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誰でもない人でいよう

誰もが美を知ってしまえば、それは醜となる。
誰もが善を知ってしまえば、それは悪となる。

美が存在するのは醜があるから。
善は悪があるから善と呼ばれる。

老子道徳経 第2章



存在するものをそのまま存在させて、自分がどちらか片方にならないことです。

あなたが誰かの間違いを指摘するとき、あなたは自分が正しくなければならなくなります。
今の自分の正しさの基準から相手の間違いに気づいたとしても、あなたが相手の間違いを調べ出すと自分の正しさのあやふやさが見えてきます。
それでは、引っ込みが着かないから、あなたはさらに自分を正しくしないといけない。
にわか仕立てでもなんでも、あなたの正しさをもっと強固なものにしようと躍起になります。

あなたが正しさを主張すれば、それを待っていたようにあなたの正しさを批判する人が現れます。
あなたは自分の正しさを強く主張したかったのか、あるいはちょっと今の自分を主張したかっただけなのか、どちらにしろ、批判されればあなたは自分の正しさを守らないといけない。

これはいつまで経っても、勝ち負けのつかない争いです。
なぜなら「善は悪があるから善と呼ばれる」相対的なものだからです。
相対的なものは、どこまで極限を探してもそのまた外側が存在します。
あなたの正しさは、比較してそれより間違っている人に対してだけ成り立ちます。
あなたの正しさは、それより正しい人が現れれば、今度は間違っているのはあなたに変わる。

僕が正しい


どうしてあの人はあんなにひどい人なんでしょう!
あなたが誰かを追求するとき、あなたは相手の悪をハッキリ悪だと証明したくなります。
誰が見ても悪だと証明すれば、あなたの腹立ちが収まるだろうと躍起になっています。

しかし追求しようとすると、その人よりもさら悪い人が存在するのだと気がつきます。
これでは、あいては「悪」そのものだと証明できない。
あなたは、もっとその人のひどいところを探し出そうとします。

これ以上ないひどさを証明してやろう!
こうして、悪を追求するあなたは自分の側でも悪を極めなければならないのです。
なんでこんな苦しいことを自分からやっているのでしょう?

それは、善と悪を極めようとしたからです。
何かをどちらかだと証明しようとするからです。
相対的なことに絶対的な答えを出そうとする無理なことをしているからです。

悪を追求するのは警察官か検事にまかせましょう。
あなた個人の中にいて善悪を追求するのはやめましょう。
警察官か検事も仕事としてそれを追求します。
それは仕事として役割として相対的なものを扱っています。
そこには、職業としての経験から来る見極めがあるから出来るのです。
そうでなければ、とても身が持たない。
寝ても覚めても善悪を追求できますか?

宇宙の果てには何があるのか考え続けると、いつかあなたは神経症気味になってしまいます。
内側がある限り、外側が存在するはずだと考え続けて、どこまで行っても果てしないものを探し続けるからです。

相対的なものは、ただ存在するそのままを受け入れるしかありません。
いまのあなたは、その中のどこかの位置にいる。
ただそれだけのことです。

2つの感情


あなたは社会の中にいて、しかもその中にいないようにする。
社会に入り込んで自分まで社会そのものになろうとすると、相対的な競争に巻き込まれてしまいます。

あなたが「誰が何かをやる人」になろうとするとき、自分がやる人そのものになろうとした途端に
上記のような相対的な苦しさの中に身を置くことになります。

世の中の中にいて、しかも「誰でもない人」であるとき、あなたは自由に相対性の中を泳ぎ回ることが出来るのです。
それは都合のいいときに、身勝手に自分を変えるというのとは違います。

もともと「誰でもない人」だったあなたが、もとの状態に戻るだけです。
あなたが相対性の極を求めようとしなければ、反対の極にも苦しめられることはありません。
あなたは、悪でもあり善でもある存在そのままにいることが出来ます。

だからタオに従う人は、自分が何かを造りあげてもいばらない。
成功しても、その結果を自分の手柄にしない。
自分のやったことだと主張しないから、かえって人もそのことを忘れない。
またその人の成果を奪い取ろうとするものも現れたりしないのだ。

老子道徳経 第2章



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他人にコントロールされずに生きる

あなたが他人の目を気にしたり他人から悪く思われるのを恐れていれば、あなたをコントロールする人は自分自身ではなくなってしまいます。
あなたは、誰か特定の個人か、あるいは社会という名の存在にコントロールされて行くことになります。

そのもとになっているのは、あなたの今まで蓄積してきた自己イメージを、あなたそのものであると誤解しているからです。
人から非難されたり、期待した反応を得られないとき、それは確かにあなたに痛みを感じさせます。
実際に身体を攻撃されたのと同じような反応を感じるから、それがあなた自身であると錯覚してしまうのです。

しかし、そのような反応はあなたの自我、あなたの記憶の集まりでしかないわけです。
書き換えが可能な自分の一部であると気づけば、それは勢力を失います。
反応するのが自己イメージからでなくなれば、あなたは本来の自分を取り戻して他人からコントロールされるという感覚もなくなってきます。

いきなり消え去ることはなくても、あなたが自分ではないもので反応しないように見張っているようにすれば、他人の存在で自分のあり方を決定するような行動は徐々になくなってきます。

苦痛メンタル


たとえば、自分が社会的に望ましい人間であるという自己イメージを抱いていれば、常に周りの常識に気を配り、非難されるような考えや行動をとらないことに注意しなければなりません。
またそれと並行して、あなたの望んでいる自己イメージをおだててくれる人に反応して、その人から嫌われないように行動し、結果的にその人にコントロールを握られてしまうのです。

相手は特定の個人でなくても同じです。
社会の常識とは、誰かがこれが理想だと言い出したものに影響されて作られていきます。

あなたがそういった理想にしたがおうと決めたとき、あなたは理想に到達出来ない自分を見いだして罪悪感を抱きます。
そうなると理想を掲げる人は、あなたが不充分であることを指摘し、それに罪悪感を感じるあなたは容易にその人の制御の下に置かれることになるのです。

ちょっとした集団の中にいても、自分の正直な意見がまわりと異なるときも正直な意見を言うことは難しくなります。
その集団があなたにとって重要なものであるほど、あなたは自分の発言に気を使わなければなりません。
もし自分の言ってしまったことが、後からまわりと違っていたりするといつまでもそれを気にして憂鬱な気分になってしまうでしょう。
次からはもっと発言に気をつけなければと感じて、ますますあなたの自由は奪われてぎこちなくなっていきます。

「誰かが理想を作ってあなたがそれに同意する」
これがあなたの罪悪感の源を作り出します。

あなたは自由を奪われ、理想に届かないことに罪悪感を感じ、それを何とかすることこそが自分のやるべきことになってしまうのです。

「何か失敗をして社会から仲間はずれにされることを恐れること」
これが誰もが法律を守り、とんでもない外れた行動を抑制することに役に立ちます。
しかし一方で個人はそのような自己イメージに縛られたまま生きることを強要されるわけです。

メンタル


あなたが自分のやりたいことを伸ばしていきたいと思うとします。
たとえば、それはビジネスであったりスポーツや芸術であったりさまざまです。

しかし、社会によって作られた理想に到達することを目指すとき、それは現状の体制から外れないように生きることが要求されてしまいます。
何とかその理想に合わせようとすれば、先行者をまねて、権威者に頭を下げてしたがっていくしかなくなってしまいます。

理想とはどこまで行っても到達しないものです。
理想はいまの自分があるべき存在でないと訴え続けます。
常にあなたを緊張させ強制的な努力を要求します。

理想に到達しない限り、自分を自由に生きることはお預けになってしまうのです。
しかしそれは言葉の意味からしても、到達することは決してないのです。

そんなしばられた生活に不満を感じながら、しかし理想から外れることは怖くて出来ません。
仲間はずれにされたり、自己イメージが壊れるてしまう恐怖からそこを抜け出せない。
せいぜいそんな理想のありかたを批判することで、憂さ晴らしをするしかないのです。

あるいは理想に到達する為の別のやり方を自分で考え出そうとし、他のやり方と競争してみたりしますが、前提になる理想に縛られている限り結果は同じです。
社会が細分化し理想への道が開発されるほど、個人が入り込む余地は少なくなり、より生きにくい社会になっていきます。

しかしあなたが自分のやりたいことに忠実であろうと決心して、既存の理想から決別するなら、あなたは再び自由を取り戻すことが出来ます。

打ち合わせPC


それには自分が本当にやりたいことが何であるかを、正直につかむ必要があります。
社会の理想にとらわれずに、他の人の反対に負けて妥協しないようにして自分のやりたいことと、そうではない既存のやり方を見分けることです。

自分が実際にやってみて、他人の評価を切り離してもやりがいを感じることを抽出して取り出してみることです。

すぐに結果が出なくても、ともかくやりたいことに集中すること。
そして、そのこと自体が目的でありゴールであると感じられたら、社会の理想とは縁を切ることが出来ます。
誰かにコントロールされて、自分なやり方を妨げられることもありません。
出来る範囲で社会と付き合う中で、純粋に自分のやりたいことを見失わないで、妥協しないでいることです。

理想ではなく不完全さの中にある成長や流れに目を向けて、自分のやりたいことにのみ集中していれば、罪悪感を抱かせる人から自由でいられます。
もちろん既存の道ではなく、道なき道を行くことにはなりますが、誰かのコントロールの下で生きることとどちらがいいかですね。



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人を許すことで得られるもの

もしあなたが許せない人がいるのなら、許せないことがいかにあなたを苦しめているかを考えて見て下さい。

恨みを終わらせるには、どろどろした感情を抱えたままでは、いつまで経っても解決しないでしょう。
許すことは妥協でも退歩でもなく、むしろあなたを解放するためのもの、あなたの利益のためにあると積極的に考えた方がいいでしょう。

「恨みを晴らす」とか、「かたきをとる」という言葉があるように、このような行為は日本の文化にも昔から根付くものです。
いまでも、悪代官を懲らしめるという時代劇は人気があります。
水戸黄門が印籠を見せる場面や、仕事人の復讐劇、それらの現代版のドラマなども多く作られ人気は依然と強いようです。

しかしこのような復讐はドラマだけにして、自分の現実生活には適用するのはやめておきましょう。もちろん心理的な意味においてもです。

侍


理不尽な父親や母親を許せないと思っている人は、問題があるのは父親や母親であって自分の問題であるとは考えません。
しかし、実際に問題を抱えているのはその人自身であるのは明らかです。
その人が恨みを手放せばそれは誰のこころにも残らないのです。

恨んでいる人自身がどのような問題を抱えているかは、その人固有の問題であって恨む側の感じていることとは別のものなのです。
しかし、恨んでいる人というのは、自分が恨みを思い浮かべることで相手の人に影響を与えていると錯覚するのかもしれません。
当の本人はあなたの恨みなどまったく知らずに何も気にせず生活を送っている一方で、あなただけが自分の抱えた感情に苦しめられているという構図になるわけです。

いつまでも恨む気持ちを持ち続ければ、被害を受けるのはあなた自身です。
それはあなたの身体を痛めつけ、胃潰瘍になったり、不眠症になったり、憂鬱な気持ちやそんな自分自身に対する悪感情を抱くといったことが、すべてあなた自身に返ってくるのです。
そしてそのことは、相手には何も直接には影響を与えないのです。

にらむ女子


それから人を許せないでいるときに、関係してくる問題として、相手に問題の責任があることにして自分の責任を回避するという心理です。

あなたが許せないと思う出来事が起きたときには、相手に何らかの問題があったのかもしれませんが、それをいつまでも抱えるのは自分自身の責任であることを認めるしかありません。
いまあなたがどのような感情を持ち続けるかは、相手にはどうしようもないことなのですから。

問題の責任を外側に押しつけるとき、あなたはそれに託けて自分の責任をとることを避けてしまいがちです。
「こんなひどい目にあったのだから、何も出来なくても仕方ないだろう!」といったいいわけです。

しかしそんなことを言って自分の責任を果たさない人に対して、まわりの人は最初は同情したとしても、いつまでもそれを免罪符にはしてくれないでしょう。
いくらあなたの最初の状況がひどいものであったとしてもです。

それから「人を許す」ことに条件をつけていては完全な解決には至らないものです。
「許します」と言っていても「でも忘れないよ」と思っていたのでは、なにか状況が変化すれば、またそれを持ち出すつもりだといっているようなものです。

許すなら全面的に手放すしかありません。

「私の場合は特別だから」という別のパターンもあります。
私のようなひどい目にあった人間は、例外であって恨みを手放せなくても仕方がないという主張です。他の人の被害など大したことはないからそんなことが言えるんだというわけです。

しかしどれだけ悲惨な状況だったとしても、いままで書いてきたことが例外となるわけではないでしょう。
許さないでいつづけることは、その人の選択ですがダメージを受けるのは自分自身であるという原則は変わらないのです。

ためいき3


恨みを持ちながら、なんとか自分を抑えているというのは、それが積み重なると復讐を実行するという考えにつながる人もいます。
このような心理を交流分析では「スタンプを集める」という表現を使っています。
スタンプのシートいっぱいにスタンプを埋めれば景品と交換できることに例えた表現です。
恨みの気持ちを少しずつこころの中にため込んでいって、もうこれで充分だと思った時点で復讐の行動を実行することになります。
その結果は、軽い口論から殺人にまで至る悲惨な結果までさまざまです。

「人を呪わば穴二つ」(墓穴が二つになる)というのは、あながち誇張した表現ではないのです。


「許す」という選択が「恨み」に対する唯一の解決となるでしょう。

ノーマン・カズンズ(アメリカの著名なジャーナリスト)は不治の病を笑いの力で克服したことで有名です。入院生活でテレビのコメディ番組を見続けるなど、笑いとユーモアで痛みを和らげ、生きる気力で難病を克服して奇跡的な復帰をとげました。
その間の事情を綴った『笑いと治癒力』という本も書いています。

彼は難病に対して人任せにせずに自分でも治療法を選択しながら病気を克服したわけです。
ここでこの話を持ち出したのは、『笑いと治癒力』とは少しずれるかもしれませんが、病気になってしまったことを恨んで、運命を呪っていたとしたらこのような本を書くことも、あるいは病気から復帰することもなかったのではないかと言うことです。

生への意欲とは、責任の回避や人を恨むような方向とは真逆なことです。
病気を恨むことも、人を恨むことも外側の要因のせいで自分は思うように生きられないとする点で、自分の生への意欲を歪めるものということでは同じです。

病気を恨む場合は、特定の人を対象にしていないかもしれませんが、人を恨むという場合もそのきっかけは誰の責任とも言えない場合が多いわけです。
たとえば親の育て方が悪かったと責任を押しつける人がいますが、最初からベテランの教育者である親などどこにもいないでしょう。
限られた知識やまわりの手本を頼りにして、自分の経験の範囲で親としての精一杯のことをして来たわけです。不充分な親だとしてもそれで自分が責任を持たないと言う理由にはならないのです。

怒っているハート     ハート3


そもそも人に責任を押しつけることで一体何が得られるでしょうか。
誰かを許せないから、仕方なくでたらめなことをしているんだという主張をしたところで、すべての結果を受けとるのは自分自身でしかありません。

人を許せない思いで1日のうちのどれだけの時間を使ってしまうでしょう?
今日の恨みは今日のあなたを痛めつけるだけです。
そんな自分をいじめるようなことをやめて、人を許すとき病気を克服したノーマン・カズンズと同じように奇跡的な変化が起こるかもしれないのです。


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あなたにもできます/自己変革という罠

「あなたにもできます!」
「好きなこと」をやって成功しましょう!
「誰にでも出来る失敗しようのない成功法」

自分を変えたいと思っている人にとっては、非常に魅力的な文句をよく見かけます。

「あなたが望んだとおりの成功が手に入ります。なぜなら...」

いろいろ装いを変えてこういった成功哲学のようなものが登場します。

しかしそれを実行してうまくいきましたという人はあまり見かけないようです。
それよりも、途中でやはり元の木阿弥になってしまった、あるいはやる前よりもよけいに落ち込んでしまったという人も多いのではないでしょうか。

「やれば出来る」「求めればかなう」というのは、確かにもっともらしく聞こえます。
今できていないのは、求め方が足りないから、やり方が間違っているからといわれれば、ちょっとどういう話か聞いてみたくなるのももっともなことです。

ガッツポーズ


しかし実際にそれを実行してみても、途中で挫折してしまえば、やっぱりこんなことは、うまくいった人にだけあてはまることなのだろうとか、そもそもインチキだったんじゃないかと疑い出すことになってしまうのです。

それは原理自体には間違いはないのかもしれませんが、誰にでも当てはまるとは言えない理由がそこにはあるのでしょう。

まず自分を変えたいと思っている人、そしてその方法を探し求めている人とは、どんな状態にあるのでしょうか。

・私は今のままではダメだ。
・いまの状態の自分自身では、自分でも受け入れられない。
・このままの自分では他の人から受け入れたり尊敬してもらえないだろう。


このような思い込みが根底に隠れているのではないでしょうか。

だから今の自分を変革して、自分でも納得できる何かを達成したり、他の人からも求められるような人間に変わりたいと考えるわけです。
そしてここで重要なのは、今のままの自分に対しては自己否定が根底にあるという点です。

そんなときに「あなたにも信じればできる」という外部から自分を変えられるかのような魅力的な方法があると聞けば、その通りにやれば今の自分への信頼を変化させなくても何とかなるのではないかと思ってしまいます。

その方法に注意を集中させていれば、自己否定からくる痛みを感じなくて済むわけです。
いつか状況が変化することで、その自己否定も自動的に変革されると勘違いするわけです。

ところが、肝心なのはあなたの根底にある自己否定を変えることにあります。
それが変わらないまま何かのやり方だけをまねてみても、ちょっとした失敗や失望、挫折に出会えば一気に幻想は崩れてしまいます。

失敗は、もともと存在する自己否定と結びついて、ダメな自分を非難するパターンを呼び起こします。
最初はどこかやり方が間違っているからだと言い訳していますが、やがてどこまで行っても根本的には変わらないようだと思えてくる。
結局あきらめて、さらにはやっぱり自分はダメだと自己否定を強化してしまうことになるのです。

自分を本当に変えるなら、先程の自分自身への否定を解決しなければなりません。
そのためには、外側にある何かの目標達成や、他の人から認められる自分の姿にあこがれてそれを直接求めてもうまくはいかないのです。

いくら計画を立てて信じていれば達成できると思っていても、計画の途中には失望は当然発生します。
正直に考えるなら、もともと計画が100%その通りに運ぶなどと信じてはいないはずです。
計画は、うまくいっても5分5分だと思っているのが無理のない判断でしょう。
また、他の人があなたを認めたり、ほめてくれるかどうかというのも相手次第ですから、確率は半分というのが妥当なところです。

上司に褒められる

それではどうすればいいでしょう。

まずひとつは、自己否定の存在を認め、現在のありのままの自分を受け入れることです。
自分が欲しがっているのが、目標に掲げたことそのものなのか、あるいはそれによって周りに受け入れられる自分を望んでいたのか、そんなことを振り返って見ることです。

そしてもうひとつは、今持っていないものを獲得しようとしないで、今の自分の生かせる部分を伸ばしていくことに力を注ぐことです。
何かを為し遂げたいという衝動があるのなら、その中にあなたが今でも確信を持って出来ると思っているものが何か含まれているはずでしょう。
それを繰り返し発展させていくことを考えて見たらどうでしょうか。

それは、単独では社会的に誇れるようなものかどうかはわかりません。
それがすぐに具体的な形を持った「成功」に直結するかどうかはわかりません。

しかしそれに取り組んでいるとき、あなた自身がやりがいを感じているのなら具体的な価値は後から付いてくると信じて、その能力を伸ばしていくことを考えて見たらどうでしょうか。

今すぐに結果が出ないことは、それを封印する理由にはなりません。
なによりも、それを表に出さないことが、いままでのようにあなたの自己不信を強化することにつながっているのです。

途中の失望で自己不信を蘇らせないよう些細な経過は無視して、自分がやりがいを感じる体験に力を集中させるのです。
それが今の自己不信を弱めていき、ひいては本当の自己への信頼を取り戻していきます。

ガッツポーズ男の子

つまり、先に「成功」を求めたり、他の人から尊敬される自分を求めてもダメだとわかったのなら、今度は自分の中に隠れている宝物を磨いて表に出すことに力を集中させてみようというわけです。


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説明する自分

「いろんなことを我慢しているのにちっともいいことがありません。
だからもう考えるのはやめて、現実を真剣に見ないで楽しいことだけ考えようと思います。」

こんなふうに諦めて、現実から目をそらすやり方に陥ってしまうのは残念なことだと思います。

諦める前に、我慢ばかりしているのに応えてくれない思考とは、どんなものなのかを考えて見ることです。

そのような思考は、過去の経験から取り入れてきた「説明」の集まりとその組み合わせに過ぎないのです。
いいかえれば、今の現実と直接に接点を持たなくなっている「説明」である可能性が高いのです。

過去にはそれが役に立ったとしても「今はもうそれをごり押しするのは間違っている」と言うことを教えてくれるために苦痛を訴えているのだと受け取ることも出来ます。

その意味であなたを取り戻す為の貴重な信号が、今の苦痛であるかも知れないのです。

ではどうすればいいのか?
つまり集めてきた「説明」の集まりを点検してみようということです。

説明書



以下の説明では、先程の過去の体験を元にした「説明」をしたがる自分自身の存在を「説明する自分」というように呼ぶことにします。

「説明する自分」は、自分自身の体験でなく、親や周りの人達から取り入れた信念などからなり立っています。
自分で納得して取り入れた考えかもしれないし、あるいはその時はそれを受け入れるしか選択がなかった(幼くて自分に判断する能力がない頃だったとか)ために取り入れたのかもしれません。

しかしいずれにしても、それらは「その時その場で成り立った」出来事を元にしています。
しかし状況は今とは違います、いつまでも成り立つ「説明」ではないかもしれないのです。


感情を無視したり、感情をあってはならないものとして行動してしまうこともありますが、そのようなやり方をしても感情は依然としてそこに存在します。
「説明する自分」がいくら頭で納得させようと自分自身を説得しても、それでも解決しない感情が残るとき、それはあなたにどうすべきなのかを教えてくれる貴重な指針だといえるでしょう。

そのような「説明する自分」に対抗して存在を主張する感情が、そこに残っていてくれるからこそ、あなたは本来の自分に立ち返る可能性を残せるのです。

「説明する自分」がすべてを仕切ってしまうようなことになれば、あなたは自分の生とはかけ離れた機械的な反応だけを行う存在となってしまうでしょう。
それはこころに問題を抱えた生き方になってしまうでしょう。

不安


感情と一口に言っても、どれが上で述べたような元々の自分を反映した感情であるかを見分けなければなりません。

多くの場合、何か出来事が起きたとき、最初に感じる感情があなたに真実を教えてくれる可能性が高いといえます。

そして「説明する自分」が働き出した後に生じる感情は、嘘を反映した感情であることが多いのです。
その理由は「説明する自分」とは過去の記憶に基づくものですから、現在の状況に対する素朴な反応を歪め書き換えた感情を生み出してしまうからです。

それは怖がって当然のことを恐怖などないように説明してしまいます。
たとえば災害や事故といったものは、特定の人だけ免れるというわけではないでしょう。
それに対して怖いと感じることは正常なことであるし、否定して無謀なことをしていたのでは、かえって被害をまねくような状況に身を置いてしまうことにもなりかねません。
しかしそのような災害は自分には起こらないのだと説明しようとする人もいるでしょう。

何らかの説明を使って、自分だけはそんな被害には遭わない、だからそんなものはちっとも怖くないのだと言い聞かせています。
しかしそれは現実を見ることを遮って無理やり納得しようという無理なやり方ですから、恐怖心が起こりそうになると必死でなんらかの「おまじない」を唱えないといけなくなるといった不自然な適応方法でしかないわけです。

それとは逆に、怖がる必要のないことに、いつまでも恐怖心を持ち続けるという場合もあります。
多くの場合、過去に怖い体験をして、たまたまその出来事と同時に起きた事柄を恐怖と結びつけて記憶しているような場合です。
本人は冷静に考えれば、怖かった出来事と無関係なことを怖がっていると理屈では理解しているのです。
しかし、恐怖の体験を何度も何度も、ことあるたびに思い起こして追体験するような習慣が付いてしまうと、いつまでもその無関係な結びつきが強化され続けてしまうのです。

注射怖い


ここまで呼んでいただければ、「説明する自分」がすべて問題があると言っているのではないとご理解いただけると思いますが、問題の本質は今の出来事ではなく記憶によってなされる解釈であるという点にあるわけです。

ですから、過去の経験を元にしていても、現在でも充分意義のある「説明」であれば役に立つことはたくさんあるでしょう。
ただ過去の記憶である以上、現在の状況と合わなくなって来る可能性を忘れないで利用することです。
その「説明」に慣れているほど、それを信じて離したくなくなるものでしょうが、こだわり続けることが弊害を生み出すことに注意を怠らない方がいいでしょう。

そうすれば、現実は現実以上に怖いものではなく、現実だと信じ込んでいるものが余計な恐怖を作り出していることも納得できるようになると思います。


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余裕を持つこと

余裕を持つことの必要性について書いてみます。

最初に以前も紹介した牛をさばく料理人(荘子 養生主篇)の話で、達人はこのように言います。

牛に向かって自然の摂理に逆らわないようにしていれば、骨や筋と肉のあいだの隙間がみつかります。その隙間にしたがって切り開いていけば、今のように鮮やかに肉と骨を切り裁くことが出来るのです。

その隙間をうまく見つけないとき、肉の中を切り裂いて骨に肉を残したり、硬い骨や筋を無理やり切ろうとすれば包丁はすぐにダメになってしまいます。

料理人


この隙間が「余地」というものです。

余地を残さない仕事は、無理な力が入って余裕のない動きになってしまいます。
また人との関係でも余地を考えないやりかたは、ギスギスしてぎごちないものになってしまうのです。

相手の逃げる「余地」を残さないで追い詰めることは、相手の必死の反撃をまねくのでよくないのだということは兵法でいわれることですが、これも「窮鼠猫を噛む」と表現されているのはよく知られていますね。

余地はまた、「遊び」という表現でも使われます。

操作を行う機械類には「遊び」が必要なものがありますね。
操作しても実際に機械の動作に反映されない余裕のようなものです。

例えば自転車のブレーキなども適当な遊びがないと、一気にブレーキが働いたのでは返って危険です。チェーンも少し遊びを持たせないと負荷がかかりすぎて切れやすくなります。

列車のレールのつなぎ目には、寒暖の差でレールが延び縮みすることを考慮して遊びを持たせるのはよく知られていますね。


思考というのは白黒をハッキリさせてしまう傾向があるので、どうしても余裕のないものになりがちです。

先程の例で言えば、ここまでは肉でここからは骨とハッキリ決めてしまうので、その隙間については考えようとしないのです。

仕事と余暇も思考に頼るとお互いに相容れない排他的なものに捉えてしまいます。

学校や仕事で会社に出かけて時間に縛られることになれている人は、休みの日になると何をしていいのかわからなくなることがありますね。

強制的に今は仕事の時間、今は休憩の時間と分けられてそれに慣らされてしまうために、外側の決まりに自分を合わせることが普通になってしまうのです。
そのため外側から拘束されない時間が出来てしまうと、今の自分が「仕事」にいるのか「余暇」にいるのかがわからず困ってしまうわけです。

慣れている状態に戻そうと、家にいるときも時間割を作って今はどちらの状態かをハッキリさせようとしてしまいます。
思考にはそのような区分けが似合っていますから、いまは「余暇」の時間だと指示されても、思考の生み出すお仕着せの余暇でしかなくなってしまいます。

鎖から解放


無理やりいまは何もしなくていいとか、何かリラックスできることをしなければいけないと強要されている感じになってしまうのです。

こうして、仕事とも余暇ともつかない時間を過ごす中途半端なものが休日の過ごし方になってしまいます。

じつは本来は時間に縛られることもなかったはずですし、仕事をする時間帯とか、休憩する時間帯という区別が元からあったわけではありません。

外側から自分をしばることに慣らされた結果の作られた時間でしかないのです。

知識や思考がこのような論理的な区別で作られる傾向があるのに対し、余裕を持った生き方をもたらすものは知恵と呼べるかもしれません。

変化しない固定された知識とそれを操る思考に対して、融通の利く余裕を持った生き方は知恵に頼らなければいけないものなのでしょう。

知恵とは知識の蓄積は少なくても、経験の積み重ねから生み出されるものです。
思考が生み出す作られた余裕のないやりかたではなく、体験に基づいた自然の流れに逆らわないやり方です。

このような知恵の働きを取り戻すには、思考を止めることが必要です。
思考が働いている間は、固定された変化のない情報をこね回すばかりで、現実との接点を失ってしまいます。

ハンモック


知恵は古い習慣にとらわれずにものを観るやり方です。
古い問題を古いまま扱う思考に対して、新しい視点で問題を見直すのが知恵の働きです。

思考に流れてしまうのをストップしてみれば、曖昧な状態を取り戻せます。
思考が作りだした「いまは○○の時間」という時間の中に生きるのではなく、その時間と時間の「隙間」をとらえることで、本来の思考に左右されない生の流れを取り戻すことが出来ます。

余裕とはもともとは、時間やお金によってもたらされるものではなく、「隙間」とか「余地」を捉える能力を回復すればいつでも瞬時にもたらされるものだったはずです。

それは、いくら計画を立てても得られるものではないのです。
計画することは、思考の方を活性化して固定された領域からの結論しかもたらさないのです。

お仕着せのレジャーなどいくら計画しても何ら余裕を取り戻さないのは、こう言った理由からだと思えば納得できるのではないでしょうか。
それはまるで、義務的に何かの仕事をかたづけたのと同じなのです。

思考の隙間にある自分を取り戻して余裕とは何かを思い出しましょう。
思考や計画に頼らないで答えを見つける能力を回復するのです。


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敵意/裏側の構造

敵意という言葉は残念ながらほとんどの人が誤解しているようです。
それは敵意を感じる相手側の問題によって生じていることで、自分の側はそれから自分を守ろうとしているのだというようにです。

しかし、敵というものは「仮想敵国」といった言葉があるように、自分の側の必要で作り出したものです。
なぜ作り出すかと言えば、自分自身が直視したくない現実からなんとか目をそらすためのひとつの方策といった理由からです。

自分が真剣に取り組んでも、現実はそれに応えるような結果を返してくれるかどうかわからない。
そんな事実を受け入れるのがすぐには出来ないとき、たとえば敵がいて障害があるためにそれが出来ないことにしておけば直面することをしばらく避けられるわけです。

敵のことを考えて、いかに相手が理不尽で自分の行動を妨げるかという状況を創作しておけば、自分が現実に正面から向き合わないもっともな理由が出来ます。
敵が強大であればあるほど、あなたは困難に立ち向かって努力しているフリをすることが出来るわけです。

にらむ1


しかしこのような敵意はごまかしで先延ばしの役には立っても、あなた自身を守る役には立ちません。
自分で障壁を作ってそれが打ち破れないとわめいているだけで、あなたの真の問題とは向き合っていないのですから。

それだけでなく、敵意はあなた自身への攻撃にも容易に転換されますから、敵を攻撃するエネルギーで自分自身を痛めつけることにもなります。

敵意むき出しの表情に、あなたは真性な感情を感じるでしょうか。

もっともこんな書き方をしたからといって、相手にまったくその要素がないといっているわけではありません。

相手もあなたが敵意を持つのと同じ理由で、あなたに敵意を抱く可能性はあるわけです。
お互いが敵意を持ったとき、それは相互に働き合って現実に敵対関係を成立させることになるでしょう。

そうならないための唯一の解決は、敵意を作り出す必要のない状態にお互いが気づくしかありません。
少なくとも片方が敵意に乗っていかなければ、それが成立するのを防ぐことが出来ます。

そして相手もその無駄な敵意が必要ないものだとその気になれば気づける存在として扱うことです。
相手にとっては敵意は必要なことかもしれないと考えてしまっては、いずれあなた自身もそう考えることになってしまいます。

「あなた」にとって正当なことは「わたし」にとっても正当なことになるわけです。
「あなた」のおろかさを嘲るとき「わたし」のおろかさを育てることにもなります。

自分の迷いからあなたに敵意を高めるようにそそのかす人がいても、一緒になってあなたが乗せられたのではお互いに不幸です。

にらむ2


あなたが敵を作り出すことで、自分の問題から目をそらそうとしていたとしたら、相手の考えの表明が自分への挑戦と映るかもしれません。
相手は自分の考えを言っただけなのに、あなたへの非難を込めているように聞こえたり、あなたの考えを変えさせようとしていると感じるかも知れません。

それを敵意と受け取れば、あなたの側からの敵対心を作り出すことになります。
敵意をあなたの中でかってに育てれば、相手の知らない所であなたの敵意は増大し、相手があなたに攻撃を加える敵だと勝手に思い込むことになってしまいます。

また逆の方向からみれば、あなたが自分の考えを表明すれば、それを自分への敵対行動だと受け取る人がいる可能性があるということです。
しかし、あなたがそれを恐れて自分の考えを必要以上に差し控えてしまっては、あなたは相手との関係で自主的な行動をとれなくなってしまいます。

相手を挑発するような言い方をするのは、自ら敵意を作り出す行為ですが、相手に関わらずあなたの考えを堂々と表明することは必要です。

あなたがなんらかの防衛機制で敵意を作り出したくなるようなやり方をとらないと決意しておけば、自分の考えを普通に言い切ることに抵抗を感じることも自然となくなるでしょう。

そして、相手の過剰な反応に対しても、あなたの責任を感じてしまうことなく、相手の問題であるとみることが出来るのです。

少なくとも、敵意が外から降って湧いてくると考えていたのでは、あなたの自分自身の独立性は望めないわけです。

あなたが自分の内側の問題は自分で何とかするという態度を維持すれば、他の感情同様、敵意をやっかいで、もてあます存在にしなくても済むのです。

敵意が実体のないもので、それに引きずられることがいかにばかばかしいかに気づけば、相手を「受け入れる」とか「拒む」とかということの意味もいままでと違って見えて来るはずなのです。



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ドアにノックの音が

玄関4



地球上に残された人類最後の人間が部屋ですわっていた。
そのときドアにノックの音が...

この古典的なSFの文章はともかく、ノックの音にあなたはどう反応するでしょう?

誰か来ないかと待っているとき。
誰にも会いたくない気分のとき。
忙しくて邪魔されたくないと思っているとき。
憂鬱でどうしていいかわからないとき。
何かに脅えて息を凝らしているとき。
かくれんぼしているとき。
喧嘩して後悔しているとき。
人生は楽しいと思っているとき。
世の中はろくな所でないと思っているとき。

いつもどれかの音を期待するとき、人生はすぐに退屈なものになってしまいます。
特定の音を嫌がっているとき、恐怖はどんどん大きくなります。
いろんな音があるから面白いと思って選り好みしないことです。

玄関2


ノックの音はどんな音でしょう?

早く開けろと言わんばかりの強いノックでしょうか
おだやかなノックでしょうか
誰かノックした?と気がかりになるような小さな音でしょうか

ちょっと想像してみて下さい。
いまどんなノックを期待しそれに反応するだろうかを想像してみれば、あなたのいまの心境がわかるかもしれません。
もしかすると、いつのまにか偏った気分になっていたあなたに気づくかもしれません。

ドアはあなたと世界の境界のようなもの、誰がどんなノックをするのでしょう。

いまのあなたの社会に対する姿勢が、どんなノックを期待しているかにもあらわれるでしょう。

それは受け入れ体勢充分なあなたでしょうか?
何かを怖がって、誰も来ないように願っているでしょうか?
あたらしいイベントの発生をワクワクして待っているのでしょうか?
イライラして誰だよこんな時に!と思っているでしょうか?

いまの気分を捉えることで軌道修正が必要だと感じたら、自分で気分を変えられるかどうか試して見ることです。
あなたの気分を左右している原因となる思考は何かを探ってみましょう。

気分に対して受け身でしかいられないと信じることをやめて、自分で切り替える行動をとればあなた自身への信頼が高まります。

いつの間にか気分が落ち込むことを自分で阻止してみるのです。

それはあなた自身を好きになるチャレンジです。

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こころの映像とシナリオ

こころの中で思い描く映像は想像の産物だといえますが、現実を忠実に反映しているかというとそうでもないかもしれません。

そこでは現在起きているできごとを見ているとき以上に、あなた自身の思いや偏りを反映したものになっているのではないでしょうか。

たとえば、あなたが誰かとのつきあいでひどく傷つくような経験をしたとします。
そのあと、あなたはそのことを繰り返しこころに思い浮かべるでしょう。

あなたが言ったこと、相手がどのように反応し行動したかという経験を、映像を見るかのように思い出しながら、あなたが感じたと思っている経験を再現しようとします。

もしかすると現実の経験で足りなかったと思う行動を追加したくなるかもしれません。
そしてその経験が悲惨であるほど、何度もそれを繰り返して思い出さずにはいられないのです。

思い出すことは苦痛であるにもかかわらず、それを思い起こしてしまう悪循環があるのです。

結果の非難


この状態から抜け出すには、なによりもあなたがこの映像を映し出していることに気づくことです。
「かってに思い出してしまう」といいたいかもしれませんが、それでも自分がそれを選択していることを認めることです。

それをやめようと思えばあなたが止めることが出来るのだと確認するのです。

どういう理由かはわからなくても、そのことがあなたに苦痛と共になにかの欲求を満たそうとしている呪縛に陥っていることを見いだすのです。

上映の中止はあなたが指示できるのだという見方を持ちましょう。
あたかもいやな出来事が何度も繰り返されると感じていたのは幻想であって、あなたが中止を決めてみたらそこには何も残らないことを確認するのです。

それを実行したとき、現実や起きてしまったことは変えられないにしろ、あなたの幻想は自分の選択で消し去ることが出来ると実感します。

呪縛はあなたの手で消し去ることが出来るという大きな前進です。
もはや拷問に堪え忍ぶ必要はないという発見です。

他人の評価


その映像は、たんなる出来事の客観的な描写ではなく、あなたのシナリオをもとに描かれているはずです。

その映像は、人はどうあるべきかと言ったあなたの信念や、それに反する相手の行動に対する非難等の感情が描かれています。
そしてあなたが理不尽な行為と思っている確信を、さらにもう一度確認し強めようとする試みなのです。

たとえば他人に影響されまいと思っていても、「こんなひどい目にあったんだよ、頭に来ても当然じゃない?」「そうだ、そうだ、そう思うのはしかたないよ。」という会話を聞けば、自分でも「そうだなあー、そういうものだよね」と納得するわけです。
そして自分の映像の中でもそのようなやりとりを繰り返してしまうわけです。


怒っている人に出くわせば、自分でも怒ってしまうか、相手をなだめて怒りを抑えることに気をとられ、反射的にそういう反応になってしまいます。

しかし自分の独立を保とうと思えば、そのような周りに合わせた反応でなく、なぜ他人の怒りが自分を反射的に反応させているのか、それに流されるだけでいいのかといったことを理解しようとするやり方もあるわけです。

ここで自分も同様の反応をすれば、また怒りの反応は制御できないものだと信じるしかない状態に戻ってしまいます。

喧嘩する親子

しかし自分の反応を自分で制御すると決意し実行すれば、相手の怒りはその人個人の問題としてだけ存在することになります。
あなたは他人の怒りで常に左右される必要はないことや、相手の怒りを解決するのは相手の問題であることを理解し、いかに今まで自分が振り回されていたかに気づきます。

そこら中で自分の感情が影響を受けて自分を失ってしまうことは、あなたが世界はやっかいで不安定なものであるという信念を強めてしまいます。

さっきまで落ち着いていて、このままでいられそうだ思っていたあなたは、ちょっとした他人のひとことやふるまいでたちまち自分を憂鬱にしてしまうのです。

他人があなたを常に好いてくれることを期待したり、相手をあなたの見方でいて欲しいと思って行動するとき、あなたは自分の自由さを売り渡すことになります。

相手はそれに気づけばあなたの弱みを利用したくなります。
意識的か無意識的にかはわかりませんが、あなたに合わせて相手も反応してくるでしょう。
これによって、あなたは相手次第で自分が左右される存在であるという誤った確信を強めてしまいます。

あなたの側でも自分のしていることが、他人に嫌われることの恐れから行動なのか、自発的なあなたの反応なのか区別がわからなくなり混乱します。

あなたの自分への確信は、それらの分裂した自分によってわけのわからないものになってしまうのです。

そもそもの原因は、自分の気分を周りに影響にあずけてしまうのを許した為に起きています。
自分で独立した自分の感情の選択を維持するか、今まで通りの周りに振り回されることを繰り返すかの選択です。
起きてくること次第で突然落ち込んでしまう不安定さを、まだ続けるのかどうかの選択なのです。

出来事自体はいつまでもあなたを憂鬱にするものではありません。
もしそれが続くなら、あなたのどの選択が原因かを探って、思い切ってそれを切り捨てることが可能ではないか考えて見ましょう。
多くの場合、それがあなたの悪夢の映像を繰り返す原因になってはいないでしょうか。


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あえて名前をつけない

前回ペットは役に立っていないのに必要な存在であるということを書きました。
「どんな役に立っているのかうまく言えないけれども、自分を癒してくれる存在である」

ここでそれならペットは「人を癒してくれる」という意味で役に立っているのだといえるじゃないか。
そんな風にいいたい方もいらっしゃるかもしれません。

しかし「癒し」という言葉を使って「役に立つ」ものに含めてしまうことには反対です。

「癒し」を役に立つもののひとつとして扱ってしまえば、やがて「癒し」は商品化し今回はこの癒しを使って見ようという使われ方をすることになります。

そうやって再現可能な手続きとなってしまった「癒し」は、言葉で理解可能な範囲でしか扱えないものに変容してしまいます。

自我が扱いやすいやすいような、ことばで容易に表されるものになったとき、それは限定されたものでしかなくなるのです。

いつか「癒し」で表される内容は言葉で征服されたものだけになり、本来そこにあった言葉にならない意義や存在は、かつては確かに存在したのにやがて未知のものの仲間入りをしてしまいます。
こころの奥にしまい込まれて、表にあらわれないもの、忘れられた存在になってしまうのです。

フィジー6


日常を離れて自然に接したときに私たちが癒しを感じるとすれば、それは言葉で解釈したものではないはずです。

ただ一目見て自然に感動し、それに圧倒されたりするわけです。
「この花は○○という花だから綺麗だね」とか「この色と形が私を感動させる」というような解釈が先にあるわけではないでしょう。

それは感動したあとにこじつけた解釈でしかありません。
そのとき行っているのは、自分持ち合わせている名前や言葉を使って見たものを説明しようというあとづけの行為です。

ことば以前に感動があってこそ、それの存在がもたらす意味があったわけです。

このように名前をつけたり、言葉をあてはめることを安易に使ってしまえば、あいまいな状態で存在していた意義を失ってしまうことになります。

あいまいさを曖昧なままで扱うことは、通常の問題解決とは相容れないものです。

問題を解決するには、対象をハッキリさせ、区別し、その因果関係をハッキリさせていくという過程になります。
このやり方が必要で有効であることはもちろんたくさんあるわけです。

しかしこれとは逆に曖昧さを維持し、あるいは言葉で限定されていたことをそれ以前の曖昧な状態に戻してやるというやり方が必要な場合もあるはずです。

それは効率を重視し結果を求める世界にはなじまないでしょうが、曖昧なまま扱わなければ得られない経験をもたらす為には必要なことです。

さらにいえば、従来の尺度で「役に立つ」かどうか見ている限り思いつかないことがあるものです。新しい発見もとらわれを捨て、役に立たないとして扱っていたものを見直すとき見つかることが多いようです。

森木漏れ日


「それはどんな風に役に立つのですか?」と聞かれても答えようがありません。
どんな風にと解釈しない過程こそが意味を持つことだからです。

ますます曖昧さを排除しようとする社会にあって、「あいまいなまま」の状態にいることから逃げようとしないとき、初めて見えてくるものもあるのではないでしょうか。


天と地よりも以前に生まれた何ものかがあった。
それは静かで音もなく、ぼんやりしているようで形でもない。
なにものにも頼らず独立していて、変わることがない。
どこまでもひろがって止まるところがないようだ。
あえていえば、それはこの世のすべてを生みだす母のような存在である。
それには名前がないので、仮にこれを道(タオ)と呼んでおこう。

名のあるものと名のないものは、もとは同じ源から出てきたものなのだ。
名のある領域の後ろに名のない領域がはるかに拡がっているのだ。
名のない領域を観るものは根源を見る。
名のある領域を観るものは結果を見る

老子道徳経 第一章




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役に立たないことを見直す
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役に立たないことを見直す

老子は、ものごとは相対的でお互いに補い合うものだと述べています。

有ると無いとは、お互いがそれを対象としたときに生まれるものである。
難しいと易しいもお互い相手が有って成り立つのであり、
長い短い、高い低いも同じように相手が有るから言えることである。
楽器の音と人の声はお互いがあるから調和しあう。
前と後も相手があってこそ順序があるのだ。
(老子道徳経 第二章)



対立すると思えるものも、お互いがあるから相手も存在するのだし、そこから調和がうまれるのです。
人の長所や短所もその見る角度によって違ったものになります。
絶対的な長所や絶対的な短所というものがあるわけではないでしょう。

一見ムダと見えるものの中にも、その存在意義が隠れているかもしれません。

しかしそんな中で相対的に見ることを忘れられがちなのが、「役に立つ」という言葉です。

たとえば、道具であればそれが目的を効率的に果たすほど「役に立つ」道具だと見なされます。
道具という物は目的を持って作られているので、ある程度ただ役に立つ存在であればいいのかもしれません。

しかし人について「役に立つ」かどうかで見ようとするときには、ほとんどが社会的な意味で「役に立つ」人間かどうかで判断しようとします。
つまり「いまの社会で他人の役に立てる能力があるかどうか」という見方ですね。

このような見方は、自分が人の役に立っている間はいいですが、そうでないときには自分の価値を疑い、自分の存在する理由でさえも奪ってしまいかねません。
どの程度の能力を発揮出来ればいいのかは、人それぞれ、その人の要求水準によって異なりますが、その人の基準を下回った成果しか上げられなければ途端に自分の価値を疑って悩んでしまいます。

売り上げ成績

「役に立つことこそが、自分の存在意義である」と信じる度合いが高いほど、成果がよくなかったときの落ち込みは激しくなります。

自分はどんな困難があっても平気だと自慢している人も、案外挫折を経験していないための慢心でしかないかもしれません。
「役に立つことこそが、自分の存在意義である」という信念が強いほど、それが壊れたときの崩れ方はひどくなってしまうでしょう。

単に慢心することを警戒しようという話ではなく、「役に立つこと」は本当に絶対的な価値を持つのかどうかを疑ってみる、そんな余裕も必要ではないでしょうか。

「役に立たない」と社会的に信じられていることも、時代や場所が変わればどう変わってくるかわかりません。
またそう思われていることの多くは、単にまだその役割がわかっていないだけかもしれません。

助ける人と助けられる人がいれば、助ける人が「役に立つ」ひとで、助けられる人は「役に立たない」人なのでしょうか。

ある程度の年齢に成長するまでは、親はこどもの面倒をみる存在でなければならないわけですが、その関係は単純に「役に立つ側」と「役に立たない側」の関係だけではないでしょう。
「面倒をみる」という言葉はそのような印象を持たせますが、言葉ではうまく表現されないような逆方向の働きがあることは何となく感じておられるでしょう。

「私は失敗ばかりして役に立たない人間だ」と悲観してしまう人も、まわりの人から見ればその人の存在がなにか周りの役に立っていると感じているということもあります。
しかし悩んでいる人にとっての問題の中心は、先程の「役に立つことこそが、自分の存在意義である」という信念にあるわけなのです。

ペットを飼っている方なら、ペットが何か役に立つことをしてくれるわけではなく、それどころか世話をするのに時間をとられる面倒な存在でありながら、それでもなにかペットの存在に意義を感じ、恩恵を受けていると感じているのではないでしょうか。
それは「どんな」役に立っているのかうまく言えないけれども、自分を癒してくれる存在であるわけです。

なにも社会的に役に立つだけがすべてではないというのは、何となくわかっていても社会的な自分に戻った途端に、そんなことは忘れて成果に一喜一憂してしまうというのが現実ではないでしょうか。

「役に立つ存在」であることを絶対視する信仰を少し疑ってみて、ムダとみられている存在を見直してみることはもっと重要視されていいのではないかと思うのです。

挫折を防ぐ為だけでなく、ふだんの自分の価値をもっと見直してみることにも役立つはずです。
そのままの自分であるだけで価値があるという考えですね。

社会的な存在としての自分だけが私ではないと思い直してみましょう。
そして、いかにふだんの自分の行動が「役に立つ」存在であることにしばられているかを見直してみることです。
そのようなしばりが強くては、いつも周りの評価が気になって息抜きなど出来ません。
さらには、なんとか息抜きを探そうと外側を探し回るから余計に自分を見失います。
自分を縛っている価値観をこそ見直さないといけません。

ムダな自分の行動に価値を見いだしてみましょう、きっと見つかるはずです。
個人的な私には「役に立つ」ことなどどうでもいいと言いたがっている自分が存在するかもしれないのです。
無目的な行動をとりたい衝動を感じたりしませんか。

休み時間

たまには役に立つことを忘れて自分の価値を見直してみることです。

サッカーボールを蹴るとき、シュートを決めようという目的のある行動が出来る前には、ただボールを蹴っ飛ばしたい衝動が存在したに違いありません。



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自分探しはなぜ失敗するか

「自分探しはなぜ失敗するか」というテーマで書いてみたいと思います。

しかし私は「自分探しに成功した」という方もいらっしゃるかもしれませんし、「自分探し」がどんな場合にも無駄なことだと言いたいわけではありません。

しかしそれでも「自分探し」の多くは失敗に終わります。

「自分探し」とは何を探すのでしょうか。

「これこそが自分が生きている実感を持てる」というそんな生き方を探すということでしょうか。
あるいはもう少し現実的にみれば、自分の生きがいを感じる仕事や職業を見つけることでしょうか。

大体このような意味だとすると、そのキーになるのは「自分が生きている実感を持てる」という感覚になると思います。

この判定がうまくいけば「自分探し」もうまくいきそうな気がしてきます。

夢見る女性


しかし問題は「自分が生きている実感を持てる」瞬間を探すのは難しいとという所にあります。

ある種の体験を直接探せるでしょうか?
体験があってその後その時の実感を感じるわけです。
ですが体験の多くは偶然起きるものですから、どこかにリストがあってそれを検索するという具合にはいきません。

せいぜい記憶をたどって探してみるしかありませんね。

そしてこの記憶がくせ者なのです。

私たちは、小さい頃に自分と周りの世界のあり方についての信念を形成してしまいます。

そんなことを作った覚えはないといっても、普段の選択一つ一つがそれらを自然に作り上げていくわけです。

なにかの課題が与えられると、その人特有の信念を基にして自分の行動を決定しそのつど自分の信念をより強固なものにしていくわけです。

これらの信念に沿った現実が、その人の理想というものをかたちづくります。

こうして、信念はそれがふさわしいものであるかを検討する機会を持たないまま、その人の一部となり、自分の理想は誰でもそう思っているに違いないという思い込みを作ります。

世の中とはこういうものだ、人間はこのように生きていくべきなのだと確信を強めていくのです。

さて話を戻せば、そのような信念を持った状態で自分の理想の姿を探そうとすれば、みつかる理想の自分とは抱え込んでいる信念そのものになるわけです。

自分が「何かのために生きている」と問えば、返ってくる答えはあなたの信念が答えを用意してくるのです。

感情1


しかし、先程の「自分が生きている実感を持てる」瞬間がその信念と一致するかと言えばそうではないのです。

あなたが信念を作っていく過程で取り残されてきた自分というものは、そこには含まれないからです。

権力を持った信念の影で発言権のないままおとなしくしてきた自分こそ、自分らしさの原点かもしれないのですが、「自分探し」ではそれが発見されないままになる可能性が高いのです。

ですから「自分探し」が出来たと思って新しい生活を初めても、すぐに何かが足りないままだと気づき、まだ「自分探し」がうまくいっていないと感じてしまうのです。

このような「自分探し」はいつまで続けても結果は変わりません。
いつまでも自分ではないものを探し続けるだけだからです。

本当の自分を探すためには、いまの理想をいったん捨てて、自分の内面を正直に振り返ることから始めないといけないのです。

現在の強力な信念やそれが正当だと思わせようとする自我の働きに対抗して、真剣に本来の自分を見つけようとする決意を持たない限り「自分探し」は成功しないでしょう。

そしてそのような決意を実行すれば、もはや自分探しが必要だと感じることもなくなるはずです。

その時はもうすでに自分を発見していることになるからです。


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押しつけをやめて相談してみる

あなたが何かを相手に提案して同意してもらいたいとします。

やり方としては、この提案はこんなに素晴らしいものだと内容をアピールするのが一般的です。

この提案をのめば、あなたはこんなにいいことがあります。
この提案は、他の提案と比べてこんなに優れた点があるんです。
こちらの提案を採用すれば、これだけ経費が削減できます。
この計画を実現するのにこんなに時間をかけて作り上げてきたものです。

別に今あげたような仕事の提案とは限りません。

今度の休みは○○へ行こう、という家族への提案であるかもしれません。

こんなに面白い所があるんだよ。
そんなに遠くないからきっと途中で疲れることもないよ。
ここで写真を撮ってみんなに見せれば、きっとみんなにうらやましがられるに違いない。
意外と安く済むんだよ。
出来たばかりで新しいからきっと満足するよ。
おいしい○○が食べられるよ。

家族旅行


しかしいずれにしても、これらの内容のすばらしさをアピールするやり方は、競争を伴います。
誰か他の人の提案がより内容が優れていたり、あるいはアピールの仕方がうまかったりすれば、あなたの提案がどんなに素晴らしくても負けてしまう可能性があるのです。

このような自分の提案をアピールする場面は、あなたも日常よく経験することだと思います。

その提案をぜひとも採用して欲しいという要求が高いほど、あなたは自分の提案の仕方にプレッシャーを感じてしまうでしょうし、毎回毎回だと気が重いものかも知れません。
場合によっては、明日これを発表すると考えただけでも胃が痛くなるかもしれません。

そこでちょっと発想を変えて、「相手に自分の案を相談する」というやり方をとってみたらどうでしょうか。

つまり従来の自分の提案のすばらしさをアピールして他と競って勝ち取ろうという考えではなく、自分の提案を相手にどう思うか聞いてみようという軽い気持ちに切り替えてみるのです。

何としても提案を通したいのに、相手に相談なんていう生ぬるいことではダメだと思うでしょうか?

しかしあなたの提案が通るかどうかは、あなたの真剣さだけで決まるものではないでしょう。
もちろん相談型の提案だって真剣でないというわけではありません。

プレゼン


直接提案するやり方は、どうしても押しつけを相手に感じさせます。
また、複数の提案があれば厳密に内容を比較され、しかも相手の気まぐれ次第の面があったりします。そんな中で他の人との競争にさらされて判断されることになるわけです。

しかし、相談型の提案であれば、相手はあまり提案を押しつけられているとは感じずに、自分の意見を聞かれているのだというように受け取ることが出来ます。

またあなたの方でも、完璧な隙のない提案をいきなりさらすのではなく、相手とのやりとりの中で臨機応変に考えを披露していけばいいわけです。
気分的にも随分余裕を持てるのではないでしょうか。

実はこれは、あなたが相手に嫌われまいとガチガチになって接触しようとして失敗するのと同じような原理なのです。
あなたが相手に好かれようが嫌われようがどちらでもいいと思って自然に接している方が、相手から嫌われることも少ないでしょう。

思い詰めたような提案を持ちかけられては、相手の人も引いてしまうものでしょう。
しかし、柔らかく意見を聞かれるのであれば警戒もしないし自分の意見が入ってくればより受け入れ易くなるものです。

自分の側のストレス軽減のためにも、ちょっと試して見てはいかがでしょうか。

たとえばお子さんに何かをやってもらいたいとき、直接提案すると嫌がるだろうと思うことでも、相談して意見を聞いてみるように持ちかければうまくいくかもしれませんね。
「ボクの意見を聞いてくれるんだね」というように。

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情報をスパッと捨ててみよう

日本人は流行に敏感?、話題の情報には取り残されないでいようと常に耳を澄ませている人も多いように感じます。

雑誌でお店が紹介されるとすぐに行列を作ったり、新製品が発売となれば徹夜で並んでいち早く購入したい人...

そこまで行かなくても、週末は友だちと情報交換して新しいお店に行ってみようとか、流行の習い事を自分も始めて見ようかとか、いつの間にか忙しくなっているのに気がついたりします。

せっかくの連休は、どこにも出かけないと悪いことをしているような気になって、子どもを連れて遊園地に出かけたり、充分に自分の気分を振り返ったり本当は何をしたいと感じているのか振り返って見ることがなくなっていないでしょうか?

テレビを見ていれば、次々と新しい情報が押し寄せてきて、「まだ始めていないのですか?遅れてますよ」とでも言われているようです。

このような情報をいち早く取り入れて、ひとつのことを充分味わう暇もなく次のことに目がいくといったスケジュールや新しい刺激が満載の生活を送っていると、自分の一部では「すごく充実した毎日!」とうきうき感じるかも知れません。

楽しい子ども


しかしその裏で実は疲れてしまっている自分を感じることはないでしょうか。

「明日も予定がいっぱい!」と喜んでばかりいて本当に満足していますか?

状況はあなたがいろんな人間関係を持ち、いろんな充実したイベントに囲まれているように見えても「なにか本当にはおもしろくない」「充実している感じがしない」という状態に陥っている可能性があります。

あなたが満たしたのは、こうあるべき自分であり、こうなると素晴らしいはずという理想かも知れません。

「こんなに友だちがいるなんてなんていい子でしょう。」
「怠けていてはダメだよ。いつも忙しくしていなさい。」

しかしその裏側ではちっとも満たされないと感じている自分がいるのです。

「人混みの中になんていきたくないよ。」
「いつも人がほめている店なんかより家でゆっくり食事する方がたのしいのに。」
「次から次へと新しいものが出てきて、どれもひとつとしてじっくり楽しんでいない。」
「もうお仕着せの楽しみなんて欲しくない。」
「何で自分で選ばせてくれないの。」

疲れたサラリーマン


情報を遮断してみましょう。
外側の権威者をチェックしてみましょう。
自分の判断や感覚に対する信頼を取り戻してみましょう。

・何でもかんでも新しい情報を取り込まないこと。
あたらしいバージョンが出たからといってすぐに飛びついている行動を見直してみましょう。
流行に取り残されまいとしていませんか?そう思わせる背景には何があるでしょう。

・自分の正直な声を聞いてみる。
あなたのこころからの素直な訴えは表現を許されていますか?
悲鳴を上げている自分はいませんか?

・毎日義務のように繰り返していることをチェックする。
これをやらなかったら何が起きるだろうと想像してみる。
よさそうだったら思い切って実際に中断してみましょう。

・自分の中のいる権威者を疑ってみる。
本当に自分にとって必要な人なのか情報なのかを見直してみましょう。
どうしてその人が正しいと思えたのでしょうか?
その人はあなたにとってどんな存在のひとですか?誰か身近な人に似ていますか?


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イライラをなんとかしたい

現代の社会が昔と比べてよりイライラしやすい環境であるかどうかは、簡単には言い切れないかも知れません。

しかしひとつ言えるのは、昔と比べてのその情報量の急激な増加が、私たちのストレスの程度に大きな影響を与えているのは間違いないでしょう。

インターネット始めIT革命のもたらした影響は画期的に私たちの環境を変化させました。

情報を調べることがとんでもなく便利になり時間が短縮されていることは、私たちに大きな恩恵を与えてくれましたが、その一方で欲しくなくてもどんどん情報にさらされるという環境に置かれることとなりました。

昔のように「知らぬが仏」を決め込んでいることが難しくなっている時代です。

そんな変化が私たちのストレスに影響しているとすれば、私たちはほおかぶりして情報から逃げることよりも、今まで以上に私たちの側のイライラの原因を知って対処する方法を身につけることが必要です。

メンタル


過度なストレスは私たちにダメージを与える「悪い」ものかもしれません。

しかし、ストレスを感じるという私たちのもっている心身の機能が、私たちに「耐えられないほどの状態だからそこから抜け出しなさい」という警戒信号を送っているという面があることを忘れてはなりません。

ストレスを感じることがなければ、自分が限界を感じるほどの過酷な状態にあることに気づかずに、ダウンするまで働いてしまうことになるでしょう。

単純にストレスは悪者と決めつけることは、余計にストレスを増すことにもなりかねないのです。

そうではなく、私たちの内面にもっと注意を向けましょうという警告だと受け取って、その感情を見つめてみればストレスの解消だけではなく、思わぬ自己発見につながることが期待できるのではないでしょうか。

自分の楽しくない感情を見つめることは、誰しも気の乗らないことです。

ですが、それを嫌わずに付き合う人には、他の方法では解決のつかなかった問題を解消するという恩恵が待っているはずです。

見たくないと拒否し続ける限り、ストレスも他者への怒りも自己嫌悪も解消できないままです。

「イライラをなんとかしたい」と思うのなら、まずは自分の内面に目を向けて心の声を聞いてみることです。

メンタル


あなたのイライラはどんなことでしょうか?

イライラしているときには、人はせっかちになってしまうことが多くないですか。

たとえば、会社でまわりの人がのんびりダラダラ仕事をしているように見えるとか、家族の話し方がおそいと感じ、なんでもっと要件を絞って簡潔に話せないんだと感じる。
このような状態の自分を経験したことはありませんか?

さてこの場合、本当にまわりの人の動きが遅く鈍くなっているのでしょうか?

そこで自分の内面に目を向けてみましょう。

イライラしているあなたは、きっと仕事ややるべきことに追われて汲々としていたりするのではないでしょうか。

また、ただ何となく忙しいだけでなく、なにか気にかかっていることはないでしょうか。

たとえば、何か抱えている課題がうまく進んでいなくて、このままではどうなってしまうのだろうと心配なのかもしれません。

何とかしなくてはと焦るのですが、こうすればいいという解決がなかなか思い浮かびません。

決め手がないまま、でも何もしないでいるわけにはいかない、そんなもどかしさのあるあなたはその気持ちを他の人の動作に投影してしまうのです。

それが「私がこんなにやきもきしているのに、なんであなたはそんなに気楽にのんびりしていられるの!」というように相手の問題のようにあなたには映るわけです。

訳もわからずイライラしている状態も、こんなふうに自分の内面の問題に気づくことが出来れば、相手に対するイライラも急激に収まってくるはずです。

原因がハッキリすれば、あとは対策を考えるという建設的なことにエネルギーを向けられます。

たとえば出来ることとその限界を見極めて、今はここまでしか出来ないと判断がつけば、思い切って課題を縮小して可能な範囲に収める事が出来ないかを考えることも出来ます。

それ以外にも、焦りがなくなれば新しい解決策も見えて来る可能性は高くなります。
中には自分が問題視しなければいいだけだと気づくような場合もあるかもしれません。

問題にストレスを感じながら、自分ではそれを意識していない状態こそがストレスの悪影響の最たるものです。

いつまでも他者にイライラを向けていたとしたら、何も解決しないままストレスを抱え続けることになったでしょう。

ストレスやいやな感情というのは、あなたに警告を与えてくれているのだと考えてみましょう。

「もっと自分の内面に目を向けた方がいいよ」という警告なのです。

それに気づいて心の声に耳を傾けてみましょう。きっといいことがあるはずです。


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プロセスに焦点を当てる

忙しさにかまけて同じような繰り返しの毎日を送っていると、新鮮さや創造的な活動というものを忘れてしまうような気がします。

創造性というのは、きまったやり方やゴールを気にしながらの取り組みでは、どこかにすり抜けていくように思わないでしょうか。

成果を気にしないで、今の瞬間に入り込んでいるとき、時間など忘れてそれに没頭することが出来ます。
創造性というのは、そんなゴールなど気にしない過程そのものの中にいるときに生まれてくるように思います。

子どもが夢中になって遊んでいるのを見ていれば、私たち大人が成果主義に陥ることでなくしてしまったものを思い出すのではないでしょうか。

おもちゃで遊ぶ子ども


夢中になっているときには、出来上がったものの評価や成功、失敗といった結果など気にしていません。
ただそのものに入り込み、一体となって自分も働いているのです。

その時私たちは、プロセスそのものを楽しんでいるはずです。

創作活動がマンネリ化したり、義務化したりしてくると惰性で成果を生み出そうとしてしまいます。
それがプロセスを軽視してひたすら成果を求める傾向を生み出し、結果としてプロセスは義務的な労働になり果てます。

そこにはプロセスを楽しむという余裕など生まれてきません。
ただひたすら成果が気になり、失敗することを恐れ、こんなやり方でいいのだろうかという疑心暗鬼が生まれてくるのです。


もはや楽しみのないルーチンワークとなった作業を蘇らせるためには、もう一度プロセスに焦点を当ててみることです。

創造性とは「出来上がったこと」の中ではなく「していること」の中にあるものだと思い出すことです。

創造的な行為には、ここまでという区切りや終わりはありません。

しかし成果だけを見る場合、そこに無理やり終わりを持ち込もうとしてしまいます。

完成されたものを評価すること自体には問題はありませんが、それが終わりではなくさらに発展する可能性があるものだと忘れないようにしたいものです。

絵を描く少年


プロセスに焦点を当てていれば何かを作り出している実感やわくわく感もあるのですが、出来上がった成果だけに焦点を当てていると、いつも結果が気になって落ち込んだり挫折することにもつながります。

今回出来上がったものがすべてだという考えは、次回これ以上のことが出来るだろうかというプレッシャーを生みます。

プロセスの途上にあると考えていれば、新しい思いつきにも目がいきますが、結果に焦点を当てているとうまくいくかどうかわからない新しい冒険を避けるようになります。

初心者の謙虚さや好奇心を忘れなければ、新しい探求も始められるわけです。

不安を避けたいが為にベテランのフリをしたところでうまくはいきません。
新しいことには、いつもおそるおそる一歩を踏み出す勇気が必要なものです。

その勇気がとんでもなく負担に感じるようなら、今のやり方が何に焦点を当てているのかを見直した方がいいのかもしれません。
そこでは疲れ切っている自分を発見するかもしれませんから。


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実験してみよう

多彩な色は人の目をくらませる。多すぎる音は人の耳をダメにする。いろんな味が有りすぎる料理は人の味覚を失わせる。
乗馬や狩猟の楽しみは人の心を狂わせる。手に入りにくい珍しいものは、人の行動を誤らせる。
だからタオにしたがう人は、ただおなかをいっぱいにすることで満足し、感覚を楽しませることに気をそらせない。
外側にあるものは全部捨てて、自分の中にあるものを大事にするのだ。
(老子道徳経 第十二章)


たまにはいつもの刺激を求める生活をやめて実験してみましょう。

いつもの警戒心と防衛を外して、何が起こるか予想しないで動いてみましょう。

「これを忘れたら大変」と気にしていることを忘れたら何が起こるでしょうか?

徹底して受容的に生きてみたらどんな感じがするでしょうか?

・自分が何をしているのかまるでわからなくても、ただ気持ちを楽にしている。

・自分の役目は知ることではなく、知らないことをハッキリと悟ること。

・自分は何も知らないことを素直に認めて、そのままにまかせる。

・それなら知っているといいたくなるのをやめて、全面降伏してみる。

・「次は何をすべきだろうか」という自問をやめてみる。

・自分は何をすべきかは知らないと認めて、いつもの生活をそのまま続ける。

化学実験     ハンモック


「次は何をすべきだろうか」という問いに答えることが、いつもの混乱を作り出しています。

警戒心と防衛から発せられる条件付けられた問いかけは、予想通りの用意された答えによっていつもの自由のない生活へと導きます。

もし自由意志で動いているつもりなのに自由を感じないのなら、それは知っているつもりで過去の融通の利かないやり方を繰り返すからです。

自由に選んでいるのに、ちっとも新鮮さのない選択に飽き飽きしているのなら、いつもの刺激を求める生活をやめて、ただ起きてくることを受け入れる実験をしてみることです。

自分は知らないと認めて、知っている誰かが導いてくれているつもりで自分の行動をあずけてみるのです。

実際に何をするかが重要なのではなく、このやり方で何を理解したかが問題なのです。

このような実験をしてみれば、いつもあなたの中にあるプライドや格好つけや見栄の存在を発見するでしょう。
それをいけない事かどうかという見方でなく、ただそういうものが存在しているのを理解することです。

プライドから知っているつもりになるから新しいものは発見できず、相も変わらずの生活が待っているのです。

新しいものを発見する代わりに刺激的なものに目移りするだけになってしまうのです。

例えば新しい旅行雑誌を見つけたから、今度は新しい経験が出来ると期待するようなものす。
雑誌が変わっても旅先が変化するわけではないでしょうし、予備知識によって見つけられるのはすでにわかっているものだけです。

自分は何も知らないと全面的に降伏してみる、そのとき何が発見できるかを試して見るのです。


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明け渡すということ
受け入れるという道



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今を生きられない目標というもの

目標とは1つの欲望ですが、それは未来に向けて自分を規定します。

私はそこに達しないといけない。
私はそれにならないといけない。

成し遂げなければならない目標は、今という時から私たちを引き離します。

目の前の対象を相手にしているとき、私たちはリアルで現在と関わっています。

しかし目標を相手にし出すと、今の自分は影に隠れて自我の出番となるのです。

そして今と直接関わりを持つリアルな自分と、目標を達成させるための思考過程である自我は同時には表に出てこれないのです。

自我は過去の記憶を操作する思考の働きであり、現在は相手にできないのです。

かつて自分が関わった現在は、過去の記憶に姿を変えて自我が扱うものに変わります。

そして今と関わる自分とは別に、すでに起きてきたことをため込んで別の世界を作り上げます。
あるいは、その世界は過去の蓄積を元にしてそれを投影した未来も作り上げます。

過去と未来は自我の関わる領域であって、記憶を元に組み立てられた偽物の世界です。
それは、今現在と関わることが出来ないのです。

今と関わっている自分が一休みした隙に、自我は自分の世界を展開しようとします。
そして、現在と直接関わったときだけ自我は姿を隠します。

夢見る女性


自我が消えているとき、そこには過去も未来も存在しません。
ただ今見ているもの、いま感じている現実がそこにあるだけです。

目標を持ち込むとき、あなたは今を封印して自我の描く世界に入ってしまいます。

そこには、現在には存在しない過去の記憶が描き出す苦しさや楽しさが存在します。
またそれを未来に反映させた希望や絶望や憂鬱やらが存在します。

目標が思いださせるその大変さを思う負担や、未来に向けてのうまくいくかどうかという不安がそこにはあります。
あるいは、実現できた未来を想像しての期待やわくわく感があったり、過去の成果を振り返ってほくそ笑む自我の喜びが存在します。

このような感情がリアルだと思っている限り、自分が関わっているのは現在ではないのです。
現在感じる感情は、まさに刻々と変化するものであり、回想や予測は関知しません。

その意味では現在には自分がいないという言い方も出来るでしょう。

自分が何かをしたと考えているのは、自我がそう思っているだけです。
現在何かの行為を行ったとき自分は存在せず、行った後ですかさずそれを振り返って何かを行った自分を確認しているのです。

自分が行為への意志を使って何かを行ったのか、行為の後で自分のやったことを確認したのか、その区別は非常に入り組んでいて複雑なものでしょう。

目的地に向けて歩いているとき、どれだけ今の歩いている動作を意識しているでしょうか。
こころが目的地に飛んでいるとき、途中の景色も自分の動作も背景に押しやられてしまいます。

こうして目標を掲げて自我主体で生きるとき、今と切り離された世界で生きることになります。

過去と未来の連続として作られた世界に生きるとき、そこで起きてくる感情とは過去の残骸が生み出したもので支配されます。

虫眼鏡で観察

そこには今との接点がないのです。

本来今の意識の合間に使うものであった思考は、未来と過去のわずかな隙間の現在が全面に入り込むときしか姿を消さないので、現在との接触はどんどん失われ主客転倒してしまうのです。

そこでは現実と思っているものは、ほとんどが自我の思考で作られたものになってしまいます。

その思考が不安や恐れが支配するものであるとき、現実とは生きるのが辛い世界となるのも当然でしょう。

実存としての現在を取り戻さないと、自我の支配は終わりません。
予測可能な世界に生きようとしているかぎり、現在は気まぐれな現実であり、予測に生きる上ではそれは邪魔者にしか映りません。

予測を手放して今に生きるなら、過去の蓄積が生み出す恐れや不安は登場しません。
しかし予測を使うことで本来避けられない不安を解消できると思いたい誘惑が、そこに障壁となって存在します。

現実をそのまま受け入れるよりも、思考によってより安全な世界を作り上げたいのです。

経験がもたらす何とかなるという自信は、思考が介入して予測や目標に置き換えようとした途端に疑惑を持ち込んでしまいます。
考えずに行動を続けていれば何でもなかったことも、不安に満ちた未来に浸食され始めます。

それが極端になれば、完璧主義という行動不能に陥ることになります。

自我に決別するためには、現在と接触を常に絶やさないこと、そして予測しろという要求に負けないでただ行動するという明け渡しが必要なのです。



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苦痛から抜け出すために/向き合うこと



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絶望からの解放/苦しむことは無駄だ

精神的に苦しむのはイヤだと誰もが思っているでしょう。

しかし本気で「精神的に苦しむことはむだだ」と言い切る人はどれだけいるでしょうか。

「精神的に苦しむことはむだだ」と言い切るのに躊躇するのは、必要でない苦しみであっても時にはそれは必要なものであり、実際に生きていく上で避けられないものだとどこかで信じ込んでいるからです。

そういうことも人生の一部だから、まったく苦しみを排除することはできないというのが、実際に信じていることだからです。

しかしそれはどこでそのように信じ込んだかはわかりませんが、必要であると信じることはありません。

精神的に苦しみながら生きるのか、それを拒否するかはあなたの選択次第だからです。

苦痛メンタル


たしかに、苦しみは人生には必要なものであるとか避けられないものだと、真に迫った訴えが聞こえてくるかもしれませんが、それを信じなければいけない理由などありません。

苦しみに対して自分がどういう態度をとるかは、自分で選択できるわけですから、自分を絶望に追い込むような状況が起きてきても、それに身を任せる必要などないわけです。

それは、起きたことを否定したり見ないふりをすることではなく、そのような状況だから苦しみに落ち込まなければならないという思い込みを拒否することが出来ると言うことです。

何か重要な問題に悩んでいる人は、このように考えがちです。

「この問題が片づかなければ何も考える気になれない。」
「この問題さえ解決すれば本来の自分が取り戻せるのだが、今は何も出来ない」
「この本題さえ片づけば自分の人生を生きることに戻れるだろう」等々です。

そこでは、目の前の問題が大きく目の前に立ちふさがっていて、そこを離れた位置から世界を見ることが出来なくなっているのです。

その人がいくら想像をたくましくしても、見えて来るのはせいぜいその問題の解決策だけなのです。
ですから、その課題を超えたところにある世界など想像もつかないわけで、その人が夢見る世界があってもそのレベルを超えては見ることが出来ないのです。

その閉塞感を抜け出さない限り、苦しみのない世界など想像がつきません。

夢見る女性


苦しみは避けられないものだから、せめて気をそらすような慰みをもとめて一時的な逃避をすることが、人生の癒しだと思ってしまうのです。

そのような癒しを求めていること自体、苦しみは避けられないという確信をより強化していることになるのです。

そんなやり方では、現実に戻った瞬間に淡い幻想に過ぎなかったことを思い出すだけというのは何度も経験していることではないですか。

そのような誘いに乗っていないで、苦しみそのものを拒否した方がいいに決まっています。

あるいは、苦しみを避けるために幸福を追い求めます。
しかし幸せを必死で探し求めている間は、逆に不幸は続いてしまいます。

もはや幸せなど求める必要がない、そのように感じられること自体が幸せであることに気づかないといけません。

もっと自信を持てる人に早くなりたいと思っていたのでは、自分への不信感はいつまでもなくなりません。
つまり将来に今より改善された自分を見つけようとする試みは、いつまでも過去の自分を引きずっているだけだということです。

このような自己改造では、いつまでたっても目の前の問題を起源とする解決策探しに終わってしまい、根本的な自己変革は起こりようがありません。

ためいき1


絶望から解放されるためには、いま思っている様な解決策はすべて役に立たないと認め、まずはいまの自分のやり方に絶望しきってしまうことです。

いつまでも「いまの小細工で事態が大きく変わるときが来る」などと希望を抱くのをあきらめてしまうことです。

そうやって手近な拠り所をすべて放り出した状態に入ることは、不安で仕方ないかもしれません。

しかしそうやって今の役に立たない視点を捨てたことで、それらを見下ろす一段上の位置からの視点が持てるようになります。

この問題さえ片付けば考えられると先延ばしをしていた自分が見えてきます。

「この問題が片付いてしまったらその後どうしよう」という問いかけにたいして、実は何も見ようとしていなかった自分が見えてきます。

苦しみがなくなったらどうするか、まさにその状態にいる自分が想像すら出来ていなかったことを発見するのです。

想像も出来なかったのですから、そのような自分に到達することなど、そもそもかなわないことだったわけです。

苦しみから解放されたら、そのようなものから逃れようとする気苦労から解放されたら、その時どうしたいと思うのか。
まさにこれをを考えられるようになったとき、苦しみから解放が待っています。

それは、今までのような既存の問題に対する解決のような用意されたものではなく、まさにその場で起きてくる発見の連続であるはずです。

絶望からの解放とは、まずは今の自分の信じているやり方にすべて絶望しそれらを諦めきることが出発点なのです。
今のやり方が不要なものであったと悟ったとき、初めて苦しみのない状態で生きることがどういうものかを見始めることが出来るのです。


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何ものかになろうとする幻想

私たちはいつも自分が目指す「だれか」のようになろうと駆り立てられているようです。

「別に目指している人や理想などありません」という人でも、気がつけば何かの目標に向けて、今日はどれだけ近づけただろうかと気にしているのではないでしょうか。

そこには、何ものかにならなければという強迫的な思いが潜んでいるように思われます。

理由を聞かれるともっともな答えが返ってきます。

たとえば、ひとかどの人にならなければ、自分の思うように生きていくために必要な力が得られないからというようにです。

力を持たなければ、この社会で生きていくのに苦労するし、競争から身を守ることが出来ない、だからそれなりの誰かにならないといけない。

それも「立派な人」になりたいのです。

そこにはどれだけ自分が力を持ち優れた人になれるかで、自分が社会から獲得できるものが決まってしまうという考えが隠れています。

そんなことは、ものごころついた子どもでも知っている当たり前のことであると誰もが思っています。

しかしそう思いながらも、このような信念は、はたして私たちに望んでいるような満足をもたらしてくれるでしょうか。

証券


だれもが何かを計画して部分的な達成を獲得すれば、その時は一瞬満足するのですが、気がつくといつの間にか次の目標に駆り立てられていて、自信などどこかに消えてしまうのです。

自分ではここまで到達すれば一息つけると信じているのですが、そのような時はいつまでもやってきません。

苦しい原因は自分の成果をまだ社会が評価してくれていないからと言い聞かせていても、本当の原因はこの「誰かにならなければいけない」という思い込み自体に隠れているのです。

それはまるで溺れて息をするために水面から顔を出そうともがいているかのようです。

この抜け出したいものとは何なのでしょうか。

表面的には「立派な人になる」ために努力しているという、もっともな理由に向けて努力しているのだと映ります。

しかし、実はその信念とは正反対なところにあなたを突き動かしているものが潜んでいます。

それは、もし目指している誰かになれなければ決して望んでいる安全は手に入らず、社会から取り残されてしまうという恐怖なのです。

そのようにハッキリと意識しないまま、しかし根強く心の奥に刻み込まれた思い込みによって、何としてもこれを避けなければならないと静かにしかし強く訴えてくるのです。

つまり私たちは、ゴールを目指してがむしゃらに進んでいるつもりでいますが、実は「誰」にもなれないで終わってしまう事への恐怖があるのです。

そこから逃げ出したいという必死のあがきであったわけです。

ゴールを目指しているのであれば解決はありますが、正体のわからないものから逃げているのではいつになっても解決はありません。

計画を立てて進んでいるつもりでも、いつもどこかくつろげないのは、恐怖から逃げることがその根底にあるからです。

調査をする若いビジネスマン


しかし本当の解決は他の所にあるはずです。

何事も原因を変えなければ解決しません。

いくら知性や強い心を発揮しても方向が間違っていては、解決にたどり着きません。
反対側にある恐怖の原因をつかんで、それに向き合うことこそが必要です。

それが何であれ、逃れようとしているもの、正体を隠していたものを突きとめる必要があるのです。

何ものかになるという信念は、だれか実現した人がいるでしょうか。

あとから振り返って見れば、何かを為し遂げたという人は沢山いますが、その人も実際になろうとしたものになって目標完結、すべて終了というわけではなかったでしょう。

他の人からは何かを為し遂げた人と映っていても、本人はそれが幸せだったかどうかはわかりません。

恐れが原動力となっておかげで何かを為し遂げるということも実際あるでしょうが、だからといって恐れを利用しなければならないわけではありません。

途中までうまくいっても、恐れの悪影響から脱落したり挫折してしまうことも少なくないはずです。
それに、恐れから何かを達成できたことが本人にとっていいことかどうかもわかりません。

どんな方法を使っても成功したいという目標を選ぶとすれば、それはその人の責任において選択するなら自由ですが、本当にそれがベストなことであるかはよく考えた方がいいでしょう。

はたして、成功とかいうものに満足や安定感はあるものでしょうか。
実は1つの成功がもたらすものは、恐れが原因にあるときにはそれを味わっている暇などなく、次の目標に向けて常に動いていなければ不安でしょうがないのです。

あなたの信念や行為も人間関係もどれも安定などもたらすものではありません。
ありもしないところに安定を求めているために、結局はかえって不安定な混乱を招いているのです。

話し合い1


期待している安定など幻想でしかないことを辛くても認めて、その空虚にみえるものが現実であることを認めれば、初めて幻想ではないものを見つけることが出来ます。

それは今までの幻想から見れば空虚で耐えられない世界に見えるかもしれません。

しかし今までのどこかで嘘を隠していると疑いながら、右にならえで無理に信じ込んできたものはこの際放棄してしまうことです。
そうしてこそ初めて、本当だと信じられるものを相手にしているのだという実感が持てるのです。

たとえば、あなたが誰かを嫌っているとします。

あなたは「誰であろうと嫌ってはいけない」という理想を掲げて努力するかもしれません。

しかし誰であろうと分けへだてしないような人格になるんだという願いも、それはいつまでも自己欺瞞のままで終わってしまう可能性があります。

人を嫌うことから自由になるためには、出来ないことをやっているフリをするのではなく、好き嫌いの区別を作り出しているものがなにかを突きとめることです。

嫌いな人を作り出す区別というものが、実は同時に好きな人をも選びだしているわけですが、そのもとになるものが何かを認識しなければなりません。

「好きな人だけ相手にするからほっといてくれ」といって、自分の中に抱えている問題を見ないでいるのでは、何度も同じ困難を招き続けるのです。

このように、何ものかになろうとしている自分に気がついたら、もとになっている動機が何であるかを確かめてみることです。

そのことで満足感がなく不安を感じているとすれば、恐れから逃れようという行動になっていないかを疑ってみることです。

何かに挑戦すれば失敗を恐れる気持ちは多少なりともあるものですが、それが必要以上に強いとすれば、早めに何が原因であるのかを探ってみることです。

いつまで経っても到達しないゴールは、いずれ限界に達して人を蝕んでしまいます。

カーナビ


最近はカーナビもどんどん性能が良くなってきて、正確に道案内をしてくれます。
しかしいくら素晴らしい性能や道案内があっても、ゴールを設定するのはあなた自身です。

素晴らしい道案内で目的地に着いたとしても、到着先が来てみたら期待したような場所ではなかったというのはあなたが責任をとるしかないのです。

道案内の見かけのすばらしさに気をとられていると、素晴らしい所に到着するに違いないと思い込んでしまいます。

しかし自分の目指している場所をひとまかせでいい加減に選んではいないか、実はこちらの方が重要な問題なのです。


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老荘思想のコラム連載(6)

『COCORiLA (ココリラ) ?癒しのポータルサイト?』様
にて老荘思想のコラムを連載中です。

今月のコラム
「現代社会と老荘思想(6)」 [2010/07/11]

「柔らかいものが堅いものに勝つ」

最も柔らかいものが、最も堅いものをも突き動かす。
形のないものが、形のある者の隙間に入り込んでいくのだ。
このような事から、無為の為せる技の有益さを知る。
無為の有益なことは、
大自然の不言の教えであり、
それは天下に及ぶものがない。

(老子道徳経 第四十三章)




今までの連載記事

「現代社会と老荘思想(1)」 [2010/02/15]

「現代社会と老荘思想(2)」 [2010/03/06]

「現代社会と老荘思想(3)」 [2010/04/10]

「現代社会と老荘思想(4)」 [2010/05/02]

「現代社会と老荘思想(5)」 [2010/06/06]



以下のサイトで連載しています

癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)




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リスクを引き受ける

私たちはついつい安全な生活を崩したくないという思いに引きずられて、危険を冒すことを避けようとしてしまいます。

その結果もたらされるのは、とりたてて危険もない代わりに何か物足りない、生きている実感のない生活です。

自分は創造的な人間ではないという人でも、何かで自分を表現したいという気持ちは誰でも持ち合わせているものです。

自分を充分表現できていないという「ものたりなさ」を打開するためには、表現するリスクを冒して行動するしかありません。

しかしいざ行動しようと思った途端、リスクを思い出してそれを巧みに避けることを考えたくなることが多いものです。

自分をそのまま表現したいと思うのですが、他の人から見たらレベルが低くて恥ずかしい思いをしてしまうんじゃないかと恐れ、実行しない方が安全だからと言い聞かせてやめてしまいます。

失敗授業中


このような選択をしたことで、毎回ひそかに自分の勇気のなさを悔やみ、自分への信頼感をなくしていくのです。

危険なことは起こらなくても、思ったことを実行できない不快感という悪循環は、静かな絶望を築いていきます。
これが元気のでない原因であり、退屈で生きている実感のなさを生み出します。

「これなら人に見られても恥ずかしくない」という自分の基準を満たせる範囲内でしか行動しなくなるのですが、ここで範囲を超えて冒険するかどうかが分かれ道になります。

確かに、このひとつの行動だけをとれば結果に大きな差はでないかもしれませんが、この積み重ねは将来に向けての大きな代償を払うことにも成りかねません。

このような「緩慢なる自滅」を生まないためには、自分で設けている限界をきっぱりと捨てるのが一番です。

あれこれ言い訳を考えるくらいなら、行動あるのみです。
行動しないで済ませるのもちょっとしたことですが、あえて行動に踏み切ることも実はちょっとしたことでしかないのです。

行動した結果にはもちろん、保証はありません。
結果は5分5分であることを受け入れるのが、健全な判断です。
半分は失敗して恥をかくかもしれないが、それも引き受けようと腹をくくることです。

「あらかじめ保証を探し求める」という考え方がそもそも障害になっているのです。
その逃げの行動が、良くも悪くもない、「ありのままの現実」を「難しい現実」に見せてしまうのです。

リスクを避けるための言い訳をチェックしてみましょう。

「わたしにはできない、なぜなら?だから」というもっともらしい説明を論破してみるのです。

「私はもう年だから」「お金を持っていないから」「恥ずかしいから」「自分は謙虚だからそんな自惚れたことはしない」などなど。

そんな言い訳ばかりうまくなって「言い訳大賞」を獲得しても損をするのは誰でもない自分自身です。いつかやってこなかったことを後悔しないためにもそんなものは捨てましょう。

人の言い訳を聞いて安心するのは、自分も言い訳している人だけです。
それは聞いていて楽しいものではありません。

「完璧に出来る人間になったらやります」というのは、かつて実現したためしがない宣言です。

失敗サッカー


ゲームが終わった後なら、監督も完璧な指示を出せるものです。

スポーツの試合を見終わって選手の批評をするのもいいですが、痛烈に批評したあとで「自分も何も出来ていないけどね」と言い訳したり、自分に言い聞かせている人もいるかも知れません。

しかし人の批評に熱心になるほど、自分への責めも厳しくなることを知っておくべきです。

また人の批評に熱心になるあまり、自分を振り返ることを避けてしまわないことです。

人を批評できるほど自分には判断力があると自慢するより、自分が評価される側に回ることにもエネルギーを使って見ることです。

その行動はさらなるエネルギーを生み出し、次のあたらしい狙いも見えてくるものです。

また自分が自信の持てることだけしかやらないというのも、別の意味で自分を制限してしまいます。

「下手でも自分だけのやり方は他の人にはまね出来ないものだ」と思えるなら、何でもやってみる価値はあります。

また、それが思わぬヒントをくれるかもしれないのです。
いつも出来てることからは、新しい展望は開けにくいものです。

いつか行き詰まりを感じることになるかも知れません。
いろんな自分を表現できていれば、それだけ選択肢も増えるものです。

リスクを冒すことには、それ自体新しいエネルギーを生み出す力があります。
失敗を怖がることをまだ知らないこどものエネルギッシュな活動を見習いたいものです。

「どのように表現するか」を気にするから難しくなるのです。
ただあなたを表現するだけです。

本来あなたの持っているものだけが表現されます。
期待しようが、見せかけようが、怖がっていようが、本来あなたのものでないものは表現されません。


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何を脅えているのでしょう/恐怖から自由になる
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何を脅えているのでしょう/恐怖から自由になる

「何に脅えているのですか?」と聞かれたら、どう思うでしょうか。

たまたま気になることがあって、すぐに思い浮かべる人もいるかも知れませんが、多くの方は「別に何も脅えてなんていませんよ」と答えます。

しかし答えた後になって、そうはいったもののときおり感じるなにか漠然とした不安やおびえを、思い出す人も多いのではないでしょうか。

まあこんな書き方をすれば、占いのようなもので誰しも何かしら「すねに傷持つ身」であると言えるのかもしれません。

脅えることなど何もないという人は殆どいないと思いますが、このような恐れが何に根ざし、それを癒すためにはどうしたらいいのか、そんなことを書いてみたいと思います。

メンタル


まず恐れの前提になるのは、いま安全であろうとしがみついているものがあるということです。
それが壊れてしまうのではないかという、時には具体的な、時には漠然とした恐れがそこにはあるのです。

その壊れて欲しくないものとは、あなたが作り上げてきた想像上の信念、思い込み、間違った道徳観念、神経症的なしがみつきといったものです。

それらに共通するのは、元になった出来事があったとしても、今はもう観念として独立して存在しているのです。

それらは、あなたが思わず誰かに教えてあげようとしたくなる意見などを、普段から観察していることで見えて来るはずです。

あなたにとっては、それはとても自明なことで、誰が考えてもそう思うはずだと信じる内容です。
逆に他人からそれを批判されると、衝動的になにか言い返したくなるような信念の固まりなのです。

それは人との関わり方についてや、成功という概念、道徳観、宗教などといったものです。

ワールドカップが盛り上がっていますが、選手に対する期待や圧力は国民性によっても随分違うようですね。
日本人には想像もつかないような、サッカーへの熱狂ぶりに驚かされたりします。
ニュースによれば、試合を占う“神託タコ”パウル君まで攻撃対象になったりしているようですね。

サッカー国際試合


国によっても人によっても正しさは異なります。
それが誰に対して自明のことなのかを前提にしなければ、誰にとっても自明なことなどそうそう存在しません。

しかしそのような、その人にとって自明なこととは、時には命がけで守らなければなりません。

なにかが起こって自分の築き上げた観念の城が、崩されてしまわないかを恐れています。
誰かの意見が自分の信念に脅威を与えそうなら、攻撃するか無視するかが緊急の関心事となります。

自分の信じている世界が壊れることを恐れて、脅威にはなりふり構わず抵抗し、疑り深くなったり敵対的になってしまいます。

しかし、問題はこのような観念は観念に過ぎないことがわからなくなり、脅威を感じると自分そのものの価値への脅威と勘違いしてしまうことです。

自分のアイデンティティが、このような観念の固まりでできあがっていると信じているので、これを破壊しようとするものには、相手が誰であろうと真剣に戦おうとしてしまいます。

そうしないと自分が破壊されてしまうと感じてしまうのです。

しかしこの思いこそが脅えの原因であり、それを守ろうとする行動がこの観念で作られた悪循環を強化することになってしまいます。

このまちがった自己観念を何とかしないかぎり、恐れは存在し続けます。

ではどうすればいいのかといえば、この築き上げた自己観念を壊してしまうしかありません。

まず何かを恐れている自分に気づくようにして、そのときの自我を守ろうと反射的に感じてしまう自分に気づくことです。

そして、すぐに反応してしまう自分を押しとどめて、それを受け流したら何がおこるのかを正面から見届けることです。

今まではすぐに反応していたため、何もせずにいたらひどいことが起こるに違いないと信じ込んでいました。

しかし今度は何もしないでいたらどうなるのかという現実を、あてにならない想像の代わりにじっくり観察してみるのです。

勇気


これが難しいのは、いままで経験していないことに踏み切る勇気が必要だからですが、実はこのような状況さえなければ、私たちは予想できないことであっても、ただ受け流して生きているものなのです。

何も知らない子どもなら、大人が何を脅えているのかを不思議がるでしょう。
それに対して「お前は子どもだからわからないんだ」と言い切れるでしょうか?

受験生やオリンピックの代表選手が過酷なのは、それまでの何年間かの努力に対して、一回の挑戦で結果を出すことが要求されるからです。

そのような状況さえなければ、実際には試験や試合の本番でも、今まで何度もやってきたことをただもう一回行っているだけです。

今までの馴染みのあるやり方を捨てる決心についても、「これを失敗すればとんでもないことになる」という思いを捨てて、「やってみたらどうなるだろうか」というチャレンジ精神で気軽にトライしてみることです。

あれこれ逃げ道を用意しないで、ただ実行してみます。
他にやり方があるかもしれないとという逃げ道が、勇気を出すことを余計に難しくしているのです。
ちょっと試しにやってみようという気軽さで試してみるのです。

その経験は勇気を出しただけの効果をもたらします。

防衛しなければならない虚構はもはや捨ててしまったのですから、恐れの原因はなくなります。

防衛したり、他のもので隠そうとしないとき、もはや脅える対象は存在しなくなります。

勇気を出して試した結果を見てみましょう。

そこであなたが発見するのは、恐れていたような外部の状況の変化は、実際には何も起こらなかったことです。

外側から脅威がやってくると脅えていたのに、何も今までと変わらない状況が淡々と起きていっただけです。

あなたの恐れは、あなたの内部にあっただけだということを悟ります。

外側の出来事はあなたに何も脅威を与えません。

あなたがどう受け取っているかだけが問題だったのです。

このようにして、あなたの恐れの原因である思い込みをひとつずつ正体を明らかにしてみましょう。
それを進めるにしたがって、恐怖は加速度的に減っていきます。
それは同類の恐れは一気に消えていくからです。

うつむく


さらにもうひとつ、脅えを緩和するための重要な要素があります。

それはあなた自身や誰か他の人、あるいはどんな出来事についても、何も責めないという態度です。

あなたが恐れているのは、出来事とその他にもう一つその結果を責めてくる誰かです。

あなたが誰かを責めるとき、それは別の機会にあなた自身を責める態度をも強化します。
逆にあなたが自分を普段責めているほど、何かあったときの他人への攻撃も強くなります。

あなたが何者も責めないとき、あなたが恐れている責め立ても弱くなりやがて消えていきます。

また何かを責めていると、私たちは現実をありのままに見られなくなります。

原因は責めるべき誰かにあると思っているから、そこにある現実をそのまま受け取れないし、それがもたらしてくれる洞察すらも一緒に切り捨ててしまうのです。

何でも他人のせいにしてすねているとき、いくら体験を重ねても一向にあなたの経験は生かされていきません。

相も変わらず人を責めて、愚痴を言い続けている自分を発見するだけです。

「何でいつも自分は運が悪いのだ」と思っていますが、それはあなた自身が作り出している必然であるわけです。

「自分も他人も責めないで、起きてくることを受け止めてやろう」

そう決心すれば、「恐れは実は自分が作り出していたのだ」と気づく機会がどんどん増えていきます。

外にあると思っていた脅威がなくなれば、警戒すべきは自分の内側にあったと気づいて、恐れから外側をキョロキョロ見回すエネルギーが必要がなくなってきます。

あなたは自分の反応さえ見ていればいいのだと気づいて気軽になります。

そして「何を脅えているのでしょう」と聞かれても、「いいえ何もありません」と本心から答えることが出来るようになるでしょう。


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考えるな、感じろ!

考えるな、感じろ!(Don't think, feel.) ブルース・リー



有名なブルース・リーの「燃えよドラゴン」でのセリフですが、身体の動きを考えるのではなく、感じながら動作にうつすようにと指導している場面での言葉です。

頭で考える時と、感じるべきときを区別することが必要です。

論理的に考える必要がある時は、それに従う必要があります。

理由を説明するように求められて、あいまいな主観的なことばかり話していては、相手は何を言っているのかわからないと文句を言ってきます。

パソコン疲れ


論理しか通じない典型は、みなさんもおなじみのパソコンの操作ですね。

こんなに文章を打ち込んだんだから覚えていてくれるはず、そういって電源を落とすとどうなるでしょうか。
保存の操作を指示しない限りパソコンはあなたの意図を察してはくれません。

「何時間かかったと思っているんだ!」と文句を言ってもそれはちょっと筋違いというものです。
あなたの念力ではパソコンの動作は変わりません。

原因になることをしなければ結果は起こってきません。

論理的な思考を導く典型的な言葉は、「なぜ」ですね。

「なぜこんなことになってしまったんでしょう?原因は何でしょう?」

機械なら原因がわかれば故障も直るかもしれません。
この考え方は、今ではいろんなことを考える時の常識になっていて、深く私たちの思考に入り込んでいます。

何にでも原因の究明が答えをもたらしてくれると考えてしまうのです。

しかし「こころ」の問題では、原因の追及は回答をもたらさなかったり、場合によっては問題を悪化させる場合もあります。

「なぜそうしたの?」という質問は、原因の説明を求めているだけではなく、それ以上に責任の追及に聞こえてしまいます。

この考えの背景には、私たちは何でも理由があって行動していて、自分のやったことは必ず理由が説明出来るし責任を持てるはずという発想が潜んでいるのです。

なぜなぜ


しかしいつでも「なぜ」に応えられるように行動している人はいません。
自分でも気づかないうちに、無意識に行動していることの方が多いはずです。

相手が考えて動いているのなら、即座に答えが返ってくるはずで問題は解決します。

しかしそうでない場合には、相手に無理に答えせたところで、事態の解決には結びつかない場合の方が多いのではないでしょうか。

「なぜそうしたの?」という追求は、相手を追い込んでしまい、無理やり理由をこじつけなければならない状態にしてしまいがちです。

そうなると本人もだんだん状況の理解から遠ざかってしまいますし、追求する側も厳しい迫害者を演じることになってしまうでしょう。

私たちは、悩んだり心が動揺したりしたときには、「なぜ?」という質問では答えを出せない場合が多いのです。

論理的な思考は解決が見つかる場合は有効ですが、答えのでない場合には何の力も持ちません。

答えがないという結論が出ているのに、なんとか他の抜け道はないかと探し続けても同じ所をぐるぐる回り続けるだけなのです。

論理回路であるコンピュータの場合も同様のことが起こります。

何らかの理由で繰り返しを脱出する選択が何もなくなってしまうと、コンピュータは同じ処理を延々と繰り返すしかなくなってしまいます。
いわゆる暴走という現象です。

暴走して無限ループに陥ってしまうと、他の処理をしようとする機会を奪い取って同じループの処理にすべてのパワーを使ってしまいます。
こうなると、もはや再起動でもしないと何も出来なくなってしまうのです。

論理的な思考での解決が見つからない場合、こんな時には「考えるな、感じろ」というアドバイスが有効かもしれません。

心が動揺している状態では、言葉ではなくそのままの状態を感じてみることが重要です。

このようなとき、私たちは心だけではなく身体の反応が起きていることが多いものです。

動悸を感じていたり、胃がきりきり痛んだり、汗が出てきたり、何となく身体の反応がいつもと違うと感じることが多いのですが、頭で解決を考えているとそのようなことに注意を払えなくなっています。

しかしそんな時こそ一端考えることをやめて、身体の反応に注意を向けてみることが重要です。

虫眼鏡で観察


考えても答えが得られないときは、今の状態をただ観察してみることです。

身体の状態はどんな感じなのか、うまく言葉で表現できない自分の悩みとはどんな身体の感覚と結びついているのだろうかというように。

こんなことをして何になるんだと言いたくなるかもしれません。
しかしそれは、「なぜ」という問いかけとそれに対する答えで問題を解決しようと思っているからです。
そしてそれでは答えが出なかったのです。

何かを変えようとせずに、ただ起きてくることを受けとります。
徹底して、受動的な姿勢を維持します。

ただ受け取っていると、そのうちあなたの感じとっていることが、考えているのか、感じ取っているのか、身体の感じることなのか、どれともわからない、別の印象を感じる様になるかも知れません。

問題には対策や行動で答える、という今までの発想を捨て去ります。

いままで何度もくりかえしてきた思考では、解決に結びつかなかったのだから、今度はただ感じてみます。
対策を考えて解決するこころではなく、別のこころの整理をしているのだと思って見ることです。

こうして自分の感じ方を意識してみるだけで、理屈では何の答えも出ていないのに心の動揺はおさまってきます。

答えは言葉に出来なくても何とかなりそうだという感覚が生まれてきます。

このような経験を積み重ねていると、言葉による解決というライブラリーとは別に、言葉にならないけれど方向性が見えて来るという別のライブラリーが出来上がってきます。

「ああ、これはいつか感じた状態だ。あのときはなぜか不安が消えて淡々と処理できていったんだった。」というような解決の仕方をストックできてくるのです。

「理由がわからなくても、ものごとは先に進むんだ」ということをあなたの新しい選択肢に追加してみるのです。

なぜに対する答えを出すという積極的な対応をいったんやめてしまって、受動的に状況を観察してみる、この一見後ろ向きにみえる対応が何とかなるという感覚を取り戻すのにつながる場合も多いのです。


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約束について

誰かと約束するというのは、未来に向けてあなたを喜ばせたり憂鬱にさせたりします。

それが楽しみな約束であれば、その時が来るまでそれを思い出してニンマリ出来ます。

あいたくない人との約束であれば、考えるだけで憂鬱になり、出来るだけ思い出さないようにするかもしれません。

しかし約束は守られないこともあります。

楽しみな約束が中止になればガッカリしますし、状況によっては約束を破った相手を恨むかもしれません。

なかには、もしかしたら約束が実現しないかも知れないから、わたしは約束なんかしないようにしようと考える人もいるかもしれません。

しかし痛い思い出が重なったら、そうなるかもしれませんが、そこまでいくと重傷です。
信頼を取り戻せるように何らかの対策が必要かもしれません。

内緒話


ところで、約束には2種類あります。

ひとつは、他の人との約束であり、もう一つは自分自身との約束です。

もし約束によって自分の気分を左右されたくないのなら、
他人との約束は期待しすぎないこと、
そしてもう一つ、自分との約束は必ず守ることです。


自分の楽しみを他人との約束にあずけるときは、過剰な期待はしないことです。

別に悲観的になれということではありませんが、他人の都合は自分ではコントロール出来ません。
約束が実現しなかったときに嘆き悲しまない程度に期待を抑えておきましょう。

そしてもう一つの、自分との約束は出来る限り破らないことです。

それは、自分のことは自分でコントロール出来ますし、なによりも約束を守ったあなたは自分への信頼を毎回確かなものにしていくからです。

自分への約束を守ったとき、私たちは自分をより信頼し、自信を持ち、自分へのイメージを高めます。

自分への信頼はあなたのあらゆることへの基盤になるものです。

自分への信頼が揺らいでしまうと、あらゆるところでやっかいごとの一端になる可能性がありますから注意しましょう。

何かをやり遂げると決心したときも、いつも約束を守っている自分なら無理なく信用できるのです。

規則正しい

ところで、この信頼を失わないようするには、自分への約束は意味のあるものだけにしましょう。

思いつきであれもこれもやってみせると宣言して、守るつもりのないことまで約束しないことです。
他の人にいい所を見せようと見栄を張って出来そうもない約束をしても、それが守れないときに被害を受けるのはあなた自身ですからお忘れなく。

守れる約束だけをする。
決めたことはしっかり守る。


つまらないことで、自分への不信感を持たないように「本当に出来ること」を「本当にやって」いきましょう。

自分への信頼が高まれば、やるときも本気で出来るようになります。

そうしないと、何かを始めてから「やっぱり出来ないかもしれない」と逃げ出そうとする癖を作ってしまいます。

もちろんこれは、他の人との約束にも言えることです。
約束は甘いささやき、守れば蜜の味。


それから「本当に出来ること」とは出来るだけ具体的で検証可能なものにしましょう。
あとで守れたかどうかわからないような約束をしているとすれば、そこに言い訳を隠しているのかもしれません。

自分との約束なんですから正直に行きましょう。
出来そうもないことをホラばかり吹いていれば、自分自身に愛想を尽かすことになりますからご注意を。



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自分探しをやめて自分の個性を取り戻そう

自分探しで外側を探し回るのをやめて、自分自身であることを信頼しましょう。

なぜ外側に自分を探そうとするのでしょうか。

幼い頃は絶大な影響を持つ親の意見を聞かされ、大人になってからも「これこそが正しいのです」とか「こうしないと痛い目に遭いますよ」とお節介にも自信ありげに主張する人達に事欠きません。

こんなことばかり聞かされていれば、密かに奥に控えている自分の信じていることなど大したことはないのかもしれないという気になってくるのです。

そして自分を信じた結果、失敗したことというような経験から、それではダメだと言っている外の声を信頼したほうが良さそうだと思わされてしまうのです。

自信の持てない自分の考えで行動するよりも、慎重に他の人の意見を探し求めていればリスクを冒さないで、少なくとも努力しているように自分を納得させられるわけです。

真実の口


しかしそこには自分の信じていることを表に出さないことの葛藤が隠れています。
それを勇気を出して実行しない自分にたいしての信頼を失ってしまいます。

片方で不信感を抱いていながら、他の人の言うことを自信を持って実行するのには無理があります。
無理やり信じないとダメだと言い聞かせても、本心から信用することが出来ないのです。

そんなことなら自分の信じていることを、無鉄砲でもいいから実行する方が余程スッキリするし、失敗しても自分の経験になるわけで、半信半疑の他人のいいなりになって失敗するより余程いいのですが。

医師と女性


このあたりで自分の個性を生かした生き方に変えてしまおうと決心が付いたら、次のような点をチェックしてみましょう。

◇自分の個性を取り戻すための10原則◇

・どこかで拾ってきたやり方は、効果がないと思ったらいつまでもこだわっていないで手を引きましょう。他に従っている人がいることは何の保証にもなりません。
あなたの本心から出たプランを堂々と採用してみましょう。

・自分が人生から望んでいることを他人に言わせていないでしょうか。いつまでも人の決めたルールに従うつもりなのか、自分の個性を取り戻そうとしているのかをハッキリさせましょう。

・社会の規範から外れるのではないかという恐れは、自分のやり方へのためらいから来ていないでしょうか。社会は個別の人ではありません。あなたの個性を発揮することが社会を作り出します。

・現在の自分がまだ役不足だからといって個性を発揮するのをためらう必要はありません。準備が整ったらやるというのは先延ばしの言い訳でしかありません。やってみなければ、何があなたの力を発揮出来るポイントであるかもわからないのですから。

・パートナーや親など身近な人の考え方とずれてくるからという理由で自分を引き戻すのは考えものです。裏切るような気になるのを恐れてはいけません。それを続けていれば、恐れからいつものうんざりするような安全地帯に戻ってしまうだけです。

・相手の方が優位な立場にあると思わされて不公平な関係を結んではなりません。あくまであなたの考えは相手と対等であるとして先に進みましょう。

・見せかけの権威に脅かされないことです。相手が脅しが必要な理由を考えれば、どちらが脅えているかはわかるはずです。あなたが自分の考えを持って、その人に依存しなくなることを相手は恐れているのです。

・自分の考えをハッキリ説明できない人の批判じみた言動は無視しましょう。議論して自分の行くべき方向がずれてしまうのには気をつけることです。

・あなたのやり方を最後に誰か裁く人間がいるなどと信じ込まないことです。「調子にのっていると○○に言いつけますよ」とか。

・自分の考えを人に説明できないといけないと思わないことです。人に説明出来ることばかりやっていては、回り道をしてもとの場所に帰ってくるだけです。



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難しい人と接するには

どう接していいのか困ってしまう人というのがあるものです。

たとえば敵対的な人たち、こうした人たちは相手が誰であっても攻撃的になるようです。

しかしそのような人たちが攻撃を続けるのは、相手に弱さを見つけたときであり、相手がそれに反応してくるときだということを知っておく必要があります。

相手は最初はあなたの反応にかかわらず、一方的に攻撃しようとします。

しかし誰か特定の人を狙っているのではないので、あなたが自分にそのような原因があるからだと悩むことはありません。

またその人は、誰かを攻撃することで満足を得られるわけではなく、どうにもならなくてそのような形で自分を表現するしかなかったのです。

おこる大人


しかしあなたの方は、相手のいいなりになる必要はありません。

攻撃相手であるあなたが自分に弱みがあることを認めて反応すると、相手の狙い通りになってしまいます。
しかし、あなたが自分にはそのような攻撃を受けるいわれはないと思って平然としていれば、相手は攻撃目標を見失っておとなしくなります。

攻撃する人は、自分が攻撃する側の役割を演じることで相手との関わりを持とうとしていますが、相手が犠牲者の役割を受け入れないでいると手応えを失って、それ以上どうしていいのかわからなくなります。

相手がこのように反抗してくれば、そこを狙って攻撃しようと待ち構えていたのですが、それをかわされてしまえば、もはやひとりでゲームを演じることは出来なくなるわけです。

あなたが攻撃的な人の役割に反応すればするほど、相手のゲームは白熱していき、彼のエゴは増大していきます。
ひとしきり相手を攻撃し尽くして疲れ果てるか、相手が降参するまでこれが続きます。

しかし攻撃側にとっても、そのあとの状態というのは、またやってしまったという惨めな気持ちを感じて終わってしまうのです。

どちらのためにもならないゲームには、例えその時は相手が不満そうでも、こちらは断固として関わらないのがお互いの利益になります。

たいていの人は非難され攻撃されてしまうと、何かしら自分に非があるのではという気になってしまうものですが、それが攻撃的な人が誰かれかまわず標的にしようとする理由でもあります。

言われのないことには、断固犠牲者にはならないという姿勢を崩さないことです。


すねる小学生


ところで、攻撃側の役割を演じやすい人がいる一方で、犠牲者になろうとする人達もいます。

相手の言葉にちょっとでも非難めいたものを感じると、一気にへこんでいじけてしまうか、相手に傷つけられたことを強調して反撃しようとします。

それはまるで、自分が被害者でこんなにひどい目にあったと認めてもらいたがっているかのように見えるのですが、だからといって被害者だと認められても満足するわけではないのです。

子ども達が遊んでいる中、A君はこれは自分だけのおもちゃだと主張して仲間から離れてひとりでいじけています。

あなたが先生の立場なら、A君をどう扱えばみんなにとっていい関係が取り戻せるでしょうか。

A君の主張通り彼専用のおもちゃだと認めて、みんなも仲良くするようにと言ったところで誰も納得しないでしょう。

A君にすれば、自分のしたいことはおもちゃを独占することではないはずです。一時的にはそのような気になったとしても、望んでいることはみんなの仲間に入りたいわけです。

しかし、仲間に参加するやり方がわからずに、自分が知っているやり方で自分に注意を集めようとしたかったのでしょう。

また周りのなかまは、おもちゃのことよりもA君のやり方にどう接していいのかわからず戸惑っているだけでしょう。

自分が被害者になっていじけてしまう人を扱うには、相手のいいなりになったとしても何も解決しません。それは相手にとっても、そのようなやり方を助長することを手助けしてしまうので為にはならないはずです。

一時的には不満を示しているようでも、本当に望んでいる関係を取り戻せるように手助けするのが正解ではないでしょうか。

遊ぶ猫


一般に、たとえそれで表面的な交友関係が途絶えたとしても、あなたは本来のあなたのあるがままのやり方を放棄すべきではありません。

誰かを自分のもとに留めておこうとか支配しようとかいった理由で、自分のやり方を歪めたり妥協すべきではありません。

逆に言えば、まわりの期待に合わせて自分を振る舞わせるなら、その報いを受けることを覚悟しておく必要があります。

報いとは、本当のあなた自身がわからなくなることです。
そして期待した反応が得られる間は喜んでいても、まわりの気まぐれで自分の気分が左右されてしまうことに気づき、どうしていいかわからなくなると他人を恨むしかなくなるという悪循環を繰り返すのです。

ある程度はまわりに合わせることも必要だというのは、もっともらしく聞こえますが本当にそうかどうかは自分で確かめた方がいいでしょう。

押しつけられることを期待してしまうのは、あなたがどこかでゲームを演じたいとまだ思っているからなのです。

相手に無理に合わせたあなたは、その見返りを相手に期待するのです。

逆に自分のやりたいようにしている人は、他人に期待して何かを恩に着せることもありません。

恩着せがましく何も押しつけてこない人は、あなたにとっても受け入れやすいひとでしょう。
また、彼自身もまわりに左右されないし、かといってまわりから孤立するわけでもありません。

無理にがまんして従順になることは、あなたが必要だと信じない限り必要なことではないのです。


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日々新たに人と接してみる

「日々新たに人と接してみる」
このようなことを考えたことはないでしょうか。

マンネリ化した人間関係を新鮮な関係に戻してみたいとか、最近ギクシャクしている関係をリフレッシュしたいとか理由は様々ですが、同じことの繰り返しをどうにかしたいと考えるわけです。

しかし「日々新たに」というのは口で言うほど簡単ではありません。

まっさらな気持ちでやり直そうと思うとき、そこに立ちはだかるのは「今までの習慣」なのです。

カバ歯磨き


習慣とはどういうものでしょうか。

慣れることを習うと書きますが、同じことを繰り返していれば学習効果で慣れてきて効率よくものごとを処理できるようになります。

いってみれば余計な回り道をせずに最短距離で進める方法を身につけていくと言えるかもしれません。

毎回毎回新しく判断しなくても、過去の経験を生かして効率よく進められる様になるということですね。

また習慣になっていくときには、効率が良くなっていくことと共に、未知の体験から既知の体験へ変化していく点も重要です。

未知の経験は、何が起きるかわからないという恐怖や緊張を伴いますが、すでに知っている経験であれば精神的な余裕を持つことが出来るわけです。

ところが、新たな気持ちでやり直そうとするときには、この習慣のもつメリットであった効率の良さや既知の安心感をリセットしなければならないのです。

毎回新しく見直すなんて面倒だし、結果が予めわかっていることを繰り返す方が楽だから、そんなことはやりたくないという気持ちが起こってきます。

これが習慣化した関係をリフレッシュしようとする時の抵抗です。

これは習慣のもつデメリットと言えるかもしれません。

ところでせっかく習慣化して効率よくできるようになった学習効果ですから、それが生かせることについてはどんどん役立てればいいはずです。

たとえば、学校で勉強したこととか、スポーツの腕をみがくとか、仕事に習熟するとかです。

毎日決まってやらなければならない雑用もたいてい習慣化し効率化した方が便利ですね。

しかし同じような習慣化は、人と接する場合にも自然と適用されます。

一緒に暮らしている家族なら、次に誰が何をしそうだと予測するでしょう。
あのひとはこういう人だから、こう言ったこういう反応が返ってくるだろうと予測します。

それはさらに、比較することに発展してAさんよりBさんの方が?であるとか、私は人より?が得意だとか苦手だとか判断します。

比較は当然好き嫌いも作り出します。
好きな人や苦手な人を作り出します。

こうして段々と初対面から慣れるに従って、その人にレッテルを貼り付けて分類するようになります。

毎日会う人なら、話をする前にこういう反応をするだろうと予測したり決めつけたりするようになります。

このようなことが積み重なって、私たちはいちいちその時その場の相手を見ないで予測し決めつけた反応を相手に期待するようになってしまうのです。

自分が何かを問いかけたとき、相手が返事をする前に決まった反応を期待してしまうわけですから、相手のせいで自分が傷ついたと思っていることの多くは、自分の側の勝手な期待が裏切られただけということが起こってきます。

男の子悩む


このような自分の側の決めつけは、自分が喜ぶような反応だけではなく、自分を傷つけてしまう反応を期待する場合もあります。

わざわざ自分が傷つくことを期待するのは不合理なことに見えますが、まわりの人達は自分を傷つける存在であるという世界観を持っている人にはそれは理にかなったことなのです。

たとえば、相手のためになることだからと提案したことなのに、相手から余計なことをしないでくれという反応が返ってきて戸惑ってしまう経験はないでしょうか。

客観的にはその人の利益になることであっても、その人にとっては自分の脚本に合わないようなことは起こって欲しくないのです。

もちろんその結果はその人をよりみじめにしてしまうのですが、それがその人の思い描く世界観に沿っていることであってその方が落ち着くのです。

このように、私たちの人との接し方は、とても日々新たにとは言い難いのが実態になっています。

人間関係における習慣の功罪は、昨日と同じ関係を予想したいという思いから、たとえ不利益になってしまう関係でも維持しようとしてしまうのです。

ほとんどの人間関係のやっかいごとは、この悪癖とでもいうべき、手垢の付いた人の扱い方であり、この人はこのように反応するという思い込みなのです。

ですから、自分のまわりの澱んだ人間関係を新鮮なものに変えるためには、身についた習慣に逆らって、日々新たに人と接してみることが必要です。

わたしたちは、相手を見たり相手の言うことを聞いているつもりになっていますが、たいていは自分の記憶に頼って自分の想定した想像の相手と関わっているのです。

それを避けるには、その時その時にリスクを感じることを嫌がらずに、先入観や過去の予測をリセットして、いま目の前の相手を見なければなりません。

たしかにそれは面倒なものです。

習慣化した儀式に従って相手と関わる方が楽なのです。

どちらでもいいときは、それでもいいかもしれませんが、ここはちゃんと関わろうと思ったら初めて会う人のように相手に接することが必要です。

予測した関係で済ませようとしていると、なぜかその人に会うときになると忙しい用事を思い出して、まともに相手を見たり聞いたりしなくなります。
そのおかげで、いつも決まった反応が返ってきて余計な煩わしさを感じないようにしているわけです。

親子会話


問題を改善したいと思うなら、逆にゆっくりした動きになって、先入観をすてて相手と向き合ってみることが必要でしょう。

相手がこう言ってくるだろうと思っていたのでは、そのように聞き違えてしまいます。

予定した解決をすべて捨てて、相手が語ってくることをそのまま聞いてみることです。
聞いたことですぐに反応したくなる自分を抑えて、ただただ聞こえてくることに耳を傾けます。
この対話でどのような結果になるのかを予想せずに、なるようにまかせてみることです。

予測しなかった結果こそが、新しい関係性を生み出してくれます。

うわべの会話テクニックなど忘れて、ただ素直に聞いてみることが、作られた関係ではない本当のつながりを作り出してくれます。

毎日昨日と変わらない関係にうんざりしているのなら、それはあなたが予想した関係をあえて作り出しているからに違いありません。

半分はあなたが作り出しているわけですから、あなたの関わる半分だけでもフレッシュな関わりに変えてみたらどうでしょう。

それでも変わらないのなら、あとは相手の問題です。
あなたはそれを思い煩う必要はありません。

でもあなたの側が変われば、きっと相手の反応も変わってくるものです。

しかしそんなことよりももっと重大な秘密があります。

あなたが用意した人間関係を続けることを放棄すれば、そのことに重大な価値があると思っていたことが、実はどうでもいいことだったと気がつくということです。

あなたが相手から手に入れるしかないと思っていたものも、あなた自身が自分で充分手に入れることが出来るものだと気づくのです。

そしてそんなものよりも、その時その場でしか手に入らない正直な相手とのつながりこそが重要なものだったと気づくのです。


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誰かに寄りかかること

誰かに寄りかかりたいと思うのは、子どものころ親に頼り切っていた時の安心感をもう一度体験したいのかもしれません。

私たちは配偶者や誰かに寄りかかることで気楽な人生が送れると信じたがるものですが、しかしそれはいずれ裏切られたと感じてショックを受けることになります。

全面的に誰かに寄りかかって、相手がそれを受け止めてくれることを期待するわけですが、一時的にはそういうことを受け入れる人がいたとしてもいつまでも期待できることではありません。

自分が受け止める方だったらと考えれば、ずっと続かないのは想像がつくでしょう。

同様にひとりではダメでも、友だちをたくさん持っていれば誰かに寄りかかれるだろうというのも怪しいものだと思います。

親子2


何が自分の欲しがっているものをかなえてくれると信じているのか、この思い込みをもう一度チェックしてみましょう。

ここで逆にあなたが欲しがっていないこと、あるいはあなたにとって何の関心もないことを想像してみて下さい。

あなたに興味がなく利害関係のないことことは、あなたを煩わせたり悩ませたりすることは決してないことに気づくでしょう。

この事実は、いったんあなたが誰かに何かを期待し始めたとたんに、その誰かはあなたを悩ませる原因にもなると言うことです。

仏教で言われるように、渇愛から憂いが生まれ、渇愛から恐れが生まれるということです。

ですから、自分がなにを本当に欲しがっているのかをもう一度チェックして、偽物の欲望から自由になることを考えるのが大事なのです。

欲しいものがあれば、それが手に入らないと苦しくなります。
だから本当に欲しいものだけを選ぶことです。

大切なものを作り出せば、それがなくなるのが心配になります。
だから偽物の大切なものを不用意に作らないことです。

対人関係においては、まず誰であろうとあなたの望まないことを強制的に作り出せる力はないことをハッキリと認識することです。

そうしなければ、あなたはいたるところで、もしこの人の好意を失ったら大変なことが起こってしまうという恐れに支配されることになります。

そして何とか他の人をあなたにつなぎ止めたり、支配したりすることを望んでしまうのです。

それは「恐れ」からくる余裕のない渇望であり、あなたが本当に望んでいることではないのです。

あなたは他の人があなたのことを好きになろうが嫌おうが気にならないとき、初めて本当の自由な関係を人と持つことが出来ます。

そのときあなたは相手が誰であっても、穏やかに平和な気分で接することが出来ます。

あなたが他の人が自分を助けてくれると信じたがるのは、あなたの渇望を相手が満たしてくれると信じているからです。

ですが、あなたの望みは相手が「あなたの願いを叶えてくれるべきである」という押しつけを相手に与えます。

そのように意識していないかもしれませんが、あなたが恐れから人と関わっている限り、望みがかなえられないことや、相手が自分の期待通りに動いてくれないことを何とか阻止しなければと思うわけです。

強要する気はなくても、あなたの思いは相手に重くのしかかっていきます。

「わたしはあなたにこのように尽くしますから、あなたもわたしの望みをかなえて下さい」
このような強制的な駆け引きが裏で起こってきます。

機嫌が悪い男の子


相手が期待通りに動いてくれないとき、あなたは騙されたと感じたり、怒りをおぼえるのです。

あなたが怒りたくなるのは、相手が自分勝手だからあなたの要求に応じないのだと感じるからですが、実際はあなたの側の強制が問題を招いているのです。

たとえある時、あなたの思うとおりに相手が応えてくれたからといって、いつでもその人が同じ反応を示すとは限りません。

あなたは相手に勝手な心理的な愛着を作り出してはいけないのです。

そうではなく、あなたは相手が振る舞うにまかせられる関わり方をとるべきなのです。

あなた自身も逆の立場にあればそのように感じるのではないですか。

相手があなたから離れていって、そのことであなたが傷ついて拠り所を失ってしまうのは、そもそも恐れからスタートしてかなわないことを望んでいたからだと理解すべきなのです。

相手がどうふるまうかは相手次第だと気軽に受け取れるようになれば、あなたは恐れから自分を安売りする必要もないし、相手に何かを強要したくなることもなくなります。
その時こそ、本当の対等な関係を築くことが出来るわけです、少なくともあなたの側では。

どんな相手でも、心理的には離れていることが出来るとき依存関係に陥ることはなくなります。

ためいき2


すでに自分は相手から裏切られたと感じているのなら、自分がいま信じたいとしがみついているものが何かを、いままでの文章から読み取って下さい。

あなたが本当に傷ついた自分を癒したいのなら、今までの自分が「これなら納得してもいい」と満足するような答えを探してはいけません。

そんなものは見つからないでしょう。

そうではなく「もうそのような答えはいらない」といえる自分を発見することです。
そのような自分に変わってみようと思うことです。

それではごまかしだ、ペテンだと思わないで下さい。

いまやろうとしているのは「勝ち負けを求めているのではないのだ」とわかったとき答えも見えてくるでしょう。

「勝ち負け」にこだわっているのを感じたら、そこにある自分の思い込みを発見して下さい。

あなたは「相手があなたの期待通りの人である」と自分勝手に決めてしまい、相手がそうでないことを発見して(もともと一致するはずもないのですが)失望したのです。

それは、そうであってくれないと困るというあなたの恐れから無理に作り出した思い込みです。

現実の相手があなたの期待と異なるのを怖がったのも、それしか道がないというあなたの恐怖が作り出したものです。


相手にすべきなのは、期待を裏切った人ではなくて、あなたの恐怖のもとにある思い込みなのです。

そうとわかれば、あなたがやることはあなた自身との正直な真摯な対話です。
もともと外側には敵はいなかったのです。




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心配性2/行動できない

心配というのは、いいにせよ悪いにせよ結果が出てしまえば、本来は消え去るものでしょう。
しかし心配性の人は、ひとつ片づいた瞬間に次の心配事を作り出してしまうようです。

そんな心配性の人の中でも、行動を起こすことに抵抗を感じて動けなくなってしまうタイプがあります。

心配性だから動けないという言い方も出来ますが、実は自分から行動を起こすこと自体に問題を抱えているのかもしれません。

行動できない人の原因のひとつには、決断するのが恐ろしいというのがあります。

結果が怖くて決断を下せないので様子を見て先延ばしにするのですが、その結果行動を起こさないでいても後悔するし、仕方なく動いた場合でもうまくいかないんじゃないかと考えてしまうのです。

ためいき3


行動しようとするのをストップさせるもの、そこには何か元になる原因があるのかもしれません。

「思いつきでしゃべらずに、話す前に考えなさい」
「いい加減なことをして後悔するのは自分だからね」
「本当にそれで大丈夫なの?」
「何事も慎重に準備してからやりなさい」
「あわてる乞食はもらいが少ない」
「どんなときも気を許しちゃダメだよ」
「本当に必要なときだけ実行しなさい」
「調子に乗ってるんじゃないよ」

このようなメッセージは子どもの安全を願っての言い回しなのでしょうが、条件によっては後々私たちの行動を起こす決断を鈍らせる働きをしてしまいます。

このくらい言っておかないと何をするかわからないと親は心配なのかもしれませんし、そういわないといけないタイプの子どもだっているでしょう。

しかし親が心配性だとちょっとしたことにも、このような言葉が反射的に出てくる場合もあるわけで、何かにつけてこのようなメッセージを聞いていれば子どもは行動する代わりに心配することを覚えてしまうかもしれません。

「思い切ってやってごらん」というべきときにも、「よく考えなさい」と言ってしまうのです。

叱られる1


心配することが行動の代償行為になってしまうのは、ちょっと行き過ぎた反応の仕方です。

行動することにはリスクが伴いますが、リスクを適切にとらえて判断することと、過剰に怖がって動かないことは異なります。

それに行動しないという選択にもリスクはあるということも知っておく必要があります。

取り越し苦労というのは、勝手に自分で未来を予測して、それも悪いことが起こる方を予想してしまうわけです。

ですが、やっている本人にとっては、公平に未来を予測しているつもりになっています。

行動に移すことをためらいがちな人は、行動の代わりにこのゆがんだ未来予測に熱中してしまうのです。

またそのような人は、一生懸命未来を予測して完璧な仕事をやろうとしているのに、なぜいい加減な予測で行動してしまう人がいるのだろうと考えて、逆に心配しない人を非難したくなったりします。

ですが取り越し苦労というのは、どう考えてもエネルギーの使い方を間違えています。

行動に移した方がいろんな選択肢が増えて、思いもしなかった展開も待っているものです。

少ない可能性で、しかも悪い方の予測を採用していてもよりよい結果に向かえるとは思えません。

それに「取り越し苦労」がまちがったやり方である証拠とでもいえるのは、その人の心身にも悪影響を与えるだろうということです。

心配性ではなかなか活動的になれませんし、心配ばかりしていると落ち込んできたり身体の調子も悪くなりがちです。

メンタル


「杞憂(きゆう)」という言葉がありますが、これは天が崩れ落ちてきはしないかと心配した人の故事からきた言葉ですね。

「取り越し苦労」というのは、このようなたぐいの話です。

自分の心配はもっと現実的だといわれるかもしれませんが、いくら身近な予測でも未来は完全に予測できないことにかわりありません。

生活に障害を来すようだと、今ならパニック障害や強迫性の障害だと診断されるかもしれませんが、強迫的な心配は早めに解決しておきたいものです。

行動することは、やってもやらなくても100%満足する結果にはならないものです。

予測ばかりして様子を見ているだけでは何も変わらないだけでなく、新しい機会をどんどん失い続けます。

もちろん場合によっては、あえて行動しない選択の方が正しい場合もあります。

しかし、やらなかったことを後悔するようなら、あなたのやるべきことは「取り越し苦労」ではなく行動することにあります。

自分が行動しない理由が根拠のない心配からくるものに思えてきたら、目をつむってでも行動してみることです。

あなたは本当は行動しないでいることに自分でもいら立ちを覚えているのかもしれません。

しかしそれでも行動しないことが、さらに予測をより悪いものに見せ、より恐ろしいものに変えてしまうのです。

今度自分が「取り越し苦労」を始めたと気がついたら、その心配することでどんな情報や結論が導き出されたかを確認してみましょう。

それが何の役にも立っていないことがわかったら、小さなことでもいいですから保証のない不完全な行動を1つ実行してみましょう。

それもあくまで結果を予測しないでやることです。
その時の自分を評価したり分析したりせず、ただ行動してみます。

実験のつもりで、どんな結果になってもいいと思って行動し、しばらく我慢してそれを続けてみるのです。

そしてそれが続けられたら、結果が良くても悪くても、新しい行動に踏み切れたことで自分を褒めてあげることです。

どのようなことに目を向けるかも大事ですね。

悲観的な人が考えがちなのは、
・今は実現不可能なことを何とか出来ないか考えてしまう。
・過去の失敗をあれこれ思い起こして後悔する。
・失敗の原因を変えようのないことに対して探し求めてしまう。

これらを方向転換してみましょう。
・今すぐ実現可能なことだけに目を向ける。
・過去にうまくいったことを思い出して今に生かせないかを考えて見る。
・失敗の原因として自分に変えられることだけをチェックしたら、あとは成り行きにまかせてしまう。


なぜと考えないで、ただただ行動してみる。

時にはこれが最高の解決を切り開いてくれます。



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