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何も拒んではならない

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「私」がなければ
あなたは自由だ
「私」があるとき
あなたは束縛されている

このことを見極めなさい
それはたやすい

何にもしがみついてはならない
何も拒んではならない

アシュターヴァクラ・ギーター



私たちが慣れ親しんでいる考え方のひとつ。

「その時がくればよくなる。だからそれまでは我慢しなさい。」

というものです。

それは、幼い頃から叩き込まれる。

最初に出くわすのは、学校かもしれない。

卒業すれば、新しい世界が待っている。それまでは我慢してがんばりましょう、となだめられる。

3年間がんばれば、自由な世界が待っているかのように、匂わせる説得を信じ、卒業までがんばったのに、その後に待っている世界は、今までと一向に変わってはいない。

それどころか、徐々に社会に組み入れられて、束縛は増えてきているようにも感じてしまう。

学生時代は、自分で判断したり、それをやめたりする力は持てないかもしれない。

しかし、今ならそれを打ち破ることもできるでしょう。

今の自分が自由でないなら、あるときまで我慢すれば、それができるようになる、自由になれるというのは、ごまかしでしかない。

今が自由でないなら、いつまで待っても自由にはなれない。

今が束縛を感じないでいられるなら、これから先も自由でいられる。

そうでないなら、いつまで待っても変わることはない。外側から自由が与えられることはないのです。


「何にもしがみついてはならない」


その時がくればよくなるという発想につきものなのは、「成果」というゴールです。

それまでは、ゴールをめざして、それの邪魔になるものは排除しなさい。

暗黙のうちに、そう教えられていることになる。

その排除を続けていること自体、もはや自由ではないことに気がつかなければならない。

ゴールに到達すれば自由になれるなんていうのは、大嘘なのです。

今現在、自ら自由を放棄して束縛を課している自分がいるのに、その路線上の自分があるとき突然、違う自分に慣れるはずはありません。

表面上のゴールにたどり着いても、卒業しても何も変わらなかったのと同じで、新しい世界など待ってはいないのです。

同じような錯覚は、今いる環境から、別の環境や、別の場所や、別の人間関係やらに移れば、自分も突然別の人間に変われるというものです。

今の人間関係が、束縛や障害だらけなら、それを受け取る自分を変えなければ、どこに移っても、同じような人たちが現れるのは当然なのです。

しがみついているのは、「今の自分」のやり方や信念なのです。

それはしがみつくほど、断ち切ることが難しくなります。

こんなにがんばって、こんなに尽くしてきたのに、それが間違いだなんてとても信じられない。

今までやってきたことが、間違っていたと認めるなど、とてもできない信じがたいことになっていくのです。

しがみついていることを見極めることと平行して、それを阻止してくれるきっかけは、起きてくることをそのまま受け入れてもいいと思える余裕です。


「何も拒んではならない」


現実を拒まないとき、ようやく今までしがみついていたものが、「私」だったことに気がつきます。

すべては、「私」のやり方、「私」の信じるもの、「私」が受け入れるもので構成されてきたことに気がつきます。

そして、「私」が受け入れがたいものは、排除すべき敵だったのです。

無意識のうちに拒んでしまうのはだれか?

それこそが「私」であり、現実とは異なるものだったのです。

私にこだわるほど、「私」から見える世界は、必然的に拒みたいいやなものにあふれてくるようになります。

受け入れがたいできごと、いやな社会、どうしてこんな人が世の中にいるの?という思いは、あなたの「私」しだいで、いくらでも醜悪なものにもなる。

しかし、そんな「私」にこだわるのをやめて、拒むことをやめるにしたがって、世界は快適なものに変わります。

まさに「世界はわたしのためにあるみたい」と思うこともできます。

「私」に従うのではなく、あなたが世界と一体になることを受け入れたのですから、当然の成り行きで、束縛する相手も居なくなるわけです。

敵対する相手も、「私」がいなければ成り立ちません。

あなたが絶えず抵抗しようとしてきた相手こそ、「私」の中に存在し続けていたのです。

あなたの敵も、あなたにとって不愉快な人や社会も、すべては「私」が作り出してきたものなのです。


「私」がなければ
あなたは自由だ

「私」があるとき
あなたは束縛されている

このことを見極めなさい
それはたやすい

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なぜ嫉妬するのでしょう?


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なぜ嫉妬するのでしょうか。
 
そもそも嫉妬とはどういうものでしょうか。
 
あなたが自分以外のものにあこがれて、今と違う自分になりたいと思うのが嫉妬の原因ではないでしょうか。
 
ところが今の社会は、そのあこがれるものをまき散らすことで成り立っています。
 
あなたに「何をしなさい」と訴えるのが得意で、しかし「どのようにしなさい」とは教えてくれません。
 
「何をしなさい」はそこら中にあふれています。
 
「あたらしい○○欲しいでしょ?」
「もっと楽に手に入る方法がありまっせ」
 
あなたが、SNSでほかの人の書いた記事を眺めていると何に出会うでしょう?
 
「わたしは○○を手に入れたよ。とってもよかったよ。」
 
>そうか、それなら私もほしいな。
 
>あの人はラッキーだな。自分もそうなりたいな。それに比べて。。
 
あっという間に嫉妬の原因を収集しはじめていることになるでしょう。
 
情報はたくさん集めれば良いとは限りません。
 
「たくさんあった方が、より正確な情報を見つけられるはず。」という論理を信じているかも知れません。
 
しかしそれによって、いかに有害な情報のシャワーにさらされることになるかを考える方が大事ではないですか。
 
子どもがおやつは一杯ある方がいいというような論理ではなく、すぐにあなたを嫉妬まみれにしてしまうものは、有害だから避けるべきと思った方が良いのです。
 
それとも、あなたは、そんなものに影響されない人間になるんだと修行でもする気でしょうか。
 
有害だと認めたら、防御すべきでしょう。インフルエンザがはやっていると聞けばマスクをして、うがい・手洗いを考えるでしょう。
 
無防備に嫉妬の原因に飛び込んでいく必要はありません。
 
遮断できることは遮断して、自分以外のものになるのではなく、ありのままの自分を振り返って受け入れることを考えみる。
 
それをしないから、たちまち社会の「何をしなさい」攻撃にやられてしまうのです。同調していないと罪悪感を感じる様になるのもすぐでしょう。
 
「嫉妬はよくありません。嫉妬しない人間になりなさい。」という意見は一見まともに思えますが、これ自体が嫉妬の一部なのです。
 
なぜなら、自分以外のものになりなさいと言っているからです。
 
嫉妬している自分に気がついたのなら、それも今のありのままの自分の姿であると、素直に認めることからスタートするしかありません。
 
「嫉妬しないでいられる人」を目指すにしても、実際になるのは不可能でしょう。
 
そんな現実離れをしたことを願うのではなく、新たな嫉妬を作り出さない生き方を見つけることの方が現実的で大事なことではないでしょうか。
 
自分以外のものになることで幸せになる、と信じるのをやめることです。
 
ありのままの自分を受け入れられるようになることが、すなわち嫉妬に縁のない生き方を作りだしてくれるのです。
 
そしておそらくそれが唯一の嫉妬を防止する方法なのでしょう。
 
また、そこから今度は「ありのままの自分を味わう」余裕が初めて生まれてきます。
 
嫉妬しているより、そのままの自分の生み出す世界には本物の充実感があることがわかってくれば、外を探し回っていたことのばからしさがわかってきて、自然と足は遠のきます。
 
 
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月そのものを見よう!(新「水たまらねば月も宿らず」 メルマガ27)


月そのものを見よう!

「朝顔に つるべ取られて もらい水」  千代女

井戸

ご存じの方も多いこの句を詠んだ千代女(ちよじょ)のこんな逸話があります。

ある夜に、千代女は井戸から汲んだ水を桶に入れて運んでいました。
桶の中を見ると、きれいに月が水面に映っています。

しかし、当然少しでも動くと、水面が揺れて見事な月のかたちは崩れてしまいます。

私の心の乱れが、月を崩してしまうのだろうか。ありのままに、崩れないように映せる鏡に私はなれないのだろうか。

そんなとき、虫が飛んできて桶の水に飛び込んでしまいます。
月は崩れます。

風が吹いてきて水面が揺れます。
月は崩れます。

再び思い直して、桶を運びはじめようとしたとき、桶の底が抜けて水はすっかり流れてしまいました。

もはや月も消えてしまいました。
せっかく運んだ水もすべて流れてなくなってしまいました。

千代女はここで悟り、大笑いします。

桶の月は消えてなくなった。
水もなくなり桶は空っぽ。

しかし、私の心配などと関係なく、月は空を見上げれば存在したのだ。

水面の月にとらわれて、私の心のせいで月が左右されるなど馬鹿なことを考えたものだ。
水を溜めなければ、そもそも月も映らなかったというのに。

「とにかくにたくみし桶の底ぬけて 水たまらねば 月もやどらず」

月


☆~⌒☆

私たちが、ふだんからよく陥っている悩みというのもこのようなものです。

◆月の姿かたちを崩さないようにしたい。

私の心が乱れるから、月もきれいなままでいてくれない。
いや写真に撮っておけば、ずっと私のものになるじゃないか。

※その時追っかけているのは、水に映った月なんですけど。

◆せっかく運んだ水が、全部流れてしまった!

なんて世の中は意地悪なんだろう。
もっとしっかりした桶を作ろう。
いや、桶のたがを点検しなかったのがいけなかったのだ。

※どのように準備しても、起きるときには起きるのです。

☆~⌒☆

水面に映る月をうっとり見つめたところまではよかったのです。

しかし、この月を「私」のものにしたいと執着心を持ちはじめる。

その時点で、月は空の上にあることを忘れてしまいます。
「私の月」は、この目の前の水に映る月なんだと。

いつまでも変わらないものなど何もない。
そうわかっていながら、このまま「私の月」を保存しておきたいと思い出すとき、私の悩みが始まります。

せっかくここまで水を運んだのに。
桶さえ壊れなければ、今は水を家の中に運べていたのに。

なぜ、私に意地悪するんだと思えば、世界は私に敵対するものに見えてきます。

しかし、どのように注意深くしていようと、底が抜けることもあるでしょう。
そして、そこで起きたことは、水にとっては自然に重力に従って地面に流れ落ちただけです。

「私」がどのように解釈しようと、起こるべきことが起きただけ。
なんで、世界を恨む必要があるのでしょう。

すべては「私」がからんでいるから、起きてきた迷いごとにすぎません。

月は、私が生まれる前も、いなくなった後も、空の上に存在し続けます。
水は高いところから低いところへ流れます。
水面は「私の心」にかかわらず揺れるときには揺れ、波を立てるのです。

「私」の望みと違うことが起きて、「私」のこころがざわついただけなのです。

今悩んでいることはなんでしょう?
それは、どんなふうに自然をねじ曲げているのでしょう?

☆~⌒☆

こころが、ざわつきだすと、月そのものを見ることを忘れてしまいます。

水に映った月こそが真実だと信じ込んでしまうから、それが壊れることを恐れるのですが、その時点で対象とするもの、守るべきだと信じたものが間違っているのです。

このような失敗を避けるためには、本来の月はどこにあるのかを、思い出さなくてはなりません。

月は空にありますが、自分にとっての真実は、自分の中を捜さなくてはなりません。

だまされてしまうのが、心にあるのなら、その心の奥に隠れている真実を探さなくてはなりません。

心が説明したがることは、自分の今までの経験から正しいと訴えることを前提にしています。

その前提が、今までうまく働くことが多かったほど、それがひとつの前提に過ぎないことを認めたくなくなるのです。

情報が手に入りやすくなった現代では、自分自身の経験のかわりに、たとえばネットで検索した知識を信じて、自分で経験したことのように前提にして行動したくなります。

答えがたやすく手に入るようになると、自分で考えること、つまり月そのものを見ることをしなくなってしまいます。

さらには、なんでも答えが手に入るとは限らないのですが、そのような当たり前のことも忘れて、あたかも、探しさえすればその場で答えは手に入るはず、答えが見つからないのは探し方が悪いだけと思ってしまいます。

その結果、自分自身に問いかけること、月そのものを見ることをしなくなるのです。

月そのものは、自分の心が説明したがることの中には、含まれていないかもしれません。
自分を守るために、発達させてきた心の思考そのものに潜む、落とし穴に気づかなくなるのです。

思考は本来役に立つことも多いし、間違ったことではありませんが、何でもそこで答えを見つけようとするのは、無理な場合もあるのです。



人が他人にだまされるのは、直接他人にだまされるわけではありません。

他人の言葉と、自分が信じ込むことの間には、自分自身の心の説明が介在しているはずです。

そこでは、これを信じたいから、これは正しいことのはずだと信じたがる、心の働きの落とし穴が存在しているのです。

この中間に入った自分の心に、それを信じてしまいたい自分を含んでいるからこそ、相手の言葉も信じてしまうわけです。

言い換えれば、自分の中にもだまされたい自分が存在しているわけです。

それは、今回のたとえで言えば、月そのものを見るのではなく、水面に移った月の方こそが本物だと信じたがることかもしれません。

こんなにきれいに見えるのだから、こちらを月だと思って何が悪い?というわけです。

心の説明にだまされないためには、即座に思考に基づいて行動しないで、その考えていたことを、いったん止めて、そこで心のおくから訴えてくる、言葉にならないかもしれない感性に耳を傾けてみることです。

ぼんやりした、何か違う気がするという訴え、
前にもこんなことがあって、しかも失敗したような気がすると告げている声に耳を傾けましょう。

「水に映ったつきだけど、本物ではないけれど、でもきれいだね」と思うところまでに留めておきましょう。

あくまでも、今ここの素敵な体験であって、いつまでもは続かないのです。

そのまま維持したいと思い出さないことです。

それが出来ないなら、必要ならば、じぶんで桶の底を抜いてしまいましょう。

そうすれば、自分も他人もあなたをだますことは出来なくなります。

心がざわつくことも、あきらめられるようになります。

にせもので悲しい思いをしなくても、済むようになるのです。


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人生には、なぜ望まないこと抵抗していることが起こるのですか~手放すための秘訣(ガイ・フィンリー)

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そこで・・・
人生には、なぜ望まないこと
抵抗していることが起こるのですか
と聞いてくる人がいるのですが

答えは簡単です

なぜなら私たちは、その嫌な出来事は
私たちから何かを奪おうとしているんだと
思い込んでいるからなのです

川を見ていると、中で流れてくるゴミをせき止めているところがありますね。
そこには、いろんなものが引っかかっては、蓄積したり、剥がれて流れていったりしています。
しかし、そこに留まっているものは見ていても美しくない腐敗した現実です。
そのようなものを作り出すのは、「流れたくない」と抵抗してしがみついている思いにほかなりません。



手放すための秘訣

生きている川は、やはりいつも流れていて、毎瞬、毎瞬入れ替わっているものです。

川を見ていると、中で流れてくるゴミをせき止めているところがありますね。

そこには、いろんなものが引っかかっては、蓄積したり、剥がれて流れていったりしています。

しかし、そこに留まっているものは見ていても美しくない腐敗した現実です。



そのようなものを作り出すのは、「流れたくない」と抵抗してしがみついている思いにほかなりません。

流されてしまうことへの恐れ。

「しがみついて今の場所に留まっていれば、昨日と同じでいられる」
という恐れからの抵抗が、ガラクタをどんどんせき止めていきます。

そこにあるのは、いいかげん、うんざりしてきている現実なんです。

しかし、代わりにもっといいものがあることを信じられない、それだけのためにそこにしがみついているのです。

手を離しさえすれば、流れに乗って新しい可能性を見せてくれる場所に移動することが出来ます。

色あせた後悔や執着の山は、きれいに流されていきます。

あとには、いつも新鮮できれいな水が流れる、蘇った川の流れが出来あがってくるのです。




YouTube - ガイ・フィンリー~『手放すための秘訣』


ガイ・フィンリーはビデオで次のことを語っています。

手放すための秘訣(ガイ・フィンリー)

手放すための秘訣とは・・・
「人生は、あなたが手放さなくてはならないものより
もっともっと素晴らしいものをプレゼントしてくれる」
それをあなたが知ることです。

それを知っていることが
「手放すため」「恐れのない自分であるため」
「心穏やかな自分自身であるため」の秘訣です

人生とは、完全無欠な流れを持っていること
そこには一切矛盾がなく
人生に起こることには
ひとつも対立するものがないということに
私たちが気づいた時

私たちは、人間として
人生そのものの基盤を魂の出来事として
捉えることができるようになるのです

そこで・・・
人生には、なぜ望まないこと
抵抗していることが起こるのですか
と聞いてくる人がいるのですが

答えは簡単です

なぜなら私たちは、その嫌な出来事は
私たちから何かを奪おうとしているんだと
思い込んでいるからなのです

ある意味これは確かかもしれませんが
でも人生は、もっと素晴らしいものを与えることなく
ただ取り上げるなんていうことは決してないのです

そこで、私たちが手放すことを同意した時に
人生が与えてくれる
もっと素晴らしいものとは何なのかと言うと

それは・・・その時までにあなたが
自分が自分だと思い込んでいた自分というのは
花にとっての種のようなものだったんだ
ということへの気づきなのです

人生はそのようにやって来ては
私たちを動かし、駆り立てるのです

そうすれば、新しい可能性が
実現可能になるからなのです

でもそれも、私たちが
自分自身の高次の目的を認識することを通して
実現可能になってくるのです

それが毎瞬、毎瞬起こっているのです
それが「手放すための秘訣」です
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苦しみがなくなるのではない~いつも原因を取り除けるわけではない

苦しみがなくなるのではない~いつも原因を取り除けるわけではない

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物事によっては原因を追究しそれを取り除いたり、変更を加えることで、結果を返られる場合もあります。
この発想は非常に常識的で、何にでも当てはまる万能の法則のように感じられますが、実際には原因がはっきりわからないことや、わかってもどうにも成らないことも多いわけです。

むしろ、因果関係が明確であることは、部分的であったり、限定的なスパンでしか当てはまらないことも多いわけです。

ときには、答えがわかるまでそれを追求し続けるより、現実をただ受け入れるしかない場合もあります。
そのようなときに、原因さえわかれば解決するのだと思って、それに固執することは、苦しさを長引かせるだけであったりします。

また、その思考方法の中には、さまざまな、心理的な防衛規制から、論理のすり替えが行われる可能性があります。そのときに起こる弊害とは、一言で言えば、現実をそのまま受け入れようとしないということです。

それがどんなに苦しくても、ただ受け入れるしかないこともある。
これが、すり替えられてしまうのです。


苦しみが
なくなる
のではない

苦しみで
なくなる
のです

There is always suffering,
but through it we can overcome suffering.

度一切苦厄(どいっさいくやく)
一切の苦厄を度したまえり。

羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
荒 了寛 里文出版 / 2001-05




苦しみはいつもあります。

しかし、苦しみを苦しみとして受け取るとき、それはそこで終わります。

苦しみを受け取り、受け入れるとは、そのまま苦しい状態を経験することです。

それをあえて拒絶しなければ、それがいつまでも続くことはないのです。

ところが、実際には苦しみはそこで終わらないことが多いですね。

そんなとき、私たちは苦しみをそのまま受け取ることに何らかの形で抵抗しているのです。

どうにもならないことを受け入れていれば、苦しみはいつまでもそこに残っていることはないのです。

災害などが相手の場合と違って、私たちは身の回りの苦しみ対しては、ついつい抵抗を試みてしまいます。


あなたが負けたとき、負けを認めて必要なら敗者の苦痛を味わいつくしてしまえば、その勝負はそこで終了します。

しかし、あなたが本当は負けていないと言い張るなら、今度は戦いは競争相手との争いではなく、あなた自身の内面で何時までも争いをくすぶらせることになるのです。

あなたは、その勝負を思い出すたびに、自分は負けていないという理由を自分に説明し続けなければなりません。

あなたが、負けてしまった自分を受け入れたくないと言って、抵抗し続けるからです。

「そんな自分は、私ではないはずだ」と自我は言い張ります。

そのため「私」は、受け入れたくないと頑張る自分と、実際に存在した自分とに分裂し、自分の中で統合できなくなってしまいます。

それが何をやっていても、確固とした自分を感じられなくなる原因なのです。

もともとの苦しみは、受け入れることで、それ以上は苦しみでなくすることができます。

それに対して、分裂した自分を作ることは、新たな、さらに複雑になってしまったな苦しみをつくりだしてしまうことになるのです。



負けを受け入れないのは、過去を受け入れないということですが、未来を予期することで創りだされる苦しみというものもあります。

それは、「きっと悪い結果が待っているだろう」と心配する苦しみです。

このような将来の結果に対する苦しい気持ちは、「うまくやればいい結果になるはず」と信じるところに起源がありそうです。

いい結果を出せなかった方の自分をイメージするから、将来が不安になり、それ自体が新しい苦しみを作ります。

ですが、将来の予測はあくまで予測でしかなく、現実ではありません。

将来への不安は、正面から取り組んで、たとえ闘いを挑んでも太刀打ちできません。

気休めを言ってなだめようと思っても、本心では納得していませんから余計にこじれるかもしれません。

予測できない未来を相手にしないで、今に存在する自分を取り戻す必要があります。

今出来ることだけに集中する必要があるのです。

これだけやれば、うまくいく可能性が高まると分かれば、予測はそこまででやめて、今の自分ができることに集中します。

あるいは、予測できないことだから考えるのをやめて、他のことに取り組もうと「今」の選択をする事もできます。


「うまくやればいい結果になるはず」と予測することは、うまくいかなかったときに自分自身を非難するということにつながる可能性もあります。

「もっとうまくできたはずなのに、なんでできなかったんだ!」といって自分を責めるのです。

しかし、それは殆どの場合できない相談です。

そこまで未来を予測したり完全に作り出すことはできないのですから。

それをできるはずだと信じるのが、慢心であり、執着なのです。

やることをやったのなら、そんなに自分に厳しくしないでもいいでしょう。

自分を責めても新しい苦しみを作り出すだけです。

それよりは、終わったことはそれ自ら終わらせて、次のことに取り組んだほうがいいというものです。

過去のことにしろ未来のことにしろ、新しい苦しみを作り出している原因は「私」の抱える執着心から来ているわけです。

純粋に起きてくる出来事には、当然苦しみを含むものもあります。

しかし、それはそのまま受け取れば、苦しみではなくなるのです。

それが新たな苦しみを創りだすのは、「私」が強情を張るからに他ならないのです。

素直に負けを認めましょう。

素直に「先のことはわからない、失敗したらごめんね!」という気持ちを持って、

出来もしないことまで出来るかのようにふんばろうとしないことです。

いま、できることだけに目を向けて、過ぎさった苦しみを苦しみでなくするのです。


苦しみがなくなるのではない

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なぜか自分の気持ちと正反対のことを
言ってしまって相手を傷つけてしまったり…。

「つまり、何が言いたいの?」、
「ん?結局それはどういうこと?」、

と呆れられたり馬鹿にされたり…。

コミュニケーションが上手くいかないと、
損どころか様々なシーンで散々な思いをします。

ダン・オコナーによれば、
現実的な話、実に世の中の90%以上の人が、無意識の内に
『会話において重大な間違いを犯してしまっている』とのことです。

単純に鵜呑みにしなくてもいいですが、こういったコミュニケーションの
法則や発想は、あなたの発想に刺激を与え、自分なりに吸収すれば、
いつの間にかあなたは変わっていくでしょう。

この無料eBOOK『SAY THIS NOT THAT!』は
非常に役に立つ一冊になるでしょう。

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