけですし、「猫」の自分は「猫」にすらなれない人を自分より下に見ようとします。


そして、このような比較が自分の価値観に影響をおよぼすようになれば、生きることがだんだんしんどくなってくるのです。

ここで、しんどくなる原因はこういうことです。

「虎」に近づけば喜び、遠く及ばないとダメだと思って苦しくなる。
そしてさらには、「虎」になれる人はまわりから受け入れられるのであり、そうでないと相手にされなくなるのだ、というように考えを飛躍させていくからです。

ところが、自分が他の人を見る場合を考えてみてください。

必ずしも、「虎」の人ばかりに好意的になるわけではないことに気づくのではないですか?

また、「虎」ではなくて、「猫」でも、「猫」にすらなれない人でも、その人が自分を隠さずに生きているのを見るとホッとしたり、好感を抱いたりするのです。

しかしそのあたりに気づいていないと、「虎」でもないし、何にもなれないような自分では、まわりから認めてもらえないと思い込んで、「私は虎ですよ」と見せかけたくなるのです。

托鉢のお坊さん


さて、良寛ももしかすると、虎を描いても猫にも成らない自分だけど、それでいいではないかと言いたかったのかもしれません。
だから、「私は良寛でもない栄蔵のままでも充分なんですよ」と言っている。

こんなことを言っているかもしれません。

「栄蔵のままでいられることが、駄目だった私からすくい出してくれる妙法であると悟ったのです。
比較に生きることをやめたら、こんなに楽になりました。
真似をしろとは言いませんが、私を見てそれを感じ取ってくださればいいんですよ。」

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リセットするという生き方

誰しもいままで自分が築きあげてきたものを、失いたくないという気持ちを持つものです。

それが努力して積み上げてきたものであるほど、それを無くしてしまうことを恐れます。
またいちからやり直すなんて考えるとぞっとするわけです。

しかし、なくすことを恐れるが故に、いまのやり方が正しいのだ、変更する必要などないと思いたいもので、客観的な軌道修正をやりにくくしてしまうことも考えられます。

いまのやり方で進めれば問題ないと客観的にも思えるのであれば、何も気にすることはありません。
しかし、どこかで「いまのままこだわっていては、無理を重ねることになる」という思いがあるのなら、思い切ってしがらみを捨ててやり直すことを考える方がいいのかもしれません。

標識


たしかに、絶対にこちらを選べばいいということは、誰にも言えるものではないのでしょう。
右に行けば右の道があり、左に行けば左の道があるものです。

しかし、問題なのはいままで築いたものを壊したくないという、ただその思いから、無理があることを感じつつ続けてしまうことです。

新しい生き方を選べないのは、いままでの慣れている環境から離れたくないのと同時に、いままで他の選択を考えずに来た、用意しないで来たという点も挙げられるでしょう。

しかし、いまの自分の環境を創り上げてきたのも、過去のどこかの時点でスタートがあったはずなのです。
その時には、いまのようにこだわりを持たずに、新しいことを試したのかもしれないし、あるいはそもそも何も考えないで、偶然そのような成り行きになったのかもしれません

そのあたりを思い出してみるなら、いまの生き方が譲れないもの、自分にはほかの生き方など出来ないとしがみつくようなものではないというように見えてこないでしょうか。

少し視点を変えて考えてみましょう。

パソコンはハードの面でも、ソフトの面でも急速に進化を続けています。
スピーディに進化することは、いい面も悪い面もあります。

ほんの数年で、そのうち出来るようになればいいな、と思っていたことが実際に出来るようになってしまうという予想外の進化は、私たちに期待以上のものをもたらしてくれます。

しかし、じっくり時間をかけて進化してきたものでないだけに、不安定な要素を抱えていることも確かでしょう。
そのために、パソコンで新しいOSを入れる(例えばWindowsのバージョンをVistaから7に変えるような)となれば、何かしらの弊害が出ることも承知しなければなりません。

このような大きな変化でなくても、何かのソフトをいれたおかげで、パソコンの動作がおかしくなったり、リブートしてしまうようになったり、大きな問題が生じることがあります。

パソコン守る


そのようなときのために、パソコンではバックアップを取るということ行います。
安定して動作している間に、どこかの時点で全体をバックアップしておけば、どうにも障害が解決できなくなったようなときには、少なくともバックアップを取っておいた時点にまでは復活させることができるわけです。

少し以前の状態に戻ってしまって、その時点から後の変化については、また作り直さないといけませんが、全く最初の状態にインストールし直すよりはましなのです。

バックアップを取っておいてその時点に戻す、リセットするというのは、つくってきたものが大きくなるほどその価値は大きくなります。

また、まったく新規にいちからやり直すことが避けられると思えば、思い切って新しいソフトに挑戦してみることもそれほど怖くないわけです。

これで失敗したら、この時点のバックアップに戻ってやり直してみよう。
そのようなオプションを持っていることは、生き方に当てはめてみても、同じようなことが言えるのではないでしょうか。
それは、あなたのいまの生き方にしがみつく生き方を、もっとしなやかなものに戻してくれるはずです。

バックアップを取るには、自分の今までやってきたことの節目、節目で、その時点の生き方を評価しておくことです。

キャンバスに向かう2


何かの理由で、新しい方向に生き方を変えてみることにしたのでしょうが、そのためにそれまでの生き方をすべて捨ててしまうわけではありません。
そのような気概を持って新しいことに取り組んだということはあっても、それまでの生き方も消えてしまうわけではないのです。

案外一度やめてしまった生き方を、もう一度仕切りなおしてやってみるというのも、捨てたものではないかもしれません。

そして、仕切り直すオプションを持っていることの、大きな意味の一つは、「いまの生き方しかない。これをなくしたら生きていけない。」というような切羽詰った状態に自分を追い込まなくてもよくなるということです。

思っている以上に、人はやり直しがきくものです。
しかも、ある時点ではそれをやってきたのなら、それが全く自分に合わなくなってしまうということもないわけでしょう。

つぶしがきくと思えば、必要以上におそれにとらわれることがなくなります。
ときにはリセットしてみることも、選択に入れて自分の生き方を見なおしてみるのはいかがでしょう。

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莫妄想(まくもうぞう)?



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莫妄想(まくもうぞう)?

以前、『莫妄想(まくもうぞう)』というタイトルで文章を書きました。
今回は、このテーマを前を離れて別の視点から見てみたいと思います。

その前にまず、「莫妄想(まくもうぞう)」ってなんのことというのを前回の文章から引用します。

禅でいわれる「莫妄想(まくもうぞう)」とは、「妄想(もうぞう)する莫(な)かれ」ということです。

さてこの「妄想(もうぞう)」ですが、一般に言う妄想とは、読み方も違いますが、その意味合いも異なります。

一般に言う妄想とは「根拠もなくあれこれと想像すること」といった意味で、主観的に根拠のないことを真実であるかのように思い込む状態や、その想像している内容のことを言いますね。

禅語でいう「妄想(もうぞう)」の方は、相対的で2元対立すること、たとえば善と悪とか、正しいと間違いのようなことに対して、片方にとらわれてしまうことを言うようです。

つまり、私は正しいと思い込むとか、自分は善人で、あの人は悪人だとか思ってとらわれてしまうことです。

莫妄想(まくもうぞう)


私達人間は「考える」というの能力を発達させてきました。
考えることは、文明を発展させ、いまもそれは進歩を続けています。
それが例えば、先日の「はやぶさ」の活躍のような成果にもつながりました。

ロケットにつかまるビジネスマン


これは「考える」という能力があればこそだったのでしょう。
しかし、一方で「考える」という能力が私たちを苦しめるという働きにつながることもあります。

考えてもわからないことまで、いつまでも答えをだそうと考え続けようとしてしまうのです。
科学の進歩を見ていると、考えさえすればいつかは何でも解明されると信じたくもなるでしょうが、実際にはいくら考えてもわからない事というのはいくらでもあるはずです。

たとえば、ものごとは常に変化しているし、自分を一瞬たりとも同じ状態でいる訳ではないのです。
そんな変化するもの同士の関係は、この先どうなるかはわからない。
予測可能と言うには程遠いのが現実ですから、未来を完全に予測しようというのは不可能なことなのです。

ですが、この不可能なことをしたがるのも、人間の「考える」という能力の一端に潜んでいるようです。

「莫妄想」ということばも、わかりやすく言えば「わからないことは、考えるな」ということです。

しかしそう言われて、「そうか考えなければいいのか」で了解できて、考えるのをストップするというのは実際にはできません。
あらゆる考える能力も、全部をなくしてしまうのであれば可能かもしれませんが、都合のいいことだけ考えないように切り替えることはできないでしょう。

あるいは、普段から大まかに考えるタイプの人もいれば、何でもあらゆることを考えて準備しておきたいというタイプの人もいるでしょう。
特に後者のような人が、これからは「考えないことにする」と言ってみたところで、ほんの5分も続かないことになってしまうでしょう。

ですから、考えるのをやめるのではなくて、無駄なことを考えることをいかになくすかの工夫が必要であるということではないでしょうか。

前置きが長くなりましたが、今回の別の視点という話に入ります。
それは、パソコンなどのコンピュータのアプリケーションソフトを見ていて思いついたことです。

私は以前パソコンのプログラムを書く仕事をしていました。
私たちが、パソコンや携帯電話などでアプリを動かすときに目にする、ウインドウや様々な部品をどのように配置して動作させるかという仕組み(GUIといいます)もそのひとつです。

私がやっていたのは主にパソコンが対象でしたが、最近は携帯電話や、iPhoneなどのスマートフォンが登場してくるにつれ、携帯端末もパソコンの代わりをするようになってきています。

携帯端末がパソコンと大きく違うのは、なんといっても画面のサイズです。
小さな画面の中で、どのように操作すれば目的の機能を呼び出して仕事をさせられるを、いかにわかりやすく、また少ない動作で使えるようにするかという点がポイントになります。

そんな工夫をしながら作られている、携帯版のアプリを見ながら思ったことのひとつはこういうことでした。

「いま見えていない」機能にどうやれば行き着けるかを、いかに不安に思わずにわからせられるか、ということです。

携帯端末通信中


携帯ですら、すでに覚えきれないほどの機能を持っている中で、スマートフォンはさらに多くの機能を担うことになってくるでしょう。

「そんな多くの機能をすべて覚えないと使えないと思い込んで身動きできなくなる。」
これが「考える」という能力の誤用なのです。

携帯版のアプリでは、一度に見せられる内容が限られています。
そんな少ない情報ですが、いま見えているボタンなどを操作していけば、必要な機能を呼び出すことができると安心出来るようなアプリを作ることが必要です。

できるだけ見たままで直感的にわかるものが、分かりやすく使いやすいアプリだと言えます。

そして、途中に何が起こっているかをしらなくても、不安を持たずに、いまは見えていないけれどいつかキチンと動いてくれると確信できるものがいいのです。

画面ではどうなっているかわからないし、ちゃんと動いているのだろうかと不安を抱かせるようでは、不親切なGUIなのです。

動きが見えない場面では、動作中だという表示をしてあげることや、中で何が起きているかがわからなくても、ユーザーが見ていて不安を持たないような表示や、操作手順をうまく作ってあげることです。
また、ユーザーが知らないでいいことは、知らないままでもちゃんと結果にたどりつけると、安心出来るようにしてあげることです。

携帯電話寝てる


「いま目の前に見えないものを確信できること」
これをストレスなくできるのがいいのです。

・ボタンなどを操作した反応がユーザーにはっきりわかること。
・時間がかかる処理は、それがユーザーに分かるようにする。
・結果が画面に現れない処理は、正常終了か異常終了かをユーザに知らせるのを省略しない。
・必要な確認処理を動作の前に提示する、また不要に確認処理を多用しない。

これだけでもうまく守るれば、ユーザーの不安を解消できます。
また、それはユーザーが知らないでいいことを、気にしなくても済ませられるという重要な点も含んでいます。

この親切なGUIこそが、私たちがストレスに晒されずに生きる上でも参考になるのです。

私たちは、コンピュータが裏でどんな動作をしているかを知らなくても、動いてくれると信じているから不安にはならないのです。
同じように、予測不可能な未来でも、信頼できていれば不安になったり、悩んだりしないでいられるわけです。

ところが、手際の悪い通知の仕方や確認処理がはいると、本当に正常に動作しているのか不安になる可能性があります。
いったん信用を失うと、あらゆることが不安になってきます。
動作は正常に完了したけれど、本当に正しい結果が得られたのだろうかなどと、余計な不安が生まれてくることも考えられます。

しかし、肝心の処理は同じものが動作しているのであれば、それは見えないけれど信頼できるもののはずなのです。

信頼していいことを疑いだすのが、苦しさをつくりだします。
信頼できることは、見えなくても信頼して任せてしまう思い切りがどうしても必要になります。

それが「いま目の前に見えないものを確信できること」なのです。

全部を分かっていなくても、いま見えることに対処していけば目指すことは達成できると信じられるなら、「考える」能力は私たちを苦しめなくても済むのです。

予測できない未来に不安を持つこと。
考えてもわからないことを考えようとすること。

これを排除できるようにするのが、「いま目の前に見えないものを確信」した状態で生きるということです。

それには、いちいち考える必要のない関係性はあらかじめパッケージ化してしまうことです。
プログラムの中に埋め込んでしまえば、中でどう動いているかを毎回気にしなくていいのです。
しかも、それは中が見えなくても正確に期待した結果をもたらしてくれると信じられるのです。

あとは、いかにうまくパッケージ化して、中が見えなくても有効に働くブラックボックスを創り上げるかです。

「莫妄想」と唱えれば、それが可能だという人はそれでいいかもしれませんが、そこまで行かないというのなら「いま目の前に見えないものを確信できる」ような仕組みを自分なりに作っておくのです。

それを使い出したら、あとは考えずに任せておけるような仕組み、それは人によって異なるでしょうが、なにか思い当たることがあるはずです。
なぜなら、かつてはそのようにして生きてきたはずだからです。

次回は、もう一つ思いついた点を書きたいと思います。
もうひとつの不安を消す仕組みです。


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雨が降ったら濡れるしかない

雨が降ったら濡れるしかない。
傘を用意しなかったから仕方がない。

しかし、傘を用意していても、
台風が来ていれば役には立たない。
その場合は、やはり濡れるしかない。


という話です。

気象災害2


この文章をいま読んでいる方は、パソコンで見ていらっしゃるでしょうか。
パソコンというもの、おそらくWin95あたりから一般に使われるようになってきて、いまや家電並みの普及も間近なのでしょうが、家電と違って少々癖があります。

電気製品は壊れたらハードを修理するのが普通ですね。
パソコンもハード的な故障もありますが、それ以外にもソフト的な問題で動かなくなることもよくあるわけです。

家電と同様に考えて、叩いても治らない(笑)。

故障に出会ったとき、人は機械や作った人が悪いと思って不満をぶつける人も多いのですが、一方で自分が間違った操作をしたのが原因だと思って落ち込んでしまう人もいるでしょう。

しかし、原因がどこにあるにせよ、故障したら修理するか買い換えるか、もう使うのを辞めるか、なんらかの行動を起こす必要があります。

故障したことへの不満を誰にぶつけようと、その後の行動が大事なのです。

「なんでこんな目に合うんだ」
「このメーカーは信用できないな...」
「だからパソコンなんか嫌いなんだ」

「やっぱり自分にはパソコン使うのは無理なんだ」
「きっと操作を間違えてしまったんだ」
「このまま治らなかったらどうしよう」

パソコン・注射


こんな嘆きは、ほどほどにして、壊れてしまったことを受け入れなければ次には勧めません。

被害は甚大だったかもしれませんが、だからといって事実が変わるわけではありません。
受け入れたくない時というのは、受け入れるのが苦痛だし、かと言って見ないふりをすることもできないという、どちらにも逃げ道のない状態です。

不満の原因は状況にあると思いたいでしょうが、やはり最後は自分の心のなかにあることを、しぶしぶながらも受け入れるしかないのです。

状況のせいにしていれば、いつまでも不満を言い続けて行動しないこともできます。
しかし、そのような「あがき」は何もいいことをもたらしてくれません。
あがくのをやめて、「ありのまま」を受け入れれば、それでその苦痛は終りを告げます。

また思っているほど、受け入れることは、怖いことでも悪いことではないと気がつくかもしれません。

さて、もうひとつの問題。

「しかし、傘を用意していても、台風が来ていれば役には立たない。
その場合は、やはり濡れるしかない。」

準備をしたつもりでもダメなときはダメなもの。
傘を用意した自分の準備が未熟だったと責めるよりは、これもまた状況を受け入れたほうがいいでしょう。

完璧な準備など誰にもできないのです。

私は以前パソコンのプログラムを書く仕事をしていました。
誰しもバグ(不具合の元になるコード)のあるプログラムを書こうとは思っていません。

趣味でやっている人は、完璧なバグのないプログラムを書こうと躍起になるかもしれません。

しかし、仕事としてコード(プログラム)を書いている場合、バグが発生するのは仕方のないことだと受け入れたところから出発します。
どの程度のバグが発生するだろうかを計算に入れてスケジュールを組むとか、バグが発生したときの対応をいかにやりやすくするかという技術的な方法を考えるなど、前提にするものが違ってくるのです。

パソコン・メンタル


もちろん、仕事でコードを書いている方が、バグに対する責任は重いわけです。
お客さんとの契約を守るため、納期を守るために、納品前の大変さを充分わかっています。

しかし、だからといって完璧にバグ出さないという方向には考えないのです。
そんな無理なことを前提にしていては長続きしません。
早い話が、そんなやり方では仕事にならないのです。

不都合や失敗は、一定の割合で出会うもの。
まずは受け入れないと、次には進めません。

「ふれば濡る濡るればかはく袖のうへを雨とていとふ人ぞはかなき  一遍上人」


雨に降られれば濡れるしかない、濡れてもそのうち乾くのが自然の成り行き。
濡れたことを、いつまでもああだこうだと騒ぐのはみっともない。

濡れてしまおうと開き直れば、それもまた風流。
いや、風流以上の意味が隠れているように思うのです。

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結果を気にしなければ楽しいのに...

ボールで遊ぶ子どもたち


子どもが何かに夢中で遊んでいるのを見ると、うらやましく思ったりしませんか。

夢中で楽しんでみること、これが大人になるとなかなかできなくなってきます。

その原因は幾つかあるでしょうが、その一つとして、結果を気にするあまり、今やっていることに集中できなくなるということが挙げられるのではないかと思います。

結果を気にしないで遊べる子どもをみて、自分もあんなふうに戻りたいと思ったりするけれど、「大人なんだから結果を出さないことにはどうにもならないのだ」といい聞かせ、諦めて作業に戻ろうとするのです。

結果を気にするようになったのは、いままでの失敗の経験が大きく影響しているのでしょう。

失敗して思うことは、「そんなことになるのなら、ああしておけばよかった」ということです。
つまり後悔ですね。
後悔するたびに、次からはそうならないように注意しておこうと思い、考えずに行動することにブレーキをかけるようになってくるのです。

結果の非難


後悔というのは、後から悔やむという文字通り、あとづけの智恵なのです。
結果が出た後で振り返って、ああすればよかったのだと確認することで、次からはそんなことにならないように対応できるはずと思っているのです。

しかし、あとづけの智恵というのは、結果が出てからだから言えるだということになかなか気づきません。
結果からさかのぼれば、何をすればよかったかはわかるのですが、やる前にはわからないのが現実であり、だからおもしろいとも言えるのです。

それに、なにごともあらかじめ対策出来るはずだと信じる考え方は、失敗を許しません。
「何とかできたはずだ」と、あなたを責め立てます。
それとともに、予測しない行動を嫌い、「いまここ」で思いついた行動をとることも嫌います。

「そうかそれなら、これからは結果を気にしない生き方も取り入れてみよう」と思ったとします。
ところが、「後悔するような事態を避ける」という考えに染まっていながら、結果を気にしない生き方を探すというのは、そのままでは相容れない考え方でしょう。

全く発想を変えて、理屈ではなく気づきを探さないと切り替えは無理でしょう。

つまり「いまこのとき」がかけがえのないものだという見方をしなければ、いつまでも切り替えられないということです。

茶道1


それには『一期一会』とか『日日是好日』といった発想が必要なのです。

いまの関心を大切にして、結果を気にせず、生産的な活動をしようなどとチェックを入れるのをやめて、そこに入り込んでみるのです。

いまという時を過ごす上では、それが生産的な活動かどうかなどは関係の無いこと。
そこに評価が入り込むのは後から振り返って、ああだこうだとチェックを入れるからです。

「今日という日を大切に生きたかどうか」が重要だと考えれば、あとづけの評価とは別次元で生きることも可能になるでしょう。

「結果を気にせずに、いまの興味を続けたい」という思いを、却下せずに採用してみることだってできるのです。
それは、今を大切にして、結果の予測ではなく、自分がそれを「是」と認めるかどうかという基準で生きてみることです。
そして今自分が「是」と認められないなら、たとえ結果が良くても満足しないと言い切る覚悟を持てるかどうかです。

「一日の成果としては、それほど進まなかった。でも今日は充実した一日を過ごせた。」
そんな実感を持てるかどうかを大切にするということなのです。


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悪口は相手に持ち帰ってもらう

悪口を言われたり、罵られたりすれば、誰でも平然としているのは難しいでしょう。
動揺したり、何かを言い返したくなるのが普通ですね。

しかし、一方では言い返して口論になっても、結局はいいことなど何もなかったという結果に終わることは、誰しも経験して知っているのです。

そこで「悪口は相手に持ち帰ってもらう」のが一番いいのではないかという考えが出てきます。

ある時、お釈迦様は弟子を連れて村を托鉢して歩いていたところ、村人から罵られます。
「俺達は汗水たらして働いているのに、お前たちは何もしないで人にたかるだけの物貰いじゃないか!」と。
相手の言葉を聞き終えると、お釈迦様は「言いたいことはそれだけですか、ではさようなら」といってその場から立ち去ります。

仏陀


弟子たちになぜ黙ったままで、言い返さないのですかと聞かれて、
「お前たちは誰かが毒蛇を持って来たら、それを受け取るのか。」
「受け取らなければ、毒蛇は持って来た相手が持ち帰るしかないだろう。」
という意味のことを答えたと言われます。

さて、それでは相手に対してはそのまま帰ってもらうにしても、自分の心のなかはどうなのでしょうか。

実は、悪口を言われて傷ついたと感じるのは、受け取る側に弱みがあるからにほかなりません。
相手が悪口を言うのは、相手の問題であって、それはそのままお持ち帰り頂けばいいのですが、自分が傷つくかどうかは自分の側の問題です。
自分がどう反応したかを相手に責任をとれというのは、これまた少し違うのではないでしょうか。
ですから、自分の側の問題の責任をもつのは、自分でやらなければなりません。

相手の言葉で自分がどのように感じ、どの部分に過剰に反応しているかを調べてみれば、まさにすぐに反応してしまうところに、自分の弱みが存在していることを発見できるでしょう。

それは、自分でも何とかしたいと思っているところです。
それは、他の人に知られたくないと思っているところなのです。
そして、またそれを他の人の口からは言われたくはないわけで、先にい合われると、たとえ相手が正しいと思ってもムキになって反論したくなるのです。

けんか夫婦1


しかし、「自分はお釈迦様じゃないから、言われっぱなしでその場を立ち去ることなどできないよ」と言われるかもしれません。
あるいは反論することで、相手の間違いを正してあげるべきだと主張するかもしれませんね。

ですが、まず最初に、相手がどのように考えるかはこちらで直接変えることはできないという点を前提にすべきなのです。

また、「黙って引き下がるのでは公平でない、こちらの考えを主張すべきだ」という意見もあるでしょう。
もちろん、その方が正しいような場面もあるでしょう。

しかし、気をつけたいのは「それでは公平でない」という主張です。
「公平ではない」というときに、私たちが言いいたいのは、「私の価値観では、これこれだ。だから、あなたの言っていることは正しくない」ということなのです。

公平という言葉は、「自分だけでなく誰が見ても賛成するだろうこと」と言うつもりで使っていますが、その実態は自分の価値観から見ての公平さでしかないのです。
「公平」を叫ぶ人の数だけ、公平なことが存在するわけです。

反論するというのは、聞こえは良くても、「自分の考えに同意しろ」と相手に迫ることに他ならない。
口論によって、両者が同意に達することなどまずありえないことです。
結局、お互いがどれだけ妥協するかの問題であるわけです。
たしかに、それがいい結果をもたらすこともないとは言えません。

しかし、自分の側で守らなければいけないと思っているものを抱えたままで、意見を主張したのでは、いつまでもたっても、自分の触れられたくない問題を解決することはできません。
むしろ、それを変えたくないと思って守ろうとするために、余計手放せなくなり、新しい自分の偏見を創りだしたり、強化することにもなりかねないのです。

にらむ2


先に自分の問題に取り組むなら、それは自分だけで処理できることです。
また、自分の側で解決して、もはや問題でなくなったとしたら、相手が何を言おうが平気でいられるようになります。
その結果、あなたが過剰に反応しなくなれば、それをつついてくる人も居なくなっていくでしょう。
反応してこない相手に、悪口を浴びせていても何も面白くないからです。

こうして、争うことなく問題を解決できれば、敵を作り出す必要もなくなっていきます。
ある意味では、「敵」とは自分の弱点を裏返した存在であり、自分が作り出しているものだとも言えるのです。

「毒蛇」に攻撃される対象は、自分の側の触れたくないと避けているところにあるのです。
「毒蛇」に興味を持たれない人に自分が変わってしまうことが、自分だけでできて、しかも一番効果的な対処ではないでしょうか。

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常に自然体でいるには

『客に接するは独りおるがごとく、独りおるは客に接するがごとし』(釈宗演)



明治から大正にかけての禅僧、鈴木大拙や西田幾多郎らも彼のもとに参禅したという釈宗演の言葉です。
世界に禅を伝えたパイオニアであり、それは鈴木大拙らに引き継がれていきます。

この言葉は、常に自分自身でいること、自然体でいることの秘訣のようなものを伝えてくれると思います。

飲み会のサラリーマン


私たちは、人と接しているといつの間にか相手に影響されて、本来の自分ではないような振る舞いをしてしまうということがあるものです。
あまり人の批判など好きでない人でも、まわりがみんな批判している中に入り込めば、ついつられて自分まで巻き込まれてしまいます。
あとで振り返れば、そんなどこか我を忘れた、頭に血がのぼってしまった自分に、後悔の念を抱く事になったりするのです。

「客に接するは独りおるがごとく」とは、そのような人と接している時でも、自分独りでいる時と同じつもりで心を落ち着けて揺らさないことを言っているのです。

これとは逆に、私たちは自分ひとりでいると思うと、誰も見ていないのをいいことに好き勝手なことをしていたりします。
誰かに見られたら、すぐに身を正し直すようなことを、だれもいないからまあいいかと気を許してしまうのです。
しかし、例えば家には自分独りだからとだらしなく過ごしていれば、いつかそれが人前でも現れるようになってきます。
それよりも、そんなだらしなくしている自分を、どこかで嫌がったり、評価を下げてしまう自分がいるはずです。

人からの批判には耐えられても、自分自身から湧いて出る不信感からは、逃げようがありません。
やがては、自分を傷つけてしまうような行為まで平気になってしまうのです。

お茶を飲む老夫婦


「独りおるは客に接するがごとし」
誰もまわりにいない時でも、自分自身のバランスを維持するためには、誰かが見ているつもりで行動することです。
自分の行動をみている、ニュートラルな位置にいる自分をいつも意識できるよう心がけたいものです。
それでこそ、常に自然体でいられるというものです。

ですから、もちろん自然体とは、「独りおる」時の勝手気ままな自分のことではありません。
片方に偏らずに、いつでもニュートラルな位置に戻れるような自分を維持していてこそ、自然体に頼れることができるわけでしょう。
そして、このような心がけは、人に見せるためではなく、自分自身の為に行うべきものなのです。

「あるがまま」と言う言葉も、そんなぶれない中心軸から自分が飛んでいってしまわない範囲で、その時その時の変化に対処するということでしょう。

まわりの喧騒に巻き込まれて、ぶっ飛んでしまわないようにしたり、緩慢な倦怠の繰り返しによって徐々に自分をだらし無くしてしまわないことです。
このように、ある程度の緊張感を抜きにしては、あるがままの自分をつかむことは難しいのです。

ヨガ・ピラティス


普段から静かな時間を見つけて、自分を取り戻すことを実践していれば、気がついたら取り返しのつかない位置にまで行ってしまった自分を発見してうろたえることもないのです。

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新しいことに挑戦するときの試練

新しいことに挑戦するときには、「それを断念したくなるような誘惑にであうもの」という声をよく聞きます。

そのことは、課題に挑戦しようという人にとっては、試練と言えるものになるのです。
なぜそんなことを言うのか、明確な理由はわかりませんが、経験上そういったことが起こるものだという人は少なくないようです。

そこで起こることは、おそらく、こういった感じになるでしょう。

まずあなたは自信を持ちきれないけれど、何かに挑戦してみたいという気になります。
いままでもやりたいという気があったのかもしれませんが、そんなことは無理だろうという自分に打ち消されて、その欲求は抑えられてきたのかもしれません。

しかし、いまは、恐れよりもやってみたいという気持ちのほうが優位になってきて、挑戦してみるという可能性を考え始めたわけです。

何しろ自信はなかなか維持できないものですから、ちょっと他の人の意見を聞いてみたくなります。
はじめは、ごく親しい人に恐る恐る離してみて、相手の反応を確かめます。

励まされる


あなたの熱意が感じられて、駄目だと否定するほどのものがなければ、挑戦してみることを応援してくれるかもしれません。
あなたは、それによって少し勇気が湧いてきます。
やって見ることは、それほど荒唐無稽なことではないのだと思えてきます。

しかし、親しい人は「あなたの意見に好意的だから賛成してくれた」だけかもしれないと思い始めます。
もっと反対しそうな感じの人にも、考えを披露して、なんと言われるかを聞いてみたいという衝動に駆られるようになってきます。

もしかすると、こてんぱんにバカにされるかもしれない。
そんな思いもありながら、しかし確かめずにいられなくなってくるのです。

もしかすると、強く反対する人が入れば、挫折して挑戦することの不安から開放されるだろう、と弱気になっている自分がいるのかもしれません。

あるいは、どこかに自分のまだ気がついていない重大な欠点が隠れているかもしれない。
いろんな人に聞いてからにすれば、危険な賭けをしなくても済むかもしれない。
などと先延ばしを工作するかもしれません。

さて、こんなふうに思いながら、自分の不安を何とかしたいという方向にエネルギーを使い始めると、やがてやめたほうがいいと言ってくれる人が現れます。

待ったをする主婦


もしかすると、そういう人が出てくるまで確認を続けようと思っていたのかもしれません。

もしやめてしまえば、特に変わったことは起こりません。
どうなることかと心配していたけれど、これでその不安ともおさらばできると、ほっとするかもしれません。
その一方で、「ようやく決心したことが、やっぱり駄目になったのか。」「いつもそうなる運命なんだ。」というように自分の可能性を値引きするような考えを持ったりします。

問題は、いい結果が得られることにあるのではありません。
もちろん結果も重要なことには違いありませんが、それよりも重要なのは「自分の挑戦をあえて実行するか、それともいつものように諦めるか」という点にあります。

ようやく実現の可能性を思い浮かべるようになって、やる気を出した自分が、周りの反対で挫折してしまうのを見ることは、自己評価を下げてしまいます。
なんだかんだ言いながら、いざとなると尻込みしてしまう自分にがっかりして、やはり自分はこういう人間なのかと落胆するのです。

自分の衝動を大事にして、反対意見も聞かずに断行すれば、たとえ結果が失敗に終わったとしても、得るものは大きいのです。

世間には、反射的に「人の楽しみにケチをつけたくなる」というタイプの人がいるものです。
そうでないにしても、「よおく考えてからにしたほうがいいよ」と水を差してくる人たちは、身近な人にも多くいるものです。

それから逃れるためには、「口を滑らせない」ということを肝に銘じておくことです。
自分ののぞみを胸に秘めたままにして、自分の中で大切に育てていくのです。
もはや、反対にも動じなくなる時まで、自分の目的を明かさないことが大事になります。

自分のやりたい事への熱意を人に語ってしまうと、それでやったような気になって意欲が弱まってしまうから気をつけろという人もいます。
たしかにそう言われると、そんな気もしますね。

自分の決意を話したいけれど、それを禁じることがエネルギーを生み出し、ストイックにチャレンジする体制が徐々に自分の中に作られてくるのです。

夢見る女性

応援してくれる人、台無しにされてしまいそうな人を見分けて、自分の弱気からそちらの方向に加担しそうな人を見つけないようにすることです。

やはり新しいことをやり始めるなら、いつものままやっていたのでは、いつものように元の木阿弥になってしまうと忘れないことです。

変化しないのは、変化したがらない自分がいて、どこかでそれに加担してくれる人を探し求めているかもしれないと思っていたほうがいいでしょう。

もちろん、なにもかも変化ばかりでなくてもいいのですから、今回は変わろうと思うなら徹底してやろうと決心することです。
ずるずる生きていると、すぐに年をとって機会を無くしてしまうでしょう。
機会をなくすまで引き伸ばす、ずるい自分もいるのだと認めて向きあってみることです。

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あらゆる出来事は依存関係にほかならない

大乗仏教、とくにナーガールジュナを祖とする中観(ちゅうがん)派の哲学者たちは次のように主張した。
-----何ものも真に実在するのではない。あらゆる事物は、見せかけだけの現象にすぎない。その真相についていえば空虚である。その本質を「欠いて」いるのである(中略)。
無も実在ではない。あらゆる事物は他のあらゆる事物に条件づけられて起こるのである。<空>というものは無や断滅ではなくて、肯定と否定、有と無、常住と断滅というような、二つのものの対立を離れたものである。したがって空とは、あらゆる事物の依存関係(relationality)にほかならない。

龍樹 (講談社学術文庫) 著者: 中村 元 / 講談社 / 文庫 / 2002-06-10
<空>の思想(16-17頁)



龍樹(ナーガールジュナ)らの中観派の思想について、著者の中村元さんが最初のほうで書かれている文章です。

「あらゆる事物は他のあらゆる事物に条件づけられて起こるのである。」という考え方は、いまの一般的な考え方で見落としがちなものを見せてくれるように思うのです。

今の社会の一般的な考え方は、絶対的にものごとが存在して、誰が誰と関わろうとも客観的に善悪が決定できるような真相が存在するというものです。
もっと言えば、社会は、「相対的でどちらとも言える」というような考えでは受け入れてもらえないところがあるのです。

たとえば、私が誰かに腹を立てるとします。
「なんてひどいことをしてくれたんだ!どうしてくれるんだ。」と憤慨します。

一般的な考え方からすれば、
「相手が私に対して客観的にひどいと決定できるようなことをしでかした。
だから、私は相手のことを避難したくなり、罰したくなるのだ。
他の人が見ても、これに同意するだろう。
だからわたしは、相手に腹を立てるのjは当然のことなのだ。」
というようなことを考えるわけです。

怒る主婦3


しかし先程の考え方を取り入れれば、私が相手に腹を立てたことも、「お互いに条件付けられて起きたことである。」という見方もできるわけです。

私が腹を立てたのは、その特定の相手が存在したから初めて成り立つことであったのです。
その相手がいて、その時に特定のこと起きて、それに対して反応する私がいて初めて「私が腹を立てる」という現象が成立したということです。

それは、相手が別の人では成立しなかった。
それは、私が当事者でなければ成立しなかった。
そして、それが起きるまでに、二人の間の様々な依存関係が積み重なってきていて、初めて成立することであった。

私は、その誰かに以前から様々な依存する関係を持って来ている。
今回の腹を立てる出来事も、それまでに起きた様々な関係がなければ起こり得なかった。
私は、その誰かに腹をたてることもあれば、助けられて感謝することもあったし、それだからこそ今回のことに憤慨したという因果関係もあるだろう。
つまり、今回の腹を立てるという感情も、それが単独では成立しないことである。
いままで、頼りにしたり、感謝したこともあるからこそ、相対的に腹をたてることになったのだ。

二人の関係だけを取り上げても、このように様々な要因が絡み合って、条件付けられて起きてきたひとつの出来事なのです。
ましてや、それ以外の様々な条件をそこに加味すれば、他には二度と起こらないユニークな出来事であったのだと見ることもできます。

こんなことをあれこれ考えていると、相手に対する怒りはどんどん薄まっていくような気がしませんか?

動物とたわむれる


「あらゆる出来事は依存関係にほかならない」

ついどこかに置き忘れてしまうのですが、言われてみればきっとそうであると感じられる、そんな見方ではないでしょうか。
そして、白黒をはっきりさせたがるギスギスした考えよりも、柔らかく優しい気持ちにさせてくれる考え方です。

ですが、現実の社会ではこんな考え方は、すぐに封じ込められてしまいます。

社会が求めるのは、はっきりと白黒がつけられ、誰の責任なのかがはっきりして、正しい方が間違っている方を糾弾してもいいのだと呼びかけるような考え方なのです。

「事情はわかりますけどね。みんながそんなことを言い出したらけじめがつかないんですよ。だから決まりですから従ってください。」と怒られてしまいます。

あるいは、「それは相手が悪いに決まっていますよ。もっと怒りなさい!」とけしかけられたりします。
自分では、「そんなに相手を非難したくないんだけど」と思っていても、そんな考えは封じられてしまいそうになります。

自分はなんとも思っていないのに、「社会を良くするためだからもっと怒りなさい」と余計なことを強要されたりするのです。

どんな社会も、善悪をはっきりさせて、時には誰かを糾弾することは必要悪なのだと言い切るのです。

訴訟


しかし、そのような社会に対して自分がどう振舞うかも、お互いの依存関係によって成り立つことです。
それに従うか拒否するかは私の側の条件次第です。

「社会がなんと言おうが影響されまい」と思うような条件を持ち合わせることになった人は、社会に対して拒否するという働きかけを行って社会に影響を与えることもできるわけです。

このような空観から世間を眺めれば、ずいぶん世界は違って見えてくるでしょう。

なにしろ、いちいち誰が悪いか決定しなくてもいいのです。
そう思うことが、どれだけ気持ちを軽くするか、考えてみてはいかがでしょうか。

今度腹を立てたくなったら、その出来事だけを捉えずに、それまでの依存関係を含めてトータルにとらえて眺め直してみるのです。
きっと毒が抜けていくことでしょう。


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役に立たない考えから抜けだそう(3)

「不健全で現実的でない態度や思考法を取り上げてみます」ということで前2回に続いてもう少し取り上げてみますが、今回の例をを見れば共通する問題点が明らかになってくるでしょう。

・自分はこんなふうに生まれついたのだから変えようがない。
・今の自分がこんなふうになったのは幼児期に親がしっかり育ててくれなかったからだ。
・お金もコネもないし資格も持っていない。こんな私には何もできなくても仕方がない。

また少し変化させてこんなことを言います。

・景気が悪いし、国はきちんと面倒を見てくれない。自分は真面目にやっているから責任はない
・私は他の人に親切にしているのに、誰も自分の面倒を見てくれない。
・世の中は公平でない。私は損ばかりさせられている。だから期待されても困る。

お手上げの子供


これらの考え方の問題点は、一言で言うなら「自分で自分に責任を持とうとしないこと」だと言えるでしょう。
誰か他の人のせいにすれば、自分の責任は回避できると本当に信じているのか、あるいはやけっぱちで言い逃れをしているだけなのかはわかりません。

しかし、それを選択したのは自分なのだということを認めようとしない点では同じことです。

こういった考え方に逃げ込むことが多いようだと、今現在もそしてこれからも不平不満を言いながら、やる気の出ないままで生きていくことになるでしょう。

自分の不満を人のせいにしたり自分の境遇のせいにする傾向は、すぐにやめたほうがいい要注意の考え方です。
そのような考え方では、自分も変わらないし、まわりの誰もがいつかさじを投げて行くことになります。
自分がそれらをコントロールしていること、またこれからもそうであることをまずしっかり認める必要があります。

もう少し状態が良くなったら頑張るという先延ばしもやめるべきです。
だれでも同じような状態に置かれているし、そう言っている間にも状況はそうあるままに進展していきます。
決して自分がそうあるべきだと期待するようには流れていきません。

状況を変えたかったら自分を変えていくしかないし、変えないで受け入れるというなら不満を言ってはならない。
どっちつかずは、最悪の選択だということです。

言い訳しながらなんとかなるだろうと思っているのは、自分を騙しているだけだということに気づかないといかないのです。
そして、自分は騙し続けられても、まわりの人はたとえ最初は騙されても、すぐに関わるのを辞めて自分で責任を取る人としか関わらなくなっていくでしょう。

肝心なことは、いいわけすることでも、原因を追求することでもなく、自分がやったことだけが自分に返ってくるだけだというシンプルな事実を認めることです。

しかし、このような極端な例をあげられれば、自分はこんな事は考えない、自分には縁のない話だと思われるかもしれません。

ところが人間の心理というのは、騙されやすいところがあるおのです。

たとえば、今や社会やマスコミは、しきりに人を批判したり裁いたりすることを煽って(?)いるかのようです。
それに自分も乗せられてしまうと、誰か自分に直接関わらない人を裁いて憂さ晴らしをすることで、自分のつまらない日常を埋めるためのカタルシスにしようとするかもしれません。

実際「自分がやったことだけが自分に返ってくる」などという面白くもない現実を見つめるよりも、何か自分や人間に分からないような不思議な力で物事が起きたり変化すると信じた方がワクワクして面白いではないかと期待するかもしれません。

仮面2


冷たい現実よりも、自分を刺激してくれる話題の方を信じやすいという人間心理の限界があるわけです。

実際、「やらせ番組」で国民全部が騙されたという「偽霊能力者カルロス」のような事件もあるわけです。
偽霊能力者カルロス(人は信じたいものを信じる)

人はより信じたいもの信じるので、自分に夢を与えてくれるのなら現実離れしていても容易に飛躍して信じたりもするわけです。

なんなら、子供の頃の境遇どころか、前世が悪いことにすればもっと強力な言い訳になるかもしれませんからね(笑)。

くれぐれも現実との接点を見失わないようにしたいものです。



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役に立たない考えから抜けだそう(2)

不健全で現実的でない態度や思考法を取り上げてみます。
これらの考え方は、本人にもまわりの人にも役に立たないのですが、人間の心理の傾向としては、それにはまってしまうことが起こりやすいものを取り上げてみます。

・自分の知らないことを他人がわかったように言っているのは許せない。

この考えの何が問題なのでしょうか。
気になる点は、「自分の知らないことが世の中に存在していては困る」と言いたいのではないかということです。

つまり、この世の中は自分が今理解しているようなことだけで成り立っていて欲しい。
自分の知らないことで、もっと正しくて重要な現実が存在するとなれば、いまのままの自分に甘んじていられないではないか。だから、余計なことを言い出さないでいて欲しいと思うわけです。

せっかくいまのやり方でなんとかやってきているのだから、もっと知っていないといけないことなど増やしたくない。だからそんなことを言うやつの意見はけしからん、封じ込めてしまうべきだと考えるのです。

これで十分と思ってしまったとき、その人は現状を守りに入ってしまい、変化を受け入れ拒否し始めます。
変化を拒むことは、生きることをやめてしまうことです。

この人は、さらに周りの世界に不満を募らせることになるのは眼に見えているのです。

叫ぶ主婦


・たくさんの人に好かれていないと、みじめでダメな人間になってしまう。人に嫌われたと思うと、すぐに自己嫌悪に陥ってしまう。

たくさんがどの位なのかはわかりませんが、誰にでも好かれようと意見を合わせなければと思っているとすれば、自分は何もできなくなってしまうでしょう。

そもそも周りを少し見渡せば、同じ意見の人が揃っていることなどないことがすぐに分かるはずです。
自分をどんな立場に置こうと、意見の異なる人はいくらでも登場してきます。

相手から嫌われたとしても、嫌ったのは相手の選択であって自分がみじめに感じたり、間違っていると思わなければならない理由などないでしょう。
相手がどうしてあなたを嫌うのかを告げたとしたら、あなたがそれについてどう判断するかを考える。
相手の指摘が正しいと思えば、あなたは自分を変える選択を取ることができるし、正しくないと思うのなら、あなたにできることは何もありません。
嫌うのは相手の自由ですから、あなたはあなたで自分のことを進めていけばいいでしょう。

こんなことで自分を動けなくしてしまう自分をどう考えるかが問題です。
動きたくないから、言い訳していると思うのなら、そちらの方こそ自分を改めるべきことであるでしょう。
人に嫌われて自己嫌悪するよりも、自分で自分を裏切らないことの方が大事です。

そして、自分の考えでどんどん行動する人は、他の人の批判などでいちいち落ち込んでいる暇はないし、他人から好かれているかなど振り返る暇があったら、自分を自分で誇れるようなことをすることに時間を使うでしょう。

泣いている女の子


・欲しいものは手に入れたいが、失敗はしたくない。

失敗せずに、全部の試合に勝ちたいとでも言うのでしょうか。
そんなことはできないことは、自分自身でよくわかっているはずです。
失敗と成功が入り交じっているのが現実だと分かっていながら、失敗の方だけ拒絶するのはわがままでしかないでしょう。
そうやって、失敗するかもしれない場面に立つことから逃げ出しているから、いつまでも失敗を怖がることになるのです。

まずはひとつ失敗するところからスタートしましょう。
これでもう失敗したから怖がることはありません。


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思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

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役に立たない考えから抜けだそう(1)

不健全で現実的でない態度や思考法を取り上げてみます。
これらの考え方は、本人にもまわりの人にも役に立たないのですが、人間の心理の傾向としては、それにはまってしまうことが起こりやすいものを取り上げてみます。

・自分ほど大変な問題を抱えている人間はいない。(だから人は自分を助けなければならない)

どうにも改善できない状態にあるから、「自分ではどうしようもない」といういいわけで自分を正当化しようとしているわけです。
だれでも多かれ少なかれ問題を抱えているものですが、普通はその程度にかかわらず何とかする方向に動き出そうとするわけです。
しかしこうした考えを持つ人は、自分で解決しようとすることを放棄して、自分はかわいそうな救助が必要な人間であることに逃げ込もうとしていしまいます。

もともと自分を被害者の役割に仕立てる癖があるのでしょうが、被害者で怯えているのも嫌になって、周りの人間が自分を救ってくれるべきであるという迫害者側に転じようとしているのです。

もちろん自分で対策を考えようとはしないわけで(対策はできないことにしているのですから)、考え方を変えない限り、自分ではここから脱出することができません。

またこのような考えを振り回されては、相手にする人はいい迷惑というものです。

2つの感情


しかし、最初はこのような被害者を演じる人に近づいてくるタイプの人がいるものです。
それは、困っている人を見て、なんとか救ってあげたいという救助役を演じやすい傾向のある人たちです。
そのような人にとって、「困っているんです」という訴えは放っておけないものですから、なんとか役に立てないかと思ってこのタイプの人に惹きつけられます。

しかし、やがて相手がいつまでたっても自立しようとしないことに気づくと、これ以上手助けをしていられないという気になってきます。
こうして最後は、被害者役は助けてくれなくなった救助者を非難し、救助者役はどうして自分が非難されることになったのか首をかしげながら、不愉快な思いをしてゲームが終了します。

救助しようと思った人にも、なにもできない相手を助ける立場に立つことで、自分の価値を見出そうとする弱点を持っていたわけで、カープマンの三角図※の関係が成立してしまうわけです。(※自分の人との関わり方を知ろう http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-489.html

話を最初に戻しますが、このような考え方は途中で現実に正面から向きあうことを回避するようになってしまい、本当には解決しないやり方で当面の自分を納得させようというごまかしを生み出すのです。

相手をしてくれるゲーム相手が存在する間はごまかせても、いずれどうにもならなくなるのはすでに見えているわけです。

自分がやっていることを客観的に見ることができるようになって、いままでの偽物のやり方では結局は解決できないことを認識しなければなりません。
いくら幻想をいだいても、現実は自分が実際にやったことしか実現しないことを、しぶしぶでも認められれば、先へ進む道も開けてくるのです。
いままでの習慣は簡単には変えられないでしょうが、何度か後戻りしつつも現実的な行動を取ることに軌道修正していけば、もはやゲームは不要になり自立の道が開けてくることでしょう。



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いい加減を知るということ

智恵とは
いゝ加減を
知る
ことです

いゝ加減
とは
争わぬ
ことです


Wisdom is to understand
moderation;
moderation is to prevent
from fighting.

故知般若波羅蜜多(こちはんにゃはらみつた)

故に知るべし。般若波羅蜜多は、

羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
著者: 荒 了寛 里文出版 / 2001-05



「智恵とはいい加減を知ること」

「いい加減」とは、これでもう十分だと見極められることではないでしょうか。

私たちは、もともと必要なことを必要なだけ手に入れたら、これで十分だと感じてそれ以上ほしがらないものではないでしょうか。

しかし、いろんな経験から知識を刷り込まれて、いつのまにか「もっともっと」と手に入るだけ手に入れようと考えるようになってしまいます。

蓄えておけば、いざという時に困らないという発想から来るのかもしれませんが、最初はそうであっても、気がつくと果てしなく求め続けるようになるのは、時間の問題のようです。

「もっと」という言葉はいくらでも繰り返して使えますが、このような言葉や思考が持つ性質は、自然を離れて人間の思考の対象を果てしないものにしてしまうのです。

本当はどこかでもうこんなに欲しくないと思う自分がいながら、「もっと」手に入れろと主張する我が存在するのです。
仏教的には「諸法無我」というように我は実際には存在しない仮のものと捉えます。
我の主張する要求に騙されない様に、「いい加減」の限度を超えないことが智恵なのです。

けんか夫婦1


「いい加減とは争わぬこと」

争うというのは、その本質は「私の方が上である」と主張したがることでしょう。
「もっともっと」と欲しがる我に任せていれば、成り行きとして他人よりも多く、強くなることを目指すようになってしまうのです。

自然界においても競争とみられることはあるでしょうが、「いい加減」を超えてまで争うことをエスカレートさせるのは人間だけでしょう。

人間の争いは、どこかで限度を超えてしまって、何が目的だったかももはやわからない、競争のための競争になってしまうのです。

ややもすると「いい加減」を忘れてしまう私たちですが、それを思い出させてくれるのが「智恵」というものです。

植物との共生


「智恵」に従って「いい加減」を守っていれば、苦しみはなくなります。
またそこには、争いはなくなるのです。
苦しくなってくるのは、「いい加減」を忘れて追求し続けている自分がそこにあるということです。
そこにある、加減を知らない我の要求に気づけば、苦しみの原因は見つかるでしょう。

「こんなにやることがある。憂鬱になってきた。」と思うなら、「本当にそんなにやらないとダメなの?」と問い直してみましょう。

「これだけでは足りない。もっといっぱい獲得しないと、怠けるんじゃない。」という声が聞こえたら、「そんなにいっぱい本当に必要なの?」と問い直してみるのです。



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避けているもの、あるいはワーカホリック

現代はますますペースが速くなっているように感じられます。

インターネットは世界の物理的な距離を狭めただけでなく、何でもネットでショッピングが出来てしまうようになると、買い物に出かけることさえ省略してワンクリックで決めてしまうといったことも現実味を帯びてきます。

スピードアップすることは確かにある面では便利なことですが、そもそもなぜそんなに急いでいるのかを考えたことはあるでしょうか。
作業を楽にするために便利さを追求していたのに、そのことで別のやることが増えてしまって、結局は忙しいのは相変わらずです。
いやむしろもっと忙しくなっているといったほうがいいでしょう。

急いで出勤


そのように考えると、もともと私たちは暇になるのを望んでいないか、あるいはそれを避けているのではないかと思えてきます。

「社会がペースが早くなっているので、どうしてもそれに合わせてペースをゆるめるわけにはいかないんだ。」と言い訳していますが、私たちの側でもその忙しさを利用して避けるようになってしまったことがあるのです。

それは、社会に合わせて理性的に生きることを優先するあまり、「感情」とゆっくり向きあうということを避けるようになっているということです。

忙しいのに慣れきっている私たちは、作業が一区切りしてゆっくりできる時間ができたばあいでも、じっとしてくつろごうとすると、すぐに落ち着かなくなって何かを始めたい衝動に駆られるのです。

じつは、なにもしないでいると具体的な思考が忙しく働かないので、どこからか出番を待っていた未解決の感情が忍び寄ってきて脅しをかけるので、無意識にそれを避けようとするのです。

ただでさえ扱いのやっかいな感情、それが今の生活に入り込んでこられると、その中にどっぷり入り込んでしまうことになると予想するのです。
また、いつまでその感情がわき出し続けるかわからないという思いもあり、それを恐れているのです。

そんな事になったら忙しい今の生活に支障をきたしてしまうに違いないと予測して、すぐに忙しさの中に入り込んで感情が入り込んでくるのをせき止めようとします。

しかし一度腫れ物に触るように感情をしまい込んでしまったら、もとはそれほど大したことのなかったものでも、想像の中で巨大になりとても向き合うのが怖い存在にまで育ってしまいかねないのです。

上司に叱られる


押し込めてしまっているにもかかわらず、日常生活ではそんな素振りは見せずにうまく立ち回らなければなりません。
仕事では上司から小言を言われ、部下からは負担をかけられ、家庭では日常的に処理しなければならない細々した作業が溢れています。
とても、やっかいな感情と付き合っている時間はないのです。

もちろん周りの人や、社会からはあなたの状態などには関わりなく、社会や家族や地域の一員としての役割を果たしてくれる人間であることを期待されています。
それをこなさないと何を言われるかわからないですから、期待にそって役割を果たそうと思うのです。

ともかく、扱いのはっきりした理性的な行動に関わっていれば、その間は不安を感じなくて済むと考えています。
ワーカホリックとは、仕事に依存し、仕事を離れてしまうと落ち着かなくなってしまう状態を言いますが、その原因は仕事が忙しくてそれに対応しようという思いからだけではなく、忙しくしていないと困るという心理的な働きがそれを後押ししているということも見逃してはいけないのです。

こうした感情は、すきを見て襲いかかってくるような気がします。
隙を見せると感情に入り込まれていつもの自分を維持できなくなっては困ると心配なのです。
ですから、チラッとでも感情を見かけると落ち着かなくなり、正体の分からない身体的な不快感をもたらすこともあります。

またそれを避けるためには、仕事以外でもすぐに没頭できる何かを探し求めます。
テレビに熱中できればそれで何時間か過ごせます。
ネットサーフィンやツイッターで、バーチャルな関わりを持ち、それによって気をそらしていれば感情はしばらく気配を消してくれます。
パチンコやギャンブルあるいは居酒屋での憂さ晴らし、どれもその時は忘れられても後には虚しさや後ろめたさが控えているのです。

仕事だけでなく、これらのどれもワーカホリックを構成しているとも言えるでしょう。


私たちは、自分にとって心地いい感情ならば歓迎し、さらには本来の継続期間を過ぎてもそれを続けたいと思ってしまうのですが、一方で逆の感情の場合は、お断りなのでないものとして扱いたくなるのです。

怪我をすれば治療すればいいというのと同じ感覚で、不快な感情は消し去る方法を知りたいと考えているかのようですが、感じきるまではどんな感情であれ残されたままになってしまいます。

2つの感情


感情というのは都合のいい方だけを感じて、反対の感情はしめ出すというわけにはいきません。
そのように分けているのは、思考でいいとか悪いとかあとから判断した結果だからです。

じつは、最初に感情が発生した状態では、私たちの都合からの良い悪いはありません。
いまという瞬間にとどまっていれば、ただ判断されないままの感情を受け取り、そのまま味わうことになるわけです。
そして、たとえ感じたくないとあとから思うような感情であっても、そのまま味わってしまえばあとあと引きずることもないわけです。

そのことは誰もが経験し知っていることですが、過去に嫌な感情を味わったことを思い出して、それを再現したくないと拒絶することから問題が起き始めるわけです。

その単純な回避行為が、あとあと蓄積され続ける未完了の感情を生み出しているわけです。
「どこかでつけは払わなければならない。」という問題なのです。

しかし単純なことながら、いまの感情をありのままに受け入れることが必要だし、それで心の安らぎも得られると気づいている人は少ないし、現実にはたとえ知っていてもなかなか実行しようとはしないのです。
「なんとか他の方法で感情をチャラにできるはずだ」と信じていたいのかもしれません。
しかし、誰もそのやり方では成功していませんし、その結果こじれた感情を持て余すことになることが一般的になっているのです。

感情を選り好みしなければ、心を開いたままでいられるわけで、その結果相手からイライラさせられたり、憤慨することも味わいますが、同じように相手のいいところも素直に喜ばしく感じることができるのです。
いちいち感情を受け取るかどうかの判断をしないでいいわけですから、そのまま「いまを生きている」感覚を獲得できるのです。

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理性で生きているつもりでも

私たちは普段、何を考えているか自分でわかっていることばかりを対象にして、あたかもそれがすべてであるかのように暮らしています。
それに比べて、感情というのはつかみどころがないものが多く正面から向き合うことはあまりありません。
むしろ、感情はなんとなく厄介なものという感じで避けてしまって、すぐに日常の具体的な用事を見つけて忙しがったり、行動に走ろうとするのです。

ゆっくり静かな時間を持つよりも、すぐにテレビをつけたり、家事を片付けようとしたり、あるいは買い物にでかけたりと、無意識に感情に浸るような時間を作ることから逃げてしまうようです。

確かに思考から思考に移動し続けているのは簡単だし、何をしているかはっきりしている気にもなるので安心できますが、いつも表に出してもらえない感情はそれによってさらに扱うことが難しくなってしまいます。

怒る女性     悲しむ制服女性


たとえば、いますぐ怒りをあらわしてくださいとか、悲しい感情を表現してみてくださいといわれたらどうでしょうか。
思考の場合とは違って、直接感情を引き出すのは難しい事に気づかれるのではないでしょうか。
演技の練習をしている方ならともかく、いきなり感情に入ることは難しいわけで、おそらく感情を表現しようと思ったらまずはその感情を引き起こすような場面を思い浮かべないといけないでしょう。
つまり、意図的に感情を引き出すには、まずは思考を使って感情を引き出すような状態を作り出す必要があるのです。

しかしそれでは感情的になるのは、いつも思考を経由しているのかといえば、必ずしもそういうわけではありません。
いきなり「感情がほとばしってくる」と表現されるような状態があることは経験されているでしょう。

理性的になろうとしても、思考などを追い越して急激に情動的な反応に入ってしまうということが起こるのです。
まさに感情が、溢れ出すとか吹き出すような状態になると、いつもの思考を経由した流れでは制御ができなくなってしまいます。

これは、おそらく思考を経由するのとは違った回路で反応が起きてしまうということでしょう。
ちょうど何か身の危険があるようなことが起きたような、緊急事態の反応にも似た現象が起きるのです。

大脳辺縁系に属している「扁桃核」と名づけられた脳の部分は、「古い脳」と呼ばれていて、原始的な情動を想起させる脳の機関であると言われています。
実際、扁桃核が損傷すると、恐怖心、不安感、不快感が喪失するため、本来なら危険を感じて回避する場面に遭遇しても反応できずに回避行動が取れなくなると言われます。
また、この扁桃核はその不安などを感じた状況を記憶する働きがあるらしく、同じような状況が発生すると不安感などが蘇ってくることになるようです。

急激な情動反応がなぜ起こり、どう対処するのがいいのかを考えるには、この情動を呼び起こす扁桃核の働きについて知っておくことも何かの役に立つでしょう。

もともとこの原始的な情動が発動するのは、何か身の危険があるような場合に遭遇したときに、素早く反応するために備わってきたと考えると当たっているように思えますね。

ところで危険に対処する場合に、その危険な状況をあまりにも精密に記憶していたのでは、それに近い状況に遭遇しても同じではないと判定してしまう可能性があります。
それよりもある程度似た状況が起きたら、例え間違ったとしても一旦は危険に対処するように身構えられたほうがいいはずだと考えられますよね。
実際、この扁桃核の反応は一部の要素が一致すると情動が発動されるというように、あいまいにファジーに判定が働くようにできているようです。

脳


ところが、何事も長所でもあれば短所にもなるわけで、このあいまいな判定は危険の回避のためには有効ですが、必要のないときにも発動されてしまうと、それがじゃまになるということもあるわけです。

たとえば、何かを聞いたり見たりしたことがきっかけで、不安になったり憂鬱になったりという反応が起きるとします。
理性的に考えれば、いまは何も問題のない状況だから「もう不安に思ったりする必要はないんだよ」と考えてなだめようとするのですが、なかなか理性では制御できないという場合があるものです。
そしてその時、不安な反応が誤作動でたびたび引き起こされることになれば、いつまでも気分が落ち着かないままになってしまうということも考えられます。
ちょうど火災報知器が反応が良すぎて、火事でもないのに機能してしまうようなものですね。

思考が途中に介在できるような反応であれば、まだ扱いやすいのでしょうが、別系統で反応してしまう情動は理性的に収めようとしても限界があるということになります。

現実的な問題を考えてみるなら、たとえばいままでいじめられた傾向がある人は、ちょっとでも似た傾向がある人に出会うと、またいじめられるのではないかと思って恐怖を感じてしまうといった障害が起きてしまいます。

理性でコントロールするのが難しい以上、このような感情と付き合うには、できるだけ自分の陥りやすい感情傾向を知っておくというように、直接自分の感情と向き合うという対処方法が必要でしょう。
あなたの感情の傾向を知りましょう

また、直接日常生活に支障をもたらすことはないにしても、自分の感情傾向を知っておいたり、感情と向き合う機会を多く持つことはいろんなメリットがあるはずです。

最初の方で述べたように、私たちは思考に入り込むことは慣れていて容易にこなせるのですが、感情と向き合うことはなかなか避けてしまう傾向があります。

思考活動のようにゴールがはっきりしたものと比べて、それが何の役に立つのか見えにくいのが、感情と向き合うことです。
ですが、すこし長期的に見るならそのような時間を普段から持つことは、結局は理性的な活動を行う場合にも、もっと効率的に行えるための助けにもなるでしょう。
また、そもそも自分の感情を抑えないで扱えたほうが、いきいきした日常を送るためにも必要なことであるのは言うまでもありません。
発散できない感情をいつまでも抱えたままにして、それを理性で押さえ込むという無理な生き方は、いずれその感情に関係した問題に直面しなければならなくなるでしょう。

どのくらい自分が普段から感情をないがしろにしているかを、たまには考えたいものです。

瞑想する顔


たとえば、思考活動をストップしてどれだけ平気でいられるかを試してみると、あなたのその傾向がつかめるかもしれません。

何も考えず、何もしない時間を過ごしてみようとします。
思考を使わずにいるとすぐに不安になってくるのを感じるかもしれません。
こんなことをしていると、普段避けている感情を思い出すから、すぐに何か考えて自分を忙しい状態に追い込もうとする反応が起きたりするのです。

何も考えないでいようと思うと、とんでもなく時間がたつのが遅く感じられるかもしれません。
「こんなことは馬鹿げている。はやくもっと役に立つことを始めよう。」という思考が入り込んでくるかもしれません。

そのような様々な抵抗を感じてもひたすら受け流して、できるだけそういった時間を作るワークをしてみれば、自分が今までいかに思考を手放せない生活をしてきたのかが分かってきます。
また、思考が介入しない感情のための時間を持つことにたいして、いままでよりも不安に思うことがだんだん和らいでくるでしょう。

「感じることを怖がってなどいないよ」と理性ではいっていても、実際には感情をこわがって逃げ回っている自分を発見する可能性が高いのです。
「ワーカホリック」という言葉がありますが、曖昧な時間を持つことで感情と向き合うことになるのを恐れて、すぐに忙しさに逃げ込もうとするのが習慣になってしまうのです。

それが高じてくると、なかなか自分の感情との接点を持てなくなります。
また、そこで不安から逃げようとしてさらに理性で感情を抑えこもうとすることは、悪循環を生み出してしまうことにもなります。

「自分は理性的な人間だから心配ないよ」と言っている人が、一番危ないとも言えるのです。

スピードを落として、何かしたいとはやる気持ちを抑えるとどうなるのかを試してみるのです。
いまから30分、予定のことを一切考えない時間を持ってみようと宣言して実行してみるのです。
「無駄だ」という声を無視して、自分の感情にとことん付き合ってみましょう。
そしてこのような時間は、あとで充分に取り返せるし、メリットも大きいということを信じて実行してみるのです。


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老荘思想のコラム連載(10)

『COCORiLA (ココリラ) ?癒しのポータルサイト?』様にて老荘思想のコラムを連載中です。

【今月のコラム】

「現代社会と老荘思想(10)」 [2010/11/04]


台風が来たって朝には静かになっている
大雨が続いても1日で終わるだろう
このように天地の働きでさえいつまでも続くものではない。
ましてや、人が考えて作りだしたことなど長続きするわけがない。
老死道徳経 第二十三章

この老子の言葉は、他の章でも一貫しているように、人間が頭で考えた作り物のやり方は長続きしない、タオの流れに従ってまかせることが自然な命の働きであることを言いたいのでしょう。

自然はたえず変化し、川の流れも一時として同じものが止まってはいない。
私たちは、人間もその自然の一部として変化し続け、やがて年老いて世代交代する存在であることを承知しています。
しかしそれを承知していながら、他の動物と違って人間はその自然の流れを止めたり、入れ替えたり出来ないだろうかと考えます。

変化を止められる様に感じてしまうのは、思考の働き、もっと言えば言葉を使うという人間の能力が、良くも悪くもまねいた結果と言えるでしょう。

ただ流れていく出来事をどこかで止めて考えることは、時間による変化も考慮した思考を可能にします。
動物的な直感での判断だけでなく、客観的にものをとらえて時間の変化も計算に入れた行動の指針を生み出すことも出来るでしょう。
それにより、未来を見据えた計画というものを考え出せるわけです。
さらには、今を離れて未来を予測することも可能にします。
・・・・・・

喧嘩する親子    喧嘩夫婦


私が思う「あなた」とは、私が作りあげた「あなた」であって実際のあなたではないことを、すぐに見失ってしまいます。

私は自分が作り上げた「あなた」を操作し、コントロールしようとします。
本物でない「あなた」を相手にしていますから、私が思うようには相手は反応してくれないでしょう。
しかも、それはどこかの時点で作り上げた「あなた」という存在であって、刻々と変化する私とあなたの関係は時間を止めてしまった「あなた」では推しはかれません。





【今までの連載記事】

「現代社会と老荘思想(1)」 [2010/02/15]
「現代社会と老荘思想(2)」 [2010/03/06]
「現代社会と老荘思想(3)」 [2010/04/10]
「現代社会と老荘思想(4)」 [2010/05/02]
「現代社会と老荘思想(5)」 [2010/06/06]
「現代社会と老荘思想(6)」 [2010/07/11]
「現代社会と老荘思想(7)」 [2010/08/14]
「現代社会と老荘思想(8)」 [2010/09/05]
「現代社会と老荘思想(9)」 [2010/10/09]




以下のサイトで連載しています

癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)




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YES/NOだけでは生きられない

YES/NOをはっきりさせて、ものごとを明確に分けられると効率よく作業が進みますし、たしかに分かりやすいのです。
すぐに白黒はっきりさせられるから、何か落ち着くような気もするし、問題がどんどん片付いてる気にもなるのです。

ところが、問題はそのようにYES/NOがはっきりする問題ばかりではないということにあります。
むしろ、白黒はっきりする問題など、人為的に決めた表面的なものがほとんどでしょう。

人が名前をつけて、その概念を両方の極に分けます。
その両極の間には、無数に連続して変化する度合いが存在しているわけです。
ところが、例えばその対象が「好き」か「嫌い」かという両極を表す言葉を使うとすると、63%好きだけど37%は嫌いというような言い方をすることはまずありません。

別に、どちらかに決めろと強要されていなくても、なんとなく「好き」か「嫌い」かどちらかに自分の立場を決めておいたほうが安心する気がするので、どちらかを自分の選択として選んでしまいます。
その結果、言葉で考える私たちは、いったん「嫌い」と決めた対象には、最初の印象など忘れてしまって、どんどん嫌いな理由を集めてしまうといったことが起きるのです。

偏食1


本来の私たちは、そんな両極の間にあるグレーゾーンに生きています。
その時の気分で、「好き」になったり「嫌い」になったりするのが自然な状態なはずなのです。
それを無理やり言葉で決めてしまうから、自分の気分まで白黒決めることを強要し、その結果としてすっきりしたような気になりながらも、実は自分の行動を窮屈にしていることに気づかないのです。

ふと「こっちの考えもいいところがあるな」と感じたとしても、自分はこれは嫌いなはずだからといって、そんな自分の感性は無視され抹殺されてしまいます。

二者択一に考えると、迷わなくていいやと思ってしまいますが、そこで捨て去られたグレーな自分はいずれ不満を感じて反撃に出ることになるでしょう。

グレーなゾーンは、もともと白黒はっきりしない部分だけに、何を訴えたいのかわかりにくいのです。
それよりもはっきりした言葉で自分を表現して「私は白なの」と言っている方が安心出来ると思ってしまいますからグレーな自分は認識されにくいのです。

「仕事が効率よく運び、成果も上がってきている」、当然自分でも調子いいと感じています。
仕事に夢中になり、時間を忘れて作業しているかもしれません。
しかし、このような期間をある程度過ごすと、だんだん疲れを感じ始めます。
ひとつのプロジェクトが終わった時点で、力尽きたような感じにさえなってきて、しばらく何もかも忘れて休みたいとおもうのです。
これは、グレーな自分を取り戻したいという訴えなのかもしれません。

ですが、グレーなことを嫌う人なら、すぐにそれも忘れて、次の目標を追い求めようとします。
もともとはっきりしないグレーな時間を過ごすのが苦手なのです。
こんな時間の使い方はムダでしかないと思い込んでいるのです。
そうして、グレーの期間はあっという間に終りを告げ、次のYESを探し求めることになります。
緊張が緩和された時間を経験することが少なくなり、メリハリがなくなってきます。

疲れたサラリーマン


いつまでもそれで乗りきれるのならいいのですが、生身の人間にはグレーの世界を切り捨ててしまうことは無理があります。
いつかグレーの部分の訴えを無視できなくなってきます。
それはグレーなだけに曖昧で、言葉で捉えにくいので扱いに困ってしまいます。
それでもグレーな状態に身を置くことを取り戻さないといけないでしょう。

無駄なこと。
こどもが滑り台の階段を駆け上がり、一気に滑り降りることを楽しんでいます。
それは、なんの意味もない非生産的な、無駄な行為でしょう。
こどもだからそんな無駄な時間を使っているのだと考えて終わりにします。
しかし、重力に逆らって階段を駆け上がり、獲得した位置エネルギーを一気に滑り降りて使い果たす。
そのときの、顔が歪むような空気の抵抗やGを感じることを忘れてしまうのです。
階段を急いで上がろうとして、足をかけそこねて膝をぶつけてしまう。
その痛みに悲鳴をあげることなど、起こることさえ忘れてしまいます。
階段を見れば、次の瞬間に階段を上がりきった自分を見てしまうから、途中のアクシデントは計算外です。
だから、仕事でちょっと計算外の事態が発生すると青くなって慌ててしまうのです。
そのうえ、そうした取り乱した自分は、計算外の自分としてすぐになかった事にしてしまいます。
そのような習慣が、身体の訴えや拒絶感を感じなくしてしまいます。

滑り台


普段から何事にもYES/NOをはっきりさせたい傾向があるのなら、すこし見なおしてみたほうがいいかもしれません。
あいまいで、なんの役にも立たなく見える世界ですが、実はそんな中に自分の本当に求めるものがあるのかもしれません。
はっきりした目標を追い求める自分だけが自分ではないことを思い出す必要があります。
他の人がやっていることをみて、チャランポランでいい加減だ、そんなことでは効率が悪いし何も達成できないと価値を認めていないかもしれませんが、そこにある価値を見ることを忘れてしまった自分の偏見なのかもしれないのです。

はっきりしたものは分かりやすいですが、それだけでは生きられない。
両極の間に存在する膨大なグレーゾーンを無視するわけにはいかないのです。


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まよいのもとを問う

ある人、まよいのもとをとふ、よしあしをしるがもとなり。

ある人、さとりのもとをとふ、よしあしをしるがもとなり。

「至道無難」


ある人が、迷いのおおもとはどこにあるのでしょうと問います。
それは、本当のよしあし(善悪)を分かっていないからだと答えます。

ある人が、さとりを得るためには、その根源をどこに求めるのでしょうと問います。
それは、本当のよしあし(善悪)を見分けることだと答えます。

探す1


迷いの根源を尋ねたくなった人は、どんな状態にあるのでしょうか?

その人は、自分がこれを手に入れたり、達成できたりすれば、自分は満足し幸福になるだろうと考えます。
しかし、それを追求し、ある程度達成したとしても迷いはそのままです。
相変わらず、「何か違う」、「獲得したものは自分を満たしてはくれない」と感じているのです。

私にとっての「よしあし」(大事なこと)が、どこか間違っているのではないだろうか?
そう思っているから、この問いかけをしたわけです。

しかし、私の求めているものは正しいはずだ。
それが証拠に、「〇〇を手に入れた」、「人からすばらしいと評価してもらった」ではないか、どこが間違っているというのだ。
そんな思いは、依然として心の隅に残っています。

あなたが求めて手にいれたのは、お金や名誉や評判でした。
その結果、正しくそれらを手に入れました。

人がそれを手にいれれば幸せになると言っている。
社会はそれを獲得することを勧めている。
テレビのCMやニュースは、それを手に入れるにはどうすればいいか、
もっとこうすればいいですよ、といつも訴えています。
それを忘れていると、こんな事になりますよ、と脅かし続けます。

だから、それに答えて頑張っているじゃないか、なのになんで満足できないのか?
「どうしてくれるんだ!」と訴えても、社会はそれについては答えてくれません。

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あなたが求めて手にいれたのは、お金や名誉や評判でした。
その結果、正しくそれらを手に入れました。
なのにちっとも、安心出来ません。
穏やかな気持にはなれないのです。

何も間違った結果が出ているわけではないのです。
求めたものは、手に入っているのです。
間違っているのは、穏やかな気持になりたいと思いながら、違うものを追求しているからです。

あなたにとって「本当に大切なものは何か」という本心からの問いかけをしないで、外側の世界が教えるよしあしに従っているから、本当に期待するものがいつまで経っても手に入らないのです。

「よしあしをしるがもとなり」

本当に期待するものを手に入れるには、よしあしを自分の内側に求めてみることです。
他の人が「すばらしい」「それでいいんだよ」と言ってくれることを基準にしないことです。

頭を水の中に沈めて息を止める。
もう我慢できないと思ったとき、あなたが求めるのは「人からの評価」ですか、「お金や財産」でしょうか?
違いますね。
あなたは、生きるために「空気」を求めるのです。

溺れる人


しかし、普段からあなたが求めてやっていることは、できるだけ息を殺して、外側の世界が期待するものをせっせと獲得しようとしていることです。

そうではなくて、あなたはもっと自分の生命を輝かせるものを求める必要があるのです。
それは外側にさがすのではなく、あなたしかわからないあなたの本当の訴えに耳を済ませないとなりません。

あなたが会社に務めているなら、昼休みにお弁当を買いに行くでしょう。
たとえば、コンビニに入っていき、一直線にお弁当のコーナーへ行くのです。
このとき、あなたは自分の求めるものと行動が一致しています。

しかし、別の日にお腹がすいているあなたは、コンビニに入ってふと目に入った期間限定のディスプレイに気を取られます。
期間限定だから今手に入れたいという気になってきて、自分の本来の目的を忘れます。
こんなに魅力的なものだから、これを手に入れておけば、そのうちお腹の空いたのも忘れてしまうだろうとワケの分からないことを考え出します。
こうしてあなたは、生命が求めるものを、他の魅力的なものでごまかしてしまおうとするのです。

にせものの欲求を刺激するものにはこと欠きません。
外側の世界にとらわれていれば、あなたの生命の訴えよりも、もっと魅力的に装うものが溢れているのです。

「ある人、まよいのもとをとふ、」

「よしあしをしるがもとなり。」

いつも自分が探し求めて、実際に行動していることは何かを正直に見なおしてみましょう。

それは、誰が求めることですか?

誰かが、あるいは社会が正しいと訴えているものですか?
それとも、あなたの生命がもとめているものですか?


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難儀があるので有難い

世の中は
難儀が
あるので
有難い


We are thankful for the difficulties in our lives.

能除一切苦(のうじょいっさいく)

能く一切の苦を除き、

羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
著者: 荒 了寛 里文出版 / 2001-05




「有難い」とは「有ることが難しい」、「有ることがまれ」だからこそ感謝の念を抱くという意味ですね。

ですから、世の中が難儀に満ちていることは、その中から「有難い」ことを見つけ出すこともできるわけです。

もし世の中が「有りやすい」ことばかりで出来ていたら、そんな中から「有難い」ことを見つけ出すのは難しくなります。
同じことを経験しても、こんなことは当たり前にそこら中にあることだと思っていたのでは、ちっとも有難いとは感じられませんね。

ですからこの詩句は、世の中が難儀に溢れていてこそ、有り難さも感じられるものといった意味に解釈できます。

泣く地蔵


たとえば、24時間営業のコンビニ、今は当たり前のようにどこでも存在しますが、そんなものがなかった時代ではどうだったでしょう。

夜になってから、必要なものが足りないことに気がついても、「もうお店は閉まっているから明日買いに行くしかないわね。」というのが常識でした。
あるいは、昼間であっても今日は日曜日だから、月曜日まで辛抱するしかないわねといったこともあるでしょう。
次の日になってから、ようやく欲しいものが手に入った時の「有り難さ」は、今の時代とは比較にならないものがあったでしょう。

しかし、いったんコンビニが当たり前の時代になってしまえば、世の中の難儀がその分少なくなったわけですが、すぐにその状態にも慣れてしまいます。

コンビニ時代に「有難い」ことを探すとしたら、たとえば今まで15分歩いていたところを、もっと近くにコンビニができたので、これは「有難い」と感じるのです。

さらには、サービスの内容でしょうか。
コンビニAで新商品がスタートしたと知りますが、「家の近くにはコンビニBしかないなあ、コンビニAができてくれれば有難いのだけど。」と感じたりします。

しかし便利になればなるほど、ありがたさの基準はレベルアップしてしまい、それまでありがたかったことは、大したことではなくなってしまうわけで、一概に喜ぶことばかりではないのです。

この教訓は、欲望にはキリがないという話にも取れますが、「有ることが難しい」から「有難い」という意味を考えて見れば、その本質が相対性にあることを見ないといけないでしょう。

仏教では「縁起」という考え方がありますが、私たちの存在は独立してあるのではなく、その周りの環境に依って立つことを忘れてはなりません。
私が「有難い」と感じるのは、私個人の存在が単独で感じているのではなくて、周りのものごと、周りの人々に依存して成り立つわけであり、さらに言えば、この国、この時代の社会で生きていることもその要因であるわけです。

そのような様々な要因(縁)があってこそ、今の自分も存在していることを思い起こせば、今の私がありがたいと感じたり、苦しいと感じたりすることも相対的なものであることに気がつくでしょう。

笑う地蔵


実は、いまの私がありがたいと感じているのは、思いもしなかった「難儀」があることが、そのありがたさを成り立たせているのかもしれません。

あなたは「この厄介ごとさえなければ、もっと幸せだったのに」と自分の不運を嘆いているかも知れません。
しかし、いま言ったような見方で自分の環境、成り立ちを振り返るならば、「そのことがなければいまの喜びは存在しなかったかもしれない」という方向からも眺めてみるのが公平というものでしょう。

今の自分から見て「いいことばかり起きてくれれば、もっと幸せなのに」と思ったりするかもしれませんが、その状態になればなったであたらしい「難儀」も登場することも忘れてはなりません。
むしろ今の自分を成り立たせている「縁起」を振り返ってみれば、この一見嫌な要因があってこそ、いまの自分が成り立っていることを発見するかもしれません。

たとえば、その困難を経験してこそ獲得できたあなたの能力、他の人は羨むかもしれませんが、あなたは嫌な思いをして強制的に経験させられたのです。
それは二度と起きてほしくないという経験だったのかもしれません。
歓迎する気には到底なりません。
とても自分からは望まない経験だった。
しかし、あなたのいまの能力をもたらしたのは、その経験があればこそでした。
それがあったおかげで今の自分がある。
そう思えば、その「難儀」も必要なもの、かけがえのないものだったのだ。
そのようにも思えてきませんか。

単に嫌な経験、起きてほしくなかった出来事とみて排除しようとするのか、いまの自分を構成している貴重な経験だったとみるのか、その違いは大きいと思います。

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