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「Less is More」何も欠けていないと悟れば、全世界が自分のものになる

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「Less is More」

これが人生のほとんどの分野に

当てはまることをよく考えてみることだ。


「今持っているモノで満足し、ありのままの姿を喜ぶことだ。
何も欠けていないと悟れば、全世界が自分のものになる」
----- 老子 -----

今日が楽しくなる魔法の言葉
著者: アーニー・J・ゼリンスキー ダイヤモンド社 / 2003-09-20


いま手に入れたいと躍起になっているものを思い浮かべてください。

出来ればそれを100%で手に入れたいと思い、

あと少しの努力を手を抜かないように頑張っています。

いつからか80%では失敗だと思うようになってしまった。


しかし、80と100の間は非常に遠いのです。

ちょっとした手違いで失敗があっても、80くらいなら無理しなくてもなんとか手に入る。

80にしておけば無理しないで手に入るのなら、

80にとどめれば残ったエネルギーを他のことに向ける余裕も出てくるでしょう。

しかし、それでは満足できない。

100でなければならない。それでも100を目指してしまう。


80から100への距離は、それまでの全部よりも大変なのです。

全神経を使って取り組まないと、ちょっとした油断で取りのがすかもしれない。

1%でもかけたら100にはならないと思うと、他のことにも気が回らない。


このような、80から100への「無駄な」努力をやめたら、どんなに気が楽になるでしょう。

どれだけ、平和な日々が戻ってくるでしょう。

「Less is More」が当てはまらないか考えて見ましょう。


100でないといけない神話は、他にも根拠があるのかもしれません。

プロは、100でなければならない。

アマチュアなら80で満足してもいいが、プロはそういうわけにはいかないんだ。

たしかにそのとおりです。

たとえば、私たちが難しい手術を受けなければいけないとき、
「80くらいならできるよ」という医者に身を託したくはないでしょう。

安全を信じて利用する交通機関が、80の点検しかやっていないと聞かされたら怒りたくなります。

100を提供すると約束する商品のほうが、買いたくなるでしょう。


社会は朝から晩まで100では飽きたらず、120が手に入る方法や商品を売り込んできます。

あなたのうちには、この商品はありますか?
これがないと、80どまりですねー。
余裕があれば、これをプラスすれば、120にでもなれるんですよ。

いままで80で満足していたのに、ちょっとした隙をつかれて100の提案を持ちかけられる。

すると、あなたは「今のままで十分です」と答えはしますが、100への魅力が頭の片隅に残ってしまう。

以前に100を手に入れた時のことを思い出し、それもいいかもしれないと思い始める。

そこで何が起こるでしょう。

あなたは、80から100への困難な道に足を踏み入れてしまった。

禁断の道は、魅力的でいままでの平和な暮らしよりも刺激があります。

今までの習慣を壊してでも、後の20を手にいれたくなる。


いつもならウチのことや家族のことを振り返る余裕があったのに、

「その程度のことならいつでもできる、いまを逃すと100に到達できない。」と思ってしまう。

そんなふうに、余裕を無くして、たかが20のために全精力を奪われてしまうのです。

普段の生活にまで100を持ち込む必要はありません。

いま望んでいることは本当に100が必要かどうか考えて見ましょう。

「Less is More」

足りないくらいのほうが、ずっと幸せだったのに。

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やり直そうとする心理のわな

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間違えたり、失敗したことを「やり直し」しようと思うこと自体には問題はありません。

しかし、自分はやり直そうとしているつもりでも、どこかに失敗した事実を認めないで、もう一度やって失敗ではなかったと証明してやろうという気持ちが潜んでいる場合があります。

そういった場合、名誉挽回ならばいいのですが、前の失敗を認めきれない思いから何度も同じやり方をして、これまた同じ失敗を繰り返してしまうという悪循環に陥ってしまう危険性があるのです。

たとえば自転車で水たまりを避けるのに、出来るだけ水たまりのぎりぎりを通ってクリアしてやろうと、何度も失敗しているようなものですね。

大きめに迂回すれば失敗しようがないとわかりながら、なんどもうまく通れることを証明してやろうと、ぎりぎりを通ろうとする。

100m走での記録の壁を破ろうとする人の挑戦と似ているようですが、そこには前の失敗を認めて、充分にそれをかみしめているかどうかの違いがあるのです。


同じ失敗をする人は、「いや今度はうまくいくはずだ」とおもいながら、前回と同じ心理状態に陥ってしまいトラップにはまってしまいます。

これは、第三者が見ていれば、わりとすぐにわかり「何をやっているんだあの人は」と思えるのですが、当事者にはなかなか気がつきにくいところが、人間の心理の癖のようなものですね。

前回と似た状況になると、つい同じやり方を採ってしまう。

ちょうど、なんど痛い思いをしても、きまって同じ場所で足をぶつけてしまう様な感じなんです。

起きてしまった悪い状況から逃げ出そうとすると、かえってその状況を引きずってしまい、再出発ではなく過去をやり直そうとしてしまうのが問題なのです。

なんどやろうと、そのやり方は実を結ばないことがわかりながら、それを認めきれない自分に気がつかなければなりません。

失敗と縁を切るには、それに抵抗しないことです。

失敗したら、その失敗がもたらした結果を充分にそのまま起こらせてしまえば、スッキリあきらめも付くのです。

頭に何度もいやな感情が蘇ってくるようなら、それに抵抗しないでとことんくやしい感情を味わってしまいます。

予期しない困った出来事が起きたら、抵抗しないでそのままそれにふさわしい終わり方をさせてしまうのです。

つらい体験でも、抵抗しないで充分起こらせてしまったら、それを潔く手放すこと。

これが、失敗をいつまでも引きずらないベストな方法ではないでしょうか。

良いことも悪いことも、あなたに関係あることもないことも、起こってはやがてその終焉を迎えます。

嵐の中でも、時はどんどん過ぎていきます。

それが自然に終わらないのは、
あなたが、過去を不自然に生き延びさせてしまうから。

新しい生き方に向けての「やり直し」と、過去に縛り付けられたままの「やり直し」の違いを見分けないといけません。

それは、いつまでも失敗を繰り返していないかどうか確かめればわかるでしょう。

そのような時、同じようないやな感情がそこにくっついてきてはいませんか?


何か気が重い、何かやるきが出てこない、おっくうになってしまう。

このような感情が起きてくる原因はいろいろありますが、その一つが、いま言ったような過去をやり直させようという試みなのです。

今度こそうまくやろうというかけ声はいいのですが、それが失敗をなかなか認められないための悪循環になっていないだろうかとチェックしてみることです。

「そうか、過去への未練がこのいやな気分を作りだしていたんだ」と気がついたら、悪あがきしないで手放しましょう。

あれこれ理由をつけようとしないで、目をつぶって手を離すのです。

そして、いまここで起きていることに目を向ける。

驚くほど、急激に気分が良くなってくるでしょう。

このような手放しになれてくれば、「もしかするとこの気分の落ち込みは例のヤツかな?」と楽に気づけるようになってくるでしょう。

いつもあたらしい、柔らかい存在でいるのです。

柔らかい存在が、「いま」にはふさわしい。

硬くなった存在は、過去を向いています。

何度も生まれ変わる自分を、当然のことだと思えるようになればいいのです。

過去にしがみつくのは、同じ身体で居続けようとするようなもの。

新陳代謝で身体が刻々作り替えられているありがたさを忘れてはなりません。

意地を張らずに負けをきっぱり認めて生まれ変わりましょう。

そうすれば、眠れぬ夜ともさよならできるでしょう。



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ありのままの自分をすきになる(redux)

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ありのままの自分に満足出来るようにならないと、



いつまでたっても、満たされたと感じられません。





肝心なのは、外側の問題が解決することではなくて、

自分自身と折り合いをつけること。


自分自身を好きになることです。





自分自身の中に自分に敵対する部分を抱えていたのでは


いつまでたっても外側にも敵が現れます。







まわりを見回してみましょう。


そこに、自分の苦手な人はいますか?


そして、自分に危害を与えるかもしれない人がみえますか?


その人が好きになれないのはなぜだろう?


それを正直に考えて見ることです。





それは、あなたの中にある敵対する自分がそのように見せているのではないでしょうか?


自分自身と仲良くなれるほど、外側の問題は消えていきます。






そして世界とは自分が見ているそのものに過ぎないことに気が付くときが来るでしょう。


それならば、どんな世界を望みますか?





自分で好きになれる世界が欲しければ、何よりも自分を好きになれるようになることです。


そして、やがてそうなれるでしょう。


その時、世界はあなたのものになります。





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ストレスは発散するしかないのか

こんなストレスの多い社会に済んでいるんだから、ストレスがたまるのはしかたがない。
ストレスは、気晴らしなどで、思いっきり発散するのが一番。

こんな風に考えてしまうのも、しかたのない面もありますが、一気に結論に飛びつかないで、普段の思考の働かせ方を見直してみるのもいいかもしれません。

ストレスの原因となる出来事に対して、自分はどのように反応し、どのように思考を使っているでしょうか。

すぐに怒りを感じて、情動的に反応することが多いでしょうか。
あるいは、怒りを内側にため込んで、抑圧してしまう方でしょうか。

おこる男の子     おこる男の子2


怒りを表現したり、あるいは愚痴を言ったりするのも、同じく発散する方向に向かう行為です。

これは、その時はストレスの解消になった気になるかも知れませんが、怒りを発散することは、さらに怒りを助長して大きくしてしまう可能性があります。

怒りを表現して、何かそれで完結したと感じられる場合はそれがよかったのかも知れません。

しかし、発散した後、余計にいら立ちが残ってしまうような場合は、そこに思考が絡んできています。
その出来事に対してあってはならないという思いが、強くそこには残っています。

このような場合、ちょっとした刺激で、その思考は繰り返し頭をもたげてきます。

思考というのは、より強い刺激を求め続けるものですから、次の時にはもっと強い怒りを感じてしまうことにもなりかねません。

実は、思考がそれに関係してこない場合は、なにかの事態が起きても、それが終わってしまえばいつまでも尾を引くことはないわけです。

執着してしまう思考が、いつまでもネガティブ思考に燃料を与え続けてしまうわけです。

これは、だんだん思考という過程を簡略化して、自動的な反応のようなものになってしまいます。

感情的になりやすいという人も、実はもとを探せば、このような思考過程が存在しているものです。

女の子思案


一方で、怒りをなかったものにしようとして抑圧するというやり方ですが、これも経験的に考えればうまくいかないことは、おわかりかと思います。

押さえつけても、何かの折に表に出てこようとしますし、押さえつけるためには、自分の他の感情を犠牲にしているわけですから、そちらの問題も重なってより屈折した感情を抱え込むことになってしまいます。

そう考えると、「ストレスを発散したい」と感じるのは、抑圧した感情を一気に発散へ持っていこうとする衝動のようですね。

しかし、この2つのやり方ではなく、第3の道というものがあります。

それは、起きた出来事を、思考を使わずに「ありのまま」に見るということです。

じつは、私たちは先程の2つの方法で、出来事に対処してきていますから、新しい出来事に対しても、すでに作られてしまった構えが出来上がっているのです。

そのため、起きたことをそのまま観察する間もなく、すぐに自動的に思考を働かせて、出来上がった古ぼけた反応が真っ先に出てきてしまうわけです。

このような自動的な反応は、「いまここ」で起きていることを正常に把握する妨げになります。

出来事をそのまま見ることも、相手が言っていることを正確に聞き取ろうとする余裕も失っています。

それだけでなく、「いまここ」に留まっていないために、周りで起きていることもすでにベールがかかった状態になっていて、過去の自動反応が起こるに任せてしまうわけです。

当然、いま起きていることを、そのまま受け取ることが出来なくなってしまいます。

相手がいくらも話さないうちに、待ち構えていたように反応をし始めるのですから、ありのままをみるような余裕をなくしてしまっているのです。

注意して偏見をはさまずに聴いていれば、自分の気に入らないことを、相手が話そうとしているわけではないかもしれないのです。

相談1


これは、思考という働きのもつ性質ですから、そのようになってしまう自分を責める必要はありません。

自己の評価に結びつける必要もありません。

単に、やり方を変えればいいだけです。

思考を止めて、見えてくるもの、聞こえてくるものを、ありのままにいったん受け入れてみることです。

自動的に喚起されるような、思考や反応を制御するには、普段から自分の思考を見守っていることが必要です。

最初のうちは一瞬で反応してしまうために、手が出せないかも知れませんが、観察する習慣がついてくれば、一度反応してしまってからでも、それを振り返って「いま、こういう思考が働いたのだ」と思い返すことが出来るようになります。

そうなれば、最初から思考を停止して、見たり、聞いたりすることも徐々に出来るようになってきます。

・ありのままに見る時、余計な怒りを感じなくて済むようになります。

相手の話を思考をはさまずに、そのまま聴くなら、今まで相手が自分を攻撃すると感じていたことのほとんどが、自分の構えから来るものであったことに気づきます。

ストレッサーは相手の人ではなく、自分の思考にあったことがわかってきます。

・ありのままに見る時、過去の嫌な感情が自動的に支配するのをストップすることが出来ます。

これは、慢性的なやる気のなさや、不安感の原因である可能性が高いのです。

何かを思い出した途端に、その後ずっと憂鬱な気分が続くようなら、原因となった思考を突きとめるのは薬を飲むよりも役に立つかも知れません。

・ありのままに見る時、思考がもとめる「もっともっと」刺激が欲しいという暴走をストップさせることができます。

今までもっと必要だと感じてきた刺激は、実は思考が作り出していたもので、本来の自分は必要以上に欲しがってなどいなかったことが解るようになります。

いらないものを求めることも少なくなります。
我慢しようと思わなくても、欲しくなくなるのです。
これは経済的なメリットを生み出すかも知れません。

・ありのままに見る時、「いまここ」に生きることが出来ます。

そうでないときは、思考が五感を制限してベールを掛けてしまっているので、現実感をなくしています。

いまここで起きていることと、接点をなくしてしまうのです。

たとえば、過去にどこかに旅行に行ったことを思い出してみて下さい。
よく覚えていたり、印象に強く残っていることはどういうことでしょうか。
それは、計画された旅行プランがもたらした経験ではなく、ふとしたことでありのままに感じたり、過ごせた時間ではなかったでしょうか。

「ありのまま」とは、地味で平凡で刺激がないつまらないものだと思いがちですが、それは思考が「もっともっと」と刺激を求めることに慣らされているためです。

実は「ありのまま」感じられた体験の方が、ずっと満足感をもたらすことが多いのではないでしょうか。
それは思考が作りあげた脚本に基づく世界ではなく、もっとリアルな世界だからです。

「ストレスは発散すべきもの」という常識も、これによって見方が変わってくるのではないでしょうか。

「抑圧」は、より複雑な感情を作り出すので避けるべきですが、だからといって、一足飛びに「発散」を選ぶ必要はかならずしもないということですね。

思考が作りあげる欲求は、多分に押し売りであり、それほど、「なくてはならないもの」ではなかったことがわかってきます。




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あなたのやる気スタイル

あなたがやる気を出すきっかけになるのは、どんなことでしょう。

これが今回の主題ですが、それに入る前に少し考えておきたいことがあります。

まずやる気を出すといっても、大きくいって2つの場合があるように思います。

ひとつは、外側に基準があって、それに向けて自分を奮い立たせ、自己鍛錬によって自分を強制していくというやり方
です。
それは社会的な「成功」という目標のもとに、具体的な成果をあげるのに適した人間に、自分を作り替えて行こうというものです。

もう一つは、誰にでも成り立つような共通の理想を求めるのではなく、今の自分の個性や素質を見つけて、自分にとって無理のない、自分を生かすことや好きになれることを伸ばしていこうという考え方です。

しかし成功法則のようなものを探し求める人は、相変わらず多いようですが、そのような画一的な方法があるとしたら、もっと多くの人がいわゆる「成功者」になっていることでしょう。

その通りにできれば、素晴らしい成果を上げられると、理論的には言えても実際にその通りにできる人はいないでしょう。

それは、おそらくそのような成功法則が、結果として成功した人のやったっことを、あとづけで理論化したものだからではないでしょうか。

つまり理論化した時点では、だれもそれを実行できた人などいないわけです。

会社会議中

ところで、そのような理想を先に見るのとは対照的に、実際のありのままの自分を観察して、そこからスタートするという考え方もできるでしょう。

わたしたちは、人間以外の動物を見た場合には、動物に対して「お前のやり方はまちがっている」とか言って非難することはないでしょう。

動物に対しては、その行動を観察して習性を知り、犬とは、ネコとは、こういう行動をするものだと思ってそれをそのまま受け入れるはずです。

その見方は、実は人間に対してもできるはずなのです。

わたしは、こういう人間でないといけないという見方をやめて、まずは現状では自分がどういうことで動かされ、実際にどう感じたり行動を取っているのかを知ることからスタートすべきです。

社会の期待からは、少しくらい外れていたとしても、自分の個性や素質を生かせて満足出来る方向を探してみるというあり方もできるわけです。

前置きが長くなりましたが、あなたのやる気が刺激されるのは、どういう要因からであるかを見てみましょう。

これからあげる項目は、別にどれがいいとか悪いとかではありません。

また、人によって、これはやる気を刺激するいい方法だと思うかも知れないし、別の人はこのような動機付けは好ましくない、やめるべきだと考えるかも知れません。

また、最初はいいと思っても、やっていくうちにあまり魅力的な方法ではなかったと、考えが変わるかも知れません。

どちらにしても、まずは自分がどうのような動機で、刺激を受けやすいのか、やる気が出るのかを知ることは大切です。

現実をゆがめて、理想の方法で自分が動いていると思っていては、相変わらず無理をし続けることになります。

今現在ちっともやる気が出ないのであれば、とりあえず自分に火を付ける為に意識して使ってみるといいかもしれません。

それでやっていくうちに、何か違和感を感じたり、本物でないように思えてきたら別の方法を探してみることもできるわけです。

◆恥をかきたくない
努力しないと恥ずかしいことになるから、頑張ろうと思うことです。

◆自分との約束
自分で決めた目標を達成できないことが、我慢できないから頑張ろうと思うことです。

◆他人との競争
言うまでもありませんが、他の人よりもいい成績を上げたいから頑張ろうと思うことです。
これを否定する人でも、ゴール目前に他の人に追い抜かれそうになれば、何かを感じるでしょう。
また、競争を思い浮かべるだけで苦しくなって拒絶したくなる人もいるでしょう。

◆他人への報復
嫌っていた人、意地悪をされた人、屈辱を受けた人に対して見返してやりたいと思うことが動機になるという場合です。

メンタル

◆具体的な恐れ
がんばらないとクビになってしまうとか、今の地位を維持できなくなるという恐れ。
言ったとおりにしないとひどい目に遭わせてやるという脅しを受けている場合。
など恐れが負の動機付けになっている場合です。

◆罪悪感
自分がやらなかったことに罪悪感を強く感じてしまうために、それを避けようと頑張るという動機です。

◆アファメーション
「わたしは成功する」とか「わたしは素晴らしい」というような肯定的な宣言を唱えているとやる気が出るという人もいます。

◆スピリチュアリティー
内なる平和や宇宙のエネルギーとつながることで、日頃の悲観的な出来事も達観できると思う考え方です。

◆現実は自分で作り出す
すべては自分の責任であって、自分が作り出した結果なのだと信じることで元気がでるという考え方です。
悪い状況も自分で作り変えられると信じられることが勇気をもたらすのです。
一方ですべては自分のせいであるといって、自分を責めることにつながる可能性があります。

◆挑戦する
他人との競争というよりも、自分自身へのチャレンジが強い動機になる人もいます。

◆ポジティブ・シンキング
思わしくない出来事でも、ポジティブな見方に変えれば意欲が湧いてくると考えるやり方です。
悲観的な状況においては効果的かも知れません。
ただ何でもかんでもそう思うことは、無理があるかも知れません。

◆ほめられたい
誰かにほめてもらいたいという思いが強い動機になる場合もあります。

◆ご褒美の約束
これだけやり遂げたら、おいしいものを食べるとか、好きなことを自分に許すなどの「アメ」を約束する動機付けです。

   父親と娘2   父親と娘1

◆仲間と一緒にやり遂げる
同じ目的を持つ仲間と一緒に何かを目指すことで、自分の役割を果たしたいという思いが動機になる場合です。

コミュニケーション


これらはどちらかと言えば対症療法的な方法が多いですが、とりあえずやる気が出ない自分に火を付ける為に意識して使ってみるといいかもしれません。

また、いままでから自分がそのような動機で動いていたことを、意識できていなかったとしたら、それを確認してみることは自分の理解を助けるでしょう。

もしかすると、今使っているその動機は、本当は好きでなかったために、やる気をなくしていたのかも知れません。

やっていくうちに、何か違和感を感じたり、本物でないように思えてきたら別の方法を探してみることです。

そして目的志向ではなく、本来の自分が求めていることを見分けることの方が、大事かもしれないという考えも検討してみてはどうでしょう。


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自信がつけばやるのだが

気分というものはなかなか、理屈だけではコントロールできないもののようです。

何かに取り組むとき「自信がつけばやるのだが」と思うこともあるでしょう。

しかし、自信がでてきたらやってみようと考えていると、実際にはうまくいかないことも多いでしょう。

それは、「自信」という気分的なものを先に獲得しようとしているからです。

用意周到な人というか、何でも先に準備してからものごとに取り組むという人もいるかと思います。

サッカー女の子



しかし、それが具体的な物であれば先に準備できるかも知れませんが、「自信」というような気分的なものは、先に準備するというわけにはいかないこともあります。

「自信」というのは、そのことに実際に取り組むことで、経験が積み重ねられて、できてくるものです。

やってみないうちに、先に自信だけ身に付けるというのは順序としては無理があるでしょう。

「自信がつけばやるのだが」という考えは、先に自信という気分的なものを獲得するという無理なことをやろうとしていることです。

無理やり「自信がついた」と言い聞かせただけでは、実際には何も変わっていないということになるのです。

それに、「自信がつけばやるのだが」という発想は、先延ばしをしてしまう理由付けにもなってしまいます。

明日こそ自信がでてくるだろうから、そしたらやってみようというのは、裏付けになる経験を積むことを、並行して行っている場合にこそいえることです。

自信がないままに、それでも目の前のことに取り組んでいくことで、その経験が自信を生み出していくのです。

練習を積んできた人に「自信を持ってやれば大丈夫」と励ますのは有効でしょう。

ですが、練習過程で先に「自信を持て」というように求めてしまうと空回りになってしまうかも知れません。

ましてや、自分には「自信が持てないのだ」と自分を責めるのは、できないことで自分をいじめていることになります。

授業1



ところで、子どもにとって学校というのは、時にはいやなことを無理矢理やらされる所でもあります。

しかし自信を付けるためには、理由はわからなくても強制的にやってみないとわからないこともあるものです。

ふりかえってみれば、それがあったから新しい自信を身に付けることもできたわけです。

その時は、いやいやながらもやらされた経験は、後になってみればありがたく感じられるものです。

綱引き



その意味では、自信がないから学校を休むというのは、順序として間違っているわけです。

先に「自信」のような気分的なものを追い求めるのではなく、実際に行動としてできることを先行させていくことが必要です。

少し話は変わりますが、先にゴールを決める考え方では、やれば自信がついてくると仮定していることになります。

しかし、やってみると他の面での興味や関心がでてきたり、自信を感じる方面が変わってきたりするかも知れません。

なんでも目標を先に立てるのではなく、時には「でたとこまかせ」や「泥縄式」でやってみることも案外必要なのかも知れませんね。


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気分というやっかいなもの

神経症の症状というのは、ストレスを思うように処理できないというサインです。

※最近は神経症という言葉を使わずに、不安障害、パニック障害といった呼び方をします。

それがサインであるということは、根本にある原因を何とかしたいという、心や身体の訴えであるということを意味します。

ですから、症状だけをなんとかしようとしても、症状はなくならないわけです。

気分というものの扱いもこれと似たところがあります。

また、気分を適切に処理しないことが、神経症を生み出す原因となる場合もあるわけですが。

気分というのも心や身体からの訴えのひとつです。

女の子思案


そんなものは気のせいだといって、理屈で処理しようとしては根本的な解消には至らないということです。

気分は、そのような状態になることで、無視されることに抵抗しているともいえます。

やっかいなものという言い方は理性から見た一方的な言い方であり、気分というのはやっかいでも、付き合ってあげないといけないもの、そう考えるのがいいような気がします。

計画を立てて作業を開始したものの、なにかやる気が起きないとか、作業をできなくするような邪魔が入ることが多いとしたら、それは偶然ではなく計画を拒絶している心の抵抗かも知れません。

そう考えると、計画を見直して、一見妥当に見えることでも計画から外す事が必要なことが見つかるかも知れません。

無視して計画を断行していると、いろんな抵抗が心身に生じてきて結局計画を中断することに追い込まれるかも知れません。

気分は微妙な心理状態なので、つい無視したくなるものですが、そうしないで辛抱して付き合ってやることで早く解決できる可能性があります。

なにか今日は気分がさえないと思ったら、何か原因になることを探してみる。

自分ではたいしたことがないと思っていたり、社会的な体面から重要視するのを躊躇していることが原因かも知れません。

気が晴れない


たとえば、会社で上司から怒鳴られて落ち込んでいるのかも知れないのに、それぐらい慣れているはずだとなかったようにしていないでしょうか。

理不尽な扱いを受けたら、それに対する怨みを何とかしたいと思っているかも知れません。

そんなことは良くないことだとか、人を恨んでもろくな事はないというのは、その通りですが、トータルに見ればそうであっても、いま存在する気分はその理屈では解決していないのです。

まずは気分を解消することで、元に戻れるようにすることです。

気に入らない上司を想像の中で逆さ吊りにして、痛めつけてやる必要があるかも知れません。

気分を治めるには時間がかかることもありますから、あきらめてそれに付き合うくらいの覚悟を決めた方がいいのです。

会社では、いろいろストレスの原因があります。

たとえば、憂鬱な会議というもの。

偉い人が上座に鎮座しているような会議です。

会社会議中

組織における役職とか上下関係というものは、人工的なものです。

あまりそれに従わねばと思い込むことは、そのようなものを取り除いた本来のあなたを見失ってしまいます。

上下関係など無視して、心の中では対等な人間として付き合うことを考えてみましょう。

対等の人間として見られたとき、初めてあなた本来の能力が発揮出来ます。
会社にとっても、その方が望ましいはずです。

相手に気後れしていると感じるときは、相手の見方を変えてみましょう。

こんな方法を何かで読んだことがあります。

相手の「へそ」のかたちを想像してみるのです。

正面にいる部長や次長のへそはどんな形だろう、でべそだろうか、変な形をしていないだろうかとか、子どもがいたずら心を起こすような感じで想像してみます。

そうすると、すぐに相手もただの人間、おっちゃん、おばちゃんに見えてきます。

気後れしているようでは、あなたの能力が充分発揮出来ませんから、偉いと思う人間から順に標的にしてかたづけていきましょう。

ザコキャラをいっぱい片付けて経験値を積んでからボスキャラを倒そうと思っていては、事態は変えられないままでしょう。

最初にボスから片付ければ、ザコは一気に片付いたようなものです。

あなたが、会社にしがみついてクビになるのを恐れるあまり、身動きできなくなっているとしたら、あなたが仮に会社を辞めてしまったとしたら、相手はどのように見えるかを想像してみましょう。

会社の上下関係がなかったら、こんなやつの言うことなど誰が聞くかと思っているのが、見えてくるかも知れません。

別に会社を辞めてもいいと捨て鉢になる必要はありませんが、たかが会社の上下関係で自分の心身が悲鳴を上げるところまで自分を追い込むことはないということです。

奴隷である関係など、とてもまともな人間関係ではありません。

会社に限らず、人間関係は対等な関係である方が健全な関係であるはずです。

何かを頼むためとか、負い目のある関係は、必要がなくなったらすぐに解消して対等な関係に戻しましょう。

感情1

気分の話に戻すと、気分が左右される原因というのは、実に些細なことであるというのが予想以上に多いものです。

こうあるべきだと思うことを捨てて、素直に自分が怖がっているものを認めてもいいと思えば、何が自分の気分を左右したのかが見えてきます。

深刻に悩んでいるようでも、実際の原因はチョットした人間関係のいざこざとかお金の問題とかであって、そんなに高尚な問題で悩んでいるものではないのです。

気分がいつまでもスッキリしないことも、原因がわかってしまえば、こんなことだったのかと思うようなことがほとんどです。

それに気がつくには、社会的な望ましさというフィルターを外して、どんなくだらない原因でも言ってごらんという姿勢で取り組む事ですね。

まずは、自分の気分に対して、やっかいもの扱いしないで、味方になってあげようという気になってみることです。

気分というのは、理屈で考えるようなスパッとした解決はできないものですが、少し待たされると覚悟を決めてしまえば、結局は理屈でねじ伏せてこじらせるよりも早く解決することになります。

それも、根本原因が取り除けるのですから、ストレスを思うように処理できないというサインに対して正面からの答えとなりうるのです。


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思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

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心配性

「師よ、私は心配です。どうしたらいいでしょう。」

「では、その心配とやらを、ここに持ってきて見せてみなさい。」

仏陀イメージ


結果がわかるまでは、誰でも不安を感じるものですが、その不安がどんどん巨大になって他の事が手につかなくなる人もいます。

いわゆる心配性といわれる人ですが、そうでない人にとっては、笑って済ませられることが重大な問題になってしまうのです。

心配というのは、いいにせよ悪いにせよ結果が出てしまえば、本来は消え去るものでしょう。

しかし心配性の人は、ひとつ片づいた瞬間に次の心配事を作り出す。
心配がなくなるのが、これまた心配のタネになってしまうかのようです。

実際、心配することに依存症になってしまえば、それがないと落ち着かないのです。

他の人から見れば、最初は「そんなに心配しなくても」と優しい言葉をかけるでしょうが、いつもいつもそれが続くと、うんざりしていい加減にしてくれといって離れていくことになってしまいます。

しかし、なぜ心配性の人というのは、誰でもが抱くような心配がいつまでも消えないのでしょうか。

本来は、いくら心配していても、何らかの結果が出てしまえば、それは消滅してしまうはずなのです。

それが慢性的につづくのは、一種の依存症であり、心配することがその人のバランスを保つために何らかの役割を果たしているから、手放せなくなっているのでしょう。

心配すること自体は、その人にとっても苦痛ですが、それを我慢してでも何かから逃れたいと思うのでしょう。

心配性になるかどうかは、家族の心配する習慣をまねることを覚えて、引き継いできたというのが大きな要因であると考えられます。

ためいき3


「心配さえしていれば、悪いことは起こらないだよ」
「いつもうまくいくとはかぎらないよ」
「親になってみれば、心配することがどういう事かわかるだろう」
「うまくいきすぎるときは、心配しておかないとしっぺ返しが来るよ」
「どんなにお前のことを心配しているか、わかってるのかい」
「心配しないなんて、思いやりに欠けているんだ」

このような言葉は、「おまえも心配しなさい。そうすれば私が守ってあげよう」という依存関係を作り出します。

子どもにとっては親とのいい関係を維持するためには、自分も心配することを身に付けることが必要になってしまうのです。

大人になってからも、あなたが引き続き無力な存在であって欲しい、そう望む人は親に限らず、何人も登場してくることになります。

しかしそれらの人がどう考え、感じるかは、その人達の問題です。

あなたは、「そのようなひとがいるから、自分はそれに答えなければならないのだ」といって現状を維持することを断ち切らないと、心配性は解決しません。

ほかの人が何をしようが、あなたは心配に自分を巻き込むのを拒否することはできるわけです。

それほど大きな影響はないから、心配性でもいいんだ思うかも知れません。

しかし心配は、どっちに転ぶかわからないことには、参加しないあなたを作り出します。
それでは、冒険や楽しめることがなくなってしまう。

飛び跳ねる女の子160x240

どこかで聞いたことがあるいいまわしですが、

死ぬ前にもっと心配しておけば良かったと嘆く人はいない。
もっと冒険しておけば良かったと嘆くのだ。


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感情から逃げることの功罪

「ほとんどの人は心の痛みには耐えられないと勝手にに思い込んで、死ぬまで感情から逃げ回っています。でも、心の痛みにはもう耐えているのです。まだなのはもう乗り越えたと感じることだけです」 バーソロミュー


過食症の女性の診察でのやりとりです。
彼女はそれまで長年過食症に悩まされていましたが、それまでに試した方法はすべて意志を強く持てというものでした。

「自分に言い聞かせるんですよ。絶対食べちゃだめだって---それでも、手もとに1パイントのアイスクリームか、<オレオ>がひと箱あれば、やっぱりぜんぶ食べちゃうんです。自分でもわからなくて。食べないようにするには、どうしたらいいんでしょう?」
?????
彼女は気持ちが落ち着かなくなると、反射的にものを食べていた。食べることが苦痛をうまくかわすための手段となっていたのだ。もちろん、本人にもよくわかっているように、食べ物でつらい気持ちをごまかしても、それでは不幸のタネをべつの不幸のタネと交換しただけの話だった。
?????
「それでは、食べたいという強い衝動を感じたら、その時どんな気持ちになっているのか、よく注意してもらいたいのです。食べたくなったまさにその瞬間にね。そして、そのままその感情に付き合ってください。心の中に湧き起こってくるがままにまかせて。ただ常に意識はしたままで。でも、何もしてはいけません」

 彼女は気が重くなったようだった。「でも、そこで食べなきゃいけないと思っちゃうんです。その時湧き上がってくる感情がいやでたまらなくて」

「そのとおり。だから、時にはそこから逃げて、食べずにはいられないこともあるかもしれません。でも、自分の気持ちととことん付き合えるようになると、それをコントロールできるようになるんです。ただ今という瞬間にいて、スピードを落としてみるだけでね。悲しさとか、孤独感とか、自己嫌悪だとか、そういう感情に付き合ってみてください。それをじっくり味わってほしいんです。つらくてたまらなくなっても、何も手を打ってはいけません。感情が湧き上がるままにまかせてください。その瞬間に流れる感情を十二分に感じつくしたら、いやな感情はだんだん潮のように引いていくはずです。ものを食べて逃げなければ、心騒ぐ感情が湧き起こってきた時にそれに付き合うすべを身につければ、もうそんな感情は恐れるに足りなくなるし、何もしなくても、じきに消え去ってしまいますよ」
?????
「うまくいきました?」と私はきいた。
「百パーセントってわけじゃありませんけど、たいていの場合は効きますね」彼女はそう言ってにやりとした。「それに、何といってもこれが肝心なんですけど、もう前ほど食べたいという衝動にとりつかれなくなったみたいなんです」



わたしたちは、つらい感情に正面から向き合うことを恐れて逃げようとします。

なにかと用事を見つけて忙しく動き回ることで、感情と向き合う時間を作らないようにしてしまうのです。

それには忙しい日常は格好の隠れ蓑になっているのです。

時には日常の雑事を離れて、何も考えずに感情が起こるのに任せたくなる衝動もあるでしょう。

しかし実際には、「そんな時間はとても持てない、そんなことをしていては目の前のやるべきことが何もはかどらなくなってしまうんだから」といういいわけで何かの作業に入り込んでしまいます。

    パソコン操作    TV見過ぎ

残っている作業を始めるか、テレビをつけてその中に入り込むか、家事を済ませるか、インターネットにはまり込むか、そんな何かの行動に入り込むのです。

忙しさの感覚は、1つはわたしたちが現代の社会に引っ張り込まれてしまうことから来ています。

社会のテンポは、絶えずそれに合わせていないと取り残されてしまうと脅してきます。

まわりの人もみんな忙しく動き回っています。

それのリズムに同期をとらずにはいられなくなるのです。

それはいつしか、社会的な常識であり、それに反することは社会から取り残されたり、排斥される恐怖をもたらすようになります。

また、あなたの側でも、先程の感情と向き合うことから逃げていたいという無意識の働きから、常に何かの代償行為を探し求めているのです。

    ためいき1

しかし、感情を抑え込んでいるかぎり、その感情が完結して消えてしまうことにはつながりません。

日頃からそんな感情などなかったかのように扱っていると、それは徐々に蓄積されていつか外に出る機会を求めるようになります。

理性的な時間のみを過ごし、思考によって処理できることが全てであると思い込んでいると、処理されないままの感情は、言葉では説明できない何らかのシグナルを送ってきますが、それは思考で扱えないものなので無視されてしまうのです。

感情の爆発は一瞬で終わりますが、それに関連した感情の方はなかなか完結しません。

その感情に身をまかせて、意識してそれを充分味わった上で自分自身の活動の一部として認めないと処理できないので、時間がかかってしまうのです。

このような処理されなかった感情は、時としてもともとそれが起こるような状況とは異なっていても、一気に情動的な反応を引き起こす場合があります。

ダニエル・ゴールマンは、この誤動作ともいえる反応についてこのように述べています。

「大脳辺縁系の扁桃核は連想による比較方法をとる。現在の状況の主な要素が1つでも過去のものと似ていれば、’ぴったりあう’と見なされる。この回路がいいかげんなのはそのためだ。しっかり確認を取る前に行動に出てしまうのである。扁桃核はやっきになって私たちに命令する。大昔に刷り込まれた方法で現在の出来事に反応せよ、と。何となく似ているだけなのだが、扁桃核の警報ベルが鳴るくらいには似通った過去の出来事を持ち出して、その時身につけた思考や、感情や、反応を使って対処せよと命じるのである。」



社会のペースが速くなればなるほど、私たちは思考に頼った理性による時間を過ごすことばかりになり、感情を処理する時間がどんどん軽視され続けることになるのです。

「感情の相手をしている暇はないよ、具体的な対処方法をこうじる以外に何が必要なの?」
と考えてしまうことは、すでに現代社会のテンポに呑み込まれてしまっているので、感情に目を向けることなど必要ないと思ってしまうのです。

しかし、感情が押さえ込めている間はいいですが、抑制が効かなくなってしまうと、突然今まで経験したことのないような衝動や説明できない不快感を押さえられなくなってしまうのです。

それは、イライラや衝動的な行動をもたらします。

あるいは、心身両面への反応となって、呼吸や心臓や内臓への不具合を引き起こします。

また、摂食障害や嗜癖や依存症につながる行動を引き起こします。

社会のリズムに合わせきって、理性時間のみで処理を続けていることには限界があります。

ワーカホリックは、無駄な時間を持つことに罪悪感を持ち、何もしないでいると不安になってしまいます。

    電話集中で混乱

あるいはその不安から逃れるために、何かを紛らわせるものを持ち続ける必要があるのです。

しかしそのような時間とのつきあい方をいったん切り替えて、感情に向き合う時間を設けることは、「過労死」などという言葉が作り出されるほどの無理な生活を作り出さないためにも必要です。

思考によって目の前のことをいくら解決しても、それだけでは改善されない自己との向き合いが必要であるということを認識する必要があるのです。

参考文献
タイムシフティング―無限の時間を創り出す
著者: ステファン レクトシャッフェン 日本放送出版協会 / 1997-05




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自分の感情に責任を

自分の感情についての責任については、考え方が大きく2分されるように思います。

感情といえども自分で管理すべきものというのが、当たり前に思える人も少なからずいると思います。

一方で、感情とか気分というのは自分で責任の持てないものであると、頑として譲らない人もいるものです。

感情とは、生理的な欲求と変わらないもので、理屈でどうこうするものではないというわけですね。

      2つの感情

ただ、前者にとっても「だれかのせいで」怒りを感じるというのは、つい自分では責任を持てない場合があると考えたくなるようです。

しかし「だれかのせいで」怒るということを認めることは、他の人があなたの感情のスイッチを握っていると認めることになります。

たとえ、相手があなたを挑発してきた場合であっても、どう感じるかはあなた次第であることは間違いないでしょう。

外部からの刺激に対して、反射的に反応してしまうことはあっても、その後の選択権はあなたが持っていることには違いないわけです。

また刺激に対する反応については、実はあなたの側の内面の痛みに触れるかどうかにかかっている様に思えます。

あなたにとって痛くもかゆくもない事には、反応することはないわけですから。

逆に言えば、あなたの側に痛みが存在すれば、自然にあなたのまわりには痛みへの引き金になるような事態が起こりやすくなるといえます。

      けんか夫婦1

さて、自分の感情の責任を他人のせいにしようとすることは、いくつかの問題を引き起こします。

・自分で自分の感情をコントロールできなくなる。つまり相手次第で自分の感情が左右されるので、自分の人生は他の人に依存してしまうことになる。

・自分が気持ちよく感じるためには、他の人を操作して行動を変えさせないといけなくなる。
これも結局、上と同じく他の人の行動次第であなたの感情的な要求は左右されることになる。

逆に自分の感情は自分に責任があると認めれば、あなたは自分の感情を自分で選択できることになり、自己完結することが可能になるわけです。

他の人に依存することは、自分でコントロールできないことを作り出すわけで、情緒的な脅迫を作り出すことになるのです。

それは、穏やかだった自分の環境が、誰かの登場次第で破壊されて、自分の手に負えない世界になってしまうことを意味します。

そのような場合には、強い感情を伴うことが多いので、もはや何もできないとあきらめてしまうことになります。

      結果の非難

いったんあなたが自分の感情に責任を取ることを始めれば、あなたが否定的な感情に出会ったときにも、それへの無力さを感じなくて済むようになります。

それは、あなたの選択次第で、持ち続ける必要はないことだと認められるからです。

もちろん自分が満足する感情、嬉しい感情を表に出すことも同じように選択可能なことです。

今までむやみに笑ったり、感情を表すことを禁じられてきたとしたら、それを解除することもあなたの選択によって可能になることです。

また、口では感情は自分で制御できないと言っている人でも、実際には自分の感情をコントロールし続けているものです。

いずれにしても、自分の感情に責任を持つのは自分であることを基本に置くどうかで、あなたの人生への選択権が大きく左右されることになるのです。


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怒りの有効活用

怒りという感情はやっかいなものですね。

うまく扱わないと、あなたやまわりに被害を及ぼします。
それは、心理的にも、物理的にもです。

怒りを感じると、わたしたちは何とかそれを発散したくなります。

誰かを殴ったり、物を壊してみたり、かんしゃくを爆発させたり、壁を殴りたくなるのです。
あるいは、身近な人に対して悪口を浴びせてみたくなり、叫んでみたくなるのです。

しかし、普通は余程のことがなければ、怒りを爆発させることなく、何とかこれにフタをして押さえ込もうとします。

怒り感情を無視したり、そんなものはないと否定したり、何でもない表情を作ろうとします。

      怒る主婦2

それでも、怒りというのはあなたへの訴えです。

痛みや熱さを感じることで、あなたの身体を危険から守るのと同じように、それはあなたへ何かを訴えようとしています。
痛みと同じように、それに耳を傾ける必要があるはずなのです。

怒りを否定して押さえ込んでしまわずに有効に活用する方法はないのでしょうか。

怒りの内容を調べて見れば、もうすこし明らかになるでしょう。

「クソ、俺ならもっとうまくやれるのに、何であいつだけが成功するんだ!」

「先を越された、このアイデアはわたしはずっと前に考えていたのに!」

ここには、他の人が何かをうまくやり遂げた事実への嫉妬が含まれています。
そして、もう一つ忘れてはいけないのが、あなたも同じようにそれをうまくやり遂げたいという衝動が含まれている点なのです。

      怒っているハート

嫉妬の方はあなたに苦痛をもたらします。だから見たくないという気にもなるのです。

しかしそちらではなく、あなたにはそれをやってみたいという衝動があったという貴重な発見に目を向けましょう。

それを無かったことにしてしまうのは、非情にもったいないわけです。
そんなものは無かったことにしても、いずれその衝動が蘇ってくる可能性があります。

こちらにも、それを見ようとしない原因が何かあるはずですね。
なにもなければ、あなたはとっくにそれをやり遂げているはずですから。

◆自分にはそれをやり遂げる技術も才能もないと考えている。

自分には才能がないと本気で思っているのなら、いつまでもその衝動を引きずっているとは考えにくいのです。
あなたに衝動があるのは、自分にもそれをやれるという気持ちが隠れているからではないでしょうか。
そう思うのは根拠のない衝動からだけとは考えにくいのです。

◆いつかやりたいという気持ちはあるが、それを発揮する機会に出会えないことにして先延ばししている。

デビューのきっかけというのは、意欲さえあれば全てうまくいくとは限りません。
しかし、何もしないでいるより、なにか一歩を踏み出す方法は見つかるはずです。

怠惰の仮面で隠してしまわずに、動いてみようと思うなら情報はいくらでも手に入るでしょう。
ここ10年ほどのネット社会の発展は、それ以前とは比較にならない可能性を与えてくれているはずです。

◆過去にやろうとして失敗した苦い思い出があって、それが尾を引いている。

過去の失敗が痛手になっているなら、あなたはそれを何度も繰り返して思い起こしているということです。
それは、なんとか名誉挽回を狙っているあなたがいる証拠かも知れません。
その気持ちに、耳を傾けてあげましょう。

「怒り」は、品のいい友達ではありませんし、あなたに親切な態度で情報をくれる友達でもありません。それでも貴重な「あなた」を、見捨てるわけにいかない「あなた」を律儀に知らせ続けてくれる友達なのです。

否定的な面だけで嫌わずに、貴重な情報に耳を傾けてあげましょう。
友達になれば、きっと強力なモチベーションとエネルギーをあなたにもたらしてくれるはずなのです。

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どっこい生きてる

チャーリー・ブラウンとルーシー、「ピーナッツ」に出てくる登場人物ですね。
スヌーピーの漫画と言った方がわかりやすいでしょうか。

チャーリー・ブラウンは毎回、失敗を繰り返しては自己を否定的に見るというのが、パターンになっているようです。

一方でルーシーは、対照的に自分のことを最高だと思いたがっている独善家です。
しかし実際にはヘマをすることも多いのですが、いいわけと毒舌で相手を言いくるめようとします。

しかし、2人とも失敗にもめげずに、毎回何もなかったように復活してきます。

けんかする子ども2


漫画の主人公だから、当たり前かも知れませんが、チャーリー・ブラウンのように毎回、自分を否定していたら、まわりの人から見てどう扱っていいかわからないような、悲観的な人物になってしまってもおかしくないのです。

それは、自己否定しているのが、社会的な自己だと割り切れているからかも知れません。

現実には、社会的な自己のイメージが否定されると、わたしたちは自分の存在そのものが否定されたように感じてしまうものです。

しかしチャーリー・ブラウンは、遊びやスポーツで失敗してみたり、女の子に振られたり、仲間から馬鹿にされたりするのですが、それでも社会を離れた自己への肯定は揺るがないのかな。

社会的な自分という存在をどう評価するかは、時代や済む地域によっても、自分への影響の度合いは異なってくるものだと思います。

都会に住むのと、人口の少ない地域に住むのとでは、個人の匿名性は大きく変わるものでしょう。
隣に住む住人でも、都会ではほとんど接触がありませんが、田舎では道を歩いただけで声をかけられるかも知れません。

どちらが、住みやすいと感じるかは、その人のタイプによって変わってくるでしょう。

ネットの社会になってくると、全くあったことのない人とやりとりすることも、当たり前になってきます。
おそらく、1日に接触する人数もネットをやっていれば格段に増えて来るでしょう。

ますます、社会的な自己への評価をうまく処理できないと、自分の自己評価の管理も難しくなってきます。

社会を離れた自分への肯定感、信頼感を維持できることは、より必要になってくるでしょう。

社会で否定されても、「どっこい生きてる」といえる人生観を持ちたいものです。

労働者


映画「どっこい生きてる」(今井正監督1951年)では、敗戦まもない頃の、ニコヨン(日給240円)の日雇いの労働者が主人公です。

大家から立ち退きを迫られて、妻子を田舎に送り、主人公は自分ひとりで木賃宿に泊まって仕事を始めるのですが、色々あって主人公一家は一家心中まで追い込まれていきます。

社会的な評価どころか、その日の食べるものに困る生活になったとき、人はどうやって生きる希望を取り戻せるのでしょう。

その時にものを言うのは、社会的な自己などではなく、自己の存在自体に対する、無条件の価値観でしょう。

誰がなんと言おうと、社会からどう見られようと、最後に生きる気力を持てるかどうかです。

社会的な評価に一喜一憂するのも、それだけの余裕があるからできることです。

無条件の自己への肯定は、残念ながら生育環境にも大きく左右されるような気がします。

何が起きても、自分を認めてくれる人間がいることを信じられること。
それは、考えただけで得られるものではないでしょう。

もし不充分だと思ったら、無条件の自己への評価を取り戻すこと(元々なかったわけではないでしょう)。
社会的な自己が自分の全てではないことを再確認すること。

これらは、真剣に取り組む価値のあることだと思います。

なにがあっても、「どっこい生きてる」。

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私の方が正しい

思考自体が永続しないものであり、絶えず変化するものであって、それゆえ思考が不滅なものとして捻出するものは、それ自体と同様に、永続性がない。

クリシュナムルティ krishnamurtibotより



わたしたちの記憶というのは、身体のどこかに、そのまま記録されているようなものではないそうです。
DVDやハードディスクに記録した情報のように、固定した記録がどこかに残っているわけではないのです。

それは、わたしたちの身体が、日々作り替えられているものであることに起因するようです。

記憶の在りかは、まだ正確には突き止められていないようですが、常に代謝を繰り返している細胞からできたわたしたち身体は、ほとんどは作り替えられることを繰り返している訳で、特定の場所にそのまま記録されているようなものでは無いのです。

記憶とは、それを思い出すときに、手がかりを頼りにして、新たに刻み直しているようなものなのかも知れません。

そんな曖昧さを伴う記憶を頼りにした思考というのも、当然記録された文章のように正確なものでは無く、終始一貫したものではないと言った方がいいでしょう。

一貫しているように見えるとすれば、それは毎回修正し直しているからなのでしょう。

動物と果実


生きている身体は、常に作り替えられて維持されています。
生きていることは、常に変化しながら流れていくものです。

これに対して、思考というのは、固定した言葉を使って行う行為ですから、常に変化する現実の流れから分離したものになりかねません。

自分の考えは終始一貫していると主張することは、生きていることの流れに逆らって、変化しないものを作り出そうとしているのことなのです。

私の正しさを主張し続けるには、ときとして変化しつつある本来のわたしと、決別しなければいけなくなるのです。

社会は、あなたに一貫性を期待します。一貫した言動を要求します。
ときには、一貫しないことをとがめて、法律で罰するかも知れません。

社会は作られたもの、固定したものですが、一方で本来のあなたは、日々変化する存在です。

生きることは、流れていくことです。
一貫した自分を作りあげることは、流れに逆らうことです。
そこに、あなたの苦しさの原因が潜んでいるのです。

固定した思考の作りあげた世界は、生きている本来のあなたとは分離して、独立して存在し続けようとします。

あなたが、自分はこういう人間だと決めてしまうことは、分裂を作り出し、生きている流れに逆らうことが苦しさを作り出すのです。

誰かの言ったことを、矛盾していると指摘して、その言質をとらえて批判することは、このような見方からすれば、むなしいものに思えてこないでしょうか。

生きていくことが、常に変化する流れであると考えれば、首尾一貫することはそぐわない。
論理は固定した思考であって、変化しようとするあなたを束縛することにもつながります。

融通を利かせることは、肯定的、否定的、両方の意味合いでとらえられますが、生きていくものにとっては、こちらの方が自然なあり方なのかも知れません。

言葉にすれば、一貫して見えることも、無数とも言える因果関係をかいくぐって、かろうじて起きているのかも知れません。

科学的なアプローチは正しい、その一方で文学や詩や宗教というものも、科学では説明できなくても存在し続けます。

それは、固定した思考が、いま述べてきたような、「生きること」とそぐわない面を持つからかも知れません。

いずれ片方がもう一方を凌駕すると考えるのではなく、どちらも必要だから存在するのであり、現実に生きているわたしたちを、置き去りにするようなものであっては意味がないと考えるべきでしょう。

子どもの頃、コウモリの寓話を聞いた記憶があります。
コウモリは、鳥の仲間に対しては自分が鳥であると主張し、獣の仲間に対しては自分が獣であることを主張します。
結末ははっきり覚えていませんが、あまり好意的なものではなかったような気がします。

ですが、生きることは、どこかコウモリのようなあり方も要求するのかも知れません。
一冊の本に書かれたとおりに単純に進むようなものではなく、常に変化する優柔不断な面も受け入れて、呑み込まなくてはいけないものだと思うのです。

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一度にひとつのこと

一度にひとつのことにかかわること、これを見直してみたいと思います。

わたしたちは、朝めが覚めると、たちまちのうちにいろんな作業(タスク)に巻き込まれます。

意識していないだけで、あれもこれもと、やらなければいけないことに関わり始めます。

しかし意識してできるのは、大抵一つのことです。

他の事をわすれて、ひとつのことに集中できるとき、それが努力を必要とするものであっても、それほど疲れた感じがしません。

ところが、何となくあれもこれもやらないといけないと思ってしまうと、考えるばかりで身体がいうことをきかないということがないでしょうか。

パソコン操作


いまあなたが画面をみているパソコン、ここで動いているのはウインドウズであったりマックであるかも知れません。

これらは、いま動かしているものがひとつだと思っていても、その背後では様々な動作が平行して行われています。

コンピュータが行う作業は、タスクとかプロセスという単位で呼ばれます。

たとえばブログを見ている時には、ブラウザなどのタスクを動作させているわけです。

最近はパソコンの性能が、格段によくなってきましたから、沢山の処理を一度に走らせても、それが原因でハングする(反応しなくなる)ということはあまりありません。

しかしパソコンが普及し始めた頃には、パソコンを動かしていて、重い処理をうっかり複数動かしたりすると、パソコンは反応しなくなったり、あるいはメモリを求めて延々とディスクのアクセスを繰り返し続ける状態になってしまったものです。

ハードの性能を上回るタスクを一度に動かしすぎれば、ハングしてしまいます。

これは、わたしたちのこころの働きにも言えることです。

忙しさになれてしまうと、いくつものことを同時にこなすのを何とも思わないし、これくらい平気だと思ってしまうのですが、それもハードの限界を超えてしまえば様々な障害が発生します。

あるところまでは、いくらでも新しいことに取り組めるように感じていても、限界に達してしまうと、意識ではまだまだいけると思っても、なぜか動けなくなってしまうのです。

疲れた1

いくつもの未解決の問題をかかえてしまっては、気づかないうちに、徐々に無気力になったり、感情の鈍磨や鬱の症状が現れてきます。

「できるはずだ」とか、「やらないといけない」といくら意識しても、あなたの何かが拒否して、あなたは動けなくなってしまうのです。

大人になると子どものように無邪気に、無心に一つのことに集中できなくなります。
これは、少しずつこのようなバックで動かしているタスクが、たまってきてしまうのが原因ではないでしょうか。

電話集中で混乱

いくつもタスクを抱えないためには、このような点をチェックしてみましょう。
1.自分で解決できることは決着をつけてしまうことです。
2.自分ではどうにもならないことは、きっぱりと手放してしまうことです。

1については、いつまでも自分で問題を引きずらないで、行動を完結してしまうことです。

たとえば、他の人との関係なら、あなたの側で決断したなら、後は相手の問題と割り切ることです。
いつまでもやろうと思いつつ先延ばしにしていることは、あきらめるか、取りかかるか決めてしまいましょう。

2は、あなたの責任で変えることができないことは、いくら考えても変わらないことを認めることです。
精神力で何でもかなえようというようなマジックは、いつまで待っても起こらないのです。

それは、現実から離れた空想で時間を過ごしているだけです。
それが楽しいからと、わかってやっているのならかまいませんが、このような時間を過ごすことで何かが変わると思ってはいけません。

そんなに簡単に切り替えられないよ、と言われるかも知れませんが、出来ないと思うから他に方法があると信じる根拠はありません。

たとえば、火事になったとわかれば、あなたは何もかも忘れて、外に逃げ出すことを考えるでしょう。ときには心の問題も、同じように緊急を要することかも知れません。


それらをやめて、いま目の前のことに全てを集中させるとき、あなたは「いまここ」に存在できます。
子どものような無邪気さも取り戻せるかもしれません。

休み時間

ご存じの方は少ないかと思いますが、ウインドウズもごく初期のものは、一度に一つのアプリを選んで動かすだけのものでした。

今のように、いくつもウインドウを重ね合わすようなことは出来ず、ちょうど今のタブ切り替えのようにして、動かす作業を切り替えるものでした。

パソコンなら、ハードの限界内であれば、いくら酷使しても悲鳴を上げることはありませんが、わたしたちの「こころ」というのは、あまりマルチスレッドになりすぎない方がいいのかも知れませんね。

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なまけ者についての考察

なまけ者」という言葉には、一般的には仕事もしないで、だらだらと自堕落な生活をしているイメージがあると思います。

そして、この言葉から伝わってくるのは、「怠ける」ことがその人の性分とか人格によるものであるというニュアンスですね。

そこで、怠けるということは、どういった内面の表れなのかを考えてみたいと思います。

まず最初に、「なまけ者」という表現を使うのが、第三者なのか本人であるかで、区別したいと考えます。

第三者からみて、あの人は「なまけ者」と映るのは、客観的な行動の傾向を著しているかも知れませんが、その一方で多分にその時代とか社会、文化にも影響されます。

たとえば、わたしたち日本人のような勤勉といわれる国民からみると、約束の時間を守ろうとすることはある程度当たり前のことです。

しかし他の国を見た場合、こんな常識は通じなくて、とんでもなくずれた意識を持つ国というのも存在するようです。

また、時間の流れが現代のようなスピードで過ぎていなかった時代と比較すれば、現代においてなまけ者に見える人も、過去においては当たり前の存在だったかも知れません。

休むネコ


それはともかく、今回考えたいと思うのは、このような外から見た「なまけ者」ではなく、自分のことを「なまけ者」と考えることについてです。

あなたが自分のことを「なまけ者」だと感じるのは、どういう時でしょうか。

まず最初に考えたいのは、あなたはその対象となる行為について、自分はそれをやるべきことだと思っているはずであるという点です。

なぜなら、あなたにとって、全く関心のないことをやらなかったからといって、あなたは自分をなまけ者だとは感じないでしょう。

ですから、あなたは自分ではそれをやらなくてはいけないことだと考えるか、あるいは自分でやってみたいと感じているはずだと考えられるのです。

しかし、あなたは何らかの理由でそれをやらずにいます。

それは、あたかも手をこまねいているかのようです。

いや、単に面倒だからやらないで休んでいるんだ、といわれるかも知れませんが、それならばいつかは実行に移すはずです。しかし、ほとんどの場合、それはいつまでも実行されないのです。

ですから、あなたの表面的な理由にかかわらず、本音を言えばあなたは、「好きでやらずにいるわけではない」ということではないでしょうか。

そうだとすると、なぜあなたはそれを実行するのを躊躇しているのでしょう。
すこし思いついたことをとりあげてみます。

★やることがいっぱいあるので、後回しにしているんだ。
☆しかしあなたにやるべきことがなくなる時は、いつまでも来ないでしょう。

★なぜか身体が動きたくないといっているようだ。
★実はそれをやるのが怖いので、いつも避けている。
☆あなたに関心があり続けることは、あなたの存在に必要なことのはずです。いままでやっていなかったことを、初めて試したときの時を思い出してみましょう。やってみれば、すぐに何でもないことに思えてきたのではないでしょうか。

★それにとりかかってしまうと、長時間それに取り組むことになってしまうので、先延ばしにしている。
☆いまやっていることの優先順位をチェックしてみましょう。単にスケジュールを練り直すだけで解決するかも知れません。
あるいは、いまあなたを忙しく思わせていることは、実はあれこれ考えるだけで実行に移していないことなのではないでしょうか。実際に時間を使っているのは行動ですか、思考ですか。

★あまり勤勉だと見られたくない。
☆あなたの本当の問題は、ありのままの自分をかくして、他人に見られたい自分を維持することにエネルギーを使っていることかも知れません。
あるいは、自分ばかり仕事を押しつけられると思っているのでしょうか。

★真剣にやって、それでも失敗したらみっともないからいやだ。
★以前にそれをやって、失敗したとか、恥をかいたとか、いやな思い出がある。
☆あなたが本心からに真剣に取り組むなら、結果などどちらでも良いことに思えてきます。
失敗したときの気まずさを気にするのは、何もしないで失敗もない状態とだけ比較するからです。
やりたいことをやらずにいることで、その機会を一生逃すかも知れないと考えてみて、それと比較しても後悔しないと確信できるでしょうか。

★自分のやり方でやろうとすると、なぜかひきとめる力が働いてしまうので、他の人もやっているようなやり方を採用したくなる。
☆あなたには、いまは自分で判断を下すだけの経験の実力も備わっています。あなたが小学生で大人にやらないように説得されているわけではありません。あなたは、いまや自分が説得する側にもなれるのです。

ためいき1


生まれついての「なまけ者」の性分というものが、あるようには思えません。
「なまけ者」とは、後天的に作られた理由で、行動を躊躇しているだけのように思えます。

無理にいまのバランスを崩す必要はなと思います。
ときには、いまのバランスがちょうど良いということもあるでしょう。
しかし、自分でやりたいと思っていながら、一方でそれを禁止している自分がいるというのは、何とかしたいのではないでしょうか。

あなたの禁止令はどんなことでしょう。

無理矢理それを取り除こうとかするのではなく、あなたが自発的にそれを変えようと思うのなら、それは機が熟しているのかも知れません。

いままで自分に言い聞かせて、自分を納得させようとしてきた「いいわけ」に、新しい光を当てて見直してみることです。

あなたが、何とかしたいと長年、外側に解決を求め続けたことも、自分のあり方を変えるだけで、そもそも問題ではなかったことがわかるかも知れないのです。


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この気分はどこから

あなたはいま喫茶店かレストランに入って、外の景色を眺めていました。
ふと気がつくと、何か憂鬱な気分になってきました。

このような気分の変化は、突然どこかからやってきたように感じるかも知れません。
しかし、そこにはあなたをそういう気分にさせる何かがあったはずです。

気分の変化を起こさせるような、何かの刺激。

あなたは、外の景色を眺めていて、そこで何かを見たのかもしれません。
遠くに見える山の上になにかの建物がありました。
それは、あなたに過去の何かを思い出させて、気分に変化を起こさせます。

レストラン食事女性


あなたは、そのお店に入ってきてから、全然意識していなかったのですが、そこで流れていたBGMが、あなたに何かの思い出に結びついた気分を起こさせたのかも知れません。

あるいは、まわりの席で、小さな子どもが泣き出したのを聞いたり、お母さんかだれかが、子どもを叱っているのを聞いたのかも知れません。

あなたはそれらのことを、ほとんど無意識のうちに感じ取り、知らない間に気分が変化していたのです。

もしかすると、もっと意識しにくい刺激があったのかも知れません。
そのお店には、あなたの記憶を呼び起こすような、微妙な香りが漂っていたかもしれません。

お店の中の照明や外の明るさとの対比、その微妙なあかるさは、あなたに何かの記憶を呼び起こす原因になったかも知れません。

こうした気づかないうちに起こった、刺激から気分への影響は、一時的なもので終わったかも知れません。
しかし、そこであなたが、気分に関係した思考を働かせ始めていたとしたら、それは一時の刺激が完結した後も、あなたの半分無意識のなかで、気分を変化し続ける働きをしてしまいます。

深呼吸


わたしたちは、ふだん呼吸していることを、ほとんど意識していないでしょう。
何かのきっかけで、自分が息を吐いたことに気がついてはじめて、自分の呼吸活動を意識するのです。

これと同じように、わたしたちの多くは、ほとんど無意識のうちに思考活動を行っています。
誰かに指摘されないと、自分が物思いにふけっていたことに気づかない場合も在ります。

さきほどの、気分が呼び起こした記憶は、あなたに次々と思考活動を始めさせます。

それは、その思考と結びついた気分をあなたにもたらし、何となく落ち込んだり、気分が重くなったりするのです。

しかし、あなたがその気になれば、このような自動的な気分の変化に気づいて、そこで起きているあなたの思考をとらえることは、それほど難しいことではありません。

あなたが少し自分の気分に目を向けて、そのとき何を考えているかを捕まえる練習をすれば、それはすぐに習慣となって、自動的に不愉快な気分に陥ってしまうことを、防止することができます。

それは、気づけないのではなくて、あなたが自分の考えによって、気分を左右しているという事実そのものを、知らないからなのです。

それが事実であることは、ご自分で試して見ればすぐにそうだとわかることです。

あなたが物事を解決しようと、「思案している」つもりでいた時間の多くを振り返って見ましょう。
それが、実はあれこれと、その気分を維持するために思考を働かせていただけであったことに気づくのです。

腕組み子ども


なぜ、こんなに考えているのに、何も答えが出ないのか。

それは、自分が答えのでない問いかけをし、その裏側で自分の好みの気分(それは多くは不快な気分)に浸るための思考を巡らしていたからなのです。

なぜかわたしたちは、自分にとって不快である感情を引き起こすために、いろいろな考えを思い出してはそれを維持しようとします。

それは、かつてはあなたの役に立つことがあったのかも知れません。

しかし、いまあなたが特定の気分に浸る傾向があり、それをやめたいと思うのなら、方法はあります。
自分の思考をチェックして、それがもはや事実ではなく、あなたがそれを作り出しているだけなのだと気づくだけでいいのです。

気分とは、自動的にどこかからわき出してくるものではなく、あなたの考えることがそれを生み出していることを知り、自分の気分を主体的に選択するのだと決意することもできるのです。

あなたは、普段意識していなくても、意識して呼吸することもできます。

同じように、自動的で半分無意識な思考が、あなた時間を占領してしまわないように、あなたが主体的に考えることを決めることは可能なのです。

それが、あなたの役に立つかどうか、もしやったことがなければ、すぐにでも試して見ましょう。
少し時間をとって、あなたの考えることを第三者のように見守ってみれば、すぐに分かります。

あなたは、おそらく一分もしないうちに、自分が何かの思考に飛んで行ってしまうのを発見するでしょう。そしてそれに伴って気分が変化するということも。

それは、あなたに画期的な変革をもたらすものになるかも知れません。

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体験や記憶は起きたことそのものではない

私たちは、物事を自分の心のフィルターを通して見ています。

心のフィルターとは、過去記憶から来る信念やこだわりなどが、心に構えを作っているということです。

目の前に展開する出来事は、どんなことであれ、この自分のフィルターを通して見たり、体験しています。

それは、客観的な出来事そのものではないのです。

虫取り少年と犬


そして、その出来事に対する経験は、記憶となってあなたの心にしまい込まれます。

また、この記憶というのも、あなたが人生を生きていく上で、変化していきます。

それは、ビデオの記録とは違って、再生するタイミングで、書き換えられている可能性があるのです。

このように、体験記憶も、元の出来事そのものではないし、たとえあなたが他の人と一緒に同じ出来事を経験しても、二人は、別々のことを体験しているし、別々の思い出として記憶されていくのです。

ひとが、見たり聞いたりする、知覚というのも、決して客観的なものとは言えません。

たとえば、あなたが、どこかから小鳥のさえずりを聞いたとします。
その時の音声を、録音機器で記録しておきます。

ウグイス


この音声を、後で再生してみると、小鳥の声というのが、ほとんど聞こえないくらいに、かすかにしか録音されていないことを発見するでしょう。

これは、実際には、小鳥の声は記録された程度の、音量でしかなかったからです。

あなたの聴覚は、他のノイズには注意を払わずに、小鳥の声と認識したものを、特別なものとして、聞き取っているために実際よりも、際だって聞こえていたということです。

再び、過去記憶に目を向けてみましょう。

あなたは、今現在の自分の生き方に見合った事実を元にして、その場にふさわしいと思う過去のストーリーを再現します。

ですから、あなたが成長し、変化して行くにつれ、あなたの過去は変化して思い出され、それは、いまの経験の仕方にも影響を与えます。

あなたは、二度と同じ川の流れには出会わないのです。

このように変化し続ける記憶ですから、あなたが自分の子ども時代を思い出しても、それはその時によって異なるものになります。

家族写真


ですから、自分の子ども時代がどんなものであったのかは、ほとんどあてにならない記憶でしかないのです。

あなたが、自分自身を癒して行くにつれて、あなたは、両親や兄弟姉妹に対する見方も変化していきます。

あなたが、過去出来事を、ゆがめないで理解できれば出来るほど、あなたが思っていたような、誰かに対する責める気持ちはなくなってきます。

もちろん、あなた自身に対する、責める気持ちもなくなってきます。

その目安になるのは、あなたが痛みを感じるかどうかです。

よりありのままに、出来事を感じ取れるようになれば、そこには痛みは伴わなくなるのです。

逆に言えば、痛みを感じる思い出があるとしたら、そこにあるあなたのフィルターを探してみれば良いと言うことですね。

なれてくれば、訳のわからなかった一連の出来事も、分かりやすく解きほぐされてきます。

いまここで、ありのままに思い出した時、全ての痛みは解消されているはずです。


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曖昧な気分と名付けられた感情

私たちは、普段から思考に頼る度合いが大きいため、曖昧な気分感情というのを、軽視したり、邪魔なものとして扱ってしまいがちです。

思考というのは、確かに実際の次の行動へと結びつけるのには、強力で役に立つ道具であると言えます。
また思考は、はっきりしていて、私たちにとって、身近な存在であるとも言えます。

それでは、曖昧な気分感情とは、どんなもので、何の意味があるのでしょうか。

今回はこのあたりを考えてみたいと思います。

困る主婦   叫ぶ主婦    怒る主婦2


あなたが、忙しく思考を働かせていない時、穏やかな状態でいる時には、曖昧なままの気分をそのまま感じられていられるかも知れません。

おそらくそれが、あなたのありのままの自分を感じている状態でしょう。

しかし、そのような状態は長くは続きません。
私たちは、思考を働かせることに、普段から慣れきっているために、すぐに思考が入り込んできます。

次に何をしようかとか、今の気分を解釈しようとしてしまうのです。

曖昧なままの気分を、そのまま感じていることが、中断されてしまうのは、思考が入り込むためですが、それはこういうことではないでしょうか

思考は、先程も言ったように、直接行動に結びつけるための、強力な道具です。
そして、思考を使うには、言葉に頼ります。

そのとき、曖昧な気分という状態は、思考として使うのには扱いにくいのです。
そのため、それを名前の付いた既知の感情に置き換えようとするわけです。

それが適切な置き換えであれば、問題はないのですが、既知の感情というのは限られたものです。

感情1


曖昧な状態の気分を、言葉で表すのは、非常に困難です。

それを特定の感情を表す言葉で、置き換えてしまうことは、多くの部分を切り捨てることであり、また時として、見当違いの感情だと間違えてしまうこともあります。

あるいは、感情をそのままとらえるよりも、思考が先導することによって、その場にふさわしいだろうという感情を、無理矢理当てはめてしまうかも知れません。

たとえば、お祝い事に参加していれば、ハッピーな感情を持つものだとか、葬儀に参加していれば悲しみを感じるのが当然であり、試験会場にいれば、緊張や不安を感じるものだと決めつけるわけです。

このようにして、曖昧だったありのままの気分が、的外れな感情だとして扱われることになってしまうことも多いのでは無いかと考えられます。
しかしこれは、もともとの感情が、そのものとして完結しないまま、あなたの中にとり残されてしまうことに、つながります。

この完結しない感情こそが、様々な問題を引き起こす原因になります。

外に表現されないまま、心の中にしまい込まれてしまった感情は、どうにかして機会を見て外に表現されることを求めます。

それは、あなたにいやな気分を感じさせ、ストレスを引き起こし、あなたの身体にもはっきりとした病気を引き起こす元凶ともなります。

それは、人間関係のトラブルの原因ともなるし、不愉快な感情や争いの原因にもなります。

部屋の高い場所に置いたものは、位置エネルギーを持ちますから、落っこちてきてものを壊すかも知れません。
それは、床に置くことで、エネルギーをうしなって被害は及ぼしません。

感情も、エネルギーを残したままで、放置しておくことは出来ません。

曖昧なままの気分や感情は、思考が介入しないで、ありのままに扱われる必要があるのです。
それをそのままの状態で、感じきった時、感情は完結して、姿を消します。

東洋の宗教やヨガ、禅といったもので、瞑想というのが重視されるのは、このようなありのままの感情を、そのままで受け取る必要があるからです。

座禅


思考が介入してしまっては、それは原型がわからない混沌としたものになりがちです。

あなたが、いくら思考を使って考えても、いっこうに解決できないのは、肝心な元の感情が、何だかわからなくなっているためです。

たとえば、仕事の疲れを解消しようと、いくら休息を取っても疲れがとれない時、それは未消化の仕事が残されているためかも知れません。

あなたは、もしかすると、その仕事に取り組みたくないのかも知れない。
それを先のばしにしているために、いくら身体を休めても、休息を感じられないのです。

未完結な作業は、それが、仕事にしろ、感情にしろ、それ自体に取り組まないと解決できないわけです。

あなたは、おそかれ早かれ、それと取り組まなくてはいけないのです。

「単なる気分の問題」という言い方がありますが、
「単なる気分の問題」として、放っておけば、いずれ確実にあなたに実害を及ぼします。

これは、そんな風に軽く扱われることではなく、真剣に取り組むべき問題です。
いくら思考を働かせても、原因を見つけて取り組まない限り解決しない問題です。

一方で心の問題に取り組もうとしながら、一方で感情をいい加減に扱っていたのでは、何をやっているのか意味のないことになってしまいます。

ありのままの感情を、静かに、関与せずに、眺めてみることを、もっと心がける必要があるのです。

それが、どんなに曖昧でわかりにくいものであっても、あなた自身の一部分だということを忘れるわけにはいきません。

都合よく、消え去ってくれ、というわけにはいかないのです。

目の前の出来事を、インスタントに解決することでは、問題が全て片づく訳ではありません。

できるだけ、静かな時間を確保して、あなたのありのままの気分や感情に、目を向けてみましょう。

最初は、こんなことをして何の意味があるのかと、思うだけかも知れません。
しかしそれは、長い目で見れば、あなたの問題をそもそも作り出さないための、最善の方法になるかも知れないのです。

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役割を果たすのは疲れる

あなたが、今日一日やることを終えて、疲れ切っているようなら、あなたは自分のやりたいことをしていないのが原因かもしれません。

役割」「規則」「義務」、こういったものに縛られて、いつのまにか自分が自発的にやりたいと思う事が、少しも出来なくなっている可能性はないでしょうか。

役割を演じるためには、「自分はこうあらねばならない」という基準で自分を縛らなければなりません。

なぜこんなに疲れるのだろうと感じるなら、いまのやり方を振り返って、他の方法がないか考えてみましょう。

          辛そう


最初は、仕事などを覚えるために、決まりに従って、練習や訓練をするかも知れません。
しかし、慣れてくれば、そのような枠組みは取り払って、自分の今までの経験から、自分のやり方を見つけ出すものです。

ところが、役割や規則にとらわれすぎてしまうと、本来はそのやり方を覚えるための、手段でしかなかったものが、それ自体がいつのまにか、目的になってしまうことがあります。

自転車に乗る練習のために、最初は補助輪をつけて練習しますが、この補助輪をいつまでもつけたままでは、2輪での走行をいつまで経っても、身体で覚えることが出来ません。

決まり事は、習得までの手段としては有効でも、どこかでそれを捨てて、自分のやり方を編み出す必要があります。

それをしないと、いつまでも、あなたはあなた自身に戻ることが出来ません。

ずっと役割から、行動していては、不必要な行動を無理矢理取ったり、感情を無視して行動しなければなりません。

それは、やりたいことができないという、禁止されたことから来る疲れと、借り物のやり方を強要されることから来る疲れの両方をもたらし、あなたをへとへとに疲れさせてしまいます。

あなたは、いつも、自分で動いている感覚が持てません。
そのことの不満から、いやいや仕事をしなければなりません。

必要がなくなったら、決まりはすてて、自分のやり方で自由に行動すべきです。

わーい


それが出来ない理由があるのなら、それをまず解決して、自由なやり方を取り戻すべきです。

それが仕事なら、ある程度技術が習得できたら、自分のやり方でやるように変更します。
会社などの決まりがあるのなら、あなたから提案して、新しいやり方を取り入れてでも、あなたのやり方を取り戻した方がいいでしょう。

人間関係における役割、たとえば、父親、母親、娘、息子といったものが、あなたを束縛しているのなら、常識にとらわれずに、その役割をあなたなりに変更してしまいましょう。

社会的な役割には、絶対的な決まりなどないはずです。

また、むしろそれは、社会が強要するのではなく、あなたの内面にある決まり事が、そうさせているのかも知れません。

あなたが、父親とは、母親とは、こうあるべきものと思い込んだこと、あるいはまわりの人からコピーして取り込んだものが、必ずしもあなたには、合っていないのかも知れません。

         しかる親


そのような場合は、遠慮せずに、あなたの自由なやり方に、変えてしまいましょう。
あなたらしいやりかたというのが、必ず見つかるはずです。

だれも、あなたなりの父親らしさを、批判する権利はありません。
誰も傷つける心配がない方法なら、他の人と違うからといって、引っ込めることはありません。

社会の基準など、めまぐるしく変わります。

変化しないで、役割に縛られることは、新しい場所を恐れて、その場にしがみついているようなものです。
手放せば、すぐに新しい世界が見えてきます。

それに、決まりに縛られて役割を続けると、ストレスがあなたをダメにしてしまいます。
なぜこんなに疲れるのだろうと感じたら、やり方を振り返って見ましょう。

やろうと思えば出来たのに、やりたいことをやらなかったことは、これ以上ない後悔を生みだします。

いますぐ、決まりをすてて、あなたのやり方に切り替えましょう。

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感情を受け入れること

自分の感情をありのままに受け入れる時、私たちは全体的になります。

全体的であるとは、分裂した自分自身の一部と戦ったり、非難したりしなくなることで、自分を受容するということです。

受容できない時、そこに自己否定が起こります。

受容できれば、自分自身を癒したり、愛したりする能力が高まり、また人生の状況に対処するやり方も無理のないものになってきます。

しかし、私たちの多くは、分裂した自分というのに慣れてしまって、全体的であるとは何なのか、そうすると何がいいのかが理解できません。

怒っているハート


その主な理由は、否定的な感情に対する接し方にあるように思われます。

私たちは、喜び、楽しみといった肯定的な感情を受け入れることには、抵抗を感じません。
しかし、否定的な感情というのは、避けるべきもの、あるいは戦うべきものと思ってしまうのです。

その結果、否定的な感情は排除して、肯定的な思考をすれば幸福になれると考えてしまうのです。

しかし感情は受け入れられない限り、つまり自分自身の一部分として認められない限り、苦痛や問題の原因として存在し続けるのです。

それは、抑制されてはいますが、ふとした時に表に現れようとします。
また、さらに押し込めてしまうと「抑圧」と呼ばれるものになって、さらに問題を深くしてしまいます。

不快な感情に抵抗したり、受け入れを拒否することが問題を作り出します。
それらはいったん自分のものとして受け入れられたとき、不快なものとしてではなく、自分の豊かさの一部となって彩りを加えます。

もちろん感情によっては、受け入れる事が難しいものもありますが、難しくても他の方法で代用するというわけにはいきません。

感情の問題が解決しないと、うわべだけの満足しか得られないので、いつも何か物足りなく感じることになります。

また抵抗せずに感情を受け入れないと、意識に感情が入り込んでくるのを阻止しようとするため、情緒に不安や混乱を生じることになります。

談笑


自分の中に抵抗を抱えていると、その部分で他人を受け入れる事も難しくなります。
自分が抵抗している部分は、他人に対しても心を開くことが出来ません。

自分自身を受け入れる事が出来れば、自分の外に愛を求める渇望がなくなります。
自分のあるがままで完璧だと感じられるので、自分の内側から愛を感じることが出来ます。

また他の人との関係というのも、相手から愛されることを求める場ではなく、自分の内側の愛を表現する場所と考えられるようになるわけです。

自分の感情に気づくことを妨げているのは、主に今の生活のスタイルにあるのかも知れません。
私たちは、自己の気づきということに、ほとんど時間を割かない生活をしているからです。
感情に気づくことよりも、毎日が何か忙しいのです。
それは、目標を達成することに殆どの意識を奪われているためかもしれません。

言い換えれば、思考が中心の生活を送っていて、感情からの訴えには注意が払われなくなっているのです。

自分を取り戻すことを求めるのなら、まずは優先順位を目的志向から感情志向に変えてみることです。

いつも忙しさのせいで、後回しにされている、感情の訴えに注意を払ってみることから、始めればいいでしょう。

自分はそんなに問題を感じていないから、大丈夫です、といわれるかも知れませんが、感情の抑制を、日々蓄積していくことは、軽く考えていいとは言えない問題です。


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過去を終わらせる

あなたは、過去のことをよく覚えているほうでしょうか。

過去の記憶というのは、どのくらい信頼できるものなのでしょう。

記憶力の能力というと、多くは数字を覚えているとか、名前を覚えているとか、結果が判定しやすいものについて、よく話題になったりします。

しかし、私たちが記憶にからんで、情緒的な痛みを感じるのは、もっと曖昧な記憶が関係していると考えられます。

あなたが、まだ小さかった頃に、傷ついた記憶を持つ時、それはどのように、今に蘇るのでしょう。

もしあなたが、小さくて、難しい抽象的な言葉など知らない時に起きた出来事は、それを表現するような言葉を使えないまま、記憶されていたはずです。

しかし、いま、大人になって、それを振り返る時、あなたはそれを言葉に置き換えて、起きたことを説明しようとします。

このことから考えても、あなたが現在言葉で表現しようとしている、感情のようなものは、いろいろと、そぎ落とされたり、置き換えられたりしたものになっているかも知れません。

ためいき2


実際、記憶というのは、他人からの暗示によっても、容易に変容してしまうものであることが実験で確認されています。

ウエストンワシントン大学で行われた、記憶に関する実験があります。
この実験で、被験者は、子ども時代のエピソードについて、調査することをあらかじめ、伝えられています。

最初の面接では、被験者は実験者が作り上げた架空の出来事を、あたかも本当にあった事実のように告げられて、それを記憶しているかどうか尋ねられます。

その内容は、小さい頃に、ある結婚式に出席した時、花嫁のお母さんの膝にフルーツポンチのシロップをこぼしてしまったという出来事です。

最初の面接では、被験者はだれも、このような事実を思い出すことは出来ませんでした。ところが、2回目の面接を行ってみると、そのうちの何人かは、その出来事のもっと細かいことまで思い出したと答えたのです。

このように、人の記憶というのは、他人からの暗示によっても、自分の持っていた似通った記憶と関連づけて、新しい記憶を作り出してしまうものだというわけです。

現在のあなたが抱いている、視点や、やろうとしている計画などによっても、過去の記憶は容易に書き換えられて、思い出される、と言うことも充分考えられます。

ですから、過去の記憶が正確なものであると信じて、行動するというのは、充分注する必要があります。

それは事実ではないことに基づいて、今後の将来を決めてしまうことに、なりかねないからです。

怒っているハート


あなたが過去の記憶に基づいて、たとえば誰かに傷つけられた、ひどい目にあったので許せないというような恨みを抱いているとしたら、それは現在にまで影響を及ぼし続けています。

いつまでも解消できない感情というのは、あなたの中で、その出来事を完結できない為にいつまでも残っています。

その出来事に対して、あなたが納得がいく働きかけをして、終わらせない限り、それはいつまでもあなたの心に残り続けて、何かの折りに思い出されてあなたを、またいやな気分に落ち込ませます。

あなたが、それを最初に体験した時に、それをそのまま受け止められない理由があったとしたら、あなたはそれを意識の奥にしまい込んでいるかも知れません。

いずれにしても、それがスッキリ解消できるには、たとえば怒りの感情であれば、誰かを裁くのではなく、あなた自身がその怒りを感じることを自分に許す必要があります。

思い出しては怒りを感じているんだと誰かに言い続けても、怒りの感情はいつまでも解消されません。

あなたが、その問題を解消したいのであれば、恨む気持ちや、誰かを罰したい気持ちを捨てるしかないでしょう。
あなたのノートから、その貸しを帳消しにしないとなりません。

それは過去においては、理不尽な出来事だったのかも知れません、あるいは自分を罰したいと思うような出来事だったのかもしれません。

しかし、記憶はゆがめられている可能性もあります。

いずれにしても、あなたが過去にこだわり続けることは、いま現在のあなたに、感情面でも、健康面でも現実の被害を及ぼします。

重要なのは、いま現在だと判断するなら、あなたは同時に、それに付随した感情を一緒に解放できるかも知れません。

ずっと重荷になっていたことが、消え去る可能性があります。
あなた自身であれ、他の誰かであれ、許すことは全て、あなた自身の解放をもたらします。

終わらすことが出来る過去であれば、過去は過去で葬り去りましょう。

「参考」 今ここに生きる力―「瞬間的に人生を変容できる」生き方の極意

エリエール カーン (著), シーヤ カーン (著) 

ヴォイス (2002/4/1)




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将来への不安

私たちは過去を悔やむことと、未来を心配することに大量の時間を費やすために、現在を生きる時間をほとんど持てないでいます。

過去を悔やむことは、落ち込みをもたらし、将来を心配する時には不安を感じます。

過去を切り捨てられる人でも、未来への不安はなかなか切り捨てられません。

それは、将来のことは考えてもわからないからです。

象の家族


未来にむけて思考を働かせる時、どのようなことが起きるのでしょう。

そもそも最初に未来のことを考える様になったのは、時間という考えをまだ持たない時からスタートしているのかも知れません。

このことが起きた後には、次にはこれがやってくるという予想のようなものです。

赤ちゃんが、自分が泣きわめいた後には、なにか気持ちよくなることをもたらしてくれると予想する。

自分も他人もなく、時間という概念ももたなくても、なにかが連続して起きることを予想したのかも知れません。

それが言葉を覚えて、時間という感覚を持つようになれば、今これをやれば、その後何が起きるかを予測して行動するようになります。

将来に備えて、今できることを準備しておくというのは、健全な考え方でしょう。

しかし思考というのは、いったん働き始めるとついつい暴走してしまうものです。

思考になれすぎてしまうと、また未来を予想することばかりに慣れすぎてしまうと、本来の今を生きるための準備であったものは、容易にエスカレートして出来ないことまでやろうとしてしまいます。

いま自分がどう考えても、未来を決定することは出来ないと結論が出ていても、思考は何か出来ないだろうかと考えてしまうのです。

どうにもならないのなら、せめて将来に思いをはせておけば、考えないよりはましだという訳です。

いま心配を充分しておけば、すこしは将来の役に立つのだという思い込みが出来上がっているのです。

私たち人間も、他の野生の動物のように「戦うか、逃げるか」の反応を呼び起こすと言われています。

しかし人間の社会に暮らすわたしたちは、自然界にはない時間のギャップに対処しなければならなくなっています。

夢見る男性
野生動物1


あなたが何か今やろうと思い立っても、今日は日曜日なので会社は休業日ですといわれます。
いますぐ動きたくても、お店が開かないと買い物は出来ません。

わたしたちは、待つことを無理矢理、強要されます。

不安とは「いま」と「あのとき」の間の空白』とパールズはいいます。

「いま」と「あのとき」の隙間をふさぐために、「たったいま」何かしたいという気分
がおこるときに、何も出来ないいらだちが不安を生みます。

思考にとらわれすぎてしまうことが、未来や過去に生きることを生み出します。
それが、不安落ち込みをもたらすわけです。

思考は準備出来る事を終えたら、後ろに退場してもらわないといけないのです。

思考しない時には、いまここ以外の時間は存在しません。
また「いまここ」に存在できている時、思考は後ろに退場します。

思考の暴走を見張っていること、あなたは思考の観察者でいることです。
いつ退場させるかを見張ることです。

あなたが不安を感じる時は、自分が「未来」への思考の中に入り込んでいるのです。
いまここ」にもどってくれば、不安はなくなります。

どうしようもないことを、何とか今すぐ対処したいという気持ちは、思考の中にいる時であり、言い換えれば「いまここ」から離れてしまっている状態なのです。

不安はそれに力を貸し続ける限り、果てしなく続きます。
心配することが仕事だと錯覚しないことです。

もっと思考など使わなかった時の自分に戻って、バランス感覚を取り戻すことです。

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こっちの水はあまいぞ

自我というものを考える時に、そこで言葉思考がどのように関わっているのかを別の視点から見てみたいと思います。

まず人類が思考を発展させてきたというのは、どのような過程を経たものなのでしょうか。少し想像してみます。

最初は本能や欲望が出発になって行動を起こします。
そして行動に伴う結果から感情というものが生まれてきます。

たとえば、人は生きるために食料を求めます。
何かを食べることで、その欲望が満たされるからです。

食料を手に入れようと行動を起こします。
ひとは、こっちの方へ歩いていくと、おなかを満たすことが出来る事を発見します。
たとえば、それは、魚がいっぱい捕れる場所だったかも知れません。

釣り2


こうして行動と、その成果、「こっち」へ歩いていくといいことがあるという結びつきは、漁場にあたる言葉を生み出したのかも知れません。

そこでは「こっち」は自分の食欲を満たしてくれる快感をもたらすものとして刻まれます。

人間が大脳を発達させてきたのに伴って、言葉を蓄積していき、それらを使った思考を発展させていきます。

行動感情言葉思考

発生する順序としては、こう言うことだったのかも知れません。

何かを食べると、おなかがすいたのが解消される。
食べないでいることを続けていると、またおなかがすいてくる。
それを表すのに「時間」の経過という概念を生み出したかも知れません。

また外が明るかったり、暗くなったりするという自然の現象と、自分がおなかがすいたり、眠くなったりすることとの関係を見つけて、「1日」という言葉を生み出します。

しかし思考を使い始めた時、それは本来とは逆の方向もたどるようになります。

言葉思考)→感情行動

おなかがすいてきた、食べたい、「こっち」へ行ってみようが、もとの順序だった。
そのうちおなかがすいていなくても、「こっち」へ行って食料を取ってきておこうと考えるようになるかも知れません。

釣り1


考えているうちに、何かをしたくなり行動を起こすという順序です。

言葉(思考)を使うようになったことは、人類が文明を発展させるのに大きな役割を果たしてきたことは確かでしょう。

しかしそこでは、思考が先行するという順序の逆転も生み出してきました。

それは時に私たちのこころの問題を生み出す原因にもなってきているようです。

行動と感情と言葉はもとは密接に結びついたものでした。
しかし言葉はもとの感情とは離れて、より抽象的な言葉を生み出し広がっていきます。

言葉を使った思考はしだいにひとり歩きをはじめます。
行動を置き去りにしたり、行動や現実と離れて暴走してしまうとき、あなたは訳がわからなくなり、自分を見失います。

言葉ではわかっている、しかしなにか本来の自分とは違うものを感じる様になるのです。
社会に合わせて生きていくことは、言葉で無理矢理自分を納得させて生きることを強いられます。
あたかもそれは自分の考え、自分そのものと思い込むようになります。

しかし、もともとの自分自身と結びつかない、ひとり歩きした思考を続ける事は、どこかで心身の異常という本来の自分からの拒絶反応を引き起こすことになります。

頭ではわかるけれど、身体が動かない。
このやる気のなさは何なのだろう。
頑張ってエネルギーを消費しても、充実感を感じない。

困惑


行動療法や森田療法などで、考えずに行動することを重視するのは、逆転してしまった方向性を元に戻そうとする事なのかも知れません。

暴走した思考(自我)は、自分自身を分裂させます。
それを本来の自分の方へと取り戻す必要があります。

理念で生きようとすることは、無理があります。
それは傲慢な行為に思えます。
そこには執着が生じます。

思考すること自体には問題はありません。
しかしそれに執着する時、
それが「私の○○」になってしまう時、
自らを損ねるものとなってしまいがちです。

わたしたちはもっと行動レベルに立ち返る必要があるのかもしれません。

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君の命はいつも君だけを愛している

君の命はいつも君だけを愛している

『LIFE』 加島 祥造 PARCO出版 (2007/12) より



ハート2


加島さんの説明によれば、この言葉は人間の側から命を見るのと反対に、命の方から人間を見るという発想から来るそうです。

人間の側とは「わたし」から授かった命を見ているということ。

生かされている「わたし」は命をどうにも出来ないが、自分を生かし続けて欲しいと思うだけです。

あるいはもっと傲慢に、自分は生きる意志があるから生きているのだ、と思うかも知れません。

しかし「命」の側から見れば、あなたを生かし育てることが全てなのです。
「私の命」「あなたの命」と考えるのは、自我が作り出した区別なのです。

区別することをやめて、素直に生かされていることを大切にした時、あなたは命と一体になれます。

ハート3


以前も紹介した『すのうレタ?』にこのような文章があります。


『すのうレタ?』(http://www.gokuraku-net.org/snow/
私はMS(多発牲硬化症)っていう難病です。
お手紙書くの大好きな<すのう>からのお手紙、読んで下さいね。

「元気になれるよ」より  http://www.gokuraku-net.org/snow/kibunn-genkini1.htm


元気になりたくてなりたくて、来てくれる友達やお手紙をくれる友達に元気になる方法を聞いていました。
みんな元気になる方法や言葉をいっぱい教えてくれました。
でもその時の私はみんなの言葉を上手に理解することができませんでした。
なぜかというと聞きながら心が泣いていたから。いじけてたから。
でも、その今日幸せ思いっきり感じながら改めてみんなの言葉を想うと・・・すごーく元気になれました。
今度は言葉とみんなの優しさも感じました。
同じ言葉でも心が泣いているのと笑っているのでは全然受け入れ方が違うんだなと思いました。

ずっとずっと今の状態を受け入れたいとそのことばかり必死で考えてどうにかしなきゃと思っていました。
でも周りを見渡してあー私って幸せなんだーと強く感じた時、私大丈夫みたい、元気になれそうって思った。
受け入れる方法なんて今の私には必要なくて、幸せをしっかり感じていきることが素直に楽に今の状態を受け入れる方法なんです。
わたしの心はもう泣いていないよ。だって今すごく幸せを感じているから。



「今の状態を受け入れたいとそのことばかり必死で考えてどうにかしなきゃと思っていました。」

自分の病気や、ずっと入院して他の人の助けを借りないとやっていけない自分の立場、
これを思った時、自分はどうあらねばならないのか、どうやって他の人に向き合っていくのが正しいのか。

そんなことを「わたし」が頭で考えて、「どうにかしなきゃと思って」いたのではないでしょうか。

このときの自分は、みんなの言葉を「聞きながら心が泣いて」いました。

わたしの命、わたしの身体、わたしの病気、わたしの心、こうした見方をやめたのです。わたしの周りをとるかこむ人達、状況を受け入れ、それらと一体になってその一部になれたとき、わたしの為に働く命を感じられました。

わたしの病気を呪ったり、抵抗することが私だと思った時、「心が泣いていたから。いじけてたから。」

わたしの社会的な立場という観点を捨てさって、「受け入れる方法なんて今の私には必要なくて」素直に自分が今感じ取ることを受け取ってみた時、「今度は言葉とみんなの優しさも感じ」られたのです。

ハート1

あなただけを生かそうとする「命」の働きに素直に合わせられた時、生きることを邪魔する「わたし」の考えが消えさって心が笑います。

「同じ言葉でも心が泣いているのと笑っているのでは全然受け入れ方が違うんだなと思いました。」

「わたし」の考える傲慢さを捨てて、オープンになり、自分が大きなものの一部だと感じられた時、あなたはあなたの命と一体になれるのでしょう。


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自己否定と取り組む(6)

小学校などで運動会が開かれる季節ですね。
もっとも最近は秋にやるとは限らないとも聞きますが。

運動会の花形の一つは徒競走(かけっこ)ですね。
次は「○年生のかけっこ」です。

子ども達は足の速い子も遅い子も一生懸命に走り抜けます。

かけっこ1


走っている時には、勝ち負けは考えません。
走ることそのものになっています。
ゴールした後は疲れて倒れ込んでも、みんな満足そうな表情を浮かべています。

これがプロセスそのものを楽しむと言うことです。

「自己否定と取り組む(4)」で書いた様に、結果にとらわれることはプロセスを楽しむことを妨げます。

負けること、失敗することを恐れる気持ちは、真剣に取り組むことからあなたを遠ざけるかも知れません。
失敗するかも知れないという恐れは、「全力やらないようにしよう。そうすれば失敗してもしかたなかったと言い訳できる」という発想につながる可能性があります。

このようなやり方は、いつもあなたが目の前のことに真剣に取り組むことを妨げます。
あなたは絶対にうまくいくという確信が持てないと真剣に取り組めなくなってしまいます。

えり好みをしていると、あなたが出来ることを狭い範囲に閉じ込めてしまいます。
この結果、いつも何かやりがいがないと感じる日常を作り出します。
やっていることに手応えがなく、むなしさを感じます。

出来がいいものだけを人に見せようとする習慣をやめてみましょう。
失敗作でも気軽に見せられる自分を楽しむ様になりましょう。

あなたは仲間から「○○をやってみないか?」と誘われて気軽に参加する方でしょうか?結果にとらわれていると、気軽に企画に乗っていく自由さ軽さを失ってしまいます。

「どうなるかわからないけど、おもしろそうだからやってみよう」という気持ちを大事にしましょう。

綱引き


そういうノリがなくなっている自分に気づいたら、結果ばかり気にするやり方や、主体的でない参加の仕方を取ることをやめてみることです。

「○○ねえ、それをやると、どんないいことがあるの?」
「そんなことやったって、どうせうまくいかないよ。」
「疲れるだけだと思うけど。」
「やれというのなら、やりますけどねえ。。」

結果を気にしないで、主体的にものごとに取り組むことは、プロセスを楽しめるという自分を取り戻すことにつながります。

「走ること」そのものになっていた自分を思い出しましょう。
そのあとの満足感を思い出しましょう。

プロセスを楽しまないのは、生きることを楽しまないのと同じです。
なぜなら生きていることは、プロセスそのものだからです。

結果はあとづけの飾りに過ぎません。
飾りに本体を奪われてしまうようなことはやめましょう。

何があなたを結果にこだわり続ける様にしたのかを探ってみることです。
その探求はあなたにしかできませんが、一度その原因を見いだせば失敗に対するこだわりは消えていきます。

あなたの自己否定は、過去の失敗に基づくものかも知れません。
過去の経験は新しい経験で書き換えることが出来ます。

しかし、あなたが今ここで真剣に取り組むことをやめている限り、かわりに書き換えられる現在を経験出来なくなってしまいます。

また負けることを恐れて行動しないことは、恐れに燃料を与える様なものです。
逃げれば逃げるほど恐れは大きくなります。

もっと問題なのはプロセスを楽しまなくなると、何をやってもむなしく感じてしまうことです。

出来がいいものだけを人に見せようとする習慣をやめてみましょう。
失敗作でも気軽に見せられる自分を楽しむようになりましょう。

「こんなことやって何になるの」と思うのをやめて、真剣に取り組んだ時の楽しさを思い出してみましょう。

ありますよね、あなたにも。

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自己否定と取り組む(5)

今回は「みにくいアヒルの子」のお話です。

この話は、白鳥の子どもが間違ってアヒルの家族に混じって育てられて、アヒルの中にいたのでは姿形が異なるため「みにくいアヒルの子」として扱われて育っていくという話ですね。

この話、子どもの頃ちゃんと読んだかどうかは、はっきり覚えていないのですが、先日海外のアニメを放送しているのをたまたま見ました。

その中でこんな場面がありました。

アヒル親子


アヒルの家族がトラブルに巻き込まれたあと集まって親子で話をしています。
みにくいアヒルの子」は近くまで戻ってきてその話を隠れて聞いています。

お母さんアヒルが「あの子のおかげでこんな目にあったのかも知れないね」というのを聞いた時、「みにくいアヒルの子」はいたたまれなくなって気づかれない様に飛び立ってしまいます。

みにくいアヒルの子」がいなくなった後、アヒルの親子の会話が続きます。
お母さんアヒルは言います。「これでどんなにあの子を愛していたかも伝えられなくなってしまったのね。。。

自己評価が低い人は、自分を哀れんだり、あるいはいじめてくれる相手に傷つきながらもどこか安心してしまうのです。

みにくいアヒルの子」はこの場面でやっぱりそうなのかと、自分が予想していた言葉を聞いた時点でいなくなってしまうのです。その後の自分を評価してくれる言葉は聞き逃してしまいます

自分を評価してくれる人にあっても信じられません。それを受け入れられる準備が出来ていないと自分から逃げ出してしまうかも知れません。

「ぼくはみにくいアヒルの子です」ということで、それに対して自分を哀れんだり、あるいはいじめてくれる相手を探し求めますが、そのような反応をしてくれる相手ばかりとは限りません。

「みにくいアヒルの子」は別の場面で、ある家を訪ねて「ぼくはみにくいアヒルの子なんです」と自己紹介します。
家にいた家畜たちは、「それがどうした! それよりお前は何が出来るんだ」といって自分たちの自慢話が始まります。

「役に立たないんなら鍋にしてお前を食べてしまおうか」と脅かされて、「みにくいアヒルの子」はその家を飛び出します。

驚くアヒル


自己否定と取り組む(2)で自分に関する記述を試した方がいらしたら、そのなかの自分の中の「みにくいアヒルの子」を探してみるといいかもしれません。

自分を否定し、だから叱って下さい、哀れんで下さいと訴えている部分は見えてこないでしょうか。
あなたの訴え通りに扱われると、傷つきながらも安心してしまう部分は無いでしょうか。「それがどうしたというんだ」といわれて、慌ててしまうことはないでしょうか。

「みにくいアヒルの子」は最後に白鳥の仲間と出会います。
草陰に隠れておびえ、嘆いている「みにくいアヒルの子」に対して、通りかかった白鳥の群れは「こっちに来て日向で水に映る自分の姿を見てごらん」といいます。

白鳥の群れ



「みにくいアヒルの子」はそこでやっと自分の姿が白鳥と同じだったことに気づきます。

さて,少し自分を振り返ってみましょう。

◆あなたの中に、日向に出て自分の本当の姿を見ようとしない部分を見つけてみましょう。
その時じぶんがどの様に感じているのかを体験し直してみましょう。
できるならそれがどこから来たものかわかるといいですが、感じ直してみることが重要です。

◆次は方向を変えて、自分の中で人から評価して欲しいと願っていることを書き出してみましょう。
つまり、こんなことを人が自分に言ってくれたり、許してくれたらいいと思うことを書いてみるのです。書き出したものがある方はその中から探してみるといいでしょう。
見捨てられていた、自分の中の白鳥の部分を探してみるのです。

◆それが出来たら、その願いを自分で叶えてあげましょう
人から言われることを待っているのではなく、自分から自分自身に許可を与えてあげるのです。
そのリストの1つ1つについて、「?してもいいんだよ」と自分に言ってあげるのです。
そして水面に映る本当の自分を勇気を出して正面から見なおしてみましょう。

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自己否定と取り組む(4)

今回の内容は、結果にとらわれないことと、完璧なマニュアルを求めないことです。
なお今回の内容は必ずしも自己否定という問題だけに関わったことではないかも知れません。

誰でも期待した成果が得られることを求めますが、結果というのは全てが自分でコントロールできるものではありません。

あなたのやり方がいつも完璧で、その成果もいつもいい結果であるという保証はありません。
またそこに競争が関与していれば、勝つ人と負ける人が出るのは最初からわかっていることです。あなたがいつもいつも勝てるとは限りません。

かけっこ


これは当たり前の事実ですが、自分が関与したこと対しては、ひとはどうしても当たり前以上の結果を期待したくなるものです。

ですからこの際、自分がコントロール出来ない部分があるのなら、結果がどうなるかはわからないと割り切って、結果には執着しないという方針をとってはどうでしょうか。

あなたが取り組んで失敗や負けに終わった事も、あなたがベストを尽くしたのなら、その方法としては最善の結果だったと思ってそのまま受け取ることです。

自慢



それと方法が1つしかないと思い込まないで、今見えているのは数ある方法の1つに過ぎないということを忘れない様にしましょう。

あなたが望むことを成し遂げたいと思うこと自体には問題はありませんし、あきらめる必要はありません。
たとえ失敗したとしても、願望をあきらめずに、他の方法を探し続けることです。

願望を達成する方法は、今見えている方法だけではないこと、またそれは今わからなくても徐々に見えてくるものだと考えて、その時が来るのを信じて待つことです。

特に自信が持てない人は、結果がすぐに出ることを求めすぎる傾向があります。
そして1つ失敗しただけですぐにあきらめてるという傾向も見られるようです。

ですが自信がないのなら余計に、結果に執着せず他にも方法はいくらでもあることを忘れないようにしましょう。

客観的に見てあなたの努力した軌跡が妥当なものだと思えたら、それはあなたにとっては成功だったと言えるのですから、結果だけにとらわれない様にしましょう。
あなたは出来るだけのことはやり遂げたのです。

次に方法はいくらでも存在すると書きましたが、それと関連してすぐに完璧な方法やマニュアルを探したり、それがないと何も動き出せないという習慣を見なおしてみましょう。

まず何事にも固定したマニュアルや完璧な方法が存在する訳ではありません。

物事は常に変動しているものだととらえるべきです。
あなた自身も昨日と今日ではどんどん変化しています。
また周りの環境、周りにいる人達も同じように変化し続けています。

変化を無視して、固定したやり方を決めることや、それを探し求めることは時間の無駄です。
自信がないから誰かそれをやり遂げた人を参考にしたいというのはわかりますが、大まかな指針だけを学んだら、あとは自分が変化する中でつかみ取っていくしかありません。

あなたが、必ずうまくいく方法を教えてくれたらやってもいいと考えているのなら、それは結果に対する恐怖感からくるものでしかありません。

結果を出して人から評価されるということに必要以上にとらわれているため、失敗は許されないと思う不安や恐怖感が完璧な方法を追い求めることにあなたを駆り立てているのです。

それは恐怖感からの強迫的な行動でしかありません。
そこでは自由に何かを追い求め、成し遂げようという自発的な行動と、それに伴ってその行動そのものを楽しむという部分はどこかに置き去りにされてしまっているのです。

自分自身の行動を信頼できる様にするには、結果が保証されないことにもチャレンジするということを避け続けては通れません。

避けること、逃げることは恐怖をさらに強めるだけです。
目をつぶって飛べということも時には必要なのです。

たとえばあなたが波の荒い海で小舟に乗っているとします。
あなたはその船の上で水が目一杯はいった器を持っています。
あなたは、何とか水をこぼさずに持ち続けようとしています。

ボート2

これが、あなたが1つの方法にこだわっている様子です。
あなたは、水をこぼさないことに必死になり、他のことは何も考えられません。
気を許せば水がこぼれてしまうからです。

あなたの目的が水を維持することにあったとしても、その方法に固執することは正しい事でしょうか?

水がこぼれたら仕方がないと思って、他のことにも目を向けてみましょう。
こぼれた水はあきらめましょう。
残った水があなたの取り分だと考えるのです。

たとえば、こぼれた水もそのうち雨となって空から落ちてくるかも知れないのです。

人は不確実さを受け入れられる様になれば、どれだけ恐怖から解放され自由になれるでしょうか。
そしておそらくそれは理屈ではなく思い切って飛び込んでみないとわからない世界なのではないでしょうか。

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自己否定と取り組む(3)

「目の前のことを自分なりに精一杯やってみる」ということを考えてみましょう。

自信を失ったり自己否定が強いと、今出来ることに集中することが出来ません。
それは、対象そのものに集中することよりも、失敗したらどうしようとか、他の人の目にどう映るだろうといったことに注意が向いてしまっているからです。

不安感、恐怖感はそれ自体にエネルギーを取られてしまって、やろうとしている対象に取り組むエネルギーを奪ってしまいます。

また他の人の目を気にしてやっている作業では、自分のこととして取り組んでいる意識が薄れてきます。
それが高じると、やれと言われるからしょうがなくやっているんだと意識になり、失敗したってどうせ自分の責任じゃないといった言い逃れまで生まれてきます。

ですから、自分自身の問題として、他の人の目は関係なく、失敗も評価も気にせずに、とにかく目の前のことに自分のベストを尽くしてみようと考えて取り組むのです。

疲れたサラリーマン


そのように集中して取り組めば、時間を忘れて取り組んでいる自分に気づけるでしょう。そこでは、やらされている意識もなく、成果に対する不安もなく、後で振り返った時にやっと自分がやり遂げたことを発見するといった集中力が生まれてきます。

他の人に言われてしぶしぶやるのではなく、他の人に役に立てる自分を見つけ出し、それを生かしていこう、というやりがいを感じながらやることです。

自己評価が低い人ほど、自分のためにやるということに自信を持てません。
しかしそんな人でも、人のために自分を生かすのだと考えるとパワーを発揮出来る人が多いのです。そんな風に見方を変えてみることです。

成果は後からついてくるものですし、自分がやり遂げた満足感は他の人からの評価以上に自分を満足させ、自信を生み出します。

わーい


つまらないことばかりの日常を、やりがいのある目的に満ちた日常に変えるのです。
また今日もこれをやるのか、というスタートではなく、今日はあれもこれもやりたいが、どれからやろうかと思える日常にしてみるのです。

自己否定の度合いにもよりますから、いきなり難しいことに取り組んだり、完璧にやろうなどとは思わないことです。

なんなら、普段毎日やっていることを、今日はちょっと工夫して、何か昨日とは違うやり方を見つけてみようということからスタートしてもいいでしょう。

完璧にではなく、自分のベストを尽くせばいいと考えることです。

できあがりの価値ではなく、どれだけ自分が満足できたかを評価することです。
そして他人からの評価ではなく、あなたがあなた自身を評価しご褒美ををあれるのがいいと思います。

「私がちゃんと知ってるからね・・そっとそしてやさしく自分に言ってあげました」

ちゃんと知っているから
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MS(多発牲硬化症)という難病と戦って最後まで一生懸命自分を生きた「すのうさん」のブログです snow letter


「自分で出来ることは自分でしましょう」私の事よく知らないから言われました。知らないんだからそう言っても仕方ないけど。でもこう見えても私、ちゃんとやってるんだから・・そうでなかったら今頃もっと体力なくて歩いたり、笑ったりしてないと思います。皆自分に今何が一番大切かちゃんと知っています。人に言われる前に自分で自分に嫌っていうほど言ってあげてると思います。「自分でできることは自分でしましょう」って言われた時、あまり体力がなくて上手に歩けなかったけど、とりあえず自分で出来ることは自分でしようって決めていたし、そうしてたのです。こんなに一生懸命歩いているのに、誰の手も借りてないのに。がんばってる人にむかって、「自分で出来ることは自分でしましょう」って言わないでほしい。それともそう言ったってことはなまけてるように見えたのかな。
 雪絵が今日までどうやって生きてきたか、私がちゃんと知ってるからね・・そっとそしてやさしく自分に言ってあげました



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自己否定と取り組む(2)

まずは自分の自己否定している部分を見つけてみましょう。
そのためには、自分を表現してみることです。

自己評価が低いと、自分を表現することにも困難を感じます。
正直に自分を表現してみよう、といわれても簡単なことではありません。

表現すること自体が、自分への否定の対象をあからさまにすることだからです。
しかし、まずは何とかそれらを見つけられる様に、表現方法を考えてみましょう。

カウンセラーなどの専門家を相手にするのであれば、対話をすることもいいかもしれませんが、そのような機会をすぐに持てないのであれば、自分の感じていることを書き出してみるという方法をおすすめします。

書く1


筆記用具を用意して、今思っていることを書き出してみるのです。
紙に書くのがいやなら、パソコンで文章を打ち込んでみてもいいでしょう。

最初は絞り込まずに、思いつくことをどんどん、考えずに書き出します。
どんどんなんて言われてもなにも書くことがないよ、というのであれば、まずは、「いま私は?をしています。」から始めてみましょう。

そして書く時には、一切評価を加えないことです。
あなたの直感をそのまま言葉にしてみる様な感じですね。
内容に関して、「こんなことをするのは?だ。」という様な評価を加えません。

あるいは、言いたいことを言ったために自分は自信をなくしたんだから、そんなことは言いたくないと思う人がいるかも知れません。
しかし今はそれを誰に見せるわけでもありません、正直な思いを書いてみるのです。

いったん書き出すと、結構次々と書くことが思い浮かんでくるものです。
最初は抵抗が強いかも知れませんが、4,5日から1週間も続ければなんとなく慣れてきて、自然と手が動き出す様になります。

そして、書き出すだけでも何となく気分が軽くなる気がしてきませんか。

書き出すことの目的は「自分の直感や感情をありのままに受け入れること」にあります。他人に向けた表現ではないことを忘れない様にしましょう。

つらい感じがする部分があっても、これでその部分を解放できるのだと思って、思い切って書き出してみましょう。

なるべく、思いつくままに書いてみた方が、直感的に書き出せると思います。
しかし、思いつくまま書くことを試してみて、どうも何をやっているのかわからないと思う人もいるかも知れません。

疲れた2


その場合は、自分の苦手な場面や、苦手な人、あるいは思い浮かべるといやな感じがすることを想定して、そのことから思い浮かぶことを書いてみましょう。

自分にいやな感じをもたらすことというのは、自己否定を探す場所としては宝庫だと言えるかも知れません。

自分はそんなに自己評価が低くないよと思う人でも、自分の苦手なことを想定して試して見てはいかがでしょう。

苦手を克服できれば、その上から見た世界はまた違って見えてくるのではないでしょうか。

書き出した文章を眺めてみると、最初は支離滅裂に見えるかも知れません。
1つ,2つから解釈しようとしないで、繰り返し登場するフレーズなどに注目してみましょう。

日記1


いったん外に書き出したものは、頭の中で思い浮かべているよりもずっと客観的に見ることが出来ます。
また、書き出す行為自体に自分を解放する力もある様な気がします。

ためらわずに書き出してみて、あとは謎解きでもやる様な感覚で取り組んでみたらいかがでしょう。
その時点で、すでに自分のもやもやしていた思いが、客観的なものに変わってきていることに気づくと思います。

そして、納得いくまで、暫く続けてみることです。
きっと実りの多い作業になるはずですよ。

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自己否定と取り組む(1)

「自己否定と取り組む」というテーマで、「自己否定」や「劣等感」、「自信のなさ」といったものを掘り下げて、それを何とか解消できないものかを探ってみたいと思います。

まずは、その実態を調べてみましょう。
自己否定あるいは、劣等感といったものは、わたしたちの様々な可能性を制限してしまいます。

たとえば、新しいことに取り組もうとしても、前に失敗した経験を思い出すのでなかなか取り組めません。
臆病になって、何かと理由を考えてそのことから逃れようとします。
ちょうど小学生があした苦手な科目があるとか、試験があると思うと何とか病気にならないだろうかと真剣に考える様なものです。

気が晴れない


あるいは自己否定は自分の判断に自信を持てなくしてしまうので、誰か頼れる人を探そうとします。
自分に自信を持たせてくれる人に出会うことで、一時的に自信を取り戻せるかも知れません。
その機会をうまく利用して、自分の自己否定と直面できれば、解決の道があるかも知れません。
しかし自己否定がある程度強いと、せっかくの機会もうやむやになってしまうかも知れません。

それは、現状を変える事への恐怖が、自己否定を解消することの希望よりも上回ってしまうためです。何となくズルズルと現状維持に戻してしまうのです。

自己否定はまた、すぐにやっぱりダメだというあきらめの早さ、なにもやりたくないという無気力感となって現れるかも知れません。

疲れたサラリーマン


またどこにそのはけ口を向けるかでも現れ方が変わります。

自己否定を他人に投影することで、相手を非難してみる。あるいは、第三者的に人や物事を批評することで、自分自身への自信のなさや否定感をごまかそうとするかも知れません。

逆に自分自身へ攻撃が向けられると、自分自身を非難して落ち込んだり、自分自身を傷つける行動を取ったりします。

自分への評価の低さを人に見透かされない様にするために、先に自分のダメさをアピールする人もいます。
もっとこのように努力してみたらと言われるのがつらいからです。
あるいは、まともにやってみて失敗するくらいなら、あらかじめ失敗しておいた方が安心できるのかも知れません。

そして何よりも、自己否定は自分自身をよく評価する事が出来ないというつらさがあります。
またそれとともに、何か本物でない、満たされない対人関係に不満や失望を感じ続けるのです。

うつむく


このように、対人関係では様々なごまかしのゲームを演じること。
自分自身に対しては、やる気のなさ、無気力感、憂鬱感、自分への攻撃をもたらします。
これらをそのままにしておいていいとは思えませんよね。

せっかくの自分の人生、もっと自分を取り戻して生きたいと思います。
なんとかこれらの置き去りにされた自分を取り戻してあげたいと思うでしょう。
すねてしまった「こども」や、おびえている「こども」がそこには見つかるはずです。

自己否定と取り組むには、まずは自分自身の否定している部分を見つけること、そしてそれがどこから来て、どのような影響を与えているのかを理解することです。
相手を知らないと対応のしようが無いのです。

そのための方法を、いくつか次回から考えてみたいと思います。


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