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持つことと怖れについて

悪い目覚め


何不自由なく暮らしているお金持ちでも、いつも何か悩んでいたりする人もいます。
そうかと思うと、お金もなくて、かろうじて生活している状態なのに、いつも晴れ晴れとした表情で元気良く暮らしている人もいるものです。
そした人の笑顔には、本物を感じたりしないでしょうか。

ではその違いをもたらしているものは、はたして何なのでしょうか。

この両者の例から想像できるように、ものを持つことが満足な生活をもたらしてくれるとは限らない、ということがわかります。

そしてさらに言えば、積み重ねてきた財産が、かえって重みになっているのではないかということも覗えないでしょうか。

実は、「もっと豊かになれば今より幸せになれるのに」と考えるのは、まだ持っていない時なのです。

その時、今の状態とほしいものを手に入れた状態を比較して、当然手に入れた後の方が幸せになれるだろうと考えるわけです。
それは、手に入れることがもたらす、いい方の面だけを見ていることになります。

しかし、欲しいと思っていたものも、次々と手に入れていくうち、喜びはつかの間に過ぎないことに気がつきます。
そればかりか、ものを持つに連れて、それを抱えていることに苦痛を感じ始めることはないでしょうか?

それを持つことを維持していくことが苦痛であったり、それがなくなってしまったらどうしようと思うことへの怖れであったりするのです。

持つということは、ものとは限りません。

それは社会的な地位だったり、さらに一般的にいえば、他の人が自分をどう見ているかを、そのまま維持することだったりします。

「私」に属しているもの、私とは何かを形作っていると信じているものを、そのまま維持していたいと思うのです。
まわりの人が「この人はこう言う人で、こういうことができる」と信じている期待に応えないといけないと感じ、それがない状態になってしまうのを恐れるのです。

そのための持ち物は、有形であろうと無形であろうと、すべて失うのが怖いと感じます。
そして、怖れとは、いま持っているものをそのまま維持できなくなることに原因があるのです。

「未知のものへの恐怖」と表現することがあります。
この言い方だと、自分がまだ知らないものが恐怖を掻き立てるというニュアンスになります。

しかし、はたして私たちは知りもしないものに恐怖を感じるものでしょうか。
そもそも知らないものは、思い浮かぶはずもないのですから、それが突然形をとって恐怖の対象になったりはしないのです。

これは、もう一度見直してみるなら、今自分が持っていて、そのまま維持していきたい状態が、突然知らないものによって壊されることを恐れているということではないでしょうか。

つまり、怖れの原因は、やはり既知のものからやってきているのです。
今までに手に入れてきた物を失う事が、怖れの原因なのです。

何かを手に入れて、自分の一部にしてしまうという行為の中に、手に入れる事への楽しみと共に、それを失う事への恐れを同時に抱え込んでしまうのです。

何かを初めて手に入れたときは、喜びの方が大きいのかも知れません。
しかし、同じようなものをいくつも手に入れ続ける時、その喜びはだんだん薄れていき、それよりも多くの物を持ち、それを維持していくことに苦痛を感じる方が強くなっていきます。

物を持つこと、自分の一部にしてしまうことが、それを失う事への恐怖を蓄積していくのです。

それでは、「何も持たないほど幸せなんだろうか?」ということになります。
おそらく突き詰めればそういうことになるでしょうが、しかしなにもギリシャの哲人のように何も持たずに樽の中で生活するのがいいかどうかはわかりません。

肝心なことは、持ち物を増やして自分を大きくしていくこと自体が、怖れの元凶を育てていることを認識しておくことです。

利益だけをもたらす取得はあり得ないと言うことです。

そして、その認識があれば、不用意にものを持とうということに、自然とブレーキがかかるでしょう。

そして、この悪影響の最たるものは、持てば持つほど手に入れた喜びは薄れ、その結果さらに新しいものを手に入れなければならなくなります。しかもそれに伴って苦しさをもたらす元凶ばかりが増えていくということです。

こんなに手に入れたのに、なぜちっともうれしくないのか、それどころかうんざりすることばかり増えるような気がすると思うなら、唯一の解決は「増やさないこと、持たないこと、手放すこと」という方向にあるのでしょう。

持てば持つほど、それを守るためのエネルギーが必要になります。
それがさらに失う事への恐怖を強化するのです。

逆に身軽になればなるほど、余計な気苦労はなくなります。
文字通り身軽なほど、精神的にも気持ちは軽くなります。
何をするにも、予期しない場合への対処を考えようとするくせがなくなります。

先に失ってしまえば、失う心配はなくなるのです。
万一に備えて。。。という売り込みにも、私は必要ありませんと言いきることが出来ます。

わざわざ煩わしいものにエネルギーを吸い取られる必要はありません。
そのためには、なにが怖れの原因かを、いま持っている物を考慮しない、真っさらな気持ちで振り返って見ることです。

ここまで来たのだから、今さら引き返せない。
現状を維持するしかないと思うことは、たいていの場合最悪の選択になるでしょう。
そこまで手放したいと訴えている自分がいるのですから、決断の時なのです。
コストばかりかかるガラクタを手放せないのは、ある方がないよりましという大して根拠のない思い込みがあるからです。
手放すことで一時的に空いた手には、きっともっと必要なものが納まるようになっているものです。


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今のあなたの背丈にあったもの

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『私は自分の持っていないものを数えて、自分を不幸だと思っていた。
人は私の持っているものを見て、私を幸せな人だと思っていた。』

単純なことだけれど、これから言えることは、
自分の持っているものを確認すればいいということです。

どうせ自分の持っているものなど、大したものではないと、
みんなで思って不幸ゴッコをしているのです。

欲しいものは外から獲得しないと手に入らないという思い込みが、
自分の宝物を見えなくしてしまう。

かけずり回って、やっと手に入れたと思ったものは、
前から持っていたものだと気づくことはないでしょうか?

すでに持っているなんて、そんなうまい話があるはずないと
信じようとしないだけの話である。

あなたを満足させるものは、目新しいものなんかではないのです。
持っていることすら忘れかけている、あなたの財産を
今日ひとつ掘り起こしてみましょう。

それは古ぼけたものではなくて、常に今のあなたの背丈にあったものに変わっているはずです。


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積極的に頑張ってるのに解決できない−受動的な観察

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私達はふだん何かを解決するには、積極的に解決方法を見つけて能動的に働きかける必要があると思っています。

この問題にはこの解決というように、用意された解決策を使って、対象に働きかけ、相手を変えてしまうことが解決だと思っているのです。

しかし、それにもかかわらず、いつまで経っても解決しない問題というものを抱えていないでしょうか?

そうです、繰り返し起こって来るのに、いつになっても改善しないような同じ問題が、何度も何度も周期的におそってくるのです。

さて能動的な働きかけをするというとき、私たちは具体的には何をしているのでしょう。

そのとき私たちは、先程言ったように、解決作、答を予め用意しているのです。
そして、問題の方が、この答えに合わせて変化すべきであると考えているのです。

もちろん解決策がわかれば、あとは自動的に結果が導かれるという問題もあるでしょう。
しかし、そういうものは、放っておいてもいつの間にか片付いているものであって、いつまでも続く問題と呼ばれるものにはならないのです。

それに対して、いつも期待した答えでは片付かない問題があります。
それはその人特有のものである場合が多いのです。
そして、それは何度も繰り替えされるのが普通です。

つまり、能動的な働きかけをいくらやっても解決しない問題があるという事です。
それは、つまり先に答えを用意するやり方ではだめだということではないでしょうか。

先にある答えとは、どこから来るのでしょうか。
それは過去の経験に基づく記憶からひき出してきた答えなのです。

そして、そのやり方はいつまでも功を奏さないのです。
なぜなら、過去においてもダメだったのに、いつまでもそれしかないと思って同じやり方を繰り返しているからです。
今回もダメだったという結果になるのは目に見えているのです。

それでは過去のやり方から答えを用意する、能動的な働きかけではダメだとすれば、どうすればいいのでしょうか。

それは今までとは全く反対に、問題に働きかけるのでではなく、問題そのものが語りかけてくるものを受動的に観察することです。

受動的な姿勢では解決しないと思い込んで、いつまでも積極的に答えを探しだしていたからだめだったのです。

受動的に見つめるときに肝心なことは、対象を決して批判的に見ないということです。

批判的に見るということは、「問題はこれであり、こうして解決しよう」と答えをすでに出している見方ではないでしょうか。

自分なりの答えがすでにあるから、批判が出来るわけです。
ですから、批判的な見方とは、ありのままに対象を見ていない、受動的ではない見方なのです。

受動的な観察とは、批判しないで、解釈を加えないで、だだありのままを、対象が見せてくれるまま見ていようという姿勢で見ることです。

問題というのは、いつまでも解決しないで残っているもののことです。
解決策がわかっていて、すぐに結果が出ることであれば、後に残らずに終わってしまうはずですね。

そして、そのような解決できない問題は、受動的に対象を見つめてみる必要があるのです。

問題とは、対象になるのは、出来事や他人、そして自分自身の抱える観念的なものです。

解決に向けての行動がすぐに出来れば、そもそも問題にはならないのです。
それができないのはなぜかを、過去の説明にあてはめないで、批判しないで、ありのままに見る必要があります。

たとえば「何で私ばかり動かないといけないの?」と不満なのかも知れません。
しかし、そういうとき私たちは、問題をすり替えてしまいがちです。

つまり「私ばかりやらされているように感じている」のが問題の核心なのに、「まわりの誰かが動いてくれないのが問題なんだ」と考えるのです。

他の人の行動の仕方、「人はこうあるべき」なのにその通りに動かない他人に問題があると考えます。

そして「あなたはこうあるべきだ」と主張し、相手が「その通りでした。ごめんなさい。」といってくれることを期待するのです。

もっとすり替えを続ければ、「人はこうあるべきだ」という倫理的、道徳的な規範の問題だと考え、私がやるべきことはその主張をみんなに納得させなければならないと思ったりします。

外側に問題があるとして、自分の内部の本当の問題を隠し、すり替えを続ける限り問題は解決しないのです。

外側への働きかけにエネルギーを使うことで、一時的に「すくなくとも自分は努力している」と思って納得するかも知れません。

しかし、時間が経てば、自分の問題はいっこうに解決していないことを感じ始めるのです。

あなたの問題は、
「なんでみんな動かないの!」
「私だけに責任を押しつけるな!」
「私がどれだけ頑張っているのか、もっと評価して!」
「あなたがいないと困るの、いつもありがとうと言って欲しい」
と思っていることにあるのかもしれません。

そして、そのことを自分で認められたとき初めて「自分の努力」と「他人の努力」を公平に評価する余裕が出てきます。

自分ばかりやらされているという思いがあると、自分も少し偏っていたかも知れないという発想もでてきません。私の本当の問題を認められる段階にならなければ、それはわからないのです。

このように、積極的に働きかけているのに、いっこうに問題が解決しないというとき、そこでやっているのは本当の問題ではなく、見当違いの働きであり、過去に失敗していることをただ繰り返しているだけという場合が多いのです。

自分の本当の本当の欲求を認めることに後ろめたさがあるとき、人はありのままを見ないで、社会的に受け入れられやすい欲求にすり替えてしまうのです。

そして、すり替えた欲求が自分の本当の欲求だと思い続けているかぎり、問題は根本的に解決しないのです。

ですから、受動的に観察するには、このような社会的な望ましさや、批判が入り込まないように、動きを止めてありのままの自分が浮き上がってくるのを待つということが必要なのです。


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サダグル〜「今この瞬間」に恐れはない




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ではその違いをもたらしているものは、はたして何なのでしょうか。

この両者の例から想像できるように、ものを持つことが満足な生活をもたらしてくれるとは限らない、ということがわかります。

そしてさらに言えば、積み重ねてきた財産が、かえって重みになっているのではないかということも覗えないでしょうか。

実は、「もっと豊かになれば今より幸せになれるのに」と考えるのは、まだ持っていない時なのです。

その時、今の状態とほしいものを手に入れた状態を比較して、当然手に入れた後の方が幸せになれるだろうと考えるわけです。
それは、手に入れることがもたらす、いい方の面だけを見ていることになります。

しかし、欲しいと思っていたものも、次々と手に入れていくうち、喜びはつかの間に過ぎないことに気がつきます。
そればかりか、ものを持つに連れて、それを抱えていることに苦痛を感じ始めることはないでしょうか?

それを持つことを維持していくことが苦痛であったり、それがなくなってしまったらどうしようと思うことへの怖れであったりするのです。

持つということは、ものとは限りません。

それは社会的な地位だったり、さらに一般的にいえば、他の人が自分をどう見ているかを、そのまま維持することだったりします。

「私」に属しているもの、私とは何かを形作っていると信じているものを、そのまま維持していたいと思うのです。
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そのための持ち物は、有形であろうと無形であろうと、すべて失うのが怖いと感じます。
そして、怖れとは、いま持っているものをそのまま維持できなくなることに原因があるのです。

「未知のものへの恐怖」と表現することがあります。
この言い方だと、自分がまだ知らないものが恐怖を掻き立てるというニュアンスになります。

しかし、はたして私たちは知りもしないものに恐怖を感じるものでしょうか。
そもそも知らないものは、思い浮かぶはずもないのですから、それが突然形をとって恐怖の対象になったりはしないのです。

これは、もう一度見直してみるなら、今自分が持っていて、そのまま維持していきたい状態が、突然知らないものによって壊されることを恐れているということではないでしょうか。

つまり、怖れの原因は、やはり既知のものからやってきているのです。
今までに手に入れてきた物を失う事が、怖れの原因なのです。

何かを手に入れて、自分の一部にしてしまうという行為の中に、手に入れる事への楽しみと共に、それを失う事への恐れを同時に抱え込んでしまうのです。

何かを初めて手に入れたときは、喜びの方が大きいのかも知れません。
しかし、同じようなものをいくつも手に入れ続ける時、その喜びはだんだん薄れていき、それよりも多くの物を持ち、それを維持していくことに苦痛を感じる方が強くなっていきます。

物を持つこと、自分の一部にしてしまうことが、それを失う事への恐怖を蓄積していくのです。

それでは、「何も持たないほど幸せなんだろうか?」ということになります。
おそらく突き詰めればそういうことになるでしょうが、しかしなにもギリシャの哲人のように何も持たずに樽の中で生活するのがいいかどうかはわかりません。

肝心なことは、持ち物を増やして自分を大きくしていくこと自体が、怖れの元凶を育てていることを認識しておくことです。

利益だけをもたらす取得はあり得ないと言うことです。

そして、その認識があれば、不用意にものを持とうということに、自然とブレーキがかかるでしょう。

そして、この悪影響の最たるものは、持てば持つほど手に入れた喜びは薄れ、その結果さらに新しいものを手に入れなければならなくなります。しかもそれに伴って苦しさをもたらす元凶ばかりが増えていくということです。

こんなに手に入れたのに、なぜちっともうれしくないのか、それどころかうんざりすることばかり増えるような気がすると思うなら、唯一の解決は「増やさないこと、持たないこと、手放すこと」という方向にあるのでしょう。

持てば持つほど、それを守るためのエネルギーが必要になります。
それがさらに失う事への恐怖を強化するのです。

逆に身軽になればなるほど、余計な気苦労はなくなります。
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そのためには、なにが怖れの原因かを、いま持っている物を考慮しない、真っさらな気持ちで振り返って見ることです。

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アルファポリス
「第2回エッセイ・ブログ大賞」
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性別:男性
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老子の『タオ』とは、悩み・不安の解消、心理学的アプローチ、癒し・気づきのヒントがいっぱいのブログ。読むだけで癒されるというコメントをいただいています。

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