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バランスを取り戻すための見落としがちな事実

親は子どもに対して、幼い頃からの性格などから、この子は落ち着かない子だとか、おとなしい子だとかいったぐあいに、その子の本来的な姿を決めつけてしまう傾向があります。

「○○君は、どうしていつも◎◎なの」というように、偏った見方をしてしまうのです。

しかし、誰であろうと、「いつも」同じ傾向ばかりを示すわけではありません。

おとなしい子が、思いがけず、何かの反動でわがままなことを強く言い張ったりすると、すっかい慌てて、信じていたことが裏切られたように思ったりしてしまいます。

親子会話


このように、人にはいろんな面があることは、しばしば忘れ去られてしまうのです。

子どもには、親から、いろんな自分がいて、全体でバランスを取り合っているものだ、ということを教えてあげた方がいいでしょう。

そして、子どもを偏った見方で見るという親自身が、実は自分のことも一面的にかたづけてしまおうとしています。

そのように、多面的な見方が出来なくなるのは、いろんな理由があるかも知れませんが、ひとつは普段の人間関係の処理の仕方に起因するのかも知れません。

わたしたちは、普段の会話では、「わたしは○○な人間だから、そのつもりで扱って」というメッセージを送りがちなのです。

それは、ある意味で、人と人の関係を分かりやすくする効果があるのですが、同時に自分自身を一面からだけみた存在に固定してしまいがちです。

実は、わたしたちは、こうした会話をしながらも、どこかで自分の見せていない面も理解して欲しいという欲求も、持ち合わせているわけです。

相手がカウンセラーのような存在であれば、そのような普段見せない面も、うまく引き出してくれて、その存在にも価値を見いだし、光を当ててくれます。

そういったやりとりから、なぜか自分を見直す勇気が湧いてきたりするのは、自分の普段見せていない一面にも、発言したいという欲求が存在していることを物語っているのでしょう

相談1     2つの感情


だれかが「自分はこういう人間だから、しかたないんだよ」とあきらめの言葉を言ったとしても、そこには、そうでない自分を誰かに見つけ出してもらいたいという、救いを求める訴えが含まれているのかも知れません。

毎日が同じことの繰り返しに見えて、ちっとも元気が出てこないという、閉塞感があるときには、表に出ることのない自分が、忘れ去られているからかも知れません。

ダメ元で、いつも大したことじゃないと、軽くあしらわれている自分に市民権を与えてみましょう。

あれこれ考えてもダメなときは、思い切って全く違う事をしてみないと、看板をすげ替えているだけで何も変わりません。

ふだんから、やりたくても先延ばしにしていたり、時間を取る余裕がないといって、後回しにされ続けていたことに対して、思い切って時間を取ってみましょう。

馬鹿げてると思わずに、騙されたと思ってやってみて下さい。

「そんなことは、大した問題じゃない。時間の無駄だ。」と言う声が聞こえくるかもしれません。

しかし、その考えは、現在支配的な自分が考えている意見なのです。

それに従うかぎり、隠された自分は登場せず、現状は打開できないでしょう。

社会的な意味での重要なことと、あなたの内面での重要なことは、尺度が全く違います。

全く何の役にも立たないことが、あなたが元気を出すには必要だったということは、よくあることではないでしょうか。

偏った支配的な自分から、追いやられていた自分に光を当てて、バランスを取り戻してみましょう。

他人の意見に耳を傾けなさい。
一番聞きたくないことを言う人が、
一番大切なことを教えてくれることも
あるのだから。

ゼリンスキー

今日が楽しくなる魔法の言葉』 ダイヤモンド社 / 2003-09-20




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変わるときには変わるものだ

子犬をしつけるときに注意することは、誰がボスであるかをしっかり教えることであるそうだ。

子犬を見てカワイイからといって、ついつい甘やかすと、子犬は自分がボスかも知れないと勘違いするから、どちらがボスなのかハッキリさせないといけないのだそうだ。

ところで、子犬はともかく、私たちは自分自身のこころの状態について、ボスになりきれているものだろうか?

自信のあるときには、自分のこころは、自分が思ったとおりに働いていると考える。

しかし、気がつくと感情的に反応して、後悔し落ち込んだ状態で、自分のこころの動きがもたらした結果に気づくことになる。

あるいは、それと気づかないうちに、なんとなく気分が少しずつ憂鬱さを増してくるような、そんな気分になるかも知れない。

もちろん、それぞれの状況を調べて、対策を考えようとしてみるのもいいかもしれない。

どうにもならないからと、自暴自棄になってしまうよりはいいだろう。

しかし、なかなか、自分のボスになりきろうとするのは難しいものである。

さきほどの、子犬を育てる場合も、いくらボスになりきれといわれても、ひとそれぞれ、その人の性分といったことがあるので、人によっては、少しぐらいしつけに失敗しても、甘やかしてみたいと思うかも知れない。

ましてや、自分のこころが相手では、ボスになりきるのは難しい。

少し発想を変えて、自分が管理者だと力まないで、自分が望むことと、自分の行動やこころが、喧嘩しなければそれでいいのだと考えてみよう。

コントロールしているつもりになっていても、自分が本当に望んでいることと食い違っているのでは、なんにもならない。

それでもなお、言い換えたところで、自分のこころはいつも暴走してしまうのだ、と言い張るのなら、「いつか変わるときには、変わるものだ」と考えてみよう。

ハンモック


「変わらなければならない」と思っても、思ったからすぐに変われるわけではない。

「いつまでに変えるのだ」というのは、内容にもよるが、まず不可能だと諦めた方がいい。

今まで生きてきた中で作りあげたものが、変えようと思い立ったからといって、一気に変わるものでもないのだから。

変われる期限まで、自分で指定しようとしないことだ。

「いつか変わるときには、変わるものだ」と考えていれば、気がついたら変わっていたというのは、今までに経験してきているのではないだろうか。

自分で変えてみせる」と思うのを諦めて、「いつかは変えてみたい」という思いだけにしておけば、余計なストレスを背負い込むこともなくなる。

そして「いつか変わるときには、変わるものだ」、「変わらずにはいられないものだ」とその時を力まずに、静かに待っていよう。

鳩にえさ


開き直って力むのではなく、なるようにまかせてしまおうと考えてみる。

待っていればいいとわかれば、つまらないことに時間を使わなくても済むのだから。

自然(じねん)というは、
自はおのずからという、行者のはからいにあらず。
然というはしからしむという言葉なり。
しからしむというは、行者のはからいにあらず。

親鸞




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ニーバーの祈り

ニーバーの祈り

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)


THE SERENITY PRAYER

O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.

Reinhold Niebuhr

The Serenity Prayer(ニーバーの祈り)



「変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」

これが完全に区別できるものなら、ほとんどの問題は解決するのではないだろうか。

「変えることのできないもの」を変えようとすることは、2つの意味で問題がある。

1つは、出来ないことを延々とチャレンジし続けて、時間も費やしてしまうことである。
しかし、こちらはそれでも、その過程での経験が役にたつので、一概に無駄とは言えないかも知れない。

しかし2つめが問題である。

かなわないことをチャレンジし続けた結果、疲れ果ててそれを投げ出してしまうことになる。
その結果あなたは、何もかもチャレンジすることがイヤになってしまう可能性があるのだ。

逆に言えば、人間はいつまでも結果が出ないことに、チャレンジし続けるようには、出来ていないのだろうと思われる。

片膝をつく天使


失敗にめげずに、チャレンジし続けて何かを為し遂げるというのは、美談ではあるが、誰でもが、あるいはいつでも、出来るという保証はないのである。

失敗にめげないことよりも、失敗を恐れないでスタートすることの方が、重要な場合が多いように思える。

そして、最初の祈りの言葉に戻ると、「変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。」ということの重要さをもっと認識したいものだと思う。

変えられないことを受け入れるのは、言葉で言うほど簡単ではない。

その大きな原因のひとつは、私たちは、「自分が望むこと」と、「自分がやりたいこと」とを、しばしばごっちゃにしてしまうからである。

わたしたちは、子どもの頃にまわりから期待されたことや、大人になってからは社会的な望ましさ、といったものを基準に、自分が目指すべきことを決めようとする。

しかしそれは、自分がそれに向いていて、自発的にやりたいと思うことであるとは限らない。

多くの場合、「自分が望むこと」が「自分がやりたいこと」に重ねられてしまうために、自分に可能なことかどうかは、あまりチェックされないままになってしまう。

自分の自発的にやりたいことが、必ずしも自分に向いているかどうかはわからないけれど、外部から取り込んだ理想の目標よりは、ずっとリアリティがあるはずだと思う。

そして、自分の理想は頑張ればかなうはずだという、期待から出発する見通しは、「変えることのできないもの」だから希望がない、というようには、なかなか諦めきれないのである。

夢見る女性2

それとは逆に、自分が自発的にやりたがっていることというのは、重要視されるとは限らない。

そんなことは、誰も注目してくれない。
そんな能力は、社会では役に立たない。
あるいは、
自分の出来ることなど、たいしたことではない。

といった、厳しい評価、否定的な評価を受けやすいため、日の目を見ないままになってしまう可能性がある。

最後に、自分が自発的にやりたがっていることを発見する方法について、少し書いておきたいと思います。

自分がやりたがっていることというのは、さきほどあげたような批判する自分の影響から、内観的に見つけ出すことが難しい場合が多い。

それよりも、発見しやすいのは、自分が実際に何をやっているかを、客観的に調べて見ることである。

心理学のアプローチの一つで、内観的な見方、意識主義を廃して、行動だけを観測しようとする行動主義のながれは、そういった一面を捉えた主張であった。

自分が実際に行っていることを調べるには、振り返ってみるというだけでは難しい。

一日の終わりに、自分が今日やったことを振り返るというようなやり方では、すでに主観的にゆがめられている可能性が高いので、客観的な判断が難しい。

例えば、タイマーのようなものを利用して、一定の間隔で自分が今何をしていたかをチェックして、メモに書き留めておくというのがいいだろう。

これをやってみると、予想していたのと違って、自分がいかに偏ったことに時間を使っていたかが発見されたりする。

内観的な、予測とはかなりずれているのが普通である。

ハート3

こうして、自分が一番実際に時間を費やしていることを見つけたら、そこから自分が自発的にやりたがっていることを見つけ出せる可能性が高い。

その自発性を、自分で積極的の伸ばしてみることを考えるのが、「変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。」ということにもつながるのではないだろうか。


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河口から眺めてみよう

仕事にうんざりしたり、行き詰まったらこんなことを考えてみよう。

死期を悟った老人が、人生を振り返ってこのように語る。

もしもう一度人生をやり直せるなら、今度はもっと失敗してみようと思う。
完璧なやり方で人生を送ろうなどとは考えないだろう。
もっと力を抜いて、のんびりとその時その時を楽しめる生活をするつもりだ。
もっと馬鹿になってみよう。
今までを振り返ってみれば、いつも心配していたような深刻な事態というのは、結局ほとんど起きなかったじゃないか。
だからもっといい加減さを許して、思い存分楽しもうと思う。
案ずるばかりで何もしないでいるのをやめて、失敗してもいいからもっと冒険をしてみよう。



ここで、今のあなたの生活や、考え方と比べてみよう。

大きく違うポイントがいくつか見えてくるだろう。

1つ目は、いつも近未来を心配して、明日のための準備に今日を生きているということである。
2つ目は、完璧なやり方をしないといけないという思い込みから、結果を楽しむ余裕などなくなってしまうということである。

老子は、このようなことを言っている。

大国は、たとえば大河の下流のような存在である。天下の流れ(国々)が、自然にここに集まってくるからである。いいかえれば天下のすべてがそれに従う女性という存在であるとも言える。女性はいつでも静かに自分を保つことによって男性に勝つ。静かにしてへりくだった立場にいるから勝てるのである。


河のゴールである河口にいて、流れ込んでくるものを受け入れよう。
すべてはそこで一緒になることがわかっているから、途中の障害や、寄り道や、停滞などは問題ではないのだ。

結果はすべてOKである。

途中のやり方が完璧でないといけないなどと、心配しても仕方がない。
完璧にやっても、少々寄り道をしても、結果には大差ないのだ。

今の仕事が、マンネリで、息苦しく感じるようなら、すこし完璧な方法でやっているという傲慢さを凹ましてやることだ。

作業をいい加減な所で、ぶった切って、居心地の悪さを感じてみよう。

こんなところで中断したら、わけがわからなくなってしまうと恐れているのを感じてみる。

これが、あなたが恐れている、混沌(カオス)の正体である。

悩む王様


あなたは、この混沌(カオス)の状態を嫌って、いつもの見慣れた形に戻そうとやっきになっている。

混沌(カオス)が続くと、とんでもないことになって、すべてがだめになると恐れるからだ。

すこし、混沌(カオス)の状態を味わってみれば、本来自分がなぜその作業をやっているのかを見直すことが出来る。

新しい発見がある。

どれほど重要なものかが見えてくる。
そんなに重要なことでもなっかたと発見できるかも知れない。

今の現実以上に重要なことなど何もないことが見えてくる。

河口夜の風景


昨日の準備が、今日の安全を築いてくれていると信じ込まないことだ。

なぜ完璧なやり方が、完璧な結果を生み出すと信じ込んでしまうのだろう。

やり方がどうであれ、内容がよければそれでいいのである。

本来欲しいものを得るためには、完璧なやり方を崩してはダメだと思い込んでいるだけである。

完璧なやり方でできたと思っているのは、後から結果を振り返ってそう思っているだけなのだ。

あとづけの解釈に過ぎない。

実際には、でたらめな度合いの作業が積み重なっているだけである。

仮に、今のあなたが、今までの中では最高の状態であるとすれば(実際最高の経験値を持っているのだ)、完璧にやるために、今までの人生をすべて、今の自分でやり直したいと思うだろうか。

そんなことをしなくても、いろいろあったとしても、その結果で今の自分があることを思い起こせるだろう。

完璧なやり方など、自分を騙しているだけだと気づいてみよう。

完璧なやり方をあきらめて、もっと混沌(カオス)の状態で遊んでみよう。

河のゴールである河口にいて、流れ込んでくるものを受け入れよう。
すべてはそこで一緒になることがわかっているから、途中の障害や、寄り道や、停滞などは問題ではないのだ。

結果はすべてOKである。


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務めとしては行わない

わたしはなにごとも務めとしては行なわない

他人が務めとして行なうことを

わたしは生の衝動として行なう

ホイットマン



ものごと務めとして行うと、何事も色あせてきて、つまらなくなってしまう。

つまらないとは、このようなことである。

・たいくつであり、新鮮さを感じない。
・やらされていると感じ、やりがいを感じない。
・だから適当にやりたくなるが、それが余計つまらなくしてしまう。
・自分を生きている気がしない。
・人生とはこんなつまらないことの繰り返しなのかと、悲観する気持ちになる。

つまらなくする生き方はごめんだと、拒否しよう。

赤い龍

これは後から作られた話という説が有力だが、孔子が老子を捜し当ててて、訪ねていくのだが、こっぴどく批判されて逃げ帰ってくるという話がある。

老子が孔子に言ったことは、大体このような内容である。

美徳とか義務とかの話を延々と説かれると、聞いている方はうんざりする。
欠点をほじくり返すような話は、気力をなくし、イライラするだけだ。

それよりも、自然は、そのような決まりを説かなくても、きちんとそれぞれの役割を果たし、
同じことを正確に繰り返していくのは何故かを考えた方がいい。

そして人も自分の内なる力に身を委ね、自然の道を歩むようになれば、
おまえさん(孔子)のように、必死に道徳や務めを宣伝してまわらなくて済むだろう。

孔子や儒教では仁義礼智信のような、守るべき決まり事を説くわけだが、そういうことを聞いて最初はやってみようとするかも知れないが、いずれ窮屈でやってられないと感じることになるだろう。

結果としては、そのようなことが出来ればいいのかも知れないが、これを実行しなさいと言われても現実の行動に結びつけることは難しい。

それ以前に、さきほどの「つまらない」生き方に嫌気がさすことになってしまうだろう。

だから、規範が先にあるのでは、どうにも行動できなくなるようなのだ。

そこで老子の言うように、自分の内なる力に身を委ね、自然の道を歩むようにするという考えが自然であるように思えてくる。

自分の内なる力に身を委ねとは、自分の内面の訴えを信じること、またその裏付けとして、神でもタオでも宇宙でもいいが、なにか任せられるものの存在を前提にする必要が出てくるのだろうと思う。

正と不正が対立すると見れば、規範を必要とする考えに導くが、それとは反対に信頼できるものが存在することを前提にするということである。

後者の立場を取るなら、規範を探すのではなく、内面の訴えを信じるということになる。

飛び跳ねる女の子160x240

それが、ホイットマンの詩の意味なのだろう。

いい加減決まり事にうんざりしたら、
そして「つまらない」生活に生きがいをなくしそうなら、

「務めとしては行なわない」と言ってみよう。

「生の衝動として行なう」と宣言してみよう。

参考
『タオは笑っている』 R・ M・スマリヤン 工作舎 / 1991-01




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ガラクタを捨てよう!

コンピュータの世界も、ネットの進化が進むにつれてどんどん様変わりしていきます。

フロッピーディスクなど、もはや見かけなくなったと思っていたら、「クラウド」コンピューティングの時代になれば、CDやDVDも最低限のもの以外は不要になっていくでしょう。

古いソフトのCDロムなど、使い道のないガラクタになり、ベランダの鳥よけに吊すしか使えなくなってきます。

CD.jpg


マイナーな存在であったスマートフォンも、iPhoneなどの台頭で市民権を得るようになってきました。

携帯であっても携帯電話ではありませんと、コウモリのようなかわいそうな存在でしたが、これからはハンディ端末のひとつとしてメジャーな存在になるでしょう。

携帯電話    パソコンイメージ


そしてハンディな端末があれば、ソフトを自分で持つ必要がなくなれば、いまの大げさな箱物パソコンも不要な時代になってくるでしょう。

その時代の流行に依存したものは、古くなればガラクタとなって捨てるしかありません。

古いガラクタにしがみついていることは、新しいものが入ってくる余地を作れませんから、有害でしかないでしょう。

しかし流行するものだけが価値があるということでは、もちろんありません。

古くても生き残っていくものは、流行には依存しないという性質を持ったものです。

あいまいで頼りなく見えるために、大声で、論理を振りかざしてこられると、主張しにくい自分の内面の心の訴えというものがあります。

時代が変わっても、こころを拠り所にするということは変わりません。

こころの中にも、捨てるべきガラクタはたくさん抱えているでしょう。

ただ、目に見える物と違って、それらは同じことを別の面から見ていることで成り立っているようなところがありますから、これは捨てる、これは残すというようなハッキリした区分が付けられません。

こころのガラクタを捨てるには、根こそぎ抜き取ってしまうのではなく、存在を発見して認めることから始めないと行けません。

たとえば、今の仕事がなんとなく嫌いだけれど、無理に「そんなことを考えてはいけない」とか、「自分はこの仕事が好きなんだ」と思い込もうとしていては、問題はどんどんこじれてくるでしょう。

このような考えが、こころのガラクタであると言えるでしょう。

鎖から解放

まずは、その仕事が、嫌いなら嫌いとハッキリ認めることから出発する必要があります。

それがアタリであれば、「嫌いだ!」と宣言したことで、こころがスッキリするから正解だったとわかるはずです。

そのうえで、嫌いな仕事だから、きっぱりやめてしまうのか、あるいは、嫌いだけど、せめてなんとかおもしろく取り組む方法はないか、と考えるという余裕が生まれてきます。

これは、「仕事」を「ひと」に置き換えても、同じことが言えるでしょう。

物とは違って、こころのガラクタはそっくり捨てるわけにはいかないのです。

存在を認めることと、視点を変えて見てみることが必要なのです。

みなさん視点を変えることには熱心なのかもしれません。

しかし、自分の中に存在すると認めるのに抵抗している部分があると、いくら視点を変えても解決しないのです。


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あなたが見たくないところに答えがある



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冒険しよう!

自分のまわりの状況にいくら不満があっても、いざそれを変えてしまおうと考えると、自分の中で今のままでいたいと主張する自分が現れます。

両者が拮抗するとき、あなたは身動きがとれなくなってしまいます。

しかし慣れ親しんだいまのやり方にしがみつくとき、あなたはそれを正当化するいいわけを常に考えなければならず、いろんな代償を支払うことになります。

だれでも多かれ少なかれ、「安全」という名で、このようなリスクを避ける行動を繰り返します。

新しい世界に飛び込むことは不安で、現状のまま我慢した方がいいと考えてしまうのです。

ためいき3


しかし安全な場所にいつづけることは、退屈と後悔と自己不信のなかで暮らすことです。

そこではせいぜい、作り物のバーチャルな世界に対しての冒険で、気を紛らわすだけになってしまいます。

安全な場所があると信じ続けるためには、まわりの世界も自分自身も常に変化していることをわかっていながら、それを見ないふりしていなければなりません。

なぜなら安全とは変化しないという前提で、成り立っているからです。

ではリスクを冒して冒険してみようと思ったとき、どうすればいいかと考えても答えは出ません。

思い切ってやってみるしかないのです。
考えずに、ただ実行するしかありません。

飛び跳ねる女の子160x240


思い切って一歩踏み出してみると、世界が変わって見えるのに気がつきます。

思っていたほど怖いものではなかったことや、やってみるまで怖さに耐えられないと思っていた自分が、何でもなく対応できていることに驚くのです。

そして何よりも、自分に対する自信を回復します。

なぜなら、あなたの中では、それをやってみたいと要求していた自分もいたのですが、もう1人のあなたが何かといいわけをしてやろうとしないので、自分自身に対してうんざりして、信頼をなくしていたわけです。

実行に移したあなたは、失っていた信頼を取り戻すことが出来ます。
他の方法では、それは回復出来なかったことです。

そして生きている実感を取り戻します。
恐れから安全地帯にいたあなたは、半分死んでいるようなものだからです。

知らない世界に入ることや、新しいことを始めるときに、不安を感じるのは当たり前のことです。
それがなければ、あなたは危ないことをやりまくって、生き延びられなくなっているかも知れません。

また不安とワクワクする感じとは、もとは同じものです。
不安の全くない所には、ワクワク感もありません。

不安は当たり前と観念して、一歩を踏み出しましょう。

リスクと言うくらいですから、当然失敗することもあります。
しかし失敗する危険を上回るメリットが、冒険にはあります。

チョウがさなぎから羽化するのを見たことがありますか。

アゲハ写真


羽が乾くまでは非常に無防備で、ちょっとゆがんだりしただけでも、失敗して死んでしまうかも知れません。
しかしこのリスクなしには、チョウには成れません。
さなぎのままでいるわけにはいかないのです。

このようにリスクとは生きることの一部です。
それでもチョウは、あたりまえにいっぱい飛び回っていますよね。

どこで冒険するかは、あなたにしかわかりません。
しかしそれは自分の正直な感覚に従っていれば、自然に目の前に現れてくるでしょう。

軽いレベルから初めて、少しずつ自分を慣らしていけばいいでしょう。
それによって、恐怖感はどんどん軽くなっていくでしょう。

たとえば、自動車というものがなかった時代の人から見れば、ビュンビュン道路を車が行き交うのを見たら恐怖でしかないでしょう。
しかし、現代の私たちはそれを怖がったりしません。

このように、自分がすでに知っている世界になってしまえば、恐怖はなりを潜めるわけです。

知らない人の所に近づいて「こんにちは」と声を掛けるとします。
知らない人に近づくと考えることで、恐怖が作られ始めます。
相手がどんな反応を示すかと考えると、巨大な壁が見え出します。
無視されたらどうしよう、「誰だよ、あんたなんか知らないよ」と言われたらと否定的な想像を広げていきます。
恐怖にとらわれると、結局何もなかったように引き返してくることになるのです。

恐怖を相手に戦おうとしてはなりません。
抵抗すれば、余計に恐怖が大きくなります。

恐怖とは直接相手にしないもの、そういうものだと割り切って相手にしないのが一番です。

そんなことをして失敗したら馬鹿だと言われそうに思ったら、今日は馬鹿になりましょう。

「見る前に飛べ」という言葉がありますが、考えずにただ一歩を踏み出すことです。
それ以外にありません。

大胆であれ。
大胆であれ。
どこにあっても、大胆であれ。



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恐怖心はどこから来るのか
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自分の内面にある基準を守ること

今回のテーマは、文章で表現するのはなかなか難しいのですが、でも原則を書くことで伝わることを祈って書いてみます。
読む人の現実の中で、その原則がどれにあたるのかを判断することは難しいと思いますが、文章の字面にこだわらずに自分の正直な感覚で捉えてもらいたいと思います。

その原則とは、タイトルにあるように、「自分の内面にある基準を守ること」です。

守るとは、他のもので妥協しないで維持し続けるという意味です。

自分の基準とは、自分の人生で何を望むかということです。

まずは、まわりの環境、まわりの人の意見に左右されないで、自分で確信を持てるような自分の望むことを見つけないといけません。

ガッツポーズ男の子


最初に障害になるのは、自分の確信に自信が持てない場合です。

あなたのまわりには、あなた以上に確信を持って考え方を主張する人がたくさんいます。

すこし自分が自信をなくしていると思うようなときには、あなたの確信はたいしたことではないように見えてきます。

そんなとき、「これこそが本当だよ」とあなたの確信などぶっ飛ばしてしまうような、確信に満ちた断言を、親切にも忠告してくれる人達がたくさん現れます。

ここで、あなたが自分を信じることから妥協して、他の考えに従うと、結果はあなたは常にあっちへフラフラ、こっちへフラフラと考えがぐらついてしまうことになります。

今読んでいるこの文章も同じことで、あなたの大事な確信を揺るがすようであれば、ここで読むのをやめた方がいいかもしれません。

なぜ自分の基準を守る必要があるのでしょうか。

それは、あなたの本当に望むものはあなたしか知らないからです。

そして、他の人の基準を代わりに取り込んでも、自分の本当の望みとのずれが、いつまでもあなたを悩まし続けることになるからです。

時には、というよりもほとんどの場合に、いま現在目の前にある選択の中には、あなたの本当の基準とそれなりに近いものがあるはずです。

だから、このあたりが落としどころかと考えて、どれかを選択します。

しかし、中には直近の利益を考えると、妥協してもいいのではと思えることでも、そのちょっとした妥協がその後ずっと続くとしたら、あなたはだんだんイライラしてきたり、欲求不満や挫折感を味わうことになります。

ですから、妥協が含まれることを選択する場合には、少し長いスパンで考えて、その妥協をこの後ずっと続けても我慢できると本当に思えるかを検討した方がいいでしょう。

ここまでは、自分が選択する対象が、静的に目の前に横たわっている場合の話です。
本当に自分が望むことだと確信できることを見つけ出しておきましょう。

次に、他の人があなたの確信に影響を与える場合の話に移ります。

相談1

あなたのまわりの人には、大きく分ければ3つのタイプが考えられます。

1.あなたの確信を後押ししてくれる人達。
2.横からあなたの確信を揺るがすような、魅力的なささやきをしてあなたを悩ませる人達。
3.あなたの確信に正面から反対を唱えてくる人達。

問題は、2と3の場合ですが、正面からの反対であろうが、あなたを迷わす意見であろうが、それによってあなたが自分の基準を変えてしまえば、結果はあなたを悩まし続けることになります。

しかしだからといって、異なる意見の人に対して対立することはやめた方がいいでしょう。

それは、心身ともに、あなたのエネルギーを浪費するだけです。

もちろん相手はあなたより強力な場合も多いでしょう。

しかし、強力で説得力があっても、妥協してあなたの考えを変えてはいけません。

あるいは、目先の利益を優先して、ここは我慢してしまおうと思うのも、前述の長期スパンで考えた上で決めるようにしましょう。

たしかにいますぐ目の前の現状は、それでいったん良くなるかも知れませんが、妥協したことはハッキリと間違いに気づかないままに、徐々にあなたを痛めつけていきます。

一見うまくいっているように見えるのに、何か疲れるとか、何かやる気がでない、元気がでないと思うときは、そのようなことが起きているのかも知れません。

この状態は早晩あなたに、もっとハッキリした抵抗をもたらします。
それは、心身の病気だったり、いまの仕事に失敗するようなことをしてしまうなど、さまざまな形を取って現れます。

政治家

ところで、あなたに対立するかに見える人達ですが、その人達のゲームには巻き込まれないようにしましょう。

誰かがあなたを押さえつけようとすると感じるときは、よく自分の内面を観察してみれば、その人の行動のなかにあなた自身の姿を見つけられるでしょう。

つまり、あなたの方にもそれに乗っかる要因があると言うことです。

それについては、ただ気づくだけにして相手のゲームに参加しないようにすればいいだけです。

ゲームに乗るとは、多くはあなたの方から相手と真っ向から立ち向かおうとすることです。

このような抵抗は、やればやるほど勢力を増してきます。
いつまで続けても、終わりのない、むなしい闘いになってしまいます。

そうではなく、あなたの本当の基準にのみ忠実であろうとして、常に方向転換を心がけましょう。

相手の意図はどのようなものであれ、あなたの本来の望みと食い違うのなら、あっさりと辞退しましょう。

それがゴタゴタを作り出さないためには、一番スムーズで、かつ唯一の解決です。

結論はこうです。

あなたの本当の基準にのみ忠実であろうとして、常に方向転換を心がけましょう。
妥協は、いずれやり直しをあなたに迫ってきます、それもあなた自身の内面から。


※おまけ

誰を疑おうと勝手だが、自分自身だけは疑うものではない。



われわれがだまされるのではない。われわれがじぶんじしんをだますのだ。

ゲーテ



不平不満家は、あなたと話したがるだけではない。
不平不満家は、あなたを仲間にしようとする。

だから、不平不満家からは、歩いて逃げるのではなく、
走って逃げることだ。

ゼリンスキー



だれかに困らせられたら、
にっこり笑うことだ。


ゼリンスキー



参考・引用

『今日が楽しくなる魔法の言葉』
アーニー・J・ゼリンスキー / ダイヤモンド社 / 2003-09-20




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他力本願2

新しい仕事に取り組むときには、うまくできるかどうかという不安や責任感から、ストレスを感じることになる。

あなたが仕事熱心なら、なおさらそう感じるかも知れない。
これはいくら経験を積んでも、多かれ少なかれ避けては通れないことのように思えてくる。

しかし、その苦しさの度合いが、あなたの責任感の度合いを表していると考えるのは、何か違うかも知れない。

たとえば、逆を考えるなら、あなたが楽に仕事できているときには、手を抜いていると思ってしまうことになる。


キャンバスに向かう1

仕事ができさえすれば、少しぐらい怠惰であってもいい。
たいした仕事もしない石頭よりはよっぽどいい。

つまり、働くのなら、
懸命にではなく、賢明にはたらけということだ。

ゼリンスキー



あなたのやり方次第で、出来事が変わってしまうかどうかはわからない。

あなたが自力でやったと思っていても、どこまで自分の力かどうかはわからない。

あまりプライドにこだわりすぎると、本来のあなたを見失ってしまう。
それは、自分の手柄を立てることよりも、大きなものを失う事になりかねない。

何もかも自分の思いどおりにしようと思っていると、
何も得られないだろう。
何がなくても、人生を楽しめるようになることだ。
そうすれば、すべてが得られる。

ゼリンスキー




そもそも、あなたが力んでも、それでよりうまく事が運ぶとは限らない。
気軽に飛び入りで参加したことが、かえってうまくいくというのもよく経験することだ。

あなたが力を抜いたもかかわらず、うまくいくことはよくあることだ。
同様に、あなたが力を入れたにもかかわらず、うまくいくこともよくあることだ。

何もしないときに、一番よい行為が起こります。
努力がないときに、一番よい仕事が起こります。
踊り手がいないとき、一番よい踊りが起こります。
演技者がいないとき、一番よい演技が起こります。

ラメッシ



鳩にえさ


自力でやるとは、あなたが道のまん中で、先頭に立ってやろうとすることである。
他力とは、ガイドに道案内をまかせて、導かれるままに楽しむことだ。

人生は、あなたがその道から外に出て、それが起こるようにするとき、最高です。

ラメッシ




参考・引用

『今日が楽しくなる魔法の言葉』
アーニー・J・ゼリンスキー / ダイヤモンド社 / 2003-09-20
『人生を心から楽しむ―罪悪感からの解放』
ラメッシ・S. バルセカール / マホロバアート / 2004-02




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他力本願

自己責任ということが強調される昨今では、「他力本願」などというと「ひとまかせ」のなまけ者の考えのように扱われて、肩身の狭い思いをすることになる。

「自己責任」という言葉の裏には、何でも自分の力でできるはずだという前提が隠れている。

何でも自力でやる人間が、価値があるのだと考えるようだが、そこに見え隠れする「傲慢さ」ということの危険には目を伏せている。

自己責任という脅しによって、「何でも自力でできます」と答えてしまうのは、若さと健康ゆえに自分は病気などにはかかりませんと、言い切るような危なさがある。

保険1


そういえば、最近のCMには、やたらと保険会社のものが増えているようだ。

保険に入るという、一見自力の行為をおこなうことで、他力願いの部分をお任せにしてしまうのであるが、これは自分で選択したのだからと言い訳するのだろうか。

他力を頼むことまで、自己責任でおこなおうというのだろうか。
自分で願うことが実現するとする考え方が昔からある。

信念の魔術」から「引き寄せの法則」にいたる考え方も、ある所からは「他力」にお任せしますと言っているのだと思う。

しかしこの手の思想には、なにか自力で準備したものだけが、その恩恵にあずかれるように聞こえてしまうのは、私の偏見なのだろうか。

自力でできる方法を研究するしかないのかも知れないが、本来「他力」をあてにしているのなら「他力」にもっと焦点を当てた方がいいような気がしてしまう。

自力で生きることが当たり前だと疑わないでいると、何が起ころうと自分で責任を持てると信じ込んでしまう。

しかし、誰に責任があるかと言う問題は、普段から裁判で争われて話題になるわけで、それほど自明なことではないはずである。

宗教1


自力本願をあまりにも信じ込んでしまうと、いざ自分ではどうしようもない出来事に遭遇すると、どうしていいのかわからなくなってしまう。

そんなことに至ると、安易に何かすがれるものに、飛びついて信じ込んでしまうことにもなりかねない。
自分で何でもやりたいといいはるのなら、そこまで用意しておいた方がいいだろう。

五木寛之さんは「他力」の中でこのように書かれている。

<自力>から<他力>への大きな転回がここに生まれます。
「わがはからいにあらず」
という言葉が、私の頭の奥にいつも響いて消えません。
「なるようにしかならない」
と思い、さらに、
「しかし、おのずと必ずなるべきようになるのだ」
と心の中でうなずきます。そうすると、不思議な安心感がどこからともなく訪れてくるのを感じる。さっきまで心臓が苦しいほど焦っていたのが、少しずつ落ちついてくることもある。ジタバタしながら、そのジタバタにとことん打ちのめされることがない。
「わがはからいにあらず」
と、親鸞の静かな肉声が聞こえてくるような感じがするのです。

「他力」 五木 寛之 講談社 / 1998-11




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こんにゃく問答

「こんにゃく問答」という落語がある。

ある古寺が、長年住職のなり手がなく、荒れるに任されていた。

成り行きで、蒟蒻屋の八五郎がにわか住職になるのだが、ある日永平寺の禅僧が訪ねてきて、このなまくら住職に一問答お願いしたいと頼んでくる。

「法界に魚あり、尾も無く頭もなく、中の鰭骨を保つ。大和尚、この義はいかに」

この問いかけで対決が始まるのだが、この後はすべて身振り手振りだけになってしまう。

最後は禅僧が「恐れ入ったッ!!」と逃げだすが、実は禅僧側と八五郎側の解釈はまったく食い違ったものであるところがこの落語の中心部分である。

禅僧:「なかなか我等の及ぶところではござらん。
『天地の間は』と申すと『大海のごとし』というお答え。

八五郎:「馬鹿にしゃあがって。俺が蒟蒻屋だてえことを知ってやがった。
指で、てめえんとこの蒟蒻はこれっぱかりだってやがるから、
こォんなに大きいと言ってやった。」

参考:蒟蒻問答(こんにゃくもんどう)  落語: 落語あらすじ事典 千字寄席  

坊主       坊主2



送り手と受け手の意図などまるで関係なく、ものごとが進行してしまう。

ものごとがすべて、意図したように進行しないと我慢できないという考えをやめて、これは「こんにゃく問答」にすぎないと解釈しておけば深刻に思い悩むこともなくなる。

それはこじつけだけでなく、実際にものごとの内容の何割かは、「こんにゃく問答」で成り立っているからである。

なぜなら、問答を構成する伝達手段は、現実の一部を切り取ったものにしか過ぎないし、送り手と受け手はそれぞれ自分の信じたいようにその意味を受け取っているからである。

100%送り手の意図が受け手に伝わるなど、あり得ない。

ネットの世界が、どんどん私たちの生活に入り込んできたが、ネットの情報を見てどのように受け取るかは、受け手の主観しだいである。

画像や動画も増えては来たが、まだまだ頼りにしているのは、文字による文章である。

ブログの記事を読んで、どのように読み手が受け取ったかは、書き手の側ではほとんどわからない。

とんでもない「こんにゃく問答」になっているかも知れない。

しかしそれで読み手が救われるのであれば、それでいいのかも知れない。

それも、タオ的でおもしろい世界だと思う。

しかしネットがもっとビジネス化していくと、無料で見られるものが、カタログでしかなくなるのだろうか。

「こんにゃく問答」ではビジネスにならないのだろうが、そこから先が知りたいと思ったら、支払い方法が登場するのでは、何ともつまらない世界になってしまう。

せめてカタログには「こんにゃく問答」の余地を残して欲しいものだ。


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あなたのやる気スタイル

あなたがやる気を出すきっかけになるのは、どんなことでしょう。

これが今回の主題ですが、それに入る前に少し考えておきたいことがあります。

まずやる気を出すといっても、大きくいって2つの場合があるように思います。

ひとつは、外側に基準があって、それに向けて自分を奮い立たせ、自己鍛錬によって自分を強制していくというやり方
です。
それは社会的な「成功」という目標のもとに、具体的な成果をあげるのに適した人間に、自分を作り替えて行こうというものです。

もう一つは、誰にでも成り立つような共通の理想を求めるのではなく、今の自分の個性や素質を見つけて、自分にとって無理のない、自分を生かすことや好きになれることを伸ばしていこうという考え方です。

しかし成功法則のようなものを探し求める人は、相変わらず多いようですが、そのような画一的な方法があるとしたら、もっと多くの人がいわゆる「成功者」になっていることでしょう。

その通りにできれば、素晴らしい成果を上げられると、理論的には言えても実際にその通りにできる人はいないでしょう。

それは、おそらくそのような成功法則が、結果として成功した人のやったっことを、あとづけで理論化したものだからではないでしょうか。

つまり理論化した時点では、だれもそれを実行できた人などいないわけです。

会社会議中

ところで、そのような理想を先に見るのとは対照的に、実際のありのままの自分を観察して、そこからスタートするという考え方もできるでしょう。

わたしたちは、人間以外の動物を見た場合には、動物に対して「お前のやり方はまちがっている」とか言って非難することはないでしょう。

動物に対しては、その行動を観察して習性を知り、犬とは、ネコとは、こういう行動をするものだと思ってそれをそのまま受け入れるはずです。

その見方は、実は人間に対してもできるはずなのです。

わたしは、こういう人間でないといけないという見方をやめて、まずは現状では自分がどういうことで動かされ、実際にどう感じたり行動を取っているのかを知ることからスタートすべきです。

社会の期待からは、少しくらい外れていたとしても、自分の個性や素質を生かせて満足出来る方向を探してみるというあり方もできるわけです。

前置きが長くなりましたが、あなたのやる気が刺激されるのは、どういう要因からであるかを見てみましょう。

これからあげる項目は、別にどれがいいとか悪いとかではありません。

また、人によって、これはやる気を刺激するいい方法だと思うかも知れないし、別の人はこのような動機付けは好ましくない、やめるべきだと考えるかも知れません。

また、最初はいいと思っても、やっていくうちにあまり魅力的な方法ではなかったと、考えが変わるかも知れません。

どちらにしても、まずは自分がどうのような動機で、刺激を受けやすいのか、やる気が出るのかを知ることは大切です。

現実をゆがめて、理想の方法で自分が動いていると思っていては、相変わらず無理をし続けることになります。

今現在ちっともやる気が出ないのであれば、とりあえず自分に火を付ける為に意識して使ってみるといいかもしれません。

それでやっていくうちに、何か違和感を感じたり、本物でないように思えてきたら別の方法を探してみることもできるわけです。

◆恥をかきたくない
努力しないと恥ずかしいことになるから、頑張ろうと思うことです。

◆自分との約束
自分で決めた目標を達成できないことが、我慢できないから頑張ろうと思うことです。

◆他人との競争
言うまでもありませんが、他の人よりもいい成績を上げたいから頑張ろうと思うことです。
これを否定する人でも、ゴール目前に他の人に追い抜かれそうになれば、何かを感じるでしょう。
また、競争を思い浮かべるだけで苦しくなって拒絶したくなる人もいるでしょう。

◆他人への報復
嫌っていた人、意地悪をされた人、屈辱を受けた人に対して見返してやりたいと思うことが動機になるという場合です。

メンタル

◆具体的な恐れ
がんばらないとクビになってしまうとか、今の地位を維持できなくなるという恐れ。
言ったとおりにしないとひどい目に遭わせてやるという脅しを受けている場合。
など恐れが負の動機付けになっている場合です。

◆罪悪感
自分がやらなかったことに罪悪感を強く感じてしまうために、それを避けようと頑張るという動機です。

◆アファメーション
「わたしは成功する」とか「わたしは素晴らしい」というような肯定的な宣言を唱えているとやる気が出るという人もいます。

◆スピリチュアリティー
内なる平和や宇宙のエネルギーとつながることで、日頃の悲観的な出来事も達観できると思う考え方です。

◆現実は自分で作り出す
すべては自分の責任であって、自分が作り出した結果なのだと信じることで元気がでるという考え方です。
悪い状況も自分で作り変えられると信じられることが勇気をもたらすのです。
一方ですべては自分のせいであるといって、自分を責めることにつながる可能性があります。

◆挑戦する
他人との競争というよりも、自分自身へのチャレンジが強い動機になる人もいます。

◆ポジティブ・シンキング
思わしくない出来事でも、ポジティブな見方に変えれば意欲が湧いてくると考えるやり方です。
悲観的な状況においては効果的かも知れません。
ただ何でもかんでもそう思うことは、無理があるかも知れません。

◆ほめられたい
誰かにほめてもらいたいという思いが強い動機になる場合もあります。

◆ご褒美の約束
これだけやり遂げたら、おいしいものを食べるとか、好きなことを自分に許すなどの「アメ」を約束する動機付けです。

   父親と娘2   父親と娘1

◆仲間と一緒にやり遂げる
同じ目的を持つ仲間と一緒に何かを目指すことで、自分の役割を果たしたいという思いが動機になる場合です。

コミュニケーション


これらはどちらかと言えば対症療法的な方法が多いですが、とりあえずやる気が出ない自分に火を付ける為に意識して使ってみるといいかもしれません。

また、いままでから自分がそのような動機で動いていたことを、意識できていなかったとしたら、それを確認してみることは自分の理解を助けるでしょう。

もしかすると、今使っているその動機は、本当は好きでなかったために、やる気をなくしていたのかも知れません。

やっていくうちに、何か違和感を感じたり、本物でないように思えてきたら別の方法を探してみることです。

そして目的志向ではなく、本来の自分が求めていることを見分けることの方が、大事かもしれないという考えも検討してみてはどうでしょう。


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「それじゃ一体何がしたいの?」という罠
気分というやっかいなもの


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自分を信じていいの?

自分を信じることは、あるがままを受け入れることにほかならない。

しかしわたしたちは、いつもやらなければならないことをかかえている。

それをやり遂げないと、自分を認めて好きになることができないという場面に出くわす。

やりたいと思っている仕事のこととか、健康、家族のこと、新しい住居、周りとの人間関係、満足させたい課題がいっぱいあってどれも達成したいと思うが、すべてがスムーズには運んでくれないから、自己嫌悪に陥る。

実現できても、まだもっとできるはずだと考えると満足出来ない。

次々と新しい欲求が登場してくる。

将来の夢1


当然あるがままとはいっても、そのままでいるわけにはいかない。

変化していかないのは、不自然なことであり、ありのままでもいられない。

「目標に到達できなかったから、自分が残念だ、情けない」と考えるのではなく、「やりたいことをやっているから、今のままでいい」と考えてその後の展開を信じることが必要になる。

ここで自分を疑って、「やっぱりこれではダメなんだ」と考えると、外にある基準に依存していまの自分を否定してしまうことにつながる。

「これがいまの私のありのままである」から出発して「このままの自分を変化させていこう」と考えれば、ありのままでいることを維持できる。

ここを間違えると、いつもフラフラと外にある他人の基準や信念を探し求めることになってしまう。

外の基準とは「すべき」という言葉に代表されるが、これを「やる」とか「できる」に切り替えて考えることだ。

つまり「すべき」ではなくて、自分が「やろうと思う」に切り替えることである。

いまの段階での自分を、そのまま表現していくことをためらわないことである。

そのためには、いまの自分が完璧であるなどと考えようとしていては、何もできない。

そんなできもしないことを求めるのではなく、いま不完全だけれども、足りない部分は変化していくから現状で我慢して欲しいと言う姿勢で、いまの自分を表現し続けていくことだ。

「ええかげんやけど辛抱してや」

結果の非難


いまの自分をそのまま表現できないのは、他人からの批判を恐れるためかも知れない。

批判を気にして、当たり障りのないことだけを表現していては、満足出来ないままである。

批判は受けるに値すると考えられるものだけを、相手にすることだ。

実は、批判を恐れている人の多くが、他人の批判をしたがる傾向にある。

批判を恐れて自分を表現できないから、他の人の意見を批評することで、自分も同じ土俵に立っているのだとごまかそうとするからだ。

同じレベルで自分も意見できることを見せようとしているわけだが、自分で新しく言明をすることと、他人の批評をすることは根本的に別のことである。

批判マニアは、「それじゃあ、あなたはどう考えるのか」と聞かれると答えられない。

そのような批判は、無視するに限る。

泣いている女の子


批判に乗ってしまうと、せっかくの自分の表現は色あせたものになり、自分まで批評家仲間に引きずり込まれてしまうことになる。

「誰を疑おうと勝手だが、自分自身だけは疑うものではない」

ありのままの自分を表現することは、他の人の反応を確かめることではなく、自分自身がどう感じるかの方が重要である。

それは、やってみるまでわからなかった発見がある。

やってみて、やはり自分でも正しくないと感じたらやめればいことである。

やっぱりやって良かったと感じられたら、それは何よりの自信につながる。
考えているだけでは、これは確かめられないことである。


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批判を恐れる心理
自信がつけばやるのだが




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なぜそうではいけないの?

人は見たままのことから『なぜ?』と問うが、
私は今までに見られなかった見方をして、
なぜそうではいけないの?』と問う。

バーナード・ショー


現状を改革することばかりに目がいきがちですが、現状を見直すことも見捨てたものではない。

なぜそうではいけないの?』というように、いまのままの現状を改めて認め直すような発想をしてみると、想像以上に有益なことが見つかるものです。

それに現状を肯定するのだから、新しいやり方に変更しなくていい分すぐに実行できるし、効率的であるというメリットがあるのです。

リラックス2


京都の地下鉄には、垂直に走る2系統の路線があるが、クロスする御池駅では終電とその前の電車に限って、ゆっくり乗り換えできるように滞在時間を延ばしているそうである。

似たようなことは、他でもやられているのかも知れないが、それを前面に打ち出して付けた名称が「シンデレラ・クロス」というのだそうです。

しゃれた名称、しゃれたアイデア、ほぼ今のままでも考え直すことだけで違って見えてくるものです。

それに、今までの自分のやり方が間違っていなかったことがわかって、自信を取り戻すことができるかもしれない。

「絶対にやれるはずだと自信を持って事に取り組まなければなりません。」
⇒「自信を持てといわれても持てません」

先に「自信を持て」というように気分を強要しても無理があります。

「自信がなくても参加はできる!」くらいの気持ちでやってみよう。

自信は後からついてくるものです。

「人のために役にたたないと存在価値がない」
⇒「役に立つようなことばかりはできません」

役に立とうとすることは否定しませんが、「役に立つ」かどうかは他の人から見て決まる部分も大きいわけです。

あなたが知らないだけの、あなたの存在価値を感じている人はいっぱいいるばずです。

どちらにしても、自分にできるのは、できることを精一杯やるしかないわけです。

「やらないでいたら、どんな困ったことになるかわかる?」
⇒「わかってるけどやりたくないんだよ!」

マイナスイメージで動機づけされるのは、誰でもいやなものでしょう。

あまり脅しをかけられたら、どうしていいかわからなくなって動けなくなります。

思い切ってやる気になるまで何もやらないことにする。
いやならその仕事を断る選択まで考えてみると、不思議とやれる気になるものです。

脅されもせず、最悪断ってもいいとわかれば、その仕事に対する純粋な好き嫌いがわかってくるものです。
本当にその仕事そのものが、いやなのかどうかが見えてきます。

「現実離れしたことを考えるものではない」
⇒「たまには空想の世界で遊んでみたい」

現実離れした考えからは、現実的な成果は生み出せない。
しかし現実離れした空想からは、勇気が出てくるかも知れない。

フレデリック・ブラウンの小説にこんなセリフが出てくる。

地球上の物質の原子核をすべて集めても、このサッカーボール1個分の大きさにしかならないんだ。
こんなものに負けるな、蹴飛ばしてしまえ!


休み時間


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自分の中の天使と悪魔
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ひたすら待つこと

今回の話は具体性に乏しく、概念的なものになるかも知れないですが、少し辛抱して読んでみて下さい。

いまパソコンなどでこの文章を読まれている方が多いかと思いますが、パソコンを使っていると、たとえばIDなどの入力待ちの画面に出くわすことが多いかと思います。

この状態の画面というのは、何もしないで止まっている様に見えますが、実はひたすら入力を待つという処理が動作しているのです。

ユーザー(あなた)がIDをキーボードで入力するか、あるいはOKボタンを押すのを待ち続けています。

ノートパソコン女性



この動作は、実は大きく言えば2つの処理から成り立っています。

1つは、入力があったかどうかを判定して、入力されたらその次の動作に飛ぶという「条件分岐」をおこなうという処理です。

2つ目は、ぐるぐる同じ所を回って、常にスタートに戻ってくるという「無限ループ」の処理です。

「条件分岐」というのは、条件がYESかNOかで、右に進むか左に進むかを決めるだけの処理です。

「無限ループ」はこれ自体何もしないで、ただし先に進まないで同じ所に戻ってくることを繰り返しているのです。

さきほどのキー入力待ちの状態というのは、実はこの「無限ループ」の中にキー入力の判定という「条件分岐」を追加したものなのです。

なぜぐるぐる回っている必要があるかと言えば、それがないとプログラムは、たまたまのその時の状態を見て次の命令に進んでしまうのです。

これでは、ユーザーがキーを入力するのを待つことができません。

ここでの処理は、ただひたすらキー入力を待っていて、キーが押されたら条件を判定して次の動作がどこに行くかを決めないと行けないわけです。

一見何もしていないように見えても、「無限ループ」というぐるぐる回って待っているという処理が必要なわけです。

ただ、目的を目指して進もうというやり方は、「条件分岐」だけを携えて一直線に進もうとするのに例えられるかも知れません。

その時の状態次第で右に行くか左に行くかを決定して、ひたすら先に進もうとします。

しかし、ここで「無限ループ」という待ちの処理と一緒に使ってやることで、無駄なく条件が変化するタイミングをとらえることができるわけです。

スタートを待つランナー



一方で、「無限ループ」という待ち状態も、条件分岐がないとただ同じ所をぐるぐる回っているだけになってしまいます。

よくパソコンはハングします。ウィンドウズでいえば、95の時ほどでないにしても相変わらず動かなくなることがあります。

このようなハングする原因のひとつは、実はこの無限ループによる暴走なのです。

つまり、何らかの原因で「無限ループ」から脱出する「条件分岐」が働かなくなってしまう状態が起きてしまったのです。

ぐるぐる回っているだけなら問題ないんじゃないの、と思われるかも知れませんが、条件分岐が起きないといっさい他の処理に移れなくなってしまうのです。

先程の例でいえば、何回OKボタンを押しても、まだダメまだダメを繰り返していて画面が変わらない状態になってしまうのです。

このように、脱出方法を失った「無限ループ」はシステム全体を止めてしまう危険な面を持っています。

これは決断を下せないで、同じ状態をズルズル引きずっている状態に例えられるでしょう。

「条件分岐」が働かないのは、なぜなのでしょうか。
それは一度も起こりえない条件を作り出してしまうからです。

現実のどのような変化に対しても、判定が下せないのは、判定の仕方が抽象的で複雑になりすぎているせいかもしれません。

その場合は、一度原点に戻って、自分のやりたいことを具体的な行動レベルまで落とし込むことが必要です。

言葉にとらわれているために、同じ所をぐるぐる回り続けてしまうのです。
一度、抽象的な言葉を捨てて、具体的な動きを表す言葉に置き換えて考えてみましょう。
「正しい」とか「べきだ」をすてて「?したい」で考えてみましょう。

抜け出せない待ち状態は困りますが、ガムシャラに一直線に進むだけでは機会をとらえる事が出来ません。

「無限ループ」自体は何の働きもできませんが、何もしないようでいて常にチャンスが来るのを待つという働きを生み出すことにも使えるのです。

実体は見えないけれど、必要な働きはしているのですというと、タオを思いうかべますが、
老子は、無限ループの中にいて、条件分岐は自然(タオ)に任せるのがいいと言っているのかも知れません。


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自信がつけばやるのだが

気分というものはなかなか、理屈だけではコントロールできないもののようです。

何かに取り組むとき「自信がつけばやるのだが」と思うこともあるでしょう。

しかし、自信がでてきたらやってみようと考えていると、実際にはうまくいかないことも多いでしょう。

それは、「自信」という気分的なものを先に獲得しようとしているからです。

用意周到な人というか、何でも先に準備してからものごとに取り組むという人もいるかと思います。

サッカー女の子



しかし、それが具体的な物であれば先に準備できるかも知れませんが、「自信」というような気分的なものは、先に準備するというわけにはいかないこともあります。

「自信」というのは、そのことに実際に取り組むことで、経験が積み重ねられて、できてくるものです。

やってみないうちに、先に自信だけ身に付けるというのは順序としては無理があるでしょう。

「自信がつけばやるのだが」という考えは、先に自信という気分的なものを獲得するという無理なことをやろうとしていることです。

無理やり「自信がついた」と言い聞かせただけでは、実際には何も変わっていないということになるのです。

それに、「自信がつけばやるのだが」という発想は、先延ばしをしてしまう理由付けにもなってしまいます。

明日こそ自信がでてくるだろうから、そしたらやってみようというのは、裏付けになる経験を積むことを、並行して行っている場合にこそいえることです。

自信がないままに、それでも目の前のことに取り組んでいくことで、その経験が自信を生み出していくのです。

練習を積んできた人に「自信を持ってやれば大丈夫」と励ますのは有効でしょう。

ですが、練習過程で先に「自信を持て」というように求めてしまうと空回りになってしまうかも知れません。

ましてや、自分には「自信が持てないのだ」と自分を責めるのは、できないことで自分をいじめていることになります。

授業1



ところで、子どもにとって学校というのは、時にはいやなことを無理矢理やらされる所でもあります。

しかし自信を付けるためには、理由はわからなくても強制的にやってみないとわからないこともあるものです。

ふりかえってみれば、それがあったから新しい自信を身に付けることもできたわけです。

その時は、いやいやながらもやらされた経験は、後になってみればありがたく感じられるものです。

綱引き



その意味では、自信がないから学校を休むというのは、順序として間違っているわけです。

先に「自信」のような気分的なものを追い求めるのではなく、実際に行動としてできることを先行させていくことが必要です。

少し話は変わりますが、先にゴールを決める考え方では、やれば自信がついてくると仮定していることになります。

しかし、やってみると他の面での興味や関心がでてきたり、自信を感じる方面が変わってきたりするかも知れません。

なんでも目標を先に立てるのではなく、時には「でたとこまかせ」や「泥縄式」でやってみることも案外必要なのかも知れませんね。


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気分というやっかいなもの

神経症の症状というのは、ストレスを思うように処理できないというサインです。

※最近は神経症という言葉を使わずに、不安障害、パニック障害といった呼び方をします。

それがサインであるということは、根本にある原因を何とかしたいという、心や身体の訴えであるということを意味します。

ですから、症状だけをなんとかしようとしても、症状はなくならないわけです。

気分というものの扱いもこれと似たところがあります。

また、気分を適切に処理しないことが、神経症を生み出す原因となる場合もあるわけですが。

気分というのも心や身体からの訴えのひとつです。

女の子思案


そんなものは気のせいだといって、理屈で処理しようとしては根本的な解消には至らないということです。

気分は、そのような状態になることで、無視されることに抵抗しているともいえます。

やっかいなものという言い方は理性から見た一方的な言い方であり、気分というのはやっかいでも、付き合ってあげないといけないもの、そう考えるのがいいような気がします。

計画を立てて作業を開始したものの、なにかやる気が起きないとか、作業をできなくするような邪魔が入ることが多いとしたら、それは偶然ではなく計画を拒絶している心の抵抗かも知れません。

そう考えると、計画を見直して、一見妥当に見えることでも計画から外す事が必要なことが見つかるかも知れません。

無視して計画を断行していると、いろんな抵抗が心身に生じてきて結局計画を中断することに追い込まれるかも知れません。

気分は微妙な心理状態なので、つい無視したくなるものですが、そうしないで辛抱して付き合ってやることで早く解決できる可能性があります。

なにか今日は気分がさえないと思ったら、何か原因になることを探してみる。

自分ではたいしたことがないと思っていたり、社会的な体面から重要視するのを躊躇していることが原因かも知れません。

気が晴れない


たとえば、会社で上司から怒鳴られて落ち込んでいるのかも知れないのに、それぐらい慣れているはずだとなかったようにしていないでしょうか。

理不尽な扱いを受けたら、それに対する怨みを何とかしたいと思っているかも知れません。

そんなことは良くないことだとか、人を恨んでもろくな事はないというのは、その通りですが、トータルに見ればそうであっても、いま存在する気分はその理屈では解決していないのです。

まずは気分を解消することで、元に戻れるようにすることです。

気に入らない上司を想像の中で逆さ吊りにして、痛めつけてやる必要があるかも知れません。

気分を治めるには時間がかかることもありますから、あきらめてそれに付き合うくらいの覚悟を決めた方がいいのです。

会社では、いろいろストレスの原因があります。

たとえば、憂鬱な会議というもの。

偉い人が上座に鎮座しているような会議です。

会社会議中

組織における役職とか上下関係というものは、人工的なものです。

あまりそれに従わねばと思い込むことは、そのようなものを取り除いた本来のあなたを見失ってしまいます。

上下関係など無視して、心の中では対等な人間として付き合うことを考えてみましょう。

対等の人間として見られたとき、初めてあなた本来の能力が発揮出来ます。
会社にとっても、その方が望ましいはずです。

相手に気後れしていると感じるときは、相手の見方を変えてみましょう。

こんな方法を何かで読んだことがあります。

相手の「へそ」のかたちを想像してみるのです。

正面にいる部長や次長のへそはどんな形だろう、でべそだろうか、変な形をしていないだろうかとか、子どもがいたずら心を起こすような感じで想像してみます。

そうすると、すぐに相手もただの人間、おっちゃん、おばちゃんに見えてきます。

気後れしているようでは、あなたの能力が充分発揮出来ませんから、偉いと思う人間から順に標的にしてかたづけていきましょう。

ザコキャラをいっぱい片付けて経験値を積んでからボスキャラを倒そうと思っていては、事態は変えられないままでしょう。

最初にボスから片付ければ、ザコは一気に片付いたようなものです。

あなたが、会社にしがみついてクビになるのを恐れるあまり、身動きできなくなっているとしたら、あなたが仮に会社を辞めてしまったとしたら、相手はどのように見えるかを想像してみましょう。

会社の上下関係がなかったら、こんなやつの言うことなど誰が聞くかと思っているのが、見えてくるかも知れません。

別に会社を辞めてもいいと捨て鉢になる必要はありませんが、たかが会社の上下関係で自分の心身が悲鳴を上げるところまで自分を追い込むことはないということです。

奴隷である関係など、とてもまともな人間関係ではありません。

会社に限らず、人間関係は対等な関係である方が健全な関係であるはずです。

何かを頼むためとか、負い目のある関係は、必要がなくなったらすぐに解消して対等な関係に戻しましょう。

感情1

気分の話に戻すと、気分が左右される原因というのは、実に些細なことであるというのが予想以上に多いものです。

こうあるべきだと思うことを捨てて、素直に自分が怖がっているものを認めてもいいと思えば、何が自分の気分を左右したのかが見えてきます。

深刻に悩んでいるようでも、実際の原因はチョットした人間関係のいざこざとかお金の問題とかであって、そんなに高尚な問題で悩んでいるものではないのです。

気分がいつまでもスッキリしないことも、原因がわかってしまえば、こんなことだったのかと思うようなことがほとんどです。

それに気がつくには、社会的な望ましさというフィルターを外して、どんなくだらない原因でも言ってごらんという姿勢で取り組む事ですね。

まずは、自分の気分に対して、やっかいもの扱いしないで、味方になってあげようという気になってみることです。

気分というのは、理屈で考えるようなスパッとした解決はできないものですが、少し待たされると覚悟を決めてしまえば、結局は理屈でねじ伏せてこじらせるよりも早く解決することになります。

それも、根本原因が取り除けるのですから、ストレスを思うように処理できないというサインに対して正面からの答えとなりうるのです。


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般若心経

「般若心経」というお経、宗派にもよるだろうが、このお経をご存じの方は多いのではないだろうか。

もっとも最近はいくつも般若心経に関する本が出版されたりして、そちらから入られる方もいらっしゃるかも知れない。

私も子どもの頃に強制的にこのお経を覚えさせられた。

何故覚えさせられるのかはわからないが、なにか音的におもしろさを感じて覚えた記憶がある。

その頃は空でも覚えていたが、今は曖昧になっている。

しかし、お経などというものは、意味を知ろうとかするものではないと思っていたが、今思うとすごいお経だったのだとわかった。

仏陀イメージ



最近特に感心したのは、「無明」そのものがすなわち「さとり」であるという部分。

「無明」とは知られざる力のことで、別の言葉でいえば「渇愛」宇宙的な欲望の力。

つまり欲望のおおもとと「さとり」の世界は全く同じひとつものであるということ。

『無無明(むーむーみょう) 亦無無明尽(やくむーむーみょうじん)』

無明もなく、また無明の尽きることもなく

だからこの世界というのは、はじめから無明などない、すべてはさとりなのだともいえるのですし、
逆に無明の世界がさとりの実体として永遠にありつづけるともいえる、そういう世界なのです。

『乃至無老死(ないしーむーろうしー) 亦無老死尽(やくむーろうしーじん)』

ないし老死なく、また老死の尽きることもなし

そうしてみれば、無明からはじまり老死に至るわたしたちの苦しみの現実こそが
そのままさとりなのですし、
逆にいえば さとったといって無明から老死に至る人間の苦しみの現実が
なくなるわけでもないのです。



つまり、般若心経によれば、欲望にもとずく人間の苦しみの世界は、すべてそのまま肯定される。
何も変える必要はない、なにも改める必要はないということである。

苦しいと感じているときも、そのまま真実のさとりを生きているのだから、改めて苦しいからと何かをしようとしないこと。

自分で何かをやろうとする必要はないし、後始末も必要ない。
心配しなくても、後始末は必要ならば起こるように起こるものだということ。

蛇足ながら、これはもちろん、「放っておくと、人間というのは、あれこれ考えたり何かを自分でやろうとするから言っているんだよ。」というのが前提にある。

もし放っておくと何もしなくなるものなら、また別の教典ができあがっていただろう。

それは絶滅危惧種を保護しようとするようなものかも知れない。
さいわいというか、人間はそれとは逆の生き方をしているようだ。

「参考文献」
般若心経絵本  諸橋 精光 小学館 / 2005-09




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あなたの最高傑作は?

ダ・ビンチは、あなたの最高傑作は?と尋ねられて、
レオナルド・ダ・ビンチと答えたらしい。

あなたの最高傑作も、そのままのあなたであるはずだ。

キャンバスに向かう1


そう見えないのは、理想のあなたに目がくらんで、今のあなたをないがしろにしているから。

もっと今のあなたが持っているものを、見直してみよう。

そもそも実際に持っているものは、いまのあなた以上でも以下でもないのだから。

しかし、「あなたはすばらしい、だからわたしを信じなさい」と言う声には注意したい。

私があなたを助けてあげますといわれても、頼らないで自分のことは自分で助けることにしよう。

それがどのような動機からのものであっても、ほかの人に依存することは、いつかあなたのトラブルのもとになりかねない。

いまのあなたが、最高傑作に見えないとしたら、見方が間違っているのかも知れない。

詩人には見えるのだろうか。

リルケは言っている。

読書の秋


あなたの現実がすばらしく見えないと嘆いてはいけない。
嘆くべきはそれが見えない自分自身についてだ。
あなたは、そのすばらしさが見えるほどの詩人になれていないことを反省すべきだ。


後悔ばかりしていると嘆いている人は、反省が好きなだけかも知れない。

誰がやろうと、何かやれば必ず少しばかりの後悔を含んでいるものだ。
放っておけば2,3日もあれば忘れてしまう。

思い出している暇があれば、ほかのやりたいことをやった方がいい。
そもそも反芻しなければ問題ですらなくなる。

反省という名の嘆きは、単なる逃避でしかない。
反省という言葉に脅されて自分を嫌いになっては元も子もない。

反省の多くはあなたを縛り付ける罠である。

反省しなかったら何がおこるかを考えてみる。
どれも貴重な時間を費やすほどの被害はもたらさないことが見えてくるだろう。

反省とは何をすることかと考えてみよう。
具体的な行動が見えてこないのなら、考えるのはやめた方がいい。
絵に描いた餅は食べられない。

ばくぜんと反省しなさいと親から言われた子どもは何をするだろうか。
理由のわからない罪悪感と、反省していますという表情を作ることを練習することになるだろう。
現実と結びつかないいやな気分は、大人になっても原因のわからない不安感を呼び起こすかもしれない。

知足者富 老子

最高傑作であるあなたがいま持っているものを点検してみよう。


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老荘思想のコラム連載(3)

『COCORiLA (ココリラ) ?癒しのポータルサイト?』様にて老荘思想のコラムを連載中です。

この間ドラマを見ていたら、画面の片方で若い女性がお客さんにお茶とお茶菓子を用意しています。

形式に則ってお茶を出す画面、その若い女性から出た言葉は、「おじいちゃんたら、今時そんなこといってちゃ笑われるよー」。

形式美と現代の軽い会話があわさっても、不自然さを感じないのを見て、日本の文化もすごいなと感じました。

茶道1

伝統と今を反映した会話、どちらも受け入れる懐の深さが欲しいものだと思います。

右と左の両側を経験することで、その中ほどが、どの辺かわかるものかも知れません。

片方にしがみつくのは、バランスを無視した生き方です。
どうしても、無理をすることになります。


「現代社会と老荘思想(3)」 2010/04/10

対立するのは、片方を作り出すことから生じるのです。善というものを考え出すから、対立する悪が生まれてくるのです。老荘思想では、このような二元対立を超えた位置から物事を見ようと考えます。そしてこの対立というのは、実はわたしたちの思考による世界にだけ存在するのです。
あなたが悪人を憎むのは、善人を作り出すからです。あなたが正しくあろうとするときに、間違ったことをしている人を発見するのです。
わたしたちは、他人のことについては、良いとか悪いとかすぐに判断してしまいます。
しかし、他人のことが、良いとか悪いとか見えるとき自分自身にも同じ要素がすでにあるものです。
他人の善さがよく見えるときというのは、そのひとの中にも、いいものがすでに備わっているのです。
逆に、他人の行為を咎めているときには、自分の側にもその咎めていることをやりたいという欲求を持っているものです。
あなたの中で対立が生まれるとき、あなたのまわりの世界にも対立が生まれてくるのです。



対立


『COCORiLA (ココリラ) ?癒しのポータルサイト?』様は、このようなサイトです。

  COCORiLA.jpg

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心配性

「師よ、私は心配です。どうしたらいいでしょう。」

「では、その心配とやらを、ここに持ってきて見せてみなさい。」

仏陀イメージ


結果がわかるまでは、誰でも不安を感じるものですが、その不安がどんどん巨大になって他の事が手につかなくなる人もいます。

いわゆる心配性といわれる人ですが、そうでない人にとっては、笑って済ませられることが重大な問題になってしまうのです。

心配というのは、いいにせよ悪いにせよ結果が出てしまえば、本来は消え去るものでしょう。

しかし心配性の人は、ひとつ片づいた瞬間に次の心配事を作り出す。
心配がなくなるのが、これまた心配のタネになってしまうかのようです。

実際、心配することに依存症になってしまえば、それがないと落ち着かないのです。

他の人から見れば、最初は「そんなに心配しなくても」と優しい言葉をかけるでしょうが、いつもいつもそれが続くと、うんざりしていい加減にしてくれといって離れていくことになってしまいます。

しかし、なぜ心配性の人というのは、誰でもが抱くような心配がいつまでも消えないのでしょうか。

本来は、いくら心配していても、何らかの結果が出てしまえば、それは消滅してしまうはずなのです。

それが慢性的につづくのは、一種の依存症であり、心配することがその人のバランスを保つために何らかの役割を果たしているから、手放せなくなっているのでしょう。

心配すること自体は、その人にとっても苦痛ですが、それを我慢してでも何かから逃れたいと思うのでしょう。

心配性になるかどうかは、家族の心配する習慣をまねることを覚えて、引き継いできたというのが大きな要因であると考えられます。

ためいき3


「心配さえしていれば、悪いことは起こらないだよ」
「いつもうまくいくとはかぎらないよ」
「親になってみれば、心配することがどういう事かわかるだろう」
「うまくいきすぎるときは、心配しておかないとしっぺ返しが来るよ」
「どんなにお前のことを心配しているか、わかってるのかい」
「心配しないなんて、思いやりに欠けているんだ」

このような言葉は、「おまえも心配しなさい。そうすれば私が守ってあげよう」という依存関係を作り出します。

子どもにとっては親とのいい関係を維持するためには、自分も心配することを身に付けることが必要になってしまうのです。

大人になってからも、あなたが引き続き無力な存在であって欲しい、そう望む人は親に限らず、何人も登場してくることになります。

しかしそれらの人がどう考え、感じるかは、その人達の問題です。

あなたは、「そのようなひとがいるから、自分はそれに答えなければならないのだ」といって現状を維持することを断ち切らないと、心配性は解決しません。

ほかの人が何をしようが、あなたは心配に自分を巻き込むのを拒否することはできるわけです。

それほど大きな影響はないから、心配性でもいいんだ思うかも知れません。

しかし心配は、どっちに転ぶかわからないことには、参加しないあなたを作り出します。
それでは、冒険や楽しめることがなくなってしまう。

飛び跳ねる女の子160x240

どこかで聞いたことがあるいいまわしですが、

死ぬ前にもっと心配しておけば良かったと嘆く人はいない。
もっと冒険しておけば良かったと嘆くのだ。


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ないものねだり

「ないものねだり」は、一般的にやめておいた方がいいかも知れない。

一般的といっても意味がわかりにくいけれど、割合として多くの人が当てはまるのではないかという意味である。

多くの人がといったのだから、そうではない人達もある割合では存在するのだろう。

それで一般に分類される人達の場合だが、なぜやめておいた方がいいのか。

ないものねだりとは、自分がそれほど無理しなくても発揮出来る能力を使っただけでは、手に入らないものを求めるということだ。

つまり逆に言えば、無理しなくてもできることを、もっと積極的にやろうとエネルギーを使った方が、挫折することもないし、効率もいいはずだと言えるのだ。

こんな当たり前のことを、改めて書いているのは、実際にはやめた方がいいのにと思えるのに、無理をしようとしている人が結構いるように思えるからである。

夢見る女性2


もちろん自分の意志であえてやっているのなら、別に人がとやかく言う筋合いではないことである。

しかし、どうもまわりがそういう風潮でそそのかすから、そのための努力をしないことに罪悪感を抱いて、無理してやっているように見受けられる人がいるように思えるのである。

ところで、ないものねだりというのは、なぜやってしまうのだろうか。

これは、あまり簡単には結論できない事かも知れないが、大きく2つほどパターンを考えてみる。

まず、「下手の横好き」という言葉があるが、あまりうまくできない事なんだけど、なぜか自分ではそれが好きでやってみたいと思ってしまうという場合。

実は、これは、例外派の方に近いケースかも知れない。

というのは、好きだと感じるからには、なにかまだ開花していない才能がそこに眠っているのかも知れないからである。

単なる一時的なあこがれではないとすれば、無理してでも挑戦すべきなのかも知れない。

次は、努力してでも、いま自分が持っていない力を開発することが、人として「正しい」あり方であると考える場合である。

この発想は、一番問題がありそうに思える。

この考え方は、適性があるかどうかなど考えずに、理想とかそうあるべき姿勢をもとにして、無理矢理ごり押ししているように思えてくる。

そして何故それが必要な能力なのかを改めて問い直してみれば、「世間がそう考えているから」に近い理由から目標を設定していることが見えてくる。

このような場合、本人は自覚している以上にストレスを抱えることになる。

あまり適性がなさそうなことにたいしても、それを目指すことが望ましいという理由から動かされていれば、無用なストレスを感じてしまうことになるだろう。

それは、自分にとって無理しないとできない(あるいは無理をしてもできない)ことだからというのが1つ。

もうひとつは、その結果、自分の適性を持つことに取り組む時間や労力を、奪ってしまうからである。

たとえば、あなたが本心では、人とのつきあいなど面倒で、無駄なことだと考える人であるとする。
そうであれば、まわりに合わせて人づきあいしないと、取り残されて人間として失格であるかのようにいわれる脅迫にはのらないことである。

泣いている女の子


自分の苦手な事を無理する必要などないし、うわべで取りつくろっても、それが好きでやっている人にはかないっこないのだ。

あなたは、無理しなくてもあなたらしさを受け入れてくれる人とつき合えばいいわけである。

そうしないと取り残されるという恐れは、あなたが作り出しているだけである。

しかし、何かをすればすぐに望みが叶うというものではないわけで、そもそもそういう発想をすることが間違いのもとである。

叶うか、叶わないかは、自分の関知する所ではないと考えて、悲観も楽観もしないのが本来のあり方ではないのだろうか。

わかりっこないことを、どうにかしようと思いわずらうから不幸になる。

いまの楽しみを未来の為に犠牲にしておきながら、今の不幸を嘆いても仕方がない。


ガッツポーズ男の子


また自分で楽しめないようなことは、他の人だって分けて欲しくないと思っているだろう。
人がうんざりさせられるようなことは、自分の方で作り出さないのが一番である。

ストレスを感じる状況に置かれると、自分の支配的な自我状態が真っ先に現れやすい。
それが「ないものねだり」の原因になっているようなら、それと反対にある押さえつけられた自分を解放してみるのがいいかもしれない。

多くの場合、子どもの視点から笑い飛ばしてみると有効な場合が多い。
それらは、客観的に見れば滑稽な要素を含んだ思い込みであることが多いため、そういった面を明らかにすることで馬鹿さ加減が見えてくるだろう。


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失望とは解放

期待通りに物事が運ばなかったとき、私たちは失望します。

他の感情と同様に、それを充分味わうことを途中でやめてしまうと、失意のタネをひとつ蓄積してしまうだけになってしまいます

慢性的な期待の欠如は、人生そのものに失望してしまうかも知れません。

失望も理屈で処理してしまわないで、そこに隠れていた自分の欲求と、それを受け入れない現実があることを認めれば、かなわない自分の欲求を手放そうという選択も考えられるようになります。

それは無理にその欲求を持ち続けていたのでは得られない解放をもたらします。

むなしさも、変えられないこととして受け入れるなら、別のものに置き換える選択が生まれてきます。

耐えられないものとして断固拒否すれば、破壊的な結果になりかねません。

細かい内容は忘れましたが、フレデリック・ブラウンの小説に、こんな話がありました。

∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝
印刷機が自我を持ち始めて、処理した原稿の内容を自分のものにしていくようになります。

さまざまな思想、哲学を身に付けて、だんだん手がつけられなくなり、人間にとって脅威の存在になっていきます。

本  仏陀イメージ


なんとか、阻止しようとして、一冊の本を印刷機に読ませます。

次の日、静かになった印刷機は自殺していました。

一冊の本とは、仏陀の本でした。
∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝

ブラウンが仏教をそういうものだと思っていたのか、あるいはストーリーの構成上そういうものに仕立てたのかはわかりません。

人生の空しさを感じたとき、東洋思想的にそれを受け入れるのか、意義を追求するあまり絶望してしまうかは別れるところでしょう。

失望をそこに含まれる欲求への解放につなげるか、そのまま失意を蓄積するかで展開は違ってきます。

人生は「不可解」ですが、「不可解」であってはいけない理由もないでしょう。


明治36年(1903 年)5月、一人の18歳(満16歳10か月)の
旧制一高生の死が、若者たちをはじめ社会の人々に大きな衝撃を与えた。
彼の名は、藤村操。巌頭の大きなミズナラの樹肌を削って
書き残した文言が、次の「巌頭之感」である。

      巌 頭 之 感

悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

                (明治36年5月22日)


資料2 藤村操の「巌頭之感」




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人間尺度の限界

人が考えることは、しょせん思考の限界を超えられない。

考えることを続ければ、いつかわかるようになるというのは、限界を超えない範囲でしか成り立たない。

ところでいわゆる宗教というものは、人の期待することが起こる理由付けと、期待しないことが起きない理由付けをまとめたもののように思える。

まるで選挙公約のようなもので、いくらふだん客観的に物事を見る人でも、自分の期待と合致すると感じたらいとも容易にそれを信じたくなってしまう。

宗教的なことを説き始める人は、この選挙公約を意図して人を集めようとしているのか、それとも思考の限界から自分自身信じているのか判然としない。

このあたりが、あやしいところだ。

選挙活動

本当に公平にものごとを見るとは、自分の見方にはしょせん限界があることを認めた上で、ものごとに対処する必要がある。

そしてそのように認識していても、その思考していること自体が限界を超えられないものと知っておく必要がある。

人間の尺度で考えて客観的な事実だと思ったところで、それは人間の考える範囲を超えることはできない。

いくら地球は丸いと言われても、どんどん進めばいつか地の果てに出会うという方がありそうに思える。
高い所から落っこちるのは、地球が引っ張っているからだとは想像できない。

起きることは、人間の尺度による予測ではなく、起こるべき事が起きていくだけである。
タオはヒューマニズムは解さない。

ようするに、どうやっても限界があって間違えるということだ。
わからないことは、どうやってもわからない。

こういっては身もふたもないが、期待しなければ裏切られることもない。

期待をかてにして生きるのはかまわないが、期待は外れるものという覚悟も必要である。
どんなにもっともらしく思えても、限界があることを忘れてはいけない。

真に宗教的に帰依や明け渡しは、良くも悪くも結果は神にまかせて自分は関知しないという態度である。

期待しない結果が起きたからといって非難するべき相手はいない。
いないのだが、人を相手に苦情を言っては角が立つので、神様に苦情を言うのであろうか。

なまじ知らなければ、期待もしないものだろう。

以前に取り上げた「混沌王の死」http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-225.html もそうであるが、人間が自然を破壊する話は、荘子にもよく登場する。
馬を台無しにした調教師の話の中に、こんな一節がある。

動物と果実

人間も鳥も獣もみな等しく知識をもっていなかったから迷いもなかった。みな同じく欲望に欠けていたから自然に高潔だった。このような自然の高潔さの中に生きていた人びとは人間の本性を失わなかった。 「タオは笑っている(164P) R・M・スマリヤン / 工作舎 / 1991-01」




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目的をもたないこと

ネットで流れている意見を眺めていると、目標を持ってそれを達成することが、生きることのすべてであるかのような文章にあふれている。

目的を持つことが悪いとはいわないが、目的のない行為を無視するわけにはいかない。

いったん目的志向で生き始めると、すべてのことに目的がないといけないような気になってしまう。

本来目的などないことに対して、目的は何かと考えはじめても答えは出てこない。
答えを出してしまったら、それはこじつけというものではないだろうか。

ただやりたくなって行っている行為を、目的が見えないから価値が低いと思ってしまうことには問題がありそうだ。


黄色い花畑640


季節は春になり、桜が咲き、川原の草花を息を吹き返し始める。
毎年繰り返されるこのイベントには、目的などないだろう。

目的はなくても、それは全力でおこなわれなければならない。
今年は休みにするという植物は見かけない。

毎年同じように見えるこのイベントも、一度として同じ繰り返しはないだろう。
それが同じ事に見えるのは、われわれが言葉で現実を切り取って抽象化してしまうせいである。

同じ川に二度入ることはできない ヘラクレイトス



そもそも同じだと思っていても、自分自身が毎年年を取って変化していることを忘れている。

目的を持った行動に意義を持つのはいいが、自分の生活がそれに全て征服されてしまうと、そのうち何のために生きているのかがわからなくなってしまう。

その傾向があると思ったら、思い切って目的を持った行動を削ったり、後回しにして、無目的に自分がやりたいという密かな訴えに耳を傾けてあげよう。

目的志向が強いと、目的が明確でない、しかし自分にとって重要な行為や感情は、主張できなくて姿を隠してしまう。

しかし、いったんそれに機会と時間を与えれば、活気が蘇ってくる。
やらなければならないことに戻っても、同じ事の繰り返しも、また新鮮なものに見えてくるだろう。

年度の初めになると、会社などでは今年度の目標設定をおこなう。
社員もひとりずつそういった目標を立てさせられる所も多いだろう。

会社会議中


そして管理職は、部下の目標の評価、指導を行わないといけない。
毎年おこなわれる会社の鬱陶しいイベントのひとつである。

私も管理職をやっていたころは、そのような事をやらされていたが、本気でそれをやることはためらわれて、憂鬱な気分にもなったりした。

それは管理するということは、当然自分自身も会社の利益のための目標を掲げて、それを受け入れ、意義を感じ、それを部下に指導しなければならないからだ。

別に個人的にはこれくらいで充分だと感じても、会社的にはもっと検証可能な目標を立てろとかなんとか、やり直しを命じなければならない。

しかし会社の社長が株主に業績を説明するかのように、会社のための目的を自分のものとして感じられる人ばかりではないだろう。

部下にそれを指導することは、自分の魂を会社に売り渡すような気分にもなる。

目的のある行為というのも、そこそこにしたい。

それよりも、目的は見えないが、やっていく中で振り返ると、その背後にある目的がみえてくることもある。

あるいは、とうとう目的などわからなかったという行為でも、自分に満足感があればそれはそれで重要なことであり、ほんらい第一義に扱われることだったかも知れないと思う。

目的志向の社会は、目的を持たない生き方に後ろめたさを感じさせるかも知れないが、そんなものは受け流して行為自体が目的であることに時間を使ってみたいと思う。

タオは目的を持たないが、うまく目的を果たす。


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あるがまま一考

あるがままとは、素直で正直であることが要求される。

なにかのアイデアを聞いたとき、2つのタイプが考えられる。

Aのタイプ:
おもしろそうだから、とりあえず自分で経験してみる。
結果によってどういうものだったかを知る。

Bのタイプ:
まずいい結果をもたらすアイデアかどうかを、自分の価値基準に照らして考える。
自分の基準から、賛成か反対かを判定する。
賛成であれば、賞賛する。
反対であれば、こんな考えはけしからんといって追放しろという。
どちらにしても、実際に自分でやってみることはない。

Aのタイプ:
実際にやってみたので、いつまでもその考えを抱えている必要はない。

Bのタイプ:
アイデアは評価することに存在意義がある。
評価のネタであるかぎり、賛成で反対でも抱え続ける。

意見を交わすビジネスマン


Aのタイプ:
実際の経験から良くも悪くもそういうものだと受け取って完結する。
議論のための議論に関心がなくうんざりする。

Bのタイプ:
実際に経験していないので、いいわけがましく、質問されると正当化するために説教を始める。
議論のための議論が好きである。
というよりも、評論は経験や事実よりも優先され、本質であるかのようだ。


AとBのタイプの最大の違いは、自分で実際に経験するかどうかにある。

かくして、アイデア(言葉)による議論には驚くべき事実が発見される。

AとBが対等にそれを論じていても議論が成り立つということである。
それがいかにむなしいものか、議論自体からは見えてこない。


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人に助けを求めましょう

もっとまわりの人に助けてもらいましょう。

それがもたらす恩恵は、単に助けられたことだけではなく、さまざまな人間関係の改善をもたらしてくれます。

あなたが何でも自分で仕事をこなそうとする人なら、その作りあげた役割にしがみついているのかも知れません。

がむしゃらに働いて、自分がどれだけ善良で素晴らしいかを訴えたい気持ちもわかりますが、他の人へのそのイメージ、役割はあなたを余裕のない存在にしてしまいます。

それが高じると、何でも自分が背負ってしまって、ひとりで頑張ろうとしてしまいます。

あなたのがんばりを訴えるために、「こんなに大変だった、ようやくやり遂げた」といつもアピールしなければならないとすると、それは相手があることなのでいつも報われるとは限りません。

それが評価されなかったりすれば、一方で評価されている他の人への不満を抱え込むことになりますし、他の人からの評価にますます価値を置いて、それが何よりも大事なことになってしまいます。

そして、結果に関して人の評価に依存してしまう事になるのです。

自分の自立を重大に考えすぎてしまうと、あなたは必要な他の人からの助けを素直に受け取るのが難しくなってしまいます。

他の人に依存しない為には、いままで作ってきた自立への幻想を一度捨ててみる必要があります。

断る男の子


皮肉にも、人に頼らないで自分で全て行おうという思いは、他の人からの手助けが得難いものだという思い込みを作る場合もあります。

他の人の反応が、自分に見えないものになってしまうほど、他人からの評価がより気になる大きな存在になってしまうのです。

本来他の人と助け合うことは、頼りすぎず、離れすぎずというバランスがとれることが自然なのです。

人に頼むことが難しいと感じているなら、もっとシンプルにお願いしてみましょう。

すべてを求めよ!

すべてを求めよ
すべての欲しいものを
すべてのときに
すべての方法で
すべてをくりかえし
すべてを求めよ


バーノン・ハワード


あなたが、がむしゃらに自分で動こうとするばかりでは、あなたは他の人から近よりがたい人になってしまいます。

あなたが必死さをやめたとき、他の人からも頼れる存在になります。

あなたが人に何かを頼むとき、相手は必ずしも面倒だとは感じません。
頼まれることは誰でも好きだからです。

おじぎヒヨコ


求められる人になることも、求める人になることも、あなたのバランスの問題です。

ちょうどいいバランスがとれていけば、あなたは人に対する緊張感が和らいでいることに気づくでしょう。


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助けを求められたら

我以外皆我師」(吉川英治)という言葉がありますが、人でも物でも自分に何かを教えてくれる先生としてみることができます。

また、逆に自分が他の人に何かを教えている時というのは、実は自分自身への答えを語っているものかも知れません。

人に何かを教えることが、より自分の理解を深めるものであることは、よく経験されることではないかと思います。

相談1


実は、人から助けを求められたときの自分のアドバイスというのは、自分の隠れた問題に気づかせてくれて、自分自身を振り返るためのチャンスだと考えることもできます。

自分自身の傷ついている部分であるとか、完結できていなくて抱えたままになっている問題については、ふつうは自分で気づいたり思い出したりすることは難しいものです。

表面的には平静を装っていても、内面では未解決のまま残されていることはよくあることでしょう。

そのような自分の内面については、他の人との関係の中で偶然に気づかされることがあります。

もしかするとそれは偶然ではなく、自分が無意識にかかわろうとしているのかも知れません。

それはともかく、他の人から助けを求められたとき、自分が相手にアドバイスをしながら、同時に自分の弱点に気づいてそれを解決できることは、新しい展開を見つけ出すいいチャンスになります。

中には、自分で触れたくなかった問題の場合、正面から見たくないと思うかもしれません。

そんなことは「こっちが聞きたいよ」といいたくなるような場合もあるかも知れません。

でも助けを求めた人達には、自分の問題と捉えずに、柔軟さを取り戻して答えてあげましょう。

それは自分自身の失われた部分を取り戻させてくれる、またとないチャンスだと捉えることです。

あなた自身が、相手にどのようにアドバイスしているのかを、もうひとりの自分として聞いてみることです。

それは相手を助けるだけでなく、あなた自身を解放することにつながるでしょう。

リラックス1

そのアドバイスは、実はあなた自身がいちばん必要としていたものであることに気づくかも知れません。


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感情から逃げることの功罪

「ほとんどの人は心の痛みには耐えられないと勝手にに思い込んで、死ぬまで感情から逃げ回っています。でも、心の痛みにはもう耐えているのです。まだなのはもう乗り越えたと感じることだけです」 バーソロミュー


過食症の女性の診察でのやりとりです。
彼女はそれまで長年過食症に悩まされていましたが、それまでに試した方法はすべて意志を強く持てというものでした。

「自分に言い聞かせるんですよ。絶対食べちゃだめだって---それでも、手もとに1パイントのアイスクリームか、<オレオ>がひと箱あれば、やっぱりぜんぶ食べちゃうんです。自分でもわからなくて。食べないようにするには、どうしたらいいんでしょう?」
?????
彼女は気持ちが落ち着かなくなると、反射的にものを食べていた。食べることが苦痛をうまくかわすための手段となっていたのだ。もちろん、本人にもよくわかっているように、食べ物でつらい気持ちをごまかしても、それでは不幸のタネをべつの不幸のタネと交換しただけの話だった。
?????
「それでは、食べたいという強い衝動を感じたら、その時どんな気持ちになっているのか、よく注意してもらいたいのです。食べたくなったまさにその瞬間にね。そして、そのままその感情に付き合ってください。心の中に湧き起こってくるがままにまかせて。ただ常に意識はしたままで。でも、何もしてはいけません」

 彼女は気が重くなったようだった。「でも、そこで食べなきゃいけないと思っちゃうんです。その時湧き上がってくる感情がいやでたまらなくて」

「そのとおり。だから、時にはそこから逃げて、食べずにはいられないこともあるかもしれません。でも、自分の気持ちととことん付き合えるようになると、それをコントロールできるようになるんです。ただ今という瞬間にいて、スピードを落としてみるだけでね。悲しさとか、孤独感とか、自己嫌悪だとか、そういう感情に付き合ってみてください。それをじっくり味わってほしいんです。つらくてたまらなくなっても、何も手を打ってはいけません。感情が湧き上がるままにまかせてください。その瞬間に流れる感情を十二分に感じつくしたら、いやな感情はだんだん潮のように引いていくはずです。ものを食べて逃げなければ、心騒ぐ感情が湧き起こってきた時にそれに付き合うすべを身につければ、もうそんな感情は恐れるに足りなくなるし、何もしなくても、じきに消え去ってしまいますよ」
?????
「うまくいきました?」と私はきいた。
「百パーセントってわけじゃありませんけど、たいていの場合は効きますね」彼女はそう言ってにやりとした。「それに、何といってもこれが肝心なんですけど、もう前ほど食べたいという衝動にとりつかれなくなったみたいなんです」



わたしたちは、つらい感情に正面から向き合うことを恐れて逃げようとします。

なにかと用事を見つけて忙しく動き回ることで、感情と向き合う時間を作らないようにしてしまうのです。

それには忙しい日常は格好の隠れ蓑になっているのです。

時には日常の雑事を離れて、何も考えずに感情が起こるのに任せたくなる衝動もあるでしょう。

しかし実際には、「そんな時間はとても持てない、そんなことをしていては目の前のやるべきことが何もはかどらなくなってしまうんだから」といういいわけで何かの作業に入り込んでしまいます。

    パソコン操作    TV見過ぎ

残っている作業を始めるか、テレビをつけてその中に入り込むか、家事を済ませるか、インターネットにはまり込むか、そんな何かの行動に入り込むのです。

忙しさの感覚は、1つはわたしたちが現代の社会に引っ張り込まれてしまうことから来ています。

社会のテンポは、絶えずそれに合わせていないと取り残されてしまうと脅してきます。

まわりの人もみんな忙しく動き回っています。

それのリズムに同期をとらずにはいられなくなるのです。

それはいつしか、社会的な常識であり、それに反することは社会から取り残されたり、排斥される恐怖をもたらすようになります。

また、あなたの側でも、先程の感情と向き合うことから逃げていたいという無意識の働きから、常に何かの代償行為を探し求めているのです。

    ためいき1

しかし、感情を抑え込んでいるかぎり、その感情が完結して消えてしまうことにはつながりません。

日頃からそんな感情などなかったかのように扱っていると、それは徐々に蓄積されていつか外に出る機会を求めるようになります。

理性的な時間のみを過ごし、思考によって処理できることが全てであると思い込んでいると、処理されないままの感情は、言葉では説明できない何らかのシグナルを送ってきますが、それは思考で扱えないものなので無視されてしまうのです。

感情の爆発は一瞬で終わりますが、それに関連した感情の方はなかなか完結しません。

その感情に身をまかせて、意識してそれを充分味わった上で自分自身の活動の一部として認めないと処理できないので、時間がかかってしまうのです。

このような処理されなかった感情は、時としてもともとそれが起こるような状況とは異なっていても、一気に情動的な反応を引き起こす場合があります。

ダニエル・ゴールマンは、この誤動作ともいえる反応についてこのように述べています。

「大脳辺縁系の扁桃核は連想による比較方法をとる。現在の状況の主な要素が1つでも過去のものと似ていれば、’ぴったりあう’と見なされる。この回路がいいかげんなのはそのためだ。しっかり確認を取る前に行動に出てしまうのである。扁桃核はやっきになって私たちに命令する。大昔に刷り込まれた方法で現在の出来事に反応せよ、と。何となく似ているだけなのだが、扁桃核の警報ベルが鳴るくらいには似通った過去の出来事を持ち出して、その時身につけた思考や、感情や、反応を使って対処せよと命じるのである。」



社会のペースが速くなればなるほど、私たちは思考に頼った理性による時間を過ごすことばかりになり、感情を処理する時間がどんどん軽視され続けることになるのです。

「感情の相手をしている暇はないよ、具体的な対処方法をこうじる以外に何が必要なの?」
と考えてしまうことは、すでに現代社会のテンポに呑み込まれてしまっているので、感情に目を向けることなど必要ないと思ってしまうのです。

しかし、感情が押さえ込めている間はいいですが、抑制が効かなくなってしまうと、突然今まで経験したことのないような衝動や説明できない不快感を押さえられなくなってしまうのです。

それは、イライラや衝動的な行動をもたらします。

あるいは、心身両面への反応となって、呼吸や心臓や内臓への不具合を引き起こします。

また、摂食障害や嗜癖や依存症につながる行動を引き起こします。

社会のリズムに合わせきって、理性時間のみで処理を続けていることには限界があります。

ワーカホリックは、無駄な時間を持つことに罪悪感を持ち、何もしないでいると不安になってしまいます。

    電話集中で混乱

あるいはその不安から逃れるために、何かを紛らわせるものを持ち続ける必要があるのです。

しかしそのような時間とのつきあい方をいったん切り替えて、感情に向き合う時間を設けることは、「過労死」などという言葉が作り出されるほどの無理な生活を作り出さないためにも必要です。

思考によって目の前のことをいくら解決しても、それだけでは改善されない自己との向き合いが必要であるということを認識する必要があるのです。

参考文献
タイムシフティング―無限の時間を創り出す
著者: ステファン レクトシャッフェン 日本放送出版協会 / 1997-05




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