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あの人のいうことは理解できない2

基本的には前回と同じなのですが、今回はあなたが本やネット上の文章を読んでいて、理解できない、あるいは理解したくない文章に出会った場合を考えてみましょう。

ところで、読みにくい文章とは言っても、文章自体の書き方が悪いとか、よくまとまっていなかったり、主旨がはっきりしないという場合もあります。

そういったものは、今回の話題とは直接関係ないので除外して考えます。

あなたは主旨のよく解る、うまく書かれた文章を読んでいるとします。

あなたは、読み始めるとすぐに、すらすら読めて嬉しくなってくる文章に出会います。

あなたは、何度もうなずきながら、いいことを書くなあと感じつつ読み進めることができます。

それは、あなたの考えと一致しているし、あるいはあなたの曖昧だった考えを、うまくまとめて教えてくれるものです。

それは、あなたに抵抗を起こさせないし、あなたの考えに自信をもたらしてくれます。

ひとは、自分の考えていることを、他の人がその人の言葉で書いてくれるのを見ることが好きです。

笑顔OK女性

おそらくそれは、あなたの考えが自分だけのものでないと知らせてくれて、あなた自身の考えに自信を持っていいのだと教えてくれるからかも知れません。

あるいは、あなたの孤独な感じを癒してくれるのかも知れません。

さて、その一方で、あなたは10行も読まないうちに、何か違和感を感じ始める文章というのもあります。

あなたは、最初の部分を読んだだけで、「この人は間違っている」とか「これはよく解っていない人の考えだ」とか思い始めるのです。

あるいは、それはなにかこの文章を読むと自分が不安になると、予感させるものかも知れません。

あなたは、もしそれ以上読まなくてもいいとしたら、そこで読むことをやめてしまうかも知れません。

どうしても読まないといけないとしたら、最初の先入観にとらわれたまま、その考えを拒否しながら読むことになるかも知れません。

考える若者


すべてがそうだとは言いませんが、このような文章は、今のあなたのありかたに対する、挑戦だという考えをもたらすのです。

あなたは、わき起こってくる抵抗を感じるのです。

あらかじめ、拒絶する構えが出来上がっていると、読んだフリをして忘れてしまおうとするかも知れませんが、よく注意してみていれば、そこにはあなたの抵抗が存在します。

その考えを間違っていると否定するか、そんなことは考える必要ない馬鹿げたことだと考えるか、なんとか理由を探して自分を納得させたくなるのです。

正直なところ、そんな自分を不安にする可能性のあることには、近づきたくないのです。

その文章が言っていることは、あなたが避けている問題に直面させる内容なのかも知れません。

あるいは、それを受け入れると、今の自分の自信がぐらついてしまうと感じるのかも知れません。

いずれにしても、あなたはそこから目をそらせたくなるのです。

ところで、最近のニュース番組では、必ずといっていいほどコメンテーターなる専門家が登場します。

あなたが、白黒つけたい問題を、どちらにすればいいのかを、あなたに変わって考えてくれる人です。

あなたは、お気に入りの番組を見て、自分の今の考えを維持させてくれると安心するのかも知れません。
あるいは、チャンネルを変えたくなる考えを聞かされるかも知れません。

フクロウ読書


では今回のポイントになる点に話を進めましょう。

あなたが抵抗を示すことというのは、あなた自身の潜在的な問題を明らかにしてくれるものである可能性が高いのです。

それは、いまは見たくないと思っていて、見ないようにしていますが、何度もあなたの前に現れて問題を感じさせることになるものなのです。

問題が存在しなければ、そもそも抵抗を感じることはありません。

このようなとき、どう扱うかはあなたの自由です。

今はまだ、その時でないと思えば、先に延ばすこともできます。

いずれその問題に直面するときが巡ってくるのだから、いま考えてみようと正直に思うなら、あなたは一つの障壁を乗り越えるチャンスとなるかも知れません。

あなたが、今のままを保護したいと思っている考えと、それに対立するか、あるいは今の自分の自信をぐらつかせるような考えが、そこに現れているのです。

二元対立する考えは、どちらか片方に寄ってしまうことで、反対側を見えなくする対処もありますが、それでは、いずれ反対側に振り子が振れてきたときに問題を再現することになります。

両方の存在を受け入れて、その対立を超えていくことは、決して易しいことでもないし、今の自分を一時的に不安定にするものかも知れません。

しかし、その見返りは、充分大きいものになるでしょう。

そんな考え方は、とんでもないと信じていたことが、実はそうではなかったのだと発見をもたらすかも知れないのです。

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あせること、イライラすること

何かをあせってやろうとすると、かえって空回りばかりで、いつものようにうまくできない。

こんな経験、あなたにもあるのではないでしょうか。

こんなときあなたは、あなたの決めた時間でものごとが起こっていくのを期待しています。

しかし、ものごとは、まるでそれに特有のスピードを持っているかのように、あなたの思いなど関係なく起きるべくして起きていきます。

たとえば、あなたがせっかちな人だとします。

あなたの前には、時間など気にせずに、ものごとを非常にていねいに、自分の決めた手順に忠実に行おうとする人がいます。

あなたは、それをみているとだんだんイライラし始めるのです。

このように、人と人の関係では、せっかちな人もいれば、のんびりした人もいます。

そしてそのことを認めるのは抵抗を感じないのですが、そういう人でも、ものごとが自分の決めたスピードで進んでいかないと、あせったりイライラしたりし始めるのです。

ウサギとカメのゴルフ


ものごとが運んでいくスピードに、特有のスピードがあるものかどうかはわかりません。

しかし、単に見る側の心理的なスピードだけで、ものごとが起きていくわけではないでしょう。
それが起きるには、様々な原因が非常にからまって起きていくはずです。

ですから、あなたがいくら自分で「○○までに結果が出る」と決めたところで、そのように起きてくれるとは限りません。

そんなことをするから、あなたはあせったり、イライラしたりするということもできますね。

別の言い方をすれば、あなたはものごとに対する見方が荒くなっているのかも知れません。

落ち着いているときのあなたは、もっとこまやかにものごとを見ていられるのかもしれないのです。

あなたが、自分で時間をコントロールすることをやめて、ものごとが起きていくスピードに任せて見ていられるなら、あなたはイライラせずにゆったりと過ごすことができます。

さらに発想を飛躍させれば、あなたはものごとの結果についても、同じようにコントロールしようとしないという選択もできるわけです。

起きることに逆らわずに、それが起きるのに任せるということです。

「そんな受け身ばかりの生き方などごめんだ」といわれるかもしれません。

それに、ときにはあせったりイライラしたりするのが、逆に楽しみにつながることもあるでしょう。

たとえば、あなたがプロ野球やサッカーの試合を見ながら、ひいきのチームを応援するようなときです。

あなたが、いくら逆立ちしようと、あなた自身がピッチャーやバッターになれるものではありません。

ボールを取られて


しかし、あなたがどちらが勝とうがかまわないと思うのなら、興奮もしない代わりに、応援する楽しみもありません。

それは、もはや応援とは言えないでしょう。

不安とワクワクすることは紙一重です。

コントロールしたいという思いと、イライラすることは、お互いに切り離せない関係にあるのでしょう。

ですから、すべてあきらめようとか、すべてコントロールしようとか、片方だけに決めようとしないことです。

心配しなくても、あなたはイライラから完全に解放されることもないでしょうし、無理をして何事にも無気力になる必要もありません。

ただ、イライラしたり、あせったりすることが、必要以上にあなたにストレスをかけていないかをチェックすることは役に立つかも知れません。

ときには、ものごとが起きていくスピードや結果を、そのまま受け止めてみてはいかがでしょう。

それが、いかにあなたにとって重要で差し迫ったことでも、あなたにコントロール出来ない事なら手放しましょう。

あなたの力で、おきてくることをコントロールしようとおもうことが、結果に影響を与えるかどうかを冷静に考えてみましょう。

あなたのちからで成し遂げたから、価値があるというのは、ひとつの考え方でしかありません。

そして、あなたがコントロールして成し遂げたと思っていることも、単に起きるべくして起きているだけかも知れないのです。

「さからうのはやめた!」と思ったときの開放感、あなたにも経験があるのではないでしょうか。

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一度にひとつのこと

一度にひとつのことにかかわること、これを見直してみたいと思います。

わたしたちは、朝めが覚めると、たちまちのうちにいろんな作業(タスク)に巻き込まれます。

意識していないだけで、あれもこれもと、やらなければいけないことに関わり始めます。

しかし意識してできるのは、大抵一つのことです。

他の事をわすれて、ひとつのことに集中できるとき、それが努力を必要とするものであっても、それほど疲れた感じがしません。

ところが、何となくあれもこれもやらないといけないと思ってしまうと、考えるばかりで身体がいうことをきかないということがないでしょうか。

パソコン操作


いまあなたが画面をみているパソコン、ここで動いているのはウインドウズであったりマックであるかも知れません。

これらは、いま動かしているものがひとつだと思っていても、その背後では様々な動作が平行して行われています。

コンピュータが行う作業は、タスクとかプロセスという単位で呼ばれます。

たとえばブログを見ている時には、ブラウザなどのタスクを動作させているわけです。

最近はパソコンの性能が、格段によくなってきましたから、沢山の処理を一度に走らせても、それが原因でハングする(反応しなくなる)ということはあまりありません。

しかしパソコンが普及し始めた頃には、パソコンを動かしていて、重い処理をうっかり複数動かしたりすると、パソコンは反応しなくなったり、あるいはメモリを求めて延々とディスクのアクセスを繰り返し続ける状態になってしまったものです。

ハードの性能を上回るタスクを一度に動かしすぎれば、ハングしてしまいます。

これは、わたしたちのこころの働きにも言えることです。

忙しさになれてしまうと、いくつものことを同時にこなすのを何とも思わないし、これくらい平気だと思ってしまうのですが、それもハードの限界を超えてしまえば様々な障害が発生します。

あるところまでは、いくらでも新しいことに取り組めるように感じていても、限界に達してしまうと、意識ではまだまだいけると思っても、なぜか動けなくなってしまうのです。

疲れた1

いくつもの未解決の問題をかかえてしまっては、気づかないうちに、徐々に無気力になったり、感情の鈍磨や鬱の症状が現れてきます。

「できるはずだ」とか、「やらないといけない」といくら意識しても、あなたの何かが拒否して、あなたは動けなくなってしまうのです。

大人になると子どものように無邪気に、無心に一つのことに集中できなくなります。
これは、少しずつこのようなバックで動かしているタスクが、たまってきてしまうのが原因ではないでしょうか。

電話集中で混乱

いくつもタスクを抱えないためには、このような点をチェックしてみましょう。
1.自分で解決できることは決着をつけてしまうことです。
2.自分ではどうにもならないことは、きっぱりと手放してしまうことです。

1については、いつまでも自分で問題を引きずらないで、行動を完結してしまうことです。

たとえば、他の人との関係なら、あなたの側で決断したなら、後は相手の問題と割り切ることです。
いつまでもやろうと思いつつ先延ばしにしていることは、あきらめるか、取りかかるか決めてしまいましょう。

2は、あなたの責任で変えることができないことは、いくら考えても変わらないことを認めることです。
精神力で何でもかなえようというようなマジックは、いつまで待っても起こらないのです。

それは、現実から離れた空想で時間を過ごしているだけです。
それが楽しいからと、わかってやっているのならかまいませんが、このような時間を過ごすことで何かが変わると思ってはいけません。

そんなに簡単に切り替えられないよ、と言われるかも知れませんが、出来ないと思うから他に方法があると信じる根拠はありません。

たとえば、火事になったとわかれば、あなたは何もかも忘れて、外に逃げ出すことを考えるでしょう。ときには心の問題も、同じように緊急を要することかも知れません。


それらをやめて、いま目の前のことに全てを集中させるとき、あなたは「いまここ」に存在できます。
子どものような無邪気さも取り戻せるかもしれません。

休み時間

ご存じの方は少ないかと思いますが、ウインドウズもごく初期のものは、一度に一つのアプリを選んで動かすだけのものでした。

今のように、いくつもウインドウを重ね合わすようなことは出来ず、ちょうど今のタブ切り替えのようにして、動かす作業を切り替えるものでした。

パソコンなら、ハードの限界内であれば、いくら酷使しても悲鳴を上げることはありませんが、わたしたちの「こころ」というのは、あまりマルチスレッドになりすぎない方がいいのかも知れませんね。

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観察すること

観察は受容することにかかせない手段です。

観察とは普通、目でみることだけを意味しますが、ここでいう観察とは、あらゆる感覚を全て使っての行為のことです。

観察とは、何事にも執着しないで、また何かの結果を出そうという計らいの気持ちを持たずに、ただ感じることを受け入れることです。

何かに偏らず、その行為で結果を出そうと思わず、ただただ考えていること、感じていること、聞こえていることが過ぎて行くままにします。

やることは、ただ観察することです。感じてくるものが何であれ、「それとともに在る」ようにします。

あなたの頭が判断しようとしたり、価値の比較を始めようとしても、それに従わずにただそれを見守ります。

何かを変えようとせずに、ただ起きてくることを受けとります。
徹底して、受動的な姿勢を維持します。

植物との共生


ただ受け取っていると、そのうちあなたの感じとっていることが、考えているのか、感じ取っているのか、身体の感じることなのか、どれともわからない、別の印象を感じる様になるかも知れません。

そのように感じてきたとき、あなたがそれについて考えようとすると、それは思考に切り替わってしまいます。そうならないように、何もせずに受動的な姿勢を維持しましょう。

思考は、訳のわからない状態が続くことが苦手です。

そのような自分が管理できない状態が存在することが許せないのです。
だから、だんだん思考がコントロールをこちらに返せと訴え始め、あなたは落ち着かなくなってきます。

しかし、それでも何にもとらわれずに、受動的に感じることを受け流していきます。

おわかりかも知れませんが、「観察すること」とは、言い換えれば「瞑想する」ということです。

瞑想と言ってしまうと、難しくて手に負えないと感じるかも知れませんが、ここで言っているように、ただただ見ているだけの観察と考えればいいのです。

最初は、刺激を少なくするために、身体を動かさずにやった方がいいでしょうが、別にどのような姿勢でやろうと、あるいは散歩しながらやるのでもかまわないでしょう。

あなたの思考は、「もっといいことがあるよ」と訴えてくるかも知れません。

しばらく時間を使ったから、いつものように意味のあることに切り替えよう、時間の無駄だよ、と脅しをかけてくるかも知れません。

あるいは、足がしびれてきたとか、かゆくなってきたとか、身体が訴えを始めるかも知れません。

こんなの退屈だから耐えられない、もっと刺激のあることをしようと言う訴えも、全て受け流します。

それらに対して、価値判断を加えずに、ただ観察します。
批判的な思考も、そのまま受け入れます。


結果を期待せずに、あなたがこれで充分だと感じるまで観察を続けましょう。

最初は、何かの思考の力が強くて、あなたを思考に引きずり込んでしまうかも知れません。

その時はその時で、失敗を嘆くことはありません。

あなたを引っ張り込んだ思考こそは、あなたが普段もしばしば入り込んでいる、あなたにとって重要な思考である可能性が高いからです。

そのような思考に気づけただけでも、大きな収穫です。

思考を始めると、その前にあなたが何をやっていたのか忘れてしまう可能性もありますが、それでも「その思考が何であったか」だけでも覚えておこうと、言い聞かせておきましょう。

鎖から解放

先程も言いましたが、観察することを続けて、ひたすら受動的な受容に徹すると、イライラを感じ出すかも知れません。

今までなら、あなたはそれを感じると、思考に走ることでそれを回避しようとしてきた筈です。

しかし、観察を続けるあなたは、それらもそのまま受け取り、観察するのです。
今まで支配してきた、その不快感にたいして、何もせずに見ているという態度を崩さないことです。

うまく受容に徹することができれば、それだけであなたはそれをコントロールする側に回れるかも知れません。

問題には対策や行動で答える、という今までの発想を捨て去ります。
ただ何もせずに、観察するだけという解決を、あなたのレパートリーに追加するのです。

最初は、うまくいっているのか、だめなのかも解らないかも知れません。
しかし、繰り返すことで、ただ観察するということを身体で覚えるのです。

いつもなら、ここで思考に支配されてしまったのに、今日はただ何もせずにいられたという感覚を身につけることです。

やる前に、こんなことをして何になるかと考えても答えは出ません。

答えが出るようなら、それは単なるあなたの思考という行為でしかなかったのです。
あなたが、結果を期待して観察ごっこをしたために、期待した結果が導かれたということです。

そしてそれは、あなたがいままで何度もくりかえしてきた、解決に結びつかない思考ではないでしょうか。
そうなったから、こんなことは無駄だと投げ出さないで下さい。

観察によってもたらされる、新しい感覚はそのような予想できるものではありません。

思考ではなく「観察すること」を繰り返すことでそれをあなたのものにしましょう。

それが何をもたらしてくれるかは、あなた自身にしかわかりません。

「今までの結果を期待した思考ではもはや答えが出ない」、そうあなたがあきらめる気になったら、それが絶好のチャンスです。

ただ「観察する人」になってみましょう。

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一切皆苦

あなたは、ときどき今の状態を、苦しいと感じます。

そして、あなたが苦しいと感じるとき、なにか自分の外にある原因が、自分を苦しめているというイメージが強いのではないでしょうか。

「苦しさ」というのは、仏教ではこのように考えるようです。

一切皆苦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一切皆苦(いっさいかいく)とは、仏教における四法印の一つである。

初期の経典に「色は苦なり」「受想行識も苦なり」としばしば説かれている。これを「一切皆苦」と言う。

「苦」の原語は、パーリ語のドゥッカ(dukkha)で、これは単に、日本語の「苦しい」という意味だけではなく、「空しい、不満、不安定」といった幅広い語義を持つ。 それゆえ、「一切皆苦」は「すべての存在は不完全であり、不満足なものである」と言いかえることもできる。不完全であるがゆえに、常に変化して止まることがない。永遠に存在するものはなく、ただ変化のみが続くので「空しい」というふうに、「苦」という一語で様々な現象が語られる。



「苦しみ」というのも、この仏教的な解釈から考えると、そこに自分にとって不満であるという気持ちが存在することがわかります。

あなたがどのように考えようと、苦しいという状況が存在するものかどうかは、わかりません。

しかし、わたしたちが、ふだん苦しさを感じるときというのは、自分の不満感から生じていることが多いのではないでしょうか。

「苦しい」のは、あたりまえだと、あなたは考えているかも知れません。

こんな「苦しい」状況なんだから、苦しいと感じるのは当然であるというわけですね。

しかし、この「あたりまえ」というのも、なかなかくせ者です。

「あたりまえ」だと決めているのは、あなた自身なのです。

あなたが、「あたりまえ」だと決めつけるのをやめて、それがあたりまえではないとしたら、それでもあなたは「苦しさ」を持ち続けるでしょうか。

こんなに「苦しい」けど、この状況は苦しくなっても仕方ない状況だと、「あたりまえ」だという信念を大事に抱え続けるでしょうかということです。

「あたりまえ」というのは、どこからくる信念なのでしょう。

わたしたちが、物事を考える時、ことばを使って考えます。

ことばは、いつか誰かが、何かの状況を説明するために作り出したものです。
ことばには、その背景があります。

ことばが作られたとき、そこには、その前提となる概念が存在するのです。

何も前提としないことばは存在しません。

ことばを使って考える以上、わたしたちが考えだす「あたりまえ」には、必ず前提があるのです。

数学教師


私が高校生の時、数学の授業で「ベクトルの内積」を習いました。

ベクトルというのは、方向と大きさという二つの要素をもつものですが、「ベクトルの内積」の定義は、大きさだけ(スカラー)になります。

わたしは、なぜベクトルをかけ算すると単なる大きさ(スカラー)だけになってしまうのかが、不思議で先生に質問しました。

先生は、「ちょっと考えさして」というような回答で、そのまま授業を続けながら、時間ができると考え込んでいるようでした。

授業が終わった後、先生が私の所へやってきて、「これは定義だからそうなるとしか言えない」というような説明をしてくれました。

私は、質問の内容よりも、先生が真剣に時間いっぱい考え続けてくれたことに、感激したことを今でも思い出します。

それと共に、何となくはわかっていましたが、当たり前に考えていることも、どこかで誰かが定義したことを前提にして成り立っているものだ、ということを意識しだしたきっかけであったように思います。

話がそれましたが、数学というのは、前提とする公理や定義があって成り立つものです。
必要があれば、不自然に思えても、定義を作り出すことも必要になります。

1足す1が2であるのは、何の前提もなしに「あたりまえ」ではないのです。

数学に限らず、言葉で構築されたことには、前提があるのです。
言い換えれば、思考とは前提を抜きには語れないと言うことです。

あなたが、「あたりまえ」と考えている事も、その前提にさかのぼって考えてみることも必要です。

「あたりまえ」で生きていることは、その「あたりまえ」の前提である世界観の中でしか生きられません。

話を最初の話題に戻します。

あなたが「苦しい」とき、あなたは何かを不満に思っています。

その不満は、あなたの考える「あたりまえ」の世界観から来るものです。

それは、今の苦しさを続けても、大事に抱えていくべき信念であるのかどうか、一度考えてみてはいかがでしょうか。


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誰の責任か

わたしたちは、よく誰に責任があるかをはっきりさせるのに、躍起になります。
また何が原因であるかを探そうとすることも、同じですね。

原因は何かを探そうとするのは、わたしたちの思考という働きにとっては、非常に得意とすることです。

時には、原因をつきとめること、それが究極の目的であるかのように、エネルギーを注ぎ込みます。

あつかうことがらによっては、それは非常に役に立つわけですが、問題によっては、それは単なる過程でしかない場合も多いのです。

問題は原因をつきとめた後に、その問題に正面から向き合って、それを受け入れないかぎり解決しないということです。

尾行する探偵


犯人捜しに躍起になって、それがわかれば思考はすぐに関心を失います。
謎解きの楽しみが終われば、もはや全てが終わったかのようになってしまいます。

しかし、犯人がわかったり、裁判で判決が出たりすることは、被害者にとってはその通過点に過ぎません。

そのあとで、現実を受け入れられるかどうかを抜きにしては、問題は終わったりはしないわけです。

かんじんなのは、むしろその受け入れる過程にこそあるように思えます。

ところが、わたしたちは、しばしば原因探しが究極の目的であるかのような、錯覚をしてしまいます。

誰が、あるいは、なにが原因であるかを探すことに熱中することは、自分では問題に取り組んでいるつもりになっていても、そのあとで原因であることに直面することを先延ばしにしたり、見ないようにしているのかも知れません。

じつは、本当の問題点を知っているのに、最初からそれを見たくはないこともあるでしょう。

問題の本質は、誰の責任であるかとかはどうでもいいことであったり、あるいは誰の責任でもないかも知れないのです。

そうではなくて、最後は「それを受け入れるしかない」というのが問題の本質であることの方が多いのです。

見方を変えて、誰の責任でもないと考えられたら、そんなことに時間を使おうとも思いません。

原因探しに時間をかけて、問題の本質を見ないようにすることもなくなりますから、遠回りする必要もありません。

最初から、それを受け入れることに取り組むことができます。

鎖から解放         リラックス1

しかし、それを何となく避けて、何か問題を作り出して、それを解決することに取り組むことを言い訳するのが、わたしたちの常套手段です。

問題に正面から向き合うか、迂回するかはその人の選択ですが、手放すことはいつでもできるのだと信じられれば、すこしは荷が軽くなるでしょう。

自分に嘘をつき続けるのは、あなたのあらゆることに影響を及ぼす大変な重荷です。

いくら、もっともらしい議論をしていても、それが本質的な問題ではないとき、正直にそれを見れば、それが底の浅いものであることが見えてくるでしょう。

国会では、「朝三暮四」の意味を巡って議論されたりしています。

しかし「朝三暮四」の表面的な意味にこだわっていては、本来の「本質をとらえない考え」に問題があることが見えなくなってしまいます。

荘子の斉物論篇に出てくる「朝三暮四」とはこんな話です。

朝三暮四

ものごとって、もとはひとつなのに、
目先のことだけ、あれかこれかと迷う人は
朝三暮四って呼ばれる。
まあ聞きたまえ。

ある人がサルを飼ってたんだ。あるとき、サルたちにこう言った。
「朝に三粒の豆をやるよ。そして、夕方に四つだ」
すると、サルたちはみんな、うんと怒った。
「そんなことじゃ我慢できない、イヤだよう」とね。
そこで彼はこう言った。
「じゃあ、朝四つやるし、夜には三つやるよ」
するとサルたちはすっかり嬉しくなっちゃった。

朝三暮四 斉物論篇
荘子 ヒア・ナウ 加島祥造 PARCO出版



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役に立つこと

努力したことに対して成果があがることは喜ばしいことです。

自分にとって、都合のいい結果は「成功」であり、期待に添わなかった結果は「失敗」と呼ばれます。

努力して達成感や充実感を得られることは、それ自体は素晴らしいことですが、結果が全てになってしまうと、「失敗」に終わったことは、価値がなかったことになってしまいます。

しかし、そのプロセスで体験したことが、意味がないとは誰にも言えないことです。

将来振り返ってみて、実は役に立っているのは、失敗の経験の方が多いかも知れません。

結果の非難


見かけの役に立つかどうかだけで動いていると、自分のやっていることに勝手に価値判断を加えてしまいますから、そこには無理が生じます。

自分のやった努力が、失敗に終わっただけで無駄だったと考えれば、次に動くことへの意欲をなくしてしまいます。

世間で価値があるといわれる基準に達しようとすれば、自分のできないことまで、できなければいけないと思い込んで、無理を重ねて疲れ果ててしまいます。

自分が無理しないで自然にできることを、軽視してしまうことは、自分で自分を否定することにつながります。

要求水準が高すぎるひとは、いつになっても満足することがありません。

そういう意味では、世間の基準を鵜呑みにしてしまうことは、自分で自分を不幸にしているようなものです。

「気力が湧かない」と嘆く前に、自分の求めているものが何かを、確認した方がいいでしょう。

結果にとらわれすぎることは、いままで簡単にできたことまで、失敗を恐れてびくびくしながらやることになり、思い切って動くことができなくなります。

いつも最高の結果を出さないと満足出来ないひとは、いつか疲れ果てて、何もやりたくなくなってしまいます。

「まだまだ不充分」とおもう気持ちと、「これで充分、お疲れ様」とおもう気持ちを、両方受け入れることです。

それらは相容れないと理屈で考えると、どちらかひとつしか認めなくなり、自然のバランスを崩してしまいます。

「成功」か「失敗」かはどこから見るかで変わってくるものです。

役に立つ、立たないも同じことです。

1番のひとが存在できるのは、2番、3番、4番のひとがいることで成り立ちます。



役に立たないこと

あの恵子がな、荘子に向かって言った。
「あなたの言うことって、世間には役に立たないことばかりですな」
荘子が答える。
「いいかね???
役に立たないものが、どんなにありがたいか悟らないかぎり、
君は、役に立つということの本当の意味を理解できないよ。
たとえば、この大地だが、
大地は広くて果てしなく広がっている。
だがね、この大きな広がる大地のうちで、
ひとりの人間が使えるのは、ほんの数センチに過ぎない。
残りの大地は使わない???
役に立つのは、君の両足をのせる数センチの地面だけだ。
ではもし、君の両足をのせるところだけを残して、
使っていないほかの地面をすっかり取り去ったとする。
すると君の両足の踏むのは、
わずかに残った地面で、あとは断崖絶壁だ。
足の踏む所のほかは深い谷だ。
こうなれば、君は身動きもできないだろう。
こうなれば、自分に役に立つ地面さえ使えないぞ」
恵子が言った。
「なるほど。自分の立っている地面だけじゃあ、何の役にも立ちませんね」
荘子が結論を言うんだ。
「自分には無用だと思っているものが、
本当は、どんなに役立っているか???
まず、これを知ることさ」

役に立たないこと(外物篇)
荘子 ヒア・ナウ 加島祥造 PARCO出版




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なまけ者についての考察

なまけ者」という言葉には、一般的には仕事もしないで、だらだらと自堕落な生活をしているイメージがあると思います。

そして、この言葉から伝わってくるのは、「怠ける」ことがその人の性分とか人格によるものであるというニュアンスですね。

そこで、怠けるということは、どういった内面の表れなのかを考えてみたいと思います。

まず最初に、「なまけ者」という表現を使うのが、第三者なのか本人であるかで、区別したいと考えます。

第三者からみて、あの人は「なまけ者」と映るのは、客観的な行動の傾向を著しているかも知れませんが、その一方で多分にその時代とか社会、文化にも影響されます。

たとえば、わたしたち日本人のような勤勉といわれる国民からみると、約束の時間を守ろうとすることはある程度当たり前のことです。

しかし他の国を見た場合、こんな常識は通じなくて、とんでもなくずれた意識を持つ国というのも存在するようです。

また、時間の流れが現代のようなスピードで過ぎていなかった時代と比較すれば、現代においてなまけ者に見える人も、過去においては当たり前の存在だったかも知れません。

休むネコ


それはともかく、今回考えたいと思うのは、このような外から見た「なまけ者」ではなく、自分のことを「なまけ者」と考えることについてです。

あなたが自分のことを「なまけ者」だと感じるのは、どういう時でしょうか。

まず最初に考えたいのは、あなたはその対象となる行為について、自分はそれをやるべきことだと思っているはずであるという点です。

なぜなら、あなたにとって、全く関心のないことをやらなかったからといって、あなたは自分をなまけ者だとは感じないでしょう。

ですから、あなたは自分ではそれをやらなくてはいけないことだと考えるか、あるいは自分でやってみたいと感じているはずだと考えられるのです。

しかし、あなたは何らかの理由でそれをやらずにいます。

それは、あたかも手をこまねいているかのようです。

いや、単に面倒だからやらないで休んでいるんだ、といわれるかも知れませんが、それならばいつかは実行に移すはずです。しかし、ほとんどの場合、それはいつまでも実行されないのです。

ですから、あなたの表面的な理由にかかわらず、本音を言えばあなたは、「好きでやらずにいるわけではない」ということではないでしょうか。

そうだとすると、なぜあなたはそれを実行するのを躊躇しているのでしょう。
すこし思いついたことをとりあげてみます。

★やることがいっぱいあるので、後回しにしているんだ。
☆しかしあなたにやるべきことがなくなる時は、いつまでも来ないでしょう。

★なぜか身体が動きたくないといっているようだ。
★実はそれをやるのが怖いので、いつも避けている。
☆あなたに関心があり続けることは、あなたの存在に必要なことのはずです。いままでやっていなかったことを、初めて試したときの時を思い出してみましょう。やってみれば、すぐに何でもないことに思えてきたのではないでしょうか。

★それにとりかかってしまうと、長時間それに取り組むことになってしまうので、先延ばしにしている。
☆いまやっていることの優先順位をチェックしてみましょう。単にスケジュールを練り直すだけで解決するかも知れません。
あるいは、いまあなたを忙しく思わせていることは、実はあれこれ考えるだけで実行に移していないことなのではないでしょうか。実際に時間を使っているのは行動ですか、思考ですか。

★あまり勤勉だと見られたくない。
☆あなたの本当の問題は、ありのままの自分をかくして、他人に見られたい自分を維持することにエネルギーを使っていることかも知れません。
あるいは、自分ばかり仕事を押しつけられると思っているのでしょうか。

★真剣にやって、それでも失敗したらみっともないからいやだ。
★以前にそれをやって、失敗したとか、恥をかいたとか、いやな思い出がある。
☆あなたが本心からに真剣に取り組むなら、結果などどちらでも良いことに思えてきます。
失敗したときの気まずさを気にするのは、何もしないで失敗もない状態とだけ比較するからです。
やりたいことをやらずにいることで、その機会を一生逃すかも知れないと考えてみて、それと比較しても後悔しないと確信できるでしょうか。

★自分のやり方でやろうとすると、なぜかひきとめる力が働いてしまうので、他の人もやっているようなやり方を採用したくなる。
☆あなたには、いまは自分で判断を下すだけの経験の実力も備わっています。あなたが小学生で大人にやらないように説得されているわけではありません。あなたは、いまや自分が説得する側にもなれるのです。

ためいき1


生まれついての「なまけ者」の性分というものが、あるようには思えません。
「なまけ者」とは、後天的に作られた理由で、行動を躊躇しているだけのように思えます。

無理にいまのバランスを崩す必要はなと思います。
ときには、いまのバランスがちょうど良いということもあるでしょう。
しかし、自分でやりたいと思っていながら、一方でそれを禁止している自分がいるというのは、何とかしたいのではないでしょうか。

あなたの禁止令はどんなことでしょう。

無理矢理それを取り除こうとかするのではなく、あなたが自発的にそれを変えようと思うのなら、それは機が熟しているのかも知れません。

いままで自分に言い聞かせて、自分を納得させようとしてきた「いいわけ」に、新しい光を当てて見直してみることです。

あなたが、何とかしたいと長年、外側に解決を求め続けたことも、自分のあり方を変えるだけで、そもそも問題ではなかったことがわかるかも知れないのです。


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思考はプログラムのようなもの

わたしたちは、思考を使って問題を解決しようとします。

しかし思考というのは、わたしたちがすでに持っている記憶や信念を、あれこれこね回すだけで、出てくる結論はあらかじめ用意されたものでしかないという結果に終わるようです。

ですからどのように考えを尽くしても、そこで得られる結論は、自分の信念を超えたものとはなり得ないのです。

わたしたちが思考によって問題を解決しようとする働きは、コンピュータのプログラムのようなものです。

そこには、出来事という入力(インプット)があり、その人の信念(条件分岐)によって思考の順序が方向づけられ、結論という出力(アウトプット)が導かれます。

[出来事] => [思考] => [結論]

[インプット]=>[プログラム]=>[アウトプット]

プログラム{信念による条件分岐とループ(繰り返し)}

キーボード1


たとえば、あなたが「あの人はこれだけしてあげたのにちっとも感謝の気持ちがない」と考えたことで「わたしは怒りを感じる」という反応をもたらす、という場合を考えてみましょう。

[インプット]
 ・出来事(感謝がない)
プログラム
 ・信念(ひとはやってもらったことに対して感謝すべきだ)
[アウトプット]
 ・結果(怒りを感じる)

このケースではプログラムの働きというのは、ごく単純で一つの信念から直ちに、怒りを感じるという結果の反応がもたらされています。

ここで、あなたはもう一つの信念を思い出します。
・信念(他の人をののしることはよくない)

この信念が追加されたことで、あなたはもう一つの結果を作り出す必要があります。

・結果(怒りを抑えて、なんでもないように振る舞う)

[インプット]
 ・出来事(感謝がない)
プログラム
 ・信念1(ひとはやってもらったことに対して感謝すべきだ)
 ・信念2(他の人をののしることはよくない)
[アウトプット]
 ・結果1(怒りを感じる)
 ・結果2(怒りを抑えて、なんでもないように振る舞う)


この結果、反応の仕方は、いくつか生まれてきます。

(A)上記と同じ
   出来事=>信念1=>結果1
(B)いったん怒りを感じるが、それを抑えることにする
   出来事=>信念1=>信念2=>結果2
(C)二つの信念を天秤にかける
   出来事=>条件分岐(信念1または信念2を選択)=>(結果1または結果2)

あるいはあなたは、簡単には選択できずに答えを求めて、考え続けるかも知れません。
感謝しないのは許せないので怒りを感じるが、怒りを表には出したくない、でもやっぱり許せない...

(D)信念1と信念2の分岐を繰り返す
   出来事=>{信念1<=>信念2}=>結果1または結果2

いくらでも複雑にすることはできますが、いずれにしても思考という回路を経由した場合、結果として出てくる反応はあらかじめわかったものでしかないのです。

Dのケースのようにあなたが何度も考えを繰り返しても、そこからは質的に変化した結果はいつまでやっても出ては来ないのです。

ありがとう1

ですから、信念に基づいた思考をいくら続けても問題が解決しないのは、このような理由からなのだとわかるでしょう。

思考には、せいぜい条件を分岐させて、別の選択をすることと、それを繰り返すことしかできないのです。

あなたが質的に変化した解決を探したいと思うのであれば、まずはこのような思考をいくら繰り返してもダメだということを認めることから出発するべきです。

思考(プログラム)を捨ててしまうことです。
信念を使った思考(プログラム)を経由して、解決を探すことをやめることです。

思考を使わない解決とは、思考(プログラム)を経由しませんから、インプットもアウトプットもありません。
たとえば、このようなモデルです。

(X)横並びのモデル
   出来事、信念1、信念2、結果1、結果2

Xの横並びのモデルでは、時間的な順序はありません。
出来事も、信念も、反応も対等に、横一直線に並んでいます。

このときあなたは、
(ひとはやってもらったことに対して感謝すべきだ)と感じている自分を受け入れます。
(他の人をののしることはよくない)と感じている自分を受け入れます。
(怒りを感じる)自分を受け入れます。
(怒りを抑えて、なんでもないように振る舞う)ことも受け入れます。

どのような自分も、ありのままに自分自身であることを認めるということです。

怒っているハート   ハート3


これは必ずしも、心地良いものではないでしょう。

しかし、この状態が不快さをもたらすとしても、思考を使おうとせずに、この状態に止まることです。

(Y)横並びのモデル(この状態に止まる
   出来事、信念1、信念2、結果1、結果2

このとき、新しい結果が生まれる可能性があります。
たとえばこのような、受け入れ方です。

(Z)(新しい解決)
感謝しない人がいることは事実であるし、自分も感謝しないことがあるでしょう。
それを不満に思っている自分を受け入れます。
その上で、自分にしても他人にしても、そのようなことがあるのを認めて許すことを選びます。

思考は、いくら考え続けても、自分の持っている信念や過去の記憶から、自由になることはできません。

あらかじめわかっているような結果を、効果的に出そうとするのには思考を使うのが向いています。
しかし、信念が絡んでくる思考というのは、最初は良さそうに見えても、いつのまにか答えのでない無限ループに陥ってしまうのです。

ですから、質的な変化をもたらすためには、不愉快でも(Y)の状態に止まること、そしてありのままを受け入れるという選択を使うことが必要であるということなのです。


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行為者になろうとしないこと3

考えてもわからないことは、別に問題でも障害でもありません。

たとえば、人間以外の動物や植物は、それを知る方法はわかりませんが、自分で考えて生命を維持しているとは思えません。

植物が、季節を感じて、気温や光を感じ取って、芽を出したり花を咲かせたりすることも、自分で理由を知っているわけではないでしょう。

それは、そのようにあらわれ、起こるべくして起こりますが、理由を知らないことに何も支障はありません。

クラゲの異常発生や、特定の魚が異常に収穫されたりします。
この場合なども、なおさら個々の生物が理由を知ってそのように振る舞っているとは考えられません。

このような現象は、人間の目から見れば、自然のバランスを崩すような、思わしくない出来事に見えたとしても、大自然の働きから見れば、ほんの誤差の範囲でしかないのかも知れません。

あまり人間の観点からだけ考えて、ヒューマニズムで自然を解釈するのは、必ずしも正しいとは言えないでしょう。
間違ったヒューマニズムは、時に自然を見誤ることにつながりかねません。

桜の花


「何故起きるのかを全て知らなくてもいい。」という発想も時には必要かも知れません。

「わたしたちは、全てのことを知ることができるのか?」
これについて、こんなたとえで考えてみましょう。

あくまで、たとえの話ですので、あまり深く考えないようにして下さい。

いまあなたは、この文章をブログの記事として、読んでいるのかも知れません。

ブログを成り立たせている、このパソコンの機能はプログラムでできています。

特定のプログラムのことを、よくソフトと呼んだりしますが、ワープロソフトや表計算ソフトなど、わたしたちが特定の目的のために利用するソフトを、アプリケーションソフト(応用ソフト)と呼ぶことがあります。

ソフトが特定の機能を果たすためには、プログラムをこのアプリケーションソフト(応用ソフト)として作りあげる必要があります。

単にプログラムという場合には、このようなソフトの内部の、汎用的な機能をはたす部分をさす場合が多いでしょう。

前置きはこれくらいにして、たとえの話に移りますが、わたしたちが住んでいるのが、このプログラム(言語)の世界であったとします。

プログラムの世界は、簡単に言えば、個々のパーツがが自分の機能を果たすようなまとまりを持っている、プログラムの集まりであるといえます。

そして個々のプログラムパーツは、忠実にコンピュータへ命令を送り出すための働きをします。
それらは、その性質上、決して間違った働きをすることはありません。
また、自分の決められた働き以上のことをすることもできません。

そして個々のプログラムは、自分の果たす役割については知っていますが、全体としてそれが何の働きをするのかという、「応用」の部分については何も知りません。

プログラム自体は、自分の役割しか知らずに、忠実にその働きをするものであり、応用ソフト全体としての機能については、知り得ない立場にあるのです。

キーボードを打つ


わたしたちが、プログラム言語の世界に住んでいるとすれば、プログラム言語の決まりについては知り得ても、自分がたとえばワープロとして働いているのだとは、どうやっても知ることはできません。

いくらプログラム言語が進化しようと、それが何の目的で使われるかは、それを使用する別の世界に住むものにしか、知りようがないことであるといえます。

またもちろん、ワープロを使用するひとが、それを単にメモ帳として使うか、画像の保管に使うかなどプログラムには知り得ないし、関知しない世界なのです。

ところで、プログラムも、それを書くのが人間である以上、ミスをする場合があります。

それは、アプリケーションのレベルで見た場合の機能上の問題であったり、もっと低レベルのたとえば、コンピュータをハングさせるような問題であったりします。

しかしどちらにしても、原因になるのは、プログラムの作成時のミスであり、これらはプログラマーの世界では、バグ(bug=虫)と呼ばれるものです。

そして、バグというのは、応用のレベルで問題を起こすのであって、バグ自体のプログラムは、プログラム言語としてみた場合には、何も問題があるわけではありません。

「わたしはワープロで文章を書く」と書くところを「ワープロは私で文章を書く」と書き間違えるのは、書いたひとの問題であって、言葉自体には問題がないのと同じです。

しかし、バグは発見されると、その部分が削除されたり、書き換えられたりすることになる運命にあります。

バグにとっては、自分では何も問題を起こしていません。
その働きは、コンピュータから見れば、全く正しい動作です。

しかし、アプリケーションの世界からみれば、それは間違った行動の原因となる、存在してはいけないものとして扱われるのです。

その他にも、バグではなくても、あまり使われなくなった部分は、削除されたり別のものに置き換えられたりする場合もあるでしょう。

それらは、すべて応用ソフトの世界での都合であって、プログラム言語の世界では、知り得ないし、関知しないことなのです。

わたしたちが、プログラム言語の世界にいるとすれば、アプリケーションの世界はわかりません。
そのようなものが、存在するということ自体を認識することはできません。

どうぞご自由に


さて、このような例えで行ってきたことの結論はこういうことです。

「自分のわかる範囲のこと以外は、あなたには何が為されるかは知らされないし、全体としての目的もあなたには知り得ない」

「あなたには、設計者にしかわからないことを知ることはできないが、どう行動してもあなたのできることなら、自由に動いていいのだということ」

「あなたがどう行動しようとも、全体としては目的にかなったことが行われるということ」

そして、これらの結論から導かれる、わたしたちの行動のあり方は、こういうことです。

何が起きるかわかっている行為者として行動するのではなく、行為者にはなれないが、自分の思ったことを思い通りおこなえばいいということ。
また知り得ないことには関知せず、起こることをそのまま受け入れるということ。

あなたの意志としては、何をしようとかまわないです。
いずれにしてもあなたにはできることしかできないし、結果はあなたにはコントロール出来ないのだから。

できないことを、できるフリをしていつづけたり、いつかできると信じて手放さない時、あなたは慢性的な不幸を続けることになります。

それよりも、わからないことは、わからないまま受け入れて、やりたいことを思いっきりやる方が楽しいし、自由だし、罪悪感も感じないのです。

そして、自分は行為者ではないし、他の人も行為者ではないとき、あなたは他人の行為に対しても、不満やねたみや嫉妬を感じる必要もないということです。

あなたは、いままで通り自分の手柄を誇ることもできますが、同時に自分が行為者ではないということを認識していることもできるのです。

あなたは、いままで通り自分の思った結果にならないことを嘆いたり、自分の失敗だと後悔や罪悪感を抱くこともできますが、同時に自分が行為者ではないということを認識していることもできるのです。

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アルファポリス―第2回エッセイ・ブログ大賞について

みなさまに応援いただきました、アルファポリス第2回エッセイ・ブログ大賞の結果が発表になりました。

結果はこちらからご覧になれます。

アルファポリス―Webコンテンツ大賞第2回エッセイ・ブログ大賞発表

※なお投票ユーザ当選者の発表もこちらでご覧になれます。

大賞には至りませんでしたが、皆様の応援のおかげで、「タオに生きる」は特別賞に選んでいただきました。

応援いただきありがとうございました。

お辞儀ハート


これからも、もっと読みやすく、皆さんにヒントを与えられるようなブログを目指していきたいと思っています。

今後ともよろしくお引き立てのほどお願いいたします。

それではご報告まで。

pao


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行為者になろうとしないこと2

ラメッシ・S. バルセカールによれば、全ての行為が、個人的行為者によるものではないことを知的に受け入れるには、自分の経験からその観念を発見することであるといいます。

それを自分(エゴ)に納得させるには、エゴ自身が自分の実際の経験を振り返ることで、そこに起きた重要な出来事は、すべて自分自身の行為ではないことを見つけるのです。

それらが、向こうから起きてきた出来事であり、自分ではコントロール出来なかった事であると認識するということです。

機械を使って選択


つまり、あなたが「私」の行為だと思うことを、毎日振り返り、それらがあなたが行為者として起こりえたことかどうか調べていけばいいのです。

あなたが、それらに正直に答えていけば、自分が行為者だと思っていたことも、すべてあなたのコントロール出来ない要因に依存したものであることがわかってきます。

そして、あなたが行為者でないのなら、この「自分」とはいったい何なのかという疑問に行き着きます。

その結果、本当の行為者はあなたではないこと、
あなたが行為者だと思い込もうとしているのは、
本当の自分ではなくエゴが考え作り出した幻想であることを
発見するに至るのです。

知性と明け渡しとの間には何の衝突もない
明け渡しは知性を通じてある
ただし、あなたが明け渡したときには
知性もまた明け渡されている
けれども、明け渡しを通じて知性は自殺を犯す
それ自身の空しさを見抜いて
それ自身の馬鹿馬鹿しさを見抜いて
それがつくりだす苦悩を見抜いて
それは消え失せる
だが、それは知性を通じて起こるのだ

般若心経  バグワン・シュリ・ラジニーシ めるくまーる /1993-08 Page404


あなたが、自分にはボタンを押すところまでしかコントロール出来ない事を納得して、自分を「行為者」であろうとするのをやめたとき、あなたはありのままの自分を取り戻します。

あなたは、「わたしの行為」であると言い張るのをやめて手放します。
あなたは、「わたし」を明け渡します。
それは、「わたし」が関与しない、「いまここ」でのリアルな体験だけになるのです。

そしてそのときこそ、あなたはどのような結果であれ、そのまま受け入れるということができるのです。

この<受容>の中で
この<タタータ tathata>の中で
この<如性>の中で
一切の懸念が消え失せる
あなたは懸念から自由になる
そうしたら、そこには何の問題もない
そして、何ひとつ止めることもできなければ
何ひとつ変えることもできず
何ひとつ生み出すこともできない
物事はそのあるがままであり
そして物事はこれからもあるがままにあるだろう
そうしたら、あなたがやることなど何もありはしない
あなたにできるのはただ
それらの物事が起こるのを見守ることだけだ
あなたは、それらの物事に中に参加することならできる
在り(be)なさい
その在ること(being)の中に静寂がある
その在ることの中によろこびがある
その在ることこそ自由なのだ

般若心経  バグワン・シュリ・ラジニーシ めるくまーる /1993-08 Page163



参考

人生を心から楽しむ―罪悪感からの解放
ラメッシ・S. バルセカール マホロバアート / 2004-02




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行為者になろうとしないこと

「牛をさばく料理人」などで「行為者」について書きましたが、「行為者」という意味が、予備知識がないとわかりにくかったかも知れません。

そこで今回は、そのあたりに焦点を当てて考えてみたいとおもいます。

わたしたちが自分の意志で行動を起こし、完全に思った通りに結果を出せるのであれば、そのときは自分が「行為者」であると言い切ることができます。

しかし、現実にはどのようなことが起きるのでしょうか。

あなたには、自分がやりたいと思うことは、なんであれ、自分の判断にしたがってやろうという自由意志を持つことができます。

さて、あなたが何かをやろうと思い立ったあと、どんなことを経験するのでしょうか。

まず、あなたがやろうと考えたことのうち、一部は実際に実行にうつされますが、その他は考えただけで実行はしません。

つぎに、あなたが実行したことの結果は、あなたが期待した結果に終わることもあれば、期待に添わなかったことや、全く反対の結果に終わってしまうこともあります。

あなたの自由意志とは、あなたの思いつく範囲なら何でも考えられること、そして実行に移そうと決心することまでなのです。

そしてその先の、結果がどうなるかは、あなたが制御できることではないという事実が、厳然として存在するのです。

ですから、あなたはものごとに対しての、真の「行為者」とはなれないのです。

またさらにいえば、「あなたの思いつく範囲なら何でも考えられること」という表現を使ったのは、あなたの考えることも、実は完全に自由というわけではありません。

あなたの考えは、それまでのあなたの経験や生育環境、あるいは遺伝そのほか、あらゆる要因によって限定されたものでしかないのです。(この点については今回は省略します)

クラブを選ぶ


さて、あなたが不完全な行為者でしかないとすれば、あなたはどうすればいいのでしょうか。

ものごとは、常に変化しあなたにはとらえきれないものです。

「言葉で説明できるようなものは、本当のではない」老子

それについて、このようなたとえを考えてみましょう。

ブラックボックスという言葉を聞かれたことがあるでしょうか。

ブラックボックス(Black box)とは、内部の動作原理や構造を理解していなくても、外部から見た機能や使い方のみを知っていれば十分に得られる結果を利用する事のできる装置や機構の概念。転じて、内部機構を見ることができないよう密閉された機械装置を指してこう呼ぶ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



ものごとがどのように起こるのか、いいかえればタオ)というのは、ブラックボックスのようなものと、とらええることができるでしょう。

ここで、ブラックボックスをもう少し分かりやすく考えるために、簡単なモデルを考えてみます。

ブラックボックスには、ボタンが2個とランプが2個ついています。
ボタンは、赤いボタンAと青いボタンBです。
ランプは、赤いランプXと青いランプYです。
ボタンとランプの関係は試していかないと分かりません。
また、ブラックボックスを開けてみることはできません。

機械を使って選択


ボタンは、あなたの意志や行為であり、ランプは起きてくる出来事にあたります。

いまわかっているのは、Aを押しているあいだXが点灯し、Bを押しているあいだYが点灯しているということです。

あなたは、色々ボタンを試して見ます。
AとBを同時に押すとどうなるかとか、そのあとBだけ離すとどうなるかとか。
Aを押して2秒後にBを押すとどうなるか、などなど、試す方法はそれこそ無限に存在します。

あなたの意志と出来事の関係が、このような関係にあり、その間の因果関係は、試した範囲でしか分かりません。

このような状況で、あなたはどのように意志を働かせ、どのように行動するのがいいと考えるでしょう。

あなたが、どうしても因果関係を突き止めたいと思って、膨大な実験を積み重ねたとき、新たな事実が発見されます。

あなたがボタンを押し始めてから、ある回数(たとえば一万回)に達すると、いままでの法則が全て変わってしまうという事実です。

どうやらあなたは、一万回のテストの後は、また因果関係を位置から調査しなければならないようです。

わたしたちは、歴史を振り返っても、因果関係の法則を求めていろいろな哲学や宗教を考え出してきました。

どれもある範囲では、わたしたちが生きる上で役に立ってきました。
そして、同時にわたしたちを不幸にする要因ともなってきました。

このようなブラックボックスのモデルで世界を考える時、確実に言えることは、あなたにはその原理はいつまでも分からないということです。

いいかえれば、あなたは自分の自由意志で、完全に生きることは出来ないということです。
あなたは、意志と結果が完全に一致するような行為者には、どうやってもなれないということです。

テスト100点

そこで、わたしたちの中では、「行為者」となることをあきらめて、起こることに抵抗しないという考え方が生まれてきます。

あなたは、どんなときも自由に自分がやりたいと思うボタンを押すことができます。
それについては、誰も制限しないのです。
そして、それを楽しむ一方で、起こったことはあなたの意志の関知しないことだと考えればいいわけです。

起きることは、あなたの望み通りであったり、全く反対の結果であったりもします。
それに抵抗したり、結果に罪悪感や後悔の念を抱く必要はありません。

結果の非難


あなたにできることは、ボタンを押すところまでなのです。

あなたは、自分の知りたいボタンの押し方だけを知っていればいいのです。
ボタンのルールがいままでと違ってきたことが分かれば、知りたいルールだけ確認して、あとは関知しなくてもいいのです。

「言葉で説明できるようなものは、本当のではない」
と老子が最初にいうのはこういうことではないでしょうか。

いくら説明をつけても、それは全体を説明できるものではなく、その説明も時と場所、状況次第でいくらでも変化するもの。

ですから、そのようなことは、わたしたちが考えるべきことではないとして、起きてくることを、ありのままに受け入れることである。

それが「無為自然」に生きることであると。

綱引き

あなたが、自分を「行為者」であろうとするのをやめたとき、あなたはありのままの自分を取り戻します。

あなたは、「わたしの行為」を手放します。
あなたのおこなうことは、「わたし」を明け渡した、いまここでのリアルな体験だけになるのです。

そしてそのときこそ、あなたはどのような結果であれ、そのまま受け入れるということができるのです。


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この気分はどこから

あなたはいま喫茶店かレストランに入って、外の景色を眺めていました。
ふと気がつくと、何か憂鬱な気分になってきました。

このような気分の変化は、突然どこかからやってきたように感じるかも知れません。
しかし、そこにはあなたをそういう気分にさせる何かがあったはずです。

気分の変化を起こさせるような、何かの刺激。

あなたは、外の景色を眺めていて、そこで何かを見たのかもしれません。
遠くに見える山の上になにかの建物がありました。
それは、あなたに過去の何かを思い出させて、気分に変化を起こさせます。

レストラン食事女性


あなたは、そのお店に入ってきてから、全然意識していなかったのですが、そこで流れていたBGMが、あなたに何かの思い出に結びついた気分を起こさせたのかも知れません。

あるいは、まわりの席で、小さな子どもが泣き出したのを聞いたり、お母さんかだれかが、子どもを叱っているのを聞いたのかも知れません。

あなたはそれらのことを、ほとんど無意識のうちに感じ取り、知らない間に気分が変化していたのです。

もしかすると、もっと意識しにくい刺激があったのかも知れません。
そのお店には、あなたの記憶を呼び起こすような、微妙な香りが漂っていたかもしれません。

お店の中の照明や外の明るさとの対比、その微妙なあかるさは、あなたに何かの記憶を呼び起こす原因になったかも知れません。

こうした気づかないうちに起こった、刺激から気分への影響は、一時的なもので終わったかも知れません。
しかし、そこであなたが、気分に関係した思考を働かせ始めていたとしたら、それは一時の刺激が完結した後も、あなたの半分無意識のなかで、気分を変化し続ける働きをしてしまいます。

深呼吸


わたしたちは、ふだん呼吸していることを、ほとんど意識していないでしょう。
何かのきっかけで、自分が息を吐いたことに気がついてはじめて、自分の呼吸活動を意識するのです。

これと同じように、わたしたちの多くは、ほとんど無意識のうちに思考活動を行っています。
誰かに指摘されないと、自分が物思いにふけっていたことに気づかない場合も在ります。

さきほどの、気分が呼び起こした記憶は、あなたに次々と思考活動を始めさせます。

それは、その思考と結びついた気分をあなたにもたらし、何となく落ち込んだり、気分が重くなったりするのです。

しかし、あなたがその気になれば、このような自動的な気分の変化に気づいて、そこで起きているあなたの思考をとらえることは、それほど難しいことではありません。

あなたが少し自分の気分に目を向けて、そのとき何を考えているかを捕まえる練習をすれば、それはすぐに習慣となって、自動的に不愉快な気分に陥ってしまうことを、防止することができます。

それは、気づけないのではなくて、あなたが自分の考えによって、気分を左右しているという事実そのものを、知らないからなのです。

それが事実であることは、ご自分で試して見ればすぐにそうだとわかることです。

あなたが物事を解決しようと、「思案している」つもりでいた時間の多くを振り返って見ましょう。
それが、実はあれこれと、その気分を維持するために思考を働かせていただけであったことに気づくのです。

腕組み子ども


なぜ、こんなに考えているのに、何も答えが出ないのか。

それは、自分が答えのでない問いかけをし、その裏側で自分の好みの気分(それは多くは不快な気分)に浸るための思考を巡らしていたからなのです。

なぜかわたしたちは、自分にとって不快である感情を引き起こすために、いろいろな考えを思い出してはそれを維持しようとします。

それは、かつてはあなたの役に立つことがあったのかも知れません。

しかし、いまあなたが特定の気分に浸る傾向があり、それをやめたいと思うのなら、方法はあります。
自分の思考をチェックして、それがもはや事実ではなく、あなたがそれを作り出しているだけなのだと気づくだけでいいのです。

気分とは、自動的にどこかからわき出してくるものではなく、あなたの考えることがそれを生み出していることを知り、自分の気分を主体的に選択するのだと決意することもできるのです。

あなたは、普段意識していなくても、意識して呼吸することもできます。

同じように、自動的で半分無意識な思考が、あなた時間を占領してしまわないように、あなたが主体的に考えることを決めることは可能なのです。

それが、あなたの役に立つかどうか、もしやったことがなければ、すぐにでも試して見ましょう。
少し時間をとって、あなたの考えることを第三者のように見守ってみれば、すぐに分かります。

あなたは、おそらく一分もしないうちに、自分が何かの思考に飛んで行ってしまうのを発見するでしょう。そしてそれに伴って気分が変化するということも。

それは、あなたに画期的な変革をもたらすものになるかも知れません。

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ほんものの自己

わたしたちは様々な場面で、ひとりの人間でありながら多くの役割を演じています。

そして、いつのまにかその役割自体が、自分そのものだと思い込んでいることが、ほとんどかも知れません。

父親、母親、兄弟、夫、妻、上司、部下、厳しい指導者、ひとのいい友達などなど。

その役割というのは、まわりの状況から、それを次第に身につけざるを得なかったのかも知れません。あるいはそんな中で自分にはこれが好みだ、というものを自ら選んだのかも知れません。

役割を演じるとき、最初はそれは演じているものだったかも知れませんが、そのうちに何が本来の自分で、なにが役割なのかが分からなくなっていきます。

そのうち、「わたしとはこういう人間なのだ」というように、自分自身にも、他の人に対しても宣言するようになってきます。

しかし、それはいつまでたっても、役割であることには代わりありません。

そして、その奥に隠れてしまった「ほんものの自分」というものを、いつまでも無視していると、わたしたちは、いつも何か物足りない人生を、生きていることになってしまいます。

デーヴィッド・ケスラーは、死の床にある女性に「いまの自分はどんな自分ですか?」とたずねました。

「自分に期待されている役割がいろいろあって、その役割のなかにいたときのわたしは、とても凡庸な、通俗的な人間になっているような気がしていました。わたしのじゃなくて、その他おおぜいの人たちのでもよかった人生を生きているような感じ。ほかの人の人生とどこがちがうのかしらって、いつもおもっていたわ。
でも、病気になって、よくわかりました。世界にわたしというものは、このわたししかいないんです。わたしが世界をみたり経験したりしているのとまったくおなじように世界をみたり経験したりしている人は、ほかにだれもいません。だれもできるはずがないんです。時間がはじまったときから時間がおわるときまで、もうひとりのわたしなんて、ぜったいにいないのよ」

ライフ・レッスン』 エリザベス・キューブラー・ロスデーヴィッド・ケスラー 角川書店 2001-11



叱る母親 子どもと遊ぶ カップルお茶

ほんものの自分は、忘れられているだけではなく、いまやそれを表に出すことに苦痛を感じる様になってしまったものもあるでしょう。

いまの自分の価値観からすれば、受け入れるわけに行かない自分というものは、それが顔を出そうとするときに苦痛をもたらします。

そんなのは自分ではないと否定したがるのは、多くの場合、意識しやすい部分、自分の信念などに囲まれた自分です。

しかし、それが本当のあなた自身である限り、それを押さえ込むことは、あなたを全体として扱えなくすることにつながるのです。

一部分を隠し続ける限り、あなたはそれと結びついた自分を解放することが出来ません。

それが、なにか本当には生きていない、という感じをあなたにもたらすのです。

あなたが、これはほんものの自己であることを認めるようになったとき、いろいろな気づきを持つかも知れません。

あなたは、自分の家族の面倒を見て、いつも自分のことは二の次にしていたのに気づいて、もっと自由に自分のやりたい「道楽」をみつけるかもしれません。

あなたは、自分がいつも「いい人」でなければいけないと思って、自分の感情をころし、他の人をあざむいて自分を演じていたことに気づくかも知れません。

そして、これらの制限を外したとき、それでも、ありのままの自分でも、人は自分のことを嫌いになるわけではないと発見するかも知れません。

2つの感情


あなたは、自分の行動や信念が、実は恐れから作られたものであったことに、気づくかも知れません。

あなたが、何度も「正しさ」を主張したくなったり、「こんな人間は許せない」と強く感じる時、その裏側には何かの恐怖が潜んでいるのかも知れません。

自分の利益を考えたとき、そうするしかないと感じて、無理やり自分のあり方をつくりあげ、その正しさを裏付けてくれる意見ばかりを、ひとから求めていたかも知れません

世の中とはそんなに甘くないと主張するのは、自分の苦労を他の人も味わうべきだと思うからかも知れません。

「自分の言うとおりにしなさい、これが正しいやり方だよ」と主張したがるのは、相手が自分でものを考えるようになることで、もはや自分を必要としなくなるのを恐れているのかも知れません。

相手の才能のあら探しをするのは、自分の方が優位であることを見つけて、少しでも自分への評価の低さをごまかしたいのかも知れません。

社会の問題を追求し続けて、こんなひどい世の中なのだからといって、自分の問題に直面するのを避けているのかも知れません。

老夫婦1


苦痛のないことだけを認めていても、本当の自分は見えてきません。

しかし苦痛を感じてまで、自分を振り返ろうとしないのが、わたしたちが本当の自分を隠してしまう理由なのでしょう。

自分の余命が限られていることを突然知らされたり、あるいはほんとうの感情を告げないまま、相手との別れの時がきてしまったことが、あなたを変えるかも知れません。

しかし、それはその時まで待つ必要はないのです。

なにが、本当の自分を隠してしまっているのか、どんな役割にとらわれているのかを探ることは、本当の自分をみつけ、後悔のない生き方を取り戻すためには必要です。

自分がそれほど正しくなく、いい加減な人間であることを発見することは、実際にやってみればそれほど怖いことではないことに気づくものです。

それは、複雑なことではなく、どれだけ自分に正直になれるかどうかの決心次第といえるのではないでしょうか。

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明け渡すということ

わたしたちは状況を操作したがり、自分の手でものごとを起こそうとしたがります。

活動的であることが、自分の力の存在の証であり、無抵抗に受け入れるのは弱さだと考えます。

しかし、いまや自分で何でもコントロールするというのに、限界を感じる必要があると、多くの人たちが感じ始めています。

あなたが販売にかかわっているなら、いかに売り上げを伸ばすかという方法を考えなくてはなりません。
成り行きに任せとけばいいよ、というわけにはいかないからです。

あなたが、機械やコンピュータを相手の仕事をしているのなら、いかにしてミスをなくして機械に正確な動作をさせるかを、考えなくてはなりません。
あなたの気分しだいで、まちがった命令を与えれば、機械は正確にまちがった動作を返してくるからです。

しかし、それでも、「あなたは全てをコントロールし尽くすことはできない。」という事実を受け入れなくてはなりません。

ari.jpg


あなたがせっせと自己啓発に努めて、自分の能力を開発し続けても、あなたは肩の荷を少しも下ろせるものでは無いのです。

なぜならあなたのしていることは、自分のコントロール出来る能力を高めようとしていることだからです。

あなたはコントロールする能力をいくら高めても、全てのことをコントロールすることは出来ないのです。

それどころか、能力を高めた分、あなたは今まで以上に多くのことを、背負い込むことになるのです。

あなたに必要なのは、そういった方向での努力は、根本的な解決にはつながらないことを、認めてしまうことです。



ひとは自分を明け渡すことによって、限りない平和を感じることが出来ます。

しかし、たいていの人は、自分を明け渡すこと、自分以外のものに任せてしまうことを恐れます。
それは、屈服することであり、あきらめであり、負け犬になることだと考えるのです。

なりゆきにまかせることなど、とても不安で出来ないのです。
いつも自分がコントロールし続けていないと不安なのです。

しかし、わたしたちが、状況に任せて自然に生きていることが、そんなに無謀なことだと信じこんでいるのは何故でしょうか。

わたしたちは、自然に成り行きに任せて、自分の力を明け渡したからといって、そこら中で問題にぶつかるようには出来ていないのです。

だから、たえず何かに悪戦苦闘しているひとというのは、自らのやり方や信念を、もう一度振り返って見た方が良いかもしれません。

自分で問題を作り出しては、それを解決して、それによって自分の力を確認するようなことになっていないでしょうか。

               リラックス1


自分で抵抗しなければ、ひとはもっとリラックスして、静かな心でいられるものです。

いつもいつも、自分が状況や、仕事や、人間関係について主導権を握っていなければならないわけではないのです。

あなたが何もかもコントロールしなくても、ものごとはなるべくして、なるように展開していくものだと気がつけば、あなたはそれを手放し、肩の荷を下ろせるのです。

あなたが、もうこれ以上状況を自分でコントロールしたり、競争に明け暮れることにうんざりして、疲れ切ったと感じるなら、自分の力を明け渡すことを考える時なのかも知れません。

明け渡すということに不安を感じるのなら、いま自分がコントロールしていると思っていることを、振り返って見て下さい。

あなたが、きょう一日で成し遂げたと思っていることが、本当に自分の力ですべてやったことなのかを振り返って見て下さい。

そうすれば、実際に起きていることは、一方であなたが自分の力でやっていると信じていますが、その一方であなたの思いに関係なくものごとが展開していることに気づけるでしょう。

手放すというのは、あなたがものごとはこうなるべきだと思うことをあきらめて、起こってくることをそのまま受け入れるということです。

そして、あなたのこうなるべきだという思いは、根拠のないものであり、薄々気づいているように、あなたがどう思おうと、どうなるかなど誰にも分からないことを認めることです。

植物との共生


よくないと思っていた状況も、長いスパンで見れば、結局は良い結果につながっていることや、いいと思っていたことも、かならずしも思ったほどはよくないものだったことに気づくのです。

コントロール出来ないことまで、コントロールしようとしないことです。

自分は最善の方法を知っている、と思う傲慢さを捨てることです。

そのような思い上がりは、あなたを現実と格闘させ、どうにもならないことに気づきながら、尚もそれを認めようとしないという悪循環に導いてしまうのです。

明け渡すことは、自分の負けを認めることではありません。

「降伏」することは、もうどうしようもなくなって、何も出来なくなる状態ですが、「明け渡す」ことは、出来ない事は出来ないと認めて、起こることに身を委ねることです。

状況から逃げ出してしまうのが「降伏」であり、どんな状況でも、その状況でのあり方があると信じて身を任せるのが「明け渡し」なのです。

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牛をさばく料理人

あなたが「行為者」でないとき、ものごとはただ起こります。

この点をもう一度考えてみましょう。

あなたは普段から、自分がやろうと考えたことに取り組み、あなたが思ったとおりにものごとを成し遂げたと考えます。

しかし、よく考えれば、あなたが意識して行っていることなど、ほんのわずかな一部分に過ぎないことに気づくでしょう。

私が今この文章を書いているときも、おおざっぱに書く内容を思い浮かべたあとは、ごく自然に文章が書き上がっていきます。

途中の一文字一文字をどのように書いたかなど、いちいち意識しているわけではありません。

また書き上がった文章を読み返すとき、自分が予測したものと、出来上がった文章は別物と言ってもいいくらい、予想とは違ったものであることもしばしばです。

あなたにも自分が書いた文章を、時間をおいて読み直してみれば、本当に自分が書いたのだろうかと思うことがないでしょうか。

あなたは、新しいことに取り組むときには特に、意識してそれを行おうとします。
その時あなたは、そのことをすべて自分が行為者としておこなっている考えるのです。

しかし、たとえばあなたがそれと同じことを、昨日もやっていたなら、あなたはもう分かっているので意識しません。
あなたは、あたかも自動的にそれが起こるように、それをやり遂げます。

これらに、違いはあるのでしょうか。

違いがあるとすれば、あなたが未経験なことを失敗しないようにやろう、そう考える自意識があるかどうかだけです。

それ以外には、実際に起きていくものごとに違いなど無いのです。

書く1


あなたが自分が行為者だ、誰かが行為者だ、という考えを持たずに行動するとき、あなたは自然に起こるに任せてものごとを成し遂げます。

そのときあなたは結果を恐れません。

また誰がそれをやったかを考えて、あなたに対する賞賛を求めたり、誰かを賞賛しなければならないと考えたりしません。

あるいは自分への優越感や、やりとげた人への嫉妬や羨望を感じることもありません。

失敗に終わっても、誰の責任かを考えて、不要な自責の念を抱いたり、他人への非難を考えなくてもいいのです。

これらのことが起こらないとき、あなたはどれだけ束縛されずに、自由や安心を感じるでしょう。

急いで出勤


誰が「行為者」であるかを考えない、これは奇妙な考えに聞こえるでしょうか。

しかし、じつは普段から、あなたも何も考えずに行為していることの方が多いのです。

そして、思い出したように、私がやり遂げたとか、誰がやったことだ、という意味づけを行うのです。

その意味づけが、あなたに批判や不満や嫉妬を生み出すのです。

あなたが、自分が「行為者」であることを手放すとき、あなたは自由と平安を取り戻すのです。

傲慢さを無くして謙虚になることは、単なる道徳ではありません。

想像してみて下さい、あなたが成し遂げたという傲慢さを手放したとき、どれだけ軽やかに平和を感じられることか。

では最後に、自分が「行為者」ではなく、牛をさばく料理人の話(荘子)をご覧下さい。

牛を切る料理人の話

さて、今度は牛をさばく料理人の話だ。 料理人
王の料理人が牛を裂いておった。
ついっと腕が伸びると肩が切り落とされ、足を踏ん張って膝を切り取り、
まるで風に乗って動くように
刃物がすっすっと動いて、牛はバラバラになる。
そのリズムといいタイミングといい、
まるで古代のダンスを舞っているかのようだ。
「見事な腕前だ」
と、王さまは叫んだ。
「まったくお前の包丁さばきは完璧だよ」

「包丁さばきですと?」
と、料理人は言いながら、牛を裂く包丁を横に置いて、

「私が致していることはタオに従うことでして、
包丁さばきがうまいとかいう問題ではありません。
始め、私が牛をさばき始めたときには、
目の前に牛全体がひとつのかたまりになって見えたものです。
三年の修練を経ると、もはやひとつのかたまりには見えなくて
部分部分が見分けられたのです。
そしていまや私は、その部分部分も見ないのです。

私の目や頭がいちいち見分けるのではなくて、 ウシ2
私の体全体が牛を理解しております。
私の内にある魂が自由に動きまして、
その直感に従って包丁を入れるのです。
牛の持っているごく自然の道を通りましてな、
隠れた場所を見つけた包丁がその隙間に従って動いてゆくのです。
ですから、間接を無理に切ることはありませんし、
骨をぶち切ることも致しません。

本当の良い料理人は一年中一本の包丁で足ります。
それで一切を切ります。
下手な料理人はまず、ひと月に一本は新しい包丁を使いますでしょう。
なぜなら彼はぶった切るからです。
私はこの同じ包丁を十九年も使っておりますよ。
すでに千頭もの牛を切り分けたでしょうな。
それでいて、刃の先はまるでいま研いだかのように鋭く光っております。

牛の関節には必ず隙間がありまして、また、
胸の骨にも背の骨にも、薄い所に必ず隙間はございます。
その隙間を見つけることが必要なのでして、そこに包丁が入れば
まるでそよ風がそよぐようにすっすっと刃が入ってまいります。
ですから、ごらんのように十九年も切っておりますが、
この包丁は、いま研いだかのようです。

もちろん、難しく組み合わさった関節もございます。
そんなときには、私はゆっくりと刃先を動かし、また、
後ろに下がって、よく見直すこともございます。
それからさっと刃を入れますと、まるで土くれのようにぽろっと
その部分が地面に落ちるのでございます。

あとはもう、静かに立って包丁を拭き、そして、しまうのでございます」

王様は言った。
「まさにこれだ。この料理人は、
人の生き方の大切なコツを教えてくれたぞ!」

牛を切る料理人の話(養生主篇)
荘子 ヒア・ナウ 加島祥造 PARCO出版



私が致していることはタオに従うことでして、包丁さばきがうまいとかいう問題ではありません。



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自然のままで十分?

頭であれこれ作為しないこと、

タオに生かされているのだと知ること、

それが無為ということだよ。

「老子」第10章

『水泳の達人』

孔子が呂梁川にある滝を見ていた時の話だ。
この滝というのは、五十メートルの高さから落ちてきて、
すさまじい勢いで流れ下ってゆく----
魚だって、カワウソだって、棲みつくどころか泳ぐこともできない。
ところで、孔子が見ているとき、ひとりの男が水の中に飛び込んだ。
孔子は、その男が何か人生の苦労に耐えきれずに
命を縮めるために身投げした、と思った。
それで、弟子たちを川岸に並ばせて、
岸から男を引き揚げさせようとした。
ところが男は、百メートルか二百メートル先のほうで
水面にひょういと出て、岸の方へ抜き手を切って泳いで来る。
岸に上がって、髪は濡れたままで、のん気に歌を歌いながら歩いてゆく。
孔子はその姿に驚いて、追いついて、こう聞いた。
「まあ、君は人間わざじゃないことをするね。
いったいあの流れの中で、どうやって浮いていられたのかね?
ちょっと教えてくれないかね?」
「別に特別の方法なんてありませんや」
と、男は言う。
「自分の持っているものだけで、十分なんですよ。
自分にそなわっている性質と体とを、自然の力に任せただけでさあ。
自然はね、おれが渦巻きの底まで行くと、次には、
浮き上がらせる力がある。
それに従って動いて行けばいいだけで、
何か他に考えたりはしないのさ」
孔子が言った。
「いったい、自分に自然にそなわったものというのは、何だね?
どうも私にはよく分からんのだが、
なぜ、自然のままで十分だと言えるのかね?」
「私はね、丘のある土地に生まれて育ったから、丘は安全だと思っている。
それに小さい時から水に慣れて育ったから、水を安全だと思っている。
これが私の中にそなわった自然の性質ですよ。
別に自分がしていることを学んだわけじゃない----
ただ、大きな力に任せて動いているだけさ」

荘子 ヒア・ナウ 加島祥造 PARCO出版



この荘子の話の中で、孔子は「なぜ、自然のままで十分だと言えるのかね?」と問います。

孔子は人為的な決まりに従って生きることを説きますから、無為に任せると言うことが、理解できません。

行為者である人間が何かを為さなければ、ものごとは起こらないのだから、と考える訳です。

「私」が「行為者」であるとき、あなたは賞賛を期待します。
「あなた」が「行為者」であるとき、あなたは嫉妬を抱きます。

誰が「行為者」であるかで、あなたの感じることが変わります。

しかし、どちらにしても、あなたは自分が「行為者」であるときには、その責任を取らなくてはいけません。

困る男性     悩む女の子

「私」が「行為者」であるとき、あなたは結果がどうなるのかを心配します。

「私」がそれをやろうと考えた「行為者」であり、出来事が起こった結果は、全て「私」が成し遂げたことなのです。

失敗に終わったときは、「行為者」である「私」が何かまずかったのだ、と考えなければなりません。

その出来事は、「私」がやろうと思ったかどうかにかかわらずに、起こります。

あなたは「こうしようと」思ったから、出来事が起こったと考えますが、たまたま出来事はあなたが考えたように起こったのです。

そして、結果については、あなたは実は何もコントロール出来ない。

あなたがどう考えたかにかかわらず、ものごとは起こるべくして起こり、次の出来事に繋がっていきます。

起きた結果は、あなたの予想通りかもしれないし、期待はずれかも知れません。

プレゼント受け取る男性      困惑


うまくいけば、安心し、他人からの賞賛を求めます。
失敗すれば、罪悪感を感じます。
もっとうまくやれたかも知れない、とあなたを責めます。

あなたが、自我を「私」と考える時、恐れが生じます。

他人に賞賛を求めるとき、束縛が生じます。
結果を期待することが恐怖を生み出します。

あなたが正しい結果を決めるときに、まちがった他人が登場します。
また同時に、まちがったあなたを非難する「私」を作り出します。

しかし、ものごとが「私」にかかわらず起こると考えれば、全く違ったようにものごとが見えてきます。

ものごとの「あるがまま」に確信を持てるとき、それを何も変えようとせずに、受け入れるとき、そこには恐れが入り込む余地はありません。

あなたがやるべきだと思うことをやり終わったら、あとは一歩退いて、結果は結果に任せる態度を取るとき、心は平和です。

あなたが自らコントロールするのをあきらめることで、心配や非難は消えて心は平和を取り戻すのです。

「私」が、あるいは「誰」が行為者である、という見方を捨てて、ものごとは起こるように起こる、誰も行為者ではないと考える時、あなたは自我から自由を取り戻します。

あなたが自分でやろうと思ったことを存分にやって、しかも行為者にはならないとき、結果は結果に任せることになり、あなたの問題は消え去るのです。

「自分の持っているものだけで、十分なんですよ。
自分にそなわっている性質と体とを、自然の力に任せただけでさあ。」



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あなたは被害者を続けますか

--------------------------------------------
そんな扱いはないだろう!

あなたの気持ちは、踏みにじられました。

あなたは、なんてひどい人間だ、と相手の間違いを主張したくなります。

このように、恨みの気持ちがある時には、必ずあなたの側に「相手は絶対まちがっている」という考えが存在します。

裏を返せば「自分は絶対に正しい」という考えに、あなたはしがみつくことになるのです。

あなたが、自分の正しさにこだわり続けると、どうしていいのかわからなくなり、身動きがとれなくなります。

(「うらみを終わらせる方法」より)
--------------------------------------------

こうした「あなたが被害者である」という物語は、現実がひどいものだろうと、素晴らしいものだろうとお構いなしに、あなたを苦しめることになります。

あなたが、被害者であるのをやめない限り、その苦しみは続きます。

いや自分はそんなつもりはない、ありのままに起きていることしか見ていないと、あなたが言うのなら、苦しみはそこにはないはずです。

苦しみが消えないのは、あなたが何度も何度も、その物語を自分に語って聞かせているからです。

怒っているハート


あなたが、過去に自分がいかに不当な扱いを受けたのか、それを思い出しながら、自虐的になろうとするか、あるいは、機会を見つけては誰かとけんかを始めようとするのです。

あなたは、その物語が消えて無くならないように、何度も再演を続けているのです。

もし、あなたがそれを終わりにしたいのであれば、その物語から自由になりたいのであれば、出来る事はあなたが被害者であるのをやめる決心をすることです。

被害者であることをやめるというのは、あなたに起きたひどい出来事の存在を否定したり、軽く見たり、あるいは誇張したり、縮小したりすることではありません。

あなたは被害者などではなかった、と言い聞かせることでもありません。

それがどんなことであろうと、それと完全に向き合うということです。

あなたは、隠れたり、逃げ出したり、正当化したりしないで、事実と向き合うことです。

そうしたければ、泣き叫んでも、悪態をついても、愚痴を言ってもいいですが、それをいつまでも続けたりせずに終わりにすることです。

                鎖から解放


いつまでも被害者であり続けようと、物語を再現するのではなく、起きた事実と向き合った上で、これ以上自分を被害者の立場に置くことを放棄することです。

あなたを苦しめたひどい人達を、罰しようとしないで、あなたを自由にするためなら、全てをチャラにしてもいいと決意することです。

あるいは、あなたは時には被害を加える側だったかも知れません。
それであれば、そちら側のあなたも許してしまいましょう。

被害者、加害者両方の側から、責任を追及するのをやめて許してしまいましょう。

どうしても許せない、今までの怨みを忘れないといって、いつまでも苦しみを続けたいのであれば、そちらを選ぶのもあなたの自由です。

それをお終いにするかどうかを決められるのは、あなただけです。

あなたが、どこで被害者、加害者であったのかに気づけたのなら、それは一つの前進です。

なぜなら、あなたはその存在に気づかないままで、なぜか定期的におそってくる怒りの感情につきあいながら、共にいつづけるかも知れなかったのですから。

ハート3      はとの親子


つぎは、それを手放すかどうかです。

いままで苦しんできたことを、何年も繰り返し言い聞かせてきた物語を、何の見返りもなしに手放すなんて出来るわけがない、と考えますか。

しかし見返りは充分すぎるほどあるはずです。

何年も繰り返してきた物語を終わりにすることで、あなたの苦しみも、同時にお終いに出来るのです。

どちらでもあなた次第です。


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道を求めること

生きる「」を求めたり、生きがいを「」に求めるということがあります。

言い換えれば、その「」の為に努力することを生きがいにする、拠り所にするということです。

孔子は「明日にを聞かば夕べに死すとも可なり」と言いました。

しかし、このような誰かが決めた「正しい」というのは、どれほどの正しさがあるのでしょうか。

標識


確かなものが見えないとき、ひとは不安や孤独に耐えられないため、何かにすがろうとします。

これが正解だと「正しい」なるものを、説得力を持って示されれば、思わず飛びついてしまうものです。

それを信じることで、自分の正しさが保証されるとなると、自分に自信を持てない人ほど、それを信じたくなります。

この通りにしていれば、あなただけは天国に行けます。あなたは選ばれた人になれます。

このようにいわれてしまうと、自分も選ばれた人になりたいと思ってしまうのです。

ただ、そのようなことを唱える人は、必ずしも人を騙そうと思っているとは限りません。

そのような人もいるかも知れませんが、大抵は自分自身もそのことを信じているわけでしょう。

なまじ説得力を備えていたりすると、その人が与える影響は大きいものになってしまいます。

それが唯一の正解であれば、問題はないのかも知れませんが、そもそも唯一の「正解」というのがあるものかどうか、これが問題なわけです。

なにかの「正しさ」を真剣に信じてしまうことは、あなたの視野とこころを狭めてしまいます。

その正しさを守るために、あなたは自分の正当性を主張し、意見の違う人を批判し、議論しなければならなくなるのです。

待ったをする主婦       怒る主婦1


正しさ」を拠り所にするがゆえの弱さが、そこには生じてしまいます。
拠り所が崩れ去ることに、恐怖を覚えてしがみついてしまうのです。

しかし、柔軟さや余裕を失った心は、見える世界を狭いものにしてしまいます。

自分こそが正しいと思うことは、あなたが生きることを窮屈にしてしまいます。

生きる上で大切なことは、正当性ではなく柔軟さや余裕です。

柔軟で、遊び心があり、融通の利くこころ、曖昧さを受け入れられる能力が必要です。

目的というのは、時代や国や地域、年齢や経験、そしてその日の気分や状況によっても、容易に変わってしまうものです。

ところで、老子こそ「道だ、道だ」といっているではないかと言われるかも知れません。

しかし、老子が言う「道(タオ)」は、具体的なもの、人為的なものではありません。

老子は、そもそも最初に、次のように言い切ってしまいます。

「ことばで説明できるようなものは、道ではないのだ」

山への道


具体的な拠り所を求めている人にとっては、「この人は、いきなりなんてことを言い出すんだ!」と感じてしまいます。

そんな言葉にならないようなもののために、頭を使いたくないよ。
もっと、即効性のある、具体的な拠り所を教えてくれよ。
形而上学では生きられないよ。

というわけですね。

ただ、上でも述べたように、基準というのは、時代や国、年齢や経験、いろいろな状況によって、容易に変わってしまうものです。

絶対的な固定した正しさなど、求める方が無理がある、不自然なあり方ではないでしょうか。

老子の言葉は、よく孔子などの儒教的な考えへのアンチテーゼであると指摘されます。

実際に老子が、孔子以後の人だったかは、正確なところはわからないようです。

しかし孔子かどうかはわからないにしても、老子の時代の「正しい道」に対して、これではいけないだろうという考えを持ったということは、充分にありそうなことです。

ありもしないものを、弱さから、恐れから信じてしまうのではよくないこと。
常に変化する現実をありのままに見ること。
何でも人間の考えるとおりには、いかないという事実を受け入れること。

ここから出発することを、言いたかったのだろうと思います。

宗教1


そして、人間が陥りやすいこころの弱さを知った上で、
絶対的な正しさなど求めないこと、
限界を知ること、
ありのままを思い出すこと、
そういったことを逆説的に解いていったのが、
「老子道徳経」であったのではないでしょうか。

たしかに、決まった道が出来上がっていれば、面倒が無くて楽なのかも知れません。

しかし、そうなったら、あなたは一直線にひたすら道に従うことになります。
そして、もしあなたがそれをさぼったら、あなたはすぐにアウトになってしまいます。

そんな生き方をしたいと思いますか。
そんな正しさが欲しいでしょうか。

そんなことになるくらいなら、

面倒でも、時々苦痛を感じても、
変化があって、自由な余地が残されて、
時には予期しないことが起こり得るような

そんな世界に戻りたいと思うのではないでしょうか。

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今の生き方に不満な人は

「子どもの頃から、いい環境に恵まれて、苦労しなくても世の中に適合できた。」
「今でも、毎日、不満なく楽しく暮らしています」という人なら、そのやり方を続けていけばいいわけですね。

しかし、「今のままの生き方では不満である」「今の生き方は何か疲れるし、生き甲斐を感じない」「今のままの自分が嫌いである」と思う人は、それを何とかしたいと思うわけです。

「今のあなたで幸せですか」と聞かれて即座に「はい」と言えないあなたは、自分の生き方や見方を変えてみる必要を感じるわけです。

「生きていて、いつもどの時間も自分のものだ」と感じられたり、「こんなに毎日、楽しくし感じていていいんだろうか」と思うようになってみたいわけです。

          わーい1

まずは、今のあなたの生き方を振り返って見ましょう。

何があなたに不満を抱かせるのでしょうか。

おそらく殆どの問題は、他の人とつきあっていく上での関係の中にあるはずです。
あるいは、実際には同じことですが、自分自身とのつきあい方に問題を感じているわけです。

そのような関係は、あなたを束縛する関係です。

あなたが、自由に動けずに、意識するかしないかは別として、何か「こうあらねばならない」と感じる様な関係がそこにあるわけです。

あるいは、あなたがそのように生きるのをやめると、人から見捨てられてしまったり、何かよくないことが起こりそうで、やり方を変えるのに恐怖や不安を感じてしまうものがあるわけです。

             悩む2人

これらは結局、「他人にどう見られるか」という点に自分の「心の拠り所」を委ねてしまう関係なのです。

だから、あなたはそのような関係から独立して、自分を生きることが出来ないでいるのです。

その関係の在り方というのは、その人が今まで生きてきた関係性の中で、出来上がってきたものですから、ひとそれぞれ、さまざまですから、一概に言えるものではありません。

一度、そこに問題があると気づいたら、比較的簡単に自分を切り替えることができるという方も、いらっしゃるでしょう。

一方で、なかなか根が深くて、どこに問題が隠れているのか見つけるのが大変であるという方もいらっしゃるでしょう。

しかし、基本は自分で選択することを選ぶかどうかにかかっています。

あなたが、他の人の存在やあり方に、自分を依存させない方法を選び、依存によって得ていた「安全さ」を手放す決心をするかどうかです。

「自分で全て選ぶ」とか「他人に依存しない」というような言い方をすると、人間は社会的な生き物だから、そんな勝手なやりかたは通用しないよ、と反論する方もいらっしゃるかも知れません。

ただおそらく、そのように言われる方の多くは、他のひとに依存することで得ていた「安全さ」を手放すことの恐怖がその根底にあるように思われます。

その安全さから離れたくないから、そのようなやり方は「○○だからよくない」のだと理由を述べられるのではないでしょうか。

今のやり方で、自分の生き方をまわりのありかたに左右されつづけ、人がどう決定するかを待たないと自分の運命が決められない、そんなやり方のままいたいのでしょうか。

いやだというのなら、変えるしかありません。

自分で自分をみて、自分の感じ方に決定権を委ねるように変えてみるわけです。

自分に意識を集中させ、他人のこう言いそうだと思うことに左右されずに、言い換えれば過去の記憶に左右されずに、自分を感じてみるのです。

その感覚は、「いまここ」にいるという感覚です。

         遊ぶ猫

他人を気にするとき、あなたは「いまここ」にいません。
過去のどこかに飛んでいってしまっているのです。

何か不安感や恐怖感を感じるとき、あなたは「いまここ」にいません。
過去の感情を呼び起こして、ここではないどこかに、今は存在しない記憶の世界に入っているのです。

いままでのこころの基準は「他人からどう見られているか、またどのように見られているとき、自分は安心できるのか」にありました。

それを「いまここにある自分の意識、これが自分そのものだと認識できるもの」が感じることを信頼する、というように転換してみるのです。

一度「転換するぞ」と決意しても、それで一気に変わるほどたやすくはないかも知れません。

              考えるウサギ2

うまくいくこともあれば、ふと気がつくと不安の中にいる自分を発見する、といった繰り返しになるかも知れません。

何事も、過去の習慣から脱するのには、抵抗が伴います。

しかし、判定の基準は「いまここ」にいるあなたであるかどうかです。

また漠然とした不安は、かならず「いまここ」から離れてしまっているシグナルです。

「そんな自分は自分で嫌いだ」という現れ方で、抵抗するかも知れません。

しかしそれは、あなた(過去の記憶)があなたを審査しているだけのことです。

叱る母親

よくその時の心の動きを観察すれば、「○○しているお前はよくない」という声が聞こえているはずです。

それから、完璧に依存することをやめようなどとは思わないことです。

生きることは、あいまいで、ほどほどの快適さと適度な苦痛が伴うものです。

あなたの周りにある草木を見て下さい。

もしこれらの植物が、決まった水分量と、決まった養分量と、決まった日照量が完璧に揃わないと生きられないとしたら、そこら中が枯れ草だらけになってしまいます。

生き物には「ほどほど」と「あいまいさ」が似合っています。

                 はとの親子

出来る範囲で、まわりに決定権を委ねる部分を減らしていくことで、どこかで劇的に違って見えてくる適量が見つかるかも知れません。

完璧に変わらなくても、ある適量(閾値)を超えたとき、ひとは「生きていて、いつもどの時間も自分のものだ」と感じられたり、「こんなに毎日、楽しくし感じていていいんだろうか」と思えたりするものです。


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批判したくなる相手にあなたを発見する

あなたは、他人行動にいらだったり、批判したくなることがあるでしょう。

そんな相手を見た途端に、あなたは何か批判の言葉を言いたくなるのです。

なぜそれが、あなたをいらだたせるのでしょうか。

それは、誰が見ても批判したくなる行動ですか。

それとも、あなただけが、そう感じるのでしょうか。

メンタル


そんな他人の中に見る、あなたの嫌いな部分は、実はあなたがもともと持っていたものかも知れません。

あなたの一部分だった、そのような行動を、あなたは何らかの理由で封印したり、捨て去ってしまったのかも知れないのです。

それでなければ、あなたは他人の中に見たその行動に、いらだちを感じる必要は無いのですから。

ですから、それはあなたの失ってしまった一部分かも知れません。

なぜそれを嫌うのでしょう。
なぜそれを見ていらだちを感じるのでしょう。

それを探ってみるのは、有意義なことかも知れません。

いやな行動を、あえて感じたくないと思うかも知れませんが、それによってあなたを取り戻す助けになるかも知れません。

ですから、まずはあなた自身が、その行動を自分自身で演じてみるのです。

その行動をあなたが演じてみて、

どのような感じを持つでしょう?
何かを思い出しますか?
誰かがそこにいますか?
なぜ嫌っているのか、何かに気づきますか?

そのことで、誰かを傷つけたりしたのでしょうか?

それとも、あなたがその行動を取ったことで、まわりの誰かが機嫌を悪くしたのでしょうか?

しかる親


なにも正確な起源を思い出す必要はありません。

あなたがそれで、どのように感じるかを、体感してみることが大事なのです。

それは、いま目の前にいる、嫌いに思った相手とは関係ありません。
また、その人との関係を、どうこうしようと考えるのでもありません。

そのように考えてしまうと、自分の期待で、本当の感じ方を見失ってしまうかも知れません。

ただ、その仕草を、行為を、自分で演じてみることです。

どのような感じを持つでしょう?
何かを思い出しますか?
誰かがそこにいますか?
なぜ嫌っているのか、何かに気づきますか?

そして、それはかつて、自分の持っていた、自分自身の一部だったのでしょうか。

誰かを傷つけましたか?
それは、まわりのあなたにとって大事だった人でしょうか。
あるいは、傷ついたのは、あなた自身だったのでしょうか。

演じてみた結果、いまでも、その行為が嫌いでしょうか。
何かいやな感情を引き起こすでしょうか。

それとも、かつての自分自身だったことを、思い出したでしょうか。

怒っているハート       ハート3


かならずしも、発見があるとは限りません。
大した理由ではなかったかも知れません。

でも、いつまでもあなたが気にかかることであれば、なにかあなたを取り戻す助けになるかも知れません。

それであれば、あなたが本当に思い出すまで、それは繰り返してあなたの前に現れるでしょう。

無理をしなくても良いですから、あなたが何かを感じ取れるまで、試して見るのが良いかもしれません。

その行為そのもの、その言葉そのもの、その仕草そのものに、あなた自身がなってみるのです。

無理に結果を出そうと考えを使っては、それを取り逃します。
あくまで、体感してみることです。
必要ならば、誇張して演じてみるのも良いかもしれません。

どうでしょう。失ったあなたを、取り戻したでしょうか?

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そんな冷たいことはできない

「相手がかわいそうだから、自分も同じように感じてあげないといけない。」

こういう心理状態というのは、だれしも感じるときがあるかも知れません。

しかし相手のことを気遣って、相手の気持ちを素直に受け取ってあげるためには、あなた自身が制限をかけずに、自分の感情を素直に受けとる状態になければなりません。

ところが、このような状態にあるときには、往々にして、相手がかわいそうなのに、自分が勝手な気持ちを感じてはいけないといった、禁止や強制が、そこに入り込んでいる可能性があります。

自分が感じ取った自然な感情が、相手のことを意識した途端に、「そんな自分勝手な感情を抱いてはいけない」という声を聞いてしまうのです。

悩む女の子


相手が苦しんでいるのに、「自分だけ良い気分になってはいけない」、「そんな冷たいことはできない」と考えているのは、自然な感じ方ではなく、思い込みにとらわれた状態なのです。

このような状態にあると、あなたは素直な自分の感情を制限しなければならず、いつまでもなにかスッキリしない状態を、続けることになってしまいます。

またこのような状態では、あなたは相手に対しても、役に立つ働きをすることが出来ません。

相手もいつまでもかわいそうな自分を、感じ続けなければならなくなるのです。

相手の方も、自分がかわいそうと思い続ける状態から、抜け出したいというのが本音なのです。

ですから、あなたの方も、相手が「かわいそうな自分」を演じるのを手助けする様なことをしていては、悪循環になってしまうのです。

はとの親子


このような悪循環にあると感じたら、あなたがまずやるべきなのは、自分が自由に感じられるようにすることです。

相手がかわいそうだと思うから「自分が好きなように感じてはいけない」という禁止令を解いて、まずあなたが自由に、自然な自分の感情を受け取れるようになることです。

そうしてこそ、あなたは、相手の本当の感情も、そのまま受け止める余裕が出てくるのです。

実はこのような心理状態というか、人間関係というのは、一種の共依存の関係にほかなりません。

あなたは、相手がかわいそうな自分を演じることで、そういう関係を維持しようとすることを、どこかで止めなければなりません。

あなたの側が変われば、特別頑固な共依存の関係でなければ、相手の人もあなたの変化によって、自分の本当にありたい感情に気づくことが出来ます。

本当は、相手の方も「かわいそうな自分」ではなく、対等にあなたと関係を築けることが一番良いことを、薄々感じているものです。

ハート3


「こう感じるべきだ」といった強制を持ち続けるのは、自分にとっても、相手にとってもマイナスでしかありません。

お互いが、強制や制限なしに、自然な感情を受け入れられるようになることが、健全な人間関係を取り戻すことに繋がるのです。

溺れている他人を救おうとしたくても、あなたが泳げない状態では、あなたまで溺れてしまうだけです。

まずは、あなたが余裕のある自然な状態でいることが、肝心になるのです。

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

いつも自分と一緒にいてくれるもの。

それは自分の内側を探せば見つかります。

今年もそれを探しだすヒントをお届けしたいと思います。

ビーチシルク



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