« ホーム »

あせること、イライラすること(redux)

17dd5cad9b798e64423fed10294712bf_s.jpg


『何かをあせってやろうとすると、かえって空回りばかりで、いつものようにうまくできない。』

こんな経験、どなたにもあるのではないでしょうか。

こんなとき、あなたはあなたの決めた時間でものごとが起こっていくのを期待していませんか?

しかし、ものごとは、まるでそれに特有のスピードを持っているかのように、あなたの思いなど関係なく起きるべくして起きていきます。

たとえば、あなたがせっかちな人だとします。

そして、あなたの前には時間など気にせずに、自分の決めた手順が変わるのを嫌がってものごとを非常にていねいに行っている人がいます。

あなたは、それをみているとだんだんイライラし始めるのです。

人と人の関係では、せっかちな人もいれば、のんびりした人もいます。

そして、それはわかるけれど、ものごとが自分の決めたスピードで進んでいかないと、あせったりイライラしたりし始めるのです。

ものごとが運んでいくスピードに、特有のスピードがあるものかどうか、それはわかりません。

しかし、単に見る側の心理的なスピードだけで、ものごとが起きていくわけではないでしょう。

それが起きていくには、様々な無数の要員が非常にからまって進んでいくはずです。

ですから、あなたがいくら自分で「○○までに結果が出る」と決めたところで、期待通りに起きてくれるとは限りません。

植物の種をまいて、いっぱい水や肥料をやったんだから早く芽を出せと言っても仕方がありませんね。

またそんなことをするから、あなたはあせったり、イライラしたりするということもありそうです。

別の言い方をすれば、あなたはものごとに対する見方が「荒く」なっているのかも知れません。

落ち着いているときのあなたは、もっと「こまやかに」ものごとを見ていられるのかもしれないのです。

「荒く」見ているから、細かい変化が目に入らない、なんでこんなに変化しないんだということになる。

あなたが、自分で時間をコントロールすることをやめて、ものごとが起きていくスピードに任せて見ていられるなら、必要以上にイライラせずにゆったりと過ごすことができるでしょう。

さらに発想を広げれば、あなたはものごとの結果についても、同じよう「にコントロールしようとしない」という選択もできるわけです。

起きることに逆らわずに、それが起きるのに任せるということです。

「そんな受け身ばかりの生き方などごめんだ」といわれるかもしれません。

ときにはあせったりイライラしたりするのが、逆に楽しみにつながることもあるでしょう。

たとえば、あなたがプロ野球やサッカーの試合を見ながら、ひいきのチームを応援するようなときです。

あなたが、いくら逆立ちしようと、あなた自身がピッチャーやバッターになれるものではありません。

しかし、あなたがどちらが勝とうがかまわないと思うのなら、興奮もしない代わりに応援する楽しみもありません。

それは、もはや応援とは言えないでしょう。

不安とワクワクすることは紙一重です。

コントロールしたいという思いと、イライラすることは、お互いに切り離せない関係にあるのでしょう。

ですから、すべてあきらめようとか、すべてコントロールしようとか、2つに1つで片方だけに決めようとしないことです。

心配しなくても、あなたはイライラから完全に解放されることもないでしょうし、無理をして何事にも無気力になる必要もありません。

ただ、イライラしたり、あせったりすることが、必要以上にあなたにストレスをかけていないかをチェックすることは役に立つでしょう。

ときには、ものごとが起きていくスピードや結果を、そのまま受け止めてみてはいかがでしょう。

それが、いかにあなたにとって重要で差し迫ったことでも、あなたにコントロール出来ない事なら、手を出そうとせずにまかせてみましょう。

「あなたの力」で、おきてくることをコントロールしようとおもうことが、結果に影響を与えるかどうかを冷静に考えてみましょう。

「あなたの力」で、「あなたの意志」で成し遂げたから、だから価値があるというのは、ひとつの考え方でしかありません。

そして、あなたが自分でコントロールして成し遂げたと思っていることも、単に起きるべくして起きているだけかも知れないのです。

「さからうのはやめた!」と思ったときの開放感、あなたにも経験があるのではないでしょうか。





ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







退屈・不満・落ち込み(redux)

a0001_016465.jpg


退屈だと感じるとき、そこには本当はもっとやりたいことがあると訴えている自分がいるのでしょう。

やりたいことがあるのに、現実はそうでないことをやらされていると感じるから、それは退屈でしかない。

しかし、それを放棄して、本当にやりたいことへ踏み出すのは恐い。

このジレンマが、退屈でも今のままを我慢するしかないと思わせる。

しかし、見方を変えれば、退屈は他にやりたいことがあると告げている警告だと考えることが出来ます。

結果どうなるかわからなくても、いい加減そこから一歩踏み出そうと決心すれば自由が待っています。

それは恐いけれど、どうやっても出来ないと言うものではない。

思いっきり退屈を極めてみれば、そこから抜け出す踏ん切りが付くかもしれない。

もし誰かが、その考えは正しい、やってみれば必ずうまくいくと応援してくれるなら、

それを実行するだろうと思えるなら、やはり今いったことが当たっているということでしょう。

そういってくれる人が、現れそうにもないのなら、その許可を自分で出すしかないのです。

人を巻き込んだら、うまくいかないと他人のせいにして事態を複雑にしてしまう。

一番いいのは、自分で許可を与えること。



不満は、自分が遣ったことが自分の基準に合っていなかったといって、自分を責めようとしている状態。

自分が決めた成果にたどり着かなかったら、無駄に過ごしたせいだと思い不満を感じる。

もっとうまくできたはずだと、果てしない改善を求める指令が出される。

基準に達したら、その瞬間に次の目標が登場する。

終わりはいつまでも来ない、果てしない要求のシャワー。

不満は消えることがない。

無駄だったと感じないために、いつもどこかへ向かっている自分を確認したい。

目標がないと不安になり、他の人にまで目標がないことも責めたくなる。

自分への要求が、相手に投射されて相手を責めるのは、要求を出す相手が自分であることを隠したいから。

だから、自分にないものほど、相手にそれを持つべきだと唱えたくなる。

これも、退屈と同じように、惰性で不安から来た縛りの中に住むのを拒否するしかない。

それを自分で選択する。他の人には言わせずに、自分で断行する。

今の課題を本当にやりたいのか問い直し、もしそうでないとわかったら無駄だと思ってやらずにいたことに切り替えて見る。

そうすれば、不満は消えて本当は今までが無駄をやっていたのだと感じる様になるでしょう。

どうしてもやらないといけない事など、もともと何も有りはしないのです。



ちょっとしたことでも落ち込みを感じるとき、あるべきことを満たせなかった自分を責めている。

それは「あるべきこと」であって「あるがまま」ではない。

「あるべきこと」が、当たり前の自然な真実であると勘違いしているのです。

「あるべきこと」は過去のどこかで作られた、今あるものに合っているかどうかは目をそらしてしまう。

そのずれが大きいときの違和感を無視しないで、大切にしたい。

落ち込みは、過去によってしか作られない。

いつだって「あるべきこと」は書き換えられる可能性がある。

一見過去に縛られていないと思わせるが、それが気分をやんわりと滅入らせるなら、いまあるものを本当に見ることで取り戻したい。

気分を手がかりに、いま自分がどこにいるかを振り返れば、いつまでも引きずられることをストップできる。

いま目の前に見ている巨大に見えるひとは、あなたの過去が作り上げた幻想にすぎない。

複数のひとが同じ意見を持っていると思うのは、あなたの過去が作り上げた幻想にすぎない。

いまに照らしてみれば、ひとりひとりは正当な大きさにしか見えないことがわかる。

手がかりにしているものを、別のものに変えてみよう。
言葉にとらわれているのなら、話している相手をよく見てみよう。
相手も同じく過去に縛られているのが見えて来る。

いまできることを完璧なものにしようなどと考えないこと。

いつでも本番、練習ではない代わりに、いつだって練習のつもりで望むことは出来る。

いまやっていることが、いまできる最善のことだと信じればいい。
実際その通りなのだから。


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







「そんな事じゃない、ボクがしたいのは!」

自我とは抵抗したいという思い タオに生きる

「どうだ!2杯も飲んだぞ~」「それはすごいわね。じゃあ今週はジュースはおあずけね!」


しかし私たちは、自我が発達するにつれ、何かへの抵抗だったものが、もともと存在するものだと錯覚するようになります。
つまり、自我を維持するために、そのための自我を発達させていくのです。

しかし、自我のための自我、思考のための思考は、根っこを持ちません。
もともとの「私」が不在のまま、それは大きくなってしまったのです。

何かへの抵抗とは、何かがあってこそ成り立つ、つまり本来その何かに依存する存在であったことを忘れてはなりません。

自我のための自我とは、つまりどこかで作り上げた自分を存続させたいために、ひねり出す理屈とは、根無し草に過ぎないものだということです。

根無し草を信じて、あなたがいかに努力しても、もとになった「私」はそこにはもういません。
社会的にいかに成功しようと、「私」は何も満足しません。
いつまでも、何かむなしいままです。
「そんな事じゃない、ボクがしたいのは!」

自分がやっていることは、いかに立派なことに見えても、「何かへの抵抗」としてやっていないだろうかを確かめてみることです。
ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







問題は100%かかわることで消滅する

「その質問をする君が、興味深い」「質問は、質問する人を表現するんだ。それに対する返答なんかとは無関係にね」 (P446) 夏のレプリカ (講談社文庫) 森 博嗣 「InBook」


※引用した文章は、以下の文章とは直接関係ありません。


「その質問をする君が、興味深い」。

質問をするには、その問題に全面的にかかわる意志をもつ必要がでてくるでしょう。

それでなければ、問いかけをすることすら、ためらってしまうだろうからです。

あなたが本当に問題に取り組もうと一歩をふみだした時、それはもはやたいした問題ではなく単に処理すべき1つの課題でしかなくなります。

「質問は、質問する人を表現するんだ。」

あなたの問題への取り組み方は、あなた独自のものであって、誰がかかわっても同じというわけではないのです。

問題とはあなたの意識の一部であり、あなたが関わりを躊躇している部分であるに違いありません。

あなたがそれに8割かかわっているなら、コミットしていない2割に問題が残る余地があるわけです。

それに全面的にかかわろうと決心すれば、もはや問題ではなくなります。

どのように処理されるかということは、意識的に考えることではなくなってきます。

それは、ただ起きるに従って処理されていくからです。

問題が残るとすれば、それはあなたが残りの何割かを、見ないふりをしようとするときです。

正面から見たくないという恐れがそこにあるからです。

      泣いている女の子

どんな恐れかはわかりませんが、あなたが自分のとらえ方で見てもいいと許可するだけで、それは次の段階に移ります。

「他の人ならどうするだろう」などと考えても意味がありません。

「質問は、質問する人を表現するんだ。」からです。

他の誰かが正解を知っているなどと信じないことです。
あなたのやり方が正解なのです。

実は正面からみれば、それは何も問題ではないのです。

それは、単にやりやすいか、やりにくいかは別として、処理すべき1つの物事に過ぎません。

横から、斜めからのぞき見ているから、問題に見えるだけです。

そもそも正面から見て、なおも問題であることなど何もないからです。
それは、あなたが見たり、見るのを避けたりすることによって、作りあげたものでしかないからです。

過去の自分の経験を思い出せば、それがどんなに大きく見えても、一歩踏み出すことでそれはなるように成ってきたはずです。

      ボールを取られて

正解を選ばないと、先に進まないことなどなにもありません。
それも正解というものがあるとすればですが。

まずは一歩を踏み出しましょう。

千里の行も足下に始まる老子第64章




気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 




[関連記事]
あとにしよう
神を信じよ。だがラクダをつなぐのを忘れるな。


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







神を信じよ。だがラクダをつなぐのを忘れるな。

「神を信じよ。だがラクダをつなぐのを忘れるな。」

この格言は、神様を信頼することは大事であるが、ラクダをつないでおくことは自分でできることだから、きちんとやりましょうと言っているのです。

もとの話は、弟子がラクダの管理を頼まれたのに何もしないで寝てしまったら、翌朝ラクダがいなくなってしまったという話だったと思います。
弟子が「神様を信頼していたので」というようないいわけをするのに対して、師匠が言った言葉ですね。

これは、重点の置き方によって、二通りの解釈が考えられます。

A.「神を信じるにしても、自分でできることは精一杯、真面目にやらなくてはいけないのだ。」
というように、努力を怠るなという戒めに解釈するのがひとつ。

B.「先のことはわからない、できるのはラクダをつなぐことぐらいだ。あとは心配するな。」
こちらは、何もかも自分でコントロールしようとすることへの警告です。

この2つの解釈ですが、Aの方は充分わかってますよ、と言える人が多いのではないでしょうか。

一方でBの方はわかっていても、つい心配でとらわれてしまうという方が、案外いらっしゃるかも知れません。

ラクダをつなぐという行為は、逃げられると困ると思うからですが、それほど心配のあまり行う行為と言うよりも、当然やるべきことといった方がいいでしょう。

しかし、ラクダをつないだけれども、寝ている間に盗まれたらどうしようとか、いろいろ考えて眠れなくなるのは、どうなんだろうということです。

できることを全てやったら、あとは信頼して起こるに任せることです。
その結果、たとえ望んでいないことが起きたとしても、それは受け入れるしかありません。

ラクダ1


しかし「そうはいっても、私は心配でいろいろなことを考えてしまうんです。」という方も多いような気がします。

これはどこまで心配するかという程度の問題ですが、あまりにも気にしすぎるなら、普段の生活にも支障を来すことにもなりかねません。

心配を切り捨てるには、きっぱり切り捨てることが大事なように思います。

ラクダをつないだら、それ以上できることはないと、きっぱり言い切ることです。

心配だから少し起きて見張っていようとか考え出すと、思考の暴走は止まらなくなってしまいます。次々と心配なことが頭に浮かんで、朝まで眠れなくなってしまうのです。

このような心配性を根本的に直したいという人には、こんな方法もあります。

あなたが心配したことと、その結果どうなったかの記録を付けることです。
結果がたまってきたら、あなたの心配と起きてきた結果の関係を見てみましょう。

あなたが心配することに充分努力をしたから、全て期待通りになったでしょうか?
それは、心配しなかったら違った結果になったでしょうか?
あるいは心配が足りなかったから、悪い結果が起きてしまいましたか?

あなたがコントロールできるのはどこまでかを見極めることが大切です。

あなたがコントロールできること(ラクダをつなぐまで)と、コントロール出来ない事を見分けて、できることをやったら「あとはおまかせ」と割り切ってしまいましょう。

これぐらいのことと軽く見ていると、小さな積み重ねが心労を大きくして、健康に支障をきたすこともありますから注意しましょうね。


気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 




[関連記事]
受け入れるという道
どうにもならない事実を認めること
何も出来ないことは放っておきましょう


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







かもしれない

私の文章は「かもしれない」が多いと指摘されることがあります。

それは、単に私の文章力の未熟さから来るものかも知れません。おそらくそれは多分にあります(笑)。

しかし、一方で断定を避けるために「かもしれない」を使おうとしているという一面もあるのです。
こころの問題というのは、簡単に断定できるものではありません。

心理学や精神医学、脳科学といったものも、人の生き方に方向を示せるほどの確信が持てるものはどれひとつありません。

また、なにかが確実な見解を持てたとしても、それは個々の人間にそれを強要するようなたぐいの話にはならないでしょう。

あくまで、決めるのはあなた自身なのですから。

たとえば、エンターテイメント小説であれば、主人公はものごとを断定的に言い切った方がいいでしょう。

読む人は、主人公が自分の代わりに、確信を持って出来事を処理していくことにカタルシスを感じるわけです。

ですから主人公はタフガイで、読者の代わりにものごとの白黒をはっきりさせてくれることを期待するのです。

ヒーロー

読者もそのような期待から割り切って読んでいるのですから、それはそれで問題ないのですが、現実のこころの問題を扱う場合はそう簡単にはいきません。

マニュアル依存の社会では、こころの領域にまで、誰かに答えを出して欲しいと期待するかも知れません。

しかし、それに乗っかって、安易なハウツーを示す事は控えるべきだろうと思うのです。

そのようなものは、一時的に問題を解決したように思えても、他の人の解決法は自分にそのまま当てはまるものでは無いからです。

あるいは、何かのカリスマを作りあげて、自分の判断に不安を持つ人に断定的に語ることは、怪しげな宗教になってしまいます。

それが人を救う内容であればいいですが、いい加減な内容でブランディングを狙ったものであるなら、それはあまりにも無責任で有害なものになってしまいます。

最初の書き出しとは裏腹に、断定的な文章が続きましたが、時には断定が必要な場合も在ります。

たとえば、その人があまりにも極端な偏りを示していると思えたら、いったん断定的に「それは違う」とストップをかけなければなりません。

それによって、その人が自分で両方の側から判断できるだけの選択肢を選べるようにしてあげれば、その後はその人が自分で考えることができるわけです。

しかし、そういう場合でなければ、あまり自分のこころの内容を断定してしまうことは、こだわりや思い込みを作り出してしまいます。

言う前までは両方の可能性を考えられていたのに、いったん自分が断定的に発言してしまうと、その考えを守るために、その後の自分の判断にまで影響を及ぼしてしまう可能性があるのです。

「かもしれない」は断定することを保留するということです。
それは、役に立つ、立たないという指標からみると、あまりいいものではありません。

いまや携帯電話を持っている方は多いと思いますが、携帯のマニュアルというのは分厚くてわかりにくいものが多いですね。

そのひとつの理由は、マニュアルが設計者や技術者の視点から書かれているからではないかと思うことがあります。

携帯電話寝てる


例えば、「○○という操作は、AとBとCのボタンメニューから行うことができます。それぞれの操作は各メニューの解説をお読み下さい。」といった感じです。

設計者や技術者にとっては、システムの全体像を把握することが必要です。
それにはトップダウンで説明されている方が都合がいい場合もあります。

しかし、わたしたちエンドユーザーは、別にその携帯電話のエキスパートになりたいわけではないのです。
メニューの階層ではなく、必要な機能の操作方法をすぐに知りたいと思うわけです。

そこで複雑な操作が必要になるにつれて、メーカー側も簡易マニュアルを用意したり、ショートカットばかりをまとめたメニューを工夫したりするようになってきているようですが、まだまだマニュアル本体はまどろっこしいものになっています。

ところで、わたしたちのこころを扱う場合にはどうなのでしょうか。

わたしたちのこころも、社会が複雑になるにつれていままでになかった問題を抱える可能性があります。
あるいは、いまの社会がどのような面に重点を置いているかによっても、わたしたちも影響を受けざるを得ません。

いろいろなことを取り込まざるを得ない分、わたしたちのこころは複雑になり混乱をきたしています。

機械のように簡易マニュアルに頼って、とりあえずの対処方法を知ろうとするやり方は、個別の問題を取り逃してしまいます。

何かひとつの切り口でスパッと問題を解決しようとするのは、期待する気持ちはわかりますが、いずれ限界を知らされることになります。

結局は、まどろっこしくても、ひとつずつ丁寧に扱うしか根本的な解決は望めません。

技術者がシステム全体を把握しなければならないように、わたしたちも妥協しないで、こころとつきあう必要があるかも知れません。

耳障りのいい情報だけを集めていては、本当の自己を取りのがしてしまいます。

一時的には、確信が揺らぐようで不快に思っても、有害な思い込みはいったん切り捨てる勇気も必要になるのです。

辛抱強く扱ってあげないといけないようですね。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 




[関連記事]
客観視できる自分
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-90.html
世界を止めてみる
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-231.html


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







今日はいい日だった

A.チャーリー・ブラウン
今日はいい日だったな・・・バカなことはひとつもしなかった・・・」
B.ルーシー
「じゃあ、何か気のきいたことはしたの?」
A.B.
「・・・沈黙・・・」

わたしたちの普段の暮らしでは、Aのように悪いことが起こらなかったことを喜ぶか、Bのように役に立つ働きをできたかどうかの反省が、メインテーマになりやすいようです。

片方によかった出来事、反対側に悪い出来事をおいた軸上で、今日の自分を評価しているかのようです。

しかし、よかった、悪かったと感じる評価はいろいろな要素が入り交じっていると考えられます。

  男の子オー          女の子ベンチ


仮に、客観的な出来事の評価軸(現実の軸)、あなたが考えた評価軸(思考の軸)、あなたが感じた評価軸(感情の軸)というものを想定してみましょう。

現実の軸 よかった <----------------|------------------> 悪かった

思考の軸 よかった <----------------|------------------> 悪かった

感情の軸 よかった <----------------|------------------> 悪かった

現実の軸は、あなたがどう考えていたかや、どんな気分でいたかに関係なく、現実に起きたことを評価します。

思考の軸では、あなたの考える物事の評価軸です。
これはあなたの普段の思考パターンに大きく影響されます。

思考パターンは人それぞれ無数に存在するでしょう。
チャーリー・ブラウンのように失敗をまず思い出して悲観的に物事を捉えやすい。
自分の努力の度合いで物事の結果も決定されるという信念を持っている。
自分の考えたことが現実を左右すると信じるひとである。
自分の考えを持ってはいけないと信じ込んでいる。
などなど。

感情の軸は、あなたが感じる出来事の善し悪しを軸にしたものです。
これはあなたが普段抱きやすい感情傾向に大きく左右されます。
基準になる感情の位置は、ひとによって異なります。
基準が悪い方に偏っているひとは、まん中くらいの出来事であっても、いつもよりよく感じられるかもしれないといった感じですね。

3つとも仮想の軸ですが、特に思考と感情の軸は、お互いに影響しあうものですから、独立した軸としてみるのは難しいかも知れません。
思考が感情を生み出しますし、逆に思考は感情に影響されてしまうからです。

さて、わたしたちが1日を振り返ったとき、いい日だったと感じるかどうかは、どのように決まるのでしょう。

思考は、もともと物事の問題を解決する方向で働くものです。
現実の軸で結果がまん中だったとすると、思考は出番がないので退屈します。

退屈なので、なにか問題を作り出そうとするかもしれません。
いつも気になっていることを思い出して、特に必要も無いのに、今日も考えておくことで満足しようとします。

あるいは、他の人との関係において、おなじみの感情を味わうというゲームを演じたくなるかも知れません。これはあなたの感情の軸に影響されます。
感情の軸からみて、刺激が足りないと思えば何かイベントを発生させようとするのです。

あなたの思考パターンからして、ほどよい出来事が起きると、リアルに感じ適度な満足感を得られます。今日は安心して眠れると感じるかも知れません。

あなたの思考パターンでは手に負えないような出来事が起きると、あなたはどう考えていいのかわからなくなり、いつもの思考パターンが役に立たないという事実に直面します。
あなたは、新しい思考の拠り所をさがす必要を感じることになります。

そんな場合には、現実の軸と比べて大きく偏った思考の軸を作りあげるかも知れません。
たとえば、これは見かけほど重大な問題ではないと過小評価しようとする適応の仕方をするのです。
逆に大した問題が無いと、いつもは無視しているような小さな問題が、格上げされて考えるべき問題になったりします。

以上書いただけでも結構入り組んできましたが、今日がいい日だったかどうかは、実は現実の出来事で決まるような単純なものではないだろうと想像できます。

それでは、どうやって混乱しないで、自分とつきあっていけばいいのかというのが問題ですね。

まず、「現実の軸」にできるだけ忠実であればいいかというと、そんなに簡単ではないのです。

それは、思考や感情というのも、あなたにとっては現実であるからです。
出来事からどんなに遊離していようと、いまのあなたにとっては、あなたの思考や感情がリアルなものなのです。

それらをむりやり変えてしまっても、見せかけの自分と本心からの自分を、分離させてしまうだけです。

まずは、あなたの思い込んでいる「わたし」がどんなものかに気づくことです。
それには、これこそがリアルな自分だと思えたとしても、いまの「わたし」とは誰かと問いかけてみることです。

ほとんどの「わたし」とは、あなたが両親や兄弟、身近な人達から取り込んだ信念から出来上がっています。

あまり「これは、わたし独自の考えだ」というような幻想を持たない方が、柔軟に対処できると思います。

思い込みや信念を見分けるには、それに対する反論に対して自分がどのように反応するかが目安になるでしょう。

他の人からの反対の気配を感じただけで、動揺し始める自分を感じたら、その正しさを守ろうとする防衛が働いているということです。

それがどれほど強いかで、あなたの思い込みも発見できるのではないでしょうか。

混乱の原因である、あなたが作りだした「守るべき自分」を無くしていくということです。

守ろうとする自己を抱えることは、あなたにそれを維持するためのエネルギーを使わせ、価値観にはゆがみを作り出します。

柔軟な発想ができるほど、あなたの思い込みは取り除かれてきていると言えるでしょう。

参考
いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント
エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02




気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 




[関連記事]
客観視できる自分
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-90.html
プライドを捨てよう
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-98.html


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







落とし穴から抜け出す

わたしたちは、解決できない問題を抱えて、身動きがとれない状態になってしまうことがあります。

いくら頑張っても、結果はよくならず、解決の見込みが見えてこないのです。

悪循環、堂々巡りを繰り返し、どうやっても落とし穴から抜け出せないと感じるのです。

このような堂々巡りを繰り返す場合の問題点とは何でしょうか。

こういった場合に多く見られる原因として、次の点を疑ってみましょう。

あなたは、今までに成功したことのある古いやり方に固執しているのです。

それは、かつてうまく働き、問題によっては今も有効な手段です。
しかし、そのやり方は、今の問題を解決するのには適していないのです。

あなたは、これしか方法はないかのように、その方法にしがみついていて、方法を考えるよりも少しでも動くことで現状を変えようとしているのです。

しかし、いま目の前の問題にとっては、そのやり方を取っていること自体が、問題を解決できない原因になってしまっているのです。

悪循環に陥った場合、わたしたちは方法を変えようと言う発想に切り替えることが難しくなります。

その結果、上で述べたように問題は行動や努力が足りないことにあると考えて、がむしゃらに突き進もうとしてしまうのです。

そんなとき、あなたは計画を見直すことが20、作業に取り組むことが80になってしまうのですが、そういうときこそ、この数字を逆転させて勇気を出して計画を見直す必要があるのです。

悩むサラリーマン


蟻地獄のような落とし穴は、抜け出そうと外に向かってよじ登ることで、砂が崩れて余計に深みにはまってしまうのです。

そこで必要なことは、以前にはうまくいった、いまのやり方そのものに問題があることを認めなければなりません。

そして、がむしゃらに行動を起こして動き回るのではなく、冷静になって作戦を立て直す時間を持たなければなりません。

たとえば、あなたの問題が、いつも作業が多すぎて時間が足りないことにあるとします。

あなたは、A,B,Cという3つのプロジェクトを抱えています。

Aは、作業の見通しは立っているが、それを終わらせるには時間を取られることがわかっています。
Bは、1回の作業量はそれほどでもありませんが、間をおかずに繰り返し作業を続けなければなりません。
Cは、A,Bの中間で、作業間隔はBほどではありませんが、放っておけるほどの余裕はなく、作業量もAとBの中間くらいです。

あなたは、どのような優先順位でこれらをこなせばいいか悩んでしまうのです。

どの順序でやろうと、余裕を感じられるスケジュールにはならず、結局あなたは片っ端から作業をこなすのが一番だという信念を持つに至ります。

「考えていても自体は解決しない、考えるより行動だ。」という戦略にでます。

もちろん、このやり方が正しい場面はあるでしょうし、かつてはそれでうまくいった場合もあるのでしょう。

しかし、あなたは一向に余裕が持てない、今の作業まみれのやり方に疲れ切っているのです。

ひらめきOL


1.いまのやり方そのものに問題がある

どのように作業をこなしても、時間的な余裕をもたらす解決はない。
これを認めなければなりません。

2.作戦を立て直す時間を持つ

まず問題はあなたの努力の仕方ではなく、作業の見積もりにあることに気づくことです。

そして、何でそのような無理な見積もりを立てることになったかの原因をつきとめることです。

たとえば、このようなことを検討してみることです。

それぞれの期限は、動かせないものですか?
A、B、Cの3つは、どうしても平行してやらないといけないのでしょうか?

原因がどこにあるのかは、さまざまでしょうが、無理なスケジュールを強行しようとするのには、なにかの心理的な原因が潜んでいるのかも知れません。

たとえば、「いつでも目の前の課題は最短時間でこなすべきである。」というような信念があるとしたらどうでしょう。

そういう考えが支配的であると、実は余裕を持ってもいいときでも、最短期間で作業しようと考えるかも知れないのです。

このような信念は、多くの場合強迫観念となっています。

かつてそうしないといけない時があったのかも知れませんが、いまでもそれを破ることが、あなたに恐怖や不安をもたらすのです。

それから、問題の解決はその時の問題に特有の解決方法を考えるよりも、その後も再現可能な解決方法を見つけることです。

その場だけの対処療法は、往々にしてあなたの古いやり方の繰り返しを採用することにつながるのです。

そしてそのようなやり方では、また問題を繰り返すことになる場合が多いのです。

根本的な原因が、あなたのなにかの信念にあったとしたら、それに取り組まないかぎりスッキリした解決法は望めないということです。

また原因がはっきりとわかった解決法は、次の機会にも利用可能なものになるのです。


気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 





[関連記事]
ダンゴムシと迷路
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-31.html
あなたが見たくないところに答えがある
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-154.html

ACR WEBブログパーツ

テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







あの人のいうことは理解できない2

基本的には前回と同じなのですが、今回はあなたが本やネット上の文章を読んでいて、理解できない、あるいは理解したくない文章に出会った場合を考えてみましょう。

ところで、読みにくい文章とは言っても、文章自体の書き方が悪いとか、よくまとまっていなかったり、主旨がはっきりしないという場合もあります。

そういったものは、今回の話題とは直接関係ないので除外して考えます。

あなたは主旨のよく解る、うまく書かれた文章を読んでいるとします。

あなたは、読み始めるとすぐに、すらすら読めて嬉しくなってくる文章に出会います。

あなたは、何度もうなずきながら、いいことを書くなあと感じつつ読み進めることができます。

それは、あなたの考えと一致しているし、あるいはあなたの曖昧だった考えを、うまくまとめて教えてくれるものです。

それは、あなたに抵抗を起こさせないし、あなたの考えに自信をもたらしてくれます。

ひとは、自分の考えていることを、他の人がその人の言葉で書いてくれるのを見ることが好きです。

笑顔OK女性

おそらくそれは、あなたの考えが自分だけのものでないと知らせてくれて、あなた自身の考えに自信を持っていいのだと教えてくれるからかも知れません。

あるいは、あなたの孤独な感じを癒してくれるのかも知れません。

さて、その一方で、あなたは10行も読まないうちに、何か違和感を感じ始める文章というのもあります。

あなたは、最初の部分を読んだだけで、「この人は間違っている」とか「これはよく解っていない人の考えだ」とか思い始めるのです。

あるいは、それはなにかこの文章を読むと自分が不安になると、予感させるものかも知れません。

あなたは、もしそれ以上読まなくてもいいとしたら、そこで読むことをやめてしまうかも知れません。

どうしても読まないといけないとしたら、最初の先入観にとらわれたまま、その考えを拒否しながら読むことになるかも知れません。

考える若者


すべてがそうだとは言いませんが、このような文章は、今のあなたのありかたに対する、挑戦だという考えをもたらすのです。

あなたは、わき起こってくる抵抗を感じるのです。

あらかじめ、拒絶する構えが出来上がっていると、読んだフリをして忘れてしまおうとするかも知れませんが、よく注意してみていれば、そこにはあなたの抵抗が存在します。

その考えを間違っていると否定するか、そんなことは考える必要ない馬鹿げたことだと考えるか、なんとか理由を探して自分を納得させたくなるのです。

正直なところ、そんな自分を不安にする可能性のあることには、近づきたくないのです。

その文章が言っていることは、あなたが避けている問題に直面させる内容なのかも知れません。

あるいは、それを受け入れると、今の自分の自信がぐらついてしまうと感じるのかも知れません。

いずれにしても、あなたはそこから目をそらせたくなるのです。

ところで、最近のニュース番組では、必ずといっていいほどコメンテーターなる専門家が登場します。

あなたが、白黒つけたい問題を、どちらにすればいいのかを、あなたに変わって考えてくれる人です。

あなたは、お気に入りの番組を見て、自分の今の考えを維持させてくれると安心するのかも知れません。
あるいは、チャンネルを変えたくなる考えを聞かされるかも知れません。

フクロウ読書


では今回のポイントになる点に話を進めましょう。

あなたが抵抗を示すことというのは、あなた自身の潜在的な問題を明らかにしてくれるものである可能性が高いのです。

それは、いまは見たくないと思っていて、見ないようにしていますが、何度もあなたの前に現れて問題を感じさせることになるものなのです。

問題が存在しなければ、そもそも抵抗を感じることはありません。

このようなとき、どう扱うかはあなたの自由です。

今はまだ、その時でないと思えば、先に延ばすこともできます。

いずれその問題に直面するときが巡ってくるのだから、いま考えてみようと正直に思うなら、あなたは一つの障壁を乗り越えるチャンスとなるかも知れません。

あなたが、今のままを保護したいと思っている考えと、それに対立するか、あるいは今の自分の自信をぐらつかせるような考えが、そこに現れているのです。

二元対立する考えは、どちらか片方に寄ってしまうことで、反対側を見えなくする対処もありますが、それでは、いずれ反対側に振り子が振れてきたときに問題を再現することになります。

両方の存在を受け入れて、その対立を超えていくことは、決して易しいことでもないし、今の自分を一時的に不安定にするものかも知れません。

しかし、その見返りは、充分大きいものになるでしょう。

そんな考え方は、とんでもないと信じていたことが、実はそうではなかったのだと発見をもたらすかも知れないのです。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 




[関連記事]
あの人のいうことは理解できない
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-150.html
解釈しなおしてみたら
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-77.html
客観視できる自分
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-90.html
プライドを捨てよう
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-98.html

ACR WEBブログパーツ

テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







ほんものの自己

わたしたちは様々な場面で、ひとりの人間でありながら多くの役割を演じています。

そして、いつのまにかその役割自体が、自分そのものだと思い込んでいることが、ほとんどかも知れません。

父親、母親、兄弟、夫、妻、上司、部下、厳しい指導者、ひとのいい友達などなど。

その役割というのは、まわりの状況から、それを次第に身につけざるを得なかったのかも知れません。あるいはそんな中で自分にはこれが好みだ、というものを自ら選んだのかも知れません。

役割を演じるとき、最初はそれは演じているものだったかも知れませんが、そのうちに何が本来の自分で、なにが役割なのかが分からなくなっていきます。

そのうち、「わたしとはこういう人間なのだ」というように、自分自身にも、他の人に対しても宣言するようになってきます。

しかし、それはいつまでたっても、役割であることには代わりありません。

そして、その奥に隠れてしまった「ほんものの自分」というものを、いつまでも無視していると、わたしたちは、いつも何か物足りない人生を、生きていることになってしまいます。

デーヴィッド・ケスラーは、死の床にある女性に「いまの自分はどんな自分ですか?」とたずねました。

「自分に期待されている役割がいろいろあって、その役割のなかにいたときのわたしは、とても凡庸な、通俗的な人間になっているような気がしていました。わたしのじゃなくて、その他おおぜいの人たちのでもよかった人生を生きているような感じ。ほかの人の人生とどこがちがうのかしらって、いつもおもっていたわ。
でも、病気になって、よくわかりました。世界にわたしというものは、このわたししかいないんです。わたしが世界をみたり経験したりしているのとまったくおなじように世界をみたり経験したりしている人は、ほかにだれもいません。だれもできるはずがないんです。時間がはじまったときから時間がおわるときまで、もうひとりのわたしなんて、ぜったいにいないのよ」

ライフ・レッスン』 エリザベス・キューブラー・ロスデーヴィッド・ケスラー 角川書店 2001-11



叱る母親 子どもと遊ぶ カップルお茶

ほんものの自分は、忘れられているだけではなく、いまやそれを表に出すことに苦痛を感じる様になってしまったものもあるでしょう。

いまの自分の価値観からすれば、受け入れるわけに行かない自分というものは、それが顔を出そうとするときに苦痛をもたらします。

そんなのは自分ではないと否定したがるのは、多くの場合、意識しやすい部分、自分の信念などに囲まれた自分です。

しかし、それが本当のあなた自身である限り、それを押さえ込むことは、あなたを全体として扱えなくすることにつながるのです。

一部分を隠し続ける限り、あなたはそれと結びついた自分を解放することが出来ません。

それが、なにか本当には生きていない、という感じをあなたにもたらすのです。

あなたが、これはほんものの自己であることを認めるようになったとき、いろいろな気づきを持つかも知れません。

あなたは、自分の家族の面倒を見て、いつも自分のことは二の次にしていたのに気づいて、もっと自由に自分のやりたい「道楽」をみつけるかもしれません。

あなたは、自分がいつも「いい人」でなければいけないと思って、自分の感情をころし、他の人をあざむいて自分を演じていたことに気づくかも知れません。

そして、これらの制限を外したとき、それでも、ありのままの自分でも、人は自分のことを嫌いになるわけではないと発見するかも知れません。

2つの感情


あなたは、自分の行動や信念が、実は恐れから作られたものであったことに、気づくかも知れません。

あなたが、何度も「正しさ」を主張したくなったり、「こんな人間は許せない」と強く感じる時、その裏側には何かの恐怖が潜んでいるのかも知れません。

自分の利益を考えたとき、そうするしかないと感じて、無理やり自分のあり方をつくりあげ、その正しさを裏付けてくれる意見ばかりを、ひとから求めていたかも知れません

世の中とはそんなに甘くないと主張するのは、自分の苦労を他の人も味わうべきだと思うからかも知れません。

「自分の言うとおりにしなさい、これが正しいやり方だよ」と主張したがるのは、相手が自分でものを考えるようになることで、もはや自分を必要としなくなるのを恐れているのかも知れません。

相手の才能のあら探しをするのは、自分の方が優位であることを見つけて、少しでも自分への評価の低さをごまかしたいのかも知れません。

社会の問題を追求し続けて、こんなひどい世の中なのだからといって、自分の問題に直面するのを避けているのかも知れません。

老夫婦1


苦痛のないことだけを認めていても、本当の自分は見えてきません。

しかし苦痛を感じてまで、自分を振り返ろうとしないのが、わたしたちが本当の自分を隠してしまう理由なのでしょう。

自分の余命が限られていることを突然知らされたり、あるいはほんとうの感情を告げないまま、相手との別れの時がきてしまったことが、あなたを変えるかも知れません。

しかし、それはその時まで待つ必要はないのです。

なにが、本当の自分を隠してしまっているのか、どんな役割にとらわれているのかを探ることは、本当の自分をみつけ、後悔のない生き方を取り戻すためには必要です。

自分がそれほど正しくなく、いい加減な人間であることを発見することは、実際にやってみればそれほど怖いことではないことに気づくものです。

それは、複雑なことではなく、どれだけ自分に正直になれるかどうかの決心次第といえるのではないでしょうか。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 




[関連記事]
短所を見なおしてみよう
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-57.html
客観視できる自分
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-90.html
プライドを捨てよう
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-98.html

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







あとにしよう

あさって出来る事を明日やるな  マーク・トェイン

物事には、先に延ばした方がいい場合があります。

せっかちに、今すぐやろうとすることが、実は最大の失敗の原因であったということもあるものです。

ものにはそれを実行に移す、潮時というものがあるということですね。

ですから「何でも今すぐやる」というスローガンは、必ずしもおすすめできません。

しかし、その一方で今すぐにでも出来る事を、先延ばしにするという習慣はないでしょうか。

夢見る女性


あなたは「もう少しよくなったら」とりかかろうと思っていることで、リストをいっぱいにしてはいないでしょうか。

「もう少し景気がよくなったら」「もう少しよく勉強してから」「もう少しお金が貯まったら」「今の仕事が片づいたら」..などなど。

これらの中で、どれだけ先延ばしにする正当な理由をもつものがあるのでしょうか。

あなたが「いま」を100%生きている感覚を持てない理由の一つは、あなたがこのように「あと」という時間に生きようとしている為ではないでしょうか。

未来の計画を立てるのはいいのですが、それに時間を使っている間、あなたが未来に生きている時というのは、リアルさがありません。

そこでは今の「あなた」自身が関わっていないからです。

今この瞬間に生きることと、未来に生きることには、あなたが実際に関わっているかどうかの違いがあります。

夢見る男性


今のリアルな体験は、未来の想像の世界では感じられません。

あなたは、なぜか「いま」を生きることを避けて先延ばしにします。

もしかすると、いまを生きると、何が起きるかどうかわからないという不安を感じるからかも知れません。

未来の計画ごっこをしていれば、その世界では実際に物事は起こらないのです。

しかしその代償として、あなたは実際に生きた体験を得られないのです。

たとえば、あなたは30分後に目的地に着くために何故か急いでいます。

実はそれほど急ぎの用事でもないのですが、いつも計画の中に生きていると、とりあえず急いで済ませておこう、次の計画があるからとでも言うかのようです。

あなたは「いま ここ」に起きていることには注意が向けられません。
あなたが生きているのは「30分後 目的地」なのです。

あなたは、そこに行くまでの景色など目に入りません。
きれいな花畑をみても、ぼんやりした模様でしか在りません。
川に泳ぐ水鳥も、水に浮かぶただの物体です。

アウトドア親子


しかしあなたは、いまを未来に生きながら、いつか時間が出来たら自然の中でゆったり景色を眺めてみたいものだと、計画表に追加するのです。

「あと」にする癖は、あなたの唯一の「いま」の瞬間を、未来への思考の時間に置き換えてしまうのです。

だから、いつもリアルでない時間と場所に生きることになるのです。

もっと生きている実感を味わうためには、ちょっと自分の関心の向け方を変えてやるだけでいいのです。

計画癖を空想癖を改めて、いま目の前のことに注意を向けて、それを楽しんでみようとするだけでいいわけです。

未来の思考の世界に生きることは、多くの場合「不安」を作り出します。
あなたは、いま生きることの恐れを避けるために、いまには存在しない不安を作り出すことになるのです。

じつはその恐れは、普段から未来の思考にばかり生きている習慣が、もたらすものかも知れません。

あなたは、とりあえず今すぐには、何も起こらない未来にいれば、居心地がいいことを覚えてしまった。
ぬるま湯につかっていると、そのままいるのも中途半端だけれど、お湯から出るのも寒いからいやだ、というようなものです。

いますぐ実行しない理由探しに時間を使うよりも、いましか体験できないことをやってみてはどうでしょう。

潮時はいまです。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 





[関連記事]
とりあえず動くこと
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-16.html
ストレスに強い人は...
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-26.html

 


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







脳の働きと意志の関係

脳の研究で被験者がボタンを押す行動をする時の、脳神経の働きを調べる実験があるそうです。
この実験では被験者は「いつでも好きな時にボタンを押して下さい」といわれています。

機械の実験

 
普通に考えると、まず人が「ボタンを押そう」ということを考えて、その後に脳に司令が行き、手や指先の動作に対する命令が伝わると思うでしょう。

しかし、この実験の結果では、ボタンを押すという意志よりも前に(長い場合1秒も前に)脳の「運動前野」が活動を始めていたのだそうです。

つまり、まず脳の働きが発生し、次にボタンを押すという意志活動が起こり、最後に手を動かす指令が実行されるという順番だったのです。

そして、ではこの最初の脳の働きがどこから来たのかを考えると、脳の神経細胞の電気活動のゆらぎによるものと説明されるそうです。

これは、この実験の例でわかりやすく言えば、被験者は自分ではボタンを押そうと思った時に押したと感じているでしょうが、実際には「たまたま」そのタイミングでボタンを押したということになります。

このように人間だから意志の働きで全て行動しているという信じ込みも、あまり確かではないと言うことがわかってきています。

これは、人間がもっと低レベルの生物から進化したことを考えれば、当然のことかも知れませんが、意志の働きを絶対視するのも考えものだと言えるかも知れませんね。

「なーんだ、そんなにいい加減なものなら、好き勝手に気楽に生きればいいじゃないか」ということですが、これをどうとらえた方が自分に適当かは、自己責任で考えて下さい(笑)。


それから、脳が先に命令を出したのだから、自分の意志の働きには責任を持てないと言うことにはなりません。

先に脳が働きだしたとしても、その命令を行動を起こす前に中止する命令を出す時間は充分にあるということですから、行動の中止には自由意志が働くということです。

まあそうはいっても、何か具体的な行動目標があるのなら、そのための行動が発生しやすい環境に自分を置く方がいいことは想像できますし、でたらめに行動していいことにはなりませんね。

休むネコ


ですから何もしないでおいて、「やろうという意志はあるんだけなあ」などというのは、やる気にもならないでしょうし、そのいいわけのままの結果を向かえる可能性が高いと言うことですね。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 





[関連記事]
とりあえず動くこと
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-16.html
自由は自分の内から
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-64.html
ダンゴムシと迷路
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-31.html

 


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







プライドを捨てよう

自分の弱点は誰でも見せたくないものです。
しかし、それを見せまいとして自分を鎧で守り出すと、鎧の重みで身動きがとれなくなります。

あなたが、外に見せる為の自分を作り上げることは仕方がないことですが、あまり大きなものにしてしまわない方がいいでしょう。

取り繕った自分は、砂で築いた城のようなもので、ちょっと攻撃を受けるとズルズルと簡単に崩れ去ってしまいます。

大きな城を築くほど壊れた時の被害は甚大になります。

自慢


あなたが思っているほど、あなたの見せかけは完璧なものではありません。
周りの人が気を使って触れないでいてくれているか、あるいは相手があなたに感情移入していて気づかないだけかも知れません。

そんなことを無視してあなたを正面から非難する人に出会うと、あなたはあたふたとして、取り繕うことに必死でもろさが露呈してしまいます。

そうなると相手のことはかまっていられません。今までの上品さとはうって変わって相手への攻撃に転じることにもなりかねません。

見ていてみっともないので、できるなら早めにこういうものは手放した方がいいでしょう。

ただそれでは、自分の弱点を見せればいいと言っても、頭ではわかってもそれがすぐに実行できるものではありません。

普段からそれに気をつけて、少しずつ手放すよう様にするしかありません。
またそれには、自分の弱点と向き合うことがまず必要になります。

しかしその努力はあなたを身軽にします。

ピース


崩れることを心配して城を守っている努力は、あなたの殆どのエネルギーを使い果たしてしまうことにもなりかねません。
いつばれるかを気にして、気が休まることがありません。
それを考えれば、手放した方がずっと楽になれます。

うしろめたさは、あなたが自分で抱え込んだものです。自分で手放すしかありません。
それはあなたをがんじがらめにしかねません。自信を持って自由に行動できなくなります。

それにわかっていながら相手の嘘につきあわされるのは、相手にとっても疲れることです。
すっきり相手が弱点を見せてくれた方が、気楽につきあえるものでしょう。またそうすればあなたの周りにはそういった正直につきあえる人が集まってくるというメリットもあります。

少し話は違うかも知れませんが、最近TVや新聞などで謝罪広告をよく見かけます。
最近は昔は無かったような、情報漏洩の謝罪などもよく見かける様になりました。

このような広告は、きまって「みなさまには大変ご心配とご迷惑をおかけしまして。。」で始まるのですが、見ていて何かスッキリしないものを感じませんか。

こんなことを言うより、「ヘマをしてしまいました、ごめんなさい」といわれる方がよほどスッキリすると思いませんか。

もっとも、どれも同じような文面なのを考えると、先に自分の非を認めると保障問題とかで不利になったりするような理由があるのでしょうか。

企業ならともかく、政治的な駆け引きを個人の生き方に持ち込むことは、非常に危険な気がします。自分自身がわからなくなって、精神のバランスを崩してしまいます。

失敗を認めずに、そんなものはなかったように取り繕っているのを見ると、うんざりしてきませんか。どこかの国の国政選挙を思い出すような。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 





[関連記事]
客観視できる自分
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-90.html
短所を見なおしてみよう
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-57.html
無条件に自分をOKだと言えるかどうか
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-38.html
無条件に自分をOKだと言えるかどうか(2)
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-39.html

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







客観視できる自分

ひとは誰でも自分の欠点や弱点を認めたくはないものです。

自分の欠点を認めることは、自分を否定し非難することにつながるからです。
自分の一部を間違っていると認めることは、自分の存在を脅かす脅威と感じられるわけです。

ですからこのような認めたくないという反応自体は、正常な反応であるとも言えます。

しかし、一旦自分の欠点や弱点を、自分自身で認め受け入れられた時、ひとは一回り大きく成長した自分になれると言うことも確かです。

現在の自分を否定することが到底出来ないと思ってしまうのは、それを認めた後の自分を受け入れるものがないと感じてしまうからです。

しかし、子供にはなかなか出来ない、自分を客観視する自分というものも、大人になるにつれて育ってくるものです。

そしてそれが出来るようになるには、自分の欠点を認め、それでも自分を受け入れるだけの揺らがない強固な自分というものを持っている必要があります。

そのような自分が存在する時、ひとは自分の欠点も客観的に見ることが出来るし、欠点があるからと言って自分を否定してもう終わりだと思わなくてもよくなります。

欠点は欠点として認めて、反省するにしても、それで自分がへこたれてしまうことはないのです。

また欠点を認められると言うことは、自分自身で奥にしまい込んで、ひた隠しにしてきた感情を呼び覚ますことにもつながります。

たとえば先日の共依存の親子関係では、表面的には自己愛を満たすことの出来る関係であるため、なかなか自分の本当の感情に気づけない場合があるでしょう。

メンタル


実は、子どもは親に対して「怒り」を感じているのかも知れません。

しかし、共依存にある子どもにとっては、親に対して怒りを感じることなど、とても考えられないことだと感じている可能性があります。

本人は自分が親に対して怒りを感じていることなどあり得ないと思っています。

ですが、怒りの感情が認識されないままでは、子どもはいつも表面的には平和な関係にもかかわらず、何かやり切れない気持ちを抱くでしょう。

訳のわからないイラダチは、ときおりどこかで爆発して行動に表れるわけです。
それでも、怒りを感じている気づきは、なかなか得られないままかも知れません。

自分の怒りの発見は、何かのきっかけで起こるかも知れません。

たとえば親と離れて住むことになったり、自分の周りの人間関係に変化が生じた時です。これ以上、訳もなく外に怒りを向けることが出来なくなり、自分の内面の怒りの存在を認めるしかなくなったという様な場合です。

自分が実は怒りを感じていたのだと発見できたとき、そこにはすでに自分を客観視出来る自分が存在していることになります。

今まで自分が感じていたものが何かわからなかった状態から、それが親に対する怒りであったことに気づけるのです。

欠点を持った自分から離れて、それを客観的に見られる自分を持つことが出来たと言うことです。

そして、怒りを感じる自分でも、別にOKであり、それが自分の存在を脅かすものではないと信じられるようになったとき、ひとは自分の感情に対する束縛から飛躍的に解放されることが出来ます。

怒りの感情を認められたと言うことは、それまで認められず隠されていた他の感情についても、同じように認められる自分というものが育ってくるからです。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 





[関連記事]
無条件に自分をOKだと言えるかどうか
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-38.html
無条件に自分をOKだと言えるかどうか(2)
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-39.html
共依存(共生関係)とは
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-80.html
共依存から脱却するには
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-81.html
ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心の持ち方
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







「怒り」の感情について

All Aboutに「怒りを伝えるときに言ってはいけない言葉とは?」というのがあげられていたので引用してみました。

これは言い換えれば、怒りを挑発する、引き金になる言葉と言う言い方も出来るでしょう。

1 「だからお前はダメなんだ!」?人間性へのダメ出しをする
2 「どうせわたしは○○だよ!」?自分を卑下する
3 「あんたには無理だよ」?最初から不可能だと決めつける
4 「女の考えそうなことだ」?性別、出身地、家系、所属によるものだと決めつける
5 「他でもやってるんだろう!」?根拠のない憶測をする
6 「どうして○○みたいにできないの?」?他人を引き合いに出す
7 「あのときだって○○だったし・・・・・・」?過去を責める

キレずに「怒り」を伝える方法 - [ストレス]All About
http://allabout.co.jp/health/stressmanage/closeup/CU20050415A/


どうでしょうか?
人によって様々だと思いますが、どれかに特に反応しやすい傾向があったりするのを感じた方も多いと思います。

怒りは、生物的な低次の反応として他の動物にも見られる感情、行動ですが、人間の場合には、直接、身体的、生理的な要求の阻害が生じる場面よりも、もっと複雑化した怒りの方が身近に見られるのではないかと思います。

怒りという感情を持った場合に、実はその下に他の本当の感情が隠れている場合が多いと言われます。たとえば、悲しみや寂しさといった感情です。

これは、本当の感情を見せることで傷つくことを避けるための、防衛から来るのではないかと言われています。

叫ぶ主婦             怒る主婦1


たとえば、「だからお前はダメなんだ!」と自分がいう時、実は「優しく自分の身を案じてくれる相手の反応」を期待していたのに、それが裏切られたことからきているのかも知れません。
そういわずに「優しくして欲しい」と相手に伝えた場合、それは拒否されるかも知れません。

それがあまりにも自分に耐えられないと感じた場合、それが拒否されるくらいなら、怒りをもちいて、そのような本当の感情を自分は持っていなかったんだ、というように振る舞ったほうが安全だと考えるわけです。

怒りの感情への対処としては、それを抑える込んでしまうことは解決にはならないでしょう。
自分が怒っているということを認めること、感じることが、まずは必要なことです。

その上で、
・自分がどういう時に怒る傾向があるのか。
・怒りの表現の仕方はどのようなかたちを取りやすいのか。
といったことをを余裕がある時に振り返って知っておくこととです。
これは、自分の怒りの感情とうまくつきあっていく上で有効な手がかりになります。

また直接的な怒りの表現を使わない傾向があるとしたら、自分では怒っていることを意識できていないかも知れません。

怒りを感じる状況では、直接怒りを表す以外にも、引きこもってしまうとか、不平不満をため込んでしまう、あるいは自分を被害者にしたてることで怒りを隠すかも知れません。
このような傾向に気づかずに自分の怒りを隠していたのでは、、自分の怒りを認めたり、またその下に隠れている本当の感情が何であるのか知ることが出来ません。

困る主婦               困る


いやな感情は、他の感情でも言えることですが、なかなか認めるのがつらいものです。
しかし、一時の不快感を避けてそれを隠し続けることは、もっと大きな問題の原因になる可能性が高いと言えます。

あまりため込まないうちに、徐々に自分のいやな感情とも、つきあっていくようにするのが健全だと思われます。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 



[関連記事]
素直な人はやわらかい
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-41.html
他人の中に見る自分のこころ
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-35.html
他人から批判されたら
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-36.html
批判を恐れる心理
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-62.html
「私こそごめんね」
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-71.html

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







解釈しなおしてみたら

私たちは、過去の様々な経験のなかで、思い出すのも不愉快だったり苦痛だったりする経験や、ひどい場合はトラウマと呼ばれる様な経験を抱えているものです。

ところがこのような体験は、思い出すのもいやなことだから、なかなか本質が見えないままになってしまいます。

そして過去の出来事とは言っても、記憶の中に残っているのは、客観的なその事実そのものだけではなく、かならずその出来事に対する自分の解釈がくっついているものです。

実は、そのことを不愉快な思い出にしている原因の多くは、この「自分の解釈」の方に含まれていると考えられます。

ですから、その過去の思い出を変えたいと思うなら、過去の解釈をそのまま持ち続けるのではなく、いやだと思ってもその出来事と解釈にもう一度取り組んでみるのが早道だと言えます。

簡単には取り組めない様な強烈なものでは無く、少しいやな思い出だけど、それで解決するのならと取り組める様なものから試して見ることをおすすめします。

たとえば、
仕事のことで上司からだめ出しをされた。こちらの言い分など聞く余地がない、ひどい一方的な言い方だった。何もそこまで言うことはないのに。それにじゃあどうすればいいのかなど一つも説明してくれない。自分なら出来るのか。こんなやり方で、部下が動かせると思っているのだろうか。こんな上司は、どこかに飛ばされてしまえばいいんだ。もう顔もあわせたくないよ!これからも毎日こんな職場で仕事することを考えると耐えられない。もっといい上司のいる職場に行きたい。会社に行くのが憂鬱になってきた。なんでこんな目に遭わなくてはいけないんだ。自分はこの仕事に向いていないのだろうか?
などなど。

あって欲しくはないですが、このような出来事はたまに見かけることではないですか。
そう思えたら、その時あなたは第三者的な見方が出来ていますね。

そういった見方で、この例を考えてみます。

客観的にみて起きたこと
・上司が部下に仕事のできがよくないと批判した。
・批判の仕方は、部下が不快に感じる様なやり方だったようだ。
・もしかすると、上司の指導方法は改善の余地があるかも知れないが、部下の思い過ごしかも知れない。

先ほどの解釈では、後の方になるにつれ、あなたの主観から来る解釈の部分が多くなってきています。そしてこの部分があなたが思い出すのもいやな記憶に作り上げている部分だと言えるわけです。

その時はカチンと来たかも知れませんが、それをいつまでも引きずらせているのは、付属して付いてきた解釈の部分だと言えるでしょう。

案外、根本にあるのは、「お前が先に謝らなければ許さない」といった子供っぽい気持ちだけかも知れません。

         イー             すねる


本当にどうしようもない上司がいるものかも知れませんが、だとしてもあなたがそれで悩むのはばかげています。

上司を変えてくれないなら仕事をしない、と言い切るほどの行動を起こせるのなら別ですが、一般的には解釈を変えることで解決できることが殆どでしょう。

解釈を変えれば、あなたの上司を見る見方も変わってきます。
上司の方でも、やり方がまずかったと感じているかも知れないのです。

出来事としての現実は変わらないけれど、それがもたらしたあなたの解釈、捉え方というのは、変えていけるものです。

ストレスとして、いつまでも抱えていくかどうかはあなた次第です。
こんなことで悩んでいたのかと笑い飛ばして、どうせならもっといいことにエネルギーを使いましょう。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 





[関連記事]ストレスに強い人は...
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-26.html
「私こそごめんね」
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-71.html
嫌いな人とのつきあい方
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-52.html


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心の持ち方
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







他人の成功はラッキーだったから?

社会心理学で、基本的な帰属の誤り(Fundamental attribution error)という理論があります。

これは、個人の行動を説明するときに、個人の気質や個性面に原因を置きすぎて、状況的な要因を軽視しがちになるというものです。

つまり、たとえば誰かが大事な会議に遅れて来るという失敗をしたとすると、それはその人が普段から怠慢な人だから、とか責任感が足りないんだとか言った面を原因にしやすい傾向があるというのです。

その一方で、たまたま電車が遅れたのだとか、体調が悪かったのかも知れないといった状況による要因には、注意があまり向けられないのです。

また、この傾向というのは、自分自身の行動については逆の見方をする傾向があるという点も指摘されています。

ですから、自分の失敗に対しては、自分の能力の問題ではなく、たまたま運が悪かったんだという様な見方をしがちになるということです。

まあ、心理学を持ち出さなくても、そういうこともあるかなと思い当たることがあるでしょう。

原因については諸説あるようですが、我々が自分の精神のバランスを取るためには、ある程度仕方がないことかも知れません。

それは、全く逆の傾向を持ったとしたら、どういう影響があるかを考えてみるとわかるかも知れません。

気が晴れない

自分の失敗は、「自分には能力がないんだ」「うまくできる状況にあったのにやっぱり失敗してしまった」と考え、他の人の失敗は、「あの人ならうまくできたはずだ、運が悪かったんだ」と考えてしまいます。

一方、うまくいった場合には、自分のことは「たまたまラッキーだっただけだ」「いつもうまくできるとは思えない」と考え、他の人なら「やっぱり他の人は能力があるんだ」と考えてしまいます。

こういう考え方を続けていると、いつしかやる気がなくなってきて、いつも気分が優れない、「鬱」の状態になるのではないでしょうか。

そのような状態を避けようとして、無意識にこういう偏りを使ってうまくバランスを取ろうとしているのかもしれません。

まあこのことに限らず、人間の心理は、決して客観的で公平であるとはいいがたいと考えられます。日頃から少し値引きして考えた方がいいのかも知れません。

あまり物事を個人的に受け取らず、状況的な要因というのも公平に見ていけば、不要なストレスを感じることも軽減されるかも知れません。

そしてそれよりも、あまり評価したり裁くような傾向を減らして、「そういうものなんだ」と考えるようにすれば、悩みや苦しさを後に残さずに流していけると思いませんか。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 




[関連記事]
ストレスに強い人は...
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-26.html
頭のコントロールとこころの反応
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-33.html
頭のコントロールとこころの反応(2)
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-34.html
楽しいことは当事者意識で
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-68.html

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心の持ち方
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







投げ出したくなる時

「何もかも投げ出したくなる時」というのはどんなときなのか、急に知りたくなりました。
あまりまとまらないかも知れませんが、よかったら少しつきあって下さい。

まず「投げ出す」時の原因からタイプがあるかどうかを考えてみます。

「そんなに真剣に考えなくても」

だれでも緊張する状況が長く続くと、耐えられなくなってくるものです。
しかしこの傾向が特に強い人というのもいるようです。

「緊張する状況(プレッシャー)」をともかく避けたがる人です。
このタイプは、普段から緊張を嫌うため、物事に正面からまともに向かうのを厭がります。

その結果、真剣に考える場面になると「茶化して誤魔化そう」としたり、「そんなに真剣に考えなくても」といってみたりしやすい傾向があります。

自分では「そんなに深刻に考えなくても、物事はどうにかなるものだ」と考えている様に見えます。
しかし、本当にそれで解決しているのならいいのですが、向き合うことを避けるために、どこかで問題を抱え込んでしまう様な気がしないでもありません。

一見、脳天気に見えて実はどこかで悩んで落ち込むタイプかも知れません。
ともかく、緊張状態が続くと真っ先に逃げ出す行動に出るので、結果として何もかも放り出してしまいます。

「もう疲れたよ!タイプ」

このタイプは疲れてしまうのが、他の人よりもかなり早いのです。
そして「もう疲れたよ!」というのが、何よりも免罪符だと考えます。
あきらめが早いとも言えます。

自分を追い詰めてしまわない分、取り返しの付かない状況には陥らないかも知れません。しかし他の人から見ると、何か責任あることを頼むのは、躊躇する様になるかも知れません。反面こういう人になれたらいいのだが、と思うかも知れません。

「不安なことがあるともうダメ!」

このタイプは、追い詰められてそうなると言うよりも、普段から「不安なこと」があると他のことが何も手に付かなくなります。

こんなに不安なことを抱えているのに、他のことなんか考えられないのです。

不安というのは、具体的な悩みと違って、漠然としていて正体がわからない問題だと言えます。
しかし問題がどこにあるのかを、整理して考えていけば解消できる不安というのも多いわけですから、腫れ物に触る様にしないで、原因を追及する努力をした方がいいのかも知れません。

「気分の問題です!」

こころのもやもやがあると、何もかもいやになります。

こちらは、「不安。。。」のタイプとは少し違って、「気分の問題」にされるので、他の人はどう対処していいものか困ってしまいます。

理詰めで説得しようとしても、まずうまくいかないタイプです。

認知療法的なアプローチが有効なのかも知れません。

以上のタイプとは別に、いっけん状況のせいで、どうしようもなくて投げ出したくなるように見える場合があります。

「こんな毎日は投げ出したい!」

毎日、決まり切った仕事が待っているのです。
でもどれも投げ出してしまっては、すぐに困った状況に陥るので、投げ出すわけにはいかないのです。

毎日、毎日、ほんとにいやになってきます。
でも誰もこの大変さをわかってくれない。

抜けるに抜けられない、がんじがらめの生活というわけです。

問題は、状況にある様に見えます。
しかしこのようなことを嘆く人の多くは、少し休みを取ったりすると、再びこの同じ状況に戻っていって、こつこつと作業を再開します。

じつは、このような状況に陥る人は、もともと仕事を抱え込むのが好きなのかも知れません。
そうでなければ、もっと前の段階で逃げ出しているとも言えますから。

------
ここまで書いてくると、どれも決定的な「何もかも投げ出したくなる時」のようには見えてこなくなりました。

他にどんな場合があるでしょうかね。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 





[関連記事]

とりあえず動くこと
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-16.html
ストレスに強い人は...
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-26.html
「したくないことはしない」といえますか?
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-48.html
本当にやりたいこと
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-21.html
本当にやりたいこと(2)
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-23.html
もったいない
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-25.html

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







「無心の努力」自分の非力さを知る

私達は初めてのことに取り組む時には、一生懸命考えて恐る恐るながらも無心で取り組むのではないでしょうか。

そこでは、出来るかどうかわからないという不安や緊張感、そして集中力も伴っていると思います。

しかし少し慣れてくると、ついつい「これは自分の力でやったんだ」と思い込む様になってきます。

実は自分のやったことなど、ほんの少しで、せいぜい目標を立てて方向を示すぐらいだったかも知れないのです。

目的を決めて無心に取り組む時、何かそれをあと押ししてくれるような働きを感じることはないでしょうか。
自分の非力、無力を感じて、大きなものにゆだねて、自分を預ける時、
そのとき自分の力量以上の思いがけない力が発揮できるものです。

その成果が何の力で得られたのか、それを何と呼ぶかは自由ですが、
ここでは「無心の努力」という言葉で表現してみます。

背後で働いた力を、あるひとは潜在意識の力だとか、神様、ほとけさまが手助けしてくれたとか、あるいはタオの働きがあと押ししてくれたとか考えるかも知れません。

しかし呼び方はともかくその時の「無心の努力」が予想以上の成果をもたらしてくれるような気がします。

このことを忘れて、全部自分の力だと勘違いしてしまうと、現状にあぐらをかいて惰性で物事をやろうとしてしまうようです。

そうなると、遠からず行き詰まりを感じてしまう結果になるものです。
いままで順調にきたのに、ちょっとした慢心からうまくいかなくなったと感じられたら、もう一度スタート時点に立ち返ってみましょう。

その時の「無心の努力」を思い出してみるのです。
これがよく言われる、「初心に返る」ということでしょう。

またこのとき注意したいのは、努力すべきなのは、そのことの本質的な部分に対してであることを忘れないということす。
それを忘れて、二次的なことに過ぎないことに目を向けてしまうこともありがちです。

たとえば商売の基本は「お客さん」にあります。
「お客さん」を忘れて技巧に走ったところで長続きはしないものです。

このようなブログを書いていることについても、基本になるのはコンテンツです。
いかに読んだ人の役に立つ情報を提供できるかということに焦点を当てるべきです。

ブログの見かけというのも、読みやすいことに超したことはないけれど、そのことに必要以上に注意を払うよりも、内容のあるコンテンツを作ることに時間をかけるべきだと思います。

それを忘れて、ボタンをベタベタ張りつけたり(すいません(-_-;))することはおまけに過ぎないことでしょう。

技巧に走りすぎていると考えたら、初心に戻って本質的なことに焦点を戻すべきです。
何に時間をかけるべきなのかを、1から点検し直してみることです。

無心で本質的なことに努力を集中できれば、思いがけない力が発揮できるようになる。
汗をかかずに、どうせ出来ないとか、やる価値はないとか、そんな判断を下していたのでは得られない経験もそこから生まれてくるでしょう。

自分の力だけでやり遂げられることは、ほんのわずかだということを思い出して、初心に返って、無心に努力することを忘れないようにしたいものだと思います。



気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







誰が主人公か?

むかし交流分析の講座を受講した時に、こんなことをやったのを思い出しました。

「自分は○○ができない」を「自分は○○をしない」という風に言い換えてみるというものです。

これは、仕方なく犠牲になって何かをやらされているわけではなく、自分が主体的に行っていることだと宣言すると言うことです。

普段何気なく、「自分は○○ができない、仕方がないんだ、だって××だから」と言い聞かせてしまっていることを、自分が主体的にやらないことを選択していると言い換えてみる。

このことで、自分がどういう気分になるかを試して見るのです。

これを聞いて「なるほどね!」と思って終わりにすることも出来ますが、今振り返ってみて、非常に強力な可能性をもった試みだと思い直しました。

自分では常に主体的に選んで行動しているつもりでも、気がつくと「自分は○○ができない」的な考え方をしてしまっていることに気づくのではないでしょうか。

こんな環境にいるのだから、○○できないのはしかたない。
こんなに忙しいのだから、○○できないんだ。
仕事だから、○○をやらないわけにはいかないんだ。
などなど。。。

女の子腕組み


「仕方なくやっている」というのは、誰のせいだと言いたいのでしょうか。
これを「しなければならない」と判断したのは自分だと言うことを認め、主体的にやっていることだと宣言してみる。

そう思い直せば、同じことでも誰かの(何かの)犠牲になっているという考えから解放されることで、やる気も変わってくるのではないでしょうか。

「やらなくてはならない」という事情は変わらないかも知れませんが、自分が主体的にやっていると考えられるのなら、やり方を工夫してみようという気持ちも出てきます。

どうせやるのなら、もっと喜んで、楽しんでやってみようと考えることも出来ます。

女の子ベンチ


またこれは、対人関係においても、同様に考えることが出来ます。
なぜ自分は、いやだと感じながらその人と関わっているのか。
その人との関わりを選んだのは、他ならぬ自分であり、自分なりに意味を見いだして行っている行動であると認めてみることです。

それによって、これ以上その人とは関わらないと考え直すかも知れないし、あるいはいやいや関わっていた気持ちから、自分の必要があって行っていたことだと気づいて意識が変わってくるかも知れません。

そして自分が主体的選択をしている、と宣言することで得られるメリットは、何よりも自分が主人公であり、犠牲者ではないのだと考えられるというところにあります。

漠然とやらされている感じで生きることは、時として自分で主体的に選択するよりは楽な面があるのかも知れません。
しかし、ダンゴムシのように習性だけで生きていくのと、自分が主人公になって生きていくのとどちらを選びたいでしょうか?



気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心の持ち方
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







ダンゴムシと迷路

テレビの子供番組で、こういう実験をやっていました。

ダンゴムシ迷路の中に入れる。
ダンゴムシ迷路を、左、右と曲がっていくのですが、
先生役の人が、左!、右!と命令すると、
ダンゴムシはその通りに進んで、一度も迷わずに
迷路からゴールへと進んで脱出することに成功する。

見てた子供は、「日本語がわかるのかな」と感心しています。

種明かしをすれば、ダンゴムシは、最初に左へ曲がると、
次は右に曲がる、という風に交互に方向を変えて進む
という習性があるのだそうです。

迷路がそれで脱出できる様に作られていた訳ですが、
ダンゴムシは、敵から、より速く、より遠くに逃げられるように
こういう習性が出来ているのではないかと考えられているそうです。

もしダンゴムシが、自然のバランスを崩して、右にばかり曲がったり
左にばかり曲がったりすれば、堂々巡りで、迷路からいつまでも
脱出できないということになります。

この実験から、なにか思い当たることはないでしょうか?

自然のバランスと言うことでは、右にばかり曲がり続けていたら、
こんどは左に曲がろうという働きが出てくるものです。

ところが、われわれは、時として同じj方向にばかり曲がってしまい
堂々巡りしてしまうということがないでしょうか?

自分は、右にしか曲がれないんだと思い込む。
そろそろ左に曲がろうか、という自分の内部からの訴えを
無視して、右に曲がり続ける。

ひとから、「左に曲がってみたら」とか言われると、
余計に意固地になって右に曲がってみたりする。

誰しも心当たりがあるのではないでしょうか?

自然のバランスを取り戻して、素直に右に、左に、
曲がるという自由さを取り戻してみる。

そうすれば、ずっと楽になると思いませんか?



気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







あなた本来のこだわりを大切にする

この文章を書く上で、
こだわりという言葉を使うかどうか迷いました。

こだわりという言葉には、なにか意識して、頭で考えている
意味合いが強い様に思ったからです。

老子の話などで、よく無駄なこだわりは捨てた方が
本来の自分を生かせるようになる、という意味合いのことを
書いていると思います。

ですから、ここで使うこだわりという言葉は、
本来のあなた自身、他と比べられないかけがえのない
あなた自身にこだわって見るという意味で使っています。

植物にたとえれば、青い花は、自分が青い花になるというこだわり
一貫して持っているから、毎年青い花を咲かせます。

キュウリが実るのは、自分がキュウリであることにこだわっている
から、キュウリの実をつけるわけです。
今年は、トマトになろうとは思わないわけです。

本来のあなたが、こだわるべきものを、外に出して、
育てていきましょう。
そして、それは外に探し求めるものではありません。

他の人でも置き換えのきくことに、あなたがいくら努力しても
それは、せいぜい競争を生み出して、ストレスの元を作り出す
のが落ちです。

努力したとしても、そんなものは、他の人から見て魅力を感じません。
そうではなく、あなたでなければ得られないユニークな自分を
発揮できた時に、他の人は魅力を感じるでしょう。

世間に合わせる為に作り出してきたことは、余分なことです。
必要不可欠なことではありません。
そんなこだわりであるなら、捨ててしまっても影響のないことです。

また、過去が変えられたら、などと考えるのは時間の無駄です。
今のあなたは、単独で今だけの存在として成り立っているわけでは
ありません。

今という1つの点でとらえるのではなく、過去の全てが合わさって、
線としてつながって出来てきたのが、
今の自分という1つの点であるわけです。

過去の、どれ一つがかけても、今のあなたではなくなっているでしょう。
過去の1点を変えたら、今の自分ではないのですから、
変えられたらいいのに、と思っていることは、もし変わっていたら
今の自分には、そもそも欲しいものではなくなっているでしょう。

外を探し求めて、それを探すのではなく、あなた自身がすでに持っている
宝物を磨くことにエネルギーを使いましょう。

あなたが本来持って言う要素が、先日のガウス曲線で表されるなら、
外側の20パーセントではなく、内側の80%を生かしていくことに
もっとエネルギーを使いましょう。

その方が効率的だからです。
そして、今持っているものを発見することにつながるからです。

問題は、あなた自身が、自分の持っているものの価値を、けなしたり
低く見てしまっているところにあるのかも知れません。

それらは少しずつ育てていかないといけません。
いままで隠して表に出さない様にしてきたものを、
少しずつ小出しにしていきましょう。

そこで、何が起こるかを見て、感じてみるのです。
やる前からどうせ無駄だし、たいして変わらないよ
などと思わずに。

やらずに済ませていては、やってみないとわからないことが、
いつまでたっても見えては来ないでしょう。

やってみれば、それは必ず達成感をもたらします。
なぜなら、本来表に出たがっていたものを、
あなた自身が押さえつけていたことだからです。

あなたが本来の自分を、表に出すことを、待ち構えていて
非難する人などいません。
そんなものは、あなたが作り出した妄想です。

そして、それを抑えつけていた原因も、表に出してみれば
たいしたことではなかったことに気づくはずです。

こんなことなら、もっと早くやっておけばよかったと
思うかも知れません。

あなたのユニークさを見せることは、まわりの人に
とっても有益なことです。
他の人で代わりの出来ることではないからです。

なお、一晩で、一気に変わろうなどと思わないことです。
そんなことが、もし出来たとしても、それではあなた自身の
バランスが崩れてしまうでしょう。

もし長い間、封印してきたことなら、少しずつ、ならしながら
育てていきましょう。
1つずつ試して、自分の中にどういう変化が起きてくるのかを
味わいながら、進めていきましょう。

つまらないこだわりならば、捨てましょう。
あなた本来のこだわりならそれを育てていきましょう。



気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







もったいない

もったいない

いま流行りのエコの話ではありません。

今、自分のやりたいことをやらないでいること

今日一日、この後の1週間、1年、10年やらずに済ませますか?

今やっておけば、今日を振り返って満足することができるのに、
一週間後に、今週はこれだけの結果が出せたと達成感が味わえるのに、
そう思ってもやらないで済ませる理由はどこにあるのでしょう?

ここで言っているのは、仕事の効率化の話とかではありません。
本当はやってみたいのに、何かの理由でやることから逃げている
そういったことはないでしょうか、というはなしです。


めんどくさいからやらない」
本当にやりたいと思うことなら、面倒なことでもやるものです。

それでも面倒だと思うのなら、それは関心がないけれど
やらないといけない、と思っているだけかも知れませんね。

本当に自分がやりたいと思うことかどうか、については
別のところで書いたのでここでは、書きませんが、
やりたくないのに、いつも「やらないといけない」という声が
聞こえてくるのなら、それはそれで、はっきりさせた方がいいでしょう。
だれが、そういっているのでしょう?(別の問題なのでこれくらいにします)

めんどくさい」という疲れた声からは、やらないで言い訳することに
疲れているように聞こえます。
そのエネルギーを実行することに使ったら、もっとさわやかな疲れが
待っているでしょう。

失敗するとはずかしい、失敗が怖い」

失敗して、いやな思いをするくらいなら、やらない方が楽だから。

確かに楽で、安全かも知れませんが、本当の自分は満足できないまま、
相も変わらず、物足りなさを感じ続ける日々を過ごすかも知れません。

実際には、他人はあなたの失敗なんか気にしていません。
そんなことより、自分の失敗の方が気になりますから(笑)

殆どの場合、失敗を非難するのは、自分の中に抱え込んでいる
他人の目と言った方が正しいでしょう。

やらずに後悔するのと、実態のない他人の目と、どちらを選びますか?

リスクがあるから」

何かをやれば、かならずリスクもついて回ります。
それでも、リスク以上の満足があるからやってみる、というのが
健全な判断だと思います。

リスクが必要以上に大きく感じる人は、自分がやろうとしていることを
はっきりさせていない場合が多い様に思えます。

それでは、どうしたいのですか?と聞くと、曖昧にしか答えが返ってこない。
曖昧な対象からは、漠然としたリスクしか見えてきません。
まだ自分には準備が出来ていないと、客観的に思えるのなら、
それは正しい判断なのでしょう。
しかし対象をはっきりさせようとしないのは、
それで先延ばししているだけかも知れません。

中には、リスクがゼロならやります、という人がいます。
どこかに「リスクゼロでできる方法」というマニュアルがあると思って
探し求めているのでしょうか?
そもそも、リスクゼロのことをやっても、ちっともおもしろくないと思うのですが、
どうでしょう。

こうして、文章を書いていますが、この文章の1行1行が
リスクを含んでいます。
しかしそれでも、やらずに済ますよりは、やった後の満足感の
様なものを感じるから書いているわけだと思います。

やらずに済ませるのは、もったいないと思いませんか?



気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心の持ち方
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







本当にやりたいこと(2)

実際に自分が(無意識にでも)やっていることをチェックしてみる。
ということを前回書きました。

意識して、自分のやりたいことを探すと、なかなか見つからない
ものだと思います。

その1つの原因
「探す」という行為は、選択を含みます。
選択には、比較、批判が付いていてくるもの。

批判の目で見た途端に、無条件にやってみたいという意欲は
萎えてしまいがちです。
やってみれば、自分を発見できたかも知れないチャンス
を逃すかも知れません。

比較検討ではなく、自分が実際に動いていることを
とりあえず満足するまでやってみること。

やってみるまで、解らなかったことが
きっと見えてくるはずだと思います。

無条件にやってみるなんて、無謀だ、出来ない
と思われるかも知れません。

そこには、失敗に終わると、そのことを自分の価値と
結びつけて考えてしまうということから来る恐れ
があるのかも知れません。

失敗しても、それは表面的なことに過ぎない、
自分には戻る場所があるとおもえば、
恐れ自体を感じないまま行動できるでしょう。

老子第20章は、そのあたりがわかりやすく書かれています。



気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心の持ち方
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







本当にやりたいこと

Be who
  you are.
Do wahat
  you love.
Have what
  you need.

『LIFE』 加島 祥造 PARCO出版



この言葉を引用するのは2回目ですが、

今回は自分が本当にやりたいこととは
何かという点に絞って考えてみたいと思います。

自分のやりたいことだけやりましょうとは言っても、

自分が本当にやりたいことって何だろうと考えて
すぐに答えが出る人は少ないと思います。

AとBとCが、自分のやりたいことのベスト3だ、
と言うことまで絞ることが出来たとします。

そしてその度合いがA>B>Cの順に強いとします。

では、そこで、Aが一番自分のやりたいことだと
断言できるでしょうか?

多くの場合、Aがやりたいことの様に見えるけれど、
なにか違う様な気がするという感触もあるのではないでしょうか。

そこで、ここでは2つの方法を提案したいと思います。

(1)実際に自分がやっていること(行動)をチェックしてみること。

それも、自分の記憶に頼って、これをやってることが多い様な気がする
というのではなく、実際にその行動に費やしている時間を調べて見ます。

たとえば、メモか何か用意して、気がついた時にその時点まで
自分のやっていたことと時間を書いておく。

これによって、自分の希望的観測ではなく、実際に自分が
時間を使っていることが見えてきます。

かなり予想外だったと言うことが解るかも知れません。

やはり、実際に自分が時間を費やしていることは、
自分がやりたいことである可能性が高いと思います。

ついでに、その多くの時間を使っていたことを
やっている時の自分がどんな気分でいたのかを
考えてみるとより発見があると思います。

(2)普段の生活から離れた静かな時間をもって、
また、社会的な存在である自分を出来るだけ切り離して
考える時間を持つ。

普段考え事をするのと同じ場所、環境では、同じ考えの
繰り返しになるかも知れません。

環境をかえて、邪魔になる雑音を排除して考えてみること。

社会的な自分を切り離すというのは、「やりたいと思いたい」こと
ではなく、「やりたい」ことを見つけると言うことです。

普段自分がやりたいと言っていることは、実は「こうあるべき」
という自分の希望がそういわせているだけかもしれない。

「こうあるべき」という思いが強いと、あたかもそれが自分が
やりたいことだと錯覚してしまうものです。

そして自分ひとりで密かに喜べることを見つけた時、
それは、自分の中の深い感情や能力を見つけ出した
時だといえると思います。



気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







スタンプを集める

「スタンプを集める」という表現は、
エリック・バーンの提唱した交流分析という
心理療法に出てくることばです。

これは、人は自分の得意な(陥りがちな)心理傾向、
あるいは感情状態というものを持っていて、
普段からその状態になる原因となるものを探し、集めてくる
傾向があることを言っています。

「スタンプを集める」という表現は、スタンプを一定量集めると
何かの景品に交換できるようになる、ということにたとえたものです。

そこでこの知識を使って、普段の感情変化を観察してみると、
ちょっとした客観的な出来事が、人によって様々に解釈され、
ある人は、怒りの原因としてとらえるし、別の人は悲しさの
原因ととらえるといった傾向が解ってくるかも知れませんね。

自分の集めているスタンプの傾向を知る。

今の自分のスタンプの量を振り返ってみる。

また自分でスタンプがある程度たっまってきている
ことに気づけば、どこかでストップをかけるという選択を
出来る様になるかも知れません。

一時的に、スタンプ集めにやっきになっていると、
実はどこかで、なにかいやな気分を感じていながら、
そうせずにいられなくなっている自分に気づくこともあるでしょう。

また、スタンプを集め終わった時に、自分が交換する景品が
どんなものであるのかを知れば、もっと大きな自分の
人生脚本が見えてくるかも知れません。



気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心の持ち方
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







sidetitle最新記事sidetitle
《最近7日間の人気順位》
~ランキング全体をみる~
~ランキング全体をみる~

sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle全記事表示リンクsidetitle
過去の記事はこちらから↓

全ての記事を表示する

sidetitleブログ紹介sidetitle
☆~新刊⌒☆
☆ちゃん見るシリーズ☆


好評発売中


アルファポリス
第2回エッセイ・ブログ大賞
特別賞『タオに生きる』 pao
WebコンテンツPickUP!タオに生きる
【 エッセイ・日記・blog > blog 】
老子の教えに学ぶ
老子のいう「タオに生きる」ということはどういうことなのか。さまざまなアプローチから、自らの考えや学んだこと、思ったことが綴られています。心をやすめ、身体をやすめ、穏やかで落ち着いた生活をしたい……そう願う人たちにとって、ヒントに溢れたブログです。


ez-HTML





PRR
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
sidetitleにほんブログ村sidetitle
sidetitleスポンサード リンクsidetitle
sidetitleメール心理相談sidetitle
メールを利用して1,000円/週で心理相談を受け付けています。
詳しくは下記から「どういう内容か知りたい。」旨のメッセージをお送りください。





アクセスカウンター
アクセスカウンター
アクセスカウンター
ブランド買取優良店***word-2******word-3******word-4******word-5******word-6******word-7******word-8******word-9***


このエントリーをはてなブックマークに追加

sidetitleジャンル・ランキングsidetitle
[ジャンルランキング]
心と身体
77位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
スピリチュアル
23位
アクセスランキングを見る>>

sidetitle検索フォームsidetitle


もう一つの「タオに生きる」カテゴリー別
Screen Shot_30p ※徐々に更新しています
タオに生きる(人間関係)
タオに生きる(アドバイタ関連)
タオに生きる(YouTube#1)
タオに生きる(YouTube#2)


[上位タグ20]
感情、莊子、思考、怒り、罪悪感、老子、いまここ、人間関係、バイロン・ケイティ、交流分析、タオ、エックハルト・トール、ありのまま、許す、YouTube、老荘思想のコラム連載、不安、過去、無為、OSHO

sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleアクセスランキングsidetitle
訪問いただいているサイト
(週間 木曜日リセット)
※こちらでタイトルを入れさせてもらっていますが、出したくないとか変更したいという方はご連絡下さい。

sidetitleカテゴリsidetitle
カテゴリーを追加し整理しました。 バイロン・ケイティ、エックハルト・トール、ガンガジ、ムージ、OSHO
sidetitleQRコードsidetitle
QRコード
FX