« ホーム »

あなたがクリアしてあげよう~単純だけど難しいこの心の仕組み

a0002_006092.jpg


他の人からの接し方を見ていると、相手はみんなこちらを拒否しようとしている、と見えるかもしれない。

しかし、相手が拒絶しているように見えるものは、「私」に向けたものではなく、相手が自分自身の限界を感じて、それに反応しているだけなのだ。

「私」の望みや期待とは関係なく、相手は自分自身の貧しさに気がつき、嘆きたいのだが、どう表現していいのかわからない。

助けを求めたい気もしているのに、他人への警戒から素直にそれを表すことはしないだろう。

どうしようもなくなって、助けを求めだす人は、ほとんどが素直に自分の弱さを認められなくなっている。

自分の弱さを認められるなら、それ自体が救いになる。
それができるくらいなら、そもそも助けなど必要がなくなるからだ。

やるべきことは、自分の弱さや怖いと感じているものを認めて、それらを敵対視しなくなることにある。

彼らが敵対視している様子は、他人に対してそれを投射する様子を見ればすぐに見つかるだろう。

だから、そのような敵対視はあなたに向けられたものではない。

自分の中の恐れているもの、それもそれらを明らかにしようとしないで、敵対視しているやり方を、例えば目の前にいるあなたに向けてしまうのだ。

あなたがやるべきことは、そこから立ち去って、あなた自身の中に同じような恐れを作り出さないようにすることである。

私の中には、敵対視する他人も、敵対視するべき私自身もいないし、作り出しもしないと決心するだけでいい。

その準備ができてこそ、他の人の戸惑いにも対処してあげられるようになるだろう。

相手が拒否しているように見えたり、そのような言葉を発したとしても、本当はそれでも従わず、恐れなど必要ないことを信じさせてほしいと思っているのだ。

そういう相手にあなたがなってあげられるか、それともミラトリがミイラになるか、それが問題なのだ。



☆~必ずヒントが見つかります⌒☆
メルマガ購読・解除
 
ACR WEBブログパーツ

テーマ : 幸せに生きる
ジャンル : 心と身体


スポンサード リンク









あせること、イライラすること

phm01_0009-s.jpg


『何かをあせってやろうとすると、かえって空回りばかりで、いつものようにうまくできない。』
 
こんな経験、どなたにもあるのではないでしょうか。
 
こんなとき、あなたはあなたの決めた時間でものごとが起こっていくのを期待していませんか?
 
しかし、ものごとは、まるでそれに特有のスピードを持っているかのように、あなたの思いなど関係なく起きるべくして起きていきます。
 
たとえば、あなたがせっかちな人だとします。
 
そして、あなたの前には時間など気にせずに、自分の決めた手順が変わるのを嫌がってものごとを非常にていねいに行っている人がいます。
 
あなたは、それをみているとだんだんイライラし始めるのです。
 
人と人の関係では、せっかちな人もいれば、のんびりした人もいます。
 
そして、それはわかるけれど、ものごとが自分の決めたスピードで進んでいかないと、あせったりイライラしたりし始めるのです。
 
ものごとが運んでいくスピードに、特有のスピードがあるものかどうか、それはわかりません。
 
しかし、単に見る側の心理的なスピードだけで、ものごとが起きていくわけではないでしょう。
 
それが起きていくには、様々な無数の要員が非常にからまって進んでいくはずです。
 
ですから、あなたがいくら自分で「○○までに結果が出る」と決めたところで、期待通りに起きてくれるとは限りません。
 
植物の種をまいて、いっぱい水や肥料をやったんだから早く芽を出せと言っても仕方がありませんね。
 
またそんなことをするから、あなたはあせったり、イライラしたりするということもありそうです。
 
別の言い方をすれば、あなたはものごとに対する見方が「荒く」なっているのかも知れません。
 
落ち着いているときのあなたは、もっと「こまやかに」ものごとを見ていられるのかもしれないのです。
 
「荒く」見ているから、細かい変化が目に入らない、なんでこんなに変化しないんだということになる。
 
あなたが、自分で時間をコントロールすることをやめて、ものごとが起きていくスピードに任せて見ていられるなら、必要以上にイライラせずにゆったりと過ごすことができるでしょう。
 
さらに発想を広げれば、あなたはものごとの結果についても、同じよう「にコントロールしようとしない」という選択もできるわけです。
 
起きることに逆らわずに、それが起きるのに任せるということです。
 
「そんな受け身ばかりの生き方などごめんだ」といわれるかもしれません。
 
ときにはあせったりイライラしたりするのが、逆に楽しみにつながることもあるでしょう。
 
たとえば、あなたがプロ野球やサッカーの試合を見ながら、ひいきのチームを応援するようなときです。
 
あなたが、いくら逆立ちしようと、あなた自身がピッチャーやバッターになれるものではありません。
 
しかし、あなたがどちらが勝とうがかまわないと思うのなら、興奮もしない代わりに応援する楽しみもありません。
 
それは、もはや応援とは言えないでしょう。
 
不安とワクワクすることは紙一重です。
 
コントロールしたいという思いと、イライラすることは、お互いに切り離せない関係にあるのでしょう。
 
ですから、すべてあきらめようとか、すべてコントロールしようとか、2つに1つで片方だけに決めようとしないことです。
 
心配しなくても、あなたはイライラから完全に解放されることもないでしょうし、無理をして何事にも無気力になる必要もありません。
 
ただ、イライラしたり、あせったりすることが、必要以上にあなたにストレスをかけていないかをチェックすることは役に立つでしょう。
 
ときには、ものごとが起きていくスピードや結果を、そのまま受け止めてみてはいかがでしょう。
 
それが、いかにあなたにとって重要で差し迫ったことでも、あなたにコントロール出来ない事なら、手を出そうとせずにまかせてみましょう。
 
「あなたの力」で、おきてくることをコントロールしようとおもうことが、結果に影響を与えるかどうかを冷静に考えてみましょう。
 
「あなたの力」で、「あなたの意志」で成し遂げたから、だから価値があるというのは、ひとつの考え方でしかありません。
 
そして、あなたが自分でコントロールして成し遂げたと思っていることも、単に起きるべくして起きているだけかも知れないのです。
 
「さからうのはやめた!」と思ったときの開放感、あなたにも経験があるのではないでしょうか。
 
☆~必ずヒントが見つかります⌒☆
メルマガ購読・解除
 
ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


スポンサード リンク









やり直そうとする心理のわな

a0001_016474.jpg


間違えたり、失敗したことを「やり直し」しようと思うこと自体には問題はありません。
 
しかし、自分はやり直そうとしているつもりでも、どこかに失敗した事実を認めないで、もう一度やって失敗ではなかったと証明してやろうという気持ちが潜んでいる場合があります。
 
そういった場合、名誉挽回ならばいいのですが、前の失敗を認めきれない思いから何度も同じやり方をして、これまた同じ失敗を繰り返してしまうという悪循環に陥ってしまう危険性があるのです。
 
たとえば自転車で水たまりを避けるのに、出来るだけ水たまりのぎりぎりを通ってクリアしてやろうと、何度も失敗しているようなものですね。
 
大きめに迂回すれば失敗しようがないとわかりながら、なんどもうまく通れることを証明してやろうと、ぎりぎりを通ろうとする。
 
100m走での記録の壁を破ろうとする人の挑戦と似ているようですが、そこには前の失敗を認めて、充分にそれをかみしめているかどうかの違いがあるのです。
 
  
同じ失敗をする人は、「いや今度はうまくいくはずだ」とおもいながら、前回と同じ心理状態に陥ってしまいトラップにはまってしまいます。
 
これは、第三者が見ていれば、わりとすぐにわかり「何をやっているんだあの人は」と思えるのですが、当事者にはなかなか気がつきにくいところが、人間の心理の癖のようなものですね。
 
前回と似た状況になると、つい同じやり方を採ってしまう。
 
ちょうど、なんど痛い思いをしても、きまって同じ場所で足をぶつけてしまう様な感じなんです。
 
起きてしまった悪い状況から逃げ出そうとすると、かえってその状況を引きずってしまい、再出発ではなく過去をやり直そうとしてしまうのが問題なのです。
 
なんどやろうと、そのやり方は実を結ばないことがわかりながら、それを認めきれない自分に気がつかなければなりません。
 
失敗と縁を切るには、それに抵抗しないことです。
 
失敗したら、その失敗がもたらした結果を充分にそのまま起こらせてしまえば、スッキリあきらめも付くのです。
 
頭に何度もいやな感情が蘇ってくるようなら、それに抵抗しないでとことんくやしい感情を味わってしまいます。
 
予期しない困った出来事が起きたら、抵抗しないでそのままそれにふさわしい終わり方をさせてしまうのです。
 
つらい体験でも、抵抗しないで充分起こらせてしまったら、それを潔く手放すこと。
 
これが、失敗をいつまでも引きずらないベストな方法ではないでしょうか。
 
良いことも悪いことも、あなたに関係あることもないことも、起こってはやがてその終焉を迎えます。
嵐の中でも、時はどんどん過ぎていきます。
 
それが自然に終わらないのは、

あなたが、過去を不自然に生き延びさせてしまうから。
 
新しい生き方に向けての「やり直し」と、過去に縛り付けられたままの「やり直し」の違いを見分けないといけません。
 
それは、いつまでも失敗を繰り返していないかどうか確かめればわかるでしょう。
 
そのような時、同じようないやな感情がそこにくっついてきてはいませんか?
 

 
何か気が重い、何かやるきが出てこない、おっくうになってしまう。
 
このような感情が起きてくる原因はいろいろありますが、その一つが、いま言ったような過去をやり直させようという試みなのです。
 
今度こそうまくやろうというかけ声はいいのですが、それが失敗をなかなか認められないための悪循環になっていないだろうかとチェックしてみることです。
 
「そうか、過去への未練がこのいやな気分を作りだしていたんだ」と気がついたら、悪あがきしないで手放しましょう。
あれこれ理由をつけようとしないで、目をつぶって手を離すのです。
 
そして、いまここで起きていることに目を向ける。
 
驚くほど、急激に気分が良くなってくるでしょう。
 
このような手放しになれてくれば、「もしかするとこの気分の落ち込みは例のヤツかな?」と楽に気づけるようになってくるでしょう。
 
いつもあたらしい、柔らかい存在でいるのです。
 


柔らかい存在が、「いま」にはふさわしい。

硬くなった存在は、過去を向いています。
 
何度も生まれ変わる自分を、当然のことだと思えるようになればいいのです。
 
過去にしがみつくのは、同じ身体で居続けようとするようなもの。
 
新陳代謝で身体が刻々作り替えられているありがたさを忘れてはなりません。
 
意地を張らずに負けをきっぱり認めて生まれ変わりましょう。
 
そうすれば、眠れぬ夜ともさよならできるでしょう。
 



☆~必ずヒントが見つかります⌒☆
メルマガ購読・解除
 
ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体


スポンサード リンク









報われない

a0002_008023.jpg


私はこんなに一生懸命頑張っている。
なのにちっとも報われない。
だから、何かが間違っているのだ!
 
私たちは、たまたま自分が生まれてきた時代の社会に生きています。
残念ながら、自分でそれを選ぶことは出来ません。
 
自分がある程度大人になってから、それを変えていこうと思うことは出来ますが、どんな社会に生まれつくかは運次第というか、自分ではどうにもならないものです。
 
社会はそんなに急激には変わりません。
したがって、今の自分が思う理想と社会が食い違っているとすれば、自分が出来ることは何であるのかを冷静に考えないとなりません。
 
少なくとも、「自分が報われないから社会が悪い。すぐに社会を何とかしろ!」という責任転嫁は、かなわない嘆きでしかないでしょう。
 
ここで出来ることとは、大きく考えれば幾つかに限られてきます。
 
1.社会を自分の思うものに変革していく。
2.自分を社会に合わせるように変革する。
3.社会がどうであろうと自分の生き方を追求する。
 
しかし、ここでひとつ忘れてはならないのは、社会と自己は独立して存在したり対立するものではなく、今の自己も社会の影響を受けて作られてきた存在であるということです。
また逆に今の自己が社会に影響を与え変えていくという関係にもあります。
 
自分が今の社会を嫌うとしても、その好き嫌いもまた、今の社会に生きてきたことで生まれてきた感情なのです。
時代が違えば考えもしなかった事なのかもしれません。
 
好きだった人がちょっとしたことで嫌いになったり、またその逆もおなじようにあるように、同じ要因が一気に反転したものに見えて来るということがあるわけです。
 
むしろ好き嫌いがどこかで反転することも、この世界のバランスを取ることに組み込まれた変化なのかもしれません。
少なくとも好き嫌いの心理というのは、それほど絶対的なものではないようです。
 
それがいつまでも変化しないのは、それを維持しようとし続けるからです。
 
「いや嫌いなものは、何があろうと嫌いだ」という心理は、そんな自然の変化を無理やり歪めて、「嫌い」という信念を消してなるものかと怨念に変えているだけかもしれません。
 
さて、話を最初の「報われない」という思いに戻しましょう。
 
「報われない」とは、
A.今の自分は十分評価される存在だし評価されていいことをやってきている。
B.それを評価しないのは社会が悪いからだ。
ということで成り立っています。
 
しかし先に書いたように、社会はあなたの思いによってすぐに変化するものではないのですから、この訴えはかなわない可能性が高いでしょう。
 
そもそもこのAの前提は正しいのでしょうか?
 
正当な評価が下されていることを前提にするなら、社会が評価しないのは、社会にとって有益でないからです。
 
自分では価値があると思っていても、それは今の社会では価値があると見なされていない可能性があります。
 
そう考えてしまうことはなかなか厳しい現実ですが、目をそらしていたのでは、いつまでもかなわない嘆きを続けることになります。
またそれだけではなく、他の可能性を考える余裕がないままいたのでは、いつか自分の存在そのものが価値がないと結論づけてしまうことにもなりかねません。
 
もしそれが事実なら、今の自分のやっていることを脇に置いて、社会の需要に合わせたことをするように自分を変えるか、逆に自分の才能を社会で必要だと認めさせるような働きかけをするしかありません。
 
もっともこれは「報われない」という思いを何とかするにはどうするかということへの返答ですが、それ以外にも、この「報われない」という不満を手放すという選択肢も残されています。
 
それが「3.社会がどうであろうと自分の生き方を追求する。」ということです。
 
何も今の社会に合わせるだけが生き方ではないはずです。
 
そもそも、あなたという人間が生きるということと、たまたま生きている社会を比べてどちらが重要であるかを考えてみることです。
 
何もあなたに許されたユニークな一生を、たまたま生まれついた社会のために犠牲にする必要もありません。
 
どこまで社会に係わって生きるのかは、それこそ無数に選択肢があるでしょう。
それを選ぶことは、誰も邪魔しない自分に任されたことです。
 
社会が悪いから自分がうまく生きられないなどという、人まかせなことを言っていないで自分でどうやって自分を生かすかを真剣に考えれば、「報われない」などという言葉でお茶を濁している暇などないと思えてこないでしょうか。
 
社会が何かをしてくれるという期待は、ますます薄らいでくるように感じる昨今です。
 
しかし自分が道を切り開く決心さえすれば、社会に不満を漏らして生きているよりもずっと積極的な生き方ができるし、自分以外を当てにすることによる不安定さを避けることが出来ます。
 

特定のしくみ、特定の人からだけ自分の生きる道があると思い込むとき、同時にそれをなくす事への恐怖を作り出します。
もしその方法が途絶えたらどうしよう、もしその人に嫌われたらどうしよう、そうなればもう終わりだと思い出すことになるからです。
 
今の社会でいかに要領よく生きるかということ以外にも、考えて見ることはいくらでもあるはずです。
自分で選択の幅を狭めなければ、それ以上の優先すべき事がいくらでも見えて来るでしょう。
 
「報われない」という言葉は、自分で切り開く可能性を放棄するものでしかありません。
 
☆~必ずヒントが見つかります⌒☆
メルマガ購読・解除
 
ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


スポンサード リンク









自分らしさに戸惑う人に

PAK99_datesuruhutari20140301500.jpg


自分らしいとは、どういうことかわからない。
 
そんなふうに思って悩む人がいるかも知れません。
 
その一方で、「自分はこういう人です」というのを、立て板に水で紹介できるような人もいるものです。
 
しかし、そのような違いというのは、いままでどんな家庭環境で育ってきたかで大きく左右されるものです。
 
家族のだれもが自分の意見を表現することを賞賛する環境にいれば、自分とはどういう人間かを言葉で表現する機会も多くなるわけだし、そのストックを取り出して人に示すことも簡単です。
 
逆に、下手なことを言ってしまうと、咎められたり、笑われたりするのを気にしながら育ってきた人は、自分について表現するのが難しく、思い浮かべるだけでも困難を感じるかもしれません。
 

 
しかしながら、それでは自分を言葉で表現するのが上手な人が、自分のことをよくわかっているかと言えばそうとは限りません。
 
じつは、表現できる自分というのは、自己の一部を無理やり言葉の枠に収めたようなものでしかないからです。
 
ですから、かえって自分を決めつけて規定しすぎてしまう可能性もあるわけです。
 
あくまで可能性を残して、自分を規定しすぎないようにしていれば、思っても見なかった自分を発見するチャンスも増えてくるものです。
 
「自分らしくある」というのは、その状態で「いる」ことはできても、それがどんなものかを「知る」ことはできないものです。
 
あなたが「自分らしさ」を知ったと思ったとき、あなたは「知る人」と「知られる人」に別れてしまいます。
 
そして「知る人」こそが本来のあなた自身であり、「知られる人」とは説明出来るように言葉にあてはめられた象徴でしかありません。
 
どこまでも「知る人」の側が存在し、すべてを「知られる人」にしてしまうことは出来ません。
 
できるのは、ただあなた自身である状態を体験することだけなのです。
 
本当に自分らしくしているとき、あなたはそれをいまその時に知ることはないのです。
 
後から振り返って、その時は自分らしかったと説明することはできるかもしれません。
しかしそんなことはどっちでもいいことだし、ただその状態を経験するのが本来の自分らしさというものでしょう。
 

 
自分らしさに入り込んでいるとき、自分が何をしてるかなど振り返らないし、それを説明しなければいけないとも思わないものです。
 
谷神は死なず、それは神秘なる女性と呼ばれる。
神秘なる女性の扉、そこが天地の根源である。
それは綿々と続いて、いくら汲んでも枯れない。
 
老子道徳経 第六章
 

 
谷とは空間です。
 
山は形のあるものですが、谷はくぼんだ空間であり、それ自体形のあるものではありません。
 
老子は、空間こそが源であると言います。
 
空っぽだから役に立つ、そこからすべてのものが生まれてきて、いくら取り出しても尽きない源であると。
 
それに対して形のあるものは、源から取り出して表現された結果です。
形をとったものは、もはや他のものに変えることはできない。
それはまた、形をとった時から、いつか破壊される時が来るものです。
 
自分らしさも、知ることの出来ない空であってこそ、限定されず破壊されることのない可能性を秘めた存在になれます。
 
「自分とはだれか」、「自分らしさはこれだ」、そう決めてしまうのは可能性を限定する行為です。
 
それはまた、その規格にあわない自分を封印したり抑圧する原因となります。
それが、のちのち自分らしさを取り戻したいと、何度もあなたを苦しめる原因となります。
 
空であること、知られざる存在であるとき、可能性は無限となります。
 
ですから「あなたは誰か説明しなさい」といわれて、あなたを限定してしまう必要などないのです。
 
他人との関係を取り繕うために、自分を安売りする必要はありません。
あるいは社会的な圧力に負けて、自分を枠にはめてしまう必要もありません。
 
あなた自身がそれを許さない限り、誰も強制できる人は存在しません。
もちろん自分で自分の可能性を限定して、「私は所詮こういう人間よ」と決めるのも馬鹿げています。
 
「からっぽ」であることは、不安だとか不便だとかと言う理由で「自分を誰かに仕立てる」とき、あなたの分裂が始まります。
 
それを許している限り、あなたはいくつもの自分を作り出して、これは自分じゃないと思っても拒否できなくなるのです。
 
そして、すぐにどれが本物の自分かもわからなくなってしまうのです。
 
自分らしさなど、人に説明しようと思わないことです。
 
それは説明しなくても相手に伝わるものであり、自分そのものであるとき、それは自分自身が一番わかっているものです。
 
説明しようと思わないでも平気でいられるときこそ、自分らしい自分でいると言えるのではないでしょうか。


☆~必ずヒントが見つかります⌒☆
メルマガ購読・解除
 
ACR WEBブログパーツ

テーマ : 幸せに生きる
ジャンル : 心と身体


スポンサード リンク









sidetitleブログ紹介sidetitle
☆メルマガ始めました☆
まぐまぐ!さんでメルマガを発行しています。
ブログよりも早く最新の原稿をお送りします。
またブログ過去記事の解説なども、より現実的な解決を踏まえて書いていきます。
メルマガならではのメリットも合わせてご利用下さい。
週1~数通のペースになります。
メルマガ購読・解除

 


音声でのご相談も行っています。
メディア心理相談~音声による相談、画面であなたに必要な言葉をお送りします

☆~新刊⌒☆
☆ちゃん見るシリーズ☆


好評発売中


アルファポリス
第2回エッセイ・ブログ大賞
特別賞『タオに生きる』 pao
WebコンテンツPickUP!タオに生きる
【 エッセイ・日記・blog > blog 】
老子の教えに学ぶ
老子のいう「タオに生きる」ということはどういうことなのか。さまざまなアプローチから、自らの考えや学んだこと、思ったことが綴られています。心をやすめ、身体をやすめ、穏やかで落ち着いた生活をしたい……そう願う人たちにとって、ヒントに溢れたブログです。


ez-HTML





PRR
sidetitle最新記事sidetitle
《最近7日間の人気順位》
~ランキング全体をみる~
~ランキング全体をみる~

sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle全記事表示リンクsidetitle
過去の記事はこちらから↓

全ての記事を表示する

sidetitleお世話になってますsidetitle
※FC2ブログのリンクですが、なるべくblogpeopleのリンクをお願いしています(右サイドのお友達リンク)
このブログをリンクに追加する
sidetitleスポンサード リンクsidetitle


なぜか自分の気持ちと正反対のことを
言ってしまって相手を傷つけてしまったり…。

「つまり、何が言いたいの?」、
「ん?結局それはどういうこと?」、

と呆れられたり馬鹿にされたり…。

コミュニケーションが上手くいかないと、
損どころか様々なシーンで散々な思いをします。

ダン・オコナーによれば、
現実的な話、実に世の中の90%以上の人が、無意識の内に
『会話において重大な間違いを犯してしまっている』とのことです。

単純に鵜呑みにしなくてもいいですが、こういったコミュニケーションの
法則や発想は、あなたの発想に刺激を与え、自分なりに吸収すれば、
いつの間にかあなたは変わっていくでしょう。

この無料eBOOK『SAY THIS NOT THAT!』は
非常に役に立つ一冊になるでしょう。

無料eBOOK『SAY THIS NOT THAT!』
sidetitleアクセス情報sidetitle
sidetitleジャンル・ランキングsidetitle
[ジャンルランキング]
心と身体
71位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
メンタルヘルス
12位
アクセスランキングを見る>>

sidetitle検索フォームsidetitle


sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleアクセスランキングsidetitle
訪問いただいているサイト
(週間 木曜日リセット)
※こちらでタイトルを入れさせてもらっていますが、出したくないとか変更したいという方はご連絡下さい。

sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleブロマガ購読者向けメールフォームsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
11 | 2014/12 | 01
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
sidetitleQRコードsidetitle
QRコード
sidetitleお友達リンクsidetitle
FX