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不安なときはそれを認めてしまう

たとえば試験とか試合の前とか、プレッシャーを感じる時には、不安がつきものですね。

しかし不安を感じると、すぐにこれを封じ込めてしまおうとする人が多いのではないでしょうか。

「別に不安なんかないですよ!」と強がってみますが、本当は不安を感じている自分をなんとか騙そうとしているだけです。
あるいは、「落ち着くことだ」「早く冷静になろう」などと考え出すと、逆効果で余計に焦ってしまうのです。

悩む女の子


不安は押し込めようとすると、余計にそれが気にかかって来る場合が多いですから、こんな時はまずは自分が不安を感じていることを認めてしまうことです。
そもそもプレッシャーのかかる状況に置かれたら、不安を感じるのが当たり前なのです。
不安を感じない方が不自然なのだからと思って、「結構不安を感じているなあ!」とさっさと自分から不安を感じていることを認めてしまうことです。

自分で不安を認めてしまうと、「何が自分を不安にさせているのだろう?」と考える余裕も出てくるものです。
実は不安というものは、対象がぼんやりとしているのが特徴です。
対象がはっきりしている恐怖と異なるのが不安なのです。

何が不安の原因かを探ってみようと考えだすと、対象がだんだん具体的になってきますから、いつの間にか不安だったことを忘れて対象に関心が向いていたりします。そうなればいつもの自分に戻ってきますよね。

それと、あらかじめ自分が不安になりそうなことが分かっているなら、それに正面から向きあってしまうのがいいですね。
不安の対象になりやすいのは、自分の苦手意識のあるもの、つまり弱点ですから本番が近づいたらなおさら弱点の補強に集中してみるといいでしょう。
決して弱点から目をそらそうとしないことです。
目をそらして、気になってないよと打ち消そうとするから、先程の不安を否定するのと同様で、ますます不安を強化することにもなりかねません。

ノートパソコン女性


それから、試験や試合ならば否応なく時間になればスタートしてしまいますが、自分でいつ始めるかを決められることの場合は、不安だからついつい先延ばしになってしまいますね。

こんな時は、まず最も簡単なことからとりかかってしまうことです。
たとえば、さっさと机に向かうとか、パソコンの電源を入れて必要なソフトを起動してしまうとか、どこかに出かける必要があるときは、さっさと身支度をしてとりあえずドアから外に踏み出してみるといった感じですね。
体を動かしだせば、いつもの調子にだんだん入り込めるものです、

読者の皆さんの中にも、ご自分でもブログを書いていっらっしゃる方もいらっしゃると思いますが、ブログを書くのも日によって全然乗り気にならない時があるのではないですか。

私もなかなかネタがまとまらないときは、とりあえずキーボードを打ち始めるところまで自分を追い込んでしまいます。
仮のタイトルを決めてしまって、とりあえず1,2行書き始めます。
作業に入り込んでしまえば、いつもの調子で勝手に身体からその状態に入り込めるものです。
そんな感じで、今日もここまで文章を打ち終わりました(笑)。

少し視点を変えてみると、不安が強いのは、それだけ「執着」があるということです。
「うまくやらないといけない」、「失敗は許されない」などと思うのは、それを捕り逃しくないという思いが強いほど大きくなるわけです。

先程の自分の不安を認めることと同じように、こうした自分の執着を認めてしまいましょう
「これを手に入れたい」という強い思いを持っている自分を認めてしまうことです。

「だから、こんなに不安になっているのだ」と自分の状態をはっきりと認識できれば、開き直って行動に移すことができます。
「別にそんなに欲しくはないけど..」と嘘を言ってはいけません。
欲しくないのなら、不安になってまで追求しなければいいんですから、「それじゃあ、やめるの?」と自分に問いかけてみましょう。

揉み手女性


ほしいのなら、さっさと認めることです。
素直に認めないと、自分の欲求がこじれて複雑になり、自分で自分が何が欲しいのかわからなくなってしまいます。
要求のリストをいっぱい抱えてしまう人は、ますます行動が重くなってしまいます。
簡単なことまで、頼むことができなくなるのです。

これが「人にものを頼むのが苦手」という意識をつくりだしてしまいます。
「頼むしかないのはわかっているんだけど、不安だなあ」ということになってしまうのです。
こういった傾向があるなら、こじらさないうちに、日頃から気軽に人に頼むことを習慣にしておくのがいいです。
そう、思い立ったら、目の前の人から簡単なお願いを始めてしまいましょう(笑)。



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すぐに実行する

「思い立ったらすぐにやる」、この単純なルールを実際に適用すれば、ずいぶんと人生を変えていくことになると思いませんか。

単純でありながら、実際には何かと理由をつけて実行しないというのが現状ではないでしょうか。
「またそのうちにやろうと思っただけだよ」と言ったりしますが、本人はヤル気があるつもりかもしれませんが、ほとんど実現の可能性はなさそうです。
先延ばしにしたこと自体、より優先する何かがあったわけで、それを覆すような状況が生まれない限り日の目をみることはないわけです。

これはこれで、実際には重要ではなかったのでしょうから問題にしなくてもいいのですが、似ているようでも無視できないのが、「やりたいんだけど、難しいね」という場合です。
こちらはヤル気があるけれど、障害となる原因に対して尻込みしている状態ですが、こちらこそ「すぐに実行する」対象にすべきことのように思います。

ヤル気があったということが重要なのです。
なぜなら、ヤル気があるということは、あなたにとって特別な縁のある事だろうからです。
それは、あなたの存在を周りに意義ずけるような重要なことである可能性が高いのです。
そして躊躇する原因である障害というものは、その気になればなんとかなるものが多いのです。

不安


このヤル気はあるのにそれを躊躇させている原因というのは、それを探ってみればあなたにとってとても貴重な金脈を掘り当てるかもしれません。
なぜなら、それによって他のいろんなことについてもあなたの行動を躊躇させる原因になっているような、根本的な抵抗勢力が見つかる可能性が高いからです。
そのことについては、今回の話題からは外れますので、機会があればまた書いてみたいと思います。

では次に「すぐに実行する」ことの邪魔になっている、もうひとつの大きな原因についてふれてみたいと思います。

それは、「プレッシャーは時間の経過と共に大きくなる」という法則です。

たとえば、仕事で何かのミスをしたことに気がついたとします。
気がついてすぐにリーダーなりに報告すれば、大きな問題になることは少ないでしょう。

しかし、ミスを報告するのはなかなか勇気がいることです。
それは、上司にしかられるかもしれないということもありますし、自分の能力への信頼に汚点を残すような出来事を認めるということでもあるからです。

そこで、すぐに報告しないで先延ばしにしたりすると何が起きるでしょうか。
最初はなんとか報告しないで解決してしまおうと思ったのかもしれませんが、そのような甘い見通しは結局は報告しないではすまなくなる場合が多いでしょう。
タイミングを遅らせてしまうと、ますます報告することへのプレッシャーが大きくなり言いにくくなってきます。
また今から報告するにしても、なぜ今まで報告しなかったのかという別の問題を追加してしまったことに気づくのです。

このようなプレッシャーを感じることが重なると、目の前のミスに関わること以外でも、あなたのその後の仕事のやり方にも影響を与えかねません。
問題はこじらせないうちに手を打つことが、まずは大事なのです。

男の子悩む


これは他の人に直接影響を与えないような、自分自身との約束についても言えます。
やろうと思っていながら先延ばしにしていることは、心の中でだんだん大きな重しになってくるものです。

「?ができたら、その時は」とか「今は時間(資金)がないから」などの言い訳をしてみても、自分を欺いているとしたら、本心では納得できないまま自分を騙し続けることになります。
それは、思い出すたびにあなたを責め立てる原因を作り出していることになるのです。

このように、先延ばしは思っているよりもずっと重大な悪影響をおよぼす要因になるのです。

シンプルに、「思い立ったら直ぐに実行」を心がけましょう。
そうすれば、慎重になりすぎて一歩を踏み出せなくなるということもなくなります。
一歩踏み出す前に考えすぎると「うまくいくだろうか」「失敗したらどうしよう」という恐れが大きくなります。
あなたも振り返ってみれば、考えてからだととても実行できなかっただろうという経験もおありだろうと思います。そして、それはあなたの人生で大きな影響を与えているものが多いのではないでしょうか。
歴史に残るような偉業も、裏をかえせば殆どの人が思い切って実行できない人ばかりだからこそ誕生したとも言えるわけです。

もちろん、すぐにやらない方が良かったということも当然あるでしょうが、先延ばしにして永遠に機会を失うことと考え合わせるなら、どちらを取るのがいいだろうということです。
少々の不具合を恐れるあまり、新しいチャンスをだいなしにしたくはないでしょう。

もしそれが自分にとってやる価値があると思うなら、障害におくせずに「すぐに実行する」ことです。
ひとつの選択です。
必ずいい結果を保証するとは限りません。
しかしそれ以上に大きなものをもたらしてくれる、その後の人生観を変えるような大きな選択とも言えるのではないでしょうか。

男の子オー


大胆であれ。
大胆であれ。
どこにあっても、大胆であれ。
バーノン・ハワード



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どうせ私なんか...

「どうせ私なんか...」「自分は何をやってもだめだなあ」といった言い方が口癖になっている人はいないでしょうか。
このような言い方をしていると、そのたびに自分の評価を下げ、現実に対応できない自分に嫌気がさしてきます。
しかしそれでは本当に自分のことをダメだと思っているのかというと、案外「どうせ私なんか...」を多用している人に、能力を評価しない扱いをすれば機嫌が悪くなったりするものです。

これは、「私なんかダメ」と口では言いながら、「本当の私はこんなものではない」「今に自分のほうが能力が上であることを見せてやる」とどこかで思っていたりするからでしょう。

このような人は、口にする言葉とは裏腹に「自分は他の人より能力があり、特別な存在である」という評価を受けないと満足できないと思っているのです。
しかし、現実は自分のイメージ通りにはいかないし、まわりも正当な評価をしてくれていないと思っていますから、いつも不満を感じて続けることになってしまうのです。

それでは「自分はそのように評価されるはずの人間である」ということに根拠があるのかというと、そうではありません。
そう思っていないと自分を肯定できないから、そうあって欲しいと思う願望が、根拠にすりかわっていたりするわけです。

謝罪はちまき男性


少しぐらい「ダメだねー」と言われたって全然平気でいられる人がいる一方で、このタイプの人は口では自己卑下していながら、実際には何もかも自分を評価されないと満足できないのです。

このような評価されたいという願望は、そうでないと自分はOKだと感じられないというのが根底にあるのです。
いいかえれば、何もアピールするものがないと、自分など誰も評価してくれないという恐れをいだいているのです。

たしかに今の社会は能力を示さないと評価を受けにくいというのも確かです。
だから、人から評価される人間になろうとするのは何よりも大事なのだと主張します。
しかしそれを言い訳にして、本当の問題は「自分を無条件に肯定できないこと」にあることを見ないようにしているという場合も案外あるのではないでしょうか。

確かに評価される方が嬉しいのは誰しもそうでしょうが、何がなんでもそれを求めるようだと、恐れからくる行動の可能性が強いわけです。

また、自己卑下を多用する人は、一端自分が評価されてくると、一転して自分以外の人の能力を低く見ようとする場合があります。
これは、いままで自分に対してダメ出しをしてきた側の自分もまた、自分の中に抱えていたわけだからです。
こんどは、自分をダメ出ししていた方向が外に向けられたというわけです。

にらむ1


いずれにしても、どらが優位かを比較することで自分の評価を決めようとしている限り、やすらぐことはありません。
条件をつけなくても自分を肯定し、そのままでも価値があり存在していいのだという確信が持てるほど、外側からの評価は自分に影響を与えなくなってきます。
その結果、何でもかんでも自分にはできるように見せる必要性を感じなくなり、より客観的に自分の能力を見極めることもできるでしょう。

自分はこういう方面が向いていると思えばその能力を正当に評価できますし、自分にはわからないことを隠して知ったかぶりをする必要もないので、気軽に人と接することができるようになります。
自分のダメな部分を知られることも、それほど恐れなくなりますから、冒頭の話とは別の意味で、「こういうことは自分には能力がないので」ということも言えるようにもなるのです。

「どうせ私なんか...」と言いながら本心では自分の価値が認められないと思っていると、慢性的に気分が落ち込むことになります。悪循環を断ち切るためにも、自分の欲求を正直に振り返ってみましょう。

自分の評価を発言したあとで「嫌な気分が残るかどうか」を調べれば、どちらの傾向が強いかは自然にわかってくると思います。
正当に自分を評価して、そのままを見せることに抵抗がなくなれば、どんなに気が楽になるだろうと考えてみてください。
そしてそうすることに抵抗している自分に気づくことです。
そこからあなたの最大の弱点であり恐れのみなもとが見つかるだろうからです。

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嵐の中でも時はどんどん過ぎていく

「嵐の中でも時はどんどん過ぎていく」(「マクベス」 シェークスピア)

トンネルといっても、一山抜けるだけの短いトンネルもあれば、海底を通るような凄い距離のトンネルがあるわけです。
私もそんなに長いトンネルを通った経験がありませんが、短いトンネルしか経験したことのない人が、たとえば青函トンネルを抜けることになって、その距離をよく知らずにいつ出口が見えるだろうと外ばかり眺めていたら、だんだん不安になってくることでしょう。
このままいつまでたっても、陽の目を拝めないのではないかとさえ思ってしまうかもしれません。

トンネル


出口が見えないことは、私たちを非常に不安にさせる原因になります。
しかし、何分後にはそこから出られるという情報を知っていれば、それなら他のことをして過ごしていようという気になれるかもしれません。

ところが残念なことに、私たちが不安に思う状況というのは、大抵の場合、いつ終わるかわからないものがほとんどでしょう。
未来のことは、誰にもわからないのですから。

そんな不安の中にいて、不安にばかり目を向けていたのでは、精神に支障をきたしてしまうことにもなりかねません。
不安の中では、不安から逃げるのではないですが、不安にばかり気を取られていないで、そんな中でも自分や周りの状況は刻々変化しているものだということに眼を向けることです。

一つのことにとらわれやすい人というのは、自分にはいろんな面があり、いろんなことを感じたり、いろんな欲求を抱いたりする自分が存在する、ということに気づかなくなっている場合が多いのではないでしょうか。

そして、今の自分の生きる道はこれしかないのだと決め込んでしまうのです。
そんなひとつしかない道で壁にぶつかって、いつ抜けられるかわからないトンネルに入り込んでしまったら、もうこのまま抜け出せないのではないかという悲観にとらわれてしまっても無理もないことでしょう。

普通なら、それでももっと他の自分にも視点を切り替えることができますから、悲観の中にとどまりながらも抜け出すのを待つことができるのです。

ところで世間では、1つのことに全力を尽くして、その道一筋に生きてきた人を賞賛するという傾向があります。
その価値に異論を唱えるものではありませんが、そこには、からくりのようなものがあるのかもしれないことを承知しておいたほうがいいでしょう。

つまり、何かを成し遂げたあとで振り返った場合には、外から見ていればなおさらですが、自分でもそれ一筋にやってきたように見えるものだということです。
しかし、その途中の過程では様々な抵抗や挫折にも出会い、いい加減やめてしまおうという気になったことだってあるはずなのです。
途中で他の道に入り込んだことだってあるでしょう。

ですから、そんな何かをやり遂げた人がいっさい他のことに目もくれずにやってきたと信じこんで、自分も他のことに気を取られてはならないと思い込むのは、どんなものだろうと思ってしまうのです。
適当に切り替えのできる人ならいいですが、生真面目で思い込みやすい傾向のある人は、むしろ他のオプションをいくつか持っているようにした方がいいと思います。
一つがダメでも、他のオプションに切り替えればいいという余裕を、少しは持っていないとやっていけるものではないでしょう。

話が少しそれましたが、「嵐の中でも時はどんどん過ぎていく」のです。
嵐にばかり気を取られていては、永遠に終わりが来ないような気になってしまいます。

嵐


嵐の中でも、自分も周りの状況も刻々と変化しています。
時間も確実に先に進んでいき、やがて夜明けを迎えるのです。
夜明けと共に、たいていの嵐は治まってくるでしょう。
たとえ朝になってまだつづいていても、夜中よりは明るさが戻ってきます。

変化しないで永遠につづくものは何もありません。
自分の中の変化にも目を向けてみましょう。

「嵐が恐ろしくて自分はもうなにもできない」と言い張るのなら、ちょっと鼻をつまんで息を止めてみましょう。
なにもできないと言っている自分が、息を止めていることに抵抗しないままでいられるかどうかを確かめてみるのです。
そこには、嵐など関係なく生き続けようとしている自分がいることを思いだしてください。
あるいは嵐が治まったらこんなことをしてみたいと思っている自分に気づいてください。
嵐を怖がっている自分もいれば、嵐などもう飽き飽きしたからどうにでもなってくれ、私はもっと他のことを考えるといいたがっている自分もいるでしょう。

嵐の一夜など過ぎ去ってあとで振り返ってみるなら、トータルに考えてそんなに大した出来事ではないことが分かってきます。

嵐の中では、嵐と共に過ごすしかありません。
終わりの来ない嵐はありません。
自分も変化する自然の中の一員であることを思い出しましょう。
そして、嵐にもかかわらず、変化しつつある自分に気づき、いろんな視点から状況を眺めてみることです。
なにも嵐を怖がっている自分を律儀に演じ続ける必要はないのです。
「嵐のことなんて忘れていたよ」と眠ってしまう人だっているのですから。

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後悔しない生き方/過去を再評価する

以前、後悔する生き方ではこのように書きました。

目の前にある現実を拒否して、そのまま見ようとしない。
新しい可能性を否定してまで、後悔するパターンに戻ろうとする。
このようなやり方が、今の生き方を浸食するようになってしまうことです。

後悔することを続けようとするのは、いままで自分のやってきたことが、すべて無駄だったと信じるのが、受け入れがたいのかも知れません。
しかしそれでも「もう、こんなうんざりすることは、止めにしよう」と思える自分を少しずつ強化していくのです。

こんな問いかけをしてみるのも、いいかもしれません。
「この後悔を一生懸命続けたら、どんないいことがあるだろう?」
他の人に言っているつもりで、ばかばかしくなるまで、唱えてみましょう。
「後悔しなさい。後悔しなさい。もっと後悔しなさい。そうすれば悪いことは起こらないんだよ!」


このように、後悔することは無駄なことであり、その悪影響について書いています。

そして、「もっともだ、後悔は無駄なことだ。」と納得しているつもりの人も、どこかで「でも、あの時違った方向を選んでいれば、もっといい結果になっていたのも事実だ。」という考えがどこかで見え隠れするのではないでしょうか。

さむらい


さてそれでは、「我、事において後悔せず」と言い切る人は、本当に後悔することがないのだろうか?ということを考えてみましょう。

実は、これにうまく答えられないのは、黒か白かで答えようとしてしまうからです。
何かのきっかけで、その人が一切後悔をしない人間に変わるというイメージを持つから、そんな人は実在するのだろうかと考えてしまうのです。

実際、私たちが「自分はこういう人間だ」と言い切る場合に、その根拠となるものは、「相対的にどちらであるか」ということではないでしょうか。

どちらが普段優位にあるかということを、言葉にしてしまえば「自分はこういう人間だ」と言い切って片方だけの人間であるかのように表現してしまうだけの話なのです。

ですから「我、事において後悔せず」という言い方は、実際に客観的な事実として後悔を一切しないかどうかではなく、どちらを選択するつもりであるかという宣言であると考えたほうがいいでしょう。

そこで、過去を後悔する方向ではなく、それが今の自分に何をもたらしたかを再評価するという方向で考えていけば、その宣言に近づいていくはずです。

「あの時違った方向を選んでいれば、もっといい結果になっていたのに残念だ。」と考えないのです。
そうではなく、
「あの時の選択は、こんな悪い結果を自分に与えた。」という事実を検討し、
さらには、
「その悪影響に対処するために、期待したわけではないが、こういう能力を鍛えられることになった。」
「あのひどい出来事がなければ、自分は今のような事を考えもしなかった。より広い認識を持つようになった。」
それをさらに発展させて、
「はからずも手に入れたこの経験と、それに伴って獲得した能力を生かせることを考えてみよう。」
というように進展させていきます。

過去の出来事が「客観的にいいか悪いか」を考えていても仕方が無いのです。
「今の自分にどんな意味があるか」がすべてなのです。

過去の出来事が今の自分に対して何をもたらしてくれたかを考えて、今を生きていくこと、その方向で考えるなら「後悔する、しない」の議論も意味がなくなります。

天秤


「私」というものは固定したものではありません。
いま存在する「私」は、変化していく中の今この一瞬の「私」を捉えたものであるだけです。

あなたがいまは「私は後悔する人間である」と言うとしても、過去を後悔する方向でとらえるか、今への貢献の方を考えるか、どちらを取るかしだいでどんどん変わっていくものです。

相対的に、後悔する私よりも今に活かそうとする私が優位になれば、あなたは後悔しない人になるわけです。
さっきまで後悔する人だったとしても、今は後悔しない人になっているかもしれません。

揺れ動く天秤を無理に固定しようとするのは、「生きる」ことに反する行為です。
揺れ動くのが「生きる」ということだからです。

もし、「私の場合はこんなひどい過去があるから、公開しても仕方がない、人を恨んでも仕方がない」と言いはるなら、それは揺れ動く「生」を固定しようとすることなのです。

今に生きようとするおもりがひとつ増えただけで、天秤の傾きが一気に入れ替わるのです。

「そうか、もっと早く気づいていれば」と後悔する自分に気づいたら、反対側のおもりを乗っけてやりましょう。
今までの後悔していた自分を後悔する自分に気づいて後悔する、きりのない後悔にうんざりする度合いが強ければ強いほど、もう手を引こうという決心もつきやすいというものですからね。



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説明しないでそのままを見る

おとなのひとはじぶんではまったくなんにもわからないから、子どもはくたびれてしまう。
いつもいつもはっきりさせなきゃいけなくて。
サン=テグジュペリ


王子さま

大人になるとつい今までの経験を利用して、いま眼の前のものごとを処理してしまおうとします。
なんとか自分の蓄えた知識だけを当てはめて、この状況も乗りきれるはずだと考えるのです。

したがって、何かをやろうとするとき、まずそれの説明が必要になります。
何のためにそれをやるのか、そのことで何が得られるのかを予め承知した上で、初めて行動を起こそうと考えるわけです。
ですから、ただ楽しそうだからこれをやってみようと言い張る子供に対し、なぜそれをやるのか説明しなさいといってしまうのです。
「こっちの方がよさそうだからこっちに行こう」と言いはる子供に対し、説明できるデータがないときの大人は無力な存在になってしまうのです。

子供は、経験の蓄積がない分、失敗に終わることも多くなるでしょう。
しかし、それでもリスクを犯してもそれをやってみようとする大胆さを持ち合わせています。
また、そのリスクを負う覚悟があるから、真剣に感性を研ぎ澄ませてことにあたります。

大人は、今までの経験から目の前のことを処理しようという発想が先にたってしまいます。
なんとか今までの蓄積を利用して、新しい経験なしにことにあたりたいと、どこかずるい考え方をしてしまうのです。
ですから、感性に頼って選択するのではなく、分析し過去のデータから説明を試みようとするのです。

これらは、どちらか片方があればいいという問題ではないでしょう。
しかし、大人も大人モードの発想だけではなく、リスクを犯しても説明をつけずにその時の状況に飛び込んでみるという発想も忘れてはいけないものだと思います。

もちろん大人は今までの経験の蓄積を利用出来るのですから、それを捨てる必要はありませんし、何でも新しいことに挑戦すればいいというものでもないでしょう。
そもそも大人になって、チャレンジを忘れてしまい「ずるい方法」で対処することを覚えてしまうと、それをまっさらにして取り組むのはもはやできないことかもしれません。
方程式で解くことを覚えてしまうと、〇〇算で説くような発想が失われてしまうようなものです。

お父さんと子ども


今までの経験だけをクリアして、大人の発想だけ残して、私たちが例えば小学1年生に戻されてしまったらどんなことになるでしょう。
今までの経験で処理しようとしても、それがありません。次々に起こってくる新しい経験の連続に、大人の発想で乗り切ろうとしてもできないので、すぐにノイローゼになってしまうかもしれません。

ですから、大人の発想だけに頼らずに、子供のリスクを恐れない感性に頼る発想を、時には取り戻すことを考えた方がいいでしょう。
何でも今までの知識で処理しようとすれば、昔のSFに出てくるような頭だけが巨大な火星人のようになってしまいます。

私たちは、得てして今までの自分の経験の蓄積だけを利用して、それを変えることを拒否しているために、新しい事態に対して「変える必要などないんだ」という理由をせっせと説明ばかりしています。

今までのやり方をなんとかそのままにしたいと変化を拒むかたくなな態度が、周りの状況の変化に対応できない自分との間で葛藤を生じてしまうのです。

状況の変化が十分に大きくて、今までの自分の姿勢では無理があることを素直に認めれば、今までの自分を捨ててでも新しい取り組み方を選択することができます。
ですが、これは予想以上に難しいものです。
今までの自分を全面的に捨てるというのは実際には無理な話です。

なんとか今自分が持っているものを活かしながら、新しい事態に対して柔軟に変化できる自分をつくりだしていきたいのです。
両者のバランスをいかに取っていくかが重要なのです。

大人になってからはだんだん変えることが難しくなってしまう経験の蓄積ですが、せっせとそれの正当性を説明して変化を拒む態度はいずれ問題を生じてしまうでしょう。

そんな時には、今までのやり方にとらわれずにスパっと切り捨てて、大胆な新しい発想を取り入れることが必要なのです。
なんとか今のままでやって行くべきだという理由を説明する自分に納得しないで、子供の素直さで新しい世界を切り開くことが必要とされているのではないでしょうか。

説明する子供

 だから、ぼくがそのひとたちに、「あのときの王子くんがいたっていいきれるのは、あの子にはみりょくがあって、わらって、ヒツジをおねだりしたからだ。ヒツジをねだったんだから、その子がいたっていいきれるじゃないか。」とかいっても、なにいってるの、と子どもあつかいされてしまう! でもこういったらどうだろう。「あの子のすむ星は、しょうわくせいB612だ。」そうしたらなっとくして、もんくのひとつもいわないだろう。おとなってこんなもんだ。うらんじゃいけない。おとなのひとに、子どもはひろい心をもたなくちゃ。

あのときの王子くん
LE PETIT PRINCE
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery
大久保ゆう訳
青空文庫より




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となりの芝生

人の性格を見ていると、自分の性格がもう少し違っていたらと思うことがあるかもしれません。

自分が不得手なことをうまくやりこなしている人を見て、自分も「ああなれたらなあ」と思ってしまうと、欠けていると思っている自分の性格が悪い方向にばかり見えてくるものです。
しかし、自分は苦手だと思っている特性も、裏返せばそうでない人には優れた特性に見えて羨ましいと思われているのかもしれません。

自分の性格で嫌だと思っていることにはどんなものがあるでしょうか。

[N1]
人見知りする。
友達がが少ない。
うち解けるまで時間がかかる。
行動力に欠ける。
団体行動が苦手。
人前で緊張しやすい。
人付き合いが苦手。
無口。
頑固。
控えめで損している。
無表情。
迷うことが多い。
実行力に欠ける。
周囲にあわせて打ち解けるのが苦手。
自分の殻にこもる。
理屈っぽい。

[N2]
じっくり考えることが苦手。
気分が散漫になりやすい。
熱しやすく、冷めやすい。
飽きっぽい。
大雑把。
慎重さに欠ける。
無責任。
調子に乗りすぎ。
気が変わりやすい。
派手好き。
根気がない。
感情的になる。
短気。
軽薄。
そそっかしい。

変人男性3人


このN1、N2であげた否定的に見られる性格特性も、それを反対側から見れば肯定的な特性でもあるわけです。
そして、自分にないそのような特性を持っている人を羨ましいと思い、自分もそうなれたらと考えます。
そこで今度は、そんなあこがれる肯定的方から見た特性をあげてみましょう。

[P1]
深いつき合いができる。
集中力がある。
じっくり取り組む。
慎重に行動する。
単独行動ができる。
我慢強い。
考えが深い。
好きなものに集中できる。
感受性が高い。
感情を抑制できる。
こつこつ粘り強い。
誠実。
重厚。
論理的。
独特の個性を発揮。
粘り強い。
根気がある。

[P2]
交際範囲が広い。
陽気で活発。
親しみやすい。
人付き合いがよい。
行動力がある。
グループ行動が得意。
話好き。
自信がある。
明るく陽気。
楽天的。
決断が早い。
統率力がある。
周囲の調和を考える。
開放的。
世話好き。

なんとなくお分かりになったかもしれませんが、ここで上げた特性はユングが唱える内向型、外向型の特性を否定面から捉えた場合(N1,N2)と肯定面から捉えた場合(P1,P2)で列挙してみたものです。
内向型の人から見て否定的に思える特性(N1)は、その裏返しでとらえてみると外向型の人にとってはそうなりたいと思う特性(P1)にもなるわけです。
逆に外向型の人から見れば、自分の嫌な面(N2)も裏返すと、内向型の人が憧れる特性(P2)でもあるわけです。

私たちがふだん内向的な人、外交的な人と呼んでいるものは、元になっているのが、このユングが唱える内向型・外向型という類型です。
しかし、一般的に使われている意味合いは細かい部分で本来のユングの特性からずれてきている面もあるので注意したほうがいいでしょう。

内向型は自分自身に関心が向かうというのがその基本にあり、内気だが思慮深い、また実行力という面では物足りなく、他に人との協調性に欠けるといった特徴を持ちます。

外向型は外側に関心が向かっているのが基本にあり、外部の刺激に影響されやすい特性を持ち、活動的で、情緒の表出が活発、人を統率する力があり、また協調性があるといった特徴を持ちます。

他人の評価


ところで一つ勘違いしがちなのは、内向型にしろ外向型にしろ、努力して自分の優勢でない方の面を磨いていけば、いつか反対側の性格にも自分を変えられるのだと考えてしまうことです。

自分の優勢でない方の特性を訓練して自分のものにしようとと考えるのは、ある程度は成功するでしょうが、根本的に反対側の性格型に変わるようなイメージを持つのは少し見当違いなのです。

Aのタイプの人がBのタイプの人をより理解しようとして少し相手のやり方を取り入れてみる、といったことであれば出来るでしょう。
しかし、このユングの性格型は生まれつきであって、基本的な方向はほとんど変化しないと考えられています。
ですから、あくまで優位な方向はそのままだと思った方がいいわけで、変えようと思うにしても反対側の人に歩み寄る程度のものだとイメージしたほうがいいでしょう。

これは例えば背の高い人と低い人がいて、大人になってからはその差はほとんど変化しないようなものです。
いつまでも身長を変えたいと思い続ける人はあまりいませんよね。
そして、可能か不可能かという問題ではなく、自然さを極端に損なわないでうまくコントロールすると思うなら、無理なことを期待しない方が現実的だし、得られるメリットも大きいということですね。

人それぞれ、自分では自由に扱いにくい部分を抱えていて、そのコントロールしにくい部分は、自分では気づかないうちに自然と表現されてしまうのです。
ですから、本人は気付いていないのに、他の人から見ると「君にはこういう面があるよ」というように本人よりもよく見えているという事が起きるわけです。

そして、自分ではコントロールしにくい部分にコンプレックスを持って何とかしたいと思うばかりで、そのプラス面を見ようとしないのは、無理が多く骨折り損になりがちなのです。

反対側の性格に変わりたいと望むのではなく、自分の性格型の長所を生かし、反対側の性格型の人に対しては反発するのでなくうまく折り合いをつけ、また補いあっていこうという戦略が現実的で得るものも大きいと言えるのです。

また、今の自分の持っているものを嫌って、反対側を欲しがるという、いわゆる「隣の芝生は青い」という見方を180度切り替えてみれば、反対側の人がうらやむメリットを、あなたは努力せずに獲得し、使いこなしているという見方もできるわけです。

あなたが意識して、努力を積み重ねて獲得したというよりは、ただ同然で手に入れたあなたの特性です。
それは、宿命のようなものとも言えますが、どういう経緯で自分のものになったにせよその値打ちが変化するわけではありません。

他の人から見れば、時には「垂涎の的」と写っているかもしれないものを、あなたははからずも手に入れ、持ち合わせているのです。
それを使わない手はありませんね。

ドルと円


例えて言えば、今まであなたは手持ちの1万ドルを、日本では使えないと思って、せっせと新たに100万円を稼ぎ出す方法ばかり考えていました。
しかし、今は手元にある1万ドルをうまく使おうと考えを変えてみるのです。

せっかく持っている財産も眠らせておいては、使うチャンスを逃してしまいます。
今は円の方が人気があるなどと考えて気をそらさずに、自分の持っているものを活かすことを考える方が、ずっと無理なく自分を活かすことができます。

自分の特性を出し惜しみしないで、またその価値を疑わないで、他の人にその恩恵を与えてあげましょう。
それこそが、あなたの存在する何よりの意義であり、また自分にとっても無理なく自分を発揮できるやり方なのです。

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苦しみがなくなるのではない

苦しみが
なくなる
のではない

苦しみで
なくなる
のです


There is always suffering,
but through it we can overcome suffering.

度一切苦厄(どいっさいくやく)

一切の苦厄を度したまえり。

羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
著者: 荒 了寛 里文出版 / 2001-05



悩む男性


苦しみはいつもあります。

しかし、苦しみを苦しみとして受け取るとき、それはそこで終わります。
苦しみを受け取り、受け入れることは、文字通り苦しい状態を経験することです。
しかし、それをあえて拒絶しなければ、いつまでも続くことはないのです。

ところが、実際には苦しみがそこで終わらないことはよく経験することです。
そのとき、私たちは苦しみをそのまま受け取ることに何らかの形で抵抗しているのです。

自然の災害は、毎年いたる所で起きています。
しかし、多くの人は、その災害が怖いからといって、ずっとそれで悩んで苦しみ続けることはありません。
自然が相手では、自分の力で何も抵抗できないことを受け入れているからです。
できることは、どうしても嫌なら引越してそこに住むのをやめるしかない。
しかしどこに越したところで災害を免れるとは限りません。

どうにもならないことを受け入れたとき、そこには苦しみはいつまでも残っていることはないのです。
ところが、自然が相手の場合と違って、自分たちは身の回りの苦しみにはつい抵抗を試みてしまいます。

あなたが負けたとき、負けを認めて、必要なら敗者の苦痛を味わいつくしてしまえば、その勝負はそこで終了します。
しかし、あなたが本当は負けていないと言い張るなら、今度は戦いは競争相手との争いではなく、あなた自身の内面で戦いを何時までもくすぶらせることになるのです。

あなたは、その勝負を思い出すたびに、自分は負けていないという理由を自分に説明し続けなければなりません。

それは、あなたが負けてしまった自分を受け入れがたいと思って、抵抗し続けるからです。
そんな自分は、私ではないと自我は言い張ります。
私は、受け入れないと頑張る自分と、受け入れがたい自分とに分裂し、自分の中で統合できなくなってしまいます。それが確固とした自分を感じられなくなる原因なのです。

もともとの苦しみは受け入れることで苦しみでなくすることができるのに対し、このような分裂した自分を作ることは、新たな、またさらに複雑な苦しみをつくりだしてしまうことになるのです。

不安


負けを受け入れないような態度は、過去を受け入れないということですが、未来を予期することで創りだされる苦しみというものもあります。

それは、悪い結果が待っているのではないかと心配するという苦しみです。
このような結果に対する苦しい気持ちは、「うまくやればいい結果になるはず」と信じるところに起源がありそうです。

結局いい結果を出せなかった自分をイメージするから、将来が不安になり、それ自体が新しい苦しみを作ります。

ですが、将来の予測はあくまで予測でしかなく、現実ではありません。
将来への不安は、正面から取り組んでも何もできません。
気休めを言ってなだめようと思っても、本心では納得していませんから余計にこじれるかもしれません。

予測できない未来を相手にしないで、今に存在する自分を取り戻す必要があります。
今出来ることだけに集中する必要があるのです。
これだけやれば、うまくいく可能性が高まると分かれば、予測はそこまででやめて、今の自分ができることに集中します。
あるいは、予測できないことだから考えるのをやめて、他のことに取り組もうと「今」の選択をする事もできます。

謝罪はちまき男性


ところで先程の「うまくやればいい結果になるはず」と信じることは、うまくいかなかったときに自分自身を非難するということに繋がる可能性もあります。

「もっとうまくできたはずなのに、なんでできなかったんだ!」といって自分を責めるのです。
しかし、それは殆どの場合できない相談です。
そこまで未来を予測したり完全に作り出すことはできないのですから。
それをできると信じるのが、慢心であり、執着なのです。

やることをやったのなら、そんなに自分に厳しくしないでもいいでしょう。
自分を責めても新しい苦しみを作り出すだけです。
それよりは、次のことに取り組んだほうがいいというものです。

このように、過去のことにしろ未来のことにしろ、新しい苦しみを作り出している原因は「私」の抱える執着心から来ているわけです。

純粋に起きてきた出来事には苦しみを含むものがあります。
しかし、それはそのまま受け取れば、苦しみではなくなるのです。
それが新たな苦しみを創りだすのは、「私」が強情を張るからに他ならないのです。

素直に負けを認めましょう。
素直に「先のことはわからない、失敗したらごめんね!」という気持ちを持って、
出来もしないことが出来るかのように踏ん張ろうとしないことです。
いま、できることだけをがんばりましょう。


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泣くときには泣いて渡れ

泣くときには
泣いて渡れ
涙枯れゝば
見えなかった
ものが
見えてくる


There is a time fot crying,
after the tears there will come a time
to understand what you could not see.

羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
著者: 荒 了寛 里文出版 / 2001-05



自分の本性に反した命令に対して、本性を抑えて命令に従っているうちに、いつも似たような場面になると自分がどうしていいのか混乱することになります。

素直に本性を発揮できない限り、あらゆる偽物の反応は事態に完結をもたらしません。

パールズはこのように書いています。

 例えば「泣くな!」という命令は、純粋に悲しい経験をしているときには単一の混乱ですむ。しかし、それに意味の混乱が結びつくと、この混乱は増大する。「年相応に振舞いなさい」とか「お行儀よくしなさい」といった命令や、広く言外の意味を含んでいる命令は、子どもを全く混乱させてしまう。「年相応に振舞うとはどうすることか」「行儀よくするとはどういうことか」、細かいことにうるさい人たちは、幼年期にこのような曖昧な要求に何度も直面していたことが臨床経験上分かっている。(132頁)

ゲシュタルト療法―その理論と実際 著者: フレデリック・S. パールズ ナカニシヤ出版 / 1990-07



このような混乱したしがらみをたち切って「もう放っておいてくれ」と言い切れたとき、ひとは自分を取り戻します。
混乱させる命令に従わなければと揺らいでいる自分を切り捨てて、一気に自分の根源の欲求にたどり着いたら、世界はもっと視野が広がって見えてくるのです。

いつもなんとなく曇り空にみえていた世界は、実は晴れ渡った世界であったと発見すれば、自分の行動が変わり、世界の見方が変わってきます。

流れ作業

壊れ物を配送するときには、破損しないようにダンボールに緩衝材を詰めておきます。
輸送中にはこれらの梱包材、プチプチが必要だし役に立っているのです。

しかし、輸送がおわったら緩衝材は取り除かないといけません。
そうしないと、せっかく運んできた品物はその機能を充分に果たせません。

しかし、じかに傷つくことをおそれるあまり、プチプチで包まれたまま世の中を渡って行こうとすれば、神経症の症状を発症させることにもなりかねません。

どうして自由に動けないのかと思いながら、梱包を解こうとしない矛盾に気がつけなくなっているのです。
それがもたらすものは、時には傷つくかもしれない無防備さよりもよっぽどその人を苦しめる結果になっているですが、その人には無防備さの危険の方が巨大なものに見えるのです。

避けて避け避け通してきたもの、逃げて逃げて逃げまわってきたものは、いざそれに直面してみればどれほどのものでもないことに気づくのですが、逃げているうちは強大であり続けるのです。
しかしお化け屋敷も、明かりをつけてしまえば滑稽なガラクタでしかないのです。


泣く子とお母さん


涙を枯らすには泣かないと始まりません。
単に泣きたいことを認めればいい。
逃げまわるのを諦めること、プチプチを捨ててしまうこと。

そのとき
見えなかった
ものが
見えてくる。


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「起こること」と「やること」

私たちは普段、自分の意志で行動していることがすべてであるかのように思って過ごしています。

「自分に起こることは、自分がそのように予定して動いたからそうなっているのだ。たまには不測の事態もあるかもしれないけれどね。」といった感じですね。

しかし、この世界で起こっていることは、自分のはからいで起きたことだけでなく、それとは関係なく起きることが支配しているとも言えるわけです。
あるいは、もしかすると私たちが行った結果だと思っていることも、私たちの行為にもかかわらず、そうなるはずだったのかもしれません。

どちらにしても、「起こること」と「やること」の両方があることをあまり意識しません。
勝手に起きることなど考えてもしかたが無いと考えるのは、大抵のことは自分の意志で起こるのだからと信じているからにほかなりません。

のぞく


それで問題ないのかもしれませんが、自分のはからいとは違うことが起きてくることで、私たちは絶えず悩まされているのも確かです。
当然、自分の思ったように世界を変えていくのだという思いが強いほど、その悩みは大きくなります。

自分で変えてみせるのだという気力があるのなら、それを出しきってみることも意味の有ることでしょう。

しかし、いつか自分が変えられることなどたいしたことではない事に気づいたとき、「起きてくること」に委ねてみるのも賢明なやり方だと思うようになるかもしれません。

世界は、どこまで自分の分別の力で動かせるのでしょう。
私のはからいが、どれだけ目の前の世界を変えているのでしょう。
私の願いとは関係なく「起きること」とは、どのように付き合って行けばいいのでしょう。

バランスはかり


能動的であることと受動的であること、抵抗に対して逆らうことと受け入れること、このバランスをどのように守っていけばいいでしょう。

「私」が勝ちとって獲得したものと、「私」のあずかり知らぬところで頂いたもの、どちらにどれだけ価値を感じるのでしょうか。
同じようにありがたさを感じられれば、どこまでも「私」が動かなければとは思うこともないのかもしれません。
「私」の負けも、それほど自分を痛めつけるものでもなくなるかも知れません。

「私」は「起きてくること」に抵抗し、征服しようとするのでしょうか。
それとも、「起きてくること」の中に「私」も組み込まれているのでしょうか。

いずれにしても「起こること」はあっても「やること」のできないことからは手を引きましょう。
その見極めをつけることです。

たまには、こんなことも考えてみると、時を止められるかもしれません。

こんなことを考えると、何もしなくなると思いますか。
何もしなくなるとしたら、それは誰なのでしょうか。



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ときには.../公式を持たない

いつも決まりきった習慣にしたがっていると、だんだん同じことの繰り返しに疲れてきます。
うんざりして、時には逃げ出したくなるかもしれませんね。

毎回同じことに悩まされることを繰り返していると、その気配を感じただけで、いっきに憂鬱な状態に突入することにもなりかねません。

最初は魅力的だった習慣も、そのうちなぜこのやり方を繰り返しているのかが忘れてしまうのです。
しかし、通常はそれをあえて確かめようとはしません。
ただ、いままでそれでうまくいったのだから、他のやり方をして台無しになっては大変だとばかり、新しいことに挑戦することに慎重になってしまいます。

具体的な行動習慣もそうですが、考え方にもパターンを作りがちです。
それは自分のやり方という「公式」を作ってしまうことです。
このやり方が正しいと誰かに聞いたからとか、何度かやってみてうまくいったからという理由で、「その公式を守っていれば安全なのだ」と信じたくなってしまうのです。

幾何学授業


そこで「ときにはこのパターンを壊して公式に従わないやり方を採ってみましょう」という提案です。
それによって、あなたは同じルーティンワークから解放されますし、自分の世界を広げられる筈です。
いま手に入れているやり方が最上だと信じたいでしょうが、その快適な世界をもっと広げてみるのです。

「ときには、1日中マスメディアを切り離して生きてみる。」

テレビもラジオもつけない。
新聞も見ない。
パソコンも起動しない。
携帯電話も自分からは操作しない。

普段どれだけ依存しているかに気づくでしょう。
それらの時間のうち本当に意義があったといえるのは、どれだけあるでしょう?
あるいは、その時間のおかげで犠牲になって出来なかったり、いい加減に終わらしてしまったことはないでしょうか?

「ときには反論しない(反論する)」

いつも人の意見に反論ばかりしている人は、出来るかぎり相手の提案を受け入れてみましょう。
もしかすると、「反論しないと相手のいいなりになって、ひどい目にあうに違いない」と考えていたかもしれません。でもすべてOKしてみたら、どんな結果になるものか実験してみるのです。
恐れていたほど、ひどいことなど起こらないかもしれません。
こっちの方が、快適で気持ちがやすらぐことを発見するかもしれません。

逆に、いつも相手のいいなりになって、「私は反論しない主義だ」とでも思っているのなら、その公式をやめて気がついたことで反論を試みてみましょう。
「反論したら、相手は自分を嫌いになって離れていってしまうだろう。」と思っていたかも知れません。
結果はどうだったでしょう?
たとえそれで離れていく人がいたとしても、あなたは反論できないまま付き合っていても無理があったことを認めようという気になれるかもしれません。
あるいは、反論しないのは「公式」として使っている自分のやり方だと言い聞かせていたわけは、実は「反論する」こと自体を怖がっていて逃げるためだったのかもしれません。
反論してみたら、その後の自分は何を感じるのでしょう。
それは、自分にとって必要な何かが、その反論の中にあることを気づかせてくれないでしょうか?

「ときには親切(不親切)になってみる」

いつも忙しいからと人に関わるのを避けているのなら、たまには親切に声を掛けてみましょう。
そんなときの自分が、自分の中にも存在することを確認するのです。
相手が感謝してくれたらどんな感じがするのかを思い出してみましょう。
あるいは、親切にしても何にも反応しない人を見てどう思うでしょうか?
自分もそういうことをやっていないか気をつけようと感じるでしょうか。

逆にいつも親切な人と思われ、他人に気を使いすぎていると感じている人なら、たまには「ここから先はご自分でお願いします」と言ってみましょう。
ちょうどいい加減で関わることというやり方を強行してみるのです。

集団登校


「ときには自分が指示する側にまわる(不満を漏らす側にまわる)」

いつも誰かがリードしてくれるのを待つ立場にいると感じていたら、ときには自分が指導者や管理者のつもりで、指示を出す側に回ってみましょう。
逆の立場から見ることで、いつも従わされてばかりいると不満を言っていたけれど、指示を出すにはそれなりの責任感や大変さが必要であることが見えてきて、認識が変わるかもしれません。

また、逆にいつも立場上、指示を出す側にいる人は、ときには命令される側になったつもりで不満や愚痴を漏らしてみましょう。新しい見方が発見できるかもしれませんよ。

「ときには、大きな(小さな)声で話して見よう」

いつも小さな声で遠慮がちに話す人は、大きめの声で話してみてはどうでしょうか。
その時の自分の印象はどうでしょうか?
いつもより自信ありげに思えるでしょうか。同じことを話していても、より確信を持って話せるかもしれません。
またいつも接している人は、あなたの変化に気づいたでしょうか?

いつも断定的に大きな声で話している人は、声を抑えて穏やかに話してみたらどんな感じがするでしょう?
大きな声でないと意見が通りにくいと思っていないでしょうか?
穏やかに話すことで、相手の態度はどのように変化するでしょうか?

「ときには、予行演習なしで(予定を立ててから)行動してみる」

何をやるにも、計算して予行演習をしてからでないと取りかかれない人は、たまには行き当たりばったりで動いてみましょう。
動いているときはどきどきするかもしれませんが、案外無計画でも何とかなるものだという発見をするかもしれません。
そして、計算しきれていない部分が見つかっても、途中でやめないで見切り発車してみましょう。

逆に、いつも行き当たりばったりで行動している人は、実行する前に計画を練って予定通りに事を進めてみましょう。
予定なんて面倒なだけと思っていたけれど、毎回考えなくても、あらかじめやることがわかっているというのもいいものだと思うかも知れません。

この他にも色々あると思います。いつもと違う自分を試して見てはどうでしょうか。
今の自分の空間がとても快適だと思って守りに入ったら、マンネリ化の始まりです。
ちょっと冒険して自分の快適な空間の範囲を広げて見ましょう。


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他人をあてにしなければ

他人を
あてに
しなければ
怖いものは
なくなる


When one does not rely or depend on thers,
one frees oneself of fear.

無有恐怖(むうくふ)

恐怖有ること無く、

「了寛」


羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
著者: 荒 了寛 里文出版 / 2001-05



「他人をあてにしなければ、怖いものはなくなる。」
これはいいかえれば、恐怖を生み出しているのが他人への期待であるということです。

あなたが、ただそうしたいからやるとき、そこには義務はありません。
しかし、あなたがそうしなければならないからやろうと思いたくなるのは、自分を信頼できていないから義務に従っておけば間違いないだろうという考えなのです。

そして、自分を義務に従わせようとする人間は、他人にも同じことを期待します。
しかし、自分にしろ他人にしろ、義務を押しつけられれば反抗するものです。
義務にしばられたり、反抗したりするのが苦しいのは知っていながら、他人が義務を果たさないとなるとそれは許せないというジレンマに苦しむことになります。

大人非難

他人に義務を果たすように期待することが、それを裏切られることへの恐れを生み出します。
「あの人は私の期待するように動いてくれるべきなのだ」
そう言い聞かせながらも、もしかしたら期待に答えてくれないのではないかと怖くてしかたがないのです。

そうしたいと思ったらやってもいい、自分にはそれをやる資格があると信頼できていれば、自分に義務を課すことはしなくなります。
「義務を果たしているから、かろうじて自分のやりたいことを許してあげよう」という恐れから来る行動とは根本的に違っているのです。

そして自分に不要な義務を押しつけない人は、他人にも義務を課さないし期待もしないでいられます。
他人がそれをやるかどうかは、その人がそうしたいかどうかの問題であって、自分の期待と異なるからといってその人を責めたり自分が傷つけられたと感じる必要はないのです。

相手が期待に応えてくれないと自分が傷ついたと感じるのは、それだけ自分への価値観が低くなっているのです。他人が期待に応えてくれるかどうかで自分の価値が揺らいでしまうわけです。

傷つくのを恐れる気持ちが強くなれば、裏切られる事態をまねくのを回避しようとして、「私は誰にも期待なんかしない!」と強がってみせるかもしれませんが、それは自分の欲求を無理矢理消し去ろうとすることです。
自分の欲求を抑えようと思えば、あらゆる感じることに鈍感になるしかなくなるわけで、それが無気力な自分を生み出すことになってしまいます。
「自由に欲しがってはだめ!」と思い続けているのですから、自発的な行動はどんどん抑えられていくのです。

笑顔OK女性


まずは自分に隠されている無価値感に気づいて、それに取り組まないとなりません。
自分のことをダメだと言っている自己憐憫の気持ちは、自分への無価値感から来ています。
自分のことを信頼し、大事にし、尊敬できるという気持ちが持てないでいるということです。

自分には無条件に人から愛される資格があると信じられないから、条件付きで自分に承認を与えようとするのです。
「これだけやったから許されるだろう」という自分への思いは、他人へ投射されて義務を果たさない人を非難することにつながります。
そして、期待に応えてくれないのは自分にその資格がないからだと思って、自分の価値観をまた値引いてしまうという悪循環に陥ります。

「そんなことを言われても、無条件に自分に価値があると感じられないよ」と思うのなら、今の逆のことを実行してみることです。

何かをやりたいと思った時、すぐに条件をつけようとしている自分を見つけてそれを阻止します。
無条件で、ただやりたいことをやってしまうのです。
何の条件もつけずに、誰の許可を得ようともしないで、ただ自分のやりたい気持ちだけで動くようにします。

また他の人に対する場合は、義務を押しつけないことです。
「あなたはそれをやるべきだ」と言いたがっている自分を見つけたら、「その人がどうするかはその人が決めること」という原則を思い起こすことです。

さらには、それと並行して、見返りを期待して人に奉仕することをやめます。
「こんなにしてあげてるのに、どうして返してくれないの?」と思うような習慣をやめることです。

素直に相手に何かしてあげたいと思ったのなら、あなたがしたいからそれをするのだと言うことを忘れないことです。決してやってあげたと思ったり、貸しを作った気にならないことです。

どうぞご自由に


思い出すたびに、いつもと逆の行動をあえて実行するようにしていれば、徐々に今までの行動と新しい行動のもたらす結果の違いに気づけるようになります。
前者が苦しい感情ばかり引き起こすのに比べて、後者の行動は軽さと自由さをもたらしkてくれることに気づくでしょう。そして、それと共に徐々に自分自身の価値観も高まってきます。

「これだけやったから許して」という言いわけをしなくても、自分の思うことを平気で自由にやる事が出来るようになってきます。

こうして「他人への期待」があなたの重要事項でなくなってくればくるほど、「他人をあてにしなければ、怖いものはなくなる。」という言葉の意味もわかってくるでしょう。
他人をあてにしないのですから、自分で動けばいいだけです。
それは自分だけで出来るし、自分自身で完結してしまえるということが重要なのです。



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目的がないと人は動かない?/衝動を見直す

何かの目標を達成するには、その目標に向けて自分の行動を集中させることが効果的です。
目標に向けて自分のエネルギーを集中させれば、行き当たりばったりに行動するよりも効果的であるのは当然でしょう。
そして、私たちは目標に到達すれば、自分の望みはかなえられるだろうと信じているのです。

しかしこのような効率を第一に組み立てた行動計画は、その多くは見落とされたままになっているさまざまな弊害をもたらしているように思います。

私たちをふだん行動に駆り立てる日常的な要求は、そのほとんどが目的にかなったことを対象とするものです。
意識しやすい目的にかなったものだけが前面に押し出され、そこに時折登場する欲求や衝動は、適当に治まってくれとでもいうように軽く扱われてしまいます。
こうして、私たちはいつも目的にかなった行動のみを行っているように錯覚するのです。

自分らしさや個性を大事にしようとスローガンを掲げても、目的という強力な支配者の元では、妥協して既製品の個性を採用し納得しているしかありません。
個性的であろうと言いながら、実際には外部の情報を求め、雑誌やマスコミやネットの情報に踊らされている実体が何よりもそれを物語っているでしょう。

ところで、目的が前面に打ち出されているとき、私たちが決まって反射的に感じるのは、「急げ」「早くしろ」という命令です。
目的とそのための計画が登場すれば、必然的にいつまでに仕上げるかという期限が設けられます。
期限こそは、私たちに「急げ」と命令する張本人ではないでしょうか。

そして「急げ」という命令は、何事も急いで達成した方が人よりも先んじられるという筋書きと結びついていきます。
自由に考えて生きようと思っても、何をやるにも急いでやろうという意識が入り込んできますから、それになじまない考えや行動は気がつかないうちに見捨てられていくのです。
たとえば、急いで瞑想しようとか、インスタント禅とか、言葉自体に矛盾を抱えていませんか。

要するに目的を持って自分をそれに向けて駆り立てる結果、世界を限定して狭めてしまうのです。
私たちを構成している、目的を持たない衝動といったものは、そこからは抜け落ちてしまうのです。

急いで出勤


目的にかなった効率的な機械のような人間を作り出すには、計算できない欲求はうまくコントロールして手なずけようとすることになります。

ところで、衝動的な行動をコントロールする方法の一つとして、「HALTを避けよう」と言うことが言われます。
「HALT」というのは、Hunger(空腹)、Anger(怒り)、Loneliness(寂しさ)、Tiredness(疲れ)の頭文字をとったものです。
そしてHALTを避けるとは、ここに上げたような欲求、衝動に注意して、それが強くなっている状態に気づいたら、早めにそれらを緩和しておこうと考えます。
そうすれば、HALTの欲求があるときよりも、衝動的な行為に走ってしまうのを防止しやすくなるというものです。
この考え方は、衝動買いだとか飲酒要求などの依存的な行為に対して、それの予防効果があるということで取り上げられる方法の一つです。

たとえば、何かを衝動的に欲しくなって、高い買い物なのに早く決めてしまいたいと思ったとき、「今おなかがすいてないだろうか?」と問いかけてみるのです。
そしてもしそうなら、まずは腹ごしらえをしてから、もう一度考え直してみる。
そうすると空腹なままの時よりも、一時の衝動から後悔するような行動をとってしまうのをより防止しやすくなるというのです。

空腹時の食べたいと欲求が、直接関係のない買い物の欲求にも影響を与える可能性があるということでしょう。
あるいは、寂しさから気を紛らわすために、これを買うことで何とか緩和できるのではないかと考えるかもしれません。
誰かと喧嘩して、その怒りを静めるための衝動買いというのも聞いたことがあるでしょう。

言われてみれば、効果がありそうですし、こういった知識も適切に使用すれば有用なものだと思います。

過食症


しかし、その一方で安易に衝動を手なずけるやり方は、目的に従って効率的に行動できる人間を作り出す側の考え方であるということも知っておく必要があります。

「空腹」を感じるときというのは、身体が食物を要求してもおかしくないような、なにも食べていない時間を経過した状態であれば純粋な欲求であると言えます。
しかし、それ以外にも他の欲求が満たされないことの代償で空腹を感じ、何かを食べることで満たされない欲求を誤魔化そうとしていることもあるわけです。いわゆるやけ食い、やけ酒といったものですね。

「寂しさ」を感じるといっても、実際にまわりに誰もいないのか、それとも人の中にいながら自分の存在を認めてもらえないと感じているのか、いろいろな状況が考えられます。

「怒り」は具体的な対象のある怒りなのか、正体のつかめない怒りなのか、「疲れ」は実際に活動しすぎた結果の疲れなのか、心理的な疲れなのか、やりたいことがやれないための疲れなのか、などなど、衝動、欲求といっても一つの言葉で表現しきれるものではありません。

そしてその衝動をとりあえず治めてしまおうとして、安易に欲求を満たすことは、その時は治まったように見えても根っこは相変わらず残り続けるということも考えられます。
欲求を軽く扱って、はっきりした目的にかなった行動だけを行う自分がすべてであると思い込んでいると、いつかそのしっぺ返しをくらうことになるのです。

効率的で目的にかなった行動ばかりに入り込んでしまうと、たしかに目の前には達成された結果が並んでくるでしょう。しかしその一方で、目の前の成果にもかかわらず、何か満たされていない気持ちがちっとも解消されないということも起こってしまうのです。

ここで間違えないようにしたいのは、まだ充分満たされない感じがあるからといって、それを何とかするためにさらに自分を目的にそった効率的な人間に鍛え上げようとしてしまうことです。
その方向の努力は、いくらやってもむなしい結果に終わるでしょう。

確かに目に見える形で成果が現れる合目的的な行動は取り組みやすいのですが、本当の欲求が満たされていないのであれば、それらの行動で努力した気になろうとしても、やればやるほどむなしい気持ちが増してくるのです。
そしてこんなに努力しているのに何で報われないんだろう、何がいけないんだろうと嘆きたくなるのです。

探す1


いつも外の世界に合わせていては、自分の居場所がどこにあるのか見失ってしまいます。
そのとき感じるのが「退屈」という感覚です。
何をやっても外に合わせるのが基準になっているから、自分の楽しみは何もないのです。

人まねをせずに自分でやってみることです。
みんなと同じことをしようと、ただそれだけのためにいかに無理をしているかを振り返って見れば、退屈しても仕方のないことをやっている自分が見えて来るでしょう。

誰ともうまく合わせて、好かれていたいと思う時、あなたは退屈の原因を作り出します。
そして、そのような行動を見ている他人は、この人も自分と同じ退屈な人だなと感じるのです。

「退屈で死にそう」という表現がありますが、実際いつも退屈を感じている人の方が死亡率が高いと言う話もあるようです。
ですが、それ以前に「退屈」というのは自分自身を殺しているから満足しない自分がいるわけです。
すでに死んでいるわけですから、それを生き返らせるには、何でもかんでも人に合わせようとしないで、自分で考えたり、自分の感じ方こそが重要であると思ってそこに価値を見いだすことです。

目標志向が自分を退屈にしている原因だとわかったら、時にはそれをぶちこわすような馬鹿なことをやってみることです。創造的で生き生きとした自分を取り戻すためには、人の評価を無視して馬鹿なことに飛び込んでみる必要があります。

馬鹿なことをやるのを恐れる理由が、人に何を言われるかわからないという恐れから来ているのであれば、馬鹿でないことをやっていても人は充分にあなたの悪口を言っているものだと認識し直した方がいいでしょう。
むしろ、自分でも馬鹿なことをするのを怖がっている人は、表面ではなんと言ってようと、馬鹿をやらかす人をひそかに尊敬しあこがれているものです。

外の世界との関係性は適度なときに断ち切れるようにしておくことです。
いつもいつもつながっていたのでは、自分の世界は無くなってしまいます。
目的など忘れて自分だけの世界に入り込む時間を持つことです。
馬鹿な衝動を顧みようとしない外の世界を離れて、自分の世界でそれをじっくり吟味してみれば、きっと隠されたあなた自身が見つかるでしょう。
心配しなくても自分からいくら断ち切ろうとしていても、外の世界は否応なくあなたの世界に割り込んできます。

それでも負けずに、自分の世界は崩されないように守っていきましょう。
毎日一定の時間は自分だけのために取っておきましょう。
その時間には、何も目的も計画も持ち込まないこと。
そんな反目的的行動が、あなたを退屈や空しさから救い出してくれるはずです。
そしてくれぐれも、「そんな時間を持つことの目的」などと考えださないように注意しましょう。


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欲求の半分は...

近くの公園で子どもたちの遊ぶ声と、泣いている声が聞こえてきます。

どうやらその中の小さい子が、ボールか何かを欲しくて泣いているようです。
ようやくボールを渡してもらったけれど、満足しないようで、何かを訴えています。
ボールを使ってお兄ちゃんお姉ちゃんがやっていたのを見ていて、自分もそのイメージ通りになりたいけれど、どうしていいのかわからない。
そんな感じでしょうか。

ボールで遊ぶ子どもたち


ボールが欲しいと訴えながら、それだけでは満足しない。
その子の欲求は、ボールを手に入れても半分でしかないのです。

私たち大人の欲求も、同じようなものかもしれません。
欲しがっている具体的な何かがあるのだけれど、それ自体では半分しか欲求を満たしません。
残りの半分は、虚栄や幻想、イメージといったもので作られています。

ブランド品などは、その最たる物でしょう。
品物自体は同じような品質でも、ブランド名がついているだけで、その価値には雲泥の差が出来てしまいます。

普通に販売しても売れないとわかると、メーカー側で新しい付加価値を作り出します。
同じ物は作ろうと思えばいくらでも作れるのに、限定品として少ししか作らなければレア物として新しい需要を掘り起こせます。
同じような物だとわかっていても、それで何が変わるわけでもないのに限定品には他にない価値を見てしまいます。

おなじものを手に入れるにしても、簡単に手に入ったのでは、ありがたみをあまり感じられません。
なぜか、苦労して手に入れたものの方が、価値があるように思ってしまいます。

それとつながるのかもしれませんが、人と競争して勝ち取ったものには、より価値を感じてしまいます。
そんなことで勝った負けたと言って何になるのか、そう思うようなことでも、何とか勝ちたいと思うようになるようなら、それは競争社会に過剰に適応しすぎているのです。

売り出す側としては、少量の物だけ売れても経営が成り立ちません。
なんとか大量の需要が掘り起こせないかと知恵を絞り、物自体よりも後の半分の欲求を刺激しようとしてきます。
もはや物だけが売られていた時代は過去の話で、いまやイメージの方が品質よりも価値があるかのようになってきています。

しかし、それでも自分から本来の半分の欲求だけに目を向けるようにしようと決心したとします。
そうすると、いま手に入れたいと思っているものも、よく調べれば本当に欲しいのは半分も無いのかもしれません。

それができるようにするには、残り半分の価値は自分で作り出さないとなりません。
それは誰かの作ったお仕着せの何かではなく、あなた自身が想像力を働かして生み出さないといけません。

既製品に慣れきった今の私たちは、そういった力を忘れかけています。
それでも自分で考える事を厭わなければ、あなただけの中身の濃い満足を生み出せるでしょう。

すぐに飽きて放り出してしまうような、内容の薄い大量生産された、流行によってよく見えているだけのものに縛られる必要がなくなります。

あなたはコンビニ弁当では満足せず、自分で料理するようになる。
見かけばかり変化をつけないと飽きてしまう弁当ではなく、いつまでもあきない味を作り出すのです。

子どもひらめき


「人生は素晴らしい。
恐れの気持ちさえ持たなければ..
一番大事なのは勇気だ。創造力だ。」 チャップリン

それには、多数派に巻き込まれない勇気と、自分で考える想像力が必要です。
考えるのがいやなら、既製品を追っかけ続けるしかないでしょう。
自分で考えなければ、他人の考えを借り続けるしかありません。

「考えを変えるか、それとも考えない言い訳を考えるか。ほとんどの人は後の選択を採るだろう。」
ガルブレース

安易な選択は、たいてあとから問題を引き起こします。
困難ではあっても、自分で考えたことに従えば、後悔はしないでしょう。

大抵の失敗なら取り戻すことが出来ます。
しかし、自分で決めれば良かったという後悔は、あとから取り返すのが非常に困難なものになります。

これからも、ますます世の中はコピーがあふれるようになるでしょう。
そんな中で、あなたが自分で考えるなら、世にも貴重なソース源になれるのです。

そうすれば、何をするかをいちいち他人にお伺いを立てる必要はなくなります。
情報収集など、今やインターネットを使えば昔の何千分の一の時間で済ましてしまえます。
コピー情報を集めるよりも、その時間を自分で考えることに使うのです。

自分で考えないことが生み出す症状の代表。

・自分のことをあれこれ嘆いて時間を潰す。
・他人に気に入られるように振る舞うことにエネルギーを使う。
・些細なこと、表面的なことしか話題を作れない。

どれもこれも、他人の考えを借りてしまうからなのです。

よけいな借り物の願望をせっせと諦めて捨てていけば、本当の欲しがっているものも発見しやすいでしょう。
本当は自分では欲しくなどないものについて、その争奪戦に参加していることほど馬鹿げたことはないのです。

自分が本当に望むものを自分で見つけましょう。
それには、自分で考える事が大事です。

休憩する


【おまけ】
たとえば、こんな問題を考えて見ますか?

『あなたは友人のボブが、あなたの電話番号を知っているかどうかを知りたいと思います。
しかし、直接ボブには聞けません。
イブを仲介役にして質問のカードを渡してもらい、ボブから返事を書いてもらって受け取るようにします。
なお、ボブは回答するのに、イブにはあなたの電話番号を知られないような書き方をしてもらう必要があります。
あなたは、イブに渡すカードになんというメッセージを書けばいいでしょう。』※


※この問題は、グーグルの面接試験の問題だそうです。

詳しくは、以下のサイトをご覧下さい。

「死んだ牛肉」の意義は? 普通のに人は解けない Google の入社面接問題 - japan.internet.com
回答のページ
Answers To 15 Google Interview Questions That Will Make You Feel Stupid

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思った通りにはならないが..

思った通りには
ならないが

やった通りには
なる


It does not turn out the way you thought,
but it turns out the way it was done.

以無所得故(いむしょとくこ)

得る所無きを以ての故に。

「了寛」


羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
著者: 荒 了寛 里文出版 / 2001-05



自分でこうなろうと思って努力したとしても、なんでも思った通りにはならないものです。

しかし、自分の意図とは関係なく、日頃自分がやり続けていることは、現実となって現れてきます。

はたして、どちらが価値があり意味があることなのでしょうか。
自分の意図したとおりに何かが達成されるということに、特別な価値を見いだそうとする理由は何なのでしょうか。

画家


以前何かの本で読んだ、ある画家志望の男の話です。

その人は、画家を目指してせっせと自分で絵を描き、それを売りに出します。
しかし、なかなか絵を買ってくれる人は現れません。

何とかしようと考えた男は、自分の絵を引き立てるために立派な額縁に入れてみようと思います。
自分の手で彫刻を施した独自の額縁を作っては、自分の絵を入れて売りに出します。
しばらくして、絵が売れ出しました。

男は努力の甲斐があったと、大変喜びます。
しかし、そのうち男は、画家を目指している自分にとっては、残酷ともいえる事実に気がついてしまいます。

「私の絵を買ってくれた人達は、私の絵を気に入って買ってくれたのではなく、額縁の方が欲しかったんだ。」

一時はその現実に失意のどん底に陥った男でしたが、新しい光明を見いだします。

「私の額縁を気に入ってくれる人達のために、額縁の職人としてやっていこう。」

今までの夢ではなく現実を受け入れた彼は、その後、独自の額縁を作り出す職人として成功する、といった内容の話です。

この話を、「何でも頑張っていれば努力が実るものだ、諦めるな」という方向に解釈するのも一つではありますが、ここでは彼の意志と、最後に彼が受け入れようとした現実の関係というものを見直してみたいのです。

絵画展


思った通りにはならなかった、「画家になりたいという彼が自ら抱いた願望や意志」。
やった通りになった「目指したわけではなく、副次的に発揮された額縁や彫刻への才能」。

私たちが、大事にしていきたいのはどちらなのでしょう。

「私はこれをやります」と宣言して、その言葉通りのことを為し遂げることが立派である。
このように考えるのが、今の社会では暗黙裏の常識であるかのようです。

しかし、なぜ意図したことが叶うことだけを、特に価値があるように考えるのでしょうか。
自分でやりたくてやったことだから、その通りになって嬉しいと思うのはたしかにあるでしょう。

しかし、それ以上に自分の意志を叶えることに意義を見いだすのは、単に社会がそのように期待するからでしょう。
今の社会というものが、個人が自分でやると言ったことに責任を持つことをベースに成り立たせているから、宣言して実行することがより正しいやり方で価値があると見なされるだけなのです。

また、私たちはそのような社会に生きている影響もあるのでしょうが、自分の意志で何でもやっていると信じようとします。

たまたまそのようにことが運んだだけだとしても、後から振り返れば、大抵は自分がそのように意図していたからそうなったのだと説明をつけることは出来るものです。

また逆に、意図しないで達成されたことはたまたまうまくいったことで、副次的な成果としか見ようとしなくなりがちです。

さらにこれを押し進めれば、「無理にでも自分の意志で目標を持ち、その通りに達成できる人間が価値があるのだ」と考える方向に圧力をかけられていくのです。

般若心経は、全く違った見方で私たちを諭します。

以無所得故(いむしょとくこ)
得るところなきをもってのゆえに

真理は私たち人間の知力で推し量ったり、具体的なものとしてとらえられるものではありません。
それは、私たち人間の意志やはからいを遙かにこえたところにある知恵なのです。
だから、自分でわからないからと抵抗しないで、わからないが故に、その深い世界に身を委ねるのです。

私たちの意志の力が、その真理の代わりを出来ると思い上がるとき、「思った通りにならない現実」があなたを不幸にします。

意図して失敗した結果で自分を責めて、意図しないで手に入れた幸運を素直に喜べないというのは不幸なことです。

自分の意志とその結果に責任を持つという常識に、あまりにもとらわれ過ぎないようにした方がいいでしょう。
自分の意志とは関係なく起きてくる現実の方も、受け入れたり楽しんだりするという余裕も持つことも大事です。

そうすれば、社会的に成功した人にあこがれと共に嫉妬やねたみを感じ、一方でそれと比べた自分を責めてしまうような不幸な循環に陥ることも少なくなるでしょう。

画家にばかりあこがれて、額縁の職人では不満だと思うのが、そのような考えがもたらす結果なのです。

あなたの「彫刻の腕」を見落としたり、価値がないと思って邪険にしてしまっていないでしょうか?
「やった通りに」なっている現実の価値を、もっと見直してみてはいかがでしょうか。


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花が咲くのが空なのです

花が
散るから
空なのではない

花が
咲くのが
空なのです


It is not emptiness that the blossom has fallen;
but because it has bloomed.

乃至無老死(ないしむろうし)
亦無老死盡(やくむろうしじん)

乃至、老も死も無く、
亦、老と死の尽くること無し。

「了寛」


羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
著者: 荒 了寛 里文出版 / 2001-05




前回に続いて了寛さんの詩から、また勝手な解釈を考えて見ます。

空の世界では、老いることも死も尽きることなく繰り返されます。
花が咲いて、花が散るのも一つの循環に過ぎないわけで、花が散るから空になるわけではありません。

花が散るのは、花が咲いてこそ起こりうる現象であって、花が咲くことこそが循環の始まりであり、繰り返しの牽引役でもあるわけです。

かんつばき


海の波とはどんなものでしょうか。
波がしらというのは、大海の現れ方であって、同じ部分が移動しているのではありません。
次々と、海の各部分が盛り上がったり沈んだりして波を作っているわけで、常に大海と一体のものです。

自分が波がしらになった一瞬を、自分は花咲いた、それを維持しようと思うから、次の瞬間に波の最下部に沈む自分を知り、もはや終わりだと考え、花が散ったと思っているのです。

仕事で成功を収めて、これで自分の城が築けたと思ったとき、自分は空ではないと思っています。
花が散るまでは空ではないと言い聞かせる思いが、やがてくる次の段階を恐ろしいものにしてしまいます。
成功したとき、花を咲かせたときこそが、空の中の一つの始まりであることを認識できるでしょうか。

あなたが、この人こそは自分のことをすべてわかってくれると信じようとするとき、その途端にあなたは視野が狭くなります。対人関係において、相手を見なくなってしまいます。
しかし、相手を知っていると思っているのは、自分が思い描いた人物像と一致していて欲しいと言う願いであって、相手はあなたがどのように思っているのか知らないし、あなた自身も自分のことですらよく理解していないのです。
あなたが、相手がいつも波がしらにいることを期待しても、あなたも相手も刻々と変化します。

老子は、タオに生きる人は、冬の河を渡る人のように常に用心深く、油断のなさは客人のようであると表現します(第十五章)。
我が家にいれば何も問題はなく、このままの状態が続くのだと信じたくなります。
しかし、客人のようであるとは、いつも訪れた仮の宿に泊まっている客であるという立場を忘れずに、油断無く過ごし、いつでもここを立ち去れる用意があるのです。

波


しかしいつも仮の宿と思って過ごすのは、あまりに疲れるし、夢のない話だと思われるでしょうか。

やがて花が散ることを知りながら、それは見ないようにして、少なくとも花が咲いている間は安泰だと思いたがるのは、自分の一部を欺き続けることになります。

花が咲き始めるときから、空の中にいることを知って、波がしらにも波間にもなりながら存在することを受け入れれば、砂上の楼閣が崩れるのを恐れることはなくなるでしょう。

父親が、息子に「お前には絶対負けん」といって力を閉めそうとするのは、息子に勝ちたいからでしょうか?
それは息子が自分以上の力を発揮出来るように、最高の競争相手を演じることが今の自分の役割だと考えるのかもしれません。
大海の波は、いつまでも波がしらに止まろうとはしないで、次の波に自分のエネルギーを移動させているのです。

自然は、いずれ散る花だからといって、いい加減に花を咲かせることはありません。
「いつまでも散らないでいられると約束してくれたら、頑張って咲かせます」などとせこい考えをすることはないわけです。

咲いて散る過程のどこにも妥協はありません。
散ることが、咲くことよりも価値がないことだと思うのは、人間の見方でしょう。
ただ散ると言っても、サザンカは花びら一枚一枚を散らし、ツバキは花ごと塊で落とします。
そこにも、咲き方と同じように、手抜きのない働きが生きているのです。

花が咲いて、花が散る繰り返しはつきることがない、それはどちらも空の現れを見ているだけである。




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偏っている処に生きている意味もある

人はみな

多かれ少なかれ

偏って生きている

偏っている処に

生きている

意味もある

More or less people are living in a biased manner,
this gives meaning to their lives.

無無明(むむみょう)
亦無無明盡(やくむむみょうじん)

無明も無く、
亦、無明の尽くることも無し。

「了寛」

羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
著者: 荒 了寛 里文出版 / 2001-05


これを書いた了寛さんが、どう思ってこの文章を書かれたのかはわかりませんが、
この言葉を眺めながら考えて見ました。

「偏っている処に生きている意味もある」

あなたも隣にいる人も、何の偏りもなくて、世の中はすべて同じ人の集まりだったとしたらどうでしょうか。
あなたが感じたことは、隣の人も全く同じに感じています。
いったいそこでは、何を話せばいいのでしょう。
あなたの感動したことは、伝えなくても、隣にいる人も同じように感じていると、すでにお互いがわかっているのですから。

悪人ばかりの劇は成り立たないでしょうし、スーパーマンばかりが住んでいる国は何も面白くなさそうです。
犯罪者だけとか、刑事だけではドラマは成り立たないし、そもそもドラマでも何でもなくなります。

「人間関係をつくりだす為に、神は人にエゴを与えたのだ」と言う人がいます。
なぜそうなのかはわからないまでも、なるほどそういわれると、そうなっているのかもしれません。

怒る女性


あなたをいらだたせるあの人、「あんな人いなくなればいいんだ」と思っては見ますが、
本当にいなくなってしまえば、それがあらゆる面での見方からでは無かったことに気づくでしょう。

逆に、あなたをいらだたせることもない代わりに、なんの喜びも刺激も感動も与えてくれない人たちばかり。
まわりにいるのが、そんな人ばかりになってしまったら、あなたはそちらの方が良かったと言えるでしょうか?

そして、あなた自身の偏り、それこそが「あなたが、あなたであることの証し」になっているわけです。

あなたの偏りが、まわりの人に影響を与え、それがあなたという存在を世の中に知らしめています。
それは、一時的に見れば、あるいは特定の人から見れば、ネガティブな影響であったり、ポジティブな影響であったりします。

喧嘩する親子


その頃はどうみてもいやな人でしかなかったのに、振り返って見ると懐かしく思い出され、違った評価や印象を持つこともあるでしょう。
良くも悪くも記憶に残っているのは、何らかの偏りがあなたに影響を与えた人達なのです。

偏りを何も感じなかった人は、あなたの記憶に登場しないし、その時もいないのと同じだったのかもしれません。

今のあなたの偏りが、どれだけまわりに影響を及ぼしているか、
そして、その偏りは、実はあなたが自分では善くないと思ったり、嫌っていたりする部分かもしれません。

変人男性3人


あなたが、自分の偏りを隠していては、それを欲しがっている人がいても見つけられずに立ち去ってしまいます。
あなたの偏りが、まわりの人のひとりひとりの偏りが、うっとうしくもあり、また無くなっては困るものでもあるのです。

「無明の尽くることも無し」
あなたや他の人の偏りは、存在し続け、他の人に影響を与え続けます。

「無明も無し」
しかし、その偏りは無明などではない。無明だと思うのは近視眼的な評価に過ぎないのです。
トータルに、時間と空間を超えて眺めれば、無明など存在しないのです。


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私は今、?しています/「いま、ここ」のコンタクト

私たちは、自分が今、どこにいて何をしているのかをわかって行動していると思っています。
いや、実際ほとんどはわかって行動しているわけではありますが、「いま、ここ」とのコンタクトを充分とれているかどうかは、その時々で随分違うものです。

時間的に余裕があって、天気もいいので外をゆったり散歩しているのであれば、自分の足運びまで意識しながら歩いているかもしれません。
まわりの景色をゆっくり眺めながら、いつもと違う物を発見して驚いてみたり。

ところが、ふと心をよぎるものがあります。キムタクのCMじゃないですが、
「ガスの火を止めてきただろうか?」
その途端に、あなたの目の前の情景は背景に沈み込み、急いで家へ戻りながら「止めた?いや思い出せない」という考えでいっぱいになり、火事になりかけている情景を想像したりするかもしれません。

このような緊急性のある妨害ではないにしても、私たちは普段からおだやかに「いまここ」に止まってコンタクトをとり続けるのを妨げるような要因を抱えているものです。

ガスのつけっぱなし


やらなければならないいやな仕事が気になっていると、「いまここ」を味わいながら過ごすような余裕はなく、頭の中にはその課題をどうするかでいっぱいになっています。

そんなとき、「あなたは今、何をしているんですか?」と問いかけられると、とっさに答えられるでしょうか。
「今どんな風に感じていますか?」といわれても、「それどころじゃないんですよ」と答えながら混乱している自分に気づいてみたりします。

「いま、ここ」にいること、そして私自身がいま何を感じているのかといったことは、結構頻繁に忘れ去られているのです。
たとえば、仕事が忙しい時期だと、こんな状態がずっと続いてしまうかもしれませんね。
いつもなら、自分の「疲れた!」という感情を確認する時間を持てるのに、忙しさで今の自分が何を感じているかなど押し殺してしまい、目の前の仕事のことばかりになってしまうのです。

何かに悩んでいる場合にも、このような状態は起こります。
考え出すと、そのことばかりが気になって、今自分がどこで何をしているかなど気づく余裕を無くしてしまいます。

しかし、このようなことは、通常は区切りをむかえて、また自分とのコンタクトを取り戻せるものですが、それが長引いてしまうと、そのうち「うつ」を感じ始めたり、神経症的な兆候が現れたりします。

そんなときこそ、「いま、ここ」との接点を取り戻し、自分自身の素直な感情とコンタクトを取り戻す為に、自分自身へ問いかけをしてみるのが有効です。

具体的には、「今、私は?しています」とか「今、私は?に気づいています」という表現で自分の状態を表してみます。

実際に紙に書き出したり、パソコンでキーボードを打ってみるとさらに効果的です。

「私は、いまボールペンを手にしています。」
「私は、メモ用紙にこの文章を書いています。」
「私は、書きながら、こんなことをして何になるんだと感じています。」
「私は、窓からの風の流れを感じました。ちょうどいい気候だなあ。」
「私は、いつもパソコンで文章を書いているので、漢字が書けなくなっているのに気づきました。」

ところがここで、漢字が書けないことを気にし出すと、「もっと自分の手で書く機会を増やした方がいいだろうか...」などなど連想から思考に入り込んでしまいかねません。
そうすると、また「いまここ」の「私」から離れていってしまいますから、「私は、?」に戻すようにします。

そしてたとえば、「こんなことをして何になるんだ」と感じ始めたのは、いつも今との接点を妨害して、思考の世界に巻き込んでしまう自分なのかもしれない、などと言った気づきが得られれば大成功です。

そうすれば、さらに「私は、今気になっていることがあって、こんなことをしている場合じゃないと感じています。早くやめてしまおうという気になっていました。」などといった自分に気づいて、その自分とそれとは離れた位置で見ている自分がいることに気づけるのです。

書く


「ゲシュタルト療法」の中で、パールズは気づきの技法についてこのように書いています。

気づきの技法だけでもかなりはっきりと治療的な効果がもたらされる。たとえセラピストが三つの質問をすることだけでセラピーをせよ、と言われたとしても、かなりの重症のクライエントに対しても結果的にはうまくいくことが期待されている。その三つの質問というのは、基本的には、「今、私は?に気づいています」の変形であるが、「あなたは、今、何をしているのですか」という問いと、「あなたは、今、何を感じていますか」と「あなたは、今、何をしたいのですか」というものである。もう二つ質問を加えることもできる。それは「あなたは、今、何を避けているのですか」というのと「あなたは、今、何を予想していますか」という二つの質問である。これらは最初の三つの質問の変形である。これらの問いかけだけでもセラピストはかなりの関わりができるはずである。(89頁)

ゲシュタルト療法―その理論と実際 著者: フレデリック・S. パールズ
ナカニシヤ出版 / 1990-07



ここまで読んでこられても、これが何の役に立つのかぴんと来ない方も多いかもしれません。
そういう方は、自分自身とのコンタクトが容易に回復出来るのかもしれません。
あるいは、逆にそれに抵抗を示している自分が存在するのかもしれません。

「あなたは、今、何を感じていますか」とか「あなたは、今、何をしたいのですか」という質問に対して、「別に何も」とか、努力しても何も思い浮かばず空白のままという人もいるものです。
もしかすると、自分の感情を素直に表して痛い目にあったことから、素直に感じることを禁止していたりするのかもしれません。また同様に自分のやりたいことも率直に表現しにくいということもあるでしょう。

それならばそれで、そういった自分に気づくという発見があるわけですね。言葉の上で理解するのではなく、気づきという体験をすることに意義があるのです。

あるいは、「私は?です」という自分を主語にした肯定的、能動的な表現をすること自体に抵抗を感じる人もいます。
そういった人は、主語を曖昧にして「それは?」とか「?というのは、」といった表現に変えて主体的な関わりを表現するのを避けるかもしれません。
「私は?したい」とか「私は?がほしい」と表現するだけでも抵抗があって出来ない人もいるのです。
その代わりに何を言おうとするのかをみれば、そのひとが抱えている妨害するもの、避けようとしているものが見えて来るかもしれません。

第三者の方がそういったことには気づきやすいと言えますが、あなた自身でそれを発見してこそ自分に変化をもたらすと言えます。

「素直な私の気持ちから遠ざかってしまっていないだろうか?」
そんな気分になったら、自分に対してこのような問いかけをしてみてはいかがでしょう。

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老荘思想のコラム連載(9)

『COCORiLA (ココリラ) ?癒しのポータルサイト?』様にて老荘思想のコラムを連載中です。

【今月のコラム】

「現代社会と老荘思想(9)」 [2010/10/09]

「天網恢々、疎にして而も失わず」
あえて断行する時は殺される。
あえてしないでいるときは活かされる。
だけどこれらは、どっちがいいのか悪いのかは簡単には決定できない。

何がやってはいけないことかは、ひとには正確にはわからない。
だから聖人であってもこれを知ることは難しいのだ。

でも自然にしたがって生きていけば、
競争しなくてもうまく勝つことができるし、
あえて言わなくても、ちゃんと理解してもらえる。
自分からわざわざ催促しなくても向こうから来てくれるものだし、
ゆったりと待っていても、うまく計画通りに運んでくれるものだ。

天の網というのは、とても大きなもので、
その網の目は隙間だらけのように見えるけれど、
肝心なことは、決して逃さないように出来ている。

(老子道徳経 第七十三章)



障害物競走

天の網というのは、網の目は隙間だらけのように見えるけれど、肝心なことは決して逃さないように出来ている。
自然にしたがって、あえて人為的に余計なことをしなければ、トラブルに巻き込まれることはないのだと説きます。

しかしそれでも競争して自分が一番になろうとする心理はどこから来るものでしょうか。
おそらくそれは、元をたどればまわりの人の注意を惹きつけて、承認してもらいたいという子どもの頃からの願いなのかもしれません。
しかし、そんな本来の願いも、競争に参加することで失われてしまいます。

あえて断行する時は殺される。
あえてしないでいるときは活かされる。
だけどこれらは、どっちがいいのか悪いのかは簡単には決定できない。

わからないから、ゆったりと待ってみようか...

ハンモック


【今までの連載記事】

「現代社会と老荘思想(1)」 [2010/02/15]
「現代社会と老荘思想(2)」 [2010/03/06]
「現代社会と老荘思想(3)」 [2010/04/10]
「現代社会と老荘思想(4)」 [2010/05/02]
「現代社会と老荘思想(5)」 [2010/06/06]
「現代社会と老荘思想(6)」 [2010/07/11]
「現代社会と老荘思想(7)」 [2010/08/14]
「現代社会と老荘思想(8)」 [2010/09/05]


以下のサイトで連載しています

癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)




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災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候

ものごとは刻々変化して、ずっと同じ状態のものはありません。
悪いことは、それがずっと続くわけではありません。
良いことも、それがずっと続くわけではありません。
痛みもそのうち忘れます。
快感もずっとそのままは続きません。

このように言葉にすれば、「その通りだね、当たり前だね」と誰もが受け入れるのです。

しかし、実際に私たちが考えていることは、この事実を受け入れずに、頻繁にねじ曲げていることに気づいているでしょうか。
そして、この事実を認められないことが、さまざまなやっかいごとを引き起こしているということをです。

腹痛1


例えば、おなかが痛くなるのを、ずっと気にしている人がいるとします。
「急におなかが痛くなったらどうしよう!」と起きてもいないことで「いま」を苦しみます。
「痛みがずっと続いたらどうしよう!」
「私はよくおなかが痛くなるから、きっと、もうすぐ痛み出すに違いない。」
「あのときの痛さを思い出すと、不安でもう何もする気になれない。」
などなど、予期不安に悩んで、「いま」存在しない痛みを作りだしてしまうのです。

一方で、これとは逆の幻想を作り出そうとする人もいます。
「先のことはどうなるかわからないもんだ。
あれこれ考えるから問題が起きるんだ。
何も考えないでいたら平気なんだよ。」
と悟ったようなことを言います。
しかし、この「極楽とんぼ」を無理に演じようとする人も、実際は長くは続きません。
いざ問題が発生すると慌てふためき、「極楽とんぼ」など放り投げてしまって、どうしていいのかわからず頭を抱えてしまうのです。

どちらの態度にしても、同じ状態がずっと恒久的に続くのだと無理に信じ込もうとしているわけです。
瞬間、瞬間で事態は変化するという事実をすり替えているのです。

しかし実際に起こることというのは、ある瞬間には満足している自分がいて、次の瞬間には不満足な自分がいるといったぐあいなのです。
そうした予測出来ないイベントの集まりが一つずつ目の前を過ぎていきます。
同じ状態で止まることはありません。

これを、どちらかが恒久的に続いていくという幻想にすり替えてしまうから、変化を受け入れようとしない無理な自分が悲鳴をあげることになるのです。

最初に述べた当たり前の事実は、簡単に無視され、ねじ曲げられてしまいます。

予期不安や心配性の人というのは、悪いことが恒久的に続くことを想像しやすく、それがその人には実際の現実よりもリアルな世界のように見えているのです。

またその一方で、予測出来ない現実というものを、何とか予測出来るかのように信じたいと思う人もいるわけです。
そして「これさえ信じていれば問題など起こらないのだ」という予言を作りだしてしまうのです。

どちらにしても、現実から少しずれた所に自分の信じる現実を作りだして、その中を生きようとします。
あえてそれを選ぶからには、それなりの理由があったのかも知れません。
いまもそのやり方を使うことで、何か他の問題を回避しようとしているのでしょう。
そうでなければ、さっさとやめてしまうはずです。
この現実からのずれは、やがてそれぞれの不適応を生み出してしまうでしょう。

飛び上がって喜ぶOL   悲しむ制服女性   バンザイする男性


現実というのは、期待通りではなく、また良くも悪くもないものです。
もし、すべてが予測可能になってしまったら、はたして生きる意欲は湧いてくるでしょうか?

この当たり前の事実を受け入れれば、より地に足の着いた生き方が出来ます。
すぐに化けの皮が剥がれるような、無理な思考で生きようとしても長く続くものではありません。

それでも何とかなるのではないか、何か方法があるかも知れない、と探ってみたい気持ちがある間は、思いっきり現実に背を向けて抵抗してみればいいでしょう。

それがことごとく敗北に終わるとわかれば、きっぱりあきらめる事も出来るでしょう。

あきらめの悪い人は、納得いくまでやってみることです。
そうしないと、自分自身で経験した結果からの自分の選択が出来ません。
その代わりに、だれかの考えを取り込んでお茶を濁すことになって、いつまでも自分自身に立ち戻れないからです。

実際のところ何が正解かは、誰がどういおうとわかりませんからね。

でも、あるときは痛みを感じている自分が存在し、あるときは何の不安もない自分を過ごし、あるときはうれしさで歓喜している自分がいる...

これがおそらく誰もが経験してきた現実の描写に近いだろうというのは、皆さん認めるのではないでしょうか。
それは、画期的でもセンセーショナルでもなく、期待はずれに見えるかもしれません。
期待していった旅先がいつもと変わらない退屈さばかりで、疲れきって返ってくる旅行のようなものかもしれません。

ですが、地に足の着いた生き方は、他のどんな作為的な生き方よりもリアルで実感のあるものであろうと期待できます。
予測が不可能というスパイスはかけがえのないものかもしれません。

そしてそれに逆らおうとしなければ、「災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候」という良寛の言葉もすんなりと受け入れられるような気がするのです。

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不満の多い相談者

他の人の不満を聞いてあげるということは、けっこう日常的にあることだと思います。

あなたが聞いてあげたことで、相手が「あースッキリした。ありがとう。」といって喜んでくれると、あなたもいい気分になれるでしょう。

しかし中には軽い気持ちで相談に乗ったばかりに、あなた自身が負担を感じたり、相手を嫌いになって付き合うのをやめたくなってしまうような場合もあるのではないでしょうか。

そこで後者のような場合の対処で注意したいことを書いてみたいと思います。
せっかく相手のためを思って聞いてあげたのに、ムダになるどころか関係を悪化させるというのは残念なことですからね。

まず一番肝心な原則についてです。

それは、あなたが責任を持てるのはあなた自身に対してだけであり、相手の人の問題をどうするるかの責任は相手自身にあるということです。

つまり、あなたが相手の問題を解決できないことで、自分が罪悪感や無力感を感じる必要はないということ。
そして、相手が自分で解決しようとする能力を発揮出来るように応援してあげることが、あなたの出来るすべてです。
相手が責任を持つべきことまで、あなたがかわりをすることはお互いのためにならないのです。

相談1


しかし私たちの多くが、相手をコントロールして変えてあげられるかのように錯覚します。
わたしなら相手のことがよく解っているから、何かしてあげられると思って相手の領分まで踏み込んでしまったりするのです。

しかし、相手の考えていることがわかるというのは幻想に過ぎません。
例えどんなに親しい人であっても、親子であっても相手のこころの中を知ることは出来ないと思った方がいいでしょう。
あなたが相手をわかっていると思っているのは、あなたが思い描いている相手のイメージを相手そのものだと思い込んでいるのであって、実際の相手のこころの中ではありません。

この点を勘違いすると、あとあと複雑にこじれた人間関係を作り出す原因になったりするものです。

さてこの原則をふまえて、不満の多い相談者のタイプを考えてみます。

先程の最初の例のように、愚痴をこぼして誰かに聞いてもらったことでスッキリしましたという場合には、その相手の人はそれほど頻繁に不満を訴えている人ではないでしょう。

しかしそうではなく、会うたびに誰かのことについて愚痴をこぼしている人というのがあるものです。

両者の大きく違う点は、前者は話していることがズバリその人の不満そのものであるのに対して、後者は本当の問題を隠していたり、見たくないと思っているということです。
そして本当の問題はまだ話せない状態なのですが、もっと当たり障りのない不満を漏らすことで話を聞いてもらいたがっているのです。

ですから、後者の場合は色々問題を挙げていてもそれ自体はそんなに重要でない場合が多く、本当に何とかしたい問題は解決しないままだからこそ、いつも何か不満を抱えたままであるわけです。

何度か話しているうちに、「本当は何が問題なの?」と相手に言いたくなるとしたら、このような状態にある可能性が高いでしょう。
その場合、相手が問題を抱えていて聞いて欲しいと思っていること自体は嘘ではないので、理想としては相手の本当の問題を相手に気づかせたり、あるいは表に出すことを手助けしてあげられるといいのでしょう。

その意味では、途中に出てくる表面的な問題については、あまりそれが問題だと思って入り込まない方がいいでしょう。
そうしないと、先程の「本当は何が問題なの?」と言いたくなってイライラさせられ、あなたの方が疲れ切ってしまいます。
この様な場合には、最初に書いた原則、あくまで自分の問題を解決する責任は相手にあること、あなたが責任を感じる必要は無いことを思い出して下さい。
一定の距離感を忘れて相手の問題に巻き込まれてしまっては、ミイラ取りがミイラになってしまいます。

自分の不満を話しながらも、あなたのアドバイスに対して「そうなんだよね、でもね...」といったYes・Butの話し方が多いうちは、まだ本当の問題にたどり着けてはいないのでしょう。

また、それがあまり長引きそうならその回はけりをつけて、相手が本当の問題を話せる段階になるまで仕切り直すことも考えて下さい。
ただ不満ばかりいっている人の中には、自分の本当の問題を解決する気などなくて、ただ誰かの不満を聞いてくれる人を探している場合もあります。

そのうち、相手が「?したい」というような能動的な話し方が出てきたら、本当の問題に近づいたわけですから、じっくり聞いてあげるといいでしょう。

悩む2人


また、あなたから見ていると、相手の本当の問題が先に見えてしまう場合もあるでしょう。
相手よりも第三者的に見られることでよく見えることもあるわけです。
しかし、相手はその問題を隠したいと思っていたり、直面することを避けている可能性が高いわけですから、あからさまにあなたからそれを指摘されることは、場合によっては余計に封印してしまう可能性があります。

聞いてみるにしても、たとえば「わたしの友だちでこんなことがあったんだけど、もしかするとこういうことはない?」という感じで、やんわりと持ちかけた方がいいでしょう。

どこまで関わるかは、あらかじめ決めておいた方がいいでしょう。
あなたの手に負えないような問題に巻き込まれて、両方のためにならなくなっては意味がありません。
あなたの相手への配慮がアダになってしまわないよう、これ以上は無理という引くべき時の判断も必要でしょう。
それは、あなたが非情なのではなくて、相手の問題をあなたが肩代わりするものではないと言うことです。

それから、これは別の問題ですが、あなたがいつも問題を抱えた人にお節介を焼きたがる傾向があり、相手が自分で何とかしますと決心したのにもかかわらず、いつまでもそれが気になって関わりたい気持ちが消えないとしたら、あなたの側にそれを自分の感情の代償にしようとする傾向があるのかも知れません。

その場合は、あなたの側の問題である可能性もあるので、チェックしてみるといいかもしれません。
たとえば、最初の原則をとても受け入れられないと感じるとしたら、共依存などの傾向があるのかもしれません。

あくまでも「あなたが責任を持てるのはあなた自身に対してだけであり、相手の問題の責任は相手自身にある」という点を忘れない方がいいと思います。
そして、あなたの手に負えないと思ったらお互いのために退く勇気も必要だということも。

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満足したところで完了

おいしいものを食べて「あーうまかった」と叫んでおなかを叩きます。
おなかペコペコだったのが、満腹になるまで食べてられてホッとします。

この瞬間、私たちは満足を覚えるわけですが、なかなかこれで終わらないのが私たちのさがなのでしょうか。

「こんなにおいしいなら、何度も食べたいものだ。」とあれこれ詮索を始めるのならまだいいのです。
しかし、「こんなにいい思いをしたのだから、この分仕事を頑張らないといけないな。」とか、「こんなことをやっていていいのだろうか」といった自己否定を始める人もいます。
あるいは、健康のことを考えると程々にしないといけないかもしれないなどと、せっかくの楽しみを打ち消すようなことを考えたりするのです。

満腹の豚


それ位いいではないかと言われるかもしれませんが、このような満足の後の余計な「はからい」というものが、いつも私たちを不機嫌なままにしてしまう要因になってはいないでしょうか。

子どもは、大好きなおやつを与えられると、満面の笑みを浮かべ、またそれを食べることを楽しみます。
そんな様子を、大人たちはうらやましそうに眺めています。
「こどもはいいなあ」とつぶやいて、でも大人になるとそうはいかないと諦めたように自分を慰めます。

しかし、私たちも満足した所で、そのあとのよけいな「はからい」をやめてしまえば「喜び」で完結させることも出来るわけです。

そこで終わりにする。
その単純なことを、「でも大人には色々しがらみがあって」というように諦める必要はないように思うのです。

満足の後の「はからい」は、ろくなものを生み出しません。

食べるまでは、「どうしてもあれを一度は食べてみたい」と心おどらせていたかもしれません。
そのときは、それを食べるだけですべて満足だという思いがあったはずなのです。
「おなかがすいて死にそうだ、何でもいいから早く食べさせて」と思っているとき、ゴールは明快でした。

しかし、一つのことが満足すると、たちまち他の欲求を作りだしてしまうのです。
「ところで、食べるものを食べたから、何か問題はないか探してみよう。」という余計な働きかけを始めてしまうために、満足で終わりにならないばかりか、それを打ち消しにするようなことを始めてしまいかねません。

空腹時には隠れていた、その人の基本的な人生への構えが顔を出し始めるのです。

「満足したときには、充分味わってそれで完了」
そのように心がけていれば、子どものころの無邪気な喜びが復活し始めます。

どうしても目的を果たさなければならないことは、目標志向で行動すればいいわけで、そうでないもろもろのことには、満足の後の「はからい」をストップしてみる。

「うまかった、大満足、これで完了」



目の前の満足は、●一個で表されるとします。
上の図形では、満足してそれで完結できるのです。

しかし、これはどうでしょうか。

●●□□●●□□●●□□●●□□●●□□●

2個ずつ並ぶ規則性が気になると、次にもう一個足したくなりませんか。

あるいは、数が一つずつ増えていくのをみると、

□●□●●□●●●□●●●●□●●●●●□●●●●●

続きを完成したくなるのです。

●一個が全体だと決めれば、それで一つのイベントは完結します。
しかし、後の図形の場合にそれが妨げられるのは、他の図形と連結させて全体を拡大してしまうからなのです。
他の図形の中の一つの要素に過ぎないと見てしまうから、せっかく輝いていた今は色あせてしまいます。
全体が否定的なイメージにあるとき、その要素まで台無しにされてしまうのです。
そして、「いま」は連続する時間のなかで、他と容易に置き換えられる一瞬でしかなくなってしまいます。

不安


いま目の前のことに集中して、それだけに入り込めば、他のイベントに統合されてしまうことを防止できるのです。
それを妨げるのは、思考によって場所と時間を拡大してしまうからなのです。

「今日の食事はおいしかった。満足した。」
これで終わればいいのに、

「明日はどこで何を食べようか?」
と考え始めるために、完結しない続きを作りだしてしまいます。

「今日はおいしかったけど、明日は大丈夫だろうか?」
これが、さらなるやっかいごとの始まりなのです。

「今はおいしかった、満足した。でも私は満足ばかりしていられないのです。」
こんな自己否定に発展します。

「いい思いをすると、あとに悪いことが待っているものだ。」
こんな起源のよく解らない呪縛、予言を作り出します。

子どもたちの満足な笑顔を自分も取り戻したいと思ったら、素直に今の喜びを余計な「はからい」に汚されないようにすることです。
必要なのは、決心することと素直に受け入れることだけです。

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2つの関わり方/取っ手のないドア

あなたがまだ2,3歳で、ものごとの良い悪いが充分に判断できなかったころを想像してみて下さい。

あなたは、いい気分で家の中を探索しながら遊んでいます。
いろんな珍しい物が目に入って夢中になっていますが、触っていい物、悪い物の区別は付きませんし、大人の目で見た場合のやって良いこと悪いことの判断がつききません。

昨日まで部屋の中で走り回っていても、お父さんもお母さんも怒らなかったし喜んでるみたいだった。
だけど今日は同じことをしていたのにいきなり大きな声で叱られてしまった。
あなたはつかまえられて、叩かれてしまった。
「ストーブをつけたのだから、あぶないでしょ!やけどするよ」
いままでは同じことをやっても叱られなかったのに、喜んでくれたのに、急に恐ろしいことが起きてしまった。
あなたは、状況を理解できないまま、いつも無邪気に遊んでいることは安全ではない場合があることを思い知ります。。
やさしいお母さん、お父さんも、急に人が変わったようになることにショックをうけ、この怖かった出来事を言葉や説明の出来ない感情体験として刻み込んでしまいます。

大人になってからも、どのようなきっかけかはわかりませんが、このようなよく説明出来ない不安や恐怖感が
よみがえってくることがあります。
たとえば、調子よく楽しんで夢中になっているときにふと浮かんでくる不安感、「あまり無邪気に遊んでいると怖いことが起きるかもしれない」というようなものかもしれません。

言葉で説明出来ないような感情だけが刻み込まれた記憶は、思い出そうとしてもハッキリせず、漠然とした不安や恐怖の感情が身体に再現されるのです。

このような言葉で説明出来ない感情は、扱いに困ってしまいます。
できればそんな感情は自分には存在しないことにしてしまおうと考えるかもしれません。
あるいは、自分が抱いている感情ではないよ、相手がそう思っているんだよと他人になすりつけてしまおうとします。
しかし、やっかいでも存在を無視することは、あとあと余計に事態をこじらせることにつながります。

笑う赤ちゃん  泣く赤ちゃん


そのような感情が潜んでいる一方で、私たちが普段意識する感情については、自分でもつきあい方がわかっていることが多いでしょう。
たとえば、今この文章を見ている方の多くは、パソコンの画面で文章を読んでいることでしょう。
パソコンの操作がよく解らないときは、間違ったキーを押して壊してしまわないかと怖がったりしたのではないでしょうか。
画面が急に変化して、何かとんでもないことをしてしまったのではないかと、冷や汗を流したりしたかもしれません。
しかし、操作を覚えてしまったことに対しては、もはや使えるのが当たり前になっていますから、かつての恐怖はどこかに消えてしまっています。
あるいは、新しいアプリケーションを導入しても、今度は前のように使い方を覚えていけば何とかなるものだと余裕を持って取り組めるようになってきます。

つきあい方がわかっているかどうかで、身近になっている感情と、正体がつかめず恐怖を覚える感情が存在するのです。

言葉で説明出来ない感情の傷は、存在には気づいてもつかみ所がありません。
取っ手のないドアのようなものです。
取っ手のついたドアなら、容易にドアを開くことが出来ますから、すぐに中を見ることも出来ます。
しかし、取っ手のないドアは、目の前にドアが見えている(感情の存在には気づいている)ので、同じように簡単に開けられそうですが、やってみると手がかりが何もないので開けようがないのです。

廊下


しかしこのドアもあなたの家の一部です。
そんなドアは存在しないことにしようと思わないで、たとえ今は開けられなくても存在を認めなければなりません。
無視しようと思っても、何度もその前を通りすぎなければなりません。
放置してしまわないで、汚れていたら綺麗にしてあげることです。

あなたが、このドアは封印するといって開かずの扉にしてしまうと、誰かがそれを聞きつけて利用しようとするかもしれません。
あなたはそんなドアはないと言い張りますが、ないのならどうしてそんなに隠そうとするのだろうと考える人が出てくるのです。
どんな事情があるのかは知らなくても、隠しておいて欲しいのなら私の言うことを聞いていなさいと脅迫めいた働きかけをする人が現れます。
あなたは脅しに乗っていいなりになってしまうかもしれません。

隠そうとしないで、自分自身でその存在を認めることです。
それ以外の方法は、いずれ事態をこじれさせてよりやっかいな存在にしてしまうことになります。

自分にはこんな弱みがあると認めてしまえば、それにつけ込んでくる人(実際にはあなたが作りだしているだけかもしれません)は一気にいなくなってしまい、あなたは平和な日常に戻れるのです。

「私は高所恐怖症です」と認めた人は、その恐怖自体は消え去らなくても、つきあい方を覚えたわけですから以前ほど問題ではなくなります。
自分の恐怖が何かわからない間は、例えばエレベーターに乗っていて、なぜ段々不安な気持ちになるんだろうと恐怖に陥ってしまったでしょう。
「高所恐怖症」ということを知り、自ら認めてしまえば、恐怖症は残るにしても大抵の問題は消えてしまいます。

自分で存在を認められない感情があると、人にそれを知られまいとして入り組んだ嘘を作り上げてそれをこじらせてしまいます。
そのうちに、自分でも自分の感情がわからなくなってしまうのです。

自分には、そんな欲求はないと信じたい人は、まわりの人を巻き込んで欲求を見たそうとするかも知れません。
たとえば、自分は欲しくないけど、みんなが欲しいんなら一緒に参加してもいいよと言ってみる。
さらに進めば、まわりの人は私にそれを与えるべきだとという状況を作り上げようとするかも知れません。
「仕方ないでしょ、こんな状況なら私がそれを要求しても。」

逃げる


もう一つ重要なことは、隠したり逃げたりすることは、その行為自体が恐怖心を作りだしてしまうという点です。
隠すくらいだから、何らかの恐れを元々感じているのでしょうが、それを否定したりそれから逃げようとすることは、おおもとの問題以上にあなたを苦しめる可能性が高いのです。

あなたが逃げずにその存在を認め、あまり見せたくはないけど隠すのをやめたとき、消えることはない傷であってもそれ以上にあなたを悩ませる存在ではなくなっていくでしょう。

仕方がないけど、このやっかいな感情が自分には付きまとうようだから、諦めて一緒に暮らしていこうと考える時、一気に問題は解決するでしょう。

いつでも自分は合理的に考えて行動していると勘違いしないことです。
何でもやり方を見つければ自分で解決できると思い込まないことです。

解決可能なことには、何とかしようと取り組むのがいいでしょう。
どうにもならない相手とは、知らない振りをするのではなく、和解して付き合っていこうと思うことです。
2つの関わり方、
はたして今目の前にある感情はどちらが適切なのか、うまく選び分けるのがいいでしょう。


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努力とあるがまま2

前回(努力とあるがまま)の内容を踏まえて、人間関係における満足できない過食状態を考えて見たいと思います。

まずは、前回の食事についての部分を振り返ってみましょう。

しかし多くの場合、過食してしまう人の食べ方は、一気に流し込むように食べてしまったり、あるいは何か他の事をしながら寂しいからといって惰性で口に運んでいたり、食事そのものに充実感を感じていないことが多いのです。
このような食べ方では、その時々で充分に食事を取ったという充実感を味わってはいないでしょう。
ですから、いくら食べても食事に対する満足感がないため、量的には沢山食べていても欲求の方は不満足なままで残ってしまうということが起きてしまうのです。



ここでいっている満足できない食事の特徴を挙げてみましょう。

1.本来の欲求(食べること)自体に全面的に入り込めていない。
2.習慣的に繰り返している。
3.毎回満足感がなく、やり残した感情が蓄積されていく。
4.何かの代償としてやらずにいられない思いがある。

つまり本物の欲求を充足しようとする行為ではなくて、代償行為のようになっていて、満足感が得られないという特徴があるのです。


人との交流においてこのような特徴をうまく表しているのが、エリック・バーンが交流分析で唱えているゲームの交流です。

交流分析におけるゲーム交流の本質とはこういうものです。

1.表面的にはもっともなやりとりをしているが、その裏側では実際の狙いである裏面交流が行われている。
2.ゲームの終了時には、両者あるいは片方の人がいやな感情を体験することになる。
3.通常参加者の両方が無意識にその役割を果たすことに加担している。
4.言葉で行われている交流内容は本質ではなく、裏面交流の結末こそがゲームの目的である。

たとえば、子どもが母親のことをこのように思い描き、人生に対して構えを持っているとします。
「いつも「勉強しなさい」とか、「?しなさい」「?してはいけません」とうるさく言ってくる。
僕はそれでいつも頭に来るんだ。他人とは自分を制約するやっかいな存在である。僕は被害者で、定期的にイライラさせられるのに耐えないといけないんだ。」

叱る母親


1.子どもはゲームやTVに夢中になって楽しんでいる。
母親:「今日は宿題やったの?」
子ども:「まだだけど後でやるよ。」
2.しかし、子どもはいっこうに宿題を終わらせることはない。
文句を言われることを予想しながら好きなことをやっていようとしているから、そのうちどっちつかずでイライラが貯まってきている。
この態度は、母親に向けては「宿題をやっていないことに文句を言ってみろよ」という秘密のメッセージを送っていることになる。
3.秘密のメッセージに母親が反応する。
母親:「どうしていつもやるって言いながら宿題をやらないの、ホントに口ばっかりで!」
4.最後に参加者はいやな感情という報酬を受け取る事になる。
子どもは、素直に宿題やらないことに罪悪感を持ちながら、責め立てる他人に怒りを感じる。
いつでも他人は自分を責め立てるという構えをより強化するかもしれない。

母親はどこまでゲームに関わっているかはこれだけではわかりません。
単にゲームに巻き込まれて妥当な批判をしただけなのかもしれませんが、多くの場合母親の方でも自分のゲームの中での役割を自分のものとしているものです。
たとえば、「人は言ったことを守ってくれない。期待してもいつも裏切られるからイライラする。このイライラが貯まってしまうと、いつかカミナリを落とさないといけなくなるのよ。」といった具合です。

客観的に見れば、わざわざいやな感情をもたらす交流を作り出すのは不合理な話です。
しかし人とのかかわりが他の方法で持てないのなら、今まで使い慣れたやり方で、いやな感情であっても交流を作ろうとしてしまうのがその理由なのです。
無視されてしまうよりは、たとえば怒りをぶつけていた方がまだましというわけです。

宿題というイベントについては、他の交流も考えられます。
母親:「今日は宿題やったの?」
子ども:「これからやろうと思ってるんだけど、あの先生宿題をいっぱい出すんだよ!」
母親:「そうなんだ。あんまりいっぱいあると手をつけるのがいやになっちゃうね。」
子ども:「しかたないけど、やるしかないか。」

子どもも成長してくると、なかなか細かいことまで話したがらないかもしれません。
また自分の意志でやろうとしているのに、先に言われると嫌がるかもしれません。
しかし、そういったことと人生に対する構えは、また別の問題です。

結果として、怒りや悲しみを感じたり、不安になったり罪悪感を抱くようなら、そこにはゲームが行われている可能性が強いと言えます。
きっかけは誰にも罪のないものだったとしても、ゲームを繰り返すことは、だんだんと自分の役割や構えを強固なものにしていきます。

レストラン食事女性


ゲームは、満足感のない食事と同じようなものです。
本当に求めている相手からの反応は、いつまでも得られません
かわりの偽物のやりとりでは、いやな感情と充分に満たされない思いを得られるだけなのです。
そのために、まだ足りないという思いから、相手を見つけてはゲームを仕掛けるのです。
あるいは、よりゲームをエスカレートさせると、いつか満足出来るんじゃないかと勘違いしてしまうのです。

そうではなく、本当に自分が欲しいと思っているのは、どんな相手からの反応であるのかを素直に認めなければならないでしょう。
怒鳴り散らして一時的にエネルギーを発散しても一時的なガス抜きにしかなりませんが、本当の交流が持てたと感じられれば、ゲームの交流がいかにむなしいものかが見えてきて手放そうという気にもなるものです。

母親は「人はいったことを守ってくれない。期待しても(努力)いつも裏切られるからイライラする。自分ばかり我慢している(努力)のに、どうして誰もわかってくれないんだろう?」と思っているかも知れません。
ところが、ここで登場する「努力」は皮肉にもゲームを強化する方向に働いてしまいます。
努力すればするほど、イライラは貯まっていきます。

間違った方向の努力は、あなたをますます目的から遠ざけてしまいます。
こじれてしまった意地の張り合いは、努力を放棄するときに解決に向かいます。
自分からプライドを捨てて正しさを引っ込めれば、いつまでもこだわっていじけている人達を眺めながら、あなたは自分の欲しいものを手に入れることが出来ます。

いばるブルドッグ


プライドとは間違った方向の「努力」の象徴です。
失うほどあなたは自由になり、より本物のほしいものを探すことに目を向けることが出来ます。

ゲームを捨てられないと、あなたはゲームを仕掛ける人達に容易に飼い慣らされる存在になってしまいます。
そのとき、あなたは無意識に自分を「いじめて」くれる人を捜し求めているのです。

あなたが欲しいのは、ゲームのルールを守るような人間関係ではなく、ありのままのあなたを受け入れてくれる関係ではないのですか?
だとすれば、まずは自分がゲームを仕掛けない人にならないと、求める人にはいつまでも出会えないことになりますね。

ドラマを見ながら「どうして主人公はあんなことを言ってしまうんだ」とやきもきすることはないですか。
同じように、あなた自身の演じるドラマを外から観察したとしたらどう思うでしょうか。

慣れていたゲームをやめることは、自分自身からの抵抗があるし、いつも相手をしていた人からもやめないように圧力がかかります。
自分が先に折れるのは損じゃないかと感じたり、弱さを見せると相手に負けるんじゃないかと感じてしまうのは、まさにあなた自身がゲームの中に入り込んでいる為に起こってくる抵抗なのです。

自分が変えることができるのは自分だけです。
しかし自分が変われば、まわりの人を変えていく力にもなるのです。


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努力とあるがまま

努力するというのは、欲求を抑える方向に向かうことです。
しかし努力さえすれば欲求はコントロールできるのだと信じようとしますが、実際にはそれはうまくいかないことが多くないでしょうか。

欲求を自分で抑えられると信じられるようになるには、少なくとも1度はその欲求を満たすという経験を積んでいなければならないでしょう。
欲求というのは、充分にそれを満たすことができれば、しばらくその欲求は治まってしまうものです。
そして欲求が満たされるとどういう状態なるのかを経験して、自分で知っている状態になれるわけです。

その欲求を充分に満たした経験がない状態では、いくらそれをコントロールしようと思っても手がかりがありません。
まずは欲求を満たすとどういう状態になれるのかを経験し、身体でその状態を知っておかないといけないわけです。

ですから、経験がないままいくら努力しているつもりになっても、それを自分で制御することは難しいのです。

ところが、私たちは言葉で自分の努力目標を立てて自分をコントロールしようとします。
そこでは言葉が先行して決めてしまうために、自分で充分経験したことのないことまで、同じように制御できると思い込んでしまうのです。
充分な満足を経験したことがないまま、努力だけでその状態に到達しようというのは、知らない土地を地図なしで彷徨うようなものです。

過食1


例えば、過食してしまうので、何とか食べるのを抑えてダイエットしようと考えたとします。

しかし多くの場合、過食してしまう人の食べ方は、一気に流し込むように食べてしまったり、あるいは何か他の事をしながら寂しいからといって惰性で口に運んでいたり、食事そのものに充実感を感じていないことが多いのです。

このような食べ方では、その時々で充分に食事を取ったという充実感を味わってはいないでしょう。
ですから、いくら食べても食事に対する満足感がないため、量的には沢山食べていても欲求の方は不満足なままで残ってしまうということが起きてしまうのです。

このような状態で、ダイエットだと言って無理矢理食べる量を減らそうとしても、欲求を満足させられない状態をさらにひどくすることになってしまうわけですから、どうしても長くは続かないということになってしまうのです。

むしろ充分に味わって食べることや、いまものを食べているという意識をしっかり持ってそれを実感するような食事を取るようにしてみれば、だらだらと食べたいという欲求が残ってしまうことがなくなるでしょう。
そうすれば、必要以上に食べてしまうことがなくなるので、結果として身体の要求しているのに見合った食事で治まるように自然になってきます。

食事習慣


このことは、心理的な欲求に関しても同じようなことが考えられます。
自分で経験したこともない自分を思い描いても、一足飛びでそんな自分に変われるわけではありません。
少なくとも、そこに至までの過程で、途中の段階の変化した自分を経験してこそ、次の段階の自分を思い描くことが出来るのです。

さて、これらのことを踏まえて、タイトルである「努力」と「あるがまま」について考えて見たいと思います。

あるがままの自分でいられたら素晴らしいだろうと考えたとします。
方法があるのなら、努力してみようと考えます。

しかし先程も書いたように、努力することは欲求を抑えようとする方向に動くことです。
「あるがまま」とはこういうことだと思い描いてそれに合わせようと努力するのは、自然な欲求を無理に制御してしまうことになるわけです。

それは言葉の意味からしても、ちっともあるがままではありません。
むしろ正反対の「考えるまま」であろうとしていることなのです。

ところが「あるがまま」であるときには、欲求を妨げないで自然な調和を取り戻す方向に向かっているはずだといえます。
言葉や思考で妨げないで、その時の欲求に自分が一体化するとでも言うのでしょうか。

しかしそのような状態は、すぐに中断されます。
たとえば今自分のやっていることを意識した途端に、「これでいいのだろうか」とか「もっとあるべき方向がないだろうか」といった思考が介在してくるためです。

我を忘れてしまうことは、いつも「私」がコントロールしているつもりの自我にとっては、存在を脅かされる不安を感じるわけです。
自分が制御していない空白を作らないために、すぐに自我の思考が入り込んでくるため、「ありのまま」の状態は分断された空白にしか存在できないことになってしまうのです。

何も考えないで、「いまここ」にのめり込んで一体化していられるのは、最初はわずかな時間に過ぎないかもしれません。

しかし、たしかにそのような状態が存在することを知っておけば、先程の食事の場合と同じように充分に対象と一体化した状態を作ることが容易になってきます。

一方で準備された行動ばかりで機械的に動き回ることを避けると共に、もう一方で対象と一体になれる時間を増やしてみようと試みてみるのです。

瞑想する顔


そうすると努力を意識していないときに、ふっとそのような状態に入り込めるようになります。
準備された行動で次から次へと目標を渡り歩かないとき、いつものようにすでに知っている、どこかうんざりした世界に帰り着くのを防げるかもしれません。
私とあなたの境界も忘れて存在するとき、全く新しい経験が得られるかもしれません。

私たちは変わりたいと口で入っても、実際には知っている昨日までの決着に行き着かないと不安になるのです。
そのために、予測出来る道から外れてしまわないように、常にそれを見張っている思考が登場します。

たとえ気づかないうちに思考に邪魔されない経験をして、素晴らしいと感じても、それが見知らぬ経験だからと言う理由で、なかなか本当に自分に起きたことだと信じられないのです。
しかし見知らぬ経験だからこそ、過去から切り離された純粋な経験であったことを物語っています。

あるいは、その経験を再現するにはどうすればいいか方法を探ろうとしますが、その知ろうとする行為自体が再びその経験を手垢にまみれた知っている経験にすり替えてしまうのです。
再現方法を考える事自体、過去の手順を繰り返そうとすることだからです。

思考が作り出す作り出された繰り返しは、多くの場合解決しないままの問題パターンを繰り返すことになります。
その裏側には恐れが潜んでいて、それから逃れるためには問題を解決しないのがわかっていながらも、知っているやり方を繰り返そうとするのです。

「あるがまま」の状態にあるときには、この思考のパターンからは切り離されています。
またそれは、その時その場で、完結するはたらきだと言えます。
昨日と同じ問題を残したままになることはなく、新たな問題を作り出すこともありません。

思考が作り出すパターンはいつまでも完結できないで終わるため、それを何度も繰り返さないといけなくなるのですが、「あるがまま」の状態を経験することはそれに終止符を打つ体験をもたらすのです。

またいつものパターンだとわかりながら、満足を感じられないようすは、前述の本物でない惰性による食事のようなものです。
満足を味わえるまで不要な繰り返しを続けなければならないのです。

少し具体的な例でお話しした方がいいのでしょうが、長くなってきたので、それは次回に譲ることにします。
そこでは、あるがままの状態から生まれる真性な交流と、作られた交流パターンの違いについて書いてみたいと思います。


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事事無碍法界/華厳経の世界

華厳経には、理事無碍法界(りじむげほうかい)、事事無碍法界(じじむげほうかい)といった言葉があります。

法界というのは私たちが見知っている現実世界と、その裏側にあると考えられる実相的世界を合わせた世界の全体を指しています。
私たちは現実世界だけを知っているわけです。
ですから法界全体を見るためには、仏様のような見方が出来る必要があるわけです。

「無碍」というのは、何の障害もないことということです。
つまり何にもとらわれないでいられるということです。

そして「無碍法界」、法界をとらわれないでそのまま見ることが出来れば、すべての物事は完全に調和して解け合っているのだといいます。
何も問題のない調和した世界こそが、ありのままの世界であると。

仏陀イメージ


しかし、それが私たちにはちっとも調和している様には見えないのはなぜでしょう。
私たちが見ているのは、「私」の心を通して見ている現実世界の方だけです。
それは、ありのままの世界ではなく、心の不安や余計な心配をかかえながら、ゆがめて見ている世界なのです。

表面的なものの見方や不完全な分別心を使って、これが現実だと見ているから、不調和がそこら中に存在する現実世界が見えるというのです。

世界はもともと大調和の世界。
何もしなくても調和しています。問題はありません。
不調和が起こるのは、「私」が余計な解釈を入れて見ようとしてしまうから。

ところで「理事」「事事」の二つがありました。

「事」は世界に存在する物事のことです。
「理」は事と事の結びつきなど裏側に働く原理のようなものです。

ですから「理事無碍法界」は、世界の「事」が調和しあっている様子とその法則を何にもとらわれないで見ると言うことです。
そして、さらに「事事無碍法界」では、「理」も取り払ってしまいます。
原理を知らなくても、「事」と「事」はお互いに解け合ってそれだけで完全な調和を保つ関係を作っているのだというのです。

世界はそのままで調和している。
何も問題はない、安心してまかせていよう。

もし調和がないように見え、問題が起きているのなら、それは私の「無碍」でない見方のせいである。
「誰」のせいでもない。
そもそも「誰」も存在せず、「事」と「事」が解け合っているのがこの世界。
誰が悪いわけでもなく、私が悪いわけでもなく、ただ「私」が余計な見方をするからいけないのだ。

実にシンプルじゃないですか?
これ以上ないほど簡単に大調和の世界に入れます。

問題を作り出すのは、すべて感情や思惑といったもの、人間関係に存在するこれらの「理」だと勘違いしているものがやっかいなことを作り出すのです。

存在する「物」や「あなた」や「私」も、そのままの「事」にとどまるなら、すべてはそのままで調和しているのです。

ただ「私」が余計なことを考えないこと。

「すべてが調和しているのなら、努力もなにもしないで言い訳だろ。なのに何で問題がいっぱいなんだ?」
このような「なげやり」な考えは持たないことです。

「なげやり」とは何もしていないどころか、そこら中に歪みをまき散らしています。
そこからは、誰かが責任取ってくれと言いたがっているのが聞こえてくるのです。
何をやってもうまくいかなかったという諦めや不満、そして他罰的な攻撃性が潜んでいます。
歪みは捨てて誰にも責任を押しつけないと思った途端に敵はいなくなります。

自然に浸る

すべてはそのままで調和しているのです。
問題があるとおもったら、ただ「私」のゆがみを見つけて調和を取り戻すだけです。
それ以外の「理」をかってに発明したりしないこと。



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