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楽しいことは当事者意識で

いつも楽しそうな人がいる一方で、いつも気分がふさぎがちな人もいます。

つらさを感じやすい人というのは、シリアスな問題について自分のこととして、主観的に関わりやすい傾向があるそうです。
また逆に、楽しい出来事に関しては、傍観者として体験してしまう傾向もあると言われます。

この様な傾向があるとすると、その人は楽しかった出来事はあまり実感を持って感じられないし、深刻な問題に関しては自分が密接に関わる問題として感じてしまう訳です。

そうです、もう一方のいつも楽しそうな人には、その逆の傾向が見られるわけです。

ですからつらいと感じる人は、逆のことをすればいいわけですが、習慣というのはなかなか変えるのが難しいものです。

ただ、今やっていることをいきなり変えるのでなく、今まで起きたことを再体験してみるという方法は、比較的やりやすいかも知れません。

つまり、たとえば楽しかった出来事を思い出して、その時のことをリアルに思い出し、楽しさをもう一度経験し直してみるのです。

ところで、いつもつらさを感じる傾向のある人は、楽しい記憶がなかなか思い出せないと感じるかも知れません。

それは前述の様に、傍観者的に体験しているためかも知れません。
その人にだけ、楽しいことが起こらず、いやなことばかり起こっているということは考え難いことです。

他の人と同じように楽しいことも起きているのに、それを充分に実感していないために思い出しにくいと考える方が当たっているのではないでしょうか。

ですから、何とか一日を振り返って、楽しかった出来事を思い出しましょう。

そして、見つかったら、出来るだけそれをリアルに再現してみましょう。
これには、出来るだけ五感を全て動員する方がうまく再現できます。

それが起きたのはどこですか、そこには誰と誰がいましたか、
そこでは何を話しましたか、何を聞いたのでしょう。
そこではどんな香りがして、どんな味がして、何を手に取ってみたでしょうか。

出来るだけリアルに、その場にいた当事者として感じ取ってみます。
楽しさを思い出せたでしょうか?

今度はもう一つのシリアスな問題ととらえていたことに取り組みます。

あなたはそのことで、自分が加害者であったか、被害者であったと考えています。
その役割を変えて、その出来事を傍から見ている第三者として振る舞ってみましょう。

第三者であったなら、あなたはその出来事をどのようにとらえるでしょう。

自分や相手を非難することを保留にして、客観的に見てその起きたことはどの程度の問題だったのでしょうか。

他の人ならどのように扱うだろうと考えられますか。

このように、過去に起きたことを別の立場で振り返ってみることで、徐々に現在起きつつあることへの対応の仕方も、変えられるのだということが見えてくるでしょう。

最初は不自然に感じられても、当事者と傍観者の立場を入れ替えて体験してみるのです。

なぜ自分には楽しいことが、おぼろげにしか残らないのか、
なぜ自分にはつらい問題が降りかかってくるのか、

その答えが見えてくるかも知れません。

つらいことは、客観的に観察して対処しましょう。
そして、楽しいことには、主体的に関わりましょう。

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自分の中に基準を持ちましょう

自分の中に拠り所がないと、人は簡単に他の人の考えを信じ込んで、取り込もうとしてしまいます。

「これが唯一の正しい方法です」「こうすれば大丈夫ですよ」「間違ったことを信じていませんか」「これで100%解決です」「これを信じないと後悔しますよ」

自分で基準を持たないと、こんなもっともらしい訴えかけに、どうやって抵抗できるでしょう。

何を信じても自由だとは言えますが、問題はそれが借り物の基準に過ぎないと言うことです。
自分の基準として取り込んでも大丈夫と考えたのであれば別ですが、他の人の考えに頼ってしまうことは様々な問題を引き起こします。

借り物の考え方では、ちょっと状況が変わると、どう判断していいのかわからなくなります。
また自分で信じられずにそれに従っていると、自分で責任を取ることを放棄することにもつながります。
自分を守るためには、「誰かがこうしろと言ったからだ」といういいわけで誤魔化さないといけなくなります。

しかし、そうはいっても何を前提にすればいいかは難しい問題です。
難しいからこそ、今までいろんな哲学や思想が生まれ、これが正しい、あれは間違っていると議論されてきたわけです。

ただ一つ言えることは、自分を苦しめることは間違っている方向だと言うことです。
どんなに、もっともらしくても、自分を不幸にする考え方はどこかが間違っています。

自分で基準を持てること、自分を苦しくさせるものでは無いことを前提として考えて、わたしは次の2点を基準にしたいと思います。

1.真実は自分の外ではなく内側に見つけられるものである。
2.それは「自分を生きる」ことを肯定するものであること。

1を前提に出来ないと、前述のように、人は常に外の世界に基準を探し求め、翻弄されなければなりません。

2はもう少し入り組んでいて簡単ではないかも知れません。
というよりも永遠のテーマかも知れません。

たとえば、あなたを悩ませることは過去に傷つけられたということかも知れません。
傷つけた人が意図的だったか、仕方がなかったのか、それは問題ではありません。
今ここに存在している悩みが実態です。

あなたはその傷つけた人のことを恨んで、一生思い続ける選択も出来ます。
しかし、今ここにある悩みを解決したいのであれば、その人を許すことに取り組まないといけません。

それがいかに許し難いことであったとしてもです。

あなたがその人を許すのは、それが許しに値する人であるかどうかではなくて、あなたが受けた傷を思い出すたびに苦しんで、自分を傷つけたくはないからです。
その毒をため込んでゆくのはあなたであって、恨んでいる人ではありません。

人を許すというのは、言葉で言うのは簡単ですが、最も難しいことの一つだと思います。それでも、あなたがこの後の一生を台無しにしたくないのなら、今許すことをまず選んだ方がいいということです。

自分を傷つける方向に向かわせる原因は、先に取り除かなければなりません。
それを後回しにすると、全てのことがそこから派生する行動に影響されてしまうからです。
そう思うことが難しくても、あなたは人を恨んでずっと過ごすことは望んでいないはずです。
恨みを持ち続けることは、あなたの人格全体をゆがめてしまいます。

このような例を取り上げたのは、人が悩むことには、多かれ少なかれこのような問題が根底にあることが多いからです。

普段冷静な人が、ちょっとしたことで我を忘れて感情的になる時には、このような問題を刺激したからかも知れません。

引っ越しで大きな荷物を下ろしてしまえば、あとは流れ作業になる様に、大きな原因を先に処理すれば、そこから派生した問題も自動的に消えて後はスムースにことが運ぶようになります。

大きな荷物を下ろせば、その後にはもっとあなたの役に立つことが入ってくる隙間が出来ます。
「何で他の人はあんなに楽しそうにしているんだろう」と思うのなら、自分の荷下ろしを考えた方がいいかもしれません。

どうせなら、もっといいものを自分の行動の拠り所にして生きたいものです。
そしてそれが自分の中にあると信じられたら、外の世界の誘惑はきっぱりお断りできる自分の判断も育っていきます。

また自分に余裕が出来れば、他の人のこともそのままで認められる様になるし、他の人の問題に刺激されて自分まで巻き込まれることも無くなってくるでしょう。

あなたが選んだものでは無い信念を手放して、「ほんとうのあなた」を見つけ出す努力、これは何よりもやりがいのあることではないでしょうか。

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話すのをためらう人と語りまくる人

医者と患者、カウンセラーと相談者と言った関係では、話をする中で治療者側が微妙なタイミングで間を取るということに気づかれたことはないでしょうか。

相談者は話したいことを沢山抱えているのだけれど、うまく話を切り出せないという場合が多いものです。

カウンセラーと相談者が交互に話を交わしていく中で、相談者が話し終わったところでカウンセラーは暫く間を取って黙っている。

すると相談者は今度はカウンセラーの話す番だと思っていたので、戸惑ってしまうのですが、これによって勇気を与えられた相談者は、それならというわけで自分の話したかったことを話し出すのです。

もともと相手に聞いてもらいたいことを抱えていた人にとっては、この微妙なタイミングの間を取ることで、自分の話したいことをいつの間にか話せる様になっている訳です。

これはカウンセリングの場だけの話ではなく、普段の私達の会話でも有効なテクニックです。

いつも通りに交互に話をしていたのでは、表面的な会話だけで終わってしまうところを自分の抱えていた問題を伝えられたことで相手はあなたに感謝するかも知れません。
そのことに気づかないまでも、あなたとの会話に満たされた感じを持つでしょう。

ひとは話をした分だけ相手に心を開くことが出来ます。
心を開くに従って、いろんな話も出来るようになってきます。

普段の会話だけでは物足りなさを感じているのであれば、試して見てはいかがでしょうか。

※※※※

これとは対照的に、何かのきっかけで一気に語りまくる人もいます。

その中にはいろいろなタイプがあるでしょうが、気をつけたいことは相手との話が、「今、ここ」での「あなた」とのリアルな世界につながっているかどうかです。

というのは、いきなり話し出す人というのは、普段からため込んでいた自分の問題、不満、愚痴といったものがあって、それをあなたをきっかけにして一気に話し出すという場合が多いからです。

そして、そのような場合には、もはやあなたが誰であるかは関係なくなって、自分が作り上げた世界で、自分が作り上げた相手に話しているといった場合があるのです。

しかし相手に正直さや素直さが残っていれば、ひとしきり話した後の自分に気づくことが出来るかも知れません。

その場合は、それでまた、「今、ここ」でのリアルな世界での話も再開できるでしょう。そうでない場合には、あなたは早々に立ち去った方がいいかもしれません。

中には自分の敵対する人間像を作り上げている場合もあります。
こんなことをする人間は、こうに決まっているという強い思い込みがあります。

そんなときあなたが言ったことやしたことが、たまたま、そのモデルに近かったためにあなたという人間をそのモデルそのものに仕立て上げてしまうかも知れません。

あなたは何で自分がこんなに悪く言われるのか、訳がわからなくなってしまうでしょう。

しかしこのようなタイプは見分ける方法が有ります。
それは「今、ここ」での「あなた」との対話になっているかどうか、そこから、かけ離れ内容になっていないかをチェックしてみればわかってきます。

きっかけになったことに、あなたが当てはまったとしても、その後の訴えがあなたとはかけ離れたものになっている場合、もはや相手の人は自分の作り上げた世界にいると考えた方がいいでしょう。

そんな相手には、もはや普通の会話は成り立たなくなっています。
一晩話し続けても、そこには疲れ切ったあなたが残るだけです。

相手の非難とかに巻き込まれないようにして、早々に立ち去った方が賢明です。
相手が対象としているのは、リアルなあなたではないからです。

あなたが専門家でないのなら、間違っても相手を変えようなどと思わない方が無難です。

「聞こうとしない人、見ようとしない人」には対処の方法はありません。



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「無心の努力」自分の非力さを知る

私達は初めてのことに取り組む時には、一生懸命考えて恐る恐るながらも無心で取り組むのではないでしょうか。

そこでは、出来るかどうかわからないという不安や緊張感、そして集中力も伴っていると思います。

しかし少し慣れてくると、ついつい「これは自分の力でやったんだ」と思い込む様になってきます。

実は自分のやったことなど、ほんの少しで、せいぜい目標を立てて方向を示すぐらいだったかも知れないのです。

目的を決めて無心に取り組む時、何かそれをあと押ししてくれるような働きを感じることはないでしょうか。
自分の非力、無力を感じて、大きなものにゆだねて、自分を預ける時、
そのとき自分の力量以上の思いがけない力が発揮できるものです。

その成果が何の力で得られたのか、それを何と呼ぶかは自由ですが、
ここでは「無心の努力」という言葉で表現してみます。

背後で働いた力を、あるひとは潜在意識の力だとか、神様、ほとけさまが手助けしてくれたとか、あるいはタオの働きがあと押ししてくれたとか考えるかも知れません。

しかし呼び方はともかくその時の「無心の努力」が予想以上の成果をもたらしてくれるような気がします。

このことを忘れて、全部自分の力だと勘違いしてしまうと、現状にあぐらをかいて惰性で物事をやろうとしてしまうようです。

そうなると、遠からず行き詰まりを感じてしまう結果になるものです。
いままで順調にきたのに、ちょっとした慢心からうまくいかなくなったと感じられたら、もう一度スタート時点に立ち返ってみましょう。

その時の「無心の努力」を思い出してみるのです。
これがよく言われる、「初心に返る」ということでしょう。

またこのとき注意したいのは、努力すべきなのは、そのことの本質的な部分に対してであることを忘れないということす。
それを忘れて、二次的なことに過ぎないことに目を向けてしまうこともありがちです。

たとえば商売の基本は「お客さん」にあります。
「お客さん」を忘れて技巧に走ったところで長続きはしないものです。

このようなブログを書いていることについても、基本になるのはコンテンツです。
いかに読んだ人の役に立つ情報を提供できるかということに焦点を当てるべきです。

ブログの見かけというのも、読みやすいことに超したことはないけれど、そのことに必要以上に注意を払うよりも、内容のあるコンテンツを作ることに時間をかけるべきだと思います。

それを忘れて、ボタンをベタベタ張りつけたり(すいません(-_-;))することはおまけに過ぎないことでしょう。

技巧に走りすぎていると考えたら、初心に戻って本質的なことに焦点を戻すべきです。
何に時間をかけるべきなのかを、1から点検し直してみることです。

無心で本質的なことに努力を集中できれば、思いがけない力が発揮できるようになる。
汗をかかずに、どうせ出来ないとか、やる価値はないとか、そんな判断を下していたのでは得られない経験もそこから生まれてくるでしょう。

自分の力だけでやり遂げられることは、ほんのわずかだということを思い出して、初心に返って、無心に努力することを忘れないようにしたいものだと思います。



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自由は自分の内から

とかく人は不自由さを感じると周りのせいにしたくなります。

実際自分の周りには、右を見ても左を見ても、不自由さをもたらす制約が存在するものです。
そんな業の中で生きて自由になるには、自由を外に求めていても得られないことに気づく必要があります。

外の環境がどのように変わっても、怒っていたり、心配なことに心を悩ませていたのでは自由はありません。

心にトラブルを抱えていては自由になれませんが、完全に自分の周りに問題が無くなることはありません。
要は不自由な環境で暮らしながらも、自分の内側にある自由さを堅持し、周りのつまらないゴタゴタで自分の自由さを台無しにしないことです。

たとえば、何かに夢中になっている時には、自分が自由かそうでないかなどと気にしたりしません。集中している状態からふと外れた時に、このままでいいのだろうかと気にしだすとあれこれ雑事が頭に浮かび出すものです。

そんなときに、集中した状態に戻すには、
周りの雑事を切り離すようなおまじないを持つといいかもしれません。

「このままでいいのだろうか」と思ったら、
「大丈夫、他のことは解決済み」
「忘れたって大丈夫なことばかり」
「今のやってることが今できるベストなこと」

雑念恐怖症という言葉がありますが、雑念に気を奪われてしまうと自由から遠ざかってしまいます。
「今の自由さを維持しても、何も問題は起こらない」と信じること。
「今の自由を手放したりしない」という決意を持つこと。

「自由に今のことに没頭できた時間」と「あれこれ心配して過ごした時間」、
あとでどちらを選択すれば満足出来るかを考えるのです。

面倒なことは先にかたづけてしまって、
「大丈夫、他のことは解決済み」
と自信を持って言える様にしておけばいいのです。

自分にとって重要なことが何かを普段から認識しておけば、
「忘れたって大丈夫なことばかり」
と言い切ることが出来ます。

「人に言われたからやっているんだ」という様ないいわけをしないで、
いつも自分の意志で、自分の責任で行動しているという自覚があれば、
「今のやってることが今できるベストなこと」
と言い切ることが出来るようになるでしょう。

周りの騒ぎに巻き込まれないで、自分の内側に静けさがある時、
どんな環境にあっても本当の自由が得られるものです。



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制約に生きる:業というもの

仏教では「業」という言葉があります。

われわれは、何でもやり遂げる無限の可能性をもって生まれてくると言えるかも知れません。
しかし現実には、大人になるにつれ、様々な人間関係や社会のルールに縛られる世界の中にいることに気づかされる。

このようなさまざまな因果が絡み合った世界の中で、いのちを生かしていく「みちすじ」のことを仏教では「業」と呼びます。

老子の「道」は全てのことの根本原理となる道ですが、「業」の方は非常に人間らしいと言うか(業は人間だけのものではありませんが)、身近な道であると言えます。

将来大きな樹木となる木が、成長を続ける中で片側が岩に阻まれた地形であったことに気づくとします。
樹木は業に従って、岩を避けて根っこを伸ばしていくしかないとそのように成長を続けます。中には岩の隙間から根を伸ばし成長を続けることで、岩をも砕いてしまう豪傑もいるかも知れません。

いずれにしても、樹木は制約は制約として受け止めて、その業の中で生きていくわけです。

人間は、他の生き物と比べると、制約を何とか克服する方法は無いかと考える力を発達させてきました。
この力がうまく働けば、いろいろな発見、発明を生みだし、新しい文化を創り出すことにもなります。

しかし一方では、いくら頑張っても克服できない制約というものもあるわけで、それを見極められないと、ずっと無駄な努力を続けるという面もあります。

なんでも克服するんだという見方で突き進むのもいいことかも知れませんが、業にしばられてどうにもならないこともある、ということも知っておく必要があります。

そんな意味をこめて「業」という言葉が考えられているのだと解釈しています。

それから、制約というのは、我々をしばるものとばかりとらえがちですが、他の役目もしているのではないかと考えてみると視点が変わるかも知れません。

たとえば、植物の種を植える時に、種の大きさに応じて、その上にちょうどいい量の土をかぶせてあげますね。

これは種にとって制約でもありますが、小さな種が雨で流されてしまわないという働きをしたり、種の発芽にとってちょうどいい環境を作り出してくれているとも言えるわけです。

かぶせる土の量が多すぎても、少なすぎても種はうまく発芽して成長できません。

人間の困難もその人に対処できるだけの困難しか与えられないものだとは、よく言われることです。

制約はいやだと言っている人でも、「今からあなたは制限なしです。何でも好きなことをして下さい。」といって放り出されたら、何をしていいのかわからなくなるのではないでしょうか。

そればかりか、そのままではノイローゼになるでしょうから、きっと自分の方から新しい制約を自分に課すことを考え出すでしょう。

スポーツやゲームはルールでしばられてこそ成り立つものです。
めいめいがバラバラのルールを決めてプレイしていても、何もおもしろくはないでしょう。

業は制約の中で生きていく上での道しるべにもなるのです。
また、制約があるからこそ生き甲斐を感じるという面もあります。

制約を嫌うばかりでなく、業の中で自分のいのちを輝かせることに目を向けてみること。また思っている以上に制約が自分を保護する働きを持っていることに、気づいてみることも大事ではないでしょうか。



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批判を恐れる心理

批判を受けたり、非難されたりすることは誰でもいやなものです。

しかし、中には批判されることを極端に厭がり、少しでも批判を感じ取ると、その場を逃げ出したり、そのような人達との接触を極端に避けるという行動を取る人がいます。

このような人は、自分の世界には批判は存在しない、存在してはいけないと思い込んでいて、少しでも非難を感じ取ると自分の人格への脅威と受け止めてしまいます。

これは以前「グレーの領域」で書いた様に、「白か黒か」「All or Nothing」というように二元論で物事を考えがちの人に見られやすいのかも知れません。

少しでも批判の香りがすれば、自分の世界が崩壊する様な脅威と感じてしまいます。
今まで批判のない国に住んでいた人が違う世界の存在を垣間見て、平和な世界が壊れることを恐れて、認めたくない、見たくないと思ってしまうようなものです。

したがって、このタイプの人は、人から批判されない様に当たり障りのない発言しかしません、批判を受けそうな人が近づくと何とか避けようとしてしまいます。

このような点を裏返して考えれば、批判を避けるために自分の考えを全て表すことが出来ない、関心はあっても批判を受けそうな人との交流を持てなくなってしまうといった不自由で、無理のある生き方を強いられてしまいます。

こうした生き方から抜け出すためには、もっと現実を受け入れて、グレイな領域でも生きていくこと、不完全さを味わいながらも生きていくのが普通であることを認めていく必要があります。

・批判、非難を避け続けることで築いてきた砦の中の平和は、本物ではないこと。
・自分を認めてくれる人ばかりがいるわけでないこと、また逆に非難する人ばかりでも無いとことを認めること。
・完璧に批判のない世界を夢見るのではなく、批判も受容も両方あるグレイの領域でも生きていけることを経験していくこと。
・批判を受けたら世界が終わりではなく、少しくらい批判されることは誰にでも起こる当たり前のことだと認められるようになっていくこと。

それから批判を受けることに限りませんが、何かを避けている人は、他の人は全くその点で問題が無くストレスなしに出来るから平気なのだ、自分はそんなことは出来ないと考えがちです。

このような考えは、「All or Nothing」という二元論を助長する考え方です。
つまり、自分が完璧に平気になれたら、自分もやってみるという考えになってしまうからです。

しかし一人の人間にとってストレスであることは、多かれ少なかれ誰でもストレスを感じるものです。完璧にストレスフリーでやっている人などいないのだと認めることです。

ひとつの非難で自分を見失っていては、いつまでたっても状況は変わりません。

誰でも批判される要素を持っているし、誰からも非難されない人間などいないのだと考えて、批判されたらもう一つ別の批判を受けてみようぐらいに思って行動してみる。

セールスマンは1つ断られたら1つ成約に近づいたと考える、という考え方がありますが、まさにこのような発想が有効ではないかと思います。

また批判を受けた数が多くなるほど、1つの批判が持つダメージはどんどん小さくなっていきます。
いままで世界の終わりと恐れていたことも、数ある批判の1つに過ぎなかったと感じられる様になってくれば、もう批判の恐れの奴隷ではなくなっているでしょう。

批判を避けるための砦からのぞいていないで、そこから外に飛び出してみましょう。



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新しい仕事がやってくる

新しい仕事に取り組もうとする時、あなたはストレスを感じます。

昨日と同じ仕事を繰り返すのであれば、慣れていますから不安もなく、昨日と同じように何も気にせずに仕事に向かえるでしょう。

しかし新しい仕事の場合は、うまくできるだろうか、失敗したらどうしようと不安がよぎります。
中には、明日から新しい仕事だと思うと、夜も眠れなくなってしまうという人もいるでしょう。

では、こんな時はどのように考えたら不安を抑えたり、ストレスを軽減できるかについていくつか取り上げてみます。

1.よく知っている部分から取り組むこと。

新しい仕事とはいえ、全く経験のないことばかりというのはまず無いでしょう。
仕事の内容を一通り見渡して、今までの経験が生かせてすぐに取り組めることからはじめる様にするのです。

やり始めるまでは不安だったことも、いざやりだしてみると、そんなことは忘れて目の前のことに取り組めるという経験をされたことがあると思います。

これと同じように、新しい仕事でもいったん中に入り込んでしまえば、今までのペースを取り戻していつもと同じように仕事に取り組めるようになってきます。
ここまで来れば、スタート前の緊張もいつの間にか感じなくなっていることでしょう。

そういえば、受験生に易しい問題から取り組めとアドバイスするというのもありましたね。

2.大きな範囲の中の1つだととらえる

「新しい仕事」というように、孤立した1つととらえることは、余計に対象を難しく感じてしまいます。

今までの仕事の経験があるのですから、今度の仕事も少し新しい要素が加わっているだけで、いままでの一連の仕事の一部分であるととらえてみるのです。

そう思うと、同じ仕事でも取り組むのが楽に見えてきます。

3.とりあえずはじめて見ること

1と似ていますが、とりあえず仕事の中に飛び込んでみることです。

はじめるのを躊躇して、遅らせれば遅らせるほど対象は巨大に見えてしまいます。
どうせやらなくてはいけないのなら、腹をくくって勢いではじめてしまいましょう。

一旦はじめてしまえば、半分終わったも同じです。

このように、同じ対象でもそれを等身大で見ないで、もっと大きな物の一部と見たり、逆に対象の一部分に目を向けることで、見方を切り替えることができます。

もうひとつは動きながら考えることです。生きているものは常に動いて変化しているのが自然です。静止していることはその流れに逆らった不自然なことです。
だから止まったまま考えると苦しくなる。

止まったまま考えて、しかも動き出さないのはそれ以上に、何重にも苦しさを増大させるのです。



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寂しいのは自分がここにいないから

いくら友達がたくさん傍にいても、孤独を感じることがないでしょうか。
その寂しさは、自分自身が自分の傍にいると感じられないからかも知れません。

自分が自分の傍にいないとはどういうことでしょう。

あなたは、まず小さい頃に自分のことを「いい子」か「悪い子」かの判断を下すことをはじめます。
小さな子供にとっては、自分の親から認められること、かまってもらえることが一番の関心事です。

親からほめてもらったり、優しくされたりする時、自分は「いい子」だと思ったかも知れません。
逆に親からしかられたり、邪険に扱われたりすると、それは自分が「悪い子」だからだと思ったかも知れません。

あなたのせいで親がそう振る舞ったのかどうか、それは必ずしもわかりません。
しかし小さかったあなたは、自分が「いい子」だったとか「悪い子」だったと決めてしまいます。

その後も、大人になるにつれ、人との関係でいろんな評価を自分に対して下していきます。
「悪い子」は自分では認めたくない部分です。
それは「悪い子」だった時のいやな感じを思い出させるからかも知れません。
自分でも自分の中にそんな「悪い子」はいませんよっていいたいわけです。

他の人と接する中でも「悪い子」はいません、「いい子」だけを表に出そうとします。
「悪い子」はそうやって、だんだん自分のこころ中の押し入れの奥にしまい込まれていきます。
こうして、「悪い子」は自分の傍にいなくなってしまうのです。

ところが、「悪い子」も自分の大事な一部なのです。
「悪い子」も「いい子」も含めて、全部が自分なのです。
「悪い子」といっても、それは自分の中からいなくなってもいい自分などではなかったのです。

「悪い子」は自分を認めて欲しいと中から訴えてきます。
奥にしまい込んだままだと、あなたはいつまでも何か物足りない感じを持ちます。
なにか自分のなかに満たされない感情が残ります。

あなたは、他の人の中にその「悪い子」の代わりを見つけようとするかも知れません。
しかし、いくらそのような人と一緒にいても、自分の「悪い子」を認めてあげない限り、満たされた感じは持てないでしょう。

気が晴れない


寂しいと感じる時、あなたの大事な「悪い子」が訴えかけているのかも知れません。

小さな子供の頃は、「悪い子」だとしか思えなかったのです。
でも大人になったあなたには、それを正当に評価してあげる力が付いています。

いまなら奥にしまい込んだ、満たされない大切な子供を助けてあげることが出来ます。
見たくない気持ちは、小さくて抵抗できなかった子供の頃の恐れから来るだけかも知れません。

勇気を出して、怖がっている「悪い子」を表に出してあげましょう。
こんな自分だって、自分の大事な一部なんだと認めてあげましょう。

今の自分から見れば、表に出してもかまわない自分だとわかるはずです。
少しずつ、無理をしないで、素直な気持ちで感じてあげましょう。

本当はひとりで、つらくて寂しかった。辛かったんだよ、でも言えなかったんだよ。

ためいき3


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グレーの領域

「白か黒か」「All or Nothing」なんでもこんな風に決めつけたくなる性格というのがありますね。

そのひとは「灰色」の状態なんて中途半端は、自分は嫌いだと言い聞かせているのかもしれません。
「俺は○○な人間なんだ。」「私って□□な人だから..」

でもなにか無理を感じませんか?

この傾向が強い人は、自分自身をどちらか片方に決めなければいけなくなります。
しかし人間はそんな風に100%どちらかに決められるものではないでしょう。

自分では意志が固いと言うかも知れませんが、人からみれば意地を張っていると感じることでしょう。
そうです、意地を張って生きていこうとしているのです。

でもそういう生き方って、見ていても疲れますが、自分自身が一番疲れてしまいます。

中間のグレーの領域を認められると、自分の世界が広がってきます。
広がると言うよりも、ほとんどのことはグレーの領域に存在します。

自分から両極端に身を置かなくてもいいのです。
それで自分の意志の強さを強調しなくてもいいのです。

ひとは、そんなあなたを「そんなに無理しなくても」と思って、
そのままのあなたを認めてくれるものです。

グレーの領域も認めること、「いい加減」を知ること、
これを許せるようになればあなたの堅さがとれて自由に動けるようになります。

それはどこかで身につけた防御服だったのかも知れません。
でもそんなところを攻撃しようと思っている人は、あなたの思いの中にしか存在しないのです。
むしろ、あなたがそんな防御服を脱いでくれれば、もっとゆったりとつきあえるのにと思っていることでしょう。

すっきりしなくても、そのままの感覚を持ったまま動くこと。
素直になって「こんな中途半端な自分だっているんだぞ!」と言ってみるのです。

そうなればぎこちなかった行動も、スムースな動きに変わってきます。
変化にも対応する事が出来る自分が登場します。

堅くてとんがった物はうまく転がりません。
いちばん転がるのは、まんまるなボールですね。

1か0かで動作するのはコンピュータの世界です。
生身の人間が目指すことではありません。

コンピュータのプログラマーはミスを犯さないのだろうか、と考えたことはありますか?
プロのプログラマーはミスを犯さないわけではありません。

この世界では、一定の確率で発生するミスを計算に入れて、スケジュールを組むのです。
それが出来てこそ、プロのプログラマーというものなのです。

ミスを犯してはいけないと考えていては仕事としてはやっていけるものではないのです。

あなたも一定の確率でミスをしてもいいのだというつもりで生きていけます。

もっとグレーの領域を楽しみましょう。



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現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
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短所を見なおしてみよう

あなたも自分の短所が気になって、何とか直したいと思っているかも知れません。

どちらかというと、自分の短所というのは、長所より気になるものでしょう。
あるいは短所の方が目に付きやすいのに比べて、長所は自分では気づきにくいものかも知れません。

どちらにしても、短所が気になって直したいとばかり悩んでいる人も多いでしょう。

長所や短所について考える場合に、それらは2つの意味での相対的なものであることを頭においた方がいいと思います。

1つめの相対性:基準にするものによる相対性

長所や短所というのは、それをどの方向から見るかで変わってくるものです。
そしてまた、長所が絶対的にいいもので、短所は絶対的によくないことだということは通常ありません。

たとえば、あなたはもっと自分の意見を主張できる人間になりたいと思って、自分を表現することが苦手なことを欠点だと思っています。

しかし、自分の主張ばかりすることに注意が集中している人には見えないような、他の人への細かい気配りが出来るという能力があると考えれば長所であるとも言える訳です。

実際あなたのそのような気遣いが欲しいと思っている人も沢山存在するはずです。

ですから自分の欠点と決めつけて直そう直そうとばかり考えずに、積極的にその能力を高めようと考えてみてはいかがでしょうか。

短所だと考えて自分が発言することを避けようとしてきた人も、いったんそれを長所と考えて他の人に働きかけをはじめると見違える様に積極的な人に生まれ変わる可能性があります。

たとえば周りにいる人を見渡して、いままで声をかけようとしなかった人に話しかけてみましょう。
そのような人は、あなたと同じように自分から話しかけることを避けていた人である可能性が高いのです。

ためいき3


2つめの相対性:他の人との比較による相対性

先ほどの例で「自分を表現することが苦手」だと思っている人も、その苦手だと判断する基準は他の人との比較によるものなのです。

発言の得意な人ばかりに囲まれていれば、自分にはうまく発言などできないと感じます。

しかし先ほどと同じように、自分も苦手だと感じている人達の集まりの中にいたとすれば事情は変わってきます。
そのような環境にいた場合には、あなたは自分がリードしてあげなければ、という様に感じるかも知れません。

積極的に自分を主張する人達の中にいたのでは、自分を生かせなかった人達も、あなたのように他の人に気配りできる人となら、自分を開いてくれる人も出てくることでしょう。


このように長所や短所というのは相対的なものだし、どちらかが絶対に優位なものではありません。

実は短所を気にして直したいと考えている人も、そのことのもつ長所である面にも気づいていて、単純に変えてしまいたいとは思っていないのかも知れません。

短所を気にしてそれを直すことを考えることも時には必要かも知れません。

しかし短所と思っていることが持つ長所の面をみつけて、そちらを伸ばす方ことを考える方が、楽しそうではありませんか?

無理に直すことよりも、今のあなたの特性を伸ばしてあげましょう。

少し見直してみてはいかがでしょう。


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あとはおまかせ

ネット検索で「あとはおまかせ」を調べて見たら、予想外のリストがずらっと並んでいました。
どうやら炊飯器でいろいろな料理が出来るレシピ本のようです。
今人気の本なのかも知れません。
少し眺めてみていると、予想していなかったものだったとはいえ、参考になることがありました。

この料理方法では、下準備には結構手間がかかるものがあるらしいのですが、
準備さえ出来ればあとは炊飯器のスイッチをポンと押すだけ、「あとはおまかせ」なのです。
普通の鍋での調理よりすばらしいものが出来上がるというのが人気の理由のようです。

やるべきことは充分に準備する。「準備が出来たら、あとはおまかせ」。
これは、こころをスムーズに働かせる秘訣ではないでしょうか。

目指していることを、かならずうまく達成したいと思えば思うほど、途中の経過が気になるものです。

しかしそれ以上出来ることがない時は、成り行きに任せるしかない。
何かあるたびに、結果を気にして確認ばかりしていたのでは、かえってうまくいかないということもあります。

花の種をまいて芽が出ないからといって掘り返したり、水を与えすぎたりしてもうまくいきません。
種を前にしてあなたに出来ることはありません。
種がその中に持っている、青写真が完成するのを見守るしか有りません。

スポーツの場合にも普段の練習を充分にこなしておいて、いざ本番となったら全て忘れて思い切ってプレーするのがいいとよく言われます。

気にしすぎてぎこちない動きになることは、スムースな流れをとどこおらせます。
よどみなく、軽やかに流れるとき、物事は予想以上にうまくいく様に出来ているようです。

笑顔OK女性


今わたしは書道を習っていますが、書道も練習では細かい筆使いを気にしながら練習しますが、清書の時には細かいことを気にしすぎると全体のバランスが見えなくなってうまくいきません。
たとえ部分部分がうまくいっても、全体のバランスや文字と文字のつながりが感じられないものになってしまいます。

ある程度練習したらこんどは全部忘れて、ただ自然に筆が運ぶに任せられた時にいいものが出来上がるのです。

やることをやったら、あとは心の働きに任せて、次々と心配やら別の注文を与えないこと。

あれもこれも全て意識して物事を進めようとしていたのでは、やることがありすぎて途中でダウンしてしまいます。
あるいはやる前にその巨大さに圧倒されてチャレンジする気力をなくすことにもつながります。

あまり何もかも意識してやらないといけないと思わないこと。

それともう一つ大事な秘密が隠れています。

それは、任せると言うことは、信頼しているということです。
任せられないのは疑いがぬぐえないからです。

疑いながらやっていることは、疑ってる気持ちに答えるかのように、期待した結果が得られない終わり方をします。

あなた自身を信頼して、まかせて見ましょう。

あとは何が起きるのか楽しみに眺めていましょう。

きっと予想もしないいい結果で驚かされます。

やることをやったら「あとはおまかせ」の精神でいきましょう。



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名のない領域(言葉と無意識)

名の有る領域と
名の無い領域は、同じ源から出ている、
名が有ると無いの違いがあるだけなんだ。

名の有る領域の向こうに
名の無い領域が、
はるかに広がっている。

老子『道徳経』第一章より
タオ 老子 加島祥造 ちくま文庫


この第一章のフレーズは、言葉で表す世界とその裏にある無意識の世界のことを言っていると考えるとわかりやすいと思います(老子のもとの意図はどうかわかりませんが)。

人間は言葉を手に入れたことで、飛躍的に思考能力を獲得しました。
しかし一方で、言葉の持つ不完全さ故に、言葉によって苦しめられるという宿命も背負ったわけです。

今までの文章で、なんども「こだわり」によって問題がおきると書いてきましたが、
「こだわり」が問題を起こす場合には、言葉の使い方がもたらす問題がその背景にあると考えてもいいのではないかと思います。

名の無い領域」の有る部分をとらえて特定の言葉を当てはめる。
また別の状況から「名の無い領域」の同じような部分に別の言葉を当てはめる。
もとはほぼ同じなのに、別の言葉を使う様になった結果、言葉がそれぞれ一人歩きして矛盾した解釈をもたらす様になってしまう。

たとえば、「向上心」という言葉は、「向上心」がないと人間は進歩しないとか、あの人の「向上心」を見習いなさいとかいっていい意味に使われることが多いですね。

一方「欲」という言葉、無欲でやっているうちは、うまくいっていたのに「欲」を出したために失敗してしまった、という風にどちらかというと悪い意味合いで使われることが多い言葉です。

しかし荒っぽい言い方ではありますが、この両方の言葉が指している「名の無い領域」というのは、違う方向から見て名付けただけで、ほぼ同じものを指している様に思えます。

「私は無欲ですが、向上心も人一倍有ります」、というような言葉遣いをしていればいつか自己矛盾に苦しむことになってしまうのではないでしょうか。

ちなみに老子では不必要な欲を捨てることを説きますが、完全な無欲を目指せと説いているわけでは無いと思います。

老子の訳では多くの場合「タオに近い人は」という言い方が使われます。
人間はタオに近づくことで本来の在り方を取り戻せると説いているわけで、タオそのものになれとか、なれるとか言っているわけではありません。

話を元に戻すと、思考の道具として便利な言葉も、その持っている特性ゆえに時として自分を苦しめることにもなるということです。

それを防ぐにはどうすればいいか少し考えてみました。

(1)正確な言葉を選んで使うこと。
出来るだけその背景にある領域を一意に指し示す様な、正確な言葉を選んで使う。

(2)不用意に新しい言葉を取り込まない。
新しい言葉を使う時には、その意味するところを自分なりに正確に捉えておきたいものです。語彙が豊富なのはいいですが、不正確に覚えるのなら逆効果。

(3)自分の中で相反する2つの力を感じる様な状況(アンビバレンツ)が有ると感じたら、それに関連して自分が使っている言葉(こだわりの言葉)を探してみることが有効な場合が多い。

もっともっと自分の使っている言葉を点検し大切にしていけば、「こだわり」から来る自己矛盾といったものに苦しめられることがなくなってくるのではないでしょうか。



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相手に嫌われまいとすることの誤解

あなたは相手に好かれたいと思っている時、相手に嫌われないようにしようという点にばかり注意を向けていないでしょうか?

その気持ちはわかりますが、しかしそれはあまりいい方法ではないかも知れません。

あなたが相手に嫌われまいと思って気を遣うのは、相手が気を悪くするようなことをしないでいようという点ですね。

しかしそれは、相手にとっても楽しい面ではない可能性が高い部分です。
あなたが気にするのとは裏腹に、相手はそんなことを気にして欲しくないかも知れない。もしかすると自分でも気づいていて、触れて欲しくないことだという可能性だってあります。

それに、あなたがそういうことに気を回しているのに気づいて、居心地の悪さを感じるようになってくるかも知れません。

あなたにとっても、そのようなことに気を遣うことは、ストレスを感じて疲れる作業です。

そこで、あなたが注意を向ける方向を180度変えてみることです。

あなたが、相手に好かれたいと思っているのなら、その人はあなたにとって好ましい部分や、自分でもそうなりたいという部分を持っているのでしょう。

ですから、あなたが注意を向ける方向を、自分が相手の中に見ているそのすてきな部分に切り替えてみるのです。

そうすると何が起きるか。

相手はあなたが自分のことをそのままで好ましく見てくれていることを感じ取ります。
それは相手にとっても嬉しい事なので、お互いに相手に対していい気持ちを持つことが出来ます。

あなたの側でも、相手の中に見ている好きな部分に注意を向ければいいのだから、無理なく楽しんでそれを出来るでしょう。
たとえはっきり相手に伝えなくても、あなたの気持ちは伝わっていくものです。

またそれは、2人の間だけでなく、それを見る周りの人からもほほえましく感じられるはずです。

相手があなたにとって大事な人であればあるほど、相手に嫌われたくないという気持ちが働きがちです。
しかしその努力は、このような理由からお互いにとってあまりいい結果をもたらさない可能性が高い。

うわさ話


自分は気を遣ってばかりいるのに、そうとは思えない人の方が相手に受け入れられたりすることがあると、「自分の方が気を遣っているのになんでだ!」と思うかも知れない。
それはこのような原理が働いているのかも知れません。

小さな子供が、好き嫌いを素直にはっきり表現することを、好ましく思ったことはありませんか。
いつものありがちな言葉をかけられるよりも、素直な表現というのは相手の心にも響きます。

いくら注意していても相手の気持ちを完全にくみ取ることは出来ません。
それよりもあなたにとって確実に出来るのは、あなた自身の気持ちの向け方を変えることです。

相手の好きな部分をみて、こんなところがいいなあと、自分が感じることだけに注意を集中するのです。

それはもともと、あなたにとっても好ましく、そうありたいと思っていることです。
やっていて、思わず嬉しくなって笑みがこぼれてくる様なことのはずです。

嫌われる心配より、相手を好きだと思う感情を、自分の側で大切にしているだけでいいのです。



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誰が主人公か?(2)

自分が主役で自分の人生を生きるのか、それともいつも他人の考えを借りながら生きていくのか、この差はどんどん大きくなっていきます。

自分が人生を終える時に、そろそろ主役に切り替えようと思っても遅いのです。

なぜ自分の意志で選ばないといけないのか、それはご自身が一番わかっている筈です。
自分の意志で行動しなかった後は、満足感がないし、自分で生きている実感が持てないからです。

そうはいっても、それとわかっていて自分の考えを表に出さないのは何故でしょうか?

今回はその点について、前回とは違う視点で書いてみようと思います。

これは野球にたとえると、自分が選手になるか、評論家になるかという違いだと考えられます。

自分が選手になってプレイすることは、やりがいもあるし実績を上げれば賞賛も受けます。
その一方でスランプで成績が不振だったりすれば、容赦のないヤジが飛んできたりもします。また普段の地道な努力も欠かせません。

ところが自分が評論家の立場でいれば、自分は安全でいて、しかも好きなことが言えるわけです。TVなどで野球を見ながら、素人評論家になる人は多いと思いますが、自分が選手でないのなら、それは好きにやればいいことです。

しかし、自分自身の生き方に関しては、自分は選手として行動すべきです。
自分のことについてまで、評論家になって実際に行動しないのは、リスクもない代わりに自分を充分に生きていることにはつながらないでしょう。

※なお、プロの評論家の方は、自分の言葉に責任を持つ必要があるしリスクを背負って仕事をされているのであって、それを批判するものではありません。

この例えをすれば、なぜ評論家に逃げようとするのかが見えてきませんか。

自分の人生を評論家的に生きるというのは、自分の意志で決断しないで、いつも他人の借り物の考えに従い、行動するとしても自分の意志ではないかのように振る舞います。
ですから、うまくいかなかったとしても、他人事の様に評論してしまえばいいわけです。
「だめかも知れないとおもったんだけどなあ、そうしろと言われたから...」
といった感じですね。

評論家でいた方が、自分でリスクを冒さなくていいし、満足感はないまでもどこか居心地がいい部分があるのです。
どこかで決断しないと、このぬるま湯からは、なかなか抜け出せません。

自分の意志を表現することに抵抗を持つ原因は、ひとそれぞれで、それまでの経験が異なるわけですから一概には言えません。
なかには、それを変えようとすることで、精神のバランスを崩すほどの問題を抱えている場合もあります。その場合は専門家に任せるべきでしょう。

しかしそこまでの問題ではないと思われるのであれば、早い内に自分が選手になって主体的に行動する方に切り替えた方がいい。

女の子電話


ネットの普及によって、現代人が受け取る情報はとんでもなく増大しています。
たとえば、このブログを読んでいる様に、いろんな意見が簡単に手に入る時代です。
次々に自分の基準も持たずに、取り込んで行くことも可能です。

ですから自分でブロックしているのでもなければ、情報に押し流されてしまう。
そんな現代において、外から入る情報を次々に受け入れて、借り物のまま、未消化で取り込んでいくことは危険です。

それでは、どこかでバランスを失って自分という存在が何かを見失ってしまいます。

取り込むだけではなく、自分の意志で行動を起こし、自分の身体で消化していくことでバランスが保たれるし、借り物ではない自分を生きることが出来ます。

それは、単にとり入れたものをそのまま外に出すだけではありません。
なによりも自分自身の経験というものが得られるし、それにともなって生きている実感や感動がついてくるのです。

失敗も当然経験しますが、それも必要な経験ですし、次のステップへの踏み台です。

また自分がプレーヤーになることで、評論家やお客さんでいた時には、近づいてこなかった人達もあなたの周りに引き寄せられてきます。

新しい展開もそこには生まれてきます。

そして、何よりも自分自身への信頼や自信が持てる様になります。

なにか自分を生きている実感が持てないで過ごしているという人は、
今が一歩踏み出してみる時ではないでしょうか。
観客からプレーヤーにです。



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嫌いな人とのつきあい方

嫌いな人というのは、誰にでも存在するものです。

自分は誰とでも平等につきあうのだと言って、嫌いな人などいないかのように振る舞うことは、精神衛生上むりが生じます。

嫌いな人は「自分はこの人が嫌いだ」と素直に認めてしまう方がスッキリします。
おもしろいもので、いったん嫌いだと宣言すれば、かえってその人のことが気にならなくなってしまいます。

「嫌い」だと言い切ることは、その人を、あえてのけ者にしたり攻撃したりすることとは違います。
自分のなかで、ただその人が嫌いなことを認めるというだけです。

嫌いな人のことというのは、よせばいいのに無用におもいだして、腹を立て無駄なエネルギーを使いがちです。
その結果はストレスをため込んで、疲れてしまうだけなのです。

そうはいっても、話を聞いているとこんなすごい人は、扱うのが大変だなーと思うような人もいます。
しかし派手に自分の感情をぶつけてくる様な人というのは、かえって扱いやすいともいえます。
このようなタイプは、一通り話を聞いてあげるだけで収まる場合が多いからです。

その場合、話を聞く時には間違っても自分が巻き込まれない様にしましょう。
あいては話を聞いて欲しいだけなのです。
こちらから火に油を注ぐ様なことはしないことです。
それと同時に、自分の油に引火しない様にも注意しましょう。

悩む女の子


「なにが期待できるかを知ること」で書いた様に、原則として人を変えようとは思わないことです。
変わるかどうかは、その人の問題です。
変わらないのはその人なりに理由があるのかも知れないし、
自分のやり方と違うからと言って「他人の方が変わるべきだ」と考えるのも無理があります。

それは十中八,九無駄な努力に終わります。
残るのは、疲れ果てた自分と自分の側のストレスです。

相手と自分の立場を変えて考えてみたらどう思うでしょう。
嫌いな相手から、変われと言われたら、
余計自分のやり方にしがみついて、素直に変わろうとはしないのではないですか。

嫌いな人というのは、自分の側が変わらない限り、いつまでも存在します。
たとえ遠くに引っ越して移り住んでも、また新しい環境でそれに替わる嫌いな存在の人が現れることになります。

それは嫌う原因になっているものを、自分自身が持っていることを証明しているのではありませんか。
相手が悪いのに自分が変わってやったのだ、と考えるのではなく、自分が持っているひとを嫌う部分を変えてあげるのです。

プレゼントを贈る少女


「他人を変えよう」とする試みは割に合いません。必ずといっていいほど失敗します。

「自分を変える」という方は自分で出来ることであり、自分のストレスをなくし、その他の人間関係までよくなってくる見返りの多い試みです。

「相手は子供なのだから、自分の方が折れてあげよう」ぐらいに考えて、自分の方を変えることが一番実りのある努力になると思います。

またそれを実行した時には、素直に変えられた自分に対する信頼や自信がおまけに付いてきます。



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他人に認めてもらいたいんだけど

私たちは、他人から自分のことに関心を持ってもらいたいために、様々な行動を取ります。

その時望むことは、
・自分の存在価値を認めてもらいたい。
・自分に関心を持ってもらいたい。
・自分がよくやっていると認めてもらいたい。
・自分のことが好きだといって欲しい。
などなどです。

逆に怖がっているのは、
・見下されること
・きらわれること。
・無関心でいられること。

このこと自体は多かれ少なかれみんなが抱く考えで問題ないと言えますが、
中にはこの要求を他人に強要する人がいます。

強要するといっても、やっている本人はそのようには感じていない場合が多い。
表現の仕方は様々ありますが、共通するのは自分の本心が「自分に関心を持ってもらいたい」という点にあるのに、それを見ようとしないで他人の働きかけを期待する点にあります。

・他人の前では格好をつけたり、取りつくろう。
この時点では強要でないかも知れませんが、だれも関心を持たないと機嫌を悪くして攻撃に転ずることがあります。
・関心を持ってもらいたいので、無理に他人をほめる、あるいは無理してひとに合わせる。
・人の話は聞くべきだ、とか、ひとのことに関心を持たないのはよくないことだ、という論理をにおわせる。

このようなやり方は、いつもいつもそれをやられると、相手はだんだん嫌気がさしてきて負担を感じることになります。
表面的な行動はともかく、裏で見え隠れする訴えの強要を敏感に感じて、気を遣わされる、疲れると感じる様になってしまいます。

もともとは、「自分のことを認めてもらいたい」という要求であったのに、結果として逆効果になってしまったわけです。
このようなひとが、まずやるべきことは「自分の本当の望みはひとにかまってもらうことだ」ということを自分で認めることです。
そんなつもりでやっているのではない、と言っているうちは状況は変わらない様に思います。

飛び跳ねる女の子160x240


次は「自分のことを認めてもらう」には何をすべきなのかを考え直します。

実は「自分のことを認めてもらう」のに他人に働きかけるのは順序が違うのです。
先にやるべきことは、「自分が自分のことを認める」ことです。
残念ながら、自分で自分を評価して満足出来ていないひとには、他人もいい評価をしてくれません。
いくら取り繕っても、自信のなさを感じ取ったり、不機嫌さを感じるのです。

これに対して、自分のことを自分でも好きになれる人というのは、周りの人も安心して近づけるし、楽しさを感じられるのでひとが周りに集まります。

自分のことが好きで、自分で認められるひとに対しては、
他の人も相手の中に自分の望んでいる姿を見ることが出来るので近づきたくなるのです。

そして、自分に自信がある人は他の人の関心を引くことには、それほど関心を持つ必要を感じません。
他人がどう見ているかというのは、自分のこころの反映だとわかれば、他人が関心を持ってくれるのも、自分で自分を認められることも実は同じことなのだということがわかるでしょう。

皮肉にも、他人の関心を引きたいひとにはひとが寄ってこないし、それほど関心がないのにひとが寄ってくるということが起きるわけです。

ですから、まずは自分を好きになること。
今のままの自分を認めてあげること。
今の自分を批判する自分をみとめ、それも自分の一部だと受け入れること。
いいことも、悪いことも、両方含めて自分なのだとわかってくれば、自分を非難しなくなるし、
それは同時に非難する他人も存在しなくなることにつながります

「他人に認めてもらいたいんだけど」は「自分で自分を認める」ことからスタートしましょう。



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いつでも今が最高

いつでも今の自分が、今までで最高の自分です。

誰一人として、あなたと同じ経験を積み重ねてきた人など、あなた以外にはいません。
そして、あなたの今迄の経験の全てが、今のあなたを作り出しているわけです。

ですから、いつでも今のあなたは、過去のどの時点の自分よりも多くの経験を持っている最強の自分であるわけです。

そうは思えないという人は、今までの自分のすべてが今のあなたにとって必要であったことを忘れてしまっているのかも知れません。

もしそうだとしても、部分的には、過去のAとBという経験からCがもたらされたのだと認めることは出来るでしょう。

そしてそれだけでなく、それに続くDという経験は、A、B、Cの全ての経験があってこそ成り立っているのだと考えていくことができます。

もちろんそのなかには、いわゆる「失敗」と感じられる経験も含まれます。
「失敗」や「成功」というのも相対的なものです。
その時めざしていた目標からすれば、それは「失敗」だったのかも知れません。

しかし、その「失敗」の経験があってこそ、その後の「成功」ももたらされているわけです。
その「成功」は決して、その前の「成功」だけを積み重ねて出来上がったものではないでしょう。

そのように考えれば、たとえ今目の前の状況がうまくいっていないとしても、それは単に今を含んだ短期間の状況が「失敗」に見えているだけだと思えてきます。

飛び跳ねる女の子160x240


そして、いつかその「失敗」が「成功」をもたらすのに役立っていくことも、無理しなくても理解できる様になるのではないですか。

ましてや、今の「失敗」が、それまでの自分のやったことが全て無駄だったなどという発想にはならないのです。

今現在の「失敗」にみえる経験も、その後に来るであろう最高の今を作り出す軌跡であるというようにとらえることが出来ます。

その時々の自分が、その時点での最高の自分でした。
それらの自分が作り上げてきた経験の頂点にあるのが、今の自分であると言うことです。
何一つ、今の自分にとって無駄ではない経験でした。

そう思えば、今、目の前のにある失敗も、これから起きるかも知れない失敗もそれほど怖いものには映らなくなってきます。

いままでで最高の自分が、今ここにいるのだということを、いつも思い出しましょう。

今の状況がだめだと思えるとしても、過去のだめだった状況と同じだと思わないで下さい。
実際に1つとして同じ状況というのは起こりません。

特定の過去にとらわれないで、今までの自分を総動員して生きる気になれば、

いつでも今が最高の自分を生かせる時です。



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徹底してこだわってみる

こだわりを捨てるという話ばかり書いてきたようですが、
時には徹底してこだわって生きてみるのも必要かも知れません。

「仕事を流す」という表現があります。
いつものやり方で、工夫もしないで、深く考えずに惰性で仕事をしている様なイメージです。
どうして、そうなってしまうかはともかく、こういうやり方では、自分の技術も伸びないし、ずっと同じことの繰り返しです。

そして何よりも、本人は感じているはずです、「やりがいがない」「つまらない」「すぐに疲れる」と。

なぜかそういう人は、真剣にやっている人をみると「よくそこまでやれるね」と考えてしまいます。

その原因を想像してみると、
自分には出来ない、そこまでの能力がないという思い込みであきらめが半分。
もう一つは、普段の自分の仕事の仕方の延長で考えるために、真剣に取り組むことは、とんでもなく大変なものに映ってしまうのでしょう。

そして自分のためにやっているのだという意識がない。
仕方なくやらされているという意識だから、実が入らない。
という点も上げられるでしょう。

逆に徹底して取り組むとは、時間もエネルギーもいとわずに、それにつぎ込むこと。
つねにもっといい方法はないかと探し求める。時には寝る間も惜しんで常にアイデアを考えてみる。
他の人から茶化されても、それを聞き流して自分のやり方を続ける。
それをやるのは他の人に言われるからではなく、自分の向上のためだという意識でやってみるのです。

いい結果が得られるとは限りません。結果が出ないと他の人から見ればばかばかしいと思われるかも知れません。

しかし仕事の成果よりも、もっと得られるものは大きいのです。
何よりも「やりがい」を感じられるし、やっている自分への「自信、信頼」を持つことが出来ます。同じことをいってもあなたの言葉には本物の裏付けがあるので、相手にも伝わり方が違ってきます。

それらは、自分でも期待していなかったほどの成果ももたらします。

ずっとそのペースを続けるのは難しいかも知れません。
しかし一度でもそのような時間を経験することは、何もしないで嘆いている様な時間を過ごしたのとは何倍もの濃い時間を持ったことになります。

これに対して、正面から取り組むことを放棄した生き方もあります。

・あなたが会社員だとしたら、仕事なんて首にならない程度にしておけばいいとかんがえるとか。
・自分の表現したいものを表に出さないまま、何かを訴えようととしている人を、横目で見ながら批評ばかりしているとか。

しかしこう言ったやり方ばかりしていると、自分の生き甲斐を感じられないままむなしさを感じてくるのではないでしょうか。

もし自分が、やりたいことを実行しないまま、ため息ばかりついている人間だとおもうのなら、何が実行することを妨げているのかを調べて見ることです。

障害となっていることは、調べて見たらたいしたことではなかったと気づくのが殆どではないでしょうか。
ただ、たいしたことではなくても、今の自分を動けなくしているのも事実ですから、それなりの理由はあるはずです。

過去の経験が原因で、現在の障害になっていると感じるなら(殆どの場合がそうだと思いますが)、過去の自分に還って体験をやり直してみるという方法があります。

多くの場合、その原因となった出来事は、自分にまだ充分な経験や自信もなかった子供の頃に起因します。

それは、子供の頃のあなたにとっては、決して小さな問題には見えなかった。
しかし、現在の経験を積んだあなたの目から見れば、それはたいした問題ではなかったと思えるのではないでしょうか。

その頃の自分に今のあなたなら、なんと言ってあげられるでしょうか?
という感じで過去の経験の記録をあなたの手で書き直してみるというものです。

効果は人によって違うでしょうが、少なくとも今のあなたなら問題ではなかったと感じられたら、これから自分がどうするかという気持ちにも変化が出てくるのではないでしょうか。

過去の自分というのも、実は今のあなたの一部です。別にタイムマシーンで過去に行かなくても、今ここであなた自身が変えることが出来ます。

過去も未来もなく、自分と他人の区別もありません。全てはあなたの内部に持っているものです。

現実を生きるのは、今ここにしかありません。
今やらなければ、いつまでも変化はありません。

やりたいという気持ちが隠れているのなら、あとで後悔しない様に一度くらい思いっきりやってみてはどうでしょうか。



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「したくないことはしない」といえますか?

「今はやりたくないからやりません。」と言い切った時どのように感じますか?

頭からの強制が強すぎると「したくないけれど、しなくてはならない」と言う考えがいつも支配します。
これではやる気は出ないし、気分もふさぎ込みがちになります。
こころはいつも曇り空です。

今はしたくないという気持ちにしたがえるかどうか、これで今のあなたの頭の支配の度合いが測れるのではないでしょうか。
「したくない」といいきっても後ろめたさを感じないでいられるなら、こころと頭のバランスがとれているといえます。

「しなければならない」が強すぎると、こころは強制されて後ろに追いやられてしまいます。「したくないからしない」といえる状態にまでこころを解放しておきたいものです。

しかし、そうはいってもどうやってこころと頭のバランスを取ればいいのかわからない。
「したくない」なんて言葉にしたがっていたら、まとまった仕事など出来ない。
というように心配される方もいらっしゃるでしょう。

そう思うことは健全なことだと思います。
そこでこういう風に考えてはどうでしょうか。

------
たとえばあなたは今、ある程度大きな目標なりプロジェクトを抱えています。
規模としては、数ヶ月とか1年かかる目標だとします。

まず最初に、目標を立てる時には、充分にこころの意見を聞いてあげること。

あたまの主導で計画を立てることも出来ますが、充分にこころの訴えを聞いておかないとあとで問題が生じる場合があります。
たとえば、途中で「自分は何でこんなことをやっているのだろう?」という目標自体への疑問が生じるとかです。

それに、そもそも自発的にやりたいと思ったことでないと長続きするものではありませんよね。

次の段階は、行動計画を立てます。
ここでは、ある程度頭の主導でかまわないと思います。
計画を立てる様な処理は、頭の得意とするところだからです。
計画は、漠然としたものでなく、全体を分割しながら短期の計画まで立てていきます。
全体の目標、6ヶ月とか1ヶ月単位の目標、1日で処理することのリストといった具合です。

ここまで出来たら、後は実行です。
実行の段階になったら、計画はいったん忘れましょう。
途中で軌道修正が必要な場合もあるかも知れませんが、出来るだけ計画をあまり意識せずに、途中の進捗のチェックぐらいにとどめます。

計画を立てることの目的は、今に集中できるようにすることにあります。
実行段階では、今ここにある、目の前のことに集中します。
未来の不安や、過去の成果のチェックは、計画自体に吸収される様にしてしまうのです。
計画を立てる作業というのはそんなにおもしろいものでもないし、面倒だとも言えます。しかし、いったん計画を立ててシステム化してしまえば、あとはその都度やることを考えなくて済むようになります。

ここまでくると、「今日はやりたくないからやりません」ということに抵抗が少なくなっているのに気づきませんか。

しっかりと計画を立てたなら、頭のほうも納得していますから、むやみに強制してこなくなります。
あとは、バランスを取りながら実行あるのみです。

自我のこだわりから解放されるために、いったん徹底してこだわってみる。
もうこれで充分と自我が言い出すまでやってから手放すというのも1つの方法でしょう。
要は、自分のこだわりの本質がどこにあるのかを見極めることです。

-----
少し話がそれましたが、最初の話題に戻ります。

頭によってこころが強制されていると、「したくないけれど、しなくてはならない」という考えがいつも重くのしかかってきます。
こころの自発的な働きは抑えつけられてしまいます。
いつもこころがスッキリしないで、自発的なやる気もなりを潜めます。
このような状態が続くと、どこかでこころが悲鳴を上げて計画は破綻することになります。

一番よくないのは、漠然とした「しなくてはならない」に支配されることです。
自分の「しなくてはならない」の出所をチェックしましょう。
どうしても「しなくてはならない」ことなど実は存在しません。
どこかであなたの頭が作り出したものです。

必要ならば計画を立てることによって、漠然とした強制から具体的な行動レベルに落とし込むようにしましょう。

この文章を書きながら、最近自分の部屋が散らかり放題なのに気づきました。
散らかった部屋にいると、見るたびに「かたづけなければ」と思いつつそのままにしてしまう。

「ねばならない」を放置すると増殖します。
手に負えなくなる前にかたづけてしまいましょう。
空っぽにしてやってこそ部屋の役割をはたし、新しいものが入ってくる余地が出来る。

こころを強制しないと、やる気はどんどん出てくる様になります。
こうなってくれば、「したくないことはしない」ということもできるし、
今日はやる気が充実しているのでいつもの3倍やろう、といったこともできるようになります。

なによりも、強制されている気分がとれて、自発的で、軽い気持ちで取り組むことが出来ます。
そこからやる気がどんどんでてきます。
汲めどもつきぬ泉のように。

また疲れた時は気兼ねしないで休むことも出来ます。

したくないことはしない」と言い切ること、
いつからか出来なくなっていませんか?



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手放すのが唯一の解決

森田療法という心理療法があります。
数少ない日本発の独自の心理療法です。

森田療法では、原則として直接症状を扱うことをしません。
ひたすら、あるがままの自分に向き合うことを勧められます。

そして森田療法で治療を終えて回復していった人達は、決まった様に自分のもともとの症状のことを語ります。

症状が問題ではなかったんだ、症状は自分の中の問題を避けるための隠れ蓑に過ぎなかったんだということを。

問題によっては正面から取り組まない方がいい場合があると考える柔軟さも必要です。

相手にするから問題を大きくするという性格のものが存在します。
問題に向き合わないのは、問題から逃げることだという思い込みを、全てのことにあてはめない様にすることです。

というよりも、相手にしなければそもそも存在しなかった問題というものの方が多いのではないでしょうか。

普段私たちが悩んでいる問題というのも、殆どは本質的なものではなく、実は、どちらでもいいことなのです。

どちらに転んでもたいした違いはないのです。

それが大きな問題に見えてしまうのは、こだわってしまうからです。

こだわるから、軽くながせなくなり、大きな問題に成長したり、いつもまとわりつく悩みになったり、思い通りにならなくて腹を立てたりします。

悩みが解決されるのは、外側にあると思っている問題や状況が変わることではなく、自分自身がこだわりを手放した時です。

単に手放すだけというのが、唯一の解決策だと言うこともあります。

手放すのが難しいのは、こだわり(自我の働き)を考えてみればわかってきます。

自我は、「正しい」と「間違い」をはっきりさせたがります。
というよりもどちらかに決めたがること自体が自我の働きです。

ですから、自我は曖昧な状態を嫌います。
白黒をはっきりしないと不安になる時、それは自我の働きが存在を脅かされることの不安だと言えます。

「知恵とはいい加減を知ること」という言葉があります。

いい加減」な状態は、自由に他の状態に変化できる余地を持つと言うことです。
白黒をつけない、判定しないということです。

いくら考えても答えが出ないのなら、それは今は判定をするべき時でないのかも知れません。保留にしておけばいいのです。

論理的に考える人ほど、保留があるのを嫌います。
保留があると先に進めなくなってしまうためです。

ただそれは変化しないものを前提にした場合に成り立つことです。

われわれのこころの働きは、常に変化するものだととらえるべきです。

いい加減」を受け入れて、問題を手放すしかないこともあると考えましょう。

手放すことで、問題そのものが消えてしまうと信じてやってみることです。
どうせ問題に取り組んでも解決しないと、うすうす気づいているのですから。



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今の自分に満足することからはじめよう

今の自分に満足することからはじめましょう。
それ以外のやり方では、いつまでたっても満足できない状態が続きます。

現在の自分に満足出来ないのは、常に外に満足を求めるためです。
いつも何かを達成してからでないと満足できないという状態です。

外に満足を求める限り、常に新しい課題が発生してきます。
そして満足出来ないのは、まだ課題が充分達成出来ないためだと考えて、いつまでも満足感は得られません。

今の自分に満足してしまっては、新しいことに取り組もうという努力をしなくなるのでは?と考えるかも知れません。

しかし、それは実はこだわりを持っていることから来る発想です。
外に課題を持ち続けてきたことから、何か課題がないと不安になるわけです。

現在の自分に満足出来てこそ、こだわりを持たずに目の前のことに自発的に取り組もうという気が起きるものです。

こだわりが捨てられずにいると、いつもモットモット、○○でなければいけないという課題が先に来ますから、自発的に何かをやりたいという気持ちまで抑えられてしまいます。

この結果、能動的に、主体的に何かをやろうとする気力がなくなってしまうことにもなりかねません。

行き着くところは、先日書いたように、頭の支配が強すぎてこころが悲鳴を上げてしまうという結果を招きます。

外のものへのこだわりからスタートしても満足することはありません。

自信がもてないからといって、すべての人から認めてもらおうと努力してもゴールには到達できません。
現在の自分をそのままでOKだと認め、他人から賞賛されたいという欲求を捨てられたとき、そのときはじめて自分はそのままでいいという自信を持つことが出来ます。

常に高い地位や多くの富を得ることを求めて努力しても、いつまでもその上を目指さなければなりません。
またそれは自分が本当にやりたいことではないので、いつまでたっても満足感は得られないでしょう。

今の自分にそのまま満足出来ないのは、いつまでもこだわりを捨てないためです。
こだわりを捨てようとすると、不安になりますが、それはこだわる心そのものが不安をもたらすためです。

こだわりは、不安を燃料にして動いているようなものです。
余計なこだわりを捨てたいと思いながら、不安という燃料を追加してしまってはこだわりは生き続けます。

こだわりの声に耳を貸さずに、無条件に手放して現在の自分が持っているものに注意を向けましょう。

何かがそろったらはじめるのでなく、今こそそれをはじめる時です。
今あるもので全てはそろっています。
持っているものを数えようとしていないだけです。

条件なしに、今の自分で充分だと満足することからスタートしましょう。



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他人の中に見る自分のこころ(2)

他の人を嫌いだとおもうのは、自分の中に抱えているいやな部分が相手の中に映し出されることから生じます。

このような反応を感じた時は、なにも人を嫌っていやな気分に浸ることに使う必要はありません。

自分の嫌っている部分や、コンプレックスを発見し解消するためのいいチャンスだと発想を変えましょう。

そこには自分のこだわっている思い込みが発見できるはずです。
根が深く、混み合っているというのでなければ、気がつくだけでも自分を変えられるかも知れません。

この思い込みは、じつは他人が持っているものではなく、自分の思い込みであるわけですから、
それを変えようとすると、自分の側から抵抗が生じます。

これは、嫌っている部分は、本来相手が持っていた問題ではなかったことの証明でもあります。

この抵抗が生じるのは、変化することは、自分が今までずっと間違っていたことを認めることになるためです。

自我はそれを自分自身の存在への否定ととらえて反発します。

自我の働きは、比較や判断によって何が正しいかを決めるところにあります。

この働きは、いわば科学的な手法と同じでそれ自体が問題ではありません。
しかし問題が生じる原因は、次の点にあります。

・一度どちらかが正しいと決めると、思い込みになってしまって軌道修正が難しい。
・そもそも「正しい」と「間違い」のどちらかに決められることではないことも、どちらか一方に決めてしまう。

この思い込みから自由になることができれば、嫌いな他人も存在しなくなるし、自分自身の思い込みからも解放されることにつながります。

まずは、他人の中に見える自分の思い込みを見つけたら、その存在を認める。
次に「正しい」と「間違い」の思い込みを検証してみることです。

「正しい」と「間違い」は裏表の関係にあります。片方が正しいと思っても、見方が変わればもう一方が正しくなる。
しかし自我はこのような曖昧さを嫌って、どちらか一方、唯一の正しさを求めるように働きます。

老子の第二章では、善は悪があるから善と呼ばれる、本質はその名前の裏にあるものから生じるということが語られています。

どちらかに正しさの本質が存在するのではなく、言葉で表現した仮のものであって本質はその裏側にあるという発想を持つことです。

そうすれば自我の思い込みも解きほぐしやすくなる。

また、自分のこだわりが解消できどうかは、きっかけをくれた相手に対する自分の見方がどのように変化したかで判断することも出来ます。

自分の方が変化すれば、最初は相手が持っているように見えたいやな部分が、きれいに消え去ってしまうことに気づくことでしょう。

簡単にできる変化からはじめて、自分の思い込みを徐々に解除していくことは、非常にやりがいのあることだと思います。

もしかすると、嫌いな相手を捜し求めたくなるかもしれません(笑)。



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汲めどもつきぬもの

老子には、タオは汲めどもつきぬ源泉であるというような表現があります。

どうしてなくならないのか?
という疑問がすぐに出てくるのではないでしょうか?

汲めどもつきぬ源泉」なんて言われても想像が付きません。

これはこれとは逆の「使えばなくなる」というのが、あまりにも常識的であるからです。

「使えばなくなる」というのは、非常に分かりやすい、子供でも容易に理解できる理屈です。
たとえば、目の前にあるお菓子を、食べてしまえばなくなってしまうという視覚的に理解できることだからです。
そして、さらには親からは「考えもしないで食べてしまうからなくなっちゃうのよ!」と戒められる。理解しやすいだけでなく、覚えておかないといけない常識だと教え込まれるわけです。

しかしいったんこれを理解すると、言葉はというのは、汎用的に思考を支配してしまうので、あらゆる場合に「使えばなくなる」常識を引きずることになります。

老子は、タオの働きは大きくて遠くまで働く動きだから、われわれは直接理解することはできないと説きます。

あまりにも大きかったり、遠かったり、時間が日常の感覚とかけ離れていたりすると、
それを理解することは非常に困難なものになります。

鍾乳洞をご覧になったことのある方は多くいらっしゃると思います。
鍾乳洞にみられる鍾乳石は、何千、何万年もの長い期間をかけて出来上がったもので、まさに人間の感覚からすると悠久の歴史の産物です。

鍾乳石は1センチメートル成長するに約70年かかると言われます。
人間の一生分の時間で1センチです。
これを通常の感覚で理解するのはかなり難しいでしょう。

もっと分かりやすい例で言えば、地動説です。
地上に住む我々にとっては、太陽はどう見ても、突きと同じように地球の周りを回っているように思えます。また、地面が回っているなんてことは、通常の感覚では理解できません。

これと同じように「使えばなくなる」という常識は、そうとう根深いものです。
なんで「使えばなくなる」と考えては行けないのだと思われるかも知れませんが、それは「汲めどもつきぬ源泉」というものを理解したいからです。

「使えばなくなる」という常識は、欠乏感とにつながります。

欠乏感があると、なくなることを恐れて思い切って行動できなくなります。
あらゆることに、セーブして生きるという発想になってしまう。

命の本来の動きは、欠乏感とは相容れないものだという気がします。
命の源が「使えばなくなる」ものだとすれば、これで命は打ち止めという時点が生じることになります。そんなケチな話はないでしょう。

「使えばなくなる」という発想は、鍾乳石の生成が1日ストップしたから打ち止めだと考える様なものです。

永遠に続くものであるからこそ「汲めどもつきぬ源泉」であるわけです。

それが本来の在り方だとすれば、欠乏感というのは、人間の作り出した狭い範囲の思い込みだと言えるのではないでしょうか。

老子の思想のすごいところは、このような人間の常識でとらえられないことを表現したところにあると思います。

「使えばなくなる」という常識にとらわれなくなって、汲めどもつきぬ源泉につながっているという実感がえられたとき、我々は本当の安心感を得られるのではないでしょうか。



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四つ葉のクローバーと青い鳥

四つ葉クローバーを見つけると幸運が訪れるという伝説があります。
もともとヨーロッパが起源の伝説のようですが、四つ葉は十字架を
表しているのだとか。

このようなキリスト教文化の背景とは関係なく、四つ葉クローバー
幸運の象徴であるというのは、広く知られているところです。

この四つ葉ですが、夢を壊す様な話で申し訳ないのですが、クローバー
生育条件を探ってみると見つけ方があるそうです。

その一つの大きな要因は、日照条件だそうです。
日陰に育つクローバーは、光合成で養分を作るのに必要な日光を
得られる条件が厳しいことから、葉っぱの数を増やしたものが
あらわれやすいということらしいです。

つまり、四つ葉を探したいのなら日陰に育つものを探すと、見つけやすい
ということになります。

幸運を求めて四つ葉クローバーを探す人がいる一方で、
幸運の象徴である四つ葉のクローバーは、自分が生き延びる為に
葉っぱを増やすという理由から存在していたわけです。

ところで「青い鳥」を探し求めたチルチルミチルは、結局自分の家に帰ったところで
幸せを見つけ出します。

青い鳥は、そもそも自分の中から生まれた対象であったはずです。
自分の存在がなければ、最初から青い鳥は存在しなかったのなら、
探す場所は、自分の内側にあるはずだと考えられるはずです。

ところが、外側ばかり探しているひとは、自分の欲しいものを外側に
探すというよりも、先に外にあるものから自分を知ろうとしている、
といった方が当たっているかも知れません。

それは、自分の内側に目を向けるということを忘れているということでもありますが、
そもそも自分の中に求めるものがあることを信じていないのかも知れません。

外側を探す方が、「これがあなたの欲しいものです」と教えてくれるものが
多く存在し、あなた自身の内面よりも説得力があるのかも知れません。

しかし意味もなく四つ葉のクローバーを探してみても、見つけたところで何も変わりません。

外にあるものを手に入れても、内面はいつまでも満たされないので、
手に入れた瞬間に魅力を失ってしまうということも多いのです。

探すのなら、自分の内側を探ってみる方が、結局は満足するものが見つかります。

少しの間、外側を探すのをストップして、自分の内側の声に耳を傾けてみませんか。



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「じょうだんのつもりなのかも」

ネットでメールの使いかたを子供向けにせつめいしているサイトを見かけました。
おもしろい内容だったので、一部を引用します。

Electronic Network Consortium(電子ネットワーク協議会)
http://www.enc.or.jp/

4.10 いやなメールを受け取ったら?
友だちからのメールを読んで、いやな気分になったとしても、言い返すような内容(ないよう)の返事を出さないようにしましょう。友だちは、じょうだんのつもりなのかもしれないからです。もし、お返しのメールを書いてしまったら、すぐには出さず、一晩おいて、じっくりと考えてから出してください。その1通のメールが原因(げんいん)で、けんかしてしまったら、二度と仲直りできないかもしれません。

以下省略

chapter 4
http://www.enc.or.jp/enc/code/rule4child/cha-4.html#4-3




小学生くらいのお子さんがいらっしゃれば別ですが、子供向けの文章というのは
なかなか見る機会が少ないかとおもいます。
引用したほかにも、いろいろ大人が読むと、どきっとする様な文章もあっておもしろいので、
一度ご覧になってはいかがでしょう。

それはさておき、この文章ではすぐに返事せずに、一晩おいて考えて。。。
理由は、「じょうだんのつもりなのかもしれないから」とあります。

メールは特に文字だけのコミュニケーションなので、受け取り側の
そのときの精神状態が影響して、勝手な解釈に走りがちです。

そういった場合は、時間をおいて読み返してみることが必要かも知れません。
ひょっとすると、冷静に読めば間違えない様なことを、読み間違えている
可能性だってあります。

もう少し応用して考えると、
メールに限らず何か自分が冷静さをなくす様な、
動揺するような状況が起きた場合に、
「じょうだんのつもりなのかも」と
いったん思ってみるのはどうでしょうか。

・時間をおくことで、偏った判断を回避できる。
・自分が動揺させられた原因を探ってみると、自分の弱点が発見できる。
・衝動的に行動することを止められたことで、自分への信頼が高まる。

特に自分の弱点が発見できるたら、そこから自分を振り返ることで
いろいろな発見があります。

それは、不要な苦痛からの突破口になる可能性があります。
その後のコントロール障害からの解放になるかも知れないと思えば、
自分の弱点を発見することはそれほど苦にならなくなります。

食べ過ぎだと思ったら、おなかを壊さない様に食べるのをやめるのと
同じようなもの。
不快な感情に走り出しそうな時は、ちょっと控えてみませんか。
本当に怒るようなことかどうかが、よりはっきりしてきます。

相手も、それほど深く考えていない可能性が高いものです。
そうでなかったことも「じょうだんのつもり」だった
ということに変化するかも知れません。



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素直な人はやわらかい

素直な人は、自己矛盾に苦しむことがありません。
したがって、やったことに対してあれこれ悩むことも少ないでしょう。

これは他人から見ても、いい感じを受けます。
どこかで自分もこのように素直になりたいという願望があるから、
救われた様な感じになります。

もし素直な人を見て反発を感じる様なら、その時の自分は、かなり
自己矛盾を抱えているのだとチェックしてみるといいかもしれません。

ところで、素直であるとは、必ずしも「他人の言うことに素直に従う」
ということと同じではありません。

他人から言われてたにしても、自分で思ったにしても、それが正しいと
考えれば方向転換できると言うことです。

いったん自分が選択したことが、間違っていたことを認めるのは、
誰しもいやなものです。

しかし、訂正することで自分の価値が下がるかのような「プライド」を
抱えているとなかなか訂正できません。
訂正することを自分の存在価値への脅威ととらえてしまうからです。

素直さとは逆の意味で、「意固地になる」という言葉がありますが、
ちょっとしたことで意地を張ってしまった結果、
どんどん素直になれなくなるということがあります。

堅くなってしまった筋肉をもみほぐすには、あまり強く押しては
いけないそうです。
強く押しすぎると、筋肉はそれに耐えられる様になる為にさらに
堅くなってしまうのだそうです。

意固地になってしまった心も、少しずつ優しい力で
鎧をはずしていく必要があるようです。

難しく考えなくても、やるべきことは堅くなってしまった過程を
逆にたどればいいだけです。

しかしそこで話がややこしくなるのは、人にしたがうことを
勝ち負けと混同してしまうことにあるようです。

素直になることは、自分の素直な心にしたがうということですが、
これを他人との関係でとらえてしまうために問題が生じる。

両者は切り離して割り切って考えることです。

「私も悪いけどあっちも悪い。」
「自分から折れる必要はない。」

そうかもしれません。
しかしその一方で素直になりたい自分もいるのではないですか。

自分が折れるとか、負けるとか考えずに、自分に素直になることで
手に入る心の平安を優先しましょう。

他の人との関係で自分の価値をとらえずに、
もっと自分がもともと中に持っているものを信じるということです。

プレゼント受け取る男性    プレゼントを贈る少女


こじらせると、どんどん筋肉は固くなってきます。
治療にいかなくてはいけなくなる前に、自分で優しくもみほぐしてしまいましょう。

最初に書いたように、
「これは他人から見ても、いい感じを受けます。
どこかで自分もこのように素直になりたいという願望があるから、
救われた様な感じになります。」

自分もこちら側の人になってしまいましょう。



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誰が主人公か?

むかし交流分析の講座を受講した時に、こんなことをやったのを思い出しました。

「自分は○○ができない」を「自分は○○をしない」という風に言い換えてみるというものです。

これは、仕方なく犠牲になって何かをやらされているわけではなく、自分が主体的に行っていることだと宣言すると言うことです。

普段何気なく、「自分は○○ができない、仕方がないんだ、だって××だから」と言い聞かせてしまっていることを、自分が主体的にやらないことを選択していると言い換えてみる。

このことで、自分がどういう気分になるかを試して見るのです。

これを聞いて「なるほどね!」と思って終わりにすることも出来ますが、今振り返ってみて、非常に強力な可能性をもった試みだと思い直しました。

自分では常に主体的に選んで行動しているつもりでも、気がつくと「自分は○○ができない」的な考え方をしてしまっていることに気づくのではないでしょうか。

こんな環境にいるのだから、○○できないのはしかたない。
こんなに忙しいのだから、○○できないんだ。
仕事だから、○○をやらないわけにはいかないんだ。
などなど。。。

女の子腕組み


「仕方なくやっている」というのは、誰のせいだと言いたいのでしょうか。
これを「しなければならない」と判断したのは自分だと言うことを認め、主体的にやっていることだと宣言してみる。

そう思い直せば、同じことでも誰かの(何かの)犠牲になっているという考えから解放されることで、やる気も変わってくるのではないでしょうか。

「やらなくてはならない」という事情は変わらないかも知れませんが、自分が主体的にやっていると考えられるのなら、やり方を工夫してみようという気持ちも出てきます。

どうせやるのなら、もっと喜んで、楽しんでやってみようと考えることも出来ます。

女の子ベンチ


またこれは、対人関係においても、同様に考えることが出来ます。
なぜ自分は、いやだと感じながらその人と関わっているのか。
その人との関わりを選んだのは、他ならぬ自分であり、自分なりに意味を見いだして行っている行動であると認めてみることです。

それによって、これ以上その人とは関わらないと考え直すかも知れないし、あるいはいやいや関わっていた気持ちから、自分の必要があって行っていたことだと気づいて意識が変わってくるかも知れません。

そして自分が主体的選択をしている、と宣言することで得られるメリットは、何よりも自分が主人公であり、犠牲者ではないのだと考えられるというところにあります。

漠然とやらされている感じで生きることは、時として自分で主体的に選択するよりは楽な面があるのかも知れません。
しかし、ダンゴムシのように習性だけで生きていくのと、自分が主人公になって生きていくのとどちらを選びたいでしょうか?



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無条件に自分をOKだと言えるかどうか(2)

自分を無条件にOKだと感じられない人は、他人から認められ、愛されなければ安心できません。
そこで常に他人から自分を認め受け入れてくれることを探し求め、確認し続けないと不安になります。

しかし残念なことに、他人から愛される人というのは、自分自身をありのままに認め、OKだと感じられる人なのです。
言い換えれば、人から認められなくても自分自身で幸せを感じることが出来る人だと言えます。

そこで、前者に必要とされるのは、外に自分を認めてくれる人を捜し求めるのではなく、「今のままの自分」をそのままでいいのだと受けとめられる様にすることです。

思春期の子供の悩みの一つに、「本当の親友がいない」というものがあります。
表面的にはつきあっている友人はいるけれど、本当に心を許せる親友が自分にはいないので、不安であるというものです。

ここでいう本当の親友とは、「いつでも自分のことを批判せずに受けいれてくれて、本当の自分を見せても裏切ったりしない人。」といった感じでしょうか。
そして、「いつまでも変わらずに、自分のそばにいてくれる人」なのでしょう。

しかし、大人になるにつれ、このような理想的な人はそうそう得られるものでもないし、いつまでも変わらずにいてくれる人、というのも理想でしかないと分かってきます。
またそれと共に、自分自身も社会的な経験を積んでくるわけで、それによって他人に対する依存というのも薄れてくるものです。

ところが、やはり大人になってからも、理想の相手という存在を追い続ける人がいます。
そういう人が現れれば、その時やっと自分は幸せになれると考えるわけです。

そういった人は、原因が自分自身を受け入れられない不安から来ているものであることを認めて、対象を外に求めるのではなく、自分自身と向き合っていく必要があります。

自分自身の中にいる子供の部分は、自分をもっと大事に扱ってくれることをいつも求めています。
そして、それは他人から求めることではなく、自分自身が自分を認めてあげることでのみ解決することです。

自分で自分の存在を認め、その存在を喜んであげることは、
他人から認められることよりも深い喜びである様な気がします。

そしてまた、そのような人は他人から認められようとしなくても
相手の方から近づいてきてくれる人であるとも言えるでしょう。



女の子ベンチ

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無条件に自分をOKだと言えるかどうか

世の中には、いわゆる「打たれ強い」と言われる人がいます。
他人から批評を受けても、少々のことなら受け流せるという人ですね。

その一方で、少しでも批判の要素を感じるとすぐに元気をなくして
落ち込んだり、体調まで崩してしまう人もいます。

これは、いろいろなそれまでの経験や生育条件というのが、
関係していると思われますが、一つの大きな指標として考えられるのは、
その人が「どれだけ無条件に自分をOKだと感じられるか」にあると思います。

無条件に自分をOKだと感じるというのは、別の言い方をすれば、
どんなに失敗したり、うまくいかないことが重なっても、
「そんなこととは関係なく、自分を受け入れてくれる人が存在する」
と信じられるということです。

「何かをうまくやりとげられれば、人は受け入れてくれる」というのが
条件付きのOKです。

多かれ少なかれ、親は子供をしつける為に、条件付きのOKや
NGを出さなくてはいけません。

それは、子供を社会に適応させる為には必要なことで、
このこと自体には問題はないと思います。

しかし、この条件付きのOKではなく、無条件のOKも得られる
場合があることも示さなくてはならないのですが、こちらの方が、
充分に与えられるかどうかが、家庭によって差が出やすいのでは
ないでしょうか。

無条件なOKも存在することを、どれだけ感じられてきたかが、
大人になってからも、「どれだけ無条件に自分をOKだと感じられるか」
に関わってくる様に思います。

この度合いは、先ほどの打たれ強さや、批判に対する耐性に
大きな影響を与えているはずです。

そうなると、そういわれても、自分は子供の頃に充分なOKを与えられて
来なかったから、どうすればいいんだということになるかと思います。

女の子電話


1つの希望は、いわゆる「打たれ強さ」というものは、
ある程度は訓練すれば強化できるものだということです。

訓練とは、ちょうど「恐怖症」の治療の1つのやり方と同じだと
考えられます。

現在の自分に受け入れられる程度のストレスを経験していくことで、
徐々に自分の耐性をあげていくという方法です。

しかし批判に相対するというストレス環境は、普通のやり方では
調整が難しいです。つまり相手があることだからです。
相手が、ちょうどいい程度までの批判でとどめてくれるというのは
期待できないからです。

そこで、代わりになる訓練法としてあげられるのは、
自分の考えをどういう形でもいいから、表に出すことです。

どういう形でもいいでは、わかりにくいのですね。
一つの具体策として、自分の考えを文章に書き表してみることです。

日記の様なものとして、自分の感じること、考えることを文章で
書き表してみる。
たとえ自分しか見ないと分かっていても、最初は表現することに
抵抗を感じるはずです。

その時感じるのが、自分が表現したくても、相手に受け入れられないことを
恐れている内容である筈です。

そういう抵抗感を少しずつ、克服していく様に訓練してみるわけです。

もちろん最初は、人に見せる必要はありません。

しかし、少しなれてくれば、抵抗感が徐々に薄れてくると思います。
そのうち、このくらいなら、人に見せてもいいと思うかも知れない。

今はネットが普及したおかげで、個人が簡単に自己発信をできるように
なりました。

訓練は、日記からメールへ、さらにはブログでの自己発信へと
発展させることが可能です。

長くなりましたが、このような自己発信の訓練は、自分がOKであると
感じられる様になる為に役に立つはずです。

もちろん、人に見せるようになった段階から、相手からの批判というのは
発生する様になります。

それでも、段階を踏んで自分が許容できる程度を保ちながら、
鍛えていけば、「少々の批判はどうってことないものだ」というのが
感じられる様になってきます。

また、どのような批判を自分が怖がっていたのかという発見も出来てきます。
それは、大きな自己発見につながるものでしょう。

最後に一つだけ、恐怖症の治療法が一つだけでないのと同じように、
ここで書いた訓練というのも、一方向から見た対応です。

正面から、なぜ自分が無条件にOKだと言えるのかを考えてみることも
時には必要かと思います。
答えは出なくても、問いかけてみるのは意味があることだと思います。



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